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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》
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第一五八話    派閥争いと赤い嵐




「春まで、か……」トウカは遣る瀬無さげに呟く。


 皇州同盟軍、〈ヴェルテンベルク軍〉……三個師団からなる一個軍団を三つ束ねた九個師団と、軍司令部や直属の旅団を複数隷下に加える大軍。規模は一〇万名を超え、書類上だけであれば真に立派と言える戦力であった。


 しかし、この場にいるのは五個師団にも満たない数であった。


 完全編制となるには、凡そ一年が必要とされるが、戦闘への投入でなければ問題なしと判断してのことであり、円匙(シャベル)(すき)(くわ)を手にして土木作業をするには然したる問題は見受けられない。


 ――寧ろ、遺体に馴れておくには最適だが……


 義気凜然たる志願兵達の初任務としては、失望を抱かせるかも知れないが、可能な限り戦友を親兄弟の下へと還す事は軍事組織としての責務と言えた。そうした軍人の尊厳と挺身に応える事を軽視し続けた軍事組織が長期間に渡り組織としての体裁を保つ事ができた例はない。


「陸軍は帝国との戦争に忙しく、北部統合軍や征伐軍も解体された。手空きの纏まった兵力を持つ我等こそに相応しい任務だ」


 そう苦笑したトウカは、遺体回収作業を指揮するエップへと語り掛ける。


「確かに。しかし、戦闘詳報(バトルレポート)と突き合わせているとは言え、骨が折れる作業ですな。ですが、我が軍が友軍を、例え遺体となっても見捨てないという姿勢を打ち出した事は多くの者に好感されるでしょう」


 エップは、皇州同盟軍ヴェルテンベルク管区司令官に就任している。これにより皇州同盟軍では中将の階級となっていた。元より歴戦の宿将と評しても差し支えない戦歴を持つエップは、右翼活動家としての知名度や人望もあることからその就任が実現したのだ。


 実際は人材不足が祟った結果でしかないが。


 旧北部統合軍から参謀本部の一部も合流してきたが、参謀将校や前線指揮官などの不足は致命的な規模で起きている。北部貴族の各領邦軍から流れてきた将校は尉官や佐官などが多く将官は少ない。領邦軍の将官には貴族が多く、義理や建前が新勢力である皇州同盟への参加を渋らせていた。自身だけでなく、貴族という権力を持つ一族として皇州同盟に参加するかの判断に迷っていると、トウカは報告を受けている。


 義理と人情を秤りに掛けるとは正にこの事。


 民族や種族の仕来(しきた)りたる義理こそが、貴族社会に於ける処世術なのだ。一族や血族に固執した武家社会を知るトウカは、その点を良く理解していた。故に嫌悪感も忌避感も抱かない。個々人の護るべきものとして義理がある。大いに護るべきである。無論、トウカはその結果を保証はしないが。


 トウカにとって、それは不利な事ではない。


 演説の一つや二つで熱に浮かされて所属を希望する者よりも信頼できるとすら考えていた。大いに悩めばいい。寧ろ、熱に浮かされて押し掛けてきた者達こそが問題であった。


 兎にも角にも、そうした理由もあり、この内戦で生じた犠牲者の遺体回収を皇州同盟で請け負う事になった。酷い言い様をすると人気取りであるが、各北部貴族の領邦軍は縮小された上で領地の復興に従事しており、陸海軍は帝国軍の侵攻への対処で余裕がない。その点を踏まえた上での行動であり、異論の挟まれる余地のない行動でもある。


 満足に武器弾薬と兵器が充足しておらず、将兵しかいない状況でも、遺体回収であれば問題はない。


 トウカとエップは、Ⅵ号中戦車が擱座した雪林を徒歩で進む。


「君、丁重に扱いなさい。彼は敵と勇敢に戦い名誉の戦死だ」


 エップは運び出されようとしていた兵士の遺体を見て、検死をしていた軍医に微笑を浮かべた。軍医は得心したという面持ちで敬礼すると、手中の診療録(カルテ)に追記する。


「どの様な死に方でも名誉の戦死、か」


 傍目に見ても自殺である光景だが、エップの言葉にトウカは異論を挟むことはない。明確には口にしていないが、情報部を利用してそうした方向に誘導したのはトウカ自身なのだ。


「死に様によって遺族が受け取れる金額が変わります。……どの様な死に様でも、例え志願兵として義務を果たせなかったとしても、遺族には暫くの間、困らないだけの遺族年金が与えられるべきかと」叩き上げの将校らしい言葉。


 エップの軍人としての経歴を考えれば、こうした場面に幾度も遭遇しているのは想像に難くない。対するトウカは、直属の部下を率いて野戦指揮官として戦闘を経験した事は皆無である。戦闘団参謀や領邦軍艦隊司令、参謀総長、周辺の戦力を糾合しての臨時編成の部隊による防禦行動などと、部隊の参謀や各部隊、艦艇を統合的に運用、指揮官に助言する立場に立つ事ばかりであった。純粋な野戦指揮官として育て上げた部隊を統率し、敵軍と相対した事はない。そして、そのままに複数の部隊を統率する立場となった。マリアベルから領邦軍で与えられた最初の階級が中佐であり、そのまま昇進して艦隊司令官に就任し、後に北部統合軍参謀総長となる。傍目から見れば、軍の主流と口にする事すら憚られる程の出世街道を進んでいる。


 だが、兵とは戦場から連れ帰ってくれる、名誉と栄光を与えてくれる野戦指揮官に対して個人的な忠誠を誓い、時には命を捨てる。


 トウカは支持を受けても、命を賭してまで追随してくれる者はいない。少なくともトウカ自身はそう考えていた。


 共に銃弾の驟雨(しゅうう)の下を共に駆けた指揮官として、トウカを見る者はいないだろう。そうした点こそが、エップやラムケといった叩き上げの将校との差である。


「貴方に配慮された事を、この場で朽ち往きつつあった兵らは喜ぶだろう」


 あまりにも昇進への道を短期間で駆け上がったトウカは、多くの面が疎かになっている。兵の心情の機微などを表面上で察する事はできても、真に理解し得るには経験は不足しており、それを得る為の機会は永遠に訪れない。


「いえ、閣下にも――」


「――サクラギ卿! 御聞きしたいことが!」


 何かを口にしようとしたエップを遮り、一人の妙齢の女性将校が会話へ割り込む。軍の階級序列を踏まえれば上官の会話に割り込むと言うのは褒められたものではないが、その慌てぶりに気圧されたエップと朧げに事情を察したトウカは苦笑する。


「陸軍からの退役を希望為されたとは事実でしょうか?」


「事実だ。ディスターベルク少将。無任所であり続けるならば陸軍中将である意味はない。まぁ、陸軍総司令部が五月蠅(うるさ)いので予備役編入で妥協したが」


 漆黒の軍装に身を包んだディスターベルクの焦った様子に、エップとトウカは顔を見合わせる。


 〈鉄兜団〉という右翼組織を率いていたディスターベルクは、内戦勃発に合わせてヴェルテンベルク領邦軍に従軍。粘り強い防禦戦闘によりフェルゼン攻防戦で担当戦域を終戦まで保持し続けた事から昇進し、階級は少佐となっている。ディスターベルク自身も若き日は陸軍で大佐の階級まで上り詰めた俊英であり、名を馳せた軍狼兵将校である為、皇州同盟軍では少将の地位を与えられていた。


「僭越ながら、些か軽挙だったのではないでしょうか?」


 ディスターベルクの非難に、トウカは溜息を一つ。


 こうした言葉を投げ掛けられたのは、この三日間で十を超える。北部統合軍が解体され、陸軍中将としての階級を用意されたトウカであるが、役職は得られず無任所の状態が続いていた。各勢力の摩擦によってトウカの処遇が曖昧な状態であったのだ。中央貴族や政府はトウカに実動戦力を与えない名誉職をと考え、陸軍内でも総司令部で戦略的視野を必要とする立場にと推す者もあれば、実動戦力を与えて北部鎮護の要とすべきと考える者もいた。海軍では艦政本部の副部長の席に迎えたいという意見があれば、門閥貴族の中には婿養子にするべく画策している家もある。


 よって、複雑に思惑が絡まり、トウカは無任所のままであり続けた。


 トウカとしては、要職に就けないのであれば、陸軍中将の階級など意味はない。


 それ故に皇州同盟を成立させたのだが、それに対して中央貴族と政府は良い顔をしないどころか、現役将兵が他の軍事組織に所属する事を禁止する法案を成立させようと目論んだ。陸軍としても軍事組織の乱立に対する懸念と、それを許容し続けた結果が内戦の複雑化であった為、法案に対する成否は陸軍内でも波乱を巻き起こした。


 トウカは、その時点で退役届を提出した。


 つまるところ、陸軍よりも皇州同盟を取ったのだ。


 表面上は喧嘩腰での退役願いだったが、実際問題として要職に就けない以上、陸軍に所属する意味はない。個人的な野心は別としても、立場を得られねば皇国を護ることもできず、足の引っ張り合いに参加する手間もトウカは忌避した。


 皇州同盟の有力者はトウカの決断を喝采で迎えたが、陸軍は高い戦略的視野と新たな戦闘教義(ドクトリン)を確立させ、有効な兵器開発まで行ったトウカに留意を願い出た。


 この時点で陸軍は気付いたのだ。


 法案が成立する事で現役将兵が陸軍より離脱する可能性を。


 現に能力がありながらも性格や方針の違いから陸軍内で立場を得られない者達は、トウカからそれ相応の立場を約束する手紙を送付するだけで皇州同盟軍への参加を承諾した。近衛軍まで巻き込む姿勢を見せたトウカに、中央貴族や政府は交渉の場を設けようとしたが後の祭り。


 将校から届く退役届の山に事の重大さを察した陸軍。


 ここで陸軍と中央貴族、政府との軋轢が生じた。


 一転して法案の成立に異議を唱える姿勢を露わにした陸軍と、中央貴族と政府が衝突したのだ。


 結果として現役将兵の軍事勢力への参加を禁止する法案の成立は停滞している。


 しかし、そんな中でもトウカは退役……は陸軍があまりにも食い下がった為に予備役編入に妥協しつつも陸軍内での栄達を断念した。トウカが考えている以上に中央貴族や政府の陸軍に対する干渉は深刻である。内戦で統率が取れず、征伐軍に合流した部隊が数多くいた事から陸軍は負い目があるという部分も事態を複雑化させた。


「立場なき階級に意味はない。その上、足を引っ張ろうというものが多くては敵わない」


 陸軍総司令部に所属できたとしても、トウカとしては飼い殺しにされる可能性を否定できず、その上、皇都などに行けば暗殺に晒さられる可能性も出てくる。


 利益よりも、不利益が大きい。


 結果として、皇州同盟軍の成立と精鋭化に注力する道を選んだ。


 一年以内に皇州同盟軍、〈ヴェルテンベルク軍〉を精鋭として、それを基幹戦力とした軍集団規模の戦力を二年以内に構築する。


「しかし……」


 尚も食い下がろうとするディスターベルクだが、トウカはそれを遮ると苦笑する。


「俺が陸軍で権力と戦力を手にしようとするならば、多くの者が妨害や暗殺を試みるだろう。その時、俺は紳士でいられない」


 殺す。必ず殺す。当たり前だ。


 ロンメル子爵領にいるミユキにも、場合によっては危険が迫るかも知れない。


 政治も軍事も結局は、その対処法に本質的な違いがある訳ではない。


 脅威は早期に、大戦力で確実に排除する。


 つまるところはそれである。


 仕掛けてきた者の親族や親兄弟すらも対象に暗殺や誘拐によって徹底的に、惨たらしく報復し、恐怖による均衡を演出するしかない。アリアベルが急速に支持と権力を失い、神祇府が次期大御巫の選定を始めているという噂がある以上、皇国の権力の中枢たる皇都に単身乗り込むというのはあまりにも無謀である。友好的な有力者がいない状況で、自らが思う様に行動し、為すべき事を成せるとトウカは考えていない。


 皇州同盟にとって、現状の皇都は権力の及ばない地なのだ。


 考えれば考える程、陸軍が国防という牙城を浸食されている事実に行き当たる。


 トウカは人的資源の豊富な陸軍での派閥形成を断念し、有能な将校を皇州同盟軍へと引き抜く選択をした。


 軍隊とは一般的な世間とは別世界であり、極めて閉鎖的な世界である上に治外法権に等しい部分がある。軍隊だからこそ真っ当な人間として社会の一翼を担う事を許される者や、逆に軍人としての日常を基準として一般的な社会生活に馴染めない者も少なくない。軍に所属するという事は、一般人との価値観から永続的に乖離し続けるという事に他ならず、限定された軍という社会こそが絶対の基準となる。


 そうした者達が退役後も社会に馴染めず、反社会的勢力に抱き込まれて国情を不安定化させない為にこそ準軍事組織は必要なのだ。


 つまりは天下り先。


 それを理解しない政府の締め付けに対する陸軍の反発は必至である。


 特に兵士全体の不満を将校達が押さえ付ける真似はできない。それは軍の崩壊を招く。結果として不満は純軍事組織への参加を禁止する法案を成立させるべく画策している中央貴族と政府に背く様な流れとなる事は避けられない。


 トウカは嗤う。


 そうなる事は想像できた。それを加速させる事もまた躊躇わない。


「陸軍は組織の弱体化を避ける為、中央貴族や政府に対抗する術を探すだろう」


 予算振り分けを担う政府に、それを支持する貴族院の政治家を多数内包する中央貴族に対抗する為には、正面的な軍事力ではなく資金や政治権力を必要とする。


 ディスターベルクは、眉を顰めたままに呟く。


「それが我々……皇州同盟ということですね?」


「そうだ。現状で陸軍内に派閥を形成する事は全く以て好ましくない。特に法的には政府の下にある陸軍が受動的である以上、多くの部分で口を差し挟まれるのは避けられない」


 内戦の影響が陸軍の立場を厳しいものとしてしまったのは事実だが、トウカの提言によって帝国の脅威を国内各地で扇動し続けている以上、最終的には政府も陸軍に配慮せざるを得なくなるのは間違いない。しかし、帝国の脅威は目に見える形で近づいており、既に一刻の猶予もない。可及的速やかに自身が運用できる纏まった戦力を隷下に加えたいと考えていた。


 得心した表情のディスターベルクだが、その表情は明るくない。


 陸軍の政治的立場の不安定化と、トウカが一刻も早く戦力を手にするべく急いていると理解したが故に、その表情は厳しい。


 対するエップは、冷気に撫で付けられた髭を擦りながら苦笑する。


「成程、確かに企業や商家からの献金で一軍を編制できると考えれば、陸軍としても一考に値する提案と言えましょうな」


 身も蓋もない言い様だが、その点はトウカも陸軍長官であるファーレンハイトに進言していた。


 旧北部統合軍や陸軍からの転向者、各領邦軍の志願者などの軍人が半数近いとはいえ、一軍を完全な新規編成する場合は莫大な資金と兵器、時間が必要となる。幸いにして兵站や組織形態はヴェルテンベルク領邦軍のものを流用する為に然程時間は掛からないものの、兵器などは生産数の問題から陸軍と折衝する必要があった。特に戦車などの装甲兵器に各種火砲、輸送車輛などの重火器や重車両などは陸軍も戦力化を急いでいる。連携を視野に入れている以上、正面戦力である陸軍を押し退けて配備して顰蹙を買う訳にはいかない。


 そうした面で渋るファーレンハイトを説得する言葉として、トウカも正規軍と同様の錬度の一個軍を北部貴族と有力軍需企業に商家の後ろ盾共々、友軍として欲しくはないだろうかと持ち掛けた。


 手綱を握る事を意図してか、或いは再度の反乱を懸念してか、陸軍総司令部から出向した将官を幾つかの要職に据える事と引き換えに、皇州同盟は陸軍の黙認を得た。


「海軍はどうなのでしょう? 彼らからは……その、些か熱心に毟り取り過ぎたと聞いていますが……」笑声交じりのディスターベルク。


 毟るという表現はトウカにとって好ましくないものであるが、同時にそう呆れられる、或いは笑われる事も幾度もあった今となっては眉を顰める気にもならない。


「海軍は、金さえ出すならば〈大洋軍艦隊〉の主力艦の全てをくれてやるとでも言えば大喜びで協力してくれるだろう」


 ヴェルテンベルク領邦軍だけでなく、北部貴族の領邦軍が保有していた艦艇はその多くが北部統合軍、〈大洋軍艦隊〉への所属となっていたが、内戦から復興へと舵を切った北部貴族にとって警備や哨戒戦力としては過剰な戦闘艦艇……特に重巡洋艦や戦艦などの主力艦はその維持だけでも予算を食い荒らす頼もしい無駄飯喰らいであった。トウカはこれを引き取り海軍へと永久貸与する事で得た資金を北部貴族に還元する心算でいた。無論、仲介費用は徴収するが、多くが大中破している主力艦の修理や補修を行う事ができる大型船渠(ドック)はシュットガルト湖内にはフェルゼンしかない。北部貴族達も申し出を喜ぶに違いなかった。


 しかし、とトウカは舌打ちを一つ。


「政府閣僚がもう少し配慮してくれたならば、北部の中央に対する猜疑心も消えるのだが……あの首相。シュトレーゼマンといったか。優秀な様だが、どうも部下と中央貴族に脚を引っ張られている印象がある」


 そして、総てを政治で解決しようとする嫌いがある。


 既に一度の内戦を経て禁忌である蹶起が手段として認知され、悪しき前例ができてしまった。武装勢力の(たが)が外れれば、それを押さえ付ける良心や常識というものは全く期待できなくなったのだ。特に責任の所在を曖昧なままにし続けているというのが致命的である。処罰されない可能性は、蹶起を企てる者にとって、その難易度を大いに下げ得る要素となり得えた。


 シュトレーゼマンは、平時であれば有能な政治家足り得ただろう。


 状況を改善するという、利益と不利益を天秤に掛ける為の視野を持つ人物であることは、エイゼンタールから手渡された報告書からも見て取れる。


 トウカとしては、極個人的には信頼に足る男だと考えていた。


 皇王不在の中、複数の勢力が乱立する状況下で内閣の意思統一を行わず、寧ろ諸勢力に友好的な人物を閣僚に据えて内閣の均衡状態を作り出した点は大いに評価できる。何より、そこには北部に好意的な数少ない人物も含まれていた。見方によっては、否、恐らくはどの勢力が勝利しても与し易い様にとも動いていたのだ。ピウス一二世に負けない(たぬき)である。


 ピウス一二世とは、第二六〇代羅馬(ローマ)教皇である。未曾有の悲劇となった第二次世界大戦前後の教皇であり、猶太(ユダヤ)人に対する対応で賛否の分かれる人物でもあった。積極的に猶太(ユダヤ)人を保護しつつも、連合国側から再三の要請があったにも関わらず一貫して沈黙を続けるという対応を取った人物だが、宗教を立脚点としながらも政治を俯瞰できる人物であると、トウカは考えていた。どちらの陣営が勝利しても自身と組織に最大限の不利益が及ばない選択であり、非武装の和地関(バチカン)の独立を守り通した事実は彼が時代の勝者の一人である事を示している。


 溜息を吐くトウカ。


 ――少しは配慮してやるべきだったかも知れない。


「皇国政府は単独で諸問題を解決できる可能性を喪ったのだ。そして、政府の忠勇なる陸海軍は……特に陸軍と確執があるという今この状況。仲裁こそが愛国者たる我らが使命だよ」


 不和を撒き散らしたのは誰だというエップとディスターベルクの視線を、咳払いを以て散らすと、トウカは苦笑する。


「全く、どの勢力も争ってばかりだ。何故、あのような悪人共がこんなにも世の中に蔓延っているのか……心底、嘆かわしい」


 トウカはそう呟くが、エップとディスターベルクが異口同音に異議を口走る。


「「閣下が言わんでください(よ)!!」」











「ここは……」


 桜色の貴婦人は、漆黒の戦装束を翻し、周囲を一瞥する。


 自身が知る雪よりも遙かに粉雪に近いそれによって雪化粧に彩られた大自然。見覚えのない植生であるものの、資料では目にしていた大自然に、桜色の貴婦人は柳眉を歪ませた。


 取り敢えずは、と肌寒さを感じて宙へと手を差し出す。


 足元に展開した魔術陣から噴き上がる蒼い奔流を制御し、体内魔力を活性化させ、漆黒の長外套(コート)に編み込まれた術式へと注ぐ。嘗ては、この極単純な魔術すら叶わなかった身だが、今となっては斯くも容易く行えるという事実に、桜色の貴婦人は頬を弛ませる。


 大外套の襟下を引き寄せ、桜色の貴婦人は歩き始める。


 遠く彼方に窺えるエルネシア連峰の山肌は見た事もない姿を見せていた。


「ふむ、思ったよりも遠くに飛ばされなんだことは僥倖であるがのぅ……まさか帝国とはのぅ」


 幸運と見るべきか不運と見るべきか判断に悩むが、これからを考えねばならない。


 雪林を進む桜色の貴婦人。


 その美貌を称賛する者もいない雪林を進む姿は優美にして、気品に溢れたものである。まるで、生まれ落ちた時より他者を従える立場にあったかの様な佇まいは、彼女が支配階級である事を示していた。



 マリアベル・レン・フォン・グロース=バーデン・ヴェルテンベルク。



 廃嫡の龍姫と呼ばれていた彼女は、こともあろうに《スヴァルーシ統一帝国》へと流されたのだ。


 帝国語を話す事ができるとはいえ、敵国に飛ばされるというのは運のない話であり、治安も悪い上に、貴族の専横もまた熾烈を極める土地に近づきたいとは考えない。何よりも、帝国という国家は人間種以外の種族に寛大とは言えない。


「まぁ、よい。今の妾であれば、一個中隊程度ならば何とでもなろうて」


 近くの凍りついた池に映る自身の姿を見て、マリアベルはくるりと長外套(コート)の端を掴んで回って見せる。


 戦狼族の身体と聞いていたが狼耳と尻尾はなく、身体自体にも魔術的な仕掛けがされている気配があった。魂を取り扱うことのできる妖精の手腕であれば、人体の改修も容易くやってのけるであろうという確信していたが故にマリアベルは苦笑するしかない。妖精が自らの魂の入れ物にしていた事による変化である可能性もあるが、あまりにも浮世離れした姿にマリアベルは溜息を一つ。


「しかし、けったいな瞳であるのぅ」


 右目が蒼玉色で左目が琥珀色という虹彩異色(ヘテロクロミア)の瞳に、マリアベルは面倒が増えると嘆く。美貌は必要なものであるが、痛々しい色の瞳は望んだものではない。


 そこで、ふと最愛のヒトの瞳を思いだし、マリアベルは鷹揚に頷く。


「まぁ、彼奴(あやつ)に倣うとしようかのぅ」


 自らの瞼に掌を添え、短く詠唱する。


 魔術を使えぬ身であったとは言え、学んでいなかった訳ではなく、病に侵されるより以前はマリアベルも十分に魔術を行使する事ができた。しかしながら、あまりにも長期間運用していなかったので不安があった。この際、試してしまえばよいとばかりに高位魔術を行使する。


 結果として、擬装魔術の中でも最高位に位置するそれは容易に行使できた。


 両目が琥珀色となった事を確認し、マリアベルは歩き出す。


 正確な位置すらわからない状況だが、救助の当てもない以上、行動あるのみである。幸いにして近傍には複数の人の気配が感じられた。


「しかし、激しく動いておるのぅ……祭りではなかろうな」


 それならばそれでよい、とマリアベルは小さな丘を、雪を巻き上げる事もなく一気に駆け上る。


 そして、その緩やかな雪化粧の丘から見える光景に、マリアベルは喜悦の感情を口元から零す。


 街が燃えていた。


 焼き討ちが始まったばかりなのか、未だ黒煙が高く棚引く事もなく、火の手も限定的である。一方的な状況ではなく、街人が武装して迎え打っているところを見るに、計画的な叛乱を為政者側が鎮圧しているという光景に見えた。騎兵や車輌が市街地へ突入するのを阻止する目的で通りに設置されていると思しき阻害(バリケード)に、高所建造物の窓からの狙撃という手段を講じているところを見るに叛乱を指揮しているのは素人ではない。トウカの様な用兵巧者は民間にそういるものではなく、恐らくは軍人崩れか傭兵が指揮官なのだろう。


 ――甘いのぅ。市街地という人工の密林に引き摺り込んでの乱戦こそが取るべき手段であろうて。


 護るべき郷土を背に戦う彼らは甘い。


 トウカとマリアベルは、少なくとも表面上は当然の様に市街地を戦場にする事を厭わなかった。その覚悟を以て、有象無象にして個性豊かな配下を従えたと言っても過言ではない。


 建造物を爆薬で征伐軍将兵諸共に吹き飛ばし、地下通路を利用して挟撃し、瓦礫の隙間に潜み夜襲を仕掛ける……郷土が瓦礫の山になるのを厭わず、敵を殺す為に最善を尽くし続けた。


 故に、劣勢の中から“引き分け”を勝ち取ることが叶った。


 不退転の決意。


 護るべきモノの一部を犠牲にしてまで、護るという一種の矛盾した行動。


 狂気に身を委ね、悦楽の戦野を駆ける戦人。


 結局のところ、最大の悲劇を受容した挺身こそが状況を変えるのだ。


 マリアベルは笑声を零す。堪え切れない。


 何と御誂(おあつら)え向きの状況か。


 そして、帝国の大地に立ち、自らが強大な力を持っている。


 勿論、義侠心に依って立ち助けるなどとは考えない。マリアベルは暇ではない。無論、公式上は病死したにも関わらず、トウカの前に直ぐにひょっこりと顔を出すのも気恥ずかしいので暫しの時を置く心算であった。


「では、往こうかのぅ」


 最大の演出と、思想を携えて帝国に嵐を齎そう。



 朱い嵐と、鉄の革命を。



 背に一対の光の翼を展開した桜色の貴婦人。


 それは《スヴァルーシ統一帝国》の混迷と狂騒の始まりであった。






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