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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
270/429

第二五八話    国家の岐路、個人の岐路




「北部は駄目よ。莫迦巫女」


 リシアは舌打ちを一つ。


 アリアベルは政治を理解しているが、北部を理解していない。


 北部は政治的正解を常に選択できる程に冷静さを持っていない。内戦に続く対帝国戦役で多大な被害を受けた北部地域の被害を踏まえれば、彼らが追い詰められているのは容易に察する事ができる。


 立ちはだかる復興に次の戦争への再軍備。


 その旗印として次代天帝を担ぐのは、彼らにとって望外すべき慶事となる。


「……何故でしょうか?」


「北部貴族が勝手に盛り上がって狂乱其の儘に即位宣言をやらかすに決まってるでしょ?」


 リシアは北部貴族というものを信頼していない。


 貴族個人を信頼はしても、北部貴族という集団を信頼する程にリシアは夢見がちな子供ではなかった。無論、胡散臭い貴族が居る事を理解しているという部分もある。内戦中ですら一枚岩ではなかった点を踏まえれば、全てを明らかにして助力を乞うべき相手足り得ない。


 北部事変など御免蒙るというのが、リシアの本心である。


 意識を取り戻した後のトウカ次第であるが、北部での即位の可能性は低いとリシアは見ていた。


 北部は統一された政治行政機構を有していない。


 各貴族領で個別の統治が行われているだけで、政治的な連帯を実現する機構や組織など何一つないのだ。皇州同盟ですら賛同者から兵権と軍事費を受け取り、北部全体での軍事行動を可能としているに過ぎない。飽く迄も軍事面での紐帯なのだ。


 政治面で国家並みの紐帯を図ろうとすれば、流血沙汰は避けられない。


 北部全体を統率する政治機構を作ると言えば聞こえはいいが、各貴族領への政治的干渉に他ならない。経済力と人口に勝る貴族領が主導権を握る事による不満も生じる筈であった。下手に行えば空中分解しかねず、未だ各領邦軍の連合という部分から脱し切れているとは言い難い皇州同盟軍の結束に乱れが生じかねない。


 何より、政治的不安定を想定し、常に北部に大軍を展開し続けなければならないという事は、外征能力の低下を意味する。外征によって主導権と権威を獲得する姿勢を見せるトウカの足枷となりかねない。


 脅威は去ったのだ。


 外敵の存在が遠のいた事で近くの不満に視線が向く事は避けられない。


 ヴェルテンベルク領は内戦での敗北による富の収奪を避け得た事で、自領や北部の各貴族領の復興に予算を裂いているが、被害を受けた規模を踏まえれば足りる筈もない。加えて、人員と物資の流動を活発と成さしめる為の鉄道路線敷設という大事業も抱えている。政府からの拠出もあるが、それでも足りるとは思えない。


 北部貴族に嗅ぎ付けられる事は避けねばならない。


 ベルゲンの医務室で二人はトウカが眠る寝台横で相談を続ける。


 現場に居た神殿騎士団と鋭兵は特別任務という建前で隔離している。ベルセリカに事情を話した上での判断である。


 ベルセリカは、然したる言及を避けた。


 トウカの好きにさせるが良い。


 その一言に留まった事にリシアは驚きを禁じ得なかったが、元を辿ればベルセリカは愛国や憂国に駆られて従軍した訳ではない。トウカとミユキの後見や護衛という形で続いたに過ぎなかった。


 戦争は終わりつつある事も踏まえなければならない。


「エルライン回廊周辺での戦闘に終結宣言が成されたわ。後は北部全体の残敵掃討に移る事になるでしょう」


 エルライン回廊を再占領した事で、皇国に侵攻した帝国軍部隊が後退路を喪った。


 被害が蓄積する包囲戦を早々に断念し、地形を利用した退路遮断を優先するという決断は正しい。既定路線であったが、大規模な空挺と航空輸送が前提の戦略であり、戦略爆撃騎を始めとした大型騎は軒並み作戦に従事している。物資と兵員の往復輸送を踏まえれば、拘束期間は長期に渡る予定であった。帝国軍による奪還に対応すべく、エルライン回廊に物資集積を行わねばならない。数千tの物資に人員の輸送を航空部隊のみで輸送するという行為そのものが前代未聞なのだ。護衛の戦闘航空団を踏まえれば一〇〇〇騎を超える騎数にまで膨れ上がるそれは、管制にも多大な混乱を及ぼすだろう。


 敵中深くに持続的な補給と増援を行うという軍事史上、初めての試みは多大な混乱もあったが、騎数にものを言わせて強攻。それは成功を収めつつある。


 勝敗は決しつつあるのだ。


 輜重線と退路を断たれたと知った帝国軍は士気崩壊によって瓦解しつつある。最早、正規の指揮系統に属する兵士は僅かであろう。速成訓練によって水増しした民兵の弱点が露わになったのだ。


「皇都にお迎えするべきではないでしょうか? 七武五公の協力を仰げると思うのですが」


 敵中に置くのかと返そうとしたリシアだが、逆に紫苑色の瞳を保有する者となった時点で、トウカは七武五校や中央貴族にとり単純に敵対的人物とは言えなくなった。トウカへの敵意は皇統への敵意と解釈される余地が生じるのだ。


 無論、即位前であれば天帝という扱いにならないが、可能性を奪うという行為だけでも致命傷になり得る。


 次期天帝の即位を皇国の貴軍官民の全てが待望している。


 暗殺ともなれば、対立関係から中央貴族が猜疑の目を向けられるのは確実で、それは現状の国内情勢では致命傷に他ならない。天帝不在故の帝国軍の侵攻であり、経済の停滞、政治の空転である。その改善を渇望する者達は、天帝候補の暗殺を断じて許さない。


 北部も確実に独立に行き着く。


 天帝が今暫く不在となる事が確定するに等しい為、空位前提の政治体制を求める声も上がるだろう。帝国軍を撃退した事で権勢が増大する陸海軍が主導的な立場になれば、軍国主義に舵を切る事は間違いない。


 リシアは寝台で眠るトウカを見やる。


 トウカは深い眠りについている。リシアが魔術で眠らせたのだ。


 暴れられても困るが、追い詰められた状況で推論を巡らされては困るというリシアの個人的な懸念があった。


 内戦中、マリアベルの意図を読み違えて銃口を向けられたリシアは、トウカの特に追い詰められた場合の猜疑心の強さを知っている。


 トウカは戦略家である。


 冷静であれば状況を正しく把握するだろう。しかし、それは冷静であった場合に限る。


 リシアは戦略家がすべてを決するなどという年若い将兵達の夢想を信じてはいない。



 優れた戦略家というのは、戦争が偶然性の領域にあり、たった一人の善行だけで大災害を防げる訳ではない事をよく弁えている。



 偶然性というものをトウカも理解している。内戦で度重なる偶然に助けられ、同時に追い詰められた。航空優勢が諸々の不利と偶然の余地の大部分を封殺したに過ぎず、航空優勢があれども押し切れなかった実情が、装甲兵器や歩兵装備の変化に現れている。


 ――最近の師団の小型分散化の準備にも意図がある筈。


 リシアは各部隊の小型分散化を危険度(リスク)管理の産物であると考えていた。航空優勢の成立により、密集した兵力展開は短時間で大兵力が全滅する可能性が常に付き纏う。それを避け、尚且つ運用の柔軟性を増す選択をした姿は、偶然性の余地を全力で縮小しようとしているように見える。


 将校の不足している皇州同盟軍で、要職(ポスト)の増加を意図する部隊の小規模化と増加は混乱を齎すが、先を見据えた戦略家であるが故に彼は先んじて対応を推し進めている。


 リシアは、トウカの偶然性を可能な限り低減しようとする姿勢こそが、戦略家に必要不可欠なものだと考えている。


 しかし、リシアは心得違いをしていた。


 トウカの部隊小型化への試みは、俗に言うところの終末戦争対応型(ペントミック)編制であり、それは航空攻撃に対する脅威よりも、密集した部隊が終末兵器によって一網打尽にされる事を懸念したからである。そして部隊の小型化と増加による指揮系統と輜重線への負担を確認するべく先んじて部隊編制に手を入れたのだ。


 トウカの祖国の将星達が見れば、それが来たるべき核戦争に備えての編制であると理解したあろう。そして、トウカを取り巻く状況を見たならば、それが外征や対外関係を捨て、核開発に注力する準備も進めていると見抜いた筈であった。


 それを理解するものはこの世界に居ない。


 最悪の可能性を踏まえた上での編制。


 トウカが優れた戦略家である事は疑いない。


 しかし、それもまたミユキの戦死によって変質すれば、どう転ぶかは分からない。


 厳密に言えば、戦略目標の変化である。


 皇州同盟軍は、トウカの指導の下、破壊と殺戮に傾倒した戦略を取っている。


 破壊と殺戮が抑止力となり、軍事的権威を形作る。


 それを実演したトウカが、今以上の破壊と殺戮に傾倒した場合、それは戦争という形にはならない。虐殺とでも言うべきものとなるだろう。トウカは国交がない国であれば、国際法や軍事法規を適用する必要はないという姿勢を取っている。禁忌や禁止条項などありはしない。


 帝国の穀倉地帯に対する薬剤散布や、市街地への化学兵器攻撃などは、攻撃方法の検討は航空技術廠によって継続されている。


 穀倉地帯への農薬散布による穀物収穫量の減少は飢餓を誘発し、市街地への化学兵器使用は難民増加を誘発させる。


 生産に寄与しない難民が増加し、食糧生産量が減少するのだ。


 帝国は早晩に崩壊するだろう。


 各国が草刈り場とする事を躊躇する程の地獄となる事は間違いない。食糧と物流網の再構築に喪われる予算を踏まえれば、土地を占領しても採算が合わないのだ。


「下手に皇都に放り込んで、初代天帝陛下が言うところの第六天魔王になられても困りますが……」


 アリアベルの言葉を、リシアは鼻で笑う。


 敵対的宗教を弾圧しつつも、経済発展を行い、強大な軍備を以て周辺諸国へ侵略する存在を第六天魔王と称する。出典は不明だが、初代天帝の言葉が元である為、異世界の為政者の異名か階級であると推測されていた。


「もう十分に第六天魔王でしょう? 重要なのは、諸勢力とどう折り合いを付けるかよ」


 国内で孤立気味の皇州同盟には追い風と取れなくもない。皇統が転がり込み、正統性を担保する余地が生じたのだ。皇統が内に在る。それは紛れもない主導権であった。


 勢力規模の比率で言えば、中央貴族に劣る皇州同盟は弱者の立場に在る。



 強者と弱者の間では、強きがいかに大を成しえ、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱しえるか、その可能性しか問題とはなりえないのだ。


 

 しかし、弱者と強者という二つの存在は、ただ単に軍事力や経済力、政治力のみを以て計られる訳ではない。総てを総計した総合力とでも言うべきものを以て判断されるのだ。無論、総合力には、両者が認める権威や両者を取り巻く情勢、両者が影響を受ける事象なども加えられる。


 そうした中で、天帝という要素は特大の権威である。


 正しく扱えば、軍事力がなくとも自勢力に一定の地位を獲得する事も夢ではない。


 トウカは天帝という存在に否定的だが、その隷下将兵がそうである筈もない。トウカも天帝の政策を批難するが、取り巻く制度を否定はしていない。天帝不在の際の独裁官に等しい立場の明文化を求めている事から、数千年の時間を経て染み付いた体制を打破する事は難しいと考えている事が窺える。


 されど、皇国内で最も声高に歴代天帝への批難を叫ぶトウカの頭上に、至尊の冠が輝くというのは歴史の皮肉である。


「御父様に相談しましょう。私なら兎も角、大佐の言葉であれば、耳を傾けてくれるはずです」


 何故、大御巫より情報大佐の意見に耳を傾けるのか、という疑問は、リシアにもない。少なくとも、自身がそう思う程にアーダルベルトはリシアに気を使っている。今、着ている軍装もアーダルベルトが風邪を引いては大変だと用意した特注品である。念の為に不審な点がないか確認した魔導技術仕官は、あらゆる魔術的防護が採算度外視で編み込まれていると絶賛していた。


 佐官や将官が、気に入った酌婦や娼婦を連れ出し、望む服を購入し、着替えさせて店に戻るという振る舞いを知るリシアとしては、衣服をトウカ以外の男性から受け取るというのは無邪気に喜べるものではない。好いてもいない男の支配欲に付き合う事を良しとする程、リシアは安い女ではない心算である。


 しかし、性能に優れるのであれば致し方ない。


 戦野では女性である前に軍人なのだ。たった一つの要素の僅かな違いが生死の境界を巡る事もある。何より、複座の航空騎での移動時に肌寒さが大きく軽減されるというのは大きい。情報将校として、航空移動の多いリシアは、時間短縮の為、装甲籠に囲まれた輸送騎ではなく、高速偵察騎を利用している。小型騎は防寒に限度があり、衣服による差は大きい。飛行服を厚着する手間を省ける意義は大きいのだ。移動先で脱ぎ着する手間は好ましくなく、手荷物も増える。


「面倒が増す気がするのだけど?」


「あら、娘以上に気を使われている貴女なら大丈夫でしょう?」


 顔を顰めるリシアに、アリアベルは軽快な笑みを零す。


 皮肉というには朗らかなそれに、リシアは咄嗟に言葉を返し損ねる。皮肉一つ取っても、相手に隔意を抱かせないのは、マリアベルには遺伝しなかった要素であった。


「各公爵を信頼する程、皇州同盟は関係が深い訳ではないわよ」


 トウカはアーダルベルトと、ある程度の連携を実現しているが、それは龍種という大空の覇者に刃を与え、連携を図る為である。無論、そこには他の離間の計や、他の公爵の視線を逸らしたいという思惑もあっただろう。


 アーダルベルトが積極的に動いて皇州同盟に何かを齎したという事実はない。寧ろ、帝都空襲作戦時に押し掛けて、戦果を掠め取った記憶しかなかった。


「座視した事を好意と取ってみてはどうでしょう?」


 敵対しなかった点を評価するべきと言い募るアリアベルを、リシアは鼻で笑う。


 政治というものでは敵対しないという点だけで利益となる事が良く見られるが、それはやはり利益で崩れる程度の消極的な中立でしかない。


 消極的な中立とは、潜在的脅威なのだ。特に軍人にとっては。


「行動なき者に賞賛なし。貴女の姉の言葉よ。覚えてきなさい」


 危機に際して、或いは不明瞭な状況に際して行動する者は常に勇敢である。結果が伴うか否かは別問題であるが、それでも尚、マリアベルは積極的に行動する者、実際的な者を望んだ。


 慎重や様子見、中立というものは、しばしば怠惰や判断放棄の理屈として用いられると、マリアベルはよく理解していた。だからこそ彼女は積極的行動の結果としての失敗に寛容だった。そうでなくてはザムエルのような猛将が昇進を重ねる事は叶わない。


 同時に、領地に利益を齎さない者には一切の寛容性を示さなかった。


 一例として、哲学や道徳という生産性に寄与しない分野への冷遇に彼女は積極的だった。



 道徳とは、生産をせずに消費をする一つの口実である。



 彼女は、そうした主張を隠さなかった。極論をすれば、政治経済軍事に利益を齎さず、寧ろ自らの領地運営に楯突く要素を憲兵隊で悉く潰してきた。


「我々に利益を齎さない中立はね、潜在的脅威というのよ。それに北部からトウカを出してみなさい。貴女と私は揃って場末の(ゴミ)の山から切断遺体で見つかるわよ」


 そうは口にするが、リシアも自らが(かんばせ)を蒼白としている事を自覚していた。


 消極的賛成や中立を好意的に解釈するには、北部は孤立を深め過ぎた。公爵位を持つ者は基本的に脅威であるという常識は未だ払拭しきれてはいない。皇位資格保有者を公爵に差し出したと取られかねない。その場合、リシアもアリアベルも露呈した三日後には現世にはいないだろう。切断遺体となる前に強姦が入るか否かが些事と思える程に解体されるだろう。


 怯えるアリアベルを他所に、リシアは元より選択肢などないと前髪を掻き上げる。


 北部からトウカを動かせない以上、北部で即位という選択しかない。宗教や伝統などの規範を五万と踏み躙る事となるが、そこは周辺諸勢力に妥協を迫るしかなかった。


 諸勢力の心情としては、よりによって彼なのか、というものであろうが、事実が明らかになった以上、リシアとしても放置できない。


 ――いえ、いっその事なかった事に……


 鋭兵と神殿騎士団を合わせてその場にいた者は五〇名程度に過ぎない。合同訓練や共同運用を名目に一纏めにして、外部との接触を断てば情報漏洩は阻止できる。無論、情報部のキュルテンを抱き込む必要があるが、上官のエイゼンタールの事を踏まえれば困難ではない。


 だが、最大の問題は別にある。


「問題はトウカが……なんて言えばいいのかしら? 伝統的権威? 皇統というものをどう扱うかでしょうね」


 トウカは軍神としての権威を有しているが、それは彼自身が軍事的才覚によって獲得したものである。軍事的権威とでも言うべきもので、近代でそれを獲得する者は稀であった。


 しかし、歴史を見れば、そうした者達の多くが伝統的権威を排除する事で栄達したという前例がある。


 皇統に連なりながらも皇統としての責務を果たさない可能性があった。


 政戦は行うだろうが、宗教的行事や皇統を皇統足らしめる立ち振る舞いを一切行わないのであれば、中央貴族や他地方貴族の困惑と軋轢が増す事は疑いない。


「本来ならトウカと皇国は決別すべきなのよ。互いに心底と軽蔑し合っている」


 些か人間的表現に過ぎるが、リシアとしては軽蔑し合っているという表現が最適だと考えていた。


 トウカは、政治体制ゆえに政戦への関心が薄れて大部分の臣民が有事に在っても微睡を選択した皇国を軽蔑し、皇国という統治機構……主導権を握る中央貴族はトウカの武断的姿勢を軽蔑した。

 

 皇位など要らん! この期に及んで尚も皇国の為に戦えだと!? 今尚、静観を決め込む連中を統率しろというのか!


 この一言を取っても、トウカと皇国の遺恨が修復不可能なものであると理解できる。追い詰められた本心であったが故に、翻意を迫る事は難しい。


 トウカからすれば、北部で熾烈な後退戦を行えば、皇国全体が危機感と愛国心を胸に闘争を決意するという打算があった。血塗れの努力の結果は芳しくなく、それは打算でもあったが、トウカにとり流浪の民とならぬ為の防衛戦争とは酷く当然であらねばならない事でもあったのだろう。


 軍組織が不幸と不遇を強いられる事をトウカは何よりも嫌悪……憎悪する。


 その生い立ちか、或いは教育環境か。トウカは軍が不完全な装備と編制、指揮統率、輜重、予算で有事に立ち向かわざるを得ない事を酷く憎悪している。そして、それを座視する主権者や已むを得ぬとする軍人も例外ではない。


 マリアベルが中立という美名を騙る座視を憎悪したように、トウカもまた憎悪している。


 そうした意味でも、トウカはマリアベルの後継者であると言える。


 トウカが皇位を得るという事は、マリアベルが皇統に連なる様なものである。


 そこに考えが至った時点で、リシアはトウカが皇位継承に臨むという暴挙に対して思考する事を止めた。


 トウカが皇位を得た結果が、過程がどのようなものであれど、行き着く先が軍事独裁である事実に変わりはないのだ。無論、それを阻止しようと試みる中央貴族との内戦もまた同様である。


 結局、二人が推論を巡らせても意味はない。


 国家体制の行き着く先が同じという意味でも。


 当人の意思が介在していないという意味でも。


「つまるところは、当人の意思次第ですか……」


「先が見えても、被害の少ない選択をしてくれるかは別問題でしょうけど」


 二人は、医務室の寝台で静かに眠る軍神を見下ろした。















「殺す、絶対に殺す、断じて殺す!」


 気炎を上げてザムエルは吐き捨てる。


 周囲の将校達の困惑した表情を他所に、ザムエルは恐れていた衝撃の事実への対応を隷下の将兵達に命じた。


 不安げなエーリカを他所に、ザムエルは心に決めていた覚悟を振り翳す時だと(はら)を括っていた。


 帝国軍捕虜の中に獣系種族兵士が多数存在した。否、尉官まで存在した。


 所属はユーリネン子爵領邦軍。尋問の結果、皇国侵攻に合わせて辺境軍に編入されたとの事で、〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉がフェルゼンからミナス平原への移動の際に遭遇した部隊……〈第二六四狙撃師団〉の将兵であった。


 ユーリネンは子爵位を拝命している貴族であり、陸軍少将として然して著名である訳ではない。師団長を務める師団は〈第二六四狙撃師団〉。長銃身によって一m五〇㎝程にまで全長が延伸された狙撃銃を装備する部隊を擁する歩兵師団である。それ以外に特筆すべき点はなく、策源地は帝国東部に位置する沿岸都市ドヴィナ。帝国東部は人口が少なく、主要な政治勢力の介入が見られない土地でもある。


 情報参謀の報告はそうであったが、その人員に獣系種族が数多く存在するとなれば話は変わる。情報参謀を叱責したいところであるが、建軍して日の浅い皇州同盟軍は愚か、陸軍も同様とあっては口を噤まざるを得ない。辺境の寄せ集め部隊如きに念入りな諜報活動を行う程、諜報員が多く、諜報網が活発である訳ではないのだ。


 エーリカが参謀達の視線を受けて、意見を口にする。


「亡命を提案したのですが……」


「殺す」


 元より亡命提案は拒絶された。


 エーリカや参謀、各部隊指揮官には予想だにしない事であったらしいが、ザムエルからすれば当然の事であった。亡命を望むならば、帝国侵攻を果たした時点で実行する筈である。広域展開を選択し、部隊間隔が広がる事で逃亡は容易になる。


 そもそも、〈第二六四狙撃師団〉の人員は獣系種族が七割近いとの証言もある。人員構成で七割に迫るのであれば、ユーリネン子爵や師団司令部が敵前逃亡の可能性を考えていないと見るべきであった。残り三割が督戦隊として振る舞えば可能かも知れないが、近代軍の戦闘序列は、その全てが戦闘要員という訳ではない。運用兵器の種類が増大し、兵器射程が増大した事でその運用は高度な専門技能を必要とした。前線で戦う歩兵は三割~四割程度が一般的である。そうした状況で、督戦隊などという戦闘に寄与しない者を、七割近い獣系種族を監視する為に運用する余地などありはしない。ましてや人間種と獣系種族の膂力差からなる戦闘能力を踏まえれば、戦力差は兵数以上のものとなる。


 師団長のユーリネンは獣系種族の亡命や叛乱を想定していなかった。


 皇国ならば兎も角、帝国であるならば有り得ぬことである。否、あってはならない事なのだ。


 多種族国家として帝国の暴虐に抵抗せねばならないという大前提が崩れるのだ。


 そして、帝国国内の同胞を救出する必要があるとの理由を以て帝国侵攻を企てるトウカに大打撃となる。


「多種族共栄の揺籠を攻撃する獣系種族の裏切者が居る。そして、捕虜は減らせとの命令もあるんだぜ?」


 躊躇する余地などないのだ。


 トウカに政治的打撃を加え、外交的信頼を獲得するという名目で帝国との融和や妥協などを持ち出しかねない。無論、彼らとて帝国が信用ならぬ相手だと理解しているが、既に外征戦力の多くを損耗した帝国の脅威度は大きく減少した。口約束でも不可侵条約が成立する余地はある。中央鎮護の為、北部との一千年の遺恨を残す様な決断をしないとも限らない。人口と工業力の差から中央貴族は圧倒されるなど考えていないのだ。


 困るのだ。帝国は外交関係のない敵国であり続けて貰わねばならない。


 皇州同盟の為。皇州同盟軍の為。トウカの為。


 つまりは皇国の為である。


「皇州同盟軍の部隊から銃殺隊を編制する。何も陸軍にまで咎を背負わせる心算はねぇよ」


 〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉は索敵戦力の不足から長距離偵察軍狼兵大隊などを陸軍〈北方方面軍〉から迎え入れている。対してフェルゼン解囲戦やミナス平原での機甲戦の結果、機械化率が低く、移動力に劣る陸軍師団を戦闘序列から切り離していた。それらは北部での残敵掃討に参加している。


 ザムエル隷下の〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉はミナス平原で敵軍の砲兵戦力や予備隊を機動打撃で襲撃。輜重線の問題から行動限界を迎えた。しかし、トウカが他の歩兵師団を中心とした部隊よりも〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉への補給を優先した為、彼らは先んじてエルライン回廊への突入を果たす事に成功した。それまでの経路で遭遇したミナス平原からの敗残兵を蹴散らしながらの進出は装甲部隊の本懐と言える。


 シュットガルト運河経由でフェルゼンへ船舶輸送された師団や大型騎の数に恃んだ航空輸送で次々とエルライン回廊に成される戦力投射を前に撤退しようとした帝国軍部隊は包囲の憂き目にあっている。


 エルライン回廊近傍の包囲網。その一角を〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉は担っている。ミナス平原より急進して、エルライン回廊近傍で捕捉。火力と機動力でこれを拘束。後続部隊の到着までの時間を捻出した。無論、空挺によってエルライン回廊のマリエンベルク城郭が奪還されている為、帝国軍は退路を断たれたに等しい。それでも拘束が優先されたのは、一重に北部で軍の戦闘序列から離れて匪賊化する事が懸念された為である。民兵主体に等しい帝国軍は、瓦解すれば指揮統制を喪った場合、烏合の衆となる。


 戦後の企業招致で土地の安全性が失点となる事を避けたいトウカは、残敵掃討に力を入れていた。当然、そこには戦後を引き延ばそうとする意図もあるだろう。戦後を睨みながらも、平時への転換を彼は恐れていた。


 ――大いなる矛盾ってか?


 企業招致は情勢が落ち着かねば難しいが、同時に平時は皇州同盟の権勢縮小を意味する。


 だからこその帝国侵攻なのだ。


 前線を押し上げて、北部を後背地としてしまえば、戦時下のままに安全地帯と喧伝できる。


 一国の地方軍閥が大陸最大の帝国の国土を削るという発想は、トウカの到来以前にはなかった。攻め入れば兵力差から不利となるという点と、外征に対する兵站能力の不安から選択肢ともならなかったのだ。


 しかし、トウカが到来し、航空優勢の成立と装甲部隊による機甲戦という転換点が現れた。純粋な兵力差を覆す戦争が可能となり、その分野は帝国が模倣し難いものですらあった。挙句に戦略爆撃は兵器の模倣を試みる軍需拠点を直接焼き払う事ができる。


 ザムエルはトウカを信頼している。


 否、崇拝していると言っても過言ではない。


 ザムエルは泥濘を進む装甲部隊を多連戦闘指揮車輛の天蓋から双眼鏡で見渡す。


 無数の鋼鉄の野獣が泥濘を踏み越え、今尚、抵抗する帝国軍残党を蹂躙しつつあった。


 急速に皇国で台頭した装甲兵器に、戦術更新が間に合わなかった帝国陸軍の対戦車兵器は少数に留まる。対装虎兵用の火器は用意されていたが、侵攻後の度重なる戦闘に加え、敗走によって重装備の大部分を放棄している為、それは一方的な蹂躙に近い。魔導士と砲兵を加えた方陣を構築する余地さえ与えなかった。


 重用し、度重なる昇格。結果として、ザムエルは将官となり機甲戦の第一人者という扱いを受けるに至る。元より、マリアベルが信を寄せたからという前提はあるが、ザムエルはトウカが内戦でベルゲン強襲に参加した時点で信頼に値する男だと確信していた。


 しかし、己と北部の運命を任せるに値する男だと確信したのは、戦略爆撃が帝国の三都市に行われ、その結果が知れた瞬間であった。


 都市を空から破砕し、帝国の国民に不安と不和を撒き散らす事が出来るのだ。そこに装甲部隊の進出が加われば、帝国からの離反や叛乱に導く事もできるだろう。否、寧ろ難民を発生させ、難民を帝国の他地方に追い遣る事も不可能ではない。


 皇州同盟軍司令部は戦略爆撃を工場や軍事施設の効率的破壊と自賛しているが、トウカはその根本が、敵国民の生活を困窮させて統治機構への不満を増大、強烈な破壊を生活空間に実現させて戦意喪失を図るというものであるとしている。


 あくまでも敵国民の殺傷が主目標なのだ。工場や軍事施設の破壊は副次目標に過ぎない。


 体面の問題から皇州同盟軍司令部は、戦略爆撃による死傷者を戦争に付き物である不運な犠牲者として扱っているが、トウカからするとそれ自体が目的であった。


 人口による国力差を、トウカは殺戮以て圧縮しようとしている。


 狂気の沙汰である。難民と経済基盤の破壊も加えた上での国力差の圧縮であるとは予想できるが、敵国民を完全に数としか見做さない苛烈さがそこには潜む。


 戦略爆撃と装甲部隊。


 この二つを用いれば、前線を押し上げる事は不可能ではない。


 帝国が南部の領土を割譲。或いは放棄するその時まで、戦略爆撃で都市や公共施設(インフラ)への攻撃を続ければいい。都市爆撃は国民を殺傷し、公共施設……特に鉄道網や道路網、送電施設、水道施設などへの攻撃は国民生活に多大な影響を齎すだろう。


 飢餓と空襲の前に不満は容易に爆発し、叛乱へと繋がるだろう。


 皇国が加害者の立場となる事などザムエルは気にも留めない。帝国南部は前線押し上げの為の縦深として必要なのであって、その地の民衆に対する支持など必要とはしない。帝国と皇国という影響力を持つ双方に協力できない弱小勢力など、現地の民族問題に付け入って武器を撒いて殺し合いでもさせておけばいい。北部地域に戦力投射できる程の規模と実力を持たない勢力が群雄割拠するのならば構わない。


 北部は、ただ防禦縦深こそを欲しているのだ。


 帝国南部から帝国の影響力を排する事が叶うのであれば、不毛の地となっても構わない。


 ザムエルは、ただ北部の繁栄を願っている。母に等しい立場の主君がそうであった様に。


 だからこそ己が成さねばならない事もある。


「全てを突然現れた若造に押し付けるのは騎士って生き物のやり方じゃねぇからな」


 士爵位を拝命した以上、ザムエルも騎士の端くれである。などという高潔な意識が働いた訳ではない。戻を辿れば、騎士という称号も無頼漢共を安価に掣肘する為の方便が事の発端である。


 しかし、トウカが北部を背に戦っている中、ザムエルが背中を見せる真似は許されない。縁も所縁もない男が郷土を護ろうとしている。郷土の男が背を向けるのは許されざることであった。それは騎士道などという高尚なものではなく、言うなればザムエルの仁義というものに他ならない。


 仁義が彼を将軍とまで呼ばれる立場に押し上げた。ザムエルは、それを自覚していた。


 トウカの様に実績を以て将兵を従わせる才覚を持たないと自覚する彼は、兵士の為に為せる事を為し、兵士……戦友の為の喜怒哀楽を隠さなかった。それ故の猛将という称号でもある。


 そして、トウカもまた戦友である。


 共に北部を護った者の負担を看過できない。主君であり母親も同然なマリアベルが彼に並々ならぬ感情を向けていたなどという高尚な理由を持ち出すまでもなく、彼は戦友なのだ。


「即座に実施しろ。一人も残すな。遺体も燃やせ」


 ザムエルは泥濘を進む装甲部隊を多連戦闘指揮車輛の天蓋から見据える。否、既に観測の難しくなる程に前進した彼らを想像する。


 一人、天蓋から双眼鏡で戦況把握を行うザムエルを、参謀達も危険である止める真似はしない。幾度も繰り返して尚、是正されないという問題もあるが、それ以上に戦況が流動的であり、前線が忽ちに押し上げられるという部分もあった。司令部も相応に前進せねば通信の制約上、指揮統率に支障が出る。無論、それを理由とするには、ザムエルのそれは過ぎたるものであったが、その姿勢ゆえに隷下将兵達は付き従うのだ。


 一軍の将として、彼は振る舞わねばならない。


 それは何時しか彼の構成要素の一部となった。


 平原で装甲部隊の進出を準備なく阻める程に、眼前の帝国軍将兵は装備と練度を持ち合わせてはいなかった。


 彼らの場所からは既に、砲兵隊による対砲迫射撃が巻き上げる土砂が僅かに見える程度であった。敗残兵の掃討に半装軌式魔導車輛から降車した兵士達が連携しつつも前進する様は既に窺えない。



 戦火が途絶えつつある中であっても、次を見据えて歴史は更なる死を欲していた。








‏ 優れた戦略家というのは、戦争が偶然性の領域にあり、たった一人の善行だけで大災害を防げる訳ではない事をよく弁えている。


               《大英帝国》 国際政治学者 コリン・S・グレイ




「強者と弱者の間では、強きがいかに大を成しえ、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱しえるか、その可能性しか問題とはなりえないのだ」 


                     《古代アテナイ》 政治家 ツキディデス




道徳とは、生産をせずに消費をする一つの口実である。


          《愛蘭(アイルランド)共和国》 文学者 ジョージ・バーナード・ショー




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