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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》

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第一六七話    神雷部隊





「〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉各騎へ。航空爆弾の搭載を開始します。所属の航空兵は一七〇〇までに準備を」


 クレアはエルライン要塞の最奥……帝国側から最も離れた皇国側要塞司令部の稜堡式城郭を横目に、飛行場に駐騎された戦闘爆撃騎の前で伝令兵に命令伝達する。


 手早く敬礼して駆けて往く伝令兵の足音を背に受け、クレアは白い吐息を零す。


 この寒空の下、クレアは立ち尽くしていた。


 自身が航空部隊を統率する。知識はそれなりにある心算であった。


 だが、編隊飛行を維持したままの航空部隊による空襲など一度も実現していない。


 旧北部統合軍のベルゲン強襲での空襲は、急降下爆撃騎の個別目標に対する爆撃で、征伐軍によるフェルゼン空襲は航空戦術を理解しないままの大兵力による空襲でしかなかった。前者は個別目標に対する急降下爆撃で、後者は野放図な無差別爆撃に過ぎない。


 だが、これから行うべき作戦は、軍事史の転換点となる。


 嬉しくもあるが、恐ろしくもある。


 トウカが主体となって立案した航空戦術と、それに合わせた各種装備。一応の完了を見た航空兵達。何よりも、相手の油断と無知を最大限に利用する形の航空攻勢は、間違いなく成功するはずであった。


 航空騎の有用性を最大限に利用しつつ、帝国に負担を掛けるという“建前”の下で立案された作戦……しかし、その内容は実に曖昧なものであった。


 否、トウカが作戦内容に余裕を持たせた。


 皇州同盟軍の指揮系統は陸海軍とは別であり、〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉もまたその例に漏れない。強調して国防を行うという取り決めは批准されているものの、細部まで条項が突き詰められてはおらず、双方共に相手を信頼していない現状である。


 つまり作戦計画書の一部は白紙のままであり続けている。


 トウカからの命令は、帝国軍の後方支援基地を焼夷効果の高い九九式二五番航空焼霰爆弾による夜間爆撃によって焼き払うというものであった。予定の時刻に後方支援基地と隣接している都市に浸透した工作員による破壊工作によって、市街地の各所で小火が発生する予定で、それを目標とする為に夜間爆撃であってもそれなりの戦果を期待できる。ましてや防火など考慮もされていない建造物など容易く燃え上がる。


 クレアの手元にある重爆撃騎の総数は九六騎。


 半数も有れば確実に叶う任務である。


 過剰な戦力投射。


 サクラギ・トウカは無駄を好まない。


 無論、念には念を入れる性格でもあるが、それを鑑みても防空網も形成されていない国家の一都市に爆撃を加え、大火災を起こす為に九六騎の重爆撃騎は過剰である。


 だからこそ、クレアは深く悩んでいた。


 これは試験なのだ。クレアがどの様な“戦略”を展開し、どの様な利益を皇州同盟に齎すかを判断する事で、トウカは見極める心算であろう事は疑いない。


 試されているのだ。


 性的な視線に晒された事があるが、軍事的視野をこれ程までに露骨に見定めんとする視線に晒されたことは初めてである。清々しいまでに露骨である為、クレアとしては逆に何かしらの別の意図があるのではないかと疑い始めてすらいた。


「政治的な意図は当然として、純軍事的に何処を叩けばいいかという点でも限界を推し量られるはずです。困りましたね。まさかこれ程に期待されるとは思いもよりませんでした」


 クレアは、そう考える事とした。


 与えられた命令だけを実行したとしても冷遇される事はないと予想できる。


 トウカは、皆が一笑に付すかも知れないが、クレアは特定の個人を感情から冷遇をする様な人物ではないと考えていた。ただ、特定の優秀な人物を徹底して厚遇するだけである。その点に気付かない者など、トウカからすると言葉を交わす価値も感じられないのだろう。


 自分の能力と身体と生命と……あらゆるモノを投じて奉仕するのだ。


 それが《ヴァリスヘイム皇国》の、北部の未来に繋がると信じて。


 冷遇と厚遇の差を理解できない態度を取れば、トウカは失望するだろう。


 それだけは許されない。


 野心の上でも。

 心情の上でも。


 だからこそ自らに与えられた軍事的柔軟性の中で、政戦に大きな影響を齎す作戦を立案する事が必要となる。


「思い付いてはいるのです……いけませんね。指揮官が弱気になるなど」


 敵軍の圧力ではなく、友軍の期待に押し潰されるなど笑えないことなので、クレアは愁いを帯びた容貌を其の儘に溜息を一つ。


 元より作戦など決めている。


 だが、それをトウカが正解としてくれるかという疑念が胸中に燻ぶり続けている。


 そんな背に声を掛ける者がいた。


「ハイドリヒ中佐。少し宜しいかしら」


「これは……ハルティカイネン大佐。はい、状況開始時刻までに済ませていただけるならば」


 振り向いた先、国防色の陸軍第一種軍装身を包んだ紫苑色の髪の女性に、クレアは敬礼を以て応じる。


 当然の様に答礼し、受け入れるリシアに、クレアは内心で良くも悪くもトウカの影響を受けていると呆れていた。仕草といい、思考といい、彼の影響は随所に見られる。


 人間種や混血種などの低位種は上級将校となっても、下の階級の高位種に一線引いた姿勢を見せる者や敬語を使う者は少なくない。だが、トウカは完全に階級しか見ておらず、清々しいまでに軍人として統一した姿勢を見せている。高位種や中位種に対しても決して例外的な扱いはしない。無論、政治と恋人が関われば話は変わるが。


 リシアは前置きも適当に、本題を切り出す。


「サクラギ上級大将の命令を私も聞いているのだけど。どう、私の提案に乗ってみないかしら?」


 紫苑色の長髪を揺らし、満面の笑みを湛えた北方方面軍司令部付情報参謀の言葉に、クレアは面倒に巻き込まれつつあること察して口元を引き締めた。










「こいつはぁ、碌でもない事になったなじゃねぇかぁ、上等だ」


 黒鼬(クロイタチ)族の男は左目に付けた眼帯の位置を右手の親指で持ち直しながら、楽しげに肩を揺らす。右頬に残る刀傷と無精髭、着崩された襟元は、軍刀拵えの陣太刀と相まって、歴戦の軍人と見ることも不良軍人と見ることもできる出で立ちであった。


「ノナカの親分、嬉しそうっすね」


「美人を乗せて遊覧飛行だぜ」


「爆弾にも“一撃必中”と書きやした」


 部下達が口々に喚き立てる姿に、おうよぅ! と応じて、中佐の階級を持つ、溢れんばかりの漢気を発露させた航空兵……ノナカ・エイゼンは、神州国の任侠者の如き立ち振る舞いを行う不良軍人として有名であった。元はヴェルテンベルク領邦軍航空隊に所属し、“ノナカ一家”と呼ばれる大型騎を主体とした航空大隊の指揮官として、勝算と罵声を一身に浴びる立場にある彼は、非公式ながらもトウカのお気に入りでもある。


 元よりヴェルテンベルク領邦軍は、正規軍とは一線を画した採用基準を選択しており、つまるところマリアベルの嗜好と気分である。


 半ば放逐される形でヴェルテンベルク領に押し込まれたマリアベルの下には、正規軍や一般世間に馴染めなかった者達が数多く集っている。ノナカもまた、その一人であった。神州国の極道一家で、抗争に敗れて北部へと流れ着いたところで金に困りヴェルテンベルク領邦軍に転がり込んだという経緯を持っていた。


 ノナカは、マリアベル存命中より彼らはトウカによって重爆撃騎を与えられ、シュットガルト湖上の島嶼に特設された航空基地で慣熟飛行に時間を費やす日々を続けていた。


 攻撃を“殴り込み”と言い、戦闘指揮所の四周は大きな陣太鼓を備えて出陣時に部下を鼓舞するという根っからの武侠者であるノナカは、部下達を大音声で怒鳴り付ける。


「野郎共! 囀ってねぇで搭乗しやがれ! 殴り込みだぁ!!」


 拳を握り締め、あらん限りに振り上げるノナカの姿に、ノナカ一家の面々は「応ッ!!」と叫ぶと、各々に割り当てられた重爆撃騎へと駆けて往く。


「湊川にはさせねぇ。この俺が(かしら)ぁ、張ってる内はぁな」ノナカは部下達の後姿を眺めながらそう呟く。


 トウカが彼を優遇していた理由を、ノナカは当人から聞かされていた。


 強いて言うならば「辿り着けねぇ、湊川よ」だな。まさにそれである、と。貴官には湊川えお越えて貰う、と。


 湊川――“湊川の戦い”は、建武三年の足利尊氏と楠木正成の間で行われた会戦で、一時的に九州に疎開した足利尊氏が、三五〇〇〇の大軍を率いて反攻戦を挑んできた際、僅か七〇〇余りの戦力で楠木正成が迎撃したという会戦であった。


 無論、楠木正成に勝算はない。


 楠木正成は、その状況に在って「正成存命無益なり、最前に命を落すべし」と咆え、(きた)る五月二五日、両軍は湊川で干戈を交え、圧倒的劣勢の中での激戦の末、楠木正成の率いる軍は僅かとなり敗走する。継戦の限界を悟った楠木正成は、残余の部下と共に民家へと身を隠し、七生報国を胸に切腹した。


 ノナカは遠い異国の義士なる男の言葉に、心惹かれること大であった。


 数多くの空を戦い抜いた同姓の男の一言。


 生還の望みの皆無である作戦を指したその一言に、ノナカは万感の思いが籠められている気がした。例え大半の意味は分からずとも、空を往く武人として、その一点だけは察する事ができた。


 (さらし)によって強く引き締められた腹を叩いて、今一度気合いを入れ、ノナカも愛騎へと進む。


「よぅ、口煩い戦友ちゃんよ。調子はどうでぃ!」


『まぁ、乙女になんて言い草っ! 飛行中に振り落すわよ!』


 重爆撃騎の横たえた首筋を叩くと、その重爆撃騎が自慢の髭でノナカの脇腹を薙ぐ様に叩く。決してこの為に(さらし)を巻いている訳ではないが、この時ばかりは有り難い。


「へいへい、元気な様で何よりだ。不調の騎はいねぇか?」


 隷下の航空隊が万全であることを確認したノナカが鷹揚に頷く。兵器ではなく、将兵という扱いである重爆撃騎は全てが高位種の転化した姿であり、その規模は他の航空騎を圧倒するものであった。


 これこそが皇州同盟軍航空艦隊の切り札であった。


 本来は不用意な転化を嫌う者が多い高位種であるが、それをトウカが捻じ曲げさせてまで編制した航空隊こそが、〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉である。


 またの名を神雷部隊。


 本来であれば、可搬重量(ペイロード)に優れる飛龍や炎龍などを中心に編成するのが通常であるが、トウカは可搬重量が更に優れ、その上で高い魔導資質から高防御力の期待できる高位龍種による統一編成を熱望したのだ。


 無論、当初は志願する者など居らず、忌避する者が大多数であった。


 しかし、戦勝を続けたトウカの意見を無視し得ない者は少なくなく、現在では少なくない高位龍種が重爆撃騎として〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉に配属されつつある。


 重爆撃騎の下部に設置された装甲籠……操縦席や爆弾倉などを纏めた巨大な鋼鉄の箱へと乗り込み、ノナカは機銃手や副操縦士、爆撃手、通信手、衛生魔導士などを一瞥して問題ないか確認する。


 そして、自席に乗り込んだノナカを迎えたのは、小鳥の囀りを思わせる可憐な声音と、浅葱色の髪を左で束ね、憂いを帯びた(はしばみ)色の瞳を備えた清楚可憐にして美貌の憲兵中佐であった。


「ノナカ中佐、御迷惑を御掛けしますが、宜しくお願いします」


 一分の乱れもない敬礼を以て、可憐な声で語り掛けてきたクレアに、ノナカは「応よ! 任しときなぁ!」と気風良く応じる。


 初出撃の切っ掛けの一つであるクレアに対し、〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉の面々は好意的であった。一向に下令されない出撃命令に焦れていた彼らにとって、クレアが門外漢の憲兵である事など然したる意味を成さない。無論、それはノナカと同階級でありながら、先任の現場指揮に介入しないとクレアが明言しているという理由も大きい。


「行くぜ、野郎共ッ! 殴り込みの時間だぁ!」


 通信機の受話器を手に取り、ノナカが叫ぶ。



 〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉。



 その名は、ある種の皮肉であり偽装でもあった。重爆撃騎による戦略規模の影響を与えるべき戦力が“戦術”を呼称するのは一重に内外に対する隠蔽の為である。


 直線の飛行場に並んだ重爆撃騎集団。


 飛行場の滑走路に描かれた魔導刻印が輝きを帯びる。


 前方からの合成風力を発生させ、離陸距離を短縮させるための装備。その合成風力に前方から煽られる中、重爆撃騎の翼下に装備された補助推進機(ブースター)が点火され、轟音を立てる。


 徐々に動き出し、幾許かの滑走を経て重爆撃騎が浮かび上がる。


 ノナカの搭乗する一番機を追い、次々と後を追う様に離陸する〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉の重爆撃騎。飛行場の端に併設された管制塔や掩体壕、整備施設の窓や屋根の至る所に現れた手空きの将兵が帽子を千切れんばかりに振って歓声を上げている。


 装虎兵や軍狼兵に対し、重要度として格下に見られる傾向にある航空戦力が陽の目を見る時が来たことを、彼らはその物々しい雰囲気から察したのだ。


 ノナカは風防越しに敬礼を以て応じる。


 後に周辺諸国の国土を灰燼に帰す為の最先鋒を担う“空の要塞”が歴史の表舞台に飛び立とうとしていた。









「航空攻勢は最低限に留めると協定で定められていたはずだが……」


 エルメンライヒは、遣りたい放題してくれると顔を顰める。


 彼にとって陸海軍等は取るに足らない存在なのか。少なくとも姿勢の上では新兵器などの供与で譲歩と強調を見せていると一般的には見られているが、内情は酷いものであった。内戦で干戈を交えた勢力が手を携えるのは、それ程に困難を伴う難事なのだ。


 ――否、彼女の不信こそが総ての始まりか。


 マリアベル。


 彼女の意向と思想を継承した者は、悉くが急進的な姿勢を露わにし、それでいて実力者が多い。それらが皇州同盟に集結し、陸軍〈北方方面軍〉を浸食しつつある現状では陸海軍上層部が好意的になれるはずもなかった。


 だが急速に利権を共有しつつある陸海軍は、正面から敵対できなくなりつつある。故に水面下での利権の争奪戦と情報戦が繰り広げられているだけに留まり、問題の表面化は双方共に避けてすらいた。


 軍事に経済を持ち込んだトウカの手腕は特筆すべきものがある。


 陸軍は装甲兵器や列車砲を、海軍は各種艦艇や艤装をヴェルテンベルク領の軍需企業に依存しつつあった。大量の資金と人材を、何百年と投じ続けた軍需企業の生産する兵器の装備戦力化を願うのは国防組織として間違ったものではない。


 戦後復興の為に各種税が一時的に免除された事もあり、ヴェルテンベルク領での軍需産業は最盛期を迎えているといっても過言ではない。東部地域に近いシュットガルト湖畔や島嶼では生産工廠の新設や増強が行われており、フェルゼンの大型船渠では用途不詳の大型艦艇が六隻同時に起工されたと話題となっていた。


 結局、経済界とそれの恩恵を受ける貴族達の圧力によって陸海軍は妥協する事となるだろうと識者達は見ている。


 エルライン要塞司令官という国防の最前線を担う立場は、銃後の情報に疎くなりがちである為、独自の情報源から情報を得ている。しかし、聞けば聞く程に、サクラギ・トウカの政戦に積極的に経済を巻き込もうとする姿勢に恐怖を覚えるしかない。


 このままでは経済の為の戦争になりかねない。


 経済を軽視していた軍人達だが、トウカが露骨に経済界と連携する姿勢を見せた事で、その恩恵に預かろうと財界人や資産家、豪商達の“支援”が集中しつつある点を注視し始めている。


 トウカは経済界の主張の代弁者となりつつあるのだ。


 陸海軍は当初、困惑した。


 自らの組織の権益がそれ程に羨望の的であったという概念がなかった故に。


 政治や経済に携わるのを忌避する風潮と、純粋に軍事技術と科学技術、魔導技術のみを修学する皇国軍人は、それらへの理解が決して深いものではなかった。


 対する皇州同盟は、圧倒的な資金力を背景に軍需産業に対する大々的な公開買い付けを開始し、皇国に於ける軍事産業の統廃合と影響下に置く構えを見せている。


 この段階で陸海軍は気付いた。


 自軍が運用する兵器の生産の一切を牛耳る心算であると。


 元より優れた軍需企業の多くはヴェルテンベルク伯爵家の影響下にあり、譲歩と恫喝、資金投入によって簡単に皇州同盟の影響下に入りつつあった。皇国が周辺諸国との軋轢を避け、軍事力の行使に対して否定的であった事から、軍需産業が危機感を抱いていた事もその動きを加速させた。彼らからすると皇州同盟は突然現れた自社の“製品”を大量消費する事を宣言しているこれ以上ない程の上客である。


 庇護し、成長させるべく金銭を投じ、後ろ盾となるに値する勢力であった。


「しかも他国への侵攻の可能性を示唆し続けている。陸海軍を相手にするよりも“商機”を感じるのは当然か」


 エルメンライヒは、時代が動き始めた事を察して溜息を吐く。


 内乱は収め方が難しい。単純に敵だから殺してしまえとはいかない。元々は同胞なのだから出来るだけ隔意の残らない形で終わらせる事が必要だが、政府や中央貴族にはその辺りの配慮ができなかった。七武五公がその辺りについて随分と苦労しているのは、北部に対する政策の混乱を見れば一目瞭然である。


 内憂外患の状況が国防戦略を振り回しつつある。


「要塞司令、如何(どう)なさいますか?」


 エルナの言葉に、エルメンライヒは正直に開き直る。


 恋人の逢瀬に付いてくる心算か?とトウカに叩き返され、エッセルハイムより鉄道で蜻蛉(とんぼ)帰りしてきたエルナは些か機嫌が悪い様に、エルメンライヒには見えた。


如何(どう)だと? 要塞司令官でしかない私に、皇州同盟軍総司令官の意向を受けた部隊に如何(どう)しろ言うのだ?」


 二人は要塞司令官に宛がわれた執務室の壁に投影された夕陽を眺めながら言葉を交わしていた。要塞司令官が関連する施設の多くは攻撃に備えて要塞内の最下層に造られており、地下深くとあっては曙光が射し込む事もない。構造上は大口径列車砲にも十分耐え得る耐久性を有しているが、それは精神衛生の耐久性を底上げするものではない。


 気が滅入る場所で、気が滅入る話をするものではないと、エルメンライヒは後悔する。


 エルナは盟友の忘れ形見であるからこそ気軽に胸中を吐露できるが、皇州同盟と陸海軍の関係を知る将官達は一様に困惑し、対応に苦慮していた。


「ファーレンハイト長官は動かれないのでしょうか?」


「……動かん。いや、動けんだろうな」


 エルナの言葉を、エルメンライヒは一蹴する。


 急速に軍需産業と結び付き、北部地域の経済を蚕食し、貴族と政治家を札束の剣で薙ぎ払う姿は、恐怖と畏怖、憎悪と悲哀を以て皇国の一部として受け入れられつつある。否、受け入れざるを得なくなりつつあった。


 敵対的な貴族や政治家に対して、莫大な資金を背景にしたありとあらゆる妨害を見て、元より影響力の限定的な政治家や貴族は口を噤むしかない。汚職や醜聞の露呈へと誘導された無知な政治家や、流通網の買収や露骨な経済摩擦の演出で忽ちに領地運営を傾かせた貴族は決して少数に留まらなかった。トウカは明らかに政敵相手に情報部による運用を以て応じている。


「本来ならば、ここまで経済的な跳梁を許す事はなかったが……」


「経済連合議会が、独立独歩であった北部へ掣肘を加えられなかった事が問題でしょう」エルナは端的に問題点を挙げる。


 参謀将校としての道を歩みつつあるだけあり、指摘する内容と無駄のない言動は好ましいものであった。しかし、まだまだ甘い、とエルメンライヒは苦笑する。


 経済連合議会は十分に奮戦した。


 少なくない“戦死者”を出してまで対抗措置を講じようとしたのだから、エルメンライヒとしては相手が悪かったと同情するほかない。


 皇州同盟の特徴としてよく挙げられる点として、金銭で解決できないと判断すると、さも当然の様に武力を用いるという点がある。


 情報部による情報誘導は当然として、国内外の非合法組織を利用した暗殺や脅迫、特定の政治思想を持つ集団の政治暴力主義(テロリズム)の利用などで、露骨に敵対勢力の抗戦の意志と団結心を漸減してくる。


 それは、最早、軍事行動。


 政治ではない。


 無論、陸軍憲兵隊や警務庁も手を(こまね)いている訳ではないが、皇州同盟の行う工作は狡猾にして巧妙である為に決定打を得られないでいた。


 否、決定打に意味などないのだ。


 旧北部統合軍と北部貴族の削減された各領邦軍からの兵力を抽出する事で急速に再編制を行いつつある皇州同盟軍の総兵力は、一年後には一二万名を越えると判断されている。その上、陸軍よりも機械化率の高い編制は露骨に打撃力を重視していた。治安維持や補給線の確保を各北部貴族の領邦軍や憲兵隊に依存しているという事に他ならないが、それ故に非常識なまでの打撃力を誇る編成を可能とした。治安維持や補給線を各北部貴族の領邦軍や憲兵隊が行うという点も、彼らに対する信頼の形であるという公式見解だが、エルメンライヒは大多数が郷土からの志願兵の集団であるからこそ、同じ郷土に住まう彼らが同胞を相撃(あいう)つ可能性が低いとの打算からであると考えていた。


 北部の貴軍官民は、友人や家族、愛する者が所属している皇州同盟に肯定的に成らざるを得ないのだ。


 だからこそ、トウカの謀略に対して正面から声を上げて異議を唱えた貴族が“不慮の事故”で立て続けに死亡し、ベルゲン近郊で軍事演習を繰り返す装甲部隊という現状に対しても北部の貴軍官民からは非難の声が上がらない。


 既にそうした空気が北部では出来上がりつつある。


彼だけが北部を守護していると。


故に支持せねばならないと。


 もし、有力な勢力が糾弾する姿勢を露わにしたとしても、“なんだ、やる気か?”と開き直るのが目に見えている。皇州同盟軍に合流した義烈将校団の気勢を挙げる姿を見れば、それは嫌でも理解できる事であった。


 皇州同盟に有利な世論の形成を情報部が試みていると見て間違いはない。


 そもそも、トウカは演説の中で露骨に軍事力によって敵対的な国内勢力に掣肘を加える可能性に言及している。彼は政治や経済すらも軍事力で思いのままに操ろうとしていた。


 エルメンライヒは、それを歯痒く思う。


 彼一人が問題なのではない。


 それを許容する土壌が皇国内で育まれつつあるのが問題であった。


 陸海軍は三代以前より天帝から続く周辺諸国との過剰とも思える協調路線により、自信と能力を喪いつつあった。そして、国民もまた長きに渡る平和と不況による閉塞感の中で漠然とした不安と不満を抱いていた。


 そんな時、彼が現れた。


 明瞭に、誰しもが分かる様な単純明快な解決方法と、彼らの心を沸き立たせる“戦歴”を携えて現れたトウカは、内戦に於ける反乱軍の指揮官の一人であったという失点を考慮しても、十分に国政に口を挟み得るだけの権威を確立している。何よりも七武五公の一角を撃破したという奇蹟が、トウカに民衆からの大きな支持を与えていた。


 民衆は、トウカを通して自らも七武五公に伍する事が叶うのではないかという可能性を見い出した。


 彼ならば、若しかすると……という期待である。


 或いは、俺達にだって、という幻想を。


 そして、トウカは国防の最前線に国軍ではない皇州同盟軍を率いて参戦している。


「彼の恐ろしい点は、人間種を含めた低位種の代表者としての立場を確立しつつあるという部分にこそある」


 エルメンライヒは、拡大投影された〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉の重爆撃騎が飛び去る姿を一瞥する。


 恐らく重爆撃騎という存在も、エルメンライヒの想像を越えた運用がなされるのだろうと予想できた。爆弾搭載量の大きい爆撃騎としてトウカが育成に力を入れていたが、陸軍は機動性から急降下爆撃騎と襲撃騎の増強を選択し、海軍は渡洋偵察網の構築を視野に入れた長距離偵察騎として限定的な運用を決定している。


 ――恐らく、この一件によって大きな見直しを迫られるだろうがな。


「抑圧されていた……諦観に、いえ、突然に舞い降りた人工の奇蹟を目の当たりにした低位種の民衆は、無条件にサクラギ中将を肯定的に見るという事でしょうか?」


 うんうんと唸っていたエルナの言葉に「及第点だ」とエルメンライヒは肩を竦める。


 民衆がトウカを通して自らも高位種に並び立てると考えたという点は間違ってはいない。だが、無条件に肯定的に見ている訳ではなく、世論を形成しているのは情報部によって行われた各種工作と金銭に動かされた有識者の言動や情報によるところが大きい。


 未だ大多数は、トウカを肯定も否定もしていない。


 若者を中心に、一部に熱狂的な者がいるだけなのだ。帝国という脅威に対抗する者として黙認しているに過ぎない。どこかで聞いた話。


 彼は冷静沈着な指揮官であるが、その戦歴は破天荒極まりない。


 そう、まるで初代天帝の様な在り様である。


 彼もまた大多数に望まれた即位という訳ではなかった。


 後世の歴史家の大部分がその行為を英断であったと讃えるからこそ、現代では民衆の大多数が初代天帝を崇敬している。しかし、当時は高位種を中心とした中央集権に反発した者も少なくなく、国家としての形成に成功したのは幾度かの国難を乗り越えて以降であった。


 彼は行動次第で、皇国に於ける英雄にも魔王にも成り得る。


 無論、トウカがどちらの道を進むかまでは分からない。


 国家が必要としたからトウカが現れたのか。


 トウカが現れたから戦争が激化したのか。


 現状を見れば偶然の産物であると理解できるが、エルメンライヒにはそうした意図を感じずにはいられない。


 皇国は地政学的に神々との交流を可能とする地域であり、世界的に著名な神話の舞台ともなった地域でもある。神々の意図が介在する余地は、その地域を領土とする皇国の“皇権神授に依る極めて天帝の権限が強い立憲君主制”という神意に左右される世界史の上では他に類を見ない政体からして一種の奇蹟と言えた。


 彼は、余りにも民衆受けする要素を兼ね備えている。


 もし、もう一度、大きな奇蹟……例えるならば、皇国臣民の誰しもが認めざるを得ない戦果を挙げれば、多くの要素は総じて好意的に解釈されるだろう。


 最早、そこまで来ている。


 そうなれば、彼を遮るものはない。


 政治に口を差し挟む事を前提に軍事行動を行っていたならば、それは真に天晴れなものであるが、その野心次第では皇国が滅びかねない。


 低位種の浅慮な政治的主張に流され易い一面を抑える為にこそ、初代皇王は高位種による貴族体制を採用した。それの機能が著しく低下し、低位種がトウカを通して今までは意識を巡らせる事もなかった政治に関心を抱き始めた。


 儘ならんものだ、とエルメンライヒは厳めしい表情に深い皺を刻む。


 首を傾げるエルナ。


 疑問を察して尚、エルメンライヒは応じる気は起きなかった。







「辿り着けねぇ、湊川よ」


《大日本帝国》 海軍少佐 第一雷神攻撃隊隊長、野中五郎


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