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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》
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第一五九話    三巨頭会談



「帝国中央部で叛乱?」


 エイゼンタールより報告書を受け取ったトウカは、顎に手を当て思案する。


 帝国中央部は、元より帝国という国家元来の地域である為、民族主義の嵐が吹き荒れている訳でもなく、強力な軍が駐留している事もあり、叛乱の発生数は他地域と比して極めて少ない。


 丁度、陸軍府長官であるファーレンハイトや海軍府長官であるエッフェンベルクとの懇談している状況で報告を上げてくるという事は余程に大規模であろうと推察できる。現に報告書には中都市の幾つかを占拠したという事実と、貧困層や労働者層を取り込んで大規模と成りつつある現状が記されている。


 ――些か早すぎる。マリィの生前からより扇動していたとはいえ、こうも早く効果が出るはずは……


 直立不動で背後に控えるエイゼンタールに、横目で視線を巡らせる。


「早すぎる。誤報ではないのか?」


「シェレンベルク中佐隷下の部隊の活躍かと。……あとは閣下が帝国に持ち込む様に指示した“危険物”が原因と予想されます」


 それにしても早すぎるのではないか、とトウカは考えた。過大評価と言える。


 トウカは一年から二年の猶予を見ていたというのに、現状の叛乱が事実とすれば実働期間の数ヶ月程度で結果を出したという事になる。


 《帝政露西亜》は第一次世界大戦中に彼の思想に浸食されて滅亡したが、《スヴァルーシ統一帝国》は周辺諸国と争いつつも国内に十分な戦力を展開している。《帝政露西亜》と違い、元より自国民が蜂起する事を前提とし、それを鎮圧する為の戦力を軍や貴族が十分に手にしているのだ。しかも、そうした状況へ対処する為の非形式的知識(ノウハウ)を蓄えている。


 《スヴァルーシ統一帝国》の歴史は民衆蜂起の歴史でもある。


 そう評する歴史家もいる程に帝国国内は安定していない。だからこそ常備戦力で一〇〇〇万を超える大戦力を常に維持しているのだ。そして、国民軍でありながら鎮圧行動によって将兵の離反を招かない様に、叛乱した地域の大多数の民族とは別の民族……地政学的に本来は接触の可能性が少ない民族を主体として編制した軍で鎮圧する事で、将兵が離脱して叛乱に加わる可能性の低減と、不満が国家に向かない様に配慮している。無論、それも限界があるが、少なくとも複数の民族の関係を険悪化させ続ける事で連携される可能性を避けたという事実をトウカは極めて高く評価していた。《大英帝国》程度には統治ができると見ている。



 分割して統治せよ。或いは、分断して征服せよ。



 《羅馬(ローマ)帝国》が伊太利亜(イタリア)半島の征服した都市を統治した手法を、後年の《大英帝国(イギリス)》が倣って植民地である印度(インド)の統治に転用した手法である。それを帝国はより徹底して行っていた。


 無論、それらは根本的な解決までの時間を捻出する為、という前提であらねばならない。


 結局のところ分割統治にも限界はある。


 民族問題で憎悪を扇動したとしても、飢饉による食糧危機や軍事的脅威、一方的な搾取は完全に拭えない影を将来に落とす。国力の低下で分割統治を維持できなくなった時、衰退は致命的な崩壊を招く。将来へ禍根も絶大なものとなる。


 民衆に与えるのは野放図な自由ではなく、画一化された自由でなければならないが、帝国はそれに失敗している様に見えた。当然、食糧事情の悪化を軽視している以上、最早首が回らない事に変わりはない。一度崩壊が始まれば急速なものとなるだろう。


「まぁ、いい。大蔵府を黙らせる手札が早い段階で増えたと思えば、座視し得る程度の不利益だろう」


「ですが、十分に思想が浸透していない状況では追従者も限定的であり、鎮圧されるのは目に見えています」


 報告書に目を通す事もなく、エイゼンタールに突き返すトウカ。


 眼前の陸海軍府の長は、その遣り取りに一様に驚いた表情をしている。


 帝国へそれ相応の規模の諜報戦力を浸透させているという事実に驚いているのだろう。海軍は諸外国の艦隊編制や人事、新造艦の調査に重点を絞り、陸軍は間諜の浸透を防ぐ為の防諜任務に諜報員の大多数を割いている。共に厳しい予算の中での任務である為に規模と人材が限られてて帝国への諜報活動は極めて限定的であった。軍事衝突がエルライン回廊と大星洋上に限定されているという地政学的理由も相まって、仮想敵国であるにも関わらず優先順位が低いという点は極めて興味深い。他国では見られない例と言えた。


「貴様、随分と帝国に干渉しているようだな。いい加減に情報部の指揮権を我が軍に移譲しろ」


「そうだね。まぁ、ロンメル子爵家の公式見解では民間軍事会社らしいけど。公開買い付けも失敗したし困ったものだね」


 ファーレンハイトとエッフェンベルクの言葉に、トウカは曖昧な笑みを浮かべるに留める。


 情報部を根こそぎロンメル子爵家に帰順させたのは実際のところトウカではなくマリアベルの命令によるところであったが、それを知る者は少ない。そして、トウカも与り知らないマリアベルの命令系統が生きている可能性は十分にあった。寧ろ、株式会社である事を見て取り、公開された翌日には公開買い付けを展開しようとしたエッフェンベルクにはトウカも呆れるしかない。柔軟性があり警戒すべき相手である。


「渡せませんよ。情報を制する者が戦場を制する。これからはそうした時代となるかと。最終的に陸では戦列を組んでの華々しい野戦が無くなり、海では敵の艦影を見る事もなく敵艦を沈め合うことになる」


 兵器の進歩の方向性を知るトウカからすると、それは既定事実に過ぎない。


 曖昧な笑みを浮かべたトウカに、二人の陸海軍府長官は尚も言い募る。


「それで“危険物”とは一体、どの様なものだ?」


「まさか化学兵器じゃないだろうね?」


 当然であるが、他国から非難を受けるようなモノを理由なく帝国内に散布するような真似をトウカはしない。化学兵器など限定した運用でなければ国際的非難を浴びる事は避けられない。無論、そこで使用を否定しないのがトウカという軍神である。


「いえ、ただの思想ですよ? ……紅い聖典です」トウカは卑しい顔付きで禍々しい笑みを零す。


「そろそろ彼の地の似非帝国主義者には、革命の足音を聞かせて差し上げようと思いまして」


 無論であるが、トウカは思想と主義を個人的嗜好から忌避する事はあっても、優劣を求めるという真似をしない。自由の意味を履き違えた国民による民主主義と文民統制は軽蔑していたが。


「この世の政治体制に優劣などない。ただ、隣国の政治体制が我が国にとって与し易い政治体制ならば言うことはない。それだけのことです」


 自らに言い聞かせる様に呟いたトウカの一言に、眉を顰めたファーレンハイトと溜息を吐くエッフェンベルク。


「帝国の体制を揺るがし得る程の準備は流石に出来てはいまい」


「それに、もし帝国が崩壊したとしても、その余波がどの様に出るか分からないからね」


 無論、承知している、とトウカは頷いて見せる。


 下手な強権国家の誕生では意味がなく、歓迎すべきは年中懲りずに民族紛争の博覧会を絶えず開催してくれる麗しき第三世界である。ヴェルテンベルク領の軍需産業から生まれ出た兵器の良き消費者となってくれるならば言う事はない。この世界では軍需を産業と捉える概念が希薄であり、しかも帝国では国家の強い影響下の下で兵器産業が統制されている。崩壊が始まれば商機を見いだす事は難しくない。弱者が強者に抗う為に武器を望むのは当然の帰結であり、帝国を打ち負かした国の武器という箔を付け得るならば万全と言えた。


「一度、大きな勝利を実現する必要があるでしょう。可能であれば包囲殲滅戦が望ましい。航空戦力の充実さえ叶えば、それは難しくないはずです」


 トウカは勝利を望む。


 自らの護るべき者の為、領地の利益の為、住まう皇国の為。


「賠償金も領土も必要ではなく、ただ勝利だけで良いのです。勝利は如何なる事象よりも明確な利益を齎します」


 その有象無象の周辺諸国が渇望し、羨望するであろう強権国家帝国の軍に壊滅的打撃を与えたという事実。決して無駄とはならず、有形無形のあらゆる利益と権益を生むだろう。


 勝利は利益へと繋がるのだ。


 地球上の三大国がそうであった様に。


 その起爆剤は皇国経済を爆発的に拡大させるだろう。


 ファーレンハイトは、葉巻の吸い口を短刀(ナイフ)で切り落としながら唸る。


「どの道、我々にも勝利が必要だからな。国防上の問題もあるが、予算をこれ以上、莫迦共に削られては致命的な弱体化を招きかねん」


 エッフェンベルクが同意する様に頷いていることを見るに、陸海軍共通の懸念なのだろう。


 一部では煽っているトウカが、それに対して口を挟む事は烏滸(おこ)がましいものの、陸海軍が政府や中央貴族に対して大きな不信感を抱いている点は隠しようもない事実となって表面化しつつある。七武五公もその点に神経を尖らせているが、双方の仲を取り持つのは並大抵の事ではない。無論、最大の理由はトウカがそれを阻止する構えを見せているからである。


「予算が足りないんだよ。だから陸軍は高給取りの熟練兵を安く雇える少年兵に入れ替えて、紙面上だけは定数を揃えようとしている。けどね、海軍はそうもいかない。戦闘艦艇を扱う将兵は、悉くが技術者でもあるからね。一朝一夕で育成できるものではないし、一度縮小してしまえば取り戻すには膨大な時間と資金が必要になる」エッフェンベルクの言葉は切羽詰ったものである。


 帝国を相手とした戦争では海軍の見せ場は少ない。


 帝国海軍を圧倒するだけの物量を揃えられず、その中で帝国海軍の皇国沿岸への進出を阻止し、神州国海軍への牽制も続ける必要がある。対抗する仮想敵の規模を考えれば、陸軍より著しく不利な立場にあると言っても過言ではない。


 だが、それでも尚、海軍の予算は厳しいものがある。


 陸軍でさえ厳しい現状だが、海軍は活躍の場である交戦の機会が少ない為に軽視される傾向にある。


「金を惜しむ代償は、将兵の血で支払う事になるでしょう。しかも、惜しむヒトとは別のヒトの血で」皮肉げにトウカは口元を歪める。


 《ヴァリスヘイム皇国》は恵まれている。


 国民という有象無象を隠れ蓑にした、馬鹿げた主張をする売国奴を攻撃する事さえできなかった《大日連》の軍人と違い、中央貴族や政府という《ヴァリスヘイム皇国》の発展を阻害する要素が明確にその身を晒しているのだ。


 既に相手が明確であるならば、後は軍事力を行使するのみである。


 この内戦も北部と中央の経済格差が原因と言えなくもない。抵抗されるのを嫌ってそうした方向に誘導した中央貴族だが、どちらにせよ帝国の航空部隊の戦火に晒された事もある北部に進出する企業は少なく、経済格差は避けられなかった。


 それも資金さえあれば起こり得なかった悲劇で、資金さえあれば死なずに済んだヒトも数多くいた。古来より経済格差と食糧難こそが戦争を起こすのだ。



 それにつけても金の欲しさよ、とはよく言ったものである。



 無論、海軍から毟った事を肯定する訳ではないが、ない以上は何処からか捻出するしかないのだ。


 金さえあれば全てが解決する訳ではないが、殆どが解決する事は違いない。それが資本主義である。


「勿論、財政に余裕が無いのは分かっています。しかし、それでも“予算縮小”という言葉が“合法的殺人”と同義語に思えてならない……それで宜しいので?」


 露骨に探る様な視線を、ファーレンハイトとエッフェンベルクへと巡らせる。


 二人は渋い顔をする。


「ええい、煽るな。貴様の所為で陸軍が余計に白い眼で見られるのだぞ」


「海軍は……資金援助してくれるなら、何も見ていない事になるね」


 そもそも、海軍は陸戦艦隊も被害を受けて再編制中だからね、とエッフェンベルクが苦笑する。


 ファーレンハイトとは正反対だが、海軍の台所事情を考慮すれば止むを得ない事で、そもそも武装蜂起による政権奪取で海軍は主力とは成り得ない。座視するという言質だけでも十分以上と言えた。


 対照的な二人に、トウカは無言の笑みを浮かべる。


「まぁ、それは置いておくとして……」


 そして、聞かなかったこととした。


 下手に海軍が協力的なので対応が困った以上に、陸軍もファーレンハイトの表情を見る限り、そうした考えが一部で噴出しているように窺えた。そうした声を押さえ付けることに苦慮していると見ることもできる。


 恐らくは“義烈将校団”という急進的な陸海軍将校の集団だろうと推測できる。


「大きな勝利を見せれば、大部分が解決します。大勝利の後を考えてみてください。ヴェルテンベルク領で製造している中戦車だけでも大陸中が欲しがる筈です。なにせ強権国家たる帝国を打ち負かした軍事強国の兵器なのですから。いずれ皇国は死の商人として豊かになりますよ」


 戦争は消費行動である。故に、どこかで消費した部分を補う必要が生じ、可能であれば戦争によって生じた損失を戦争によって補う事が好ましい。


 他国の混乱と他民族の屍山血河は、皇国に莫大な利益を齎すのだ。


 混乱に付け入り兵器や物資を売り付ける第三者こそが、最も利益を享受できる。実際、戦争は当事者となれば利益を最大化する事は難しい。相手がいる以上、圧倒的な国力差がない限りは友軍の被害も増す。相対的に被害が利益幅を縮小させるのだ。


「宜しい事じゃないですか。他民族の血涙と悲劇で我らが郷土は肥太り、この大陸で撃壌之歌(げきじょうのうた)(さえず)る事が叶う」


 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)含哺鼓腹(がんぽこふく)。大いに喜ばしい。自国が不利益を被る事もなく、輸出品が莫大な利益を生み、国力を高める事が叶うなら臣民は満足するだろう。


 例え、輸出された兵器群が遠つ(とおつくに)で夥しい屍山血河を生み出していたとしても。


 自らが護る義務を負う必要もない他国民など、幾ら磨り潰そうが懐は痛まない。良心まで痛まないトウカは稀有な例だが、自国の国益を図らねばならない立場の者としては得難い資質と言えた。


 現に眼前の二人は、一様に眉を顰めている。


 無論、感情によって国益を損なう真似をする程度の人物ではない事は、その得た立場が示している。トウカの着飾らない言葉に眉を顰めても、その状況が国益に反しないのであれば否定する事もない。


「そして、北部は経済的に冷遇されていたが故に、企業や商家の貴族との癒着は他の地方と比して遙かに少ない。勿論、ヴェルテンベルク領の様に軍需産業を厚遇し、筆頭株主になっている例外もありますがね」


 ヴェルテンベルク領は、マリアベルの統治下で幾つもの企業に投資し、何百年も優遇し続け、人材を収集し、他国の企業に対する産業間諜(スパイ)によって技術を集積した。その上、自領で採掘される各種資源を優先的に、無償で与えることで研究開発に対する負担を軽減し、功績には多大な褒賞と名誉を以て報いた。


 無論、孤立した中でそれを成す事は容易ではなかったが、それを成したからこそヴェルテンベルクは北部の中で唯一急激な繁栄を遂げるに至った。


 そして、その財産を利用し、ヴェルテンベルク領は更なる繁栄を手にするだろう。


「北部は帝国の脅威さえ取り除けば、誰もが好きに商機を掴める大地となるでしょう。豊富な各種資源に、貴族達と癒着した商家や企業による専横もない。何より、皇州同盟がそれを許さない」


 皇州同盟に資金援助をするというのであれば、であるが。


 あくまでも常識的な範疇で資金援助を求め、見返りは警備や護衛、資源、公益路の融通すらできるだろう。決して一方的な搾取ではなく、強力な番犬程度に商人は考えるに違いない。当然であるが、皇州同盟を利用する事を考える程の気概のある商人であれば言う事はない。


「誰も彼もが一獲千金を夢見て北を目指すとなれば好ましい」


 トウカは机上に置かれた呼び鈴を鳴らす。


 話し込んでしまっている為に皆が忘れているが、三人は昼食会という名目で集合したのだ。


「勝利という軍事的信用は利益となり、結果として繁栄を齎すでしょう。無論、経済発展は他国との政治的軋轢や経済格差を生じさせ、行き着く先は政戦含めた敵対行動の応酬です」


 よくある歴史的顛末。


「そうした動きに、際限のない利益と権益を求める貪欲な連中は怒り狂うに違いない」


 他者の取り分を掠める、或いは掠めたと思われる行為をする事は顰蹙と嫉妬、憎悪を買う。実情は重要ではなく、相手がそう思える要素があれば、政治の一部はそれを声高に非難する。それが政治である。


 だが、ただ貪欲なる不特定多数が座して傍観しているはずもない。


「それに抗する為、軍備拡充が唱えられる。挙句の果てには、自国の権益を犯す国家など滅ぼせと首都の大通りで示威(デモ)行進をやらかすでしょう。来ますよ。我ら戦争屋の時代が」


 敵国を討てという過激な言葉は、愛国心や国粋主義の遮光布(カーテン)に曖昧に遮られて国民に伝わり、その耳触りの良くなった言動に唆された者達による狂騒は軍を戦場へと押し遣るだろう。嘗ての祖国がそうであった様に。


「事実上の権威主義国とは言え、臣民に配慮した政治をする以上、戦争は避けられない」


 国家はいかなる政治体制であれ国民の意思を無視できない。それ故に国民の大多数の主張に従い、身の丈に合わない強大な軍事力を創出し、それを戦火へ投じねばならない時代がある。それは止められぬ潮流であった。


 そう、何時か致命的な失態により、国土を焼き払われ、築き上げた総ての繁栄を瓦礫の山とするその日、その時、その瞬間まで止まらない。


 それが教訓とすべき悲劇と、唾棄すべき喜劇を人類に教えるのだ。


 人類史とは、その繰り返しに過ぎない。


 《大日本帝国》がそうであった様に。


「お慶び下さい、御二方。我らは向こう何十年かは戦争には困らないでしょう」トウカは声を上げて嗤う。


 戦争が続けば軍の権威と予算は増し、それを止めることは難しい。


 暫くすると、侍女達によって昼食が運ばれてくる。


 最近は、トウカの好みを反映した食事内容を料理長が心掛けているのか、神州国の料理が多い。


 トウカが常に自身の箸を持ち歩いている事を知る料理長の配慮であり、彼は〈剣聖ヴァルトハイム〉で烹炊長として腕を振っていた。その為、トウカの好みをよく理解しており、ロンメル子爵家の海産物の焼き物中心の料理に飽きたトウカは、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊鎮守府の料理長となった彼の下へ、夕食時に転がり込むことが多々あった。勿論、名目は同僚との懇親会である。


 運ばれてきた料理は……膳は季節の食材を中心に扱ったものだった。


 独特の歯触りが感じられる楤木(たらのき)の新芽の赤味噌和えは薫りに乏しいものの、素朴な風味を演出している。蕩けるような感触の蒼湖魚の刺身は、粉末にした茶葉と混ぜ合わせた塩を付けて口へと運ぶ。淡白とも表現されるかも知れないが、素材の味を消さない様に工夫と配慮がなされた品々に、トウカは頬を綻ばせた。


 その年相応の姿を見たファーレンハイトとエッフェンベルクからの生暖かい視線に、トウカは咳払いを一つ。海産物の浜焼きが何週間続く恐怖を知らない老人には、この辛さが分からないのだ。


 三人は他愛もない会話をしながら箸を進めた。










 陸軍が戦闘糧食開発に総司令部の食堂の資金を投入した為、予算が圧迫され、料理内容が見るも無残な状況に陥っているという逸話は、ファーレンハイトの料理を熱心に口へ運ぶ姿を見れば事実であるのかも知れないと思える。対するエッフェンベルクは落ち着いたもので、海軍と陸軍の高官の食事事情が端的に表れていた。海軍が食事内容に優れるのは異世界であっても普遍的な事実なのだ。


 まぁ、気兼ねをする必要ない面子での食事であるからこそだろうが。


 組織を率いる指揮官には個人の時間が少ない。ましてや成立直後の武装組織と、敵国と交戦状態にある国家の国軍の双璧として振る舞う彼らに安息の時間は少なかった。司令部要員や参謀を引き連れての行動が大半で、有事となった現状では就寝中に叩き起こされるのも少なくない。


 対するトウカも支持者への挨拶回りや支援の取り付けに加え、皇州同盟軍での講習や勉強会などへの参加などで、それなりに多忙であった。皇州同盟自体は、エップやディスターベルク、ラムケなどの人材の厚さも相まって、トウカは方針を示すだけで良かった。ヴェルテンベルク領邦軍の設備や指揮系統を継承しているからこその芸当で、規模が縮小した事も大きい。


「大変そうですね。ところで航空隊の再編制はどの様な状況で?」


「貴様がそれを言うか……。残念だが本格的な運用には早くても一年は掛かるだろう」


「一応、陸海軍で集中的に演習を繰り返している〈教導航空師団(Flieger Division)〉が何とか三カ月で基本的な運用ができるくらいかな」


 楤木の新芽を噛み締めながらのファーレンハイトの言葉に、エッフェンベルクが補足する。


 強力な航空打撃集団の編制は急務と言えたが、トウカが編隊隊形や戦闘教義(ドクトリン)、航空兵装の原案を与えたものの、熟練と最適化には未だ少なくない時間を必要とする。特にトウカの知る“航空機”と、この世界の龍からなる龍騎兵……“航空騎”は全く違う構造である為の齟齬は無視できない数に上った。無機物と有機物、機械と生物という差は、トウカの標榜する機械化と効率化によって解決できない問題であり、自らが答えを持ち合わせない難題でもあった。一朝一夕で解決できない問題に立ち向かう為、陸海軍は共同で〈教導航空師団〉を編制し、訓練内容と装備の改修などを続けている。陸海軍との協調路線が確定したならば、皇州同盟軍もこれに参加する予定であり、その点を含めた擦り合わせをする為の昼食会でもあった。


 三人は航空騎に関する所感を確かめ、どの様な運用にするかと目にも楽しい料理に舌鼓を打ちながら意見をぶつけ合う。


 暫くして、鍋が侍女によって運ばれてきた。侍女(メイド)が土鍋を運ぶ光景というのは、トウカからすると些かの面白みを感じる。


 アシタカガニと山菜を神州出汁で煮るという鍋で、高級食材が幾つも使われていると聞くが、トウカには分からない。松葉蟹などよりも遙かに長い足は食べ応えがありそうだが、深緑に鈍く光沢を見せる甲羅を見ると、蟹味噌は食べられるのだろうかと不安になる。何時ぞやに戦車で相手にした蟹も踏まえれば、異世界に於ける甲殻類の生態系はトウカの常識から酷く逸脱している様子である。


「予算だ。予算が足りん」


「全くだね。せめて臣民が軍拡に前向きなら良かったんだけど」


 ファーレンハイトとエッフェンベルクの言葉に、トウカは広報に積極的でない軍も問題だが、臣民の気質にも問題があると考えていた。教育制度の格差と画一化を統一した行政の下で行っていないが故に、普通に日常生活を紡ぐだけの臣民は国際的な視点を持つに至らない。


 教育制度が統一されていない代償は、国際情勢に対する無理解。これからの通信技術の進歩と、国際政治の複雑化を踏まえれば致命的である。


「まぁ、皇国が滅ぶとするばらば、別の要因でしょうが」


 煮え立った鍋に葉野菜や蟹などの食材を菜箸で入れながら、トウカは聞かせるでもなく呟く。


「激動の時代、適切な人物が、適切な役職と階級を得られなかったからこそ滅ぶ。簡単な事です」


 陸海軍が、トウカに納得できるだけの肩書を用意しなかったことを(なじ)っている訳ではない。そう聞こえたのであれば、負い目があるのだろうが。


 民意は邪魔でしかない。


 《大日連》であれ、《ヴァリスヘイム皇国》であれ、国家の行く末を考えた時、民意は常に指導者の敵だった。


 世論という民意に唆されて生じた大東亜戦争がそれを示している。民意によって国家の戦争を肯定した民衆は、戦後には手のひらを返した様に戦時下の統制を独裁と罵り、軍人を人殺しと蔑んだ。自国民でなければ根絶やしにしたい程の無節操と傲慢である。軍人を民意で戦野に送り込んでおいて、後に軍人の挺身を軽んずるなどあってはならない。自らの失策の責任を取らない政治家の行動と何が違うというのか。


 不特定多数の民衆は、己の過去の決断を顧みる知能はあっても度胸はない。


 彼らは不特定多数という遮光布(カーテン)に隠れ、失敗と誤判断を顧みる事をしない。己の判断が違えていた事を認めず、他者に失態を押し付ける余地があれば、ヒトという生物の大多数はそれを暗黙の内に行う。


 カウティリヤの実利論もマキアヴェッリの主君論も韓非の韓非子も、政治で大成した指導者が記し、後年の指導者が愛読書とした政治学書の多くは、ヒトという生物の本質が悪性であるという前提に政治や集団を語っている様に見受けられる。ヒトを見極め、誘導し、排除し、隷属させる手段を論じている事からも分かるが、他者の善性に負う要素を徹底的に排除している。


 その理由は明確であり、ヒトの在り方を示している。


 ヒトの本質は醜く、狡賢く、怠惰で卑劣である。


 水が決して上へと流れず、下へと流れる定めに在る様に、ヒトも悪性へと流れ堕ちていく。


 トウカはそれを知っている。


 そして、歴史がそれを証明していた。


 《大日連》の自称有識者と嘯く売国奴に、国益に繋がらない目先の利益を撒き散らされ、其れに迎合する自主性なき民衆。そして、皇国でも帝国に対する為の地政学的、経済的負担を北部地域に押し付ける事を許容し、国難から目を逸らそうとしている。


 民衆もまた政戦への理解を怠ってはならない。


 民主主義ともなれば、民衆の一人一人が主権者である。民主主義者は主権者の質よりも量に重きを置く傾向にあるが、零に零を幾度足しても零である事に変わりはない。主権者であるにも関わらず、政戦に無理解である事など如何(いか)なる体制であっても許されない。巷では政治家に“言っている事が難しい”や“もっと分かり易く説明するべき”という意見があるが、それは酷く狂気に満ちた意見である。理解力と理解しようとする意欲のない主権者が、理解力を持つ主権者に自らと同じ“程度”の目線となり説明せよと要求しているのだ。本来であれば、前者こそが後者を理解するべく努力と意欲を示すべき状況であるにも関わらず、である。


 理解力と知識力に乏しい最底辺に合わせて主権を語れという狂気。自国民でなければ殺したい程の怠惰である。


 トウカが国民に知識と常識を求める教育制度の充実を願うが、それは将来的な人材の育成という観点からである。有象無象が主権者に等しい能力を身に付ける事を願ってではない。


 国民は体制の歯車であらねばならない。歯車が自らの意思を以て、自由気儘に回転するなど許されないのだ。


「陸軍が要職を与えてやれなかった事への嫌味か?」眉を顰めたファーレンハイト。


 嫌味と捉える以上に、臣民の権利を軽視した発言に対する不快感であろう。


「まさか。陸軍がどの程度、中央貴族や政府の干渉を受けているか知る事ができる機会を得たのは幸運だったと考えています」


 こちらは一部の議論を挟む余地もない嫌味である。


 エッフェンベルクも引き攣った笑みのままに沈黙している。


 海軍も政府や中央貴族に対して負い目があった。いっそのこと、横柄に貴様らの政治的失敗を我々が軍事的に解決してやろうとしたと開き直る程度の事をしてみせればいいとトウカは考えていた。既に皇軍相撃という禁忌の枷は解かれ、軍事力こそが主張を押し通す最大の示準となりつつある今この時代。


 この期に及んで政治など片腹痛い。


 まぁ、話しを戻せば、と前置きをする。


「寡頭制であっても多頭制であっても、その点に違いはないのです。人的資源と政治制度は一蓮托生であり、人的資源が欠けてはどの様な政治制度であれ十全に機能し得ない」


 人材育成に力を入れる国は、国力を増大させる。それが普遍的な真実であった。


「政治制度に不備と欠陥があったとしても人的資源が豊富なら、その点によって生ずる諸問題を補い得る事も叶います」


 自らに言い聞かせるように呟きながらも、鍋に蟹を入れると甲羅が紅く変色し、食欲をそそられる香りが漂い始めた。


 トウカの見たところ皇国の人的資源の厚みは、各種族の各世代の層に十分に存在している。ただ、政府が一部の種族や高位種の人口統計や人口分布を曖昧にしたままである為、表面上では然したる規模には見えない。政府が人口統計や人口分布を曖昧にしているのは、戦闘能力の高い種族や、戦争に寄与できる能力を有した種族の総数を隠蔽するという意図があると言われているが、実際は違う。


 ――自由気儘に国内を闊歩する高位種を住民票に登録する事を諦めただけだろう。


 トウカは、用意されていた徳利で自分の御猪口に米酒を注ぐ。三人とも機動戦宜しく目まぐるしい速度で酒を消費していた。


 天狐族を見れば分かる通り、隠れ住んでいる種族も少なくなく、独自の文化や生活形態を選択して近代化から距離を置いている種族も一定数存在する。


「人財育成と、それらを適正に配置する機構が必要だと?」


「教育制度の統一と、教育自体の方向性を決める組織を作りたいんだね?」


 二人は何処か疲れたような表情をしている。


 男三人で鍋を突つつきながらの会話は何処か虚しいものがあるが、外部に漏らす事のできない内容であったが為に諦めるしかなかった。蟹鍋は決まって蟹の解体作業の為に無言になるのが相場であるが、三人の会話が途切れる事はない。


 それも当然で教育や人材育成などの分野は政府主導によって行われるべきであり、軍は働きかける程度が関の山である。軍が下手に教育に口を挟めば軍曲主義云々と吝嗇(けち)を付けられる可能性もあった。周辺諸国には《エスタンジア国家社会主義連邦》という軍国主義を標榜する国家もあり、同調する姿勢を見せたと突かれれば面倒だとすら考えているだろう事は疑いない。


 ――その辺りは”戦後”の課題とするしかないか。


「どんな制度も欠陥はあります。独裁制でも共和制も……完璧な制度など存在しません。勿論、完璧な人間も存在しません。……まぁ、この国の(すめらぎ)殿は代々、大層な人型万能統治機構(システム)であらせられるそうですが」


 もし、私利私欲を持たない優秀な人材を揃える事が叶えば、完全な共産主義とて実現できるであろうが、残念ながら現実にはその様な人間は存在しない。プロレタリアの武装せる(かいな)?それは実に勘弁願いたい正義の体現者である。


 不敬だぞ、その言い方は、と口にするファーレンハイトに、トウカは肩を竦める。


 だが、咎める声は上がれども、ファーレンハイトもエッフェンベルクも何処か笑声が滲んでいた。


 皇王という存在に寄り掛かった政治機構が、皇王の不在によって混乱した結果の内戦である事を踏まえれば、皇王とは紛れもなく皇国という国家の統治機構(システム)を構成する要素の一つである。国体尊崇の念などを別にしても、政治的視点から見ればそれは紛れもない真実であった。


 無論、口にするのはトウカくらいのものだろう。


 つまり、そうした発想を根幹に持つトウカは、性格が……或いは見た目も曲がっているという事になる。だが、眼前で苦笑する彼らを見れば、この世界は控えめに見ても根性が捻じ曲がっている連中が少なくないと取れなくもない。よって民主主義的に考えればトウカも正しいという事になる。


 素晴らしき民主主義、その異名は数の暴力。数さえ揃えれば内容など如何でもいいのだ。


 ――だが、俺の場合、この二人を敵に回せば、戦う前から彼我の戦力的に惨敗が確定している訳だが……役に立たない連中の数を揃えても軍事力の前では無力だ。くたばれ、民主主義め。やはり役に立たない。


 言いたい放題のトウカに、二人は怒りや呆れよりも困惑した表情を浮かべている。


 酩酊しつつある思考が普段は押さえていた不満を噴出させているのだが、それは現状に対する危機感の発露でもあった。トウカが考えていた以上に内戦の爪痕は大きく、皇州同盟軍の編制も予定通りには進まず、挙句の果てに皇国世論は未だにエルライン要塞を過信している。


 不満しかない。


 阿呆(あほ)ばかりである。死にたいならば一人で死ねばいいものを、国家を道連れに自害しようとは贅沢な事である。個人の棺桶としては些か大きすぎよう。


「制度の不備を一体なにで補う? 決まっている。国粋主義だ。臣民の愛国心を煽り、挺身を強制する様な世論に持ち込まななれば……」


 そう、簡単なことだ。残酷なまでに。


 嘗ての祖国は、軍事力の不足を愛国的精神の発露の推奨で行った。それと変わらない。


 そして、人類は異世界でも、その歴史を繰り返し続けているという喜劇。


 何と愚かしいことか!


 だが、それ故に愛おしい。


 つまるところ、世界が闘争を望んでいるのだ。


 その潮流の中では、皇国の民意など吹けば飛ぶ程度のものでしかない。


 ――宜しいことじゃないか。


「皆で仲良く対外戦争をするとしましょう……」


 身を包む酩酊感に身を任せ、戦争屋は嗤う。




「それにつけても金の欲しさよ」


             戦国時代の連歌師 山崎宗鑑




「分割して統治せよ」


「分断して征服せよ」


       《大英帝国(イギリス)》ハノーヴァー朝第六代女王 ヴィクトリア





 プロレタリアの武装せる(かいな)


 ソ連秘密警察の生みの親であらせられるフェリックス・ジェルジンスキー閣下のこと。我々は組織化された恐怖でなければならないとのたまって、令状無しでの捜査と略式裁判無双によって恐怖政治の尖兵を務められた。寡黙だが徹底した信念への奉仕に忠実な閣下は、革命直後の混乱期には部下と共に手を汚し、偉大なる共産主義国の安定に尽力為された。赤い皇帝陛下が、信心深き労働者の騎士と評した程に高潔で、故郷の近くの街の名前になったり隣国で衛兵連隊の名前になったりしている。


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