第二四八話 エルライン回廊に於ける空中挺進
「降下! 降下! 降下ッ!」
叫ぶ先任軍曹の声に合わせて、騎上から次々と身を投げ出す降下猟兵達。
高度約三〇〇〇mから装甲籠の後部搬出口より飛び出す真似は莫迦と勇者にしか成し得ないとラムケは確信していた。
空中挺身……空挺の醍醐味は、孤立を前提とした敵中での作戦行動にある。
莫迦と勇者にしか成し得ないのは、その死傷率の高さもあるが、降下時に落下傘が機能せずに墜落死する者が生じる可能性があった為である。降下訓練の際の死亡事故も戦死扱いされることからもそれは分かる。落下傘開発に当たっては鳥系種族が試験を行った為、展開部の不具合で機能しなかった場合、両翼を以て離脱する事が容易であった。しかし、実際に運用するのは歩兵として膂力に優れた者達であり、歩兵としての能力に劣る鳥系種族は使えない。航空歩兵として優先的に配置されるという意味もあった。
本来、空を飛ぶという手段を持たぬ精鋭歩兵が空を降下する以上、常に事故の確率は相応に存在した。四カ月に及ぶ訓練では二〇名以上の降下猟兵が“戦死”している。命を賭した輪盤賭を訓練時から続けたいとは勇猛果敢と知られる鋭兵ですらも思わず、彼らすら転属を躊躇する兵科として皇州同盟軍内で知られつつあった。
降下猟兵が降下する間を縫って、武器弾薬などが梱包された物料箱も落下傘投下される。本来は軽歩兵に近い降下猟兵だが、皇州同盟軍航空隊と陸軍航空隊は、その絶大な航空騎数によって重装備……対戦車小銃や重機関銃まで投下しつつあった。トウカによる最大限の配慮であるが、それでも通常編制の歩兵部隊よりは少ない。無論、二次空挺では迫撃砲や軽野戦砲まで投下する予定であり、弾火薬も多数投下するとされている。しかし、それらは奪還後に防備を固める為の武装と言えた。
ラムケとして、トウカがやれと命令した以上、帝国兵に齧りついてでも成功させる腹心算であったが、現実としての火力不足が裂帛の意思で是正できる訳ではない。数百という騎数の近接航空支援が代わりに存在するが、永続的に周辺地域を制圧し続ける訳ではない。機関砲弾や航空爆弾を消耗すれば帰投する必要があった。無論、休息も必要である。
「サクラギ元帥の間違いを私はぁ、初めて見付けましたよぉ」
ラムケは、肩を大仰に振るわせて従軍神官らしからぬ瞳で先任軍曹を見据える。
気のない返事を返す先任軍曹に対し、ラムケは背負う落下傘を揺らして満面の笑みを浮かべた。トウカに贈呈したものと同様の黒丸遮光眼鏡がなければ、周囲が引き攣る程の眼光を以て告げる。
「空挺戦車です。欲しいぃですよねぇ」欲しいすごくほしぃぃ、と唸るラムケに周囲の降下猟兵達は苦笑するしかない。
空挺戦車。
ザムエルが類似した兵器を提案し、トウカが不要であると却下した兵器である。
小型化と軽量化を実現した戦車。大型落下傘で降下させ、降下猟兵の盾や、躍進時の先鋒を担わせる為の空挺戦車は、降下猟兵達にとって垂涎の的であった。装甲を有した移動する特火点が空挺降下に加わる安心感は絶大なものがある。
ラムケも欲しいと泣き付いた(字面通り)ものの、トウカは「魔導士の魔導障壁と、対戦車小銃に砲撃型魔術で十分」と一刀両断の下に否定した。
小型化と軽量化は戦車の発展に相反する要素で現実的ではなく、その是正は価格の高騰を招く上、最終的には失敗する。小型化と軽量化で真っ先に犠牲になる装甲で、敵の対戦車砲や野戦砲の直撃を阻止できない。小型化の都合上、短砲身も有り得るが、それでは軽砲と魔導士の魔導障壁の組み合わせと変わらなくなる……ありとあらゆる反論を受けて退散したラムケは気落ちしていた。
トウカは色々と口にしたが、最大の理由は新型中戦車の研究開発人員を裂きたくないという事情と、現状のⅥ号中戦車B型の製造工程を混乱させたくはないという事情が主である事を隠さなかった。
ラムケとしては建前ではなく本音で“現状では”難しいと応じたトウカの真摯な姿勢の前に尚も抗弁する往生際の悪さは持たなかった。何より、既に戦時下である以上、一輌でも多くの戦闘車輛を戦地に輸送する必要があると口にされては抗せない。猖獗を極める戦野に必要なのは未完成兵器や勲章ではなく、一つでも多くの兵器と弾火薬なのだ。
「しかし、これだけの近接航空支援ならば、代替手段として十分ではないでしょうか?」
「そぅですねぇ」ラムケは至極あっさりと認めた。
戦術爆撃騎による戦術爆撃を受けたエルライン回廊……マリエンベルク城郭跡地の帝国軍部隊は多大な被害を受けている。装甲籠の窓越しに伺える地上には航空爆弾による絨毯爆撃で大穴が無数と空いていた。高度の問題から人影は窺えないものの、大穴を塹壕として各所で部隊集結を急ぐ降下猟兵の無線通信が通信兵の背負う無線機を経由して伝えられている。
「戦闘爆撃騎と地上襲撃騎は、近傍の敵部隊を空襲している様子です。かなり徹底しているようで、戦闘騎も機銃掃射に加わっているとのこと」
実情として、皇国軍は近接航空支援を徹底せざるを得ない事情があった。
空挺降下任務では、空挺自体の失敗での墜落死や降下時の分散の弊害で各所撃破される可能性が多分に伴う。訓練時に墜落死がある以上、敵の対空戦闘や小銃射撃の格好の的となる中での落下傘降下はそれ以上の死傷率となると想定された。その可能性を低減させる為に過剰なまでの近接航空支援が展開されたのだ。
逃げ惑う兵士に戦闘騎が追い縋ってまで機銃掃射を行う事からも、その徹底ぶりは窺える。
消耗抑制に拘るトウカは、戦死者を低減させる手段に熱心である。
経済対策ですら、その一環に他ならない。
貧困から軍への入隊を志願する経済徴兵という言葉もあるが、実際に軍隊の出身を見た場合、貧困層の割合が極めて少ないのだ。本当に貧困に喘いでいる者達は体力的にも知識的にも……そして何より常識的にも問題がある為、現場部隊では拒まれがちである。問題を起こす兵士の大部分が貧困層出身者であった。それを知るトウカが貧困を減らしつつも、兵士の消耗抑制に熱心なのは当然の事であるが、そうした視点が流布していない事で仁将という評価もあった。
しかし、今作戦では多大な犠牲者が想定されており、それでも尚、トウカの命令で強行されたという経緯がある。侵略者を撃滅すべきであると意気軒昂である事に加え、国境の要塞奪還という国土回復行為の前では否定的な意見は力を失わざるを得ない。異論は出なかった。
トウカの言葉は既に無形の権威を有し始めている。
劣勢を常に挽回し、数に勝る大軍を機動力で撃破する……神懸った軍略を見せ続ける姿に、軍人達はトウカを認めざるを得なくなった。下士官や兵士を中心に信仰に似た感情を抱き、将官達はトウカの軍略を前提とする事に疑問を抱かなくなりつつある。
ミナス平原に誘引しての迎撃が決定した段階で準備が開始されており、事前の航空偵察も盛んにされていた。しかし、降下自体が指揮統制の回復に手間取る戦力投射手段である事に変わりはなく、降下猟兵部隊への命令伝達も直前であった。訓練内容や装備の充足から薄々は察していたであろうが、それでも彼らにとって突然の命令であった事に変わりはない。
錯綜する情報と、複数の作戦計画が同時進行している事から、混乱は各所で見られる。新聞に於ける戦果報告ですら各社で一致しないのだ。
しかし、不満が噴出する事はない。
トウカの実績からなる権威が総てを押さえ付けたのだ。
そうした中でエルライン回廊閉塞作戦……死者の岸作戦は決行された。
死者の世界とも言われる名である事を知る者は少なく、“巫女の予言”に死者の岸にある館で|怒りに燃えて蹲る者(邪龍ニーズホッグ)が死者の血を啜ると記されている事を知る者は更に少ない。
|怒りに燃えて蹲る者(邪龍ニーズホッグ)……“嘲笑する虐殺者”や“恐ろしき咬む者”などの異名を持つ邪龍が血を啜る死者の岸とは皇国北部を指し、その血は帝国軍将兵のものに他ならない。トウカが帝国軍将兵を一人でも多く北の大地の肥やしとしようとしている意気込みが窺えた。
ラムケが気の利いた作戦名を求め、トウカが追加の命令書の裏に嫌々であると分る程に雑な手書きで作戦名とその命名理由を記入してきたという経緯がある為、ラムケは作戦名を酷く気に入っていた。後々の自慢の種になると、生き残ったならば今後数年は、大衆酒場で麦酒を他人の懐を当てにして飲めるとの確信もある。
厳密な計画ではなく、現場裁量に負うところが大きい点も好ましい。歳若いにも関わらず厳密な作戦計画で時間と柔軟性を毀損する危険性を理解している。理解していても厳密な作戦計画に傾倒する参謀気質の将校は少なくなく、トウカの様に参謀としての資質を持ちながら現場の裁量を要所で許容する者はそうはいない。そうした仕組み自体の構築もトウカは余念がない。
無論、その試みはトウカの命令した作戦の成否で評価が変わる事になる。
だからこそ失敗はできない。
しかし、臆する必要はない。
「さぁさぁ、命の捨て時ですよぉ皆さぁん!」
あの将兵の生存を重視する軍神が、死傷率が高いとされ、敵中で孤立する可能性も高い戦力投射を強行するのだ。ノナカにはそれだけで命を懸ける価値があった。
装具を点検し、ラムケは腹部に押し付ける様に固定した短機関銃の安全装置を確認する。
トウカはラムケを指揮官として選択した。
ならば往時の通りに振る舞うのみである。トウカは隷下の将兵に必死を求めない。ラムケが己の職責を普段どおりに全うするだけで彼の望むナニカは手に入るのだ。
ラムケは背負う落下傘の重みを振り切るように駆け出すと、輸送機から蒼空へと身を投げ出した。
「本当にラムケ大佐で宜しかったのでしょうか?」
リシアの問いをトウカは鼻で笑う。
敵中に孤立する事を前提とした戦力投射と言える空中挺進……空挺作戦は、士気に影響されやすい部分がある。精鋭意識と厳格な訓練による自負心のどちらもが短期間で用意できない以上、兵士や下士官に評価される野戦指揮官を充てて対応するしかなかった。ラムケはベルゲン強襲で滑空機による降下経験があるので先駆者と言えなくもない。元より短期間で空挺降下を行える様にする為にこそラムケは降下猟兵大隊の指揮官に据えられていたのだ。
「軍人としての適性が社会人としての適性と重複しないなど良くある事だ。御行儀のよい優秀者だけでは軍隊を編制できない。粗忽者に頑固者、無頼漢に偏執狂……実に多くの人材が必要になる。短所の一つや二つには目を瞑れ。長所を生かして人的資源を最大化する努力をせねば軍拡は叶わない」
トウカは、師団編制に係る書類に署名しつつも、リシアの疑念に答える。
葉巻を咥える暇もない程に書類が積み上げられる様を一瞥し、トウカは眉を顰めた。本来、煩雑にして重複しがちな書類による認可を避ける為、参謀本部の層は厚く、事務担当者やそれを監視するた為の憲兵や情報部要員……皇国陸海軍の兵力規模と比して十分の程度に過ぎない皇州同盟軍であるが、参謀本部の規模としては優越している。無論、そこには水上部隊を戦闘序列に含んでいる事や政治部門が存在するという理由もあるが、最大の特徴は認可速度を重視している点である。
元が北部の各貴族の領邦軍出身者で占められている都合上、皇州同盟軍の将兵はその編制上、煩雑な部分を抱えている。軍装も未だ統一されておらず、練度や連携は目を覆わんばかりであった。
しかし、最大の問題は各領邦軍に於ける書類や申請方法の差異による混乱であった。小銃弾の補給申請一つ取っても千差万別であり、混乱を極める状況である以上、参謀本部や総司令部の指揮統率もまた複雑怪奇なものとなった。最悪の場合、戦闘教義すら違う部隊が混在する場合もあり、それらを補う都合上、参謀本部は各領邦軍の司令部出身者を要員として迎え入れる事で大型化せざるを得なかった。
だが、意思決定の速度……機略戦に於いても優位を確保する事を目的として、最終認可者を各要項で下げ、トウカ自身へ届く書類もまた最低限とした。それでも多大な書類が付き纏う事は避けられない。
軍編制に基づくものであれば猶更で、装備統一や更新、増強の為の承認書類ともなれば目を通さない訳にはいかない。トウカの望む近代軍の姿を知る者が居ない以上、やむを得ない事であった。気が付けば、軍編制に皇州同盟傘下の軍需企業による介入すら起きている。そうした意味では皇州同盟軍の軍編制は実に政治を伴うと言えた。
「これを見ろ。砲兵師団の編制を望む要請書だ。胡散臭い。砲兵参謀のクルツバッハ少将からだ。タンネンベルク社に抱き込まれたのではなかろうな?」
「調べますか?」リシアが姿勢を正す。
トウカは「捨て置け」と吐き捨てる。権力に群がるのは商人の性である。承認者であるトウカが抱き込まれさえしなければ、軍編制が変更される事はない以上、目くじらを立てる立てる必要などなかった。
当然、軍事行動に影響が出たならば苛烈に罰する必要が生じるが、将官が軍需企業と伝手を持つのは選択肢の幅が広がる部分もある。少なくとも新型野戦砲設計に於いてタンネンベルク社が議長決裁を握るのは好ましくない。実戦部隊の意見を聞かず、直ぐに腔発する野戦砲を製造する野戦砲を採用せざるを得ない状況になる事を避ける事にも役立つ。昵懇の砲兵参謀の意見に耳を貸す程度の鷹揚さは商人であるならば持って然るべきなのだ。
トウカは、ベルゲン市庁舎の最上階から窺える光景を見下ろす。
実際、その光景は投影魔術によるものでしかなく、執務室は地下倉庫が改装して使用している。当初は鼠が徘徊していたものの、獣系種族の衛兵が出現する度に捕まえていくので今では鼠も近寄らない。
雪が解け消え、街路に窺える朝市の光景を一瞥したトウカは、ベルゲン市民の強情さに皇国臣民の気質を見た気がした。
北部臣民だけが強情な訳ではなく、ベルゲンでも市民は郷土放棄に抵抗した。
ミナス平原決戦に於いて敗北した場合、戦火に晒されると知って尚、留まる事を選択した彼らの扱いは陸軍が神経を尖らせていた。
籠城戦ともなれば非戦闘員の扱いは困難を極める。糧秣の消耗は増大し、城塞都市という密集空間故に人口も密集せざるを得ず、長期化した場合は疫病発生も懸念された。トウカは魔術的な殺菌を国民単位で行える国家に疫病があるのかと驚いたが、魔力を防衛戦に投じる以上、殺菌などの魔術を行えない者も少なくないとの説明を受けて驚いたものである。魔力という資源も抗戦に一切合切投じられるのだ。加えて疲労による抵抗力の低下も疫病を拡大させる要因となった。
郷土愛の強い皇国臣民をトウカは高く評価していたが、それが常に軍事行動を助くものではないとも理解している。
愛国心は殊更に表現するものではない。行動で示すものに他ならない。
平時は目上に敬意を持ち、目下を教え導き、浅薄な振る舞いを避け、己に課された義務と職責を果たす。そして、有事の際は祖国の為に指導者に協力する。その辺りまでがトウカの認識する愛国心である。
それ以外の範疇までをも愛国心に加えたた場合、統制が利かなくなると知るからである。愛国心を錦の御旗に国内の歴史や伝統、経済や産業を相手に焼き畑農業の如き振る舞いをやらかして利益や満足感を得ようとする国民が必ず存在するのだ。無能の善意が高じて愛国心を趣味にされると、国益を蚕食しかねない。個人の主観による善意や愛国心が国益に繋がる保証などありはしないのだ。
そうした範疇で考えた場合、ベルゲン市民の義勇兵への志願は許せるが、然したる展望がないにもかかわらず居残る連中は邪魔でしかない。郷土で死ぬという主張は武士道から見れば真天晴と言うべきものであるが、近代軍事戦略の視点からすれば邪魔以外の何ものでもない。
――まぁ、皇州同盟軍が早々に撤退する心算だったが。
ミナス平原決戦に敗北するという可能性も皆無ではなかった。
後背への襲撃行動やベルゲンへの突入が成されれば戦線が総崩れとなる可能性もあった。否、厳密に言えば、ベルゲンへの突入に帝国軍が固執せず、戦線全体を押し込む事を前提として攻め寄せた場合、各戦線が突破は避けられなかった。戦力比を踏まえれば各戦線で押し込まれる事は疑いなく、混戦の持ち込まれた場合は近接航空支援も望めない。
短期決戦を強要させたのは、そうした側面もあったのだ。
輜重の問題、軍神と大御巫の存在がベルゲンへの短兵急な誘引を帝国軍に強いた。無論、想定以上の短兵急を以て攻め寄せたリディアは、トウカの思惑を察していたのは間違いない。それでも、選択肢がないならばと、皇国軍の準備期間すら与えないという決断を下した。
帝国軍だけでなく、皇国軍もまた決戦を敵に強いられたのだ。
「誰も彼もが浮かれているな……」
皇国軍は勝利を掴みつつある。
門閥貴族による烏合の衆は、航空攻撃による初撃で壊乱状態に陥った。逆に野放図な壊乱で全く統制がとれていない為に際限なく分散。後の航空攻撃が索敵攻撃に近くなり効率性を欠いた。
「しかし、ドラッヘンフェルス高地ではしてやられました」
「言うな」
犯されたいのか?と問えば、喜んで、と返されそうなので口にはしないが、少なくともそうした暴言が口を衝いて出そうになる程度には不機嫌であった。陸軍参謀本部からの出向組の「当代無双の軍神殿でも失敗なさるので安心いたしました」という皮肉に「内戦の際は失敗しなかったのですが残念です」と応じる程度には冷静さを失っている。
ユーリネンには、トウカとしても賞賛を送らざるを得ない。帝国陸軍は、トウカの軍略を退け、敗走する友軍残存部隊を良く収容した功を以て野戦昇進、ユーリネンは帝国陸軍大将となった。〈グローズヌイ軍集団〉の編制に伴い野戦昇進している為、短期間で二階級昇進している。
元は辺境貴族であり辺境軍に属するユーリネンの厚遇には明らかに政治的意図がある。敗者に冷淡な帝国が敗走の中で英雄を祭り上げて敗北の印象を薄めようと試みていると皇国陸軍参謀本部は見ているが、トウカは〈グローズヌイ軍集団〉の色感であるという時点で相当に複合的理由があるだろうと見ていた。
トウカは投影された陽光を見上げる。
哨戒騎や訓練飛行を続ける戦闘爆撃騎の姿はベルゲンの日常に溶け込んでいる。龍の嘶きを耳にしても見上げる者が現れない程度には航空戦力も市民権を得ていた。
義勇装甲擲弾兵師団の解散を認可する書類に署名したトウカは溜息を一つ。
「完勝とは言い難いな」
物憂げな表情で弛緩するトウカ。葉巻を求めて執務机の上を手が彷徨うが、リシアがしれっと葉巻の携帯箱を遠ざけた仕草が視界の端に窺えた。情報参謀の職分に総司令官の健康管理が含まれていた記憶はないものの、リシアがトウカの体内の除倦覺醒劑を取り除く為に連れてきた天使系種族軍医に喫煙で叱責を受けた事もある為、渋々と手を退ける。
皇国では飲酒に年齢制限はないが、喫煙は二十歳未満禁止となっている。一年が一三カ月である為、トウカは大日連以上に年齢が低くなっていおり、余計に喫煙が難しかった。
皇都に訪れた際、アーダルベルトに手渡された葉巻は南洋州産の最上級品であり、マリアベルの葉巻よりも数段と上質なものである。迂遠に肺を毒されて寿命が縮めばいいと言われている気がしたトウカであるが、アーダルベルトにマリアベルのお気に入りだと数段劣る葉巻を箱ごと押し付け返したので互角である。紫煙が神龍の肺に被害を与え得るかは怪しいが。
マリアベルの好んだ紫煙は彼女を思い出す為に幸いであった。
しかし、リシアは喫煙自体を認めない。
代わりとばかりに妙に濃く紅茶を淹れ始めたリシアを尻目に、トウカは固くなった身体を解す。階級が上がれば執務ばかりとなるのは軍隊という組織でも例外足り得ない。
だが、軍刀よりも筆が遥かに強いのは自明の理である。
筆は剣より強し。
前線で振るわれる一振りよりも、一軍の攻勢を許可する書類に署名する一本の筆の打撃力が遥かに優れるのは歴史の事実である。
時折、知能に深刻な問題を抱える記者の口にする圧制者の剣より、真実と暴虐を暴く筆の方が優れるなどという言葉の根拠として上がる“筆は剣より強し”という言葉。実際は剣による戦闘より、筆が遥かに大きい戦力を運用できて敵に打撃を与え得るという意味に過ぎない。
無論、記者達が筆を手に立ち向かってくるならば、トウカも自らの筆で憲兵隊や情報部の弾圧対象・監視対象を追加する書類に署名する事を躊躇しない。どちらの筆が優越するかと争うならば望むところですらあった。
トウカは書類作業の手を止めて筆を置く。
「エルライン回廊の空挺降下の報告は未だに上がらないか」
「帰還した航空部隊から疲労の少ない騎体を以て第二次攻撃隊を編制。再度の航空攻撃を準備しているとの事です」
明らかに碗底の窺えない紅茶をリシアから受け取り、報告も受け取る。
門閥貴族を相手にした航空戦や各地で掃討戦が行われている都合上、通信状況は大きく悪化しており、速度に優れる偵察騎による伝令が活発化していた。その為、情報伝達の速度や即応性は大きく低下しており、後方では情報取得が遅れた。
妙に熱く、そして濃い紅茶をずるずると啜るトウカ。目が覚める。嗜好品を台無しにしてくる点が実にマリアベルを思わせる。歳を重ねれば更に近しい容姿を獲得すると思える事を踏まえれば、仕草まで近しくなるならば遠ざけなばならないと、トウカは覚醒する意識の中で思う。
部屋の端に設置された印刷機が報告書を印刷している事に気付いたリシアの後ろ姿は、在りし日の廃嫡の龍姫の如き既視感を伴う。
「偶然か? 偶然なのか? まさかな……」
リシアとマリアベルの関係を探る者は少なくない。旧皇族の血縁であると考える者も居れば、マリアベルの隠し子と考える者も居る。しかし、マリアベルが自身以外の男とそうした関係になった事がない事をトウカは良く理解している。危険性のある野戦将校……内戦中は幾度も視線を潜ったリシア。そうした立場にリシアを置き続ける事に口を挟まなかったマリアベルが殊更に特別視しているとは思えない。
報告書を手にしたリシアがトウカに近付く。
トウカは普段通りの表情を崩さず、報告書を受け取る。
「エルライン回廊の物資集積所として利用されていた飛行場を降下猟兵大隊が奪還。鹵獲した物資を以てマリエンベルク城郭跡地付近に展開する敵部隊への攻撃を開始……」
待望したエルライン回廊に対する空挺降下作戦の推移を報告する書類。
トウカは、その内容に眉を顰めた。
「ですが、敵は二個師団との事です。不利である中、強襲を継続するとは……ラムケ少将は、その果敢に過ぎるのでは?」
「人選を間違ったと直截に言え。迂遠なのは好かん」
マリアベルがリシアの立場であれば、「おお、間違いよったな」か「どうじゃ? 妾に泣き付いてみるかえ?」とでも零しただろうことは疑いない。出来た部下を演じて迂遠に非難したリシアに、トウカは何処かで安心する。リシアはマリアベルではない。
「間違ってはいない。戦場で足踏みするような指揮官は空挺に向かない。早朝の空挺。混乱する敵の指揮系統に立て直す暇を与えず襲撃行動。全く持って正しい」
劣勢であろうが優勢であろうが、空挺降下による奇襲効果を最大限に生かすには、奇襲的な運用で敵部隊の中隊以上の司令部を手当たり次第に撃破して混乱を助長させるしかない。特に劣勢の場合は、相手に指揮系統回復の機会を与えると兵力差を利用して包囲される危険性がある為、選択肢などなかった。
「本人が意図しているかは知らないが、猛烈果敢であるのは悪い事ではない。空挺作戦ならば猶更だ」
敵中深くで消極的な軍事行動を行えば確実に全滅する。無論、歴史上の空挺作戦では積極的な行動の結果、早々に戦力を消耗させて全滅した例もあった。結局、空挺部隊は作戦の成功か全滅かという二者択一を迫られる可能性が高い兵科と言える。敵部隊が周辺に展開し、地理に明るくない中で撤退する事が困難である以上、離脱は選択肢にない。
そうした経緯もあって、ラムケが空挺部隊指揮官として選出された。次点でエップ中将という選択肢も在り得たが、彼はどちらかと言えば政務寄りの将官……政将である。
「どちらにせよ飛行場は確保できた。大型騎を着陸させて陸軍の歩兵師団を送り込めるだろう。クルワッハ公もいる。挙句に敵の弾火薬も確保できた」
狂おしい数……五〇〇騎を超える大型騎の往還輸送による空輸など、トウカの軍事常識にはあるはずのないものであった。
嘗ての大日連は、五〇〇を超える大型機を運用維持するだけの財力がなかった。航空母艦を含めた連合艦隊と、大陸間弾道弾を搭載した潜水巡洋艦隊という負担に加え、戦略爆撃航空団を複数運用するだけの軍事費を用意するには先の大戦の後遺症は余りにも大きかったのだ。陸上攻撃機を改造した哨戒機などに増槽を装備して広域哨戒を行っていた事からもそれは察せる。
――燃料不要の生体兵器か……想像以上に有益だな。
軍狼兵と装虎兵の消耗補填に裂かれる陸軍予算編制に顔を引き攣らせた事もあるトウカであるが、航空騎の場合は、維持費も燃料費も削減できる上に、龍種を利用した場合、運用時のみ転化させれば容積を最大限に抑えられる。
一隻の航空母艦が戦域を支える規模の搭載騎数を実現できるという事になる。否、合成風力を発生させる魔術を踏まえれば、駆逐艦程度の船体規模の小型空母の運用も在り得た。
トウカは、その真実に戦慄する。
戦略原子力空母を基幹戦力とする空母機動部隊が大日連の軍事的影響力の尖兵を担った。
大日連海軍、空母機動部隊の効果は絶大で、派遣されるだけで小国は軍事衝突を控え、政治的妥協を自ら申し出た。
それ以上の航空戦力を搭載できる航空母艦があれば、更なる圧力を行えるだろう。海域と沿岸部で継続的に航空優勢を確保し続けるだけでなく、強襲上陸時の近接航空支援や対潜哨戒などを同時に行使できる機数を搭載できる航空母艦というのは、狂乱を招く程の威圧となるだろう。
――まぁ、騎数が増えても発艦に時間を要するのでは意味がないか。
大型空母一隻よりも中型空母二隻という戦略的にも柔軟性のある形とする辺りが妥当である。その所感とは反対に、フェルゼンで建造されているのは大型航空母艦であったが、それは巡洋戦艦の船体設計を流用するという目的もあった。無論、最大の理由は〈翔鶴〉型程度の船体では大星洋の荒波では悪影響が大きい為、巡洋戦艦の船体を利用するという提案をトウカは行いナカノが同意した。
第二次世界大戦以前……《大日本帝国》時代にも八八艦隊計画の主力艦……戦艦や巡洋戦艦を航空母艦に改装する計画はあったが、最終的には補助計画で大型空母や装甲空母を含めた各種航空母艦を増強する道を選んだ。しかし、全幅が抑えられた事によって揺動の激しい〈翔鶴〉型の失敗を経験して以降は、外洋の悪天候を意識して大型艦となる傾向にあった。沖縄近海に於ける海空戦では米海軍の護衛空母が台風で中破した例もある通り、日本近海の荒波は艦艇にとっての試練である。桜守姫大将の〈第一遊撃艦隊〉が、台風の最中に米海軍主力を奇襲した事もあるが、その際も戦闘序列が乱れて行方不明艦が続発した。
困難な任務。
それを妨げたのは練度であった。行方不明となった三隻の駆逐艦は旧式艦であり、多数の新兵の寄せ集めによって運用されていた。加えて以前の所属は、海上警備や哨戒が主任務の海上護衛総隊。悪天候で行方不明となるのは当然と言えた。
――結局、幾ら優れた兵器があれども、将兵の能力が追い付かない、か。
挙句に教育機関や育成方法まで未完成であり、その内容も策定されていない。参謀本部や教育総監曰く「あと五年は欲しい。欲を言えば十年」との事であり、こればかりはトウカも強くは言えなかった。大系化された戦闘教義や訓令の策定はトウカも手伝っているが、魔導技術が加わる事で増した汎用性や生体兵器の差異が単純な転用を妨げている。変更と追加の部分は多く、その上、戦時下であるが故に研究対象である戦闘詳報や戦歴が次々と追加されて右往左往している部分もあった。陸海軍の教育部も加わって喧喧囂囂の議論が繰り広げられているが、度重なる教育資料や教材の変更に士官学校や軍大学の混乱は著しいものがある。
優秀な野戦将校や下士官に支えられた柔軟性と本土決戦であるという危機感からなる旺盛な士気。その二つが泥濘の中での運動戦や、混迷の航空戦を支えたのだ。
だからこそ意欲的なものは昇進する。
そして、階級に実力が伴わなければ戦死する。
良き大尉が良き少佐に、良き大佐が良き准将になるとは限らない。能力と人格からなる限界の壁が常に何処かに存在する。その壁を押し上げる(決して無くなることはない)為に軍大学があるものの、それが数値化も可視化もし難い以上、適材適所の判別は偶然に負うところが大きい。
ラムケもその一人であったが、積極性を必要とする戦況に対しての苛烈さだけは証明されている。神官がベルゲン強襲に喜び勇んで参陣するという事実。
意欲と士気に支えられた積極的な戦闘指揮と、実績と人柄からなる兵士からの信頼。従軍神官であり、日頃の苛烈な言動もまた戦場では彼を魅力的に見せるだろう。
結果が伴うか否かは、帝国軍の展開戦力によるところが大きいが、少なくとも彼は積極的な指揮統率を成すことだけは疑いない。
「馬鹿らしい事だな? 結局のところ最後は将兵の士気に頼らねばならない」
次々と流れる散漫な思考が行きつく先は変わらない。
トウカは熱く渋い紅茶を啜る。唇への熱を上回る羞恥心が今の彼にはあった。
準備不足でありながら、死ねと言わんばかりの作戦を押し込んだのだ。
確かに閉塞作戦としての思惑があるが、政治的に見た場合、トウカの主導でエルライン回廊を奪還したという事実が必要だったという経緯がある。
戦後復興を考えた場合、可及的速やかに北部に人材と資材、何よりも資金を投入せねばならないが、その為には安全確保が必須である。特に過敏な反応をしがちな株価への対策として、話題性の伴う安全宣言が必要なのだ。
その話題としてエルライン回廊の奪還と閉塞……新たな増援の阻止と国境封鎖は最適のものであった。実情として熾烈な残敵掃討が半年は続くと想定されている。その名目があるが故に陸軍は帝国侵攻への有無に関わらず戦後の軍備拡充を可能とした。
トウカの思惑は瓦解しつつある。
アーダルベルトは陸上戦力の投入には消極的であり、泥沼化して兵力を消耗する事を恐れているが、積極的な航空支援に関しては確約している。陸軍は若干の陸上戦力と航空戦力のみを投入する可能性が高い。皇州同盟軍情報部が統制下に置いた新聞社を利用して報復と復讐を叫んでいるが、他地方での情報統制に関しては政府や中央貴族が既存の伝手を以て大きく優位に立っている。
皇州同盟軍という急造組織の不利が露呈し始めたのだ。
地方軍閥が情報戦で他地方を相手に優位を確保できる筈もない。近代国家に於いて一方のみが情報を恣にできるなどという幸運があるはずもなかった。海千山千の長命種貴族は情報優越の意味をよく理解しており、実に多彩な検閲手段と拡散手段を披露して見せた。
多額の資金を投じても手段の構築に於いて酷く後手に回っている以上、短期間での挽回は難しく、世論形成の自由はトウカの手元に転がり落ちない。その動きは一瞬で、帝国侵攻論は一瞬で極少数派に追い遣られた。皇都では再び右翼団体が他団体と衝突している。左翼の政策が帝国軍の侵攻助長を招いたと左派的な組織は壊滅状態にあるが、左派系の政治家は右派以外の中道寄りの政策を持つ組織と連携しつつあった。
戦後復興だけでなく、国内世論の面でも皇州同盟は帝国侵攻を妥協せざるを得なくなりつつある。
しかし、トウカにも簡単には引き下がれない事情がある。
流布する情報からは、小規模な出兵に留めるべきという迂遠な妥協をトウカに迫っている事が窺える。一定の配慮をしている様に見えるが、実際は違う事をトウカは察していた。
――妥協を以て俺の限界を臣民に認知させる心算だろうな。
気炎を吐く北部臣民からのトウカに対する求心力を削ぎ、他地方の臣民には政府や中央貴族の権勢が健在である事を示す。軍事力を行使せずに対等を演出しようという政治的蠢動なのだ。帝国軍の敗北が決定的となり、費用対効果に優れる手段で権勢を取り戻そうとしているが、七武五公が関与していないにも関わらず優位は揺るがなかった。
軍事的視野と政治的視野が両立する稀有な例と言える。
一方に見るべき点が少ないからと、もう一方も見るべき点が少ないとは限らない。
特に皇国は権威主義国であり、宮廷政治の側面も有している。踏んだ修羅場の数では老練と称しても差し支えない経験を持つ貴族が複数いても不思議ではない。名君が綺羅星の如く連星を形成する歴代天帝の御代であれども、政治的危機が皆無という訳ではない。寧ろ、名君として名高い天帝の御代であればある程に政治的視野を持つ貴族は多いと予測できる。名君とは危機を華麗に乗り越えた主君にこそ与えられる称号なのだ。
事ここに及んでは、トウカも認めねばならない。
航空優勢の原則が未発見であったという優位までが、自身に与えられた優位なのだと。
政府や中央貴族の政治力と政治的紐帯は内政を行うに相応しい能力を備えていた。トウカの要人暗殺と謀略を受けて尚、紐帯を維持し続ける以上、トウカは彼らが優れた愛国者であると認めねばならない。無論、その受動的な国家繁栄の手段を彼は認める心算はなかった。僅かな国力増大や維持だけではこれからの戦乱の時代に国家を存続させられない。
本土防衛を用意と成さしめる防御縦深である国土の拡大、軍事的影響力を背景とした経済圏の拡大……身代を大きくする必要がある。
「銃後の敵は想像していた以上に強大だな……」
一瞬だった。
皇都擾乱から然程時間が経過していない点を見るに、事前協議による連携があったとも思えない。互いが互いの思惑に乗る形で情報戦を展開して多数派へと成り変わった。結局のところ、危機感はあれどもベルゲンを攻略できず中央へと雪崩れ込まなかった帝国軍に対する復讐心など然したるものではないのだ。
トウカは気付かなかった。否、軽視していたと言える。
皇国は、統治形態を見れば近代国家などではないのだ。
各貴族領が半ば独立国に近い形で存在する為、国家という共同体に対する意識が希薄なのだ。国家の存続に対する危機感が相対的に低下し、経済や政治だけでなく、思想や世論まで各貴族領で半独立した形となっている。外部からの影響を受け難い形となっているのだ。
民間魔導通信による主張よりも現地貴族の言葉が優先され易い村社会を相手に短期的な世論形成自体がそもそも無謀であったのだと、トウカは遅まきながらに理解する。遠方の国家の危機を叫ぶ声よりも、現地貴族と異なる意見を口にし難い漠然とした村社会の中で、国難を叫んで戦争を叫ぶ者は少ないだろう。国内統治が統一された国家であっても大多数の民間人は、己の不利益があるならば主張を声高に叫ぶ真似はしない。己自身の生命と財産の担保が在って彼らは初めて己の頭で主張を選択できるようになるのだ。
――教育総監の十年……待ってやるのも良いかも知れんな。
北部貴族は政治的に高度な紐帯を見せつつある。ヴェルテンベルク領の経済力に群がる形であったとしても、制度的な統一に成功すればあらゆる要素が拡充される。複数の領地を跨ぐ経路の短期間での完成は産業を促進し、教育制度の統一は人的資源を最大効率で運用できる。税制の統一は無駄を省いて予算を低減し、税金投入という再分配能力を向上させる。
十年もあれば北部地域は大きな繁栄を得られるだろう。
輸出の面で神州国と重複する部分が生じるならば、交戦する可能性もあるので海洋戦力を拡充する必要もあるが、この世界に於ける艦艇建造費用は押し並べてトウカの元居た世界より低い。戦艦などの建造費用は雑に見積もっても半分程度である。膂力に優れた種族による工員や魔術的な溶接……錬金術だけでも大幅な工数削減による建造期間縮小に寄与するが、鉄鋼生産工程が魔術によって安価になっている事も大きい。
最も、その点こそが内戦を激化させたとも言える。
内戦では北部地域が工業力と人口の制約から生産能力に限界はあれども、資源供給能力は不足しなかった点を証明した。各種資源が豊富な土地が国家に牙を向き、異様な程の兵器生産を行って抵抗する。統治機構にとって恐怖以外の何ものでもない。
溜息を吐くトウカ。
その北部は未だに闘争を諦めていない。自身が扇動したのだから当然である。
忽ちに鎮火した他地方の出兵論に対し、北部地域の出兵論は旺盛に燃え盛っている。反対すればトウカの権勢は大いに削がれる事は疑いない。軍事的勝利によって生じた権勢である以上、勝利を求める為の軍事行動を否定すれば、トウカの軍事的資質……権威に疑念を抱きかねない。
負ければ総てを失う。
しかし、戦わねば損なわれた権威で戦乱の時代に挑む事になる。
「選択肢などありはしないのだ、か」
フェルゼンの大衆酒場で吹聴した言葉は事実となった。
リシアが僅かな逡巡を見せる。
「閣下は帝国へ攻め入られるのですか?」リシアが緊張した面持ちで尋ねる。
「……聞いて来いと他の参謀連中に泣き付かれたか?」トウカは心底と嫌な顔をする。
そして互いに苦笑。
隷下の将校まで不安にさせている事実をトウカは愧じるが、未だ時間はあると出兵論の結末を差し置いた。
後に帝国出兵は誰しもが予想しない形で霧散する事になるが、現時点でそれを知る者は居ない。
どんどん話がずれていく病に掛かっておりますな。




