表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

266/430

第二五六話    無数の死、一つの死 八




「元帥閣下! 集落です! 二時の方角、三〇!」


 連絡騎を駆る中年の飛行兵が叫ぶ。


 熟練兵であるノルトマン中尉は、愛騎を良く制御しつつ、ライネケの外周が見渡せるように旋回した。傾ぐ騎上でトウカとノルトマンはライネケを見下ろした。


 低空……黒煙の立ち上るライネケの姿は良く見えた。


 魔術的に阻害する術式を展開していると聞いていたが、里の様子を見れば、神秘の遮蔽膜(ベール)は剥ぎ取られたと一目で理解できる。遠目にライネケを捕捉できた事実も、それを証明していた。盛んに航空騎飛び交う時代となり、それに合わせる形で頭上からの視覚に対する遮蔽も加えられたと聞くが、里全体が黒煙に包まれ、少なくない数の建造物が倒壊している中では魔術的効果も限界を超えたのだろう。或いは、魔術陣に被害が及び、術式が崩壊した可能性もある。


 限界を迎え、隠し立てすることなく、現実が姿を見せた。


 それがライネケの現状である。


 それ故に燃え盛っている。


 隠し立てする事なく。


 既に現状を把握したノルトマンは、トウカの命令より先に降下地点を模索しており、トウカが抱えた短機関銃の槓桿を引いて降下地点を模索していた。


「着陸できるか!?」


「出来ます! 命令とあらば、やって見せますとも! あの村落の端、五〇はあります。しかし、交戦中やもしれません!」


 銃声は未だに響いている。断続的なものが続いており、銃声と間隔を見るに大部分が小銃によるものであった。


「閣下! あの渓流! 銃火が見えました! 交戦中です!」


 その報告に、トウカは渓流を舐める様に下流から上流へと視線を向ける。市街地の黒煙が棚引き、視界が損なわれている中、人間種でしかないトウカの視力では銃火を捉えられなかった。


「その辺りに降下する! できるか!?」


「ッ! お任せを! 武装もあります! 騎載機銃が二丁! 七・七㎜!」


 連絡騎は非武装の場合も多いが、特殊作戦騎として運用されるものに関しては若干の武装が施されていた。敵地への降下任務の際は、工作員や擾乱任務を帯びた鋭兵が騎載機銃を手にして任務に当たる。騎載機銃でなくなれば、それは機関銃に過ぎない。


 トウカに、膂力に優れた種族が単独運用する事を前提とした機関銃を扱う事は難しいが、連絡騎を扱うノルトマンは、皇州同盟軍航空隊、飛行兵選抜規定に基づいて、それを前提とした人選を受けて連絡騎の飛行兵となっている。


 ――逃れた村人か? いや、後衛戦闘か?


 森林での戦闘を帝国軍は避ける傾向にある。トウカは、追撃を尚も続けている事に不信感を抱いたが、ライネケより少し離れた位置の森林の一部が燃えている事を見るに、計画的な防衛戦が行われた事は容易に察せる。それが、己が考えていたものに近い事も理解できた。


 ――ミユキか? シラヌイ殿から指揮権を奪えたとは思えないが……そうなると……


 飛行によって脈打つ身体が冷却され、往時の思考の一部を取り戻したトウカは、状況の推測を目まぐるしく速度で行う。


 森林が燃えているとはいえ、その規模はトウカが作戦計画を提案したものとは三分の一程度で徹底できていない。つまり、天狐達に遣らせた可能性が高く、ミユキが十分な部隊を随伴させていない、或いは単独である可能性を示唆している。


 楽観的な要素はなく、悲観的な要素ばかりが脳裏を過る。


 降下態勢に入る連絡騎。


 トウカも股を締め、座席へ身体を押し付ける。視界に広がる渓流。


 連絡騎の脚部に魔導障壁が展開され、着陸態勢に入る。


 棚引く黒煙を突き抜け、渓流が露わになる。ミユキと共に釣りに勤しんだ渓流。そこに窺える深緑の軍装を持つ兵士達。


 ――帝国軍ッ! 


 追撃の最中にしても連携が取れていないと一目で看破できる程の無秩序。異様に密集している個所もあれば、連携ができない程に散兵化している個所も目立つ。


「ッ! 邪魔だ!」


 それが自身の声であったのか、ノルトマンの声であったのか、トウカには分からなかった。少なくとも自身も同じ様に考え、吐き捨てたい心情であった。


 連絡騎の両翼から軽快な射撃音が響き渡る。


 断続的な射撃音を響かせる二丁の機関銃の先で、渓流の水面が撥ねる。機関銃弾が二列の白糸を渓流に縫い付けた。その白糸に絡め取られる様に幾人かの帝国軍兵士が渓流に斃れる。


「滑走しても止まるな! 俺は滑走時に飛び降りる! 貴官は離陸後、機銃掃射で援護してくれ!」

「無茶です! 御一人であの数を相手なさると!?」


「発煙筒で煙に巻く! 俺は上流を目指す!」


 帝国軍も追撃の為か遡上しており、少なくとも上流に何かあるのは間違いない。トウカは今だ確認できていないが、ノルトマンは上流からの銃火を確認したと申告している。


 渓流に沿って降下し、帝国軍を飛び越えて先に上流に向かう事は難しくない。その際、滑空時に騎載発煙筒を用いて攪乱すれば、帝国軍の移動速度は低下するだろう。


 白煙に躊躇いもなく突入したとしても、連携を維持できるとも思えない。突き抜けた後、部隊を再集結する必要もある。散兵化したならば、トウカもある程度は漸減できるだろう。


足元に近付く水面。


 嘗て釣りを楽しんだ頃より、増水しているのは春の雪解け水であろう。その状態がトウカに滑走時に飛び降りるという選択をさせた。特に上流は川幅が狭まり、増水している。トウカの記憶が正しければ、場所によっては一m近い水深となっている筈であり、それは間違いではなかった。


「致し方ありませんな! 死んでも恨まれますな!」


「恨むのは帝国主義者だ!」


 ノルトマンが腹を括り、トウカは短機関銃を追い紐で腹部に固定し、佩用した軍刀を両手で握り締める。綺麗に飛び降りれるという奇蹟を期待する程、トウカは楽観的ではなかった。


 水飛沫を盛大に巻き上げ滑空する連絡騎。


 着水の衝撃は、トウカが考えた程ではなかった。ノルトマンの力量と連絡騎という離着陸に配慮した航空艤装を有する騎体である為である。


 帝国軍兵士が正面至近に窺えたが、ノルトマンが展開した魔導障壁が左へと弾き飛ばす。空気抵抗面積を増大させ、短距離で着陸する為の減速用魔導障壁であったが、ヒトを弾き飛ばすに十分な強度も備えていた。鳥類による衝突事故(バードストライク)に備えての事である。


 水面を滑走……滑水している状態。


 両翼下部に据え付けられた騎載機関銃の前方以外の大部分に魔導障壁を展開したノルトマン。左右からの銃撃が魔導障壁に弾かれる硬質な音がトウカの耳朶に叩き付けられる。高速で動く騎体ゆえに着弾数は多くないが、金属と魔導障壁という硬質物による衝突音は酷く耳障りであった。


 トウカは耳障りな金属音の連続を気に留める余裕もない。騎載発煙筒を騎体側面から毟り取ると、安全装置である金属留め具を外し、蓋の部分を殴り付ける。


 忽ちに白煙を噴出させる騎載発煙筒。


 円筒状の騎載発煙筒は、車載のものの三倍近い規模(サイズ)で騎体両側面に三本ずつ装備されている。本来は、敵騎の追撃を受け際、煙幕として利用するもので、緊急時の救難の為にあるものではない。皇州同盟軍騎には基本的に騎種を問わず、相応の数が装備されている。しかし、内戦と今次戦役では運用騎数の差から一方的な航空戦が大部分である為、運用された例は採用当初の推測よりも遥かに少ない。絶対的な航空優勢を甘受するが故に、装備としての運用が少数に留まったのは皮肉であった。


 騎体側面に装備したまま、飛行兵が踵で安全装置の留め具を叩き、足裏で蓋を蹴りつけて白煙を噴出させるものであるが、トウカは暫くすると手を放し、次の騎載発煙筒を手に取る。


 そうして、次々と騎載発煙筒を点火して投げ捨てる。防水処理は為されているが、発煙性能がなくなる為、投げ捨てるのは川岸であった。


 空に黒煙が棚引き、地上には白煙が棚引く光景は浮世離れしたものであったが、トウカは六本全てを左右の川岸に投げ捨てる。


「降りるぞ!」


 トウカは軍刀を両手で握り締め、身を投げ出す。


 不快な浮遊感に総毛立つ感覚を覚えたが、水面に背を向けて身を投げ出した為、視界に満ちるのは白煙と黒煙の空であった。


 背中への衝撃。


 渾身の力で濡れ雑巾を叩き付けられたかの様な、背面全体へと及ぶ衝撃。水面に沈み込まない為、そうせざるを得なかったが、想像を絶する衝撃は、祖父と共に戦艦に乗り込み、砲撃演習を観覧した際の砲撃による衝撃……濡れ雑巾と似たものがある。


 しかし、威力と痛みは今回の飛び降りが遥かに上回る。


 肺の空気が逆流して吐き出され、水面上を滑る。水飛沫が口内に流入し、痛みだけでなく突き刺すような冷気が加わった。それだけでは済まず、背中だけを水面に向けるという幸運は失われ、幾度も転がる事になる。


 幾度かと数える事を放棄する程度には無様に転がったトウカは、仰向けで水底へと沈み込む。


 口元から流入した雪解け水による息苦しさと、肌を刺すような冷水に耐えかね、或いはヒトの生存本能に突き動かされてトウカは手足を動かす。


 軍刀を掴んだ左手……鞘尻の金属部分が群れを成す小石を抉る感触。


 小石の方角を蹴り、トウカは水面へと顔を出す。生存本能に突き動かされての仕草であるが故に、水面上を窺うなどという余裕も思考もなかった。


 水面を突き破り、肺腑から失われた酸素を求め、荒々しく呼吸をする。咳き込み、肩で息をする様では交戦は難しく、冷水で体温を奪われては叶わないと川岸を目指す。


 軍刀を佩きながら、周囲を警戒しつつ、川岸へと上がるトウカ。


 燃え盛るライネケを松明とし、森林を超えて黒煙による晦冥が上空には広がり、下流には騎載発煙筒による白煙から生じた晦冥が白壁となって視界を遮っている。


 帝国軍将兵の悲鳴と蛮声が白煙の中から響く。水面に水が跳ねる音や銃声もあり、大きな混乱を期待できた。


 視界を奪われ、同士討ちが起きる程度の練度であると見たトウカは、上流へと急ぐ。上流で銃火が目撃されたならば、交戦状態にある者がいるという事である。情報を得るには確保する必要があった。


 揉まれる事もなく苔生した石の散らばる川岸を駆けるトウカ。


 空に龍の嘶き。


 見上げれば、ノルトマンの連絡騎が旋回して下流を目指し始めたところであった。機銃掃射による近接航空支援が期待できた。主目的は白煙の向こうに展開している敵部隊の足止めであろう。


「くそっ!」


 水の染み込んだ軍装は重く、そして冷たい。動きを阻害し、体力と熱を奪う。


 (かじか)む手で、負い(スリングベルト)を緩め、短機関銃の銃把(グリップ)を握り、安全装置を解除する。


 トウカは上流を目指して歩を進める。


 駆け足で河原を進む。


 軍靴が石を踏み締める音は次第に早くなる。息が上がれば咄嗟戦闘で初動が遅れるが、余裕を失いつつあるトウカは、脳裏を駆け巡る軍事常識を退けた。本来ならば、視界の開けた河原を進むというのは、発見される可能性や襲撃を受ける可能性を増大させる。戦闘時に遮蔽物がないという問題もあった。


 瀝青の如き色合いの心情を携え、トウカは進む。


 背後の煙幕での混乱を示す様に銃声が幾度も響いているが、そうした中で前方からの銃声をトウカの耳は捉えた。


 トウカは先を急ぐ。


 銃撃戦に加わらねばならない可能性による緊張と、最悪の可能性による興奮が、トウカの感情を昂ぶらせた。


 森へと入り木々の間を縫う様に進む。


 姿勢を下げて駆けるトウカ。足元は木蔭の影響か溶け消えていない雪が僅かに残り、泥濘と木々の根が前進を阻害する。トウカは経験から森林地帯での銃撃戦では射線を確保する事が難しく、木々という遮蔽物の効果もあり、大胆な行動を行っても被弾確率が低い。


 大胆に踏み込むトウカ。足音が立つ事を気にも留めない。


 不意の遭遇による咄嗟戦闘となっても、速射性に優れる短機関銃で圧倒できるとトウカは確信している。前方からの銃声の間隔は小銃である事を示していた。


 時折、木々の根に躓きそうになりつつも進むと、不意に銃火が煌く。


 密集して小銃を撃つ帝国軍兵士。トウカに背を向けていた。


 ――六人!? 他は居ないか?! 


 練度不足という言葉すら生温い程の無秩序を晒している後背の帝国軍兵士の有り様を見るに、彼らは組織的な戦闘をしていない。分隊以下の数で戦闘をしていても不思議ではなかった。無論、戦闘で数を減じているという可能性もあった。木々によって乱反射した銃声によって付近の兵士の音を捉える事は難しく、木々で姿も遮られる。


 トウカは立ち止まり、一際大きい針葉樹を遮蔽物として、短機関銃を構える。


 未だ気付かれてはいない。


 戦闘で敵の居る方角に意識を取られる事は多く、不意を突かれる事もまた戦場で散見される。


 腰溜めに構えた短機関銃の引金を引く。


 軽快な音を奏でて七・七mmの銃弾が次々と吐き出される。


 被筒部(ハンドガード)を掴んだ左手で跳ね上がりを抑えつつ、トウカは密集した帝国軍兵士六人を忽ちに射殺した。射耗して残弾僅少となった弾倉を抜き捨て、新たな弾倉を差し込む。


 斃れ伏した六人に念の為、数発ずつ銃弾を撃ち込みつつ、近付く。


 不意の銃声。


 トウカは咄嗟に姿勢を下げて、付近の針葉樹に身体を押し付け、銃声の方角から身体を隠す。


 顔を出して確認すると、三人の帝国軍兵士が針葉樹越しに小銃で射撃を加えてきた。針葉樹が銃弾で抉られる。貫通しないが、針葉樹には次々と穴が開いた。連携して発砲間隔が空かないようにという配慮すらない三人の帝国軍兵士。


 二人が装填の為に木々の影に潜んだ時期を見て、トウカが射撃を継続していた一人に連射を浴びせる。距離は三〇mもない。


 複数の被弾で斃れる兵士。その兵士を咄嗟に木蔭に引き摺り込もうと身を乗り出したもう一人の兵士にも連射を浴びせ、射殺する。


 最後の一人は背を向けて逃げ出そうとする。


 トウカは銃口をその背中に向けるが、横合いからの射撃で逃げ出した兵士は斃れ伏す。


「元帥閣下ッ! 何故、ここにッ!」


「キュルテン大尉か? 貴官……」


 収奪したと思しき帝国陸軍正式採用小銃を掴んで駆け寄るヴェルテンベルク領邦軍第三種軍装を纏う小さな背格好の士官に、トウカは言葉を失う。


 右肩と左脇腹への貫通銃創。


 帝国陸軍は副武装として一般兵士に拳銃を配備していない為、恐らくは小銃弾による貫通銃創であろうと見たトウカは、短機関銃を追い紐で腰に回し、軍刀を抜いて帝国軍兵士の遺体へと近づき、その上衣を切り裂いてキュルテンへと投げて寄越す。


 小銃弾二発の被弾ともなれば、一般的な人間種であれば致命傷と判断するに十分である。肩は兎も角、腹部などの臓器が集中する部分への被弾は生存確率を大きく下げる。キュルテンの脇腹の貫通銃創を見るに、端に近いので臓器への傷は避けられているように思えたトウカは、軍刀を仕舞い、短機関銃を構えて周辺警戒に移る。


 キュルテンの手当を自らしたいが、制圧確認できていな地点で警戒を怠る訳にはいかなかった。針葉樹の隣でしゃがみ込み、傷口を手当てし、縛り始めたキュルテン。女性将校の柔肌から視線を逸らし、トウカも姿勢を低くて歩哨の務めに移る。


 ミユキの事を訊ねたいが、無理に移動しながら訊ねて状態が悪化すれば、状況を訊ねる事も出来なくなるかも知れない。焦燥と不安を押さえ付け、トウカは短機関銃の銃把を強く握りしめて周囲に視線を巡らせる。


「閣下……申し訳ありません……」


「何処だ?」


 謝罪など聞きたくもない。ミユキの居場所を言え。そう思えども口には出せない。その一言が、彼女の末路を示していると察してしまったトウカだが、それを認めるか否かは別問題である。


「それは……」


「何処だ?」


 事実を己が瞳で確かめるまでは信用しない。戦場の認識とは不確定要素の連続である。情報は虚実入り乱れ、捏造される事も珍しくなかった。


「……下流です。私は、ロンメル大尉が刺されて斃れる場面を遠目に見ました」


「貴様は、此処で待て。俺は下流に向かう」トウカはキュルテンに背を向ける。


 ミユキの護衛でありながら、その任務を全うできなかった事を指摘してしまわないようキュルテンから視線を剥すように背を向けたトウカに、彼女の言葉が追い縋る。


「……なりません。未だ下流には敵が――」「――構うものか。これは俺の戦争だ」


 他の誰でもないトウカの戦争なのだ。


 護衛を全うできなかったキュルテンだが、本来であればエイゼンタールを含めた複数の有力な戦闘兵種の情報部将校を配置していたが、諜報活動可能な人員を皇都や戦野で必要とした為、トウカが引き抜いたのだ。ミユキがフェルゼンやシュパンダウに居るのであれば、キュルテンだけでも護衛は十分であると判断した。何より、ロンメル子爵という爵位を与え、領地と指導せねばならない領民を与えた事で自覚を与えた……領地に縛り付ける事に成功したとばかり考えていたのだ。戦地に赴かずに済む大義名分を与えた。独自に戦地に赴くとは考えなかったのだ。


 しかし、ライネケの危機とあれば駆け付けても不思議ではない。


 ライネケは帝国軍に位置が露呈している。


 一度、帝国軍が手を引いた襲撃があり、位置を把握されている以上、襲撃の可能性は低いながらも存在する。敗戦の最中に僻地のライネケを襲撃する意図は不明瞭であるが、ヒトの数だけ価値観がある。ライネケに何某かの価値を見い出した指揮官が居たならば、再度の襲撃は有り得たのだ。


 トウカは、ミユキから受け取った御守りを服の上から握り締める。


 何時もとは違う感触。


 眉を跳ね上げて服内から引き抜くと、御守りは曲がり、小さな亀裂が走っていた。連絡騎から飛び降りた際、どこかにぶつけたのだろうと、紐を手に巻き付け、短機関銃の銃把を非ぎり締め直す。


 ――不吉な!


 その言葉を飲み込み、トウカは歩き始めた。


 背後で続こうとするキュルテンの声を振り払う様に。









「襲撃を受けているみたいね……」


 リシアは連絡騎上からライネケを見下ろす。


 濛々と黒煙を噴き上げる隠れ里は、上空からではその全容を把握し難い。戦火が隠れ里にまで及ぶというのは予想外の事で、何よりライネケは相応の戦備を整えていたとリシアは記憶していた。


 シラヌイは好戦的な人物ではないが、ライネケを襲うかも知れない非常時を想定して、相応の武器と塹壕の構築を行っていた。地形的要素も加わると、その防備は同人口規模の他の村々と比較しも有力と言えた。それでも尚、黒煙に包まれる程の被害を受けているという事は、襲撃を行った戦力の規模も相応であるという事になる。


「閣下に遅れること二時間。更に一時間後には滑空騎で鋭兵中隊も駆け付ける……とは言え」


「帝国軍が窺えます。数は不明ですが一個中隊以上は……」


 飛行兵の言葉に、リシアは唇を噛み締める。


 黒煙と森林に遮られていない部分の数だけでも一個中隊規模であるならば、実際の数は更に多い筈であった。敗走の中で、それだけの規模の戦力がライネケに攻め寄せる意味を、リシアは思い悩んだ。


 否、国内勢力による蠢動を訝しんだ。


 戦後戦略を見据えた謀略の一環として中央貴族が仕掛けたのではないかという疑念を、リシアは捨て切れなかった。表面上は沈黙を守っている各公爵家とて蠢動していても可笑しくはない。性急にして冒険主義的なトウカを排除しようと動いたとしても不思議ではない。


 ベルセリカやアルバーエルを中心として、そうした疑念を抱く者は少なくない。リシアは、その可能性は低いと見ていたものの、一度、ベルセリカからそうした可能性を聞いていしまった為、疑わしいと感じる出来事を看過できなかった。


「降下できる?」


 ライネケは黒煙に包まれ、そこに至るまでの隘路は直線が極めて少ない。北に河川があります。水上騎の真似事を……大佐、あれを!」


 リシアは飛行兵が指示した方角を見る。


「友軍騎、ノルトマンか!? 大佐、あの騎体です!」


「近付きなさい。近ければ通信も可能な筈よ」


 大部分の軍用騎には騎上通信機が装備されている。無論、魔導波が乱れる戦場では有効範囲が極めて限られる代物であるが、同空域で連携を行う程度の性能は有する。欠点として、極低空域では地上戦があった場合、交信不可能となる可能性があるが、眼下の戦場は魔導部隊が活躍する戦場ではない。


「閣下の居場所を聞きなさい!」


 リシアはそう命令すると、飛行兵の腰に手を回し、革製の腰嚢(ウエストポーチ)から単眼鏡を取り上げると、地上を捜索する。後続の連絡騎にも各騎一人ずつ鋭兵を搭乗させている為、相応の降下地点を探さねばならない。


 ――あの連絡騎にトウカは乗っていない。どこかに降りたはず。近場に降下しないと……


 リシアは、単眼鏡で地上を探すが、雲霞の如く徘徊する帝国軍兵士の影しか窺えない。


「大佐! 元帥閣下は、一四時の方角の河川に降下したとの事です! しかし、今は敵影多数と――」


「機銃掃射で河川の敵兵を掃討。その後、降下する!」


 決断は早い。


 トウカであれば、自身の位置が露呈する場所を移動する真似はしない。兵力差で圧倒的劣勢にも関わらず、位置を露呈する移動経路を選択する筈がなかった。


 緩降下を開始した連絡騎の群れ。


 ライネケや河川の帝国軍兵士が遮蔽物を探して逃げ惑う姿が散見されるが、撤退に至るまでの混乱であるかは分からない。航空偵察による報告の齟齬からも分かる通り、空から遮蔽物の多い地上を正確に把握する事は困難である。専用の航空管制官を育成するという計画がある程なのだ。咄嗟にリシアが正確に行えるものではない。


 僅か一〇騎の連絡騎に過ぎないが、帝国軍兵士から見れば航空騎自体が恐怖の象徴である。


 空を征く航空騎の種別を判断するには、帝国軍で情報が共有されておらず、反撃し難い空から大被害を齎す恐怖の象徴というのが大多数の将兵の所感である。


 装備が機銃のみであると知れば、方陣を組んで対空戦闘を挑んでくる可能性もあった。小銃と機関銃による近代の槍衾は傍目からは強力に見えるが、対空戦闘の密度……有効範囲としては時限信管を備えた単装対空砲にすら劣る。急激な皇国軍の戦闘教義の転換は、帝国陸軍の戦闘教義を過去のものへとしたが、対空方陣に関しては元より陳腐化著しい代物として認知されていた。実情として、航空機関砲や航空爆弾の的でしかなかった。


 それでも尚、一部の部隊が運用を続けたのは、南部鎮定軍が野戦で人材を次々と失った事で、新任や野戦昇進の士官などが部隊指揮官となった事も影響している。機転の利く下士官なども数多く戦死者となった現状、彼らは最適解とは言い難い戦闘教義を頼りに戦うしかなかった。


 しかし、練度があまりにも低い敗残兵である事が彼らを救う。


 一目散に遮蔽物……森林部へと逃げ出す帝国軍兵士の群れに、リシアは彼らが敗残兵であると認識した。


 ――偶然? いや、まさか……


 誘導するならば、敗残兵であっても相応の練度の部隊である事が望ましい。誘導した第三者がいるのであれば、という前提であるが、リシアはその可能性を捨て切れなかった。トウカが釣り出されたと考えれば、有力な戦力が潜んでいても不思議ではない。


 時間は残されてない。或いは、すでに手遅れであるかも知れない。


 散を乱して森林に逃げつつある帝国軍兵士を一瞥し、リシアは単眼鏡を閉じる。


「本騎と後続の四騎は続きなさい! 降下する! 他は降下を支援! 降下地点確保を行う!」


 選択肢などない。


 最短で辿り着かねば、全てを失うかも知れない。或いは、それでも間に合わないか。故に後悔せぬように最短を選択し続けねばならない。無論、それでも間に合わねば、生涯を別の最善があったやも知れないと後悔を胸に抱いて過ごす事は間違いない。自身の人生が後悔の連続であると自覚するリシアは、危機に際して常に積極な方針を取る様にしていた。


 降下を始める連絡騎。


 トウカを乗せていた連絡騎も航空支援を意図して降下を始めており、一〇騎の連絡騎の支援を受け、リシアが搭乗する連絡騎は着陸態勢に移る。


 間近に迫る河川の水面が恐怖を掻き立てるが、それを上回る焦燥がリシアの恐怖と怯懦を圧倒した。


「着陸……着水します!」


 飛行兵の言葉にリシアは両足を引き締めて連絡騎の胴体から離されぬ様にする。両手は支持架を掴んだ。


 着水。


 大きな水飛沫が着水した連絡騎の左右に立ち上り、連絡騎の速度に追い付けずに後方へと流れる。水面を切り分ける様に進む連絡騎だが、短距離離着陸能力に優れる性能を発揮して忽ちに速度を低下させる。水面である事もそれを助けた。


 想像していたよりも遥かに少ない衝撃に妙な感覚を覚えつつも、リシアは減速した騎体から飛び降りる。想像していたよりも浅いと、水飛沫を上げて水底に降ろされた己の脚を見下ろす。水面は、膝辺りに留まる。


 リシアは短機関銃の負い紐(スリングベルト)を緩め、銃把(グリップ)を握り、被筒部(ハンドガード)を掴んだ。親指で安全装置を解除し、周囲を警戒する。


「上空の部隊に、信号弾で降下地点に問題なしと伝えなさい」


 偵察騎の胴体を撫で、リシアは飛行兵に命令すると、川岸に歩を進める。


 川岸沿いの森林から射線を確保して、後続騎の河川への着水を支援しなければならない。


 現在のところ、遥か遠くで銃声が響くだけで、付近に敵影は見受けられない。河川と川岸、そして森林のみが大部分を占める地形では視界は限定的だが、近距離であるならば短機関銃は十分な効果を発揮する。


 次々と着水を開始した連絡騎。


 対面の川岸の先……ライネケの方角を見据え、リシアはトウカが其方へ向かってはいないと考えていた。


 火災による黒煙が発生している状況下では、視界が不明確であったものの、ライネケの建造物の倒壊の仕方を見るに森林側から平射に近い弾道で撃ち込まれたものも少なくない。よって撤退戦が行われたと想定できる。渓流……河川周辺に纏まった敵影があったならば後背にまで回り込まれて包囲戦を受けたと推測できるが、空から見た限りでは僅かな数の帝国軍兵士しか確認できなかった。これは森林深くに撤退しようとする天狐を迫撃しようと試みたと推測できる。


 ――でも、迫撃にしては数が少ない……迫撃を疎かにするとなると……


 迫撃戦が最も戦果拡大となる瞬間であるのは軍事常識に他ならない。トウカの戦略に於いても、この点だけは変わらなかった。ミナス平原会戦に於ける勝利以降の、皇国軍の熾烈な迫撃戦もそれを証明している。〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の装甲部隊が帝国軍兵士を轢殺しながら対戦車砲と砲戦を繰り広げる画像が皇都の三面記事を賑わせていた。迫撃による戦果拡大は軍民共通の常識ですらある。


「ライネケの占領そのものが目的? そんな事をしても意味は……」


 トウカを招き寄せるのであれば、ミユキを捕縛し、天狐達の数を削ぐ事が肝要である。天狐という高位種を多数捕虜とするには一個大隊では兵力として不足し、その為の迫撃戦は必要不可欠と言えた。


 トウカの捕殺を意図しているには雑に過ぎ、そして戦術行動はライネケの確保に重きを置いている。


 ――偶然? これが偶然!? 馬鹿なことを!


 偶然で総司令官が単独で釣り上げられる偶然が生じたなど出来の悪い小説沙汰である。


 演出者不在で舞台に計画性などある筈もない。登場人物が其々の思惑を胸に無秩序に動くのだ。そうであるならば、その意図を読む事は不可能となる。


「いえ、逆ね」


 トウカの思惑だけを読めば良い。最短へと至る方法が変わっただけである。


 筋書きを描いた者が居ないならば、トウカの思惑のみに思考を絞る事ができる。


 次々と降下する連絡騎。降り立つ鋭兵が集まりつつある中、リシアはトウカの思考を辿らんとするが、トウカが追うミユキの思考を追わねばならない事に思い当たった。


「下流に向かう。混乱する帝国軍を偵察する」


 可能ならば幾人か捕縛して情報を得たいと、リシアは考えた。


 欲を言えば、士官を捕縛したいという意向を鋭兵に伝えると、九人の鋭兵の内、三人が駆け出す。忽ちに人間種には難しい加速で下流へと進発した後ろ姿を見守り、リシア自身も鋭兵を伴って下流へと進む。


 途中、鋭兵が川岸に転がる騎載発煙筒を発見し、トウカの正確な降下位置を割り出した。未だ乾き切っていない川岸の着水痕からも推測できるが、足跡を辿る事は難しい。河川から衣類が濡れたままに川岸に上陸すれば水痕を辿れそうに思えるが、各所で複数の連絡騎が着水した後では、その痕跡を探る事はできない。


「大佐、あれを」鋭兵の一人が空を指さす。


 見上げると連絡騎ではない騎体が高空を飛行していた。


 二対四枚の翼を有する特異な龍による軍用騎。リシアには見覚えがあった。


「司偵ね……先行偵察に投入されたのでしょうね」


 司令部偵察騎という偵察騎は、皇州同盟軍の中にあっても特殊な立場にあった。司令部直属の航空偵察部隊として編制され、激しい要撃を受ける地域への偵察や、要衝に対する戦略偵察を実施する為の騎体であった。高速性能と航続距離に優れた希少な龍種を使用し、多数配備する事が出来ない都合上、配備されるのは軍集団以上の部隊のみと制限を受けているが、その性能は折り紙付きである。


 聞きしに勝る俊足を見上げ、リシアは溜息を吐く。


 先行した点と総司令部の混乱を踏まえれば、然したる時間の遅延もなく目標空域まで駆け抜けた司令部偵察騎の飛行能力は卓越したものであると察する事ができる。


 同時に御座なりな連絡のみに留まったベルセリカが事態を正確に察した事を確認できた。


 リシアは、短機関銃を強く握り締める。


「前進する」


 出来の悪い舞台で、リシアはもがき続けていた。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レビュー、評価などを宜しくお願い致します。 感想はメッセージ機能でお願いします。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ