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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第二章    第一次帝国戦役    《斉紫敗素》

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第一五二話    北方方面軍司令官の条件





「敵軍の前衛が重砲の射程に差し掛かります! 推定戦力、五個師団規模!」


 司令部要員の声に初老に差し掛かった男が唸る。


「これで三度目だ。何時もならば一週間程度で諦めたのだが……」


 既に三度目を数える帝国軍の突撃に、多くの者が疲労を隠しきれない。


 半日足らずで、三度の波状攻撃。


 帝国陸軍、南部鎮定軍の戦力は最低でも五〇万。無論、エルライン回廊内は大軍を効果的に布陣で出来る程に開けた土地ではなく、ある程度は布陣を制限されるであろうが、それでも尚、正面戦力だけで一〇万は超える。


「要塞司令、砲撃許可を」


「駄目だ。一番射程の短い野砲の射程に達してから一斉射撃を行う。敵前衛戦力の先頭に火力を集中し、瞬間的な壊乱を狙う」


 威風堂々をその身で体現した巌の様な体躯の初老の男は、司令席から立ち上がり、魔導立体投影機に浮かび上がった赤で示された敵の軍勢を見据える。


 エルライン要塞・要塞司令官ゴットフリート・フォン・エルメンライヒ。


 それが男の肩書と名であった。


 エルメンライヒの人生は平坦なものではなかった。戦場とは他種族と比較して極めて脆弱な人間種にとって余りにも過酷な場所であり、エルメンライヒも多分に漏れず、先の帝国軍による大侵攻で左腕を失い、隻腕となっていた。それでも尚、軍に残り続けたのは先の大侵攻で散って逝った幾多の同期達の墓前で誓ったのだ。


 ――俺は命ある限り御国の護り神であり続ける、と。


 誰にも平等であり、同時に不平等な場所である戦場という地獄で、エルメンライヒは戦い続けた。左腕を失った際の階級は中佐であったが、当時、陸軍参謀本部に勤めていた同期から、要塞司令部付作戦参謀へと志願してみてはどうかとの要請があり、戦野への渇望と亡き戦友達との約束を護る為に応じた。その後、幾度かの帝国軍との小競り合いや、近年の治安悪化により活発化した匪賊討伐などで少将まで上り詰めた。


 そして、極めつけは、北部叛乱による前要塞司令官の更迭であった。


 前要塞司令は北部出身の龍族の貴族であり、その関係から陸軍総司令部は要衝エルライン要塞を反乱に巻き込む事を恐れて更迭したのだ。正しい判断であるが、現に反乱が起きている現状では、新たな要塞司令を送り込む事はできない。


 故に、要塞司令部付作戦参謀であったエルメンライヒが中将へと昇格し、要塞司令官へと任じられた。


「敵特火線まで、後五〇っ!!」


「全火砲、砲撃用意。敵が特火線を通過次第、曳火射撃を開始せよ」エルメンライヒは平坦な声で告げる。


 曳火射撃とは砲撃形式の一つで、時限信管や魔導信管の働きにより砲弾が空中炸裂し、主に歩兵などの非装甲目標に大損害を与えることを目的としている。榴弾か榴散弾を使用しており、近年では砲兵の歩兵に対する優勢を決定づける要因となった砲撃形式であった。


「しかし、敵は力押し以外の手を考えないのでしょうか?」


 隣に立つ孫娘ほど年齢の離れた、中尉の肩章を付けた副官が苦言を呈する。



 エルナ・バルツァー中尉。



 今は亡き戦友の忘れ形見にして、戦乙女とも称される剣の使い手であった。母は陸軍総司令部に勤務する教育総監であり、絵に描いた様な軍人家系でもある。この場にエルナが存在する意図を邪推せざるを得ないエルメンライヒだが、戦術に対する造詣は同期の士官達に優越するものがあるのも確かであった。


 そのエルナの思考を以てしても、帝国軍の動きを見切る事はできなかった。


「奴らが取れる戦術は多くはない。無論、戦略でもかなりの制限を受けている」


 エルライン回廊かエスタンジア地方を通らねば、帝国軍は皇国領内へ侵攻できない。


 それはこの大陸の軍人であれば誰もが知っている真実であった。人海戦術を基本戦術とする帝国陸軍にとっては頭痛の種であるが、皇国陸軍からすれば福音に他ならない。寡兵で大軍を押し留める事ができる地理こそが皇国を今まで生き長らえさせた最大の要因であった。


 迂回するには緩衝地帯でもある《中原諸国領》か、峻険な地形のエスタンジア地方を通過しなければならないので、純然とした軍事的な選択肢は無きに等しい。或いはエルネシア連峰を越えるという手もあるが、深雪の高山を大軍で超えるのは現実的ではなく、そもそも吹雪のなか指揮統制を維持できず、落伍と遭難が相次ぐ事は疑いない。何より重火器や装甲兵器を持ち運べず、兵站線の確保すら困難なのだ。


「陽動では?」エルナが問う。


「否。実動戦力が強大すぎるな。皇国内での破壊工作の可能性も万軍を動かしてまで価値のあるまい」


「新兵器かも知れんぞ?」エルメンライヒが問う。


「否、でしょう。新兵器の性能を前提とした作戦の立案には、大きな危険と想定外の出来事が伴いますので。要塞を攻略可能な兵器であれば、相応の規模か数を必要とします。諜報部が見逃すとも思えません」


「漸減作戦でしょうか?」エルナが問う。


「否、だ。力技で要塞の戦力を削ぐ為だけに、何万もの将兵を損耗する事は効率が悪過ぎよう。戦力を漸減させる意義も見いだせん。本命となる打撃力もエルライン回廊に存在せんよ」


「政治的要因か?」エルメンライヒが問う。


「不明、です。しかし、南部鎮定軍司令にかの姫将軍が就任したという情報を鑑みれば、可能性としては大です」


 二人は唸る。


 その後ろ姿は、誰が見ても親子と思える程に似ている。二人は名将と戦死した無二の戦友の娘という関係でもあった。エルナの父が帝国との小競り合いで戦死した際、エルナを手厚く面倒を見たのはエルメンライヒである。


 ――あの小さな娘が今では新進気鋭の陸軍士官か。


 分からぬものである。


 幼少の頃より幼女趣味(ロリコン)の謗りを同期から受けても尚、可愛がり続けた娘がそれ故に軍に興味を持ち、戦死した無二の戦友と同じ道を進んでいる。世の中とは斯くも儘ならぬものであるのか、と胸中で嘆くエルメンライヒ。


「敵特火線へ侵入しつつあり!」


 魔導通信機を操作していた通信士の声に、要塞司令部が俄かに慌ただしくなる。


 遠くより響く微かな砲声。そして、足元からの振動。


 エルライン要塞に展開している何千門という各種の火砲が火を噴いたのだ。


 火砲は重砲、軽砲、野砲、臼砲、曲射砲、平射砲、要塞砲、迫撃砲、加農砲、榴弾砲、山砲など多種多様なものを展開させており、実に皇国の五分の一という砲を集めている。それら総てが火を噴いたのだ。火力優勢は確実に確保できる。


 だが、それは充足状態の場合の話。


 内戦前に行われた侵攻で損なわれた火砲は、内戦の混乱によって補充されず、弾火薬にも限界がある。


 だが、兵力で圧倒的優勢を誇る相手を近づける訳にはいかない。


「敵を近づけてはならん。火力で全てを薙ぎ払え」エルメンライヒは冷淡な声で告げる。


 将兵達からすれば言われなくとも分かっている言葉だろうが、今一度、徹底する。


 エルメンライヒも若き日の帝国軍の大侵攻……初めて戦車が投入された戦いの際、エルライン要塞防衛の一翼を担っており、その記憶は今でも忘れられないものとなっている。


 瞬く間に深緑の軍勢に飲み込まれていく火砲陣地。走れば一分もかからない近くの陣地で起きた惨劇。国防色の軍服を身に纏った兵士達が深緑の濁流に為す術もなく押し流される。冷静に考えれば、その陣地が犠牲になった御蔭で、エルメンライヒは深緑の濁流に飲み込まれることはなかったのだ。予備隊が救援に駆け付けるまでのほんの僅かな時間、戦友は組み敷かれ、蹂躙されながらも抵抗を止めなかった。


 眼前に迫る敵兵の横腹に銃剣を刺し、女性兵士を組み敷こうとする敵兵の頭部を銃床で殴り付け、飛び掛かってきた敵兵を軍刀で薙ぎ払い、或いは最早これまでと手榴弾を抱いて敵兵と共に四散する。


 エルメンライヒは、そんな彼らの陣地を徹甲弾で吹き飛ばした。司令部からの命令であり、その陣地の指揮官の要請であったとは言え、エルメンライヒは忘れない。


 敵が撤退した後、自らの左胸に手を当て生きていると安堵した。自身の盾となり散って逝った者がいたというのに……そんな英霊達を介錯したというのに。最初に確認したのは自分の生命の有無だった。


 なんと卑しい男か。


 その気持ちこそがエルメンライヒを戦争へと、この国防の最前線たるエルライン要塞へと縛り付ける鎖だった。


「敵、戦車部隊と砲兵部隊が各戦域で前進しつつあり! 師団規模の砲兵に、戦車は八〇〇輌を越えるとのこと!」司令部要員の困惑した声が響く。


 それもそのはずで、砲兵が敵の特火点を目指して突撃する戦術など皇国軍はおろか、大陸中の軍の砲兵操典にも書かれてはいない。いくら車輪が付いている砲であっても射撃体勢を整えるまでには相応の時間が掛かり、砲弾の運搬もせねばならない。故に砲兵とは陣地を構築して運用するのが基本であった。


「いけないっ! 敵戦車と砲兵を射程に収めている砲はこれを迎撃するべきかと!」


 戦闘の推移を見守っていたエルナが、はっとして叫ぶ。


 その声に至急性を感じたエルメンライヒも砲兵参謀へと頷き、許可を出す。


 砲兵参謀は魔導通信機の受話器を手に取り、砲撃変更指示を慌ただしく取り始める。砲兵の迎撃は榴弾でも良いが、戦車の撃破には徹甲弾を使わねばならない。


「それ程に戦車は脅威か?」


 エルメンライヒは、砲兵は兎も角として戦車という兵器をあまり信用していなかった。技術的要因でもあるが、稼働率や生産性が低い事に加え、皇国軍には装虎兵など戦車を上回る機動戦力が存在し、比較的容易に撃破しうる為であった。


「五万もの戦力が考えなしに突撃してくる事を何時も通りだと思っていました。ですが、戦車を“大規模”に要塞戦に運用したのは三番姫が初めてです。五万もの兵と多数の戦車が雪原の雪を踏み均せば砲兵の移動はしやすくなると思います……それに、戦車は例え撃破されても残骸は十分歩兵の楯となる、はず……」


 思案するかのように呟くエルナの、その言葉にエルメンライヒは唸った。


 歩兵部隊と戦車を囮にして砲兵から視線を逸らさせ、尚且つ、地面を踏み均す事によって、砲が深雪に足を取られる展開を防ぎ、移動時間の短縮を図る。


 (おぞ)ましいまでの人海戦術である。


「内戦の終結は聞いているが……やはり、援軍には時間が掛かるか」


「一週間で中央軍集団の再編制を終えた部隊が駆け付け始めると聞いていますが……」  


 エルナの言葉に、エルメンライヒは、今まで通りであれば増援は間に合うだろうと推測する。寧ろ、未だ一ヶ月程度の持久なら可能であった。


 だが、戦術を変えてきたという点が気に掛かる。


 戦術を一つ思い付いたからと何十万もの軍を動員して侵攻するなど博打に過ぎる。幾つもの戦術と新兵器を用意していると見るのが自然であった。


 無論、要塞に籠る防御側としては、相手に合わせて戦闘を行うしかない。


「戦車の撃破を最優先せよ」


 エルメンライヒは投影された、横から見ると菱形の様に見える帝国軍戦車を叶う限り遠方で撃破せよと指示を出す。戦車自体も移動する特火点であり、何よりも歩兵の楯になる。撃破できたとしても、その残骸は撃破後も歩兵の楯に成り得るとなれば近づける事自体を避けねばならない。


 兵士の血で舗装し、戦車の残骸を楯とし、歩兵と砲兵を前進させる。


 腹立たしいまでに人命を軽視した戦術であるが、同時に有効でもあった。


 敵前衛と要塞の距離は刻一刻と近づいている。近付かれ過ぎると火力戦による優勢が崩れてしまい劣勢となるだろう。火力の中心となっているのは、要塞越しに砲撃を続ける大口径の重砲だが、敵を寄せ付けない為には要塞外縁の防護壁に雛壇状に併設されている比較的小型な砲や機関銃なども重要である。これを破壊されれば、敵に肉薄され、距離を味方とした戦闘ができなくなる。


「姫将軍め……恐ろしい敵だ」


 刻一刻と不利になる現状と得体の知れない威圧感に、エルメンライヒは口元を引き締めた。









「エルライン回廊に帝国軍が再侵攻を開始だと? そんなものは陸軍の忠勇なる将兵の方々に任せろ。俺は知らん」


 トウカは、ぺらりと手にしていた書物の(ページ)(めく)る。


 エルゼリア侯爵領の領都ヘルネリンゲンの城郭……エルゼリア侯爵であるレジナルドの住まいに居候していた。エルゼリア侯当人に招待を受けたという理由もあるが、トウカの役職が決まらず無任所の儘であるという理由も大きい。ミユキは妹達とシュットガルト湖湖岸で星縞牡蠣なる貝類の食べ放題があるそうで、そちらに赴いている為、恋人からも構って貰えないトウカは暇を持て余していた。


 ――妻が友人と旅行に行って残された夫の気持ちが今なら分かる。


 出来る事と言えば、牡蠣の食べ放題でミユキが“ノロ”われない様に祈る事ばかりである。彼の細菌(ウィルス)がこの世界にあるか否かは、トウカの知るところではなく、一般的に多くの要素で人間種よりも耐性に優れる高位種がそうしたモノに影響を受けるのかも定かではない。無論、エイゼンタールとキュルテンが護衛に付いているので、その辺りは宜しく処理していてくれることを確信してはいた。


「なぁ、リシア……俺はこのまま飼い殺しか? いや、まぁ、分からんでもないが」


 報告に訪れたリシアから書類を受け取りながら、トウカは苦笑する。


 リシアは「そんなことは……」と、口にしているが、何処か自信なさげである。


 北部統合軍は、再編制によって〈北方方面軍〉として陸海軍に組み込まれた。


 無論、陸海空の統合戦力を一元指揮するという北部統合軍の長所を維持しつつ、最上位指揮官にアリアベルを仰ぐ事は最終的に紆余曲折があったものの認められた。目前の脅威に対抗するには可及的速やかな再編制が必要であるものの、練度や武装、編成に多大なばらつきがある。その上、戦闘教義(ドクトリン)にすら差異がある北部統合軍を陸海軍に再配置する労力と時間を惜しむとなればこうなる事は目に見えていた。アリアベルの立場に関しては微妙であったが、七武五公は政治勢力としてはある意味では無色である点を利用する為、神輿とする事を決断したのだろう。


 だが、その中でトウカは無任所のままである。


 ヴェルテンベルク領邦軍中将の階級が剥奪された訳ではなく、ただ〈北方方面軍〉の方面軍司令部の人員に選ばれなかったのだ。


「リシア、御前は理由が分かるか?」


「……貴方を恐れて、いえ、違うわね……やっぱり、クルワッハ公の娘二人を手玉に取ったからでしょうね」


 笑顔のリシアに、トウカは「それならば御機嫌なんだが」と苦笑する。


 詰まるところ、トウカの指揮官としての資質が疑われているのだ。


 マリアベルが逝去した今、北部統合軍が末期に執った作戦の多くにトウカが携わった人物の筆頭として名を挙げられる。


 そして、領民まで巻き込んだ義勇装甲擲弾兵師団の編制や、戦争神経症(シェルショック)の者を両軍に多数出した凄惨な市街戦の実現はトウカの決断によるところが大きい。無論、領民の善意と熱意、郷土愛に付け込んだ部分もあるが、それでも決断に際してトウカの意思が大きく反映されたのは紛れもない事実である。


 トウカは後悔してもいなければ、誤った判断だとも思っていない。


 軍人が戦争に於いて最大効率の手段を講じて敵対勢力と戦野で相対するのは、寧ろ当然の事と言える。


 下らない話だと、トウカは苦笑を一層深める。


 だが、七武五公などの懸念も理解はできる。


 或いは、ヴェルテンベルク伯となったマイカゼも同じような懸念をしているのかも知れない。流石にベルセリカなどの旧北部統合軍将官は考えていないとしても、全員とは言い難い話である。


 彼らは恐れているのだ。トウカが反政府的な戦力を有することを。トウカの下に、未だ不満を持ち続ける者達が皇国各地から集まることを。


「分かるか? リシア。無任所のままに放念されている理由は明確だ」


 最早、軍事だけではないのだ。政治や国家統制の面でも人事的意義を求められる。


「方面軍司令官となったヴァルトハイム卿が戦場で勝てる指揮官として俺を選択しようとした。そして、それは挙げた戦果から考えれば間違いじゃない。野戦指揮官からは諸手を挙げて歓迎されるだろう」


 自分で言うのは些か自信過剰の嫌いがあるが、トウカは戦略面でも征伐軍に非情なまでに抗戦し、市街戦では前線指揮を執った事から、将兵からもそれなりの支持を得ている。


 トウカは、少なくとも将兵からの支持は疑っていなかった。


 彼らは自らを生かし、勝てる指揮官を渇望しているのだ。


 不利な戦力差を弾き返し、致命的な損耗を避ける為に停戦を主導したという事実は、少なくとも将兵にとっては肯定的な要素足り得る。


 実際のところは、トウカに対する信仰に近い風潮がヴェルテンベルク領を中心として広まりつつあるのだが、司令部などに籠りがちであった当人はそれを知らない。


 マリアベルが多くの意味で認めた人間種であるという事実も大きいが、人間種でありながら高位種に対して兵器や戦闘教義(ドクトリン)による対応を主軸にして抗戦し得たという事実が最大の理由であった。


 人間種が大多数を占める低位種などからすると、高位種とは絶対的な能力を有する伝承であり伝説なのだ。


 そして、高位種の力を借りたとは言え、兵器や戦闘教義(ドクトリン)を主軸にした上で、高位種の中でも最上位に位置する七武五公を相手に損害の面で優勢のままに戦況を推移させた。果てはクロウ=クルワッハ公に重傷を負わせたとなれば、人間種を始めとした低位種の誰しもがトウカに幻想を見てしまう。


 低位種は決して高位種に劣る訳ではないのだ、と。


 軍人という種族の差が残酷なまでに露呈する職業であれば、トウカの成した行動がいかに難しいことであるかは嫌でも理解できる。


 ベルセリカの勇戦を讃える声以上に、トウカやリシア、ザムエルといった人間種の活躍が強調されたのは、人間種が軍事的に劣弱な立場であるが故と言える。


 だが、トウカがそれを知ったならば顔を顰めるだけだろう。


 そして、トウカが相応しい地位に付く事を多くの将兵が熱望した。それ相応の立場にある将官達も、である。


 だからこそ危険視された。


「再編中の〈北方方面軍〉は俺を要職に就けようとしているそうだ。つまりは戦場で勝てる指揮官を選んだ」


 実に軍事的正当性の伴った判断と言える。


「その意味では俺を選ぶ事は間違ってはいない。だがな、七武五公やダルヴェティエ侯、もしかするとマイカゼ殿……各地の政治を司る貴族などは別の視点を持っている」


「政治を担う貴族達の目線? この国難に軍事以上に優先される事なんて……」


 トウカの苦笑交じりの言葉に、リシアは呆れの滲んだ声音で応じる。


 軍人からすると、政治で効率的な国防ができないというのは赦し難い事なのだ。ましてや、皇国は民主共和制ではない為、結果さえ出せたならば、非常の際に非情の決断を以て応じる事が法的に制限を受け難い傾向にある。


 リシアは軍事と政治を切り離して考える傾向にある。


 無論、そうした教育を施したのは、皇国陸海軍の士官教育制度なのだろう。


 簡単な話だ、とトウカは、リシアに笑い掛ける。


「国内最大の武装集団を率いるに相応しい否か、だ」


 そう、彼らは政府の統制下にない国内最大の武装集団が成立し、独自行動を行う事を恐れている。そして、トウカはそれを当然だろうと断じて不満を漏らす事もない。


 それ故に無任所である状況が続いているのだ。


 〈北方方面軍〉は、皇国の仮想敵国にして最大の脅威である帝国との戦闘の矢面に立つ国防戦力である。その点を踏まえて最大規模の兵数が最終的に与えられる事は疑いない。そして、その戦域内には策源地として極めて有望なヴェルテンベルク領が存在し、装甲車輛や火砲などの兵器生産の国内生産の多くを占めていた。


 軍事という限定的な分野から見れば、策源地を持つ完全な独立した武装集団となり得る可能性を持っているのだ。政治を司る者達が、内戦の被害に恐れ慄いた者達がそれを許容するはずがなかった。


 総ての貴族は恐れるだろう。政治勢力の統制を離れた武装集団を。


 内戦によって皇国内の諸勢力が軍事的、政治的、経済的な損失を受け、彼ら彼女らは気付いたのだ。それぞれの諸勢力が自前の戦力を有する危険性を。


 政治的な軋轢があり、手元に軍事力がある。


 そして、政治で行き詰った。


 ならば、そこに軍事力を用いる余地と可能性が必ず生じるのだ。


国内で諸勢力が軍事力を互いに向け合う状況が成立する。それは国力の浪費に他ならない。軍事的に考えれば、対外戦争で敵国へ投射できる戦力の減少を意味する。


 だからこそ全ての貴族の領邦軍を領地の規模に合わせて削減し、生じた余剰戦力を陸海軍へと編入して、政府という名目上は中立である組織に委ねようとしているのだ。無論、政府内の権力争いは激化するだろうが、名目上は統一された組織の統制の下に動く事となる。その意義は大きい。


「セリカは七武五公に隔意はあれども騎士ゆえに筋は通す。だが、俺は違う」


 トウカは、貴族や政府から見て最大の不確定要素なのだ。


 皇国の主戦力足り得た高位種の地位を追う切っ掛けを作った。その上、領民まで動員して凄惨な市街戦を展開し、政敵を軍事力で弾圧したマリアベルの意志を継承する戦争屋。


 貴族や政治を司る立場にある者達からすると、トウカは|政治の軍事に対する優越(シビリアンコントロール)を軽視し、政治が軍事に優越する事に否定的である人物に見える。現に内戦中は全体主義的な体制に対する言及が多く、政治が軍事に介入する事を酷く嫌悪していた。挙句に徹底的に政治色を北部統合軍から排除する事に腐心している。トウカはエルゼリア侯爵領の攻防戦では、エルゼリア侯爵レジナルドを始めとした戦域周辺の貴族に対する撤退指示を出したが、それは明白に武力を背景にした交渉であった事も大きい。


 軍事力で領地の統治……政治をする貴族を排除した例が、トウカにはあるのだ。


 そして、トウカは政軍関係に於いて、文民統制(シビリアン・コントロール)を唾棄していた。


 政府に結集する貴族や官僚が軍事を扱う事で国難を乗り切る。


 聞くだけでも不愉快な話であり、(おぞ)ましい茶番である。


 トウカは、大和民族の軍人家系の末席に連なる者である。


 故に文民統制(シビリアンコントロール)を否定する。


 確かに、祖国は戦後、自由主義の名の下に未曾有の繁栄と躍進を遂げた。しかも、全世界が羨望し、嫉妬する程の経済的繁栄である。だが、戦中に幾千幾万の命が草生す屍、水漬く屍に変わった事を忘れてはならない。それを忘れ、平和に溺れた文民や自称知識人が権勢を振るう現状を知るが故に、トウカは文民統制(シビリアンコントロール)を断じて許容できない。


 文民の集合体でしかない政府に、政治だけでなく軍事の権限まで与えるなど正気の沙汰ではない。


 国家方針を決める事までは許容できるが、軍の指揮権に干渉する事はあってはならない。



 ひとたび軍隊が戦争に従事したならば、軍事に関する指針は軍人によってのみ示されなければならないのだ。



 だが、貴族や官僚達は干渉する。そう、必ずである。


「高位種であるが故に彼らもまた戦力だ。それ故に必ず口を挟む。能力のない者の当事者意識ほど余計なものはないというのに、な」


 トウカは、高位種の全てが大なり小なり、自らが自国を護る醜の御盾であるという価値観を有している事を、この内戦を通じて理解した。国政に対する当事者意識を有力者が持つというのは、本来は喜ばしい事であるのだが、知識のない者が勇ましい言葉で軍を唆す危険性をトウカはどうしても無視も座視もできない。


 軍人が形成された世論に唆され、大東亜戦争の道へと突き進んだ《大日本帝国》。


 勇敢な莫迦は何時だって勇ましい無謀を尤もらしく叫ぶ。


「まぁ、暫くは様子見だと思っていたが、貴族共が帝国の脅威を正確に理解したなら、そう遠くない内にそれなりの地位を用意してくるだろう」


 最早、政治の時代は終わったのだ。


 それを理解するには、内戦の被害と危機感“程度”では足りなかったのだろう。


 トウカの言葉に、リシアは苦笑する。


「そう言えば、北部統合軍だった部隊は、練度と装備の問題で、暫くは後方で再編制だったわね。……他の軍には盾になって貰いましょう」


 二人は、落ち着いた造りの部屋から城郭を見下ろす。


 城下の一部が総構え……それも城だけでなく城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ城郭構造は、トウカの良く知る城と何処か似通った風景であった。


 天守に近い位置の部屋からの眺めは壮観であるが、戦火に晒された事によって城下は焼け落ちた部分や、焼け出された領民の為の仮設天幕が立ち並び、痛々しい光景と併存している。


 二人がそれを無感動に見下ろしていると、部屋の扉が開く。


 入ってきたのは、何処か草臥れた紳士服を纏ったレジナルドに、地酒の酒瓶を手にしたラムケ、磨き上げられた漆黒の戦闘鉄帽(シュタールヘルム)に第一種軍装という姿のエップという年齢層の高い面々であった。あまりにも纏まりのない面子であり、北部でも些か“浮いた”印象のある者達でもある。


「やぁ、トウカ君。今日も僕の回顧録執筆を手伝ってくれるかな?」


「おやおや、紫芋もいるのですか。これはいけない、中将閣下の貞操の危機だ」


「今日は、北部の今後について語り合いたいと思い罷り越しました」


 レジナルドにラムケ、エップの順番で好き勝手に語る様に、トウカとリシアは顔を見合わせる。あまりにも個性的な面子であり、再編が進む北部で立場を得られなかった者達であった。


 レジナルドは農聖という異名を持つ農業政策の旗手であったが、当人は政治に然したる興味がなく、有象無象の北部貴族を統制し続ける事は難しかった。結局、紆余曲折を経て北部統合軍最高指導者という立場を辞して以降は領地の運営に精を出しているだけである。


「僕の回顧録だと、トウカ君の格好良さが当社比二倍だよ」


 レジナルドの言葉に、何処の会社と比較した場合なのかと、問いたいところであるがトウカは苦笑に留める。


 正史編纂作業もしているレジナルドは、この内戦を政治と軍事、経済の面から描いた回顧録を執筆し、それを出版することで一財産を築こうとしていた。無論、レジナルドが歴史を好んでいるという事もあり、トウカは可能な限り協力を約束している。トウカもまた歴史を好み、示準としているが故に。


「分け前は一割で構いませんよ」


「それだけでいいのかい? 君を共同執筆者にしたから、それだけで随分と売り上げは増えると思うけど……」


 トウカの戦術やマリアベルの政策という今までは、全く公開されていなかった部分に触れている事から人気を博すると二人は考えていた。些かトウカとベルセリカの活躍が過大に描かれている点は首を傾げざるを得ないが、大衆受けまで狙っていると言われれば納得せざるを得ない。当人達にとって悍ましい事こそが、大衆にとっては一番受けが良いのは歴史が証明している。


「ほぅ、あの剣聖殿との種族違いの恋愛を描いたという……」


「……それは初耳ですが? まぁ、あくまでも”物語“という事で」


 ラムケの言葉に全力で目を逸らしたレジナルドを見るに、更なる大衆受けを求めて、“妄想”まで追記し始めた様子である。ミユキには事前にそうした作品が出る事を言い含めておかなければならない。死活問題である。


「ならば、小官のベルゲン強襲での雄姿も描いていただきたいものです」


「ラムケ中佐を止め得る数少ない常識人たるエップ中佐ならば、物語の中でなく新規編制される〈北方方面軍〉でも存在感を示せるでしょう」


 エップの笑声混じりの言葉に、トウカは忌憚のない意見を口にする。


 三人は、それぞれの言葉に苦笑を零す。


 清々しい建前である。


 レジナルドは、指導者としての資質に欠けるが故に弾き出された凡人。


 ラムケは、過激な思想と天霊神殿の方針に真っ向から対立する危険人物。


 エップは、〈右翼義勇軍(フライコール)〉を率いて、北部の大公国化を図った思想家。


 碌でもない面子である。


 こんな面子ばかりが集まってくるからこそ、貴族や官僚が自身を危険視するとトウカも理解している。それでも、戦争屋であり、主流から当座蹴られつつあると知っても尚、好意的な“戦友”達を邪険に扱う事など出来るはずもなかった。参謀本部も半数は思想的に問題ありとされたのか無任所のままであり、そうした者達は何かしらの理由を付けてトウカの下へと足繁く通っている。


 ――次の叛乱を起こすとでも思われたら面倒だ。分かっているのか、此奴(こいつ)らは。


 或いは、それを期待されているのか。


 嬉しくもあり、煩わしくもある。


 だが、無任所となった事で時間には余裕があり、ミユキと戯れる時間を除けば、正直なところ暇である。


 ――それに、手持ちの戦力がないという訳でもない。


 陸海軍への編入を拒否したヴェルテンベルク領邦軍情報部の〈第八〇〇特務重装鋭兵中隊『ブランデンブルク』〉は、些か個性的な手段を用いて離脱した。


 組織の民営化である。


 あろうことか、ヴェルテンベルク領邦軍情報部は構成員の全員が辞表を提出して領邦軍から離脱。内戦の終結と再編制の混乱で、傷痍軍人の除隊やヴェルテンベルク領邦軍の場合は義勇兵の問題もあって、それが済し崩し的に認められてしまった。無論、それは建前で、裏で何かしらの蠢動をしただろう事は疑いない。


 当然、ヴェルテンベルク領邦軍の諜報能力を高く買っていた陸海軍は目を剥いたが、後の祭りである。領邦軍の縮小に応じた人員削減に同意した手前、認めない訳にはいかず、そもそも正式に編入されるのは再編制後なので陸海軍に留意させる術はなかった。


 だが、問題はそれだけではなかった。


 新たに杖を突いて入室してきた、片足を棺桶に突っ込んでいそうな老人……カナリスを目にしたトウカは、露骨に顔を顰める。


「これは、カナリス取締役。儲かっていますか?」


 畏れ多くも、ヴェルテンベルク領邦軍情報部の組織基盤を其の儘に株式会社として立ち上げ、上場までやらかしたのだ。諜報を司る情報部であるが故に、設備や組織編成は不明瞭である。予算編成に関する書類もまたマリアベルの逝去に合わせて焼却されていた事から、彼らはあらゆるものを手にしたまま株式会社として成立できた。証拠と内訳が不明である以上、それを追求する事ができないのだ。


 挙句に、元より非正規戦力として、ヴェルテンベルク領邦軍の公式記録上になかった〈第八〇〇特務重装鋭兵中隊『ブランデンブルク』〉も加わり、事実上の民間軍事会社の体を成していた。


 そして、それを取り纏める老人は、ふぉっふぉっふぉ、と何処かの宇宙怪獣の様に笑う。


「ぼちぼちでんのぅ……。ロンメル子爵が選んだ政務官が優秀で、金を吝嗇(けち)って敵わんぞぅ」


 顎髭を撫でて、困ったと呟くカナリス。無論、口添えをしてやろうという気にはならない。


 ()しからん事に、設立した株式会社の筆頭株主を、カナリスはミユキに依頼したのだ。


 ――何処に資金があるのか。ベルゲンでレオンディーネから奪った一個増強師団のハイゼンベルク金貨か? 


 現在、行われているロンメル子爵領の島嶼部の大々的な公共設備(インフラ)整備や産業や漁業への梃入れなどはかなりの規模である。それと同時に株式会社の筆頭株主になる程の資金となれば、一個増強師団のハイゼンベルク金貨で足りるかという疑問もある。


 専門でもないトウカには分からず、現時点でミユキに不利益を及ぼす訳でもない為、取り敢えずは様子見である。ヴェルテンベルク伯となったマイカゼの後ろ盾がある為、ミユキの立場に関してはこれ以上ない程に安全と言えた。


 二人の遣り取りに、苦笑する爪弾き者達。


 そこで、ラムケが酒瓶を掲げる。


「しかし、碌でもない面子が揃いましたな。まるで、反動勢力の蹶起集会の様です。どうですかな? 蹶起軍の復活を祈念して」


 ――誰もが思いはしても言わん事をあっさりと言いやがって。


 反動勢力として扱われる理由が自身であるなどと露ほどにも思っていない風のラムケに、トウカは溜息を一つ。


 酒宴を始めようと言いたいのだろうが、〈北方方面軍〉の情報参謀として任命されているリシアの前で余りにも際どい発言と言える。だが、リシアは「奇遇ですね、神父」と書類を入れていた鞄から焼酎の酒瓶を取り出していた。鞄の不自然な膨らみを疑問に思っていたトウカは、酒瓶を入れていたのかと溜息を吐くしかない。


 何をしているのか、とトウカは頭を抱えたくなる。


 それを見た、リシアが笑い掛ける。


「私だって情報参謀を拝命したけど、殆ど飼い殺しなのよ? 任務中の飲酒くらい大目に見て貰わないとやってられないわ」


 おおっ~、とリシアを褒める中年連中。


 寒冷な気候の土地では、身体を温める為に幼少の頃から酒精を嗜むという風習も存在するが、《ヴァリスヘイム皇国》の北部地域に関しては、些か度を越していた。


 ただの飲んだくれ集団である。


 そして、帝国陸軍、〈南部鎮定軍〉による再侵攻三日目の夜は更けていく。





ひとたび軍隊が戦争に従事したならば、軍事に関する指針は軍人によってのみ示される。


         《大独逸帝国軍》 参謀総長、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ元帥


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