第二六〇話 皇都にて 壱
「それは……事実か?」
アーダルベルトは長い沈黙の後、絞り出す様に問う。
アリアベルが皇都の公爵邸にリシアを伴って姿を見せ、父親としては些か面映ゆい心情を押し殺して毅然と対応したが、執事と護衛を人払いして告げられた内容は、アーダルベルトの心情を吹き飛ばすに値するものであった。
「あの男が紫苑色の瞳を……そうか、そういう事か」
帝国という国難を退け得る才覚。天霊の神々が現状の皇国に授けるべきものとしては最適解と言える。寧ろ、国難に在って出自不明の若者が戦略規模の判断を担う状況など偶然である筈なのない。余りにも彼が傲慢で強引であるからこそ、誰しもが彼と皇権を結び付ける事はなかった。
「中々に強引な方ですが、天霊の神々は彼に資格を与えました」
言い募るリシアに、アーダルベルトは、要らぬ杞憂だ、と一蹴する。彼女は民衆の本質を理解していない。
「……神々を知っても民衆を知らぬ様だな。違う。強引さは皇権を遠ざける要素足り得ない」
尤も、アーダルベルトも無意識にその可能性を排除してしまっていた為、強くは言えない。
その強引さを、元より権威を持ち合わせず、新興軍閥の指導者となったトウカが成したからこそ非難が集まる。結果の成否はその際、考慮されない。
皇権という権威があった場合、トウカは強引さを非難されただろうか?
否、断じて否である。
帝国軍に数十年は回復の難しい被害を与えて退けたという結果に、民衆は彼の強引な姿勢を、優れた決断力や稀に見る果断という言葉で称賛しただろう。民衆とはそうしたものである。勿論、権威もそうしたものである。
「年老いたものだ……いや、未だ若輩という事か」アーダルベルトは天を仰ぐ。
宝石の剣山と化す機会を窺うかのような照明器具が視界に映る。その美しさには鋭さがあるが、トウカには美しさはなく、ただ鋭さだけがあった。だからこそ忌避される。天井から無数の大剣が吊るされている姿を賞賛するのは、精々が武門と狂信的な軍国主義者だけに過ぎない。己の軍事行動を着飾る必要があったのだ。ヒトの大部分は成果だけを理解するだけの知性と品性を備えていない。成果を見映え良く着飾らせる必要があるのだ。
「何故、気付かなかった?」
大御巫という宗教的権威はただの御飾に見えるが、決して資質なきものが獲得できる立場ではない。招聘の儀を始めとした資質を擁する祭事の主役を担うという理由からである。大御巫とは宗教的権威であり、同時に優れた魔導士に他ならない。否、戦巫女というべきものである。
正面から会話した姿も見れば、トウカがアリアベルの手を取って助けた姿を見た事もあるアーダルベルトからすると、接触すらしても正体を見破れなかったという事実は衝撃のものである。今後の皇統に対する対応にすら影響を及ぼす。
「そんな事が。莫迦な。私ならばいいざ知らず、御前まで気付かぬなど有り得ん」
その為の大御巫。その為の神祇府なのだ。
アリアベルが千早の懐から小さな長方形の容器を取り出す。薄く僅かな書類すら入れられない規模である。
「これです。見たこともない術式で……恐らくは、空間湾曲の類だと……」
容器の蓋を開いたアリアベルが、困惑に眉尻を下げる。本当に困惑した際の表情。
アーダルベルトは、容器内の御守りを見下ろす。
御守り袋と、その取り出された内側の金属。
見覚えはないが、そこに刻まれた精緻な……現行の魔導大系には属さない術式の意図するところは、アーダルベルトにも推測できない。
しかし、逆説的に考えた場合、製作者は限られる。そうした類の術式を近代に於いても実用可能な者は極僅かである。そして北部に居る人物となれば更に絞られる。
「一人、心当たりがあるが……」
大剣の巫女……嘗ては星月の巫女と呼ばれていた人物である。アーダルベルトとしては質の悪い妖怪の類だと考えているが、先代クロウ=クルワッハ公爵などは多大な脅威と恐怖を以て語る人物でもあった。
「しかし、今はどうでもよい事だ。重要なのは今後だろう。どうする心算だ?」
二人の娘が顔を見合わせる。
何も考えていなかった訳ではないだろうが、アーダルベルトが積極的に動くと見て、その主張に対して応じる形で意見しようと考えている。彼は正確にそれを見透かしていた。
アーダルベルトは、トウカの国難に在っての即位は反対であった。先代天帝の負担を見れば、それを成そうとは思えない。
「当人が望まぬ即位に意味は無かろう。好きにさせてやるといい。それがあの男の為でもある」
歴代天帝の遺した融和主義の負債を背負う苦労をさせるべきではないという老婆心だけではなく、そうした左派の空想的な主張や行動に対するトウカの対応が苛烈であると知るからであった。彼は政治問題に時間を掛ける事が罪だと考えている節がある。常に急進的な方法で政治問題の解決を図ろうとする事は誰しもに想像できた。
戦争とは、異なる手段を以てする政治の延長である。
政治の延長線上でしかないと考えるからこそ、トウカは軍事力行使を特別視しない。戦争を特別視せず、完全に政治手段の一つとしてしか見做さないからこそ行使を躊躇しないのだ。暴力という非日常を携える事をさも当然の如く考え、振る舞う者はそういない。無論、政治家も同様である。誰しもが暴力や武力……戦争というものを意識的に、或いは無意識に特別視している。
「誰がああしたのかは知らぬが、あの男に今の皇国は背負わせられぬ」
「正しい判断かと」
驚いた事にリシアが同意する。トウカに惹かれている事が明白なリシアが同意するのは、アーダルベルトにも予想外の事であった。彼女が相応の野心を持ち、トウカは恋人を喪った。彼女の野心と情念を満たす好機と言える。
「皇都も帝都の如く廃墟にしたいとは考えません」アーダルベルト考えを察したリシアが鼻で笑う。
年頃の少女にまで察せられてしまう表情をしていたと気付いたアーダルベルトは、貴族然とした仕草で一層と深く応接椅子に腰掛ける。前妻に思いを馳せるてしまうやり取りが、そこにはあった。
「ですが、危機が再び訪れぬという確証もない以上、位置を把握するべきでしょう」
「……一理あるな。妥当な説得とも言える」苦笑したアーダルベルト。
トウカの即位に関しては考慮していないが、再度の危機的状況に対応すべく所在確認をするべきではないか、という迂遠な物言い。即位に動く事はないから居場所特定を手伝えという意図がある事をアーダルベルトは正確に読み取った。
マリアベルはリシアが政治に向かないと判断していたとの噂があるが、中々どうして状況判断ができていた。元より携えていたのか、或いは成長したのか。情報将校として体裁を整えられるようになった事は喜ばしいと、アーダルベルトは相好を崩す。
アーダルベルトは鷹揚に頷いた。何度も。
彼女の新たな一面を認める事をアーダルベルトは好ましく感じる。娘の教育に悉く失敗していたアーダルベルは、リシア程度の無礼と腕白であれば許容できるだけの懐の深さが養われていた。
リシアは顔を引き攣らせている。隠しもしないアーダルベルトの微笑ましいと言わんばかりの雰囲気に顔を逸らした。その先にはアリアベルの顔がある。リシアは慌てて反対へと顔を逸らす。
そして、短くなった紫苑色の髪諸共に頭を掻き毟る。
「あ~、もう面倒臭いわね。あれよ、トウカに即位の意図を聞いたのよ! 案の定、要約するとあれよあれ! 糞くらえ、よ! だから即位はなし! 問題ないでしょ! 大体、どこかで別の軍閥を作られたどうするのよ!」一息に捲し立てるリシア。
成程、政治は難しいな、とアーダルベルトは苦笑に転じる。
しかし、政治という舞台に立つ事は難しくとも、政治を推測できる事は別である。何よりトウカの近くに居ただけあって、彼の思惑や行動に対する理解がある。それに影響されて強引な点は望ましくないが、その言葉は放置できるものではない。
「内戦の兆しがある神州国? 帝国で跳梁する共産主義者? 一番、最悪なのは、あっさり将官待遇を投げて寄越してくる共和国ね」
リシアは腕を組んで自信満々に告げる。内容を除けば微笑ましいものがあった。
トウカが帝国に対する事実上の戦勝を得た状況で、共和国は自国に於ける最高位の勲章と名誉大将の階級を贈与物として祝辞を寄越した。誰よりも、どの勢力よりも迅速な対応であり、皇国だけでなく各国が驚きを見せる程の対応であった。
しかし、最も世間を驚かせたのは大将という階級が御飾ではない事であった。事があれば客将待遇で実戦部隊を指揮できるという事実。皇州同盟軍や陸軍に配慮して元帥号を避けたという弁解の添えられたそれは、共和国のトウカに対する姿勢を如実に表している。
取り込めるならば取り込みたい。不可能でも支援を引き出したい。
その辺りが妥当であり、共和国政府は皇国政府に角が立たない範囲で外交を展開した。
「一理あるな、共和国での航空部隊の編制は無理だろうが……」
「トウカの命令があれば、皇州同盟軍は越境して共和国本土の帝国軍後背に襲い掛かるでしょうね」皇国外交の終わりよ、と一層と大きく鼻を鳴らすリシア。
皇国政府の外交に対して否定的な印象を抱いているのか、リシアは危機を口にしつつも心配する感情は見られない。
皇国外交は崩壊しつつある。
政府の急激な姿勢転換に抵抗する外務府。皇州同盟の動向や各貴族との独自外交をより重視する周辺諸国の姿勢。そして、戦時下という外交が抑圧された時代。帝国との外交がない以上、戦争終結にすら彼らは関われない可能性が高い。
このままでは、皇国外交は個人の実力者が各々に行うものとなりかねない。国会でも懸念されている問題で、特に貴族院の焦燥は大きい。貴族領が個別に外交を展開した場合、国内の均衡が崩れる可能性が高い為である。無論、その前例は北部ヴェルテンベルク伯爵領であった。
「ふむ、確かに動かねばならないか」
選択肢などなかった。
有り得ることなのだ。
戦争に愛された者が、安寧に沈んでいくと思う程、アーダルベルトは楽観的ではない。ましてや天霊の神々が選出した男に他ならない。武力闘争に関わる事が宿命となっていても不思議はなかった。
「まぁ、貴方達が真っ当に皇国を繁栄させられるなら、皇州同盟軍を派遣軍扱いで国外に出してもいいと思うわ」
「内外の騒乱と脅威を減じれる、と?」
アーダルベルトにとり魅力的な提案である。それを成果と根拠に中央貴族を纏め、現状の皇国経済を立て直し、中央集権化を進めるというのは安全な手段と言える。フェンリスが考えていた帝国南部を属領として皇州同盟軍の対処能力を飽和させて安寧を得るという方策よりも幾分かは現実的であり、他国の歓心を買う事もできる。
「責任逃れで無責任に流される国会を掣肘して舵取りをできるならば、だけど」
「確証のない話だな」
その点こそが問題となる。現状でも十分とする中央貴族が抵抗すれば、経済立て直しや法整備などは時間を要する事になるのだ。頓挫するとは考えず、時間を掛けても持ち込むとアーダルベルトには相応の自負があるが、それでも一〇年単位の時間を見積もらざるを得ない。
「失敗すれば派遣軍が舞い戻ってくるわよ。他国の軍も指揮下に加えて」
リシアは出されていた大福を口に放り込む。乙女らしからぬ仕草で頬を膨らませて咀嚼する姿は微笑ましいが、内容は物騒極まりない。
マリアベルが育成した基盤があったとはいえ、極短期間の内に軍閥化を実現した手腕を甘く見る事はできない。個人としてではなく実績で多くを従えるトウカは、他国でも皇州同盟軍からなる派遣軍を基幹戦力とした強力な軍の編制を行うだろう。
その軍が皇国に舞い戻るのだ。他国で戦勝を重ねれば、それに報いるという名目で他国軍もトウカの私戦に加担する恐れがある。特に民衆の意見が過度に政治へと反映される共和国は高確率であり得た。強国の民衆に皇国の支援を、皇州同盟軍の支援と誤解させるなど、トウカには容易い事である。
強力な軍が帰還するというだけではない。それは他国の皇国に対する干渉という意味も持つ。他国を背景としたトウカとの軍事衝突は避けられないだろう。
「在野に下っても何をしでかすか分からぬ、か……」
だからこそ把握しておく必要があるというリシアの主張には大いに頷けるものがある。
「しかし、内密に探すのは困難を極めるだろう。効率的に探そうとすればする程に関与する者は増えよう」
正体を隠したままに相手を発見する事は不可能である。それが困難である事は天帝招聘の儀で邪魔を受け、トウカを探し回ったアリアベルが良く理解している筈であった。リシアも容易であるとは考えていない筈である。
「トウカの不在が露呈する時期を延ばし、御前達が探して回る理由付けに付き合えという事か?」
大凡の事情を察したアーダルベルトだが、些か政治的危険性を軽視していると渋い顔をして見せる。言葉にして否定し難い相手であるが故に直截の物言いは避けた。
近頃の若者は政治を軽視している。
アーダルベルトは、その理由を察している。
政治的混乱が続き、各地の貴族が地方行政の主導権を握り、その大部分は成功している。その結果から、民衆出身の政治家の必要性を感じ難くなった事で、衆議院選挙に於ける投票率は近年低下の一途を辿っている。
挙句、そこにトウカが現れた。
軍事力で総てを解決してしまうと錯覚させる程に強烈な人間種の若者。
民衆が政治に疑問を抱き始めるのも致し方ない。低位種である人間種が並み居る高位種を退けて内戦で白紙平和に持ち込み、攻め寄せた帝国軍を壊乱させた。そこに夢を見る者達も多い。低位種であるからと高位種の後塵を拝する事に鬱屈していた低位種の一部からトウカは熱狂的な支持を受けている。
結果として実力主義が横行する。
目に見える、或いは数値化し易い結果や分野だけが殊更に強調され、基礎的な職業や労働が軽視され、視覚的な変化に固執する。実力主義を評価する者も居るが、実力者が常に得た立場で活躍する訳ではないのだ。
良い士官が良い将官になるとは限らない。
良い部長が良い社長になるとは限らない。
良い貴族が良い議員になるとは限らない。
それぞれの分野にそれぞれの価値観があり、活躍していた者が上位の立場を得て活躍できなくなる事は珍しくない。それぞれの職責にそれぞれの最適があり、下位職と必要とされる条件や要素が違う場合も少なくなかった。特定の階級にまで栄達すれば、長所を欠点が上回るという事は貴軍官民の総ての分野であり得た。
トウカという歴史上稀に見る稀有な例を間近でみた彼女達は自覚しないままに影響を受けている。
目に見えるモノを強く信奉し、表面化し難い要素を殊更に排除して物事を考えている。確かに、資源の集中という意味では取捨選択に於ける排除は間違いではない。しかし、それは厳密な情勢判断と無数の要素を正確に推し量れる者が行ってこそ意味を成す。
トウカは意外な事であるが政治に理解があった。納得はしなかったが。少なくともアーダルベルトとフェンリスはその点で一致している。彼は多くの場面で、敢えて政治的都合や要素を無視した。政治とは大部分が蓄積した地力を根拠とした多数派争いであるが、トウカが姿を見せた時点で政治的衝突の勝敗は決してた。トウカの政戦は政治的に敗北した状態から始まっている。
だからこそ積極的軍事行動が行われた。
トウカは対外的な政治に投入すべき資源の一切を切り捨てたが、それは政治が役に立たぬという判断からではなく、既に政治的決着が付いていると理解していたからである。
そして、それを覆し得る手段は軍事行動しかなかった。
現状の経済問題への対応に政治面からの働きかけを行った事実などは、壮麗で華美な軍事的成果の前に霞んでしまう。
法整備を推し進めて労働環境を改善し、労働人口の保全に努める。言うは易いが諸勢力の反発を踏まえれば容易なことではない。それを断行して労働者の賃金を向上させ、周辺環境への不安や不信を低減し、人口減少を抑止して拡大に持ち込む。賃金上昇は内戦後を目途に確定している点も彼の非凡さを窺わせる。内戦後に政府から拠出させた資金を発展の為に大胆に投資するとして各企業の反発を押さえつつ、状況が厳しい内戦中の賃金上昇は控えた。内戦中に賃金拡大など行えば倒産する企業は無視しえない数に上っていた事は間違いない。
トウカは勢力内で政治的均衡を取れる。民衆に肩入れして経済活動を停滞させる事もなく、企業に肩入れして人口減少を招く事もない。
有力者による一切の影響を受けず、認めず、政治をただ軍備拡大を支える国力増大に絞って為すという姿勢と割り切りがいかに強力であるか、アーダルベルトは思い知った。
特に株式運用を積極的に軍事行動に絡めてくる点は注目に値すべき事である。
内戦や帝国軍による侵攻が優位に進む中でも北部企業の株価は好転せず、その時間的余裕を以て皇州同盟はありとあらゆる方法で予算を捻出して株式を買い漁った。
しかし、当初株価が好転しなかったのは、トウカが株主や資金が多い皇都の新聞社を潰しに掛かった事が主な要因である。決して敵対的な情報を流布する組織を掣肘するという意味だけには留まらない。新聞という情報源を潰し、株価の反発を抑えつつも買い漁る期間を稼いだのだ。
結果として、主要な北部企業は今、株式の少なくない枚数を握られて皇州同盟の影響下にある。
そして、株価自体も急反発を続けている。
特に軍需産業の株価は連日急騰しており、一部は既に内戦以前の元値の倍にまで迫っている。皇州同盟の資産は極短期間の内に数倍へと膨れ上がった。
だが、そうした点は表沙汰にならない。
ただただ、実力だけが、軍事力だけが、目に見える要素だけがトウカの印象を形作った。財界を軍事力や暗殺という形で掣肘した点がそれを助長させている。
画してトウカの政治経済への対応は無視……矮小化された。
戦争とは、異なる手段を以てする政治の延長である。
その点をトウカは知悉していた。だからこその内戦の激化であり帝国軍の誘引であった。内戦の激化は政治的譲歩からなる経済好転を求めてのものであった。効率的な航空攻撃などという攻撃手段が示された以上、広大な空を国軍は常に監視しなければならない。陸上よりも遥かに広大な空にまで監視網を展開する資源と手段確立までの予算と時間を踏まえれば、戦後に北部を突き放すという真似はできなくなる。戦線後退は空の縦深をも失う事を意味した。
世界で最も航空攻撃に対する知見があり、北方の最大脅威たる国家との国境を担う地域は皇国にとって有益と判断せざるを得なかった。その辺りを見せつける為の戦争でもある。
故に、徐々に取り込んでいけばいいというのが、アーダルベルトとフェンリスの判断であった。
帝国が数十年単位の期間を必要とする程の被害を今次戦役と共和国との戦争で蒙りつつある。元の鞘に収まる時間的余裕は十分にあった。高位種ゆえの長期的視野に基づいた判断である。無理をする必要はなく、寧ろトウカも北部が単独で立身できるなどと考える理想家では無い。
現実主義者であるが故に、トウカはアーダルベルトやフェンリスと敵対しない。
しかし、それは中央貴族が敵対しないという意味とはならない。
諸勢力が考えている程に、七武五公は中央貴族に対して絶対的な優位性を持つ訳ではない。封建的であるが故に過度な干渉は困難を極めた。独立性の高い領地に干渉可能な状態を維持する手間は想像を絶する。自己完結した存在への干渉は如何なる分野であっても困難を極めた。永続的に保つ事など現実的ではない。
中央貴族をトウカは敵視している。統治者としての能力と実績は認めているだろう。しかし、国家的視野に乏しく、彼の周辺の仮想敵国を撃滅しようとする姿勢が相反する。そして、国防の負担を国家に押し付ける形で、自領の軍事費を削減しているという点を彼は酷く嫌悪していた。統治者としての義務を履行していないが故に、中央貴族を統治者として皇州同盟は認めないとすら発言した過去もある。
皇州同盟軍はる義の戦争に備えて物資の事前集積を開始しているが、集積地点を見るに明らかに帝国に対するものではない部分もある。一部は皇国中央部への侵攻を前提とした配置であった。
――北部は喪うばかりであるからして、必要分は他よりあらゆる方法を用いて収奪する他ない、か。
トウカのそうした発言は、攻撃的経済政策によるものであると理解されていたが、実際は軍事侵攻で占領地の富を直接的に収奪する事も視野に入れていたに違いなかった。彼は可能な限りの方策の準備を進めている。軍の規模に比して参謀本部の規模が過大であるのは、その為であった。企画立案と事前準備、兵站などを強力に整備している。
トウカ不在のであれども、彼の残した計画が消え去った訳ではない。
皇州同盟はトウカの方針の下で蠢動を続けている。
彼の苛烈無比な姿勢は続いているのだ。
つまり政治的衝突は続く事になる。
「露呈した場合は何とする? 政治的混乱を収拾できる余地はあるのか?」
「収拾の必要はないもの。そもそも、混乱は皇国の軍事的怠惰によって拡大したのが始まりでしょう。そこまで気を遣う義理もないわよ」
アーダルベルトは、リシアの言葉に眉を顰める。顰めざるを得なかった。
皇州同盟軍将兵の本音を聞いた気がしたアーダルベルトは、彼らが根本的に中央部を敵視していると思い知る。中央部の混乱など気にも留めない。
「北部には剣聖が居るわ。混乱は抑えられる。癪に障るけど韋駄天も居る」
戦争であるが故に無数の英雄や名称が生まれた。特に激戦を潜り抜けた皇州同盟軍には数多く存在する。韋駄天の異名を持つザムエルは勿論、嘗ての英雄が再び軍勢を指揮するという奇蹟を見せたベルセリカ。その二人を筆頭として各階級に英雄が存在する状況であった。無論、宣伝の為に作られた英雄も居るが、決してそれが全てでもない。
英雄達がトウカの後を継ぐ形になる。
権力闘争は行われない。少なくとも軍事的に統一された指揮系統があり、剣聖が最上位に在る限りは。問題が生じても離脱や混乱の元凶を叩くだけの戦力はある。
対する政府や中央貴族は、トウカ不在を好機と見るだろう。それによる混乱のほうが大きいとアーダルベルトは見た。謀略や政治力で劣る皇州同盟はあ御自慢の軍事力で対応するだろう。皇州同盟は一貫して相手の得意分野で応じる事を避けている。政治を選択しないという政治方針なのだ。
「まぁ、中央も静かにするでしょ? そろそろ発表があるけど、我が軍の戦略爆撃騎部隊が特殊装備で航続距離を延伸した上で帝国南部を飛び越えて帝国中央外縁を空襲したのよ」
「……初耳だな」
嘘を吐け、という娘と娘の様な者の視線が痛いアーダルベルト。
公爵家の諜報網の実力は帝都空襲に押し掛けた事から露呈している。危険性と掛け金のない勝ち戦であるからこそ便乗は大きな利益を生み出した。しかし、諜報網の一端が知れてしまった事も事実である。
「何処だ?」
「エレンツィアよ」
アーダルベルトの問い掛けに、リシアが満面の笑みで答える。
アリアベルは軍事方面の知識に乏しいので沈黙しているが、アーダルベルトはその言葉に天を仰ぐしかなかった。
「……共和国方面侵攻の一大策源地だな」
帝国軍が共和国へ侵攻する際の後方策源地の中心となる大都市であるエレンツィアは、人口規模だけでなく、各地へと伸びる鉄道網の中枢でもあった。帝国最大の機関区の中心地であり、軍事輸送だけでなく、あらゆる民間物資の輸送の中心地でもあった。無論、郊外には大規模な陸軍基地があり、浸透や擾乱攻撃は容易ではない。
「鉄道網の破壊が目的か……」
「我が軍は単独で帝国と争わなければならない状況を想定しているのよ」
エレンツィアは帝国南部で生産されたを帝国各地へと鉄道輸送する為の要衝でもある。大規模な分岐点と鉄道整備工場が併設され、付近には蒸気機関車の運用に必要な石炭を採掘できる鉱山が存在した。
「分岐点や鉄道整備工場を水平爆撃、石炭鉱山を地上貫通爆弾で崩壊させたのよ。共和国に侵攻している帝国軍は深刻な物資不足に見舞われるでしょうね」
「そして、帝国南部の物流が麻痺する、か」
帝国南部の遮断を皇州同盟軍が意図している事は、アーダルベルトにも察せた。
食糧輸送ができず、他地方の食糧自給率は更に低下する事は疑いない。帝国中央部で荒れ狂う共産主義者……労農赤軍にとっては福音である。貧困と飢饉に付け入る形の主義主張を展開する彼らの膨張は更なる外征能力の低下を招く。
「ふぅん、その辺りはトウカが上なのね」
「……帝国南部の離反か」
マリアベルを彷彿とさせるリシアの得意げな顔に、アーダルベルトは一拍の間を置いて応じる。
帝国南部の食糧が輸送できなければ、他地方の食糧不足は際立つ事になる。対する帝国南部は倉庫で食糧を腐らせる真似をする筈もなく、各々の領地で領民の腹を満たす為に消費される筈であった。裏経路での売却も輸送手段が喪われれば現実的ではない。車輌輸送では輸送量が圧倒的に不足し、そもそも帝国の車輛は基本的に内燃機関を運用している。大出力を発揮できる代償に、燃料補給が必要な都合上、燃料の輸送まで必要となる。挙句に道路整備の遅れや匪賊の跳梁も不確定要素として存在した。
そうした状況に他地方は已む無しと諦めざるを得なくなるが、それは納得を意味するわけではない。
不満は帝国南部に向けられるだろう。否、そうした方向に情報部が誘導するのだ。帝国南部は皇国と内通して生産した食料が他地方に流通しない様に蠢動している、と。
「離間の計か……次の戦争を諦めていないように見える」
「予防策にもなるわ。攻勢の為だけの漸減作戦ではないのよ」
帝国内に不和を生じさしめ、外征能力を削ぐ。尤もらしい言い分であるが、混乱が生じれば、好機であると見て攻め入るのは目に見えていた。トウカが嘗て煽動した北部臣民がそう望むに違いない。
「しかし、サクラギ元帥と共和国の大統領は良好な関係なのですね。驚きました」アリアベルが首を傾げる。
軍国主義者と共和主義者と。本来であれば、相容れない。
素人が聞けば、確かにトウカが共和国に対して軍事支援をしている様に見える。事実として、そうした側面はある。現状で共和国が降伏した場合、帝国軍が余剰戦力を抽出して皇国西部より攻勢に転じる可能性が増大する。皇国内の諸勢力にとって共和国滅亡は好ましからざる事態であった。トウカの共和国への軍事支援は軍事戦略上は不自然なものではない。
大統領の絶賛と大将という階級に勲章。対するトウカの戦略爆撃による航空支援。両者には相応の信頼関係があるように見えなくもなかった。
「さぁ? トウカが、大した奴だ、なんて言うから有能でしょうね。まぁ、合った事あるらしいしから……」
「待て、合った事があるだと?」
「みたいね」リシアは視線を逸らす。
彼女も詳しく知らない項目なのだと示されたアーダルベルトは、情報参謀が知らされぬ情報に興味を抱いた。その点に関してはアーダルベルト隷下の情報網にも捉えられてはいない。
オーギュスト・バルバストルという男は、共和制国家の指導者にありながら権力の扱い方に秀でた為政者であると、アーダルベルトは考えていた。共和制という権力分散と議会政治の足枷を上手く宥めて実に良く周辺の専制君主制国家に対応している。民衆出身の主君という表現が最適な指導者であった。
「よもや共和国に逃れてはいるまいな?」
「……さぁ」
リシア頤を上げて首を傾げる。目上に対する態度ではないが、何故かそれを不自然に感じさせない気風が彼女にはあった。碌でなしの資質である。
共和国に逃亡された場合、アーダルベルトとしても対処しようがない。諜報網の整備が間に合っていないというものではなく、そもそも優先順が低く、政府の一部に手を入れている程度に過ぎないのだ。それは、皇国政府や陸軍も然して変わらないはずである。
本土決戦の続く共和国は危険ではあるが、トウカからすると確実に追撃を受けない土地でもある。外交問題となるという意味もあるが、戦時下の他国に踏み込んで非公式の迫撃任務に堪え得る(或いは耐え得る)部隊というのは極めて少ない。
「正直、私は北部に居るんじゃないかと思うんだけど……」
「剣聖殿が、皇都で御座ろう、と仰られて」
剣聖の真似か畏まった口調でリシアに続くアリアベル。北部に長居すると若者は目上を敬わなくなり、目上に皮肉と嫌味を口にするのが礼儀と考えるようになる。皇州同盟軍の退役した帰還兵に対する評価である。
皇都は首都だけあって大都市である。軍事的防禦を踏まえた構造から人口と比して敷地面積が広く、初代天帝が高層建築物を病的なまでに嫌った事から、居住空間は地下へと伸長していた。警務官や憲兵も手を焼く構造をしている地区もあり、人ひとり隠すには適した都市と言える。
しかし、国家憲兵隊まで常駐する都市でもあり、犯罪者の摘発も苛烈である。隠れるには危険性もあった。
「事が露呈する時間を引き延ばす事に協力するのは吝かではないが……貴軍の憲兵総監も協力させるべきだろう」
昇進して中将となったクレアは皇州同盟軍憲兵総監と皇都連絡武官も兼務している。前職は継続してのものであるが、後者は皇州同盟軍と陸海軍、政府、七武五公との連携の為の情報交換を担う者として皇都に駐在していた。憲兵同士の連携による帝国軍崩れの匪賊討伐にも関わる都合上、クレアの役目は重要である。
――あの憲兵総監。セラフィム公と関係がある様だが……
トウカとしては身辺を嗅ぎ回られる事を恐れ、尚且つ自身に敵対的な者……レオンハルトなどが非協力的になり難い人物として皇都連絡武官の立場を与えたのだろう。クレアがヨエルの関係者であるという風聞を利用しようという意図が読み取れる。中々な采配である。恐らくはクレアを監視する人員が情報部より投入されているに違いない。クレアの動向を確認する事で、ヨエルの動向に繋がる要素を確認しようとしている可能性もある。
そうしたトウカの人事の妙をアーダルベルトは称賛に値するものと見ていた。
――だが、御前は気付いていない。
巧妙過ぎる人材登用は猜疑心を生む。
レオンハルトもフェンリスもヨエルも……或いは一部の中央貴族もクレアの登用でそれを察した筈である。
トウカが戦争だけの男ではない、と。
だかたこそ、クレアは多種多様な名目の会議や連絡会、果ては貴族の舞踏会にまで招待されている。当人も意図を察して健気に、職責から逸脱している名目の集会にすら参加していた。
誰しもがトウカの為人……本質を知ろうと動いている。
戦後を認めさせる為、或いは取り込む為……それぞれの思惑を以てトウカの為人を探ろうとしているのだ。遅きに失した感は否めないが、日頃の言動と鮮烈な軍事的成果に惑わされるのは致し方ない。無論、皇都擾乱に於けるヨエルとの連携から、ただの戦争屋ではないと考える者は現れ始めていた。戦役が終結してからの判断として引き延ばしたという部分もあるはずである。
しかし、トウカへの理解が遅れた最大の原因は、その辺りではない。
偉大な功績には全て時間が掛かる。
長命種が多い皇国貴族にとっての常識を覆して見せたトウカは、彼らに取り未知の存在である。挙句に軍事的成果に隠れて当人の思惑は全く読み取れない。常々、急進的な事を口にするトウカに騙され、多くの者は彼を狂信的な戦争屋だと考えていたが、この期に及んではそうした者達でも認めざるを得ない。
共和国から実戦部隊を指揮可能な将軍位を贈られ、株価を用いて保有資金をこの二週間で四倍にまで水増しし、企業誘致の減税や緩和、労働条件改善……
大々的に行われるそれらに、権力者の一部はトウカに為政者の側面を見たのだ。
アーダルベルトは、元よりトウカの思惑に……当人は無自覚であったかも知れないそれに騙されてはいなかった。直接会った事が最大の要因であるが、マリアベルという気難しい主君の後継者とヴェルテンベルク領で呼ばれる者が軍事の実力者というだけであるはずがないという部分もある。アーダルベルトがマリアベルを気に留めていたが故に、彼はトウカの才覚に気付けた。
マリアベルの過保護で情報部門の者がトウカの周辺を恐ろしい密度で固めていたという部分も、トウカという存在を秘密主義的な存在と錯覚させた。それは対帝国戦役の最中も続いており、或いは現在も続いているかも知れない。未だにトウカの周囲では諜報員の遺体がよく見つかる。
無論、最大の誤解の原因は彼の苛烈な言動にあるが、トウカの立場に立てば、彼に選択肢がなかった事は明白なのだ。
君主は、自らの権威を傷つける恐れのある妥協は、絶対にすべきではない。
そして、北部に於ける許されない妥協とは中央への迎合である。トウカは政治的……内政的に見て妥当以上にそれを実践した。無論、トウカの生い立ちや主義思想がそれを後押しした可能性がある。その辺りこそを多くの権力者は知ろうと動いていた。
アーダルベルトは、トウカが軍国主義者であると理解している。
トウカは軍事力というものを信仰している。厳密に言うなれば、軍事力ではなく軍隊という巨大な実力組織を愛しているのだ。巷で評される軍国主義者の概念とは違うものの軍国主義者という表現以外に見つからない。
軍隊という名の実力組織に何を幻視しているのか。アーダルベルトもその辺りまでは推し量れないが、狂おしいまでに軍隊というものに固執している事は疑いなかった。
再び相見えれば、訊ねる機会もあるだろうと、アーダルベルトは考える。
それもまた皇国貴族らしい問題への長期的な取り組み方と言えた。
戦争とは、異なる手段を以てする政治の延長である
《普魯西王国》陸軍少将 軍事学者 カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ
巧妙過ぎる人材登用は猜疑心を生む
《花都共和国》 外交官 ニッコロ・マキャヴェッリ
偉大な功績には全て時間が掛かる。
《亜米利加合衆国》 活動家 マヤ・アンジェロウ
君主は、自らの権威を傷つける恐れのある妥協は、絶対にすべきではない。
《花都共和国》 外交官 ニッコロ・マキャヴェッリ




