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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》

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第二四九話    無数の死、一つの死 一




「さぁ、転進だ。急げ諸君」


 ユーリネンは“転進”の最中に在った。


 両軍の予想を裏切る速度で撤退するのは、〈第二六四狙撃師団〉の編制を占める大部分の将兵が獣系種族であるからであった。移動は、夜間に街道を外れた位置を進み、昼間に森林部で休息するという、奇しくもリディアと同様のものである。狩猟経験者が数多く、陽光が差す中での睡眠を気にする者は少ない。無論、昼間に寝る経験の少ない者でも、疲労から眠りに落ちる事に苦労はしない。


 本来であれば殿軍を務める部隊を直卒するべきであるが、ユーリネンは最前列の工兵中隊を直率して先行していた。迫撃の気配がないと見ての事である。


「門閥貴族の方々が壊乱を装って航空攻撃を誘因して下さっている様です。彼らの挺身には卑賤の身ながら賞賛を送らずにはおれません」


 リーリャの言葉に、ユーリネンは失笑を零す。周囲の参謀達も笑声交じりに頷き合っている。


 迂遠にその一度の航空攻撃で壊乱する大軍の無様を嘲笑している言葉に他ならないが、表面的に見れば門閥貴族の壊乱を擬態として評価している言葉と言えなくもない。


 その笑声を他所に、周囲では治工具を手にした工兵と農具製作の経験者達が筏を作製している。


 皇国北部地域、エーゼル男爵領を流れるヴェーゼル川沿いの森林に彼らは居た。


 〈第二六四狙撃師団〉は総兵力六二〇〇名程度にまで落ち込んでいるが、それでもその数の将兵を輸送する筏の数は膨大なものとなるが、彼らは手際よく製作している。


 というよりもユーリネンも自ら筏を製作している。


 撤退の最中に森林から得た縄や蔦……最も数が多いのはドラッヘンフェルス高地に皇国軍が残した針金や回収した鉄条網であるが、それを以て丸太を繋ぎ合わせるという作業自体は複雑なものではない。丸太を上空から露呈しない程度に間引く様に伐採しなければならないという手間はあるものの、河の流れに沿って下れば短時間で《中原諸国領》付近にまで進出する事が得きる。将兵の体力消耗も押さえられた。


 春先となって雪解けが雪原を泥濘に変えつつある中の気候であるからこそ可能な芸当である。冬の河川で水と戯れる無謀を将兵に強いる真似はできない。


 ヴェーゼル河沿いでの筏作製は先行した工兵中隊を中心に行われていたが、渡河ではなく搭載して渓流下りを行うとなれば、将兵の数に応じた筏を必要とする。


「鉄条網で縛り上げるのは流石に苦労する様です」エーリャが時折響く奇声の方角を一瞥して囁く。


 棘を工具で潰して即席の針金として使用しているものの、棘の数が数であるが故に作業は雑で、時折、潰し切れていない棘の一部が作業者の掌を襲うのだ。無論、作業者も厚手の革製出袋をしているが、縛り上げる作業には相応の力を加えねばならない。運が悪ければ手袋を貫通する。


 時折、響く奇声は人目を憚る撤退をしている中で声を抑えようと痛みを堪える声である。通常の悲鳴とは違い妙な如何(いかが)わしさがあった。


「男の甲斐性の見せ所だ。女に手伝わせるといい。張り切るだろう」


 皇国軍ほどではないが、獣系種族が主体であるが故に性別間の膂力の差異が少ない事から帝国軍の中では異例と言える程に女性将兵の比率が高い。


 男は女が見ているとなれば気を張って任務に精励すると軍人生活の結果として知るユーリネンはそうした配慮の効果を良く理解していた。無論、使いどころを間違えれば任務への集中力が削がれるだけに終わるという危険性もあった。


「俺も御前が見ているから張り切るのだぞ?」


「閣下は見張っておかねば女兵士に手取り足取り教える程に勤勉でいらっしゃいますから」


 リーリャの返答に周囲の参謀達が失笑を零す。ユーリネンとしては「俺を理解してくれているようで光栄だよ」と返すしかなかった。否定はしない。


 トウカも予想だにしない方法で〈第二六四狙撃師団〉は離脱しようとしている。


 他の〈グローズヌイ軍集団〉を構成する師団は既にエルライン回廊を目指して撤退している。泥濘による遅延が生じていたとしても、想定ではあと四日程度で最後列が帝国領へと離脱できると推測されていた。


 アンドロポフとアレクセイエフの両少将が後衛を務めており、落伍による将兵の損耗は最低限に抑えられる上、迫撃があったとしても後退戦を行える指揮官である。


 問題はない筈であった。


 航空戦力による対地襲撃による妨害が想定されるが、順次分散して後退を継続している為、各部隊の規模は小さく、前線への輸送を終えた輜重部隊に擬装していた。空荷の輜重部隊を襲撃する余裕は雲霞の如く攻め寄せる門閥貴族の“大群”によって喪われた筈である。


 全てが順調に進んでいる。


 惜しむらくは北部戦域全体で行われている通信妨害によって状況が把握できない事であるが、通信能力の低下は両軍に等しく生じる。追撃に於ける連携が低下する選択をトウカがするとは考え難いが、陸上戦力による迫撃が遅れているのであれば辻褄は合う。友軍の迫撃が遅延しているならば、割り切って帝国軍の混乱が収拾される余地を完全に奪い、部隊間の連携と状況把握を妨害しようとの判断だとユーリネンは見ていた。


 ――被害が大きい故の再編制か、輜重の限界か……


 或いは、そのどちらもか。


 だが、それ故に通信妨害が中止された瞬間こそをユーリネンは恐れていた。


 十分な規模の陸上戦力による迫撃開始を意味するからである。


 否、今でも浸透した無数の索敵軍狼兵大隊による各所での襲撃行動で櫛歯が欠ける様に喪われ続けている事は間違いない。


 〈グローズヌイ軍集団〉は、襲撃されない程度の規模で分散しての後退であった為に襲撃を避け得たが、ミナス平原に於ける決戦の敗北後、目端の利く指揮官の部隊の中には独自に後退戦に移った部隊も居た。それらの中には索敵軍狼兵大隊だけでなく、狙撃猟兵中隊などの襲撃を受けて壊乱した部隊が少なくない。


 ベルゲン近郊まで戦線を後退させた皇国軍であるが、軍狼兵と比して移動力に劣る猟兵までもが遥か後方に存在するという事は、二カ月も隠蔽して待機させていた事になる。


 今年は近年稀に見る程に冬が長く、春の雪解けも遅れるという異常気象であったが、そうした中、擬装しているとはいえ敵戦線後方に潜伏するというのは並大抵の事ではない。帝国軍に短兵急を強いる事を前提とし、尚且つ郷土兵(ラントヴェーア)の協力と挺身が不可欠である。


 ――彼の軍刀の切先は既に北部の主要街道を射程に収めている訳か。


 帝国軍の誘因が当初からの前提であり、一兵たりとも生かしては返さない心算であったのだ。


 ユーリネンの戦慄を他所に近くで小さな歓声が上がる。


 然して意味があるとは言い難いとは言え、音を立てる事は控えて欲しいと視線を向けるが、群がる兵士達によって理由は覆い隠されていた。


 確認する為に飛び出したリーリャが何とも言えな表情を張り付けて、ユーリネンの元へと戻る。


「警戒に出した兵達が猪を獲ってきた様です」


「許可した憶えはないが……まぁ、構わない」


 どの道、他の兵士達も獣を見れば確保せずにはいられないとユーリネンは察した。狩猟を得意とする種族が大部分を占めるという以上に、帝国軍の糧秣が悲惨である事は帝国軍人共通の見解である。人間種よりも鋭敏な感覚を持つ獣系種族ともなれば、糧秣の摂取は人間種よりも苦行となる。


「火の擬装は万全を期します」


「当然だ」


 隠れ潜みながら移動する〈第二六四狙撃師団〉は敵に発見されない為に魔力放出を控え、砲火や銃声なども避ける様に徹底していた。無論、遭遇戦ともなれば話は変わるが、皇国軍からすると主要街道を撤退する部隊や門閥貴族の“大群”がより効率的な目標なのだ。漸減を目論む以上、把握している纏まった戦力に航空攻撃を加える事は効率性の面から正しい。


 被害担当を他の部隊に押し付けている事を自覚したユーリネンだが、臆する事も気を落とす事もない。彼は祖国が自らとその領民に対して、何かをしてくれた記憶などない故に他地方の兵士や門閥貴族が幾ら戦死しようとも気にも留めなかった。義務と権利は表裏一体であるが、ユーリネンは与えられた権利に似合うだけの槍働きはしていると確信している。


「一日掛かる……いや一日で済ませられる事を喜ぶべきか」


「しかし、此処であと二日は待機します」


 リーリャの指摘にユーリネンは鷹揚に頷く。


 将兵の疲労を鑑みての決断であるという部分もあるが、それ以上に下る川の障害物の有無、そして何よりも川沿いの潜伏できる地形の把握の必要があった。無論、放った斥候部隊の主任務は敵性戦力の確認である。警戒線などが敷かれていた場合、これを夜陰に紛れて実力で排除する必要があった。点在する村落を確認する必要もある。


 ユーリネンの予定では、獣系種族の夜目を頼りに夜間に筏で河川を下りながら、陽光が差せば川沿いの潜伏できる地形に筏を引き摺り込んで休息する計画であった。


 皇国軍は大きく数を減らして人目を拒むかの様に逃げる一個師団よりも、方面軍規模の敵野戦軍の殲滅を優先する事は疑いなく、存在が露呈したとしても迫撃は行われない可能性もある。


「事前に得た地図が正しいのであれば筏が容易に通過できる川幅と水深がある様です。しかし……」


「雪解けによる増水だな」


 想像以上に雪解け水の増水が酷い。川沿いの森林部である為、その流量を示すかのような水音はユーリネンの耳にも届いている。皇国軍も河川を利用するとは考えないであろう程の流量であるが、静かな船旅ではなく渓流下りとなるのだ。投げ出される者も出るだろう。


 水量が増えた事で流れが速まり移動は早くなるが、筏の扱いを間違えて岸壁などと衝突した場合は沈没しかねない。


「さて伸るか反るかの大博打だな」


 皇国軍と交戦しながらの撤退となれば確実に殲滅される以上、渓流下りによる溺死者は許容するしかない被害である。例え、半数が渓流の藻屑となっても残りが生存するならば成さねばならない。選択肢はなかった


 帝国という国家が皇国侵攻という博打を試みて失敗したが、その掛け金には自身と隷下師団将兵の生命も含まれていた。それを跳ね返し、保全する為、ユーリネンは自身と隷下師団将兵の生命を担保とし、自らの才覚を以て新たな賭けに臨まねばならない。個人的感情としては理不尽以外の何ものでもないが、それが帝国という専制君主制国家である。


 憤怒を胸にユーリネンは、自らの意思で自らが護るべき全てを保全する事が叶う権力を欲した。


 工兵達と筏を作り終え、ユーリネンは木に負い革(スリングベルト)吊るした短機関銃を手にする。


 決戦の最中、皇国軍より鹵獲したものを敗残兵が手にしており、それを受け取ったのだ。撤退の邪魔になると放棄しようとしていたところに遭遇して受け取ったに過ぎないが、そうした光景は〈第二六四狙撃師団〉の各所で散見された。ドラッヘンフェルス高地での防衛戦が開始された段階で、〈第二六四狙撃師団〉の銃火器は六割を超える数が皇国製であった。


 性能に優れ、整備性にも優れる以上、使用する事に躊躇はなかった。帝国製の兵器に愛着がある訳でもなく、生存の為により良い武器を選択する事は恥ずべき事ではない。慢性的に兵器の消耗が大きい帝国軍は元より鹵獲兵器の使用を前提としている部分もある。批判もない。


 安全装置を確認し、短機関銃を肩に掛けるユーリネン。


 曲剣(サーベル)や拳銃以外を師団長が装備するなど戦前には考えられなかったが、皇国軍の軍狼兵と狙撃猟兵の浸透は高級将校の命を奪う事も珍しくなかった。自然と高級将校も相応の武装をするようになり、目立つ軍装を隠す為に塹壕外套(トレンチコート)を着用する者も増えた。


 以前より気配はあったが、皇国侵攻で戦争の壮麗さは完全に喪われた。貴族将校が華美な軍装を纏って勇敢に戦った先に在るのは狙撃銃の銃弾による即死か、砲兵の曵火砲撃による挽肉などという未来しかない。自らに選択肢がない事は確かだが、悲惨で壮麗さもない死に様が高確率で用意されているのは良い事である。臆した、実力のない貴族将校が戦野に姿を見せる事がなくなるのは職業軍人にとっては喜ばしい。無能な上司に頭を押さえられる不幸は戦場で死に直結する。


 ――さて、俺は無能な貴族将校で終わるのか。或いは……


 筏から投げ出されて濁流に飲まれたならば戦死とは言い難い。


 皇国軍の優れた軍事力の前に勝利できなかった以上、撤退は当然であるが、撤退するにも相応の体裁を整えねばならない。〈グローズヌイ軍集団〉を指揮しての後退戦という命令を受けたのは確かであるが、相応の才覚を見せねば被害を根拠に処分されかねなかった。


 エカテリーナだけでなく、他の陸軍将官に興味を抱かれる様な後退戦を以て、ユーリネンは自らの資質を示さねばなならない。


 渓流下りはその一環である。


 可能であれば、獣系種族を主体とした師団が後退戦を戦い切った事実を以て、少なくとも自領に於ける獣系種族の権利を保障させたいと、ユーリネンは考えていた。無論、実情としてそれが不可能であるとも理解していたが。


「渓流下りの経験がある者は何人いるだろうか?」


「……各聯隊長に確認させます」


 ユーリネンは自領で林業が行われている事を知っており、下流付近の製材所まで伐採した木材で筏を組んで河川輸送している事も知っていた。それ故の筏による移動なのだ。


 経験者の数に限らず断行するしかないと直前まで確認を取らないでいたという訳でもなければ、計画性に乏しい訳でもない。渓流下りを聞けば撤退方法を察する者が出てくる事を恐れたのだ。皇国軍の索敵軍狼兵が情報収集を行う常套手段に、少数或いは単独で行動している敵兵士を確保して拷問するという手段がある。それにより師団行動が露呈したと思しき事例は少なくない。〈第二六四狙撃師団〉は士気旺盛である為に可能性は低いが、拷問などせずとも食糧を腹一杯食わせるだけで知っている事を洗い浚い吐き出す帝国軍兵士とて少なくはなかった。脆弱な輜重線の許容量を超過し、混乱する前線への供給能力低下で兵士の糧秣が不足する事は帝国軍の軍事行動では珍しくない。それ故の現地徴発であるが、今次戦役ではそれが叶わなかった。


 ――そうだ、その時点で軍の輜重計画は画餅と化した。撤退するべきだった。


 輜重の当てもなく侵攻するなど軍事行動の基本すら押さえていない愚行であった。リディアもそれを察していたが、国内情勢を踏まえれば撤退できる筈もなく、それ故に乾坤一擲の急進であったのだ。


 一地方の一部とはいえ、領民全てを避難させ、食糧や資源なども一切合切後送させるという無茶を行ったのだ。それだけでも端倪すべからざる事実である。それを可能とする輸送量は天文学的な規模である。民間と軍の輸送手段を併用した以上は混乱を避けられず、街道などの流動が停止する事は確実であった。以前より大規模避難計画があった事は疑いない。


 エルライン回廊を北部貴族は過信していなかったのだろう。流石にトウカのみで何百万人という数の領民を避難させる計画立案が可能であるとは思えない。関係部署は、その計画を発令と同時に速やかに実現する為、以前より下準備を行っていたに違いなかった。避難訓練もあったかも知れない。


 ――それ程に強固な統治機構が領土を簡単に喪う筈がない。


 皇国北部は少なくとも戦争の為に政治や経済、領法を最適化させていた。


 そんなところに攻め入ったのだから三倍程度の兵力差でどうにかなる筈もない。数百万の領民と莫大な数の資源を一カ月程度で後送できる統治機構と民衆を納得させられる権威。あらゆる者が抗戦の為に投じる事を躊躇する筈もなかった。


 トウカが現れずとも、帝国軍は勝利できなかったかも知れない。


 少なくとも北部の永続的な確保は困難であったと推測できる。


 帝国はエルライン要塞という堅牢無比な防禦拠点と数百年に渡って交戦していたが故に、最大の障害がエルライン要塞であるという意識があった。しかし、実際は郷土防衛に異様な熱意を持ち、数千年を掛けて準備していた皇国という多種族国家の統治機構こそが最大の障害だったのだ。


「統治機構の質、か」


 皇国侵攻に於ける大敗の結果を以て帝国は揺れるだろうが、一地方に絶大な被害を受けた皇国は揺るがないだろう。その被害を補填する為の計画とて既に立案されているかも知れない。


「面倒な国に喧嘩を売ったものだ」


 しかも根に持つ男としか思えない軍神が気炎を吐いている。


 ユーリネンは生還が叶っても、再び皇国と相対する事だけは避けたいと切に願った。

 








「着陸します! 姿勢を低く!」


 ヴィトゲンシュタインの言葉に、ミユキは身体を竦ませる。


 ミユキの魔術によって正面より吹き荒ぶ突風が着陸時の滑走距離を短縮する筈であるが、そもそも眼前に迫るライネケに飛行場はない。広場付近の最も距離のある地形で五〇m前後であるが、元は戦闘爆撃騎である騎体の着陸距離としては甚だ不足している。


 短距離離着陸性能(STOL性能)に特化した小型連絡騎であれば三〇m程度の離陸距離で済むが、戦闘爆撃騎はあくまでも戦闘騎と爆撃騎の能力を兼ね備えた騎体である。それら二つは戦闘の為の能力は持ち合わせていても短距離離着陸性能は持ち合わせていない。寧ろ、重量物を搭載する都合上、離着陸距離に配慮できなかった。


 確実を期するならば二〇〇m弱は欲しいと喚くヴィトゲンシュタインを、ミユキは風魔術で補うと説得(臨時給金)して着陸態勢を取らせる。


 ヴィトゲンシュタインは魔道障壁を前面に大きく展開し、風抵抗が最大化させつつも騎体の姿勢を損なわない様に注意を払う。彼女とて極低空の着陸姿勢に入る中、大きく魔導障壁を展開するという一歩間違えば姿勢を損なって地面に叩き付けられて擦颪(すりおろし)にされかねない行為は願い下げであった。しかし、雇い主が望むのであれば致し方ない。飛行兵特有の勝気な性格が作用した訳ではなく、眼下で繰り広げられる防戦を皇国軍人として無視し得ないという義務感からであった。


 それは、その場に己が居ればという戦士や軍人に良く見受けられる自惚れの類でもあったが、そうした感情こそが佳く国民を護る。


 恐怖心を押し殺すヴィトゲンシュタインの心情を見て取るミユキだが、己が為せるのは風魔術で騎体方向正面よりの強風を以て騎体を減速させる事だけである。


 ヴィトゲンシュタインが義務を果たしている様に、ミユキもまた義務を果たさねばならない。


 右手で握り締めた航空散弾銃を抱き寄せ、左手をヴィトゲンシュタインの肩越しに正面へと翳す。身体は後席のキュルテンが支えてくれていた。幼い両手であるがその圧迫感と膂力は彼が戦闘に秀でた種族であると物語っていた。


 小さく祈る様に風へと請願するミユキに応じ、強力な風を伴って戦闘爆撃騎の正面から指向性を伴った暴風が叩き付けられる。それはヴィトゲンシュタインによって展開された前下方へと傾斜した魔道障壁に吹き付けられて騎体を減速させた。魔道障壁を暴風に対面させて減速させれば忽ちに失速して地面に叩き付けられる事になる為、騎体と魔道障壁の角度を操るヴィトゲンシュタインの背中は酷く発汗していた。


「キュルテン大尉、頼みます!」


「エルちゃん、やっちゃって!」


「やれやれ……」


 ヴィトゲンシュタインとミユキは、地面が目前に迫る中でキュルテンへと叫ぶ。


 ライネケへの飛行中、強行着陸を相談する中でキュルテンにも重要な役目が与えられた。


 キュルテンは、負い(スリングベルト)で背中に回していた魔道杖を掴み、騎上で構えて地面へと向ける。


 魔道杖の先端に魔道刃を展開し、迫る地面へと突き立てる。両足で騎体を力強く挟んでいるとは言え、総重量で言えば戦艦の主砲弾を超えるものであり、種族的に見ても軽量なキュルテンでは分が悪い。


 引き摺られるように地面を魔道刃が削り取り、一条の線を描く。


 それでも尚、三人が搭乗した戦闘爆撃騎は止まらない。


 騎体下部……戦闘爆撃騎の脚部に装備された(そり)が地面に走る線を二条追加する事で一層の減速となるが、正面に迫る民家の圧迫感が恐怖心を煽る。


 ヴィトゲンシュタインは正面からの風を受けるべく魔道障壁を最大規模で展開する。地面に橇が面した状態であれば騎体姿勢を損なう心配もないとの判断からであった。


 しかし、それでも止まらない。


「どいて!」


 ミユキは逃げ惑う天狐達を追い払いつつ、騎体から身を投げると右翼にしがみ付いて足で地面を抉る。がりがりと地面が削れ、戦闘靴(コンバットブーツ)の靴底もまた削れた。靴底から脚部に伝わる擦過音と言うには暴力的な感触に尻尾が総毛立ち、狐耳が天に向かって直立する。


 右翼にしがみ付いて制動(ブレーキ)を掛けた事で、騎体は右へと振れる。


 正面の民家を避け、右に窺える藁小屋へと戦闘爆撃騎は顔を突っ込ませて停止した。龍の悲し気な嘶きが響き、ミユキは衝突寸前に思わず閉じてい瞼を開く。


「何とか成功だね」


「公式記録に乗れば一躍有名人だろうね」


「三年は大衆酒場(ブロイケラー)で見知らぬ飛行兵が奢ってくれるかと」


 三者三様の意見を他所に、戦闘爆撃騎となった龍は長い首を振り藁を散らせて不満を示す。


 三人は思わず失笑を零す。


 一頻り笑い終えたところで、三人は戦闘爆撃騎を引っ張り出す。山奥ですら泥濘となりつつある春も半ばに在って、戦闘爆撃騎の脚部(そり)は然したる摩擦を受ける事もない。シーゲントという整備兵の判断は正しかった。


 戦闘爆撃騎を引っ張り出し終えたところで、ミユキへとと近付いてきた高齢の狐男が慌てた様子で口を開く。


「ミユキ様! 何故、この様な所にッ!」


 当然であろう疑問をミユキは切って捨てる。


「里帰りだよ!」完全武装で、と付け加えるミユキ。


 些か以上に苦しいが、彼女としては中々な返しができたと確信している。キュルテンとヴィトゲンシュタインが噴き出し、けたけたと笑っている。少なくとも外見上は上品に見えるヴィトゲンシュタインの笑声が酷く一致していない。


「無茶な事を成さる!」


「里の防禦を疎かにした年長者にそんな事を言われたくはないです。それより、おとさんのところに案内して」


 ミユキは首に掛けていた航空散弾銃を構え、損傷がないかを確認する。幸いな事に鞘の付いた銃剣に湾曲はない。航空歩兵が近接戦闘を行うだけの強度は備えていた。


「仕方ありませんな……案内します」


 肩を怒らせて踵を返した高齢の狐男のせを三人は負う。


 珍獣を見るかのような視線がぶつけられる中を三人は進む。


 ライネケで最も大きな屋敷が目前に迫る中、キュルテンがミユキへと耳打ちする。


「やるのかな? 御嬢さん」


 キュルテンの言葉に、ミユキは短く頷く。


 それを見て察したヴィトゲンシュタインは天を仰いだ後、腰の機関拳銃(マシーネンピストーレ)銃把(グリップ)に手を添え、撃鉄を静かに起こした。


 戦闘爆撃騎でライネケ上空を俯瞰した限り、敵の正体は帝国陸軍の大隊規模……後退戦の中で一個中隊を喪っているのか、或いは敗残の中で再編制された集成部隊のかは確認できなかった。キュルテン曰く複数の軍装が入り交じっている事から後者であろうとの助言があった。元殺人鬼とはいえ情報将校であるキュルテンの評価を覆すだけの材料のないミユキはその言葉を信じた。


 戦場で敗残兵を集めた集成部隊は基本的に指揮系統と連携に問題を抱える事になる。


 トウカの言葉通りであれば、一度、強烈な衝撃を加えれば容易に敗走する筈であった。


 内戦時、敗残兵の糾合で苦労したトウカの戦訓からなる言葉は、非常に説得力を伴う。


 絶大な実績か、圧倒的な権威がなければ指揮統率は困難を極める。集成部隊で襲撃を行ったことからその可能性は捨て切れないが、敗走の中での実績など消し飛び、権威を持つリディアもトウカの戦略の前に壊乱した。態々、ライネケという襲撃の難しい村落を敗走の中で襲撃する意図は不明であるが、上空から手際を見た限り有能な指揮官とは言い難い。


 ライネケへと続く細道を攻め寄せるには過大な戦力集中は被害を増すだけであろう事は疑いない。以前の襲撃で傭兵でも成さなかった下手を正規軍が行っている点は首を傾げざるを得ないが、帝国軍の練度の差が激しい事は決戦時に露呈している。


 兵力に任せて攻め寄せているだけなのだ。


 だからこそ押し切られる事は疑いないが、同時に対応が明白である事も疑いない。


「焼き討ちでの遅滞防御もなくて、住民を山に逃がしても居ないんです」


 ミユキはその二つが行われていれば、シラヌイの指揮を認めただろう。


 端的に言うと、ミユキは最終的にライネケを一時放棄すべきだと考えていた。奪還は軍事の専門家……皇州同盟軍に依頼すればいいと考えており、民間人である天狐達に出血を強要すべきではないと確信していた。


 トウカは必須ではない状況で決戦や戦闘を行うべきではないと考える戦略家であり、内戦時の自らの栄達の為、被害を承知で積極的に主導権を獲得する為の軍事行動に出た事を愧じてもいた。


 ミユキもまた必要のない戦闘を行うべきではないと考えている。ましてや民間人を戦闘に立たせるなど恥ずべき事である。可能な限りの兵器と装備を与え、平時より軍事教練を行っていた者達による義勇装甲擲弾兵師団とも根本的に違うのだ。


 シラヌイは以前の襲撃時と同様にライネケやその周辺環境の保全を重視している。ミユキもその重要性は理解するが、現時点でこれを打開する戦力を以前の防衛戦時の様に保有していない。元より三輌の戦車と天狐達を指揮した士官はヴェルテンベルク領邦軍のものであった。


 以前の様に外部からの協力は望めない。


 少なくとも確定していない状況では時間は敵と見るべきである。不確かな情報を根拠とした軍事行動は現に慎むべきであるというトウカの言葉をミユキは信じた。故にライネケは放棄せざるを得ない。


 シラヌイでは、その決断ができない。


 だからこそミユキが決断せねばならない。


 無論、付近の森林を焼き、防衛戦力として機能している天狐族の民兵が離脱する時間を捻出せねばならない。そうした決断を含めてシラヌイはできない。


 高位種の例に漏れず優秀であったとしても、軍事的妥当性を常識や思惑が邪魔するのであれば指揮官に(あた)わず。ただ軍事的妥当性のみを追求してこその指揮官であり、そうではなくとも周囲にそう思わせない様に取り繕う努力をせねばならない。


 シラヌイはそれができていない。


 天狐族の存亡を天秤に掛ける決断ができないのであれば、代わりに族長の娘であるミユキが成すべきなのだ。マイカゼは居らず、幸いな事に幼妹二人はマイカゼの下に居る。選択肢などないのだ。


 だからこそ、ミユキはライネケの天狐族を一人でも生かす決断をせねばならない。


 ミユキは屋敷の敷居の前で幼き殺人鬼と銀髪の飛行兵に向き直る。


 忠誠など求めてはいないが、少なくとも今ばかりは協力して貰わねばならない。


「指揮権を私に」


 短く呟いた一言。


 後の歴史に記される壮麗で華美な流血の時代を決定付けるものとなる一言。意外な事に当人達は緊張と倦怠感以外に何一つ感じていなかった。多くの転換期や決定打とは当人の知らぬ間に訪れ、そして過ぎ去っていくものなのだ。











「戻ってきたと思えば、敗走の最中とは……運がない」


 ナタリアは溜息を一つ。将校としての立ち振る舞いを成す気にすらなれなかった。


「転進です、中佐殿」


 実戦を経験しても尚、杓子定規な部分が是正されなかった少尉の指摘を、ナタリアは一笑に付す。運よく出くわした集成部隊の歩兵大隊長からの御目付け役に、ナタリアは鷹揚に応じた。


「そうね、少尉。ところで転進先は天国かしら?」


「地獄かと。例え生還できたとしても」少尉も苦笑する。


 諧謔に満ちた返答に、ナタリアは言葉に詰まる。


 敗残兵に対する苛烈な対応は帝国に在って恒例のものである。今回は規模が大きく、消耗が激しい為に全員を罰する真似など出来よう筈もないが、余りにも追い詰められた帝国政府が何をしでかすか分からない。


 未だ皇国へ侵攻した軍勢の大部分……下士官や兵士は知り得ないが、帝都が空襲を受けた事で政治闘争が表面化しつつある。帝都空襲すら知り得ない以上、今だ知られるには余裕があるが、政治闘争の最中での帰還ともなれば処遇は想像すらできない。


 政治闘争には思惑と利益が入り交じるの当然だが、私怨と怨恨も入り交じる。効率や理性を根拠とした決断が下されるとは限らないのだ。


 ナタリアが客観的な視点から見れるのは、エカテリーナの影響下にあるからであった。〈南部鎮定軍〉所属という立場も連絡将校やお目付け役という立場からであった為、刑罰の対象とはなり難い。何より帝族の影響下にある者を罰する度胸を持ち合わせる者は少なかった。


 現状のエカテリーナは沈黙を保っている。


 元より皇国侵攻は帝国政府によって発令されたもので、後に帝国陸軍がエカテリーナに助言を求めたという経緯が公式となっている以上、追求する事は困難である。無論、門閥貴族も共和国侵攻が続き、皇国侵攻で後詰めを投入した事から追求できる立場になかった。


 そして、帝国政府の混乱を奇貨として勢力を拡大する労農赤軍。


 各地方の統制力も低下する中、帝国政府が帰還兵への対応をどの様なものとするかは極めて不明確である。


 この集成部隊は混乱の中で糾合されたものに過ぎず、〈グローズヌイ軍集団〉も認識していない事は疑いない。既に隷下部隊である程度の統制を保っている部隊を奇策で撤退させ、司令部と直轄師団も後退に入っていた。皇国軍大型騎による戦域通信妨害の結果、こうした部隊が各地に取り残されていると見られている。結果として敗走して統制が取れなくなった中での戦域規模の通信妨害は各部隊の所在を不明確とさせた。それのみならず健在な部隊や壊滅した部隊の判別すら叶わぬ状況も頻発している。書類上だけとなった部隊も少なくない。


 無数の部隊や将兵が未だ北部に取り残されているのだ。


 そして、それらは存在すら知られず指揮統制からも離れざるを得なかった。


 当然、彼らは独自判断でそれぞれの戦争を開始した。


 無論、大部分の部隊は熾烈な後退戦を演じていたが、中には別の思惑で行動している部隊もある。


 ナタリアが身を寄せた部隊もその一つであった。


 危険を推して輸送騎で皇国へと舞い戻ったかと思えば、到着した飛行場が航空攻撃を受けて離脱。途中で運よく歩兵大隊と合流したかと思えば、彼らは既に帝国という頸木から解き放たれた武装集団だった。


 指揮権では中佐であるナタリアが、歩兵大隊指揮官である少佐よりも優先されるはずであり、小部隊を糾合した部隊であればナタリアが指揮を担うのが通例である。しかし、少佐は拒絶した。


 帝国陸軍少佐……イグナート・アルバトヴァは平民出の叩き上げの野戦将校である。彼自身も手堅い指揮をする人物であるが、その補佐に当たっている輜重将校が帝国の内情の伝えた為に話が拗れる事となった。


 輜重将校は兵站管理という任務の性質上、後方との連携が必要不可欠である。それ故に後方である帝国本土の情勢を断片的ながらも認識していた。憲兵や秘密警察による監視の目はあれども人の口に戸は立てられない。彼の語る帝国の混乱は凡そに於いて正しくもあり、悲観からなる過大と誇張に満ちていた。


 アルバトヴァは、その意見を受けて帝国への帰還を諦めた。


 そして、その現状を余すことなく兵士に伝えたのだ。それでも尚、帝国への帰還を望む者を引き留めず分離させ、指揮に従う者達だけを隷下に独自行動を開始した。


 それがライネケ襲撃である。


 高位種の村落の中でも特殊な地形である為、侵攻を受け難く拠点としやすい地形であり、肥沃な森林に囲まれた土地。


 兵力としては九〇〇名程度の兵力だが、戦闘に於いて消耗すればそれだけ補給……ライネケでの物資補給に余裕が出る。そうした冷徹な打算が窺えたが、ナタリアとしてはそれを否定する意義と意味を見出せずに沈黙するしかなかった。


 帝国は見限られるに値するだけの仕打ちを将兵に強いている。


 ナタリアも一人で投げ出される真似は避けたいと考え、ある程度の負傷兵が出れば、帝国への帰還を意図しながらも離脱していない一個大隊を統率して離脱する心算であった。その一個大隊に関してはナタリアが掌握しており、合流後は一目散に西方より離脱する。それがナタリアの描いた計画であった。


「甘いな。この期に及んで他人の心配なんて……」


「宜しいのでは? 寧ろ、そう考える者が中央には多く必要だったと思います」


 帝国に在って珍しい直截な物言いをする若者に、ナタリアは率直な興味を抱いた。


「少尉、名前は?」


「サナエフ少尉であります」


 泥濘の上で踵を打ち付けて敬礼する姿は士官学校出身の新人士官そのものである。促成教育と繰り上げ卒業によって不完全なままに戦場に送り込まれたと容易に推測できる彼をナタリアは憐れむ真似はしない。ありふれた悲劇に過ぎなかった。最早、その程度で心を動かす程に悲劇は少数ではない。


「君も頃合いを見て離脱するか?」


「お供します。確実に討ち死にする未来よりも、生き残れるかも知れない未来に賭けるべきでしょう」


 若者らしい建設的で困難な正論を口にする姿は眩しいが、それに対して実力が伴わない者の末路をナタリアは良く理解していた。挙句にそうした無数の生命が己の双肩に懸っている状況。


 ナタリアは先祖伝来の曲剣(サーベル)の柄に左手を添える。


 魔導剣であり、あらゆる魔術的な構成を断ち切るとされる一振りである。


 実家から逃げ出す際に拝借した一振りであるが、皇国軍の様に魔術的な防護装備に傾倒した軍に対してであれば十分な威力を発揮する。軍装の防刃術式を容易く切り裂き、兵器に突き立てれば魔術的な刻印を破壊できた。無論、材質が鉄であるという宿命からは逃れられず、鋼鉄の装甲を貫徹できる訳ではない。そして、魔導剣に装甲を貫徹する魔道術式は備わっていなかった。術式を破砕する効果が付与されている以上、相反する魔術による効果を付与できなかった。本来、二対による運用を前提とした一振りなのだ。


 一方で敵の魔術的な術式による防護を貫徹し、一方で魔術的攻撃を以て敵の鋼鉄装甲を破砕する。

 戦車という兵器が登場し、個人がこれに対抗するべく設計開発された魔道剣であるが、鋼鉄の野獣たる戦車に接近する事は容易ではない。随伴歩兵に戦車砲と車載機銃の防護を乗り越えるのは、刀剣を装備した個人には困難とすら言えた。多大な予算を投じ、傭兵達は戦車に対抗する術を求め、そして断念した。


 《ランカスター王国》が傭兵産業に傾倒し始めた時期は、帝国で戦車が本格的に運用され時始めた時期と一致する。彼らは大国の保有する戦車の大群を阻止する事を不可能だと悟り、周辺諸国の軍事力に寄り添う形で存続する道を選んだのだ。戦車に対する有効な攻撃手段を確保するのは採算が合わないと、周辺諸国の軍事力に対抗する事を断念したと言える。


 そうして歴史の闇に葬られた一振りが、今彼女の手中にある。


 近接戦闘で役に立つかと言えば、皇国軍相手では心許ない。


 低位種であっても膂力に優れた種族であれば刀剣の防護など腕力で押し切って斬殺する事も珍しくない。魔術的な付与効果を無効化できても、刀剣自体の鋭利な刃先を無効化できる訳ではなく、武器の優位を無効化した程度では皇国軍兵士相手に優位を確保する事は難しい。


 ましてや銃火器の優位自体も皇国軍にあり、短機関銃の登場は刀剣による近接戦闘の余地を大きく奪った。ミナス平原に於ける決戦時、塹壕戦で数に勝る帝国軍が押し返されたのは、皇州同盟軍の取り回しに優れた短機関銃や高連射率の機関銃は極めて高い費用対効果を発揮した。それらを装備した兵士が数十という兵士を射殺するのだ。機関銃に限っては軽量で銃身交換による冷却性向上もあって単独で大隊規模の歩兵を薙ぎ倒した実績を持つ機関銃小隊も存在した。


 刀剣の活躍する余地などありはしない。


 だが、相手が高位種とはいえ、民間人であったならば帝国軍でも一方的に負ける事はなく、刀剣が活躍する余地もあるかも知れない。


 短機関銃も機関銃も存在せず、人海戦術が機能するならば、少なくとも兵力で負ける事はない。


 その筈であった。


 遥か前方、木々が邪魔して不明確であるが、木々の全高を超える火柱が上がる。


「天狐は魔導資質に優れる様です。その辺りを見誤りましたね」


 帝国軍は高位種という存在を危険視しているが、同時に高位種の中でも戦闘に秀でた虎系種族と狼系種族、龍系種族の三系統種族……俗に言われる戦闘兵種を一段と危険視していた。それ以外は一様に一段下と見ている。


 しかし、魔導資質に優れる狐系種族に臆病な性格の者が多いとは言え、後方勤務では相応の実績を持つ者も皆無ではない。魔導将校として優れた実績を持った者も存在する。


「砲撃魔術の連射ですか……主要な経路は一つ。火力集中は容易ですね」


 民間である以上、砲撃魔術の術式も旧式のものであろうが、その密度は魔導砲兵大隊規模を維持している。民間人が継続的に大隊規模の魔導砲兵火力を維持し続けるの様は恐怖以外の何ものでもない。


「民兵が火力戦をやってのける……我が国の貴族が畏れる訳です」


「我が国の大多数は民兵も同然。寧ろ、正規軍よりも皇国の民兵のほうが優位に立つ事もあるでしょうね」


 現に眼前ではそれを証明している。無論、皇国の人口に於ける高位種の占める割合は一割を更に半分としても満たない。しかし、高位種でなくとも膂力に優れる上、相応の魔導教育と十分な食糧事情からなる肉体を持つというだけでも帝国からすれば脅威である。


 ――国家体制自体が近代戦に対応できていない。


 人海戦術という戦闘教義は、銃火器の発展によって体力や膂力よりも小銃や野戦砲で武装した兵士の数で決まるという点を大前提としているが、それは今次戦役で航空戦力の集中運用の前に瓦解している。挙句に軍事教練を施した義勇兵の活躍は、帝国陸軍によって投じられた兵士と比較しても何ら遜色ないものであった。


 人海戦術による兵力の優位はあったが、皇国軍は……正確には皇州同盟軍の義勇兵は戦争が長引けば長引く程に増大した事は疑いない。本土決戦と愛国心という要素が彼らに何百万という義勇兵を与えかねない。それを圧倒するだけの戦力投射を帝国は行えなかった。兵站線の脆弱さも然ることながら、兵力の過剰集中が航空攻撃の前には脆弱であるという教訓を得たからである。


 帝国は膨大な人的資源を以て他国を圧倒していたが、それは痩せ細った兵士達の消耗を前提としたものである。


 しかし、皇国は帝国の許容し得る消耗を超える消耗を齎す航空攻撃と、強靭な民兵の大規模動員を可能とする片鱗を見せた。


 担架で次々と後送されてくる兵士達は一様に焼け爛れ、四肢を欠損している者も少なくない。それもまた量産された悲劇に過ぎず、ナタリアは眉を顰める事もなかった。


「……助からぬ者に慈悲の一撃を。輸送に耐えぬ者もだ」


「はっ、了解しました。伝えます」


 新人らしい力の入り過ぎた敬礼をした少尉がナタリアの前より離れる。


 帝国軍は全域全体に於いて敗走の最中に在るが、現状を完全に把握する者は両軍に存在しなかった。





 徐々に章が終わりつつありますね。


 実は当初のプロットではこの辺りまでは序章だっんですよ。いや、なんでこんな長編になってしまったのか当初は多くても30万字くらいかな?と思っていたのですが、気が付けばこのような事に。まぁ、反省も後悔もしていないのですが、序章という扱いにしておけばなろう最長の序章という扱いを受けたかもしれませんね。


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