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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
~序章~    《千紫万紅》
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第一六話    獅子姫との邂逅



「ふむ、軍事力は過度な集中運用も健在か……」


 トウカはこの世界の戦術に目を覆いたくなる。力押ししか考えていないとは言わないが、威力と命中率に秀でた旋条(ライフル)銃が採用されているにも関わらず、密集陣形(ファランクス)などの密集陣形を重視している。つまりは決戦思想を未だに捨て切れていない。故に戦争ともなれば、双方共に甚大な被害となる。旧文明の遺物の為に兵器は異常な発達を見せているが、戦略や戦術、戦闘教義(ドクトリン)が追い付いてないのかも知れないと嘆息する。


 密集陣形(ファランクス)は戦闘隊形として方陣を採用している。手持ちの大盾を最前列の兵士は前面に、後列の兵士は上方に並べ持ち、槍を隙間から出して交戦する。陣形は一六名を一六列配置した方陣を基本的な戦闘単位としており、この方陣八個を八列配置して密集陣形(ファランクス)という方陣を構成。その圧倒的な堅牢さと攻撃力は正面戦闘では無類の強さを発揮する。一方で、精密な密集隊形であるが故に柔軟性や機動性に欠け、一度側面を突かれれば容易に壊乱するという脆弱性も持っていた。騎兵の横撃で簡単に突き崩せるだろう。銃火器を保有しているにも関わらず、将兵に無用の出血を強いる密集陣形を採用しているという点は狂っているとしか思えない。


「いや、魔術の付加で銃弾を防げるのか? 砲兵へ対応した布陣ではないところを見るに……」


 密集隊形の最前列の兵士の持つ大楯に魔術で硬化処理を行えば小銃弾程度は容易に防げる。書物を読み漁る限りでは軍服にも魔術による防弾、防刃処理が成されており、胸甲や手甲、脚甲にも術式が刻印されている。着弾時に確実に敵弾を阻む事すら可能ならば、銃火器の運用に深く傾倒していないことも頷ける。


 ――そう言えば、あの御老体達の戦いでも小銃は担いだままで使ってなかったか。


 断言はできないが、その可能性は高い。どちらも全身を覆わんばかりの甲冑を着ていたので、魔術の加護があるならば小銃で致命傷を与えるのは難しい可能性がある。常時展開する事は難しい魔術による防禦であるが、戦闘時となれば極めて有力な防御力を発揮する。近代的な衝撃硬化剤や防弾繊維、陶磁材(セラミック)などによる防弾衣(ボディアーマー)などと遜色ない性能を備えている事が読み取れる。防弾衣(ボディアーマー)と謳いつつも、現実的な規模(サイズ)と重量で銃弾の貫徹を阻止し得る性能のものが出現し始めたのは、トウカの世界でも近年の事である。遊底動作(ボルトアクション)式小銃を遙か過去にして、突撃銃(シュトゥアムゲヴェーア)が世界中の民兵の基準装備となる程の発展を遂げた未来の出来事であった。


 トウカは天を仰ぐ。呪いあれ。神々は大層と録でもない技術をヒトに与えたものである。


 装備した主要な部分のみを防護できる防弾衣(ボディアーマー)よりも、衣服に編み込む形で運用する事も可能な魔導技術に依る防護は酷く汎用性に優れる。対する火砲の貫徹力に魔導技術を導入する事は幾つかの技術的進歩(ブレイクスルー)が必要となる。


 トウカの元いた世界に於ける近代的兵器の鉾と楯の関係ではない。トウカの知る攻撃的兵器とは、基本的に防御的兵器を優越する。威力と貫徹力は常に装甲や近接防禦火器の発展を優越し続けていた。それが逆転している。結果として、あらゆる戦闘が長期化するだろう。


「だから刀剣での戦闘を重視するのか」


 魔導技術での構造と強度強化が容易であり、弾火薬の損耗で継戦能力が失われないという特徴。そこに身体強化が加われば、射程の優位性(アドバンテージ)を削ぐ事も不可能ではない。何より安価でありながら魔導障壁を切り裂けるのだ。


遊底動作(ボルトアクション)式小銃なら遠距離から狙撃で露出部を狙えなくもないか……若しかすると銃を槍の延長線上としか考えていないのかも知れない」


 十分に有り得る話だった。旧文明の発想と遺物を元に小銃を作ったとしても、長い年月を掛けて研究せねば効果的な運用は難しい。長距離の攻撃手段として魔術が存在し、身体能力に優れた種族が数多くいるこの世界では、運用が重視される事がなかったのかも知れない。


「まぁ、戦力の集中は正しいが……」


 兵士が多く死ぬだろう、とトウカは不幸な戦士達に同情する。


 施条(ライフリング)がない滑腔銃でもある火縄銃は、その命中率の低さを補う為に部隊を密集させて射撃していた。だが、命中率の高い旋条(ライフル)銃が運用されるようになると、個々の兵士が狙撃可能になり密集して射撃する必要がなくなる。しかも、密集した一斉射撃は命中率の悪さを補う一方で、逆に反撃を受けると密集している。一度に多数の犠牲が出るという欠点を有していた。


「不愉快だな……要は兵士が無数に死んで勝つ訳か」


 トウカは書物を閉じ、溜息を吐く。


 勝敗に関わらず友軍兵士が無数に斃れる。この世界は中世の思想と道徳、そして近代の科学が併存した時代でもある。なまじ科学や魔導が進歩している為に死傷者は増大の一途だろうが、指導者からすれば兵士など替えの効く消耗品でしかないのかも知れない。それはある意味では間違いではなかった。兵士を特別視し過ぎれば戦術や戦略に影響が出る。


 生命を優先する事が必ずしも良き結果を生むとは限らない。何時か何処かで生命を賭す事を躊躇わず、名誉や立場を擲つ事を断じて行う姿勢こそが佳き未来を掴み取る最大の要素である。倫理と道徳を楯に護るばかりでは、最終的には自らの生命に関わる決断ですら他者に譲歩せねばならなくなるだろう。


 ――進歩が人を幸せにするとは限らない。


 トウカはそれを知っている。


例えば、爆薬(ダイナマイト)。科学技術の進歩の一つ。工事現場での岩盤の破壊など、作業の効率化を進めるものとして広く普及したが、同時に戦争にも爆薬として使用され、今でも数多の命を奪い続けている。


 例えば、AK―47(1947年式カラシニコフ自動小銃)。それは確かに人を殺す兵器として、この世に生を受けた。半世紀経過しても尚、多くの地域で最も弱者に流血を強いる銃である事は否定できない事実。現に「人類史上最も人を殺した兵器」とも「小さな大量破壊兵器」との異名を持つ。だが、M16(米帝製自動小銃)やFAL(白耳義製(ベルギー)小銃)が使われる事もあるので、その点については酌量の余地はあるだろう。無ければ他の銃がその地位に取って代わるだけなのだ。


 設計者であるカラシニコフは独ソ戦の最中、手傷を負い他の負傷者達と共に輸送車(トラック)で後送される。だが、途中の村で独逸第三帝国軍に待ち伏せされ全滅。カラシニコフは戦友二人と偵察に出ておりその間に襲われたのだ。負傷兵達は遊底動作(ボルトアクション)式小銃で応戦したが敵は短機関銃(マシーネンピストーレ)を装備していた。(たちま)ちに連射性能に圧倒され、戦友の多くが殺されてしまう。だからそこカラシニコフは、輸送車(トラック)の荷台に折り重なった戦友の亡骸を見て思った。


 糞っ、こっちにも自動式の銃があったら、と。


 そして、後送された病院で看護婦に筆記帳(ノート)と鉛筆を借り、設計を始めた。


それを誰が責められようか?


 祖国を蹂躙する侵略者から、戦友を護る為に作られた銃。少なくとも同胞と祖国を護ろうとした者を貶める人間をトウカは許容しない。


 だが、それでも科学より生み出された代物は、往々にして多くの人の意志が介在する事により本来の目的とは違った使い方をされる。


「科学の徒より産み落とされた産物は、いずれ人の手で制御できなくなる」


 そして世界はその事実を許容する。


 遣り切れない話だ。この世界はふとした拍子に滅亡しかねない。そして、トウカはその引き金の一つとなる可能性を秘めている。いっそ、隠居生活でもした方が良いかも知れない、とすらトウカが思ってしまう程に。


 席から立ち上がり、窓際へと寄る。外では氷雪の舞う中、多くの人が通りを行き交っていた。


 トウカは、この世界で生きて往かねばならない。


 ふと、後ろに人の気配。


「不機嫌そうな顔をしておると、碌な目に合わぬぞ」


 美しい声であるが、老人のような口調。声を掛けられるまで全く気付かなかった。図書館内は武装禁止だと司書に軍刀を預けてしまっていたので、今のトウカは非武装である。


「ん、おお、驚かせてしまったかの? 済まぬ」


 銀糸の様な髪を靡かせた少女が、腕を組んで難しい顔をしながら、悪かったと謝る。トウカは、その一瞬に少女が取った動きを見逃さない。一瞬の殺意の伴わない攻防だったが、トウカの間合いを察した少女は、振り向いた時には既に一歩下がっていた。間合いから逃れられた形だが敵意のない……容姿に似合わない小難しい表情に警戒心は抱けなかった。


 壁に寄り掛かり、頭を掻く。


「貴女も大概、難しい顔ですよ?」


 気の利いた言葉など思い付かなかったが、少女はそれを聞いて愉快そうな笑みを浮かべる。上品とは言えないが、無邪気であり、それでいて何処か猛々しい雰囲気を感じさせる笑み。


「ふむ、そうか……部下には何時も小難しい顔は似合わんと言われていたのじゃが。何より一目で難しい顔だと分かってくれるとは有り難い」


 快活に笑う少女にトウカは苦笑する。警戒心を抱かせない事もあるが、基本的には豪放磊落な性格と取れる。細かい事は些事として気にしそうにない。そんな人間をトウカは嫌いではなかった。


 見たところ陸軍の軍服で、肩章は大尉の階級を示している。陸軍の軍服は腰の左右の部位に特徴的な(スカート)状の装甲を付けているので遠目にも直ぐ見分けられる。この装甲はトウカの知る鎧の草摺(くさずり)に近い。草擦とは腰の部位に付ける防具で、(スカート)状に腰を覆い、可動性を重視する為に通常は切れ込みが入っている。少女が付けているものは腰の左右だけで前後には付いていないが、そうした造りであれば踏込などは行いやすいかも知れない。


「大尉殿は暇なのですか?」


 かなり失礼な問いかけ。


 ベルゲン近郊に集結している戦力はかなりの規模で、明らかに防衛の為ではない。北部で起きた叛乱を鎮圧する為の基幹戦力という事は軍曹の言葉から分かってはいた。出撃しない理由はトウカにも分からない。


「大尉殿はやめよ。レオンディーネだ。レオでよいぞ。……暇じゃから戦術書でも読もうかと思ってな……」


 少女……レオンディーネは耳と尻尾を揺らす。


 そう。耳と尻尾である。


 耳はミユキの上向きの尖ったものと比較して、丸みを帯びて横を向いており、少し小さめ。そして尻尾はふさふさしておらず、細くて白と黒の縞模様。


「猫?」


(わし)は虎じゃ!」


 反射的に振るわれた拳をトウカは間一髪で避ける。


 威力と速度に於いてリディアには遠く及ばないものの、人の腕力では成し得ない一撃。大振りなので避ける事ができたが、洗練された動作であればまず避けきれなかったであろう。


 トウカの背に冷や汗が流れるが、虎と対峙しているかの如き威圧感はなく、トウカを困らせたのは女性を怒らせてしまったという一点だけ。


 がるる、という唸り声が聞こえてきそうな表情をしてトウカを見据えるレオンディーネ。少し尖った犬歯を剥き出しにしたその姿は、正に敵を威嚇する猫。トウカとしては猫の方が好みである。女性に虎というのは褒め言葉にならないと思ったが、この世界では逆であったのかと後悔する。


「申し訳ない。ですが、可愛い女性に虎と言うのは気が引けたので」


 偽らざる本心だった。貴女は虎のようで可愛いですね、とは言えないだろう。場合によっては嫌味と受け取られかねない。


「か、可愛い……か?」


「ええ、可愛いですね」


 家の前に箱に入って捨てられていたら拾いたくなる程度には、などということは言わず、精一杯の笑顔を以て答える。


 レオンディーネは腕を組み、小難しい顔のまま視線を逸らす。照れているのか、複雑な思いをしているのか。トウカの知る所ではないが、兎にも角にも殴られるのは回避できた。


(わし)に向かってその様な事を言った奴は、御主(おぬし)が初めてじゃ」


「そうですか。貴女の周囲の男性は見る目がないのでしょう」


 少なくとも、トウカの目にはレオンディーネは十分に魅力的な女性に映っていた。均整の取れた女性的な身体つきと、銀糸の如き長髪。金色の瞳は他者を惹きつけて止まない抗い難い魅力がある。そして、何よりも前で組まれた両腕で強調された只でさえ大きい霊峰が、男達の視線を引き付けて止まないだろう。勿論、トウカは努めてレオンディーネの顔だけを見つめるに留める。

「まぁ、その戦術書を貸してもらえると有り難いのじゃが」


「ん? ああ、これですか。構いませんが」


 トウカは手中にあった戦術書を手渡す。まだ読んではいなかったが、この世界の基準を知るという一点以外で戦術書類からは何ら得るべきものはない。


「良い目をするではないか。ふむ……好みではない様じゃな。一応、この戦術書はこの大陸の各国の軍が基本にしているものなのじゃが……」


 トウカは知らず知らず、手渡した戦術書へ厳しい視線を向けていた。


 レオンディーネの言葉にトウカは眉を顰める。好みではないという物言いを、軍人が戦術関連に対して使う事はあまり好ましいことではない。戦術を選り好みするということは、自らの死に様を選り好みするということに他ならないのだ。軍人の本分は祖国を護り、民を護る事であり、自らの死に様を決める権利は自らに帰依しない。


「酷い戦争だ。誰も彼もが愚者を演じている」


 気に入らない。不愉快極まりない冗談だ。戦争は味方の被害だけでなく、敵の被害をも制御してこそ一流足り得る。無用の怨嗟を受け、戦後の統治を不安定にするという尤もな理由以前に、軍人故に止むを得ないとは言え、その透き通るように白い手が血に穢れることは認め難い。


「ほぅ、我ら軍人を愚者と言うか?」


 愉快な……それでいて怒気を孕んだ一言。トウカとて自らの剣術を下らんと言われれば冷静ではいるが忘れはしない。一族が築き上げてきた刃の集大成を否定することは、英雄である祖父を否定される事と同義。


 それ故に嗤う。


「ああ、下らない。余計な血が流れ過ぎている」


 単に流血を望むならば民と兵を巻き込むべきではない。それでは虐殺を是とした総統と、無差別爆撃を許容した偽善者の大統領と変わらない。血を流したくば自らの手足でも切り落とせば良いのだ。


「貴女が流血を好むだけの戦乙女でないならば、戦い方を考えた方が良い」


 人を殺めるということは可能性を奪うということだ。


 国の為、民の為、護るべき者の為、己が信ずるモノの為……自身が選び取った未来(さき)に流血の避けられない場面があるかも知れない。だが、それでも尚、軍人は流れ落ちる同胞の血の量を最小限に留める努力を怠ってはならないのだ。


「まぁ、詮無い事か……この有様では」


 多分な悲哀と僅かな呆れを含んだ声は、書物達の並ぶ暗闇へと吸い込まれた。









 レオンディーネは少年の言葉に複雑な想いを抱く。


 その言葉が(あなが)ち的外れではない事を理解していた。効率化という一点に於いて、皇国軍は他国の軍と比して余りにも劣悪で多様性に富み過ぎた。無論、責めを負うべきは陸軍と海軍ではなく貴族達であった。各々がそれ相応の戦力を有して領地を守護している。それ故に此度の叛乱を許し、強大な《スヴァルーシ統一帝国》相手に一丸となっての確たる防衛方針を決定する事すらできていない。エルライン要塞での防衛などは、常に攻勢側である帝国軍に主導権がある。単なる拠点防衛など余りにも消極的な戦略であり、武勇を尊ぶ虎族の血統としては渋面を浮かべたくなった。


「御主の言は正しい。じゃがな、政治なのだ」


 それは、戦将軍が口にした言葉と対を成すものである。


 政治に振り回される《ヴァリスヘイム皇国》、軍事に振り回される《スヴァルーシ統一帝国》。貴族達は優秀であった。何百年と生きただけあり、欲に塗れる事もなく初代天帝との盟約を頑なに護り続けている。だが、永い時を過ごすが故に時代の変化を感じ取れなくなっていた。


「政治? 益々下らない……軍事に政治が引き摺られる事があってはならない様に、政治が軍事の手段を制限し悪戯に被害を増大させる事もあってはならない。軍人も護るべき民に他ならない」


 それは紛れもない正論。


 だが、レオンディーネは政治に明るくない。そして、軍人であるが、その立場ゆえに戦術についても同期たちと比較して劣っている。


(わし)では如何(いかん)ともし難い……」


 自身が優秀ではない事をレオンディーネは痛い程に理解していた。本来であれば少尉止まりであるはずのレオンディーネが、大尉という過分な階級を持っているのは、貴族の中でも傑出した一族の末席を汚しているからである。決して自身の能力に見合った階級ではないとすら思っていた。


「確かに。人の意識を変える必要もある。容易ではない」


 少年は容易く肯定した。拍子抜けするが、この少年にとって皇国という国は然して重要な機構ではないのだろう。容姿からすると神州国系であることは容易に想像が付く。皇国に対する帰属意識などないのだ。


「この国を意識するのは敵国ばかりじゃ。民草は意識せぬ。戦野で朽ち果てる兵士達が不憫でならぬ……」


 将兵の大多数は感謝を得たくて祖国の防人になった訳ではないだろう。だが、それでも誰にも知られず、忘れ去られる戦死者達に救いがあっても良いとは思うのだ。


「変わった国だ……本当に……」


 或いは、祖国も敗北して欧米式の民主共和制を押し付けられていたら、この様になっていたかも知れない、とトウカは顔を顰める。主体性に欠ける大和民族に主権者の責任が曖昧になりがちな民主主義を押し付けるなど、安全鋲(ピン)を抜いた手榴弾で捕球練習(キャッチボール)するも同然の行為である。


 窓から見える街並みを見下ろす少年。レオンディーネには皇国の状態が危ういものに見えて仕方がないが、少年には羨ましいと思える要素があるのだろう。その瞳は憧憬の感情に揺れていた。


 幻想と儚さを感じさせる横顔。憂いでもなく、悲観でもなく憧憬でもない。


「ならば、教えてはくれぬか。この国を救済する術を」


 少なくともレオンディーネはその術を知らない。だが、少年は知っている気がした。最短で解を得る事を至上とするものである事は、皇国の政治体制への批判を聞けば嫌でも分かる。だが、トウカの場合は確たる根拠の上で否定の言葉を重ねていた。感情や閉塞感からくる上辺だけの否定ではなく、合理的な考えを依って立つところとしている様に思える。


 レオンディーネは直感や感情でヒトを動かす性格をしている。


 深く考える事は苦手であり、政治闘争や高度な戦術などは全く理解できない。だが、自分の限界を知っており、だからこそ自らが率いる中隊の運営は中隊副隊長に思い切って指揮統制を任せていた。そして、自らは兵士と共に前線に立ち、その士気を鼓舞し続ける。


 だが、トウカの言葉は残酷だった。


「それは異邦人の考える事ではないよ。子猫さん」


 傾国の渦中にある皇国を羨む少年は、何処か言い知れぬ感情を含んだ瞳で通りを闊歩する人々を見据えている。


 獅子姫はそんな横顔に言葉を失う。その憧憬には憎悪の感情が入り混じっていた。


「この国を護るのは軍人である貴女の責務だ。俺は貴女達の紡ぐ歴史を眺めるだけに過ぎない……俺にとって護るべきは仔狐であって国ではない」


 理解できない、という表情で少年が肩を竦める。


「御主は……」


 異質な存在。少年は皇国の救い手にはなってはくれない。レオンディーネは、この異質と幻想の混じり合った少年が大きな流れの一つとなる気がしてならなかった。


「ふむ……ならば、(わし)に戦術を教えよ。少年」


 少なくともそれくらいは許されるはず。不敵な笑みを浮かべ、少年の手を取る。


 面白い少年。それがレオンディーネのトウカに対する第一印象であった。だが、自らを特別視しないこの少年は、一体誰と話しているのかという事実に気付いていないのだろう。だが、少年は、例えレオンディーネの正体を知っても変わらない態度で接してくるのではないか、そう思えた。確証も保証もない予感に過ぎないが、自らの勘と闘争を至上とする獅子が信ずる理由としては十分。


 得難い若者。それが獅子姫の異邦人に対する印象であった。


 束の間、驚いた表情をした少年だったが、直ぐに先程の表情に戻る。


「トウカだ……堅苦しいのは好みじゃない」


 異邦人の差し出された手を、獅子姫は黙って握り返した。











「以上の理由から、旋条(ライフル)銃を主武装とした歩兵は、密集射撃を前提とした戦術と隊形を廃止。各兵士が散開しそれぞれ狙撃を行なう散兵戦術を用いるべきでだ。勿論、これには士官だけでなく下士官……叶うならば一兵士に至るまでが独自で最良の判断で行動可能な様に教育する事が望ましい。だが、戦闘の際に注意せねばならないのは散開の限度を超えた広域展開だ。この場合は指揮官の指揮統制が不可能になる可能性がある。しかも、各自に独自の交戦許可を与える為に弾薬の消費は極めて増大し、兵站の強化は最低限の……」


「ま、待つのじゃ。御主の話は長すぎる。何とか簡潔に――」


「要するに貴女に師団規模の部隊を統率する能力はない。……まぁ、大隊規模までであれば、瞬間的な判断が重要視される。流動的な状況に対し、真っ先に対応を迫られるのは大隊以下の指揮官だ。貴官は拙速“だけ”は得意である様に見える」


「むぅ……酷い奴め」


「酷いと言うのであれば、近代化が進む戦野にでも叫ぶといい。意味があるとは思えないが」


 叫んでどうにもならない相手が居るからこそ、ヒトには相手を殴る拳がある事を弁えろ、とも言葉が続く。


「毒舌じゃな」


 やれやれと言わんばかりに首を振る異邦人に、獅子姫は頭を掻き毟る。


合間を見て図書館に訪れ、トウカから戦術を学ぶ様になって五日が経つが、その講義は極めて熾烈だった。精神的に追い詰められるものがある。トウカの戦術指南は単純にして明快であったが、その物言いは容赦がなかった。トウカからすれば、大日連陸軍〈義烈空挺隊〉並みの苛烈さで矯正したいと考えていたのだが、相手が女性ということもあり、かなりの遠慮を見せていた。


 だが、レオンディーネは陸軍士官学校でも特別な扱いを受けていたので、他者に露骨に咎められるという事は稀であった。理不尽とも言える“指導”に何処か新鮮な印象を受けるレオンディーネだが、トウカの指導はその間も続く。


 トウカの口にしている戦術は、今までレオンディーネが耳にしてきた戦術とは明らかに一線を画している。


 国家総力戦という概念がないこの世界では、指導者が運用可能な戦力が極めて限定的であった。敵戦力を一瞬で撃滅し得る会戦は、戦争の帰趨を決める大規模な戦闘となる。故に軍人達は会戦での勝利を至上目標とし、会戦をより優勢で推移させる為の準備に常日頃から全力を尽くしている。一度の会戦で国家間の力関係(パワーバランス)が大きく変動する事すら珍しくない。


 だが、トウカの提唱する散兵戦術では会戦を完全に否定していた。戦闘で主導権を取り続ける為、流動的に状況を推移させて戦域もより広範囲に設定する。大規模な会戦よりも、少数での小競り合いや不正規戦に重きを置いていると言えた。


「散兵戦術は個々の兵士が散開して攻撃するので、一度の反撃による損害も少ないという危険(リスク)の分散の効果が大きく画期的な戦術だ。勿論、求められる情報伝達手段や各々の小部隊指揮官に必要とされる練度を考えれば徴兵によって編成された戦力では不可能。一見すると非常に効果的な戦術だが、兵士に施条銃を持たせて小隊、分隊編成にすれば即実行可能になるという訳ではない。それ相応の軍事訓練を行なって初めて可能な戦術だ。集団魔術で敵の砲火を押し留めるよりも、余程に経済的な戦い方と言えるな」


 目を回す獅子姫。


 トウカからすると未だ概要のみしか語ってはいないのだが、レオンディーネの思考は限界だった。軍事用語の乱れ舞う思考の狭間で必死にトウカの戦術を纏める。難しい言葉を使い回して説明するトウカではあったが、それでいて要点は良く纏められており、より一層の精密化の様相を呈する戦闘について端的に指摘されていた。


 ――要するに、ただ戦争に兵器を投入するのではなく、兵器の性能に似合った戦争をするという訳じゃな……


 レオンディーネはそう捉えた。


「兵器に合わせて戦術を選択するというのか? それでは軍人が兵器を使役して戦争をしているとは言えんの。兵器が軍人を部品の一つとして取り込んでいるかのようじゃ」


「そうだ。良くお分かりのようで……いずれは軍人すら必要としない軍が現れるだろうが、それはこの世界……いや、詮無い事か」


 いかんな、と頭を掻くトウカを尻目に、レオンディーネは唇を噛む。


 それではどちらが主従か分らない。思わずレオンディーネは身を震わせた。


 人の意識が介在しない戦闘。確かに人が戦野に身を置く必要がなくなれば死者と親しい者達が悲しむ事はなくなり、国家は遺族年金などの補償をせずに済む。だが、武勇を尊ぶ虎族に連なるレオンディーネには、その事実自体が恐怖以外の何ものでもなかった。


「それではただの虐殺じゃ。人が断じて行うからこそ戦争には意味がある……救い難い殺し合いに於いてその一点こそが救いであろうに」


「その様な捉え方もあるだろう。生命を取るか、或いは……」


「自らの誇りを取るか?」


 獅子姫の言葉に異邦人は儚げな笑みで頷く。事に異邦人であっても、生命と誇りのどちらを取るべきかについては答えが出ていない様子に安心する。


「話が逸れた……続ける」


 トウカが戦術についての講義を続ける。


 分からないことについては聞けば必ず答えてくれる。皮肉と悲観が多いのは生来の性格なのだろうが、その点を除けばレオンディーネに不満はなかった。


「ふむ、要点は三つかのぅ」


 両腕を組み、思案する。


 参加兵力の大幅な増加は、指揮官の視界外、認識外で行われるという事に他ならない。

 兵器開発の躍進は、より広範囲の戦域を攻撃、或いは防御できるという事に他ならない。

 作戦地域の拡大は、より戦線が延長し、既存戦術では対応できないという事に他ならない。


 トウカの戦術講義は、それらに対応する方法に多くが割かれていた。正面にいる敵軍ではなく、各種分野の進歩などに合わせた戦術が取り入れられている。軍人の視点ではない位置からすらも戦争を見ているのだ。


「それでは、決定打に欠ぬか?」


 レオンディーネは不安に思う。


 トウカの言うところの散兵戦術は、確かに大敗を喫するリスクを大きく軽減できるが、戦力の集中運用という軍事の大原則から離れかねない代物だと思えたのだ。攻勢時の突破や強襲の際は、兵力を集中していれば敵により大きな損害を強いる事ができる。分散した戦力は各個撃破の可能性にも晒される。


 レオンディーネの疑問にトウカが丁寧に答える。


「方法は色々とあるが、極端な話、火力で補えばいい。これからは兵器の射程と威力は増大の一途となる。それに連携が取れない程に離れる訳ではなく、兵力が必要な事態に陥れば後退しつつ集結させればいい。通信技術の進歩もそれを容易にするだろう」


「む、そうか……じゃが、指揮官には受け入れられんと思うが、な」


 レオンディーネも、トウカの提唱する散兵戦術が有効であることは理解できたが、今までの戦い方で研鑽を積んできた将兵達がそう簡単に受け入れるとは思えなかった。自身ですら兵を分散させる事には多大な抵抗がある。


「確かに、今のままでは受け入れられないだろう」


「やけに簡単に認めるではないか?」


 眉を顰めてみせると、トウカは肩を竦めた。受け入れるかどうかは重要ではないのだろう。トウカは戦術の講義をしているのであって、受け入れるか否かは別問題と考えているに違いない。


「これからは国力を総動員する様な戦争になっていく。大規模な会戦は勝利すればいいが、負ければ損失が大きくなりすぎる。それ以上に、経済が負担に耐え切れない。つまるところ散兵戦術は苦肉の策とも言える」


 最もこれは経済の視点からだが、とトウカは付け足す。


 国費が払底し、皇国が貧困に喘げば、軍は考えてくれるかも知れないが、トウカには関係のない話と割り切っているのか他人事の様に話している。《スヴァルーシ統一帝国》侵攻と叛乱への対応を考えて貰おうとレオンディーネは思っていたのだが、この様子では無理な話だろうと嘆息する。


「さて他に質問は……」


「ぬし~さまぁ~っ! 帰りますよぉ~」


 トウカの声を遮るように能天気な声が響く。声のした方を向くと狐種と思しき少女が手を振りながら近づいてくる。


 狐種は警戒心が高く、隠れ里などに住んでいる場合が多いので、レオンディーネも目にしたのは久方ぶりであった。軍では魔道士として重用される傾向にあるが、魔導技術などに優れている為、後方部隊や魔導部隊に配置されている。レオンディーネの隷下には狐種はいなかった。


「図書館で大きな声を出すのは感心しないな、ミユキ」


 フサフサした尻尾を激しく自己主張させた狐娘は、トウカの前までやってくるとその腕に抱き付く。警戒心など感じられない動作に、トウカがこの狐娘に深い情を注いでいる事が嫌でも分かる。それを示すように、トウカは狐娘の頭を撫でて優しげな表情を垣間見せる。その様な笑みをレオンディーネは一度として向けられた事はなかった。


 ざわめく心を押し殺し、レオンディーネはミユキと呼ばれた狐娘を見る。


「ふむ、この狐っ娘は何じゃ?」


「私の……そうですね。何でしょうか? 強いて言うなれば家族だと思います」


「そうですねっ、アナタっ!」


 ミユキがトウカの腕に頬擦りしながら全力で同意する。だが、その視線はレオンディーネに向けられており警戒感が滲み出ていた。ただの警戒感ではなく、自分の立場を取られまいとする瞳。


「……そうだね、オマエ」


 少し躊躇したトウカが、ミユキの言葉に応じる。照れているのだろう。視線が宙を所在なさげに彷徨っていた。先程、皮肉の入り混じった戦術講義をしていたヒトと同じ人物とはとても思えない。


「お邪魔虫は、撤退するとしようかの」


 愛する者と添い遂げる自由がないレオンディーネは、二人のその様な様子を見続けることは腹立たしかった。


 トウカはじゃれついてくるミユキを片手で相手にしつつ、頭を下げたのでレオンディーネもそれに黙って頷く。


 これが獅子姫と異邦人の邂逅だった。







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