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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》

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第二一七話    其々にとっての侍 後篇


 (さむらい)か、武士(さむらい)か、(さむらい)か?


 大凡の結論としてサムライが基地外であることは疑いない。斯くあるべきなのだ。


 サムライよ、護るべき者の為に卑劣であれ。





「さて、どうしたものか?」トウカは思案の表情を浮かべる。


 帝国による中原諸国への侵攻は、明日の朝には主要国の首脳の全てが知ることになるだろう。


速戦即決を以て攻め入り、市街戦による抵抗の時間を与えないという名目もあるが、共和国と皇国の付け入る隙が生じる事を懸念するに違いなかった。両国共に帝国による大攻勢に晒されており、中原諸国に対する増援を抽出できる用地がない。共和国などに関しては連合王国と挟撃されてすらいる。友好関係にある王権同盟に派兵を求めるであろうが、王権同盟も連合王国とは国境を面していた。大規模な増援は容易ではない。


 ――領有宣言をしてくれたならば早いが……


 するだろうかと、トウカは思案する。


「領有宣言が帝国より成された場合、皇州同盟はその宣言に同意する」


 恐らくはしないだろう、とトウカは見ていた。エカテリーナであれば曖昧な儘に事を進めて収奪の時間を捻出する筈である。


 ――いや、敢えて領有宣言をする可能性もあるな。そもそも、領土にがめつい帝国主義者が領有宣言を堪えられるとも考え難い。


 帝国の前線付近にさぞかし空襲する価値のある一大策源地が生まれるのだ。皇国軍の航空戦力を誘因する事を目的としているという可能性もある。焼け跡からでも利益回収は叶うと割り切りを見せるだけの女性が帝国で主導権を握っているのであればだが。


「帝国の侵攻を肯定なさるのですか?」飲水(チェイサー)を飲み干したアルバーエルの一言。


 参謀将校としての表情に忌避感はない。非道と謗られることによる組織運営上の不利益を勘案している事は疑いない。知性は常に彼らに残酷な正解を齎した。


「ああ、無論だとも。帝国領土となれば対処は容易だ。一大策源地とは言え、敵国領土だからな。戦闘爆撃航空団を用意しておけ。野焼の時間だ」


 トウカは、大樹より切り出された仕切り机(カウンター)の天板……飲水(チェイサー)によって生じた輪染みを撫でる。


 水滴によって生じた輪染みは広く一方向へと伸ばされる。


 この様に、箒で掃くかの様に中原諸国を焼き払うのが好ましい。その様は正に野焼であろう。


 野焼とは日本の風習である。


 春先の新芽が出ない時期を見計らい野山の枯草や古木を焼く事で草原が森林へと変化する事を阻止する意味を持つ。無論、草木を焼き払う事で新たな草の肥料としたり、寄生虫や害虫を焼却する効果も持つ。


 新たなナニカの為の肥料となるとは思えないが、トウカとしては難民の可能性を考慮して断じて焼かねばならないと考えていた。無秩序に侵食する難民は寄生虫や害虫に等しい。国民の税金と生命、食糧を食い荒らす無産階級に他ならないのだ。国力に転換するには相応の時間と労力、予算を要する。今の皇国には全てが不足している為に不可能と言えた。


 難民が押し寄せるという恐怖も捨て置けない。大規模避難が続く北部は空き家が多く、それ等を不法占拠されては堪らないし、何より難民を追撃して帝国軍が中原諸国側から皇国本土に侵入すれば双方の戦力逐次投入による戦線の拡大も有り得た。


「中原諸国付近は北部だが、現時点での帝国による侵攻は想定されていなかった。難民が流入してみろ。大惨事だぞ」


「焼くのが手っ取り早い。そうすれば皇国に逃げ込もうとする者は殆ど居なくなる筈だ」


 自らを火葬しようとする姿勢を隠さない国家に慈悲を求める無謀ができる者は多くない。大部分の難民が共和国側へと逃れると推測できる。


 難民という不確定要素は、知性の総算たる参謀本部や国家理性とは対極に位置する本能の体現に等しい。不確定要素が過ぎて扱いに困るのだ。国内に入れて扱いから批難を受けるのであれば、国内に入れない様に焼き払い、追い散らす方が被害は少ない。


 随分と非道ですな、と呆れ返るアルバーエル。


「しかし、正しいかと。我らに難民を受け入れる余裕はなく、北部臣民の避難で精一杯です。それに、彼らを保護して北部臣民がどの様に考えるかという問題もあるでしょう」


 北部臣民の感情という問題もあったと、トウカはその言葉に「そういうものか」と独語する。


 双方を同等の避難民として扱い、物資や家屋を提供した場合、他国民と自身が同等に扱われていると北部臣民から不満が生じるに違いない。国家にとり最優先させるべきは自国であり他国ではない。優先順位は評価にも繋がるが不満も繋がる要素である。よって、明確でなければならない。


「閣下その辺りを考えませんでしたな? 実に良い事です」実に嬉し気なアルバーエル。


「???」トウカは首を傾げた。


 言葉の上では批難や諫言と取れるアルバーエルの言葉であるが、当人は相互を崩して愉快だと言わんばかりに笑声を零している。


 トウカの表情に「分かりませんかな?」とアルバーエルは呟く。


「不特定多数の感情に神経を尖らせておられた元帥閣下が構いなしと思われたのです。それは、元帥閣下が自らの威光を以て押さえ付け得ると感じられたが故でしょう」


 無意識に問題がないと考えたと断じたアルバーエルに、トウカは曖昧な笑みを零す。


 自らが北部臣民の頂点に立ち、彼らを指揮統制できると確信したと言いたいとは理解したが、トウカからするとそうではない。避難民の移動速度より帝国軍の移動速度が優越する事から大半が捕捉されると見たからに過ぎない。


 帝国軍は占領地の住民を弾圧する経験、或いは進駐先の民衆を捕獲する経験を幾度も積んでいる。元より奴隷としての価値がある商品を派手に見逃す失態を犯すとは考え難いとの判断であった。


 皇国北部に難民を押し付けて皇州同盟に負担を強いると、エカテリーナが考えたとは思わない。トウカであれば適切に“処理”するとエカテリーは確信している筈である。ならば奴隷として金銭に代える事が選択肢として残る。


「閣下、戦略爆撃航空団は投入しないのでしょうか?」クレアが問う。「焼き払う事で難民の移動を阻止するのであれば、皇国との国境沿いを重点的に爆撃すべきでは?」


 一理ある意見に思えるが、トウカは「ならない」と短く告げる。


 ノルデン爆撃照準器がある訳ではない状況での戦略爆撃を再度行うのは得策ではない。帝都空襲に於いて命中率を確保する為、低空飛行で爆撃したのは、初見であるからこそ可能な手段であった。巨大な騎体の低空飛行ともなれば、地上からの熾烈な対空砲火に晒されかねない。中原諸国が対空火器を多数配備しているとは聞かないが、皇州同盟がそうした状況に誘導されたという懸念がトウカにはあった。


「問題は敢えて領有宣言をしている場合だ。奴ら、敢えて空戦が成される戦場を用意したとは考えられないか?」


 クレアとアルバーエルが目を見開く。


 猛き軍神と白き女帝による戦争は、無慈悲な数字の削り合いである。あらゆるヒトを含めたあらゆる資源を二人はただひたすらに削り合う。その効率性は、大方の者にとり想像の埒外とも言える規模と複雑さで行われる。


「帝国本土の主要都市や工業地帯に迎撃騎を配備するより、前線付近の一大策源地を焦点とした航空作戦への誘導を狙ったという可能性を俺は捨てきれない」


 ウィシュケを口に含み、トウカは窓越しに咲き誇る神州桜華を見据える。


 未だ肌寒い時期に咲かせるべく周囲の温度管理を魔術的に行っているのか、或いは元よりそうした性質の木花であるかまではトウカにも分からないが、舞い散る花弁の如く戦略爆撃騎が叩き落される様が目に浮かぶ。


「ですが、現在の帝国にそれが可能でしょうか? 閣下の帝都空襲以降、帝国内では各軍が航空騎の熾烈な取り合いをしていると聞いていますが……」


 それを意図して行った以上、そうなるのは当然の帰結と言えた。


 恐怖から航空攻撃を阻止する為、主要都市や工業地帯に迎撃騎を配備するというのは酷く心情的に納得できるが、臆病であるが故の攻撃性というのもが世には存在する。敵軍の戦略爆撃騎を消耗させるという名目で一部を投じる可能性は有り得た。広域防空よりも敵の戦略爆撃騎を誘因、漸減する方が効率的である。


「俺も確証は持てん。だが、戦闘爆撃航空団であれば、戦闘騎と戦闘爆撃騎の混成だ。敵の迎撃騎が展開していても遅れを取る事はない。爆撃は対地襲撃騎と戦術爆撃騎の部隊を追加すればいいが、これも戦闘爆撃航空団を先発させた上で判断すべきだろう」


 過剰とも思える警戒心に、アルバーエルとクレアが物言いたげな表情をしているが、トウカは取り合わない。


 トウカはエカテリーナと邂逅して以降、常に彼女の影に注意を払っている。


 情報部による防諜は一層の苛烈さを増し、憲兵隊には索敵軍狼兵部隊までもが戦闘序列に組み込まれている。洋上哨戒では海軍の水上部隊に加え、中攻(中型攻撃騎)による索敵網までもが機能し始めていた。無論、機動力に優れた予備隊として陸軍の複数機動師団をベルゲン近郊に再配置する計画も進んでいる。


 その変化に気付いた者は居ない。戦時下に於ける勝利への努力と解釈されたに過ぎなかった。


 トウカは仕切り机(カウンター)に金貨を置いて立ち上がる。クレアの分も含めた上での会計であった。無論、釣銭は望まない。


 恐縮した面持ちのクレアに「経費だ、問題はない」と告げ、トウカはアルバーエルを伴って歩き出す。一瞬の逡巡を以てクレアも後に続く。


「連合王国の参戦は元より計画されていたものに過ぎないだろう。だが、それに複数の意味を持たせたのは誰か」


 決まっている。エカテリーナだ。


 しかし、連合王国の参戦自体はエカテリーナの抱えた案件であるとは考え難い。そうであるならば対皇国戦役と連動させる筈である。共和国の前線を食い破って東進、皇国西部を直撃する程度は行いかねなかった。


 だが、トウカはエカテリーナの名を口には出さない。二人の帝城での邂逅は戦闘詳報に「帝族が直卒する部隊と交戦の上、撃破」とのみ記されており、秘匿されていた。


 帝国の根底で蠢動するエカテリーナの名を口にする意味などない。彼女は自ら矢面に立つ真似を恐れないが、それを避ける傾向にある。国内の権力闘争を厭うた結果であろうが、それ故に皇国人も彼女の存在を重視しない。


 階段を下ると、ザムエルが何故か洋銀製の攪拌器(シェイカー)を振っている光景に遭遇し、トウカは深酒している連中は放置しようと決意する。


「参謀本部に戻る。事案に対する作戦計画を立案するぞ。最悪、領有宣言がなくとも航空攻撃は行う。相手の思惑を探りたい」


「了解。しかし、戦術爆撃航空団に関しては成立間もない新兵ばかりです。その辺りには留意すべきかと」


 アルバーエルの言葉に、トウカは頷いて見せる。


 戦術爆撃を行うべき龍種は中型とされる規模の龍を用いたものであるが、爆撃照準の問題や積載容量の兼ね合いから航空装備の開発が縺れ込み、未だ充足には程遠く、訓練途上にあった。


「ハイドリヒ少将、貴官も一度、参謀本部に寄れ。書類を渡す。それを以てノナカ大佐に現状説明を……いや、後で命令書を渡す。そうだな、再編制中でも飛行は可能だ。それがいい。中に航空爆弾を押し込まなければならない訳ではない事を教えてやろう」


 怒れるノナカの親父を宥めるには御目麗しい人物であるのが好ましい。意外な事に個人的な交友もあるクレアであれば、ノナカも無下には扱えないはずである。


 思惑が不明であるが、餌を用いればある程度の出方は分かる。


 少なくともエカテリーナは兎も角として、帝国軍将校達には抗えないだろう。そして、エカテリーナは軍部に対して直接的な権力を行使できる立場にある訳ではない。そうであるならば、相応の要職に名を連ねて然るべきである。


 ――さぁ、釣り上げるとしよう。


 我々には雅典(アテネ)の将軍トゥキュディデスが紀元前四〇〇年頃に発見した“恐怖、名誉、利益”という三つの理由から、戦う事が遺伝子に組み込まれているのだ。それが正規戦か非正規戦か、先端技術(ハイテク)落伍技術(ローテク)かに関わらず、この三つの要素が戦争というものを構成している。


 帝国主義者は抗えないだろう。恐怖と名誉、利益。個人、国家、軍隊の全てが満足し得るとなれば尚更である。


 ――御前の手足の質を見極めるとしよう。


 トウカは、外へと足を踏み出す。


 未だ肌寒いが、冬の気配は遠退きつつある。


 神州桜華越しに、トウカは帝国の方角を見据える。


 桜の花弁の如く潔い散り際を魅せられる者はそうはいないが、少なくともトウカもエカテリーナも断固として毟り取らねばならない立場にある。


 美しさを賞賛する余裕も、演出する猶予もなかった。












「他国の動乱を利用して血涙たる資金を吸い上げる者達に容赦する必要など……一分もありましませんよ、御父様」


 エカテリーナは父たる帝王を前にそう言い放つ。


 現代に再臨した海賊共和国(リベルタリア)は、私掠船を用いた海賊行為によって財を成すのではなく、三角貿易と地政学的特徴によって収益を上吸い上げている。直接的な私掠でなければ遺恨が生じないとでも考えている者達には、今回の軍靴の音は実に効果的な教育となる事は疑いない。無論、残念な事に次に生かす機会は訪れないであろうが。


 次々と侍女の背負う通信機から上がる報告を他所に、二人は崩れ落ちた帝城の一角で会食を行いながら意見を交わしている。


 周囲を囲う瓦礫の戦列は帝城の敷地の各所に展開し、無数の密会場所を貴賤を問わずに提供していた。中には侍女が衛兵との逢引きに利用しているという噂もある。愛は瓦礫の中よりも生まれいずるとは、軍神にとっても予想だにしない事であったのは疑いない。


 帝位継承権第五位のエカテリーナと現帝の会食ともなれば、要らぬ噂を招く為にエカテリーナはスヴォーロフ公爵夫人の風体で父との会食を臨んでいる。落ち着いた色調の衣裳(ドレス)は寡婦であることを示しているが、瓦礫の狭間にあって容姿や髪までも偽る真似は既に止めている。


 父娘としては世間一般とは掛け離れた間柄であるが、少なくとも空襲時に父を心配して小さな一室に押し込む程度の愛情をエカテリーナは持っていた。今、崩御されると帝国が分裂する危険性もある為、エカテリーナとしては父には乱世を断じて生き抜いてもらわねばならないのだ。


 ゲオルギウス四世。


 外観は年相応の壮年の身体付きであるが、帝国の重工業化を推し進めて国力を増大させた名君でもある。その代償は併合した諸国の少数民族を酷使したが故の叛乱の頻発。しかし、帝国は分断して統治する手腕に長けている。何百年と占領政策を続けた結果として、帝国は強固な強権的統治体制を維持するだけの知見を有していた。


 故に彼は武勇に秀でた軍人でもある。無論、今となっては過去であるが、軍事に対する基本的な見識は有していた。


「余は収奪を厭わぬ。だが、均衡を自ら打ち破った以上、新たなる均衡を用意する必要があろう」


 戦争の勝利は、ただ国益の為にある。よって、戦後に思い描いた国際関係を構築する役目を負わねば勝利の意味がない。


 ゲオルギウス四世の言葉に、エカテリーナは鷹揚に頷く。


「それを“彼”が許すというのであれば、ですが」


 彼の軍神の動向を白い女帝は気に掛けていた。


 トウカが帝国の中原諸国からの富の収奪を座視するとは思えない。介入する理由がない事から座視するのではないかという意見が陸軍総司令部では大勢を占めているが、帝都空襲で後手に回った集団の知性など信じるに値しない。逆に海軍などは、目的から目を逸らす為に大星洋に主力艦隊を進出するという動きを見せている。確かに皇州同盟の兵力は少なく、各方面で同時多発的な軍事行動に対処できないという理屈は一理あった。当然、皇国海軍を撃破して皇国本土に被害を与えられるならば、という前提であるが。


 瞳に興味を浮かべたゲオルギウス四世。


「ふむ、軍神。サクラギ・トウカと言ったか……乱世ゆえに現れた英雄か」


 一度、(まみ)えるべきであった、と言葉を続ける皇帝は、往時の好奇心を失ってはいない。好奇心を満たす為、多くを求めて市外へと非公式で顔を見せる逸話を持つゲオルギウス四世は、案の定、トウカに多大な興味を示していた。


「興味を持っていただけるのは光栄です、父上。ですが、私の知らぬ計略を巡らせるのは避けられた方が宜しいかと」


 既に帝国の間諜は皇国北部で狩り尽くされつつある為、直接的な計略は難しいが、トウカはいかなる状況でも受けた不利益に対しての報復を考える。それが、後の抑止力に繋がると理解しているからである。無論、表面上は矜持や覚悟などと表現するが、その本質は相手を殴り返す行為自体に利益を見ているに違いない。


 エカテリーナ自身もそうであるが故に、当然の如く理解できた。


 彼は神州国の戦国時代に於ける(さむらい)である。一所を懸命と護るという部分を常に全力で、他者には理解できない規模と非情さで取り組んでいるに過ぎないのだ。北部の過半を放棄しての後退などはその最たるものである。噂に聞く生存圏(レーベンスラウム)とは彼にとっての絶対的な防護範囲に他ならない。


 領土たる一所を懸命と護る……それは(さむらい)の生き様である。後世の人々の美的感覚で作り上げた虚像ではなく、乱世を乗り切るべく全ての手段を以って戦う本当の(さむらい)


 ――でも、今回の北部を利用した縦深防禦で彼の“一所”は露呈した。ええ、彼は気付いていないでしょう。


 断じて護る心算であるならば、防御行動の為の縦深とすることすら赦さない筈である。詰まり、トウカの懸命に護るべき“一所”とは北部全体ではない。


 恐らくは、ヴェルテンベルク領のみであろうと見ていた。


 帝国〈南部鎮定軍〉は、北部中央を中央突破するかの如く幾重もの防御陣地を粉砕し、皇国中央へと至る要衝であるベルゲンを目指している。そこに大御巫にしてクロウ=クルワッハ公爵令嬢であるアリアベルという要人が存在するからであった。


 彼女は征伐軍総指揮官であったにも関わらず、内戦後は皇州同盟軍盟主という立場を得ている。そこにどの様な経緯があったかまではエカテリーナにも読み切れないが、トウカが担ぎ易い神輿を求めたとだけは察せた。


 帝国〈南部鎮定軍〉はベルゲンに誘引されつつあるのだ。


 無論、〈南部鎮定軍〉からは誘導されている痕跡在りとの報が幾度も陸軍総司令部に届けられている。それでも帝都空襲による権威失墜の補填として、陸軍総司令部や門閥貴族は皇国中央へと軍を進める事を望んだ。


 そう、トウカにとってヴェルテンベルク領の価値と、他の諸勢力にとっての価値は違うのだ。


 恐らく、トウカはその様に誘導する理由もあって帝都空襲を敢行したと、エカテリーナは見ている。首都を襲撃された以上、同じ屈辱を相手に強いるべきであるという感情論が、貴族と民衆を席巻すると彼は予測していた。皇都占領を叫ぶ将官も少なくはない。現状ではヴェルテンベルク領を攻略の副次目標に据えることすら難しい。ただただ、皇国中央部の直撃を叫んでいるのだ。


「彼を迎えに、フェルゼンを攻略したいのですが、流石に難しいでしょう」


 感情論を叫ばれて認められる筈もない主張ゆえ、エカテリーナはゲオルギウス四世以外には決して口にしない。


 本来、皇国中央になど進出せず、皇国北部の占領を確かなものとして領土割譲を迫るべき場面なのだが、そうした常識的にして確実な意見は、帝都空襲以降、感情論に圧倒されて影を潜めている。


 ――どちらにしても無理でしょうけど。


 ヴェルテンベルク領は天然の要害に囲まれた重工業地帯であり、東部にはシュットガルト湖が広がっている。運河の護りは容易く船舶輸送による増援は酷く容易である。無論、阻止すべく帝国海軍が進出しても、皇国沿岸部で皇国海軍が迎え撃つに違いなかった。それも、沿岸部の航空基地から航空支援を受けて、である。


「航空母艦も問題ですね。あれを足掛かりにされては意味がないでしょう」


 帝国陸海軍には、皇国軍の優勢な航空戦力を撃破すべく、一点に航空戦力を集結しての航空基地爆撃を行うという意見があった。シュットガルト湖上の島嶼に点在する航空基地を空襲するのだ。


 戦略爆撃騎部隊が、そこで再編制の最中であるという部分も大きい。陸海軍の教導部隊も展開していると聞く。皇国航空戦力育成の屋台骨を圧し折れるという思惑が帝国陸海軍総司令部にはあったのだ。


 だが、洋上の航空基地たる航空母艦がある。


 航空基地を撃破しても、航空母艦を撃破せぬ限りヴェルテンベルク領の航空基地は健在であり続けると言える。シュットガルト湖という湖と呼ぶには巨大な内海を移動する航空基地を索敵によって発見、対空砲火を掻い潜り撃沈するというのは極めて難しいと、エカテリーナは帝王たるゲオルギウス四世を経由して陸海軍に提言した。


 索敵騎など極めて優勢な敵航空部隊による制空戦闘で駆逐されるのは自明の理である事に加え、例え発見しても洋上を移動する艦艇に爆撃を加えるという技術が帝国には存在しない。挙句に対空砲を満載した護衛艦に直掩騎の妨害まである。対艦航空攻撃は画餅ですらあった。成功しても致命的な損耗となっては意味がない。敵地での不時着陸は確実な損耗となるのだ。


 崩れた帝城……瓦礫の山脈を見上げたゲオルギウス四世。


「それ故の中原諸国の誘いであろう?」悪戯を知ったかの様な笑み。


 崩壊した帝城の庭先で悪戯を目論む帝王の光景に、エカテリーナも木漏れ日の様な笑みを零す。


 崩壊した帝城に指導者を置くという点を問題視した貴族も居たが、権威の象徴たる帝王が首都を離れるなど権威の損なわれた状況では赦されない事でもある。


 瓦礫によって逆に周囲からの視線を遮られ、無数の密会場所が出現した点をこれ幸いと見た者達の一人であるエカテリーナは、父たるゲオルギウス四世の帝城の再建を放置し、帝都の復興を優先せよとの御触れを出しているが、それは民衆に対する慈しみなどではないと理解していた。


 空襲に無防備である事が証明され、尚且つ、首都まで航空攻撃に晒されるであろう時代となった今この時、既存の建造物では予算の浪費であると見たのだろう。


 瓦礫の中、帝王と白い女帝が嗤う。


 帝城が石材に還元されたが故に父と水入らずの関係を構築できたのは皮肉ですらある。軍人は予期せぬ贈答品(プレゼント)も投下してくれた。


 思索に耽るエカテリーナを余所に、網籠(バスケット)に入った揚包焼(チェブレキ)を漁る帝王陛下。


 帝族たるエカテリーナが手ずから作った為、恐らくは製造単価としては相当に跳ね上がっているに違いない。帝都で今現在、最高値の料理である事は疑いなかった。


 白い女帝の手料理をもしゃもしゃと健啖であると証明するかのように胃袋に押し込む姿は、少なくとも直近の崩御は心配せずとも良いと思わせるだけのものがある。


 肉の香草汁(ソリャンカ)揚包焼(チェブレキ)を流し込んだゲオルギウス四世。香草汁(ソリャンカ)の塩気が薄いと文句を垂れるのは長く軍役に就いていた為、舌が軍隊の濃い味に慣れてしまったに違いなかった。胡瓜(きゅうり)の塩漬で齧ればいいとは思うが、男とは得てして女の手料理の複雑さを理解できないものである。


 気に喰わないエカテリーナは、果実酒(ワイン)の栓を開けながら、躊躇もなく真実を告げる。



「……あれは嘘です。陸海軍と貴族を納得させる為の」



 聞かれなければ黙っていたのですが、とエカテリーナは果実酒(ワイン)を一口含む。


 既存の軍事知識には造詣のあるゲオルギウス四世だが、やはり航空戦の遣り取りを理解してはいない。少なくとも、エカテリーナは現状の帝国内で航空戦の本質を理解できている者は少ないと見ていた。


 航空戦とは、圧倒的な機動力によって奇襲的要素を伴った衝撃力に他ならない。


 陸戦とは違い対処する時間が極めて刹那的な戦闘は、ある種の奇襲的要素の連続と言える。成否が即決即断に負う部分が極めて大きく、より多くの不確定要素を前提とした目隠しでの戦闘と、エカテリーナは見ていた。


 トウカは作戦計画の上では長考を重ねているであろうが、決して以降は迅速であるのは疑いない。航空母艦を駆逐艦で牽引していたとの報告もある。迅速にして拙速であっても構わないと理解しているのだ。戦場に於いて最も重要な時間という資源が、航空戦では更に重要視される。


 狂おしいまでに刹那的な戦闘。それは(さむらい)の斬り合いに近しいものがある。


 技量や能力が全てである様に見えて、実は技量を超えた先の運や意思などが無視できない程に関わってくる戦闘。


 無論、諸外国が航空戦を理解し、対応策を講じれば待ち受けるのは消耗戦であろうが、それでも航空母艦同士による索敵は刹那的なものであり続けるであろうと、エカテリーナは見ていた。


 ――まぁ、その辺りは神州国の建艦計画を精査すると理解できるでしょう。


 既に商船改造の航空母艦の建造を始めているとの噂もある神州国海軍の運用方式を勘案すれば、将来的な海軍航空隊の最適解は見えてくる。陸軍国である帝国は海軍力整備では後追いで構わない。常に無視し得ない程度の戦力の保有で構わないのだ。取捨選択の範疇に於いて帝国は海軍戦力の存在をそう位置付けていた。


 ――噂に聞く神州国の白狐に虚報を掴ませられては叶わないのだけど……構わないでしょう。


 海軍力の整備とは何十年単位の改革によって成されるべきものである。海洋国家との積極的衝突を意図しない帝国にとり、神州国との化かし合いは許容範囲と言えた。


 花咲く笑みで果実酒を嗜むエカテリーナに、ゲオルギウス四世が溜息を吐く。


「あれは方便であったのか。貴族共が発狂しかねぬぞ?」


「あら、私は泣き付いてきた陸海軍に漠然とした方向性を示しただけですよ?」


 強いて言うのであれば、軍事部門の者が政治部門の姫君に方策を求めるという状況自体が醜聞に等しいのだ。幸いな事に海軍の頂点はエカテリーナに好意的であり、帝都空襲によって新たに就任した陸軍総司令官も同様である。よって、少なくとも善戦したという程度の評価は与えねばならない。


「戦略爆撃騎を打つ。そうした名目での作戦立案ですが、そもそも出てくるという保証もありませんわ、御父様」


 エカテリーナとしては双方の航空戦力を正面から争わせる必要性を感じていたに過ぎない。


 勝利したならば戦術面で陸軍の努力が実ったに過ぎず、敗北したならば収奪した富を戦果として喧伝すればいい。黄金はヒトを惑わす。古来よりその点に関しては変わらない。


 帝国陸海軍総司令部は、帝都空襲の威力から都市攻撃には大型騎による梯団を形成しての絨毯爆撃が有効であると血涙を以って学んだが、それが最適解であると叩き付けられたが故に、相手が常に最適解を選択し続けると錯覚している。


 大型騎……戦略爆撃騎という爆弾搭載量や運用に多大な労力と予算を必要とするであろう点を無視した、純軍事的な効果に捕らわれた上での判断である。浅慮と断じるには、帝都の被害は余りにも過大に過ぎた。故に次の失敗は許されないという恐怖が彼らの判断を純軍事的な最適解に縋らせたのだ。


「地政学的に見ても皇州同盟は航空部隊以外で手を出し難いが……そうなると中小の航空騎による攻撃となろうな」


 口元を拭き、口髭を整えるゲオルギウス四世は、状況を正確に見抜いていた。


 皇州同盟軍の策源地は皇国北部ヴェルテンベルク領であるが、現状では侵攻している帝国南部鎮定軍が皇国北西に面する中原諸国領を直撃する事を困難とさせる。速戦が予想される中で迂回は有り得ず、可能な介入手段は航空戦力によるものに限られた。


 帝都空襲の影響から航空攻撃と言えば戦略爆撃という印象が帝国人には強く焼き付いたが、総数としては戦略爆撃騎は極僅かに過ぎないと大型騎の数から察せる。


 帝国の航空騎は皇国の航空騎に対して質の上で劣勢か同等か。その点を図る事こそが重要なのだ。それによって今後、取り得る戦略が変わる。


「嬉しそうな事よ。御前、最近はよく笑うと貴族の若造共が噂しておるぞ」


 その意味を知りはしないが、国益を損なわぬならば好きにせよとの言葉に、エカテリーナは花の咲く様な笑みを湛える。白百合か、白薔薇か。


「本当に充実しておりますから」


 エカテリーナは、未だ無残な傷が治らぬ左薬指を包帯の上より撫でた。魔術による治癒もさせず、砕けた指骨が歪な儘に癒着しつつある事は触れば理解できる。


 彼の為に砕いたのだ。


 自身と彼の戦争を成すという契約の証でもある。


 この痛みは彼との繋がりであるが、彼は痛みを伴う程にエカテリーナを想ってはいないだろう。その点だけは不満であるが、なればこそ彼自身に己を刻み付けて見せればいいとすら、今のエカテリーナには思えた。


 今までの人生が色褪せる程に、エカテリーナは充実していた。市井の娘子の恋煩いとは、或いはこの様なものなのかとさえ思える。


「御父様。私、きっと今、恋をしています」


 果実酒を吹き出す帝王を余所に、白き女帝は立ち上がり進むと、皇国に続く曇天を見上げる。


 こうした場面で雲一つない青空を臨むのが乙女心であるらしいが、エカテリーナは正史として遺されないであろう二人の逢瀬への決意には相応であると確信した。


「感心せぬなぁ。男運の欠如は母譲りか……」


「あら、その辺りの自覚はあるのね、御父様」衣裳(ドレス)を翻したエカテリーナ。


 その自覚があっても尚、母を求めたのだからゲオルギウス四世も中々に業が深い。ある意味、若人が心の何処かで確信している運命という事象をねじ伏せられると過信したが故に軽挙であったのかも知れない。その結果として己が存在するのだから、エカテリーナとしては皮肉と言う他ない。


 しかし、運命ですらない自身の意図を挫くのは、何時も何時とて政戦両略の軍神である。


「おひめさまぁ~」


 瓦礫の中、エカテリーナの可愛い侍女の間延びした声が響く。


 場所は元より伝えているが、どうも複雑な瓦礫の群れに迷ったらしく、声は右へ左へと忙しなく方位を変えて流れてくる。


 見かねたゲオルギウス四世が何処かに隠れていた侍女を呼び付けて捜索するように告げる。


 噂に聞く帝王直属の諜報部隊の一員であろうとエカテリーナは見当を付けたが、訊ねる無意味はしない。


 暫くの場を置いて、侍女に案内されたミラナがひょっこりと顔を出す。泣き顔なのは迷子になったと思ったからに相違なかった。


「あら、どうしたのかしら? また執事でも怒らせたの?」


「えっと、戦略爆撃騎が帝国南部に侵入しそうなんだって! さっきエルライン回廊を越えたって連絡があったんだ!」


 ゲオルギウス四世の表情に緊張が走る。流石の帝王陛下も空襲には恐怖を感じざる負えない。


 エカテリーナは思案する。手にした硝子碗(グラス)を弄び、中の果実酒を一息に飲み干す。


 そして、一つの可能性に思い至る。


「やられた! 陸軍に伝えない! それは無視するのよ!」


 硝子杯(グラス)を投げ捨て、帝王直属の侍女へと告げる。


 ゲオルギスウ四世が重々しく頷いたのを確認し、侍女は輪郭を失う様にして溶けて消える。


 あまりにも露骨が過ぎた思惑を、彼は上手く利用してきた。エカテリーナであれば無視するが、一度、帝都空襲という過大な下手を打った帝国陸軍は戦略爆撃騎の来襲を無視できない。例え、陽動の可能性を理解しても動かざるを得ない。


 彼らは抗えない。武器を手にした専制君主制国家の将校なのだ。


 彼らを突き動かすのは、武器を手にした国防の担い手であるなどという自負心ではない。恐怖と名誉に駆られたが故に武器を扱うに過ぎないのだ。



 もし戦争が、恐怖、名誉、そして利益によって起こるのであれば、武器はこれらの問題の原因ではなく、むしろその結果であるといっても良い事になる。



 武器が手段に過ぎない事を、誰も彼もが忘れていた。


「ふむ、想い人は一筋縄ではいかぬ様子よな」皮肉を垂れる帝王。


 対するエカテリーナは、見切られた点を以って肺腑から零れる嘲笑を抑え切れないでいた。


 トウカの影を背に感じたエカテリーナは、彼が今この時、自らに焦がれていると根拠なき確信を抱く。狐の恋人がいるという噂や、リディアが気にしているなどという事実は、路傍の石に等しい些事に他ならなかった。


「御父様、先の言葉、訂正いたします」


 大した間違いをしたものねと、エカテリーナは酷く後悔する。


 一方的に抱く事が赦される恋が叶う相手では断じてないのだ。


「これは恋などではありませんわ」


 互いにこうも想い合うというのであれば、それは最早、恋とは呼べない。


「そう、愛なのです」


 間違いなく二人は相思相愛なのだ。







 我々には雅典(アテネ)の将軍トゥキュディデスが紀元前四〇〇年頃に発見した「恐怖、名誉、利益」という三つの理由から、戦う事が遺伝子に組み込まれているのだ。それが正規戦か非正規戦か、先端技術(ハイテク)落伍技術(ローテク)かに関わらず、この三つの要素が戦争というものを構成している。 



 もし戦争が、恐怖、名誉、そして利益によって起こるのであれば、武器はこれらの問題の原因ではなく、むしろその結果であるといっても良い事になる。



大英帝国(イギリス)》 国際政治学者 コリン・S・グレイ


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