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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》

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第一四三話    冴えない遣り方




「あれがクロウ=クルワッハ公爵か……」


 トウカは、高射砲塔(フラックタワー)の一部が砲座諸共に崩れた高射砲座の縁の影から、荒れ狂う巨龍を双眼鏡で確認して凶相を浮かべる。


 フェルゼン防空の要として中枢区画を囲む様に一六棟が建築された大型高射砲塔(フラックタワー)には、最上階から一段下の階層の外壁に張り出した高射砲座が円状に存在していた。そして、一二基の一三㎝連装高射砲を装備し、それより下の階層にも、機関砲や機銃などが針鼠の様に装備されている。その上、全高三〇m以上にもなる巨大な鉄筋練石(ベトン)製の建築物としての偉容を誇り、爆撃による大型航空爆弾の直撃弾に耐え得る厚さ四mの分厚い練石(ベトン)や装甲の壁で覆われていた。


 市街地の抵抗拠点として、これ以上ない程に魅力的で有効な建造物である。


 高射砲は、近隣区画に対する支援砲撃も可能であり、高い全高は狙撃兵による狙撃を容易にして敵兵の接近を困難としていた。


 正に近代に生まれた要塞。


 航空攻撃が重要視され始めたのは、トウカが策定したゲフェングニス作戦の成果が明確となって以降である。しかし、高射砲塔(フラックタワー)が堅牢に建築された主な理由は、集団詠唱による大規模砲撃型魔術に、優位な視界と射界を以て対抗する為であった。よって魔術に対する耐性も優れたものがある。市街戦では視界という要素が大きな意味を持つ。狙撃兵の巣となり重砲や迫撃砲の着弾観測所としても活躍し、市街地という練石(べトン)と鉄骨の密林に在って、各部隊に視界と情報を提供し続けていた。


 内戦に合わせて航空騎を掻き集めていた事からも、マリアベルが高所を偏執的なまでに希求する姿勢は窺える。彼女もまた空中挺身(エアボーン)に近い事は考えていたと取れなくもない。


 異色の要塞からトウカは、アーダルベルトを見据える。


 三つの種類がある高射砲塔は全てが円状に配置されており、最外縁は小型の高射砲塔、そしてその内側を中型の高射砲塔、そして最内縁に大型の高射砲塔が配置されている。トウカ達が隠れる大型の高射砲塔を擁する最終防空網であった。


 巨龍に齧られる最外縁の小型の高射砲塔を横目に、トウカはマリアベルから言われた言葉を思い出す。


 ――今より、三日。妾が御主の主じゃ……か。


 一体、如何なる意図を以ての発言であるか、思案の為所(しどころ)である。


 隣にいたミユキの頬に涙の跡があったことも捨て置けないが、当人がそれについて言及しないのは気付かれたくないからであるかも知れず、下手に触れるべき話題ではない。


 大局的に見て、トウカの君主がミユキからマリアベルに変わったところで、北部統合軍参謀総長の重責にある事実は変わらず、戦局に影響を与えるものではない。しかも、公式に伝達されたものではなく、ミユキとマリアベルという二人の貴族に取って取り交わされた約定に過ぎない事も、トウカからすると理解できないものであった。まさか、人目を憚らずに逢瀬を楽しみたいからなどという理由であるはずがない。


 ――いやいや、今は戦時下だ。人目を憚って当然で、そんな面倒を口にするはずもない。


 そして、マリアベルの家臣となって三日目。つまりは最終日である。


 マリアベルは、決して何かを明確に望んだ訳ではなく、毎夜訪れて戦況報告を行うトウカと私的な会話をするだけであった。夜の散歩などもしたが、それは心休まる一時で、トウカは満足していた。


 トウカの家族のこと。

 祖国の行く末のこと。

 何気ない日常のこと。


 取り留めのない話であり、双方の日常生活や国家の未来、果ては日常生活での何気ない出来事を語るだけの夜の逢瀬は、トウカがマリアベルを寝かし付ける事で終わる。無論、そこに男女の関係はなく、ただ純粋に会話を楽しむだけであり、寝かし付ける際に口付けを交わす程度であった。


 勿論、時間を忘れる程に、楽しく、そして緩やかな時間は、トウカにとっても癒しとなった。トウカは、母の面影すら記憶にないが、マリアベルに膝枕をされると何故か懐かしさを感じる。或いは、自身も母性を求めているのかと考えて、その似合わない渇望に苦笑するしかなかった。


「閣下、クルワッハ公爵は本当に、今日、来るのでしょうか?」


 不安げな砲兵中佐……ヴァイトリングの問い。


 トウカは、マリアベルの可愛げのある仕草の回想を打ち切り、笑顔を張り付けて向き直る。決して楽しい回想を邪魔した事を不愉快に思っていることは表に出さない。


「先程、説明した通りだ、ヴァイトリング中佐。クルワッハ公爵は征伐軍の進出を支援する為、突破口を拡大する事を重視しているが、既に大正門から最短距離にある高射砲塔は最奥のここを除いて損壊も激しい」トウカは思うところを簡潔に述べる。


 トウカ達の籠る高射砲塔を目指して征伐軍主力は来襲する。


 防空要塞の異名を持つ大型の高射砲塔だが、征伐軍主力の総攻撃に耐え得るものではなく、建造理由が防空である以上、地上軍の侵攻に対する抵抗拠点としては不備が目立つ。敵に多大な出血を強いつつも撤退することになる予定であった。何より、この辺りは未だに砲兵部隊や列車砲の支援を受けられる上、周辺の建造物に潜んだ兵士などの抵抗も頑強である。征伐軍も手を焼くだろうが、その場合、アーダルベルトが前線に現れるだろう。そこを、トウカは狙っていた。


 将兵の損耗を避け、早期に内戦を終結させるには、アーダルベルトが前線に出るしかない。


「本来ならば、クルワッハ公爵は此方の総司令部を狙っただろうが、友軍将兵を龍に転化した姿で見捨てる事は士気低下を招く。何より、個人が突出しても総司令部要員を確実に撃破できるとは限らない……劣勢の友軍を放置しては、士気に影響する以前に、あれは貴族だからな」


 そもそも、この高射砲塔の後方には列車砲部隊による砲兵陣地がある。そして、北部統合軍総司令部の建造物内に、総司令部が展開し続けているとも限らないのだ。襲撃しても無意味な行動となる可能性は存在する。実際、総司令部は既に〈プリンツ・ベルゲン〉に移転していた。


 つまり、アーダルベルトは高確率でこの高射砲塔目掛けて飛来する。


 高貴な義務など、軍人には寧ろ邪魔になる要素でしかない、とトウカは苦笑しながら、ヴァイトリングに双眼鏡を渡す。


 隣の高射砲座の物陰から狙撃銃を構える耳長(エルフ)族の兵士達がを指差し、そして大通りを進撃路として進出してくる征伐軍の歩兵大隊へと指先を巡らせる。


 ヴァイトリングが手渡した双眼鏡を覗き込んだのを確認して、トウカは指差した手を軽く上げて、振り下ろす。


 何百という渇いた銃声が響くが、砲弾の弾着音や建造物の爆破音、そして機関銃の連射音の中に在って然して注目を集める程のものでもない。


 しかし、効果は劇的であった。


 遮蔽物を利用しながら機関銃小隊や迫撃砲中隊や砲兵中隊の支援の下で前進していた大隊規模の歩兵が次々と石畳に斃れる。


 その大半が即死した訳ではなく、脚部を撃ち抜かれて石畳に打ち付けられただけであった。狙撃を受けた歩兵は全体の数として多い訳ではなく、残りの歩兵達がそれを助け起こそうとする。


 だが、次は散発的な狙撃に襲われる。


 狙撃だと判断し、多くの歩兵が遮蔽物に潜むが、尚も負傷者を物陰に引き摺り込もうとして、その肩章を掴んで移動していた正義感溢れる歩兵も集中して狙撃を受けて即死する。戦場で己が身を助け、戦友を助けるのは正義感ではなく、先達の流血を以て示された戦闘教義に基づく戦術と行動なのだ。


 当然だが、周りの健在な歩兵は物陰に身を隠す。


 なれど、それを見越していたかの様に、狙撃兵は敢えて急所を外して最初に狙撃した、石畳に無防備に倒れている歩兵を再び撃つ。殺さないように注意を払いながら何発も倒れる歩兵に銃弾を撃ち込み苦しませる。


 勇敢な歩兵が仲間の苦痛の叫びで助けに駆け出すが、今度は助けに行った歩兵が狙撃を受けて仲間を誘う餌にされる。無論、救出せねば仲間が苦痛の後に殺される場面を見せられることになり、士気は大きく低下する。


「友釣りという戦法だ。敵が此方を優越する規模の部隊であっても、足止めする事ができる効率的な手段であり、戦域各地、特にこの辺りで大規模に行わせている」


 二人は高射砲塔内に完全に隠れると、空の弾薬箱へ腰を下ろす。


 彼らを救援する為にも、アーダルベルトが来援する事は間違いない。


 通常の部隊で救援に訪れても新しい“餌”が増えるだけで、例え装甲部隊を投入してきたとしても、高初速の高射砲や長砲身型Ⅵ号中戦車なども展開しており、救助は容易ではない。


 絶句しているヴァイトリングに、トウカは嗤い掛ける。


「それは……あまりにも……」


「素晴らしいだろう? 人道的でもある。何せ、殺せる者を殺さずにおくのだからな」


 ものは言い様であるが、あまりにも“前向き”な捉え方に、近くで小銃の弾倉に小銃弾を装填する作業をしていた義勇兵が弾倉を取り落す。トウカが、何か異論があるのかと言わんばかりにひと睨みすると、義勇兵は慌てて小銃弾の装填作業に戻る。


 全ては順調に進んでいる。高射砲塔という巨大な防空陣地を撃破する為、アーダルベルトはやってくるだろう。そうした流れができつつあるのだ。


 尚も何か言いたげなヴァイトリングに、トウカは舌打ちを一つ。


「戦いは敵が選んだ治療法である。それならば存分に治療してやろうではないか」


 周囲の兵士達にも聞こえる様に嗤う。


 攻め入ってきたのは征伐軍であり、望んで戦火に身を窶した者共に同情などしてやる必要はなく、しかも皇国陸海軍は志願制であり、彼らは護る為、或いは奪う為に望んで軍籍を有しているのだ。


 存分に殺し合えばいいのだ。


 トウカは、ヴァイトリングの肩を叩くと配置に就く様に促す。


 そして、ヴァイトリングが退室するのも見届けると、部屋の隅でこそこそとしている紫苑色の長髪を持つ白皙の美貌の女性将校へと視線を巡らせる。


 何故、リシアがこの場にいるのか、トウカとしては大いに疑問である。リシアには帝国の人中の龍を推測する為、情報部の対外諜報を担う課を総動員して割り出しをしていると報告を受けていたのだが、何故か部屋の隅で曲剣(サーベル)を磨いていた。高射砲座へと続く部屋にいる以上、一番にアーダルベルトの接近を知る事ができることから、戦闘に参加する心算であったのは明白である。


「何をしている? ハルティカイネン情報参謀、貴官の任務はこの場にいることか?」


 命令違反をしているとは明確に口にせず、トウカはリシアの行動を非難する。


 明確に命令違反をしていると周囲に兵士達がいる状況で叱責すれば、リシアの命令違反が周知の事実となり、目に見える形での刑罰を与えねばならなくなる。上官の命令系統から逸脱した行為である以上、降格や減俸、厳重注意などという軽い刑罰は有り得ない。無論、トウカの匙加減次第だが、だからこそトウカは綱紀粛正というものに過剰とも言える対応をしていた。


 トウカの右手が、腰に吊るされた拳銃嚢(ホルスター)に添えられる。


 怯えるリシアの表情は中々にそそるものがあるなどと考えつつ、打算を巡らせる。


 ――リシアを処断すれば……綱紀粛正の面では……有益か? 比較的親しい者でも処断するという姿勢を見せておけば、クルワッハ公爵との戦闘で脱走兵が減る、はず。


 纏まらない思考。


 考えてみれば、ヴァイトリングへの発言も、あまりにも自分らしくない。


 ――リシアを殺す? 俺は何を考えている? 自分に好意を示した女を撃ち殺すのか?


 トウカは軍帽の上から、がりがりと頭を乱暴に掻く。


 熱を帯びる身体の異変に、トウカは近くの壁を殴り付けると、リシアに背を向ける。


 理由など分かりきっていた。










「貴方……大丈夫なの……っ?」


 リシアは、突然、軍用大外套を翻し、特設された司令官室へと入ったトウカを追うと、その肩を掴む。上官に対する態度ではないが、トウカの異変はリシアを不安にさせた。トウカの激務は参謀本部でも有名であり、最近は夜にはマリアベルの下での状況報告と明らかに睡眠時間がない。激務などという次元ではなく、明らかにこの二日は十分な睡眠を取っていない。


 トウカは、振り向くこともなく、リシアの手を払うと司令官室へと入る。


 言動と行動が一致していない。酷く不安定に感じられた。


 眼前で力強く閉じられた扉の前で、リシアは思案する。


 ――部屋に踏み込んで……ああ、もぅ! ミユキなら躊躇わないでしょうけど……


 トウカの瞳の奥底に垣間見えた明確な殺意。


 ただ殺そうとする瞳ではなく、明らかにリシアの射殺が有益かという思考が巡っていた。無論、追い詰められたトウカならしかねない危険性があった。


 しかし、違和感がある。


 トウカ先程の口調や言い回しに不自然な高揚を感じたのだ。リシアにとって、トウカという男は常に冷静沈着で、将兵の士気向上を狙った言葉を口にする時でさえも、勢いではなく内容によるものであった。かつて雪原でリシアに銃口を突き付けた際の、底冷えする様な憤怒の感情も一瞬後には消え去り、あくまでも擬態であった。


 そのトウカが、当然の様に感情を見せるなど、リシアには考えられないことであった。


 特に戦野であれば、トウカは感情と理性を異常な程に乖離させる。


 どれ程に言葉を荒げ、感情を発露させても、その瞳の奥底には凍える意志が潜んでいる。


 無論、それはリシアの直感であり想像に過ぎないが、概ね間違ったものとは言えない。限りなく薄れたとは言え、権天使種の血を引くが故に、その直感は常人よりも鋭く正確であった。国家や指導者の守護、国家の興亡を司る今は亡き高位種族の残滓は、リシアに自身が所属する組織に対する荒廃と、それを指揮する者達への危険を曖昧ながらも感じさせる。


 リシアは胸元で右手を握り締める。


「トウカ……貴方、一体……」


 サクラギ・トウカという人物は、リシアにとって、ある意味に於いては守護すべき対象として意識し得る存在なのだ。無論、だからこそトウカの変化に敏感であるのか、恋する乙女の洞察力のどちらかであるかは、当人すら与り知らないことである。


 意を決し、リシアは扉を開ける。


 入室の可否を尋ねるなどという真似はしない。


 恐らくは拒否されるであろうということもあるが、それどころではないという確信があった。体調不良か、激務に精神の安定を崩しているのかは不明であれば、軍の指揮統率にも影響を及ぼしかねない。


 扉を開けたリシアは、完全な暗闇の室内に驚くが、窓の少ない壁に高射砲塔では珍しいことでもないので、慌てることもなく近くの壁に手を這わせて照明の開閉器(スイッチ)を入れる。


 一瞬、室内を見回しても見当たらない事に焦るが、目を凝らしてよく見てみれば、部屋の端の壁に深く背を預けた姿で座り込み、トウカは気配さえ窺わせずに沈黙していた。


 近づいたリシアだが、寝ているとばかり思っていたトウカは顔を上げる。


「無言で上官の部屋に入るのは感心しないが……要件を言え」


 リシアは、座ったままのトウカの前にしゃがみ込む。


 トウカの瞳に窺えた酷烈なまでの殺意は消え去り、何時も通りの醒めた感情が瞳を見対している。


 しかし、何故かリシアは言い知れぬ不安を感じた。


「どうした? クルワッハ公爵が来た訳ではないだろう?」


 疲れを感じさせない動作で立ち上がったトウカ。


 次いでとばかりに腰に佩用していた軍刀や、自動拳銃、雑嚢などを吊るしていた戦闘帯革(タクティカルベルト)を諸共に寝台へと投げて置き、身軽になると自身は椅子へと腰を下ろす。


 トウカは何時も通り、軍務時の部下に対する優しげで、それでいて気安げな表情を浮かべている。


 その光景が先程のものと余りにも乖離している事で、リシアは余計に混乱するが、曖昧に頷きながら寝台へと腰を下ろす。仮設とは言え、トウカに与えられた部屋で寝台に腰を下ろすというのは、普段であれば気恥ずかしさを伴うものであったかも知れないが、今この時ばかりは不安がリシアの胸中を満たしていた。


「大丈夫なの? 随分と感情を表に出しているわよ? 気付いているの?」


「神を僭称する龍の公爵を相手にする以上……開き直っても赦されるだろう」トウカは笑みを湛えたままに肩を竦める。


 何時も通りの姿に見える。


 ――感情の振れ幅が大きい……まさか。


 リシアは、トウカの変化の原因に一つの可能性を見出した。


「……貴方、若しかして除倦覺醒劑(ペルビチン)を使っているの?」


 リシアは、喉が焼けつくような様な感覚を押さえ付けて訊ねる。


 除倦覺醒劑とは、その名が示す通り、疲労や倦怠感を除き眠気を飛ばすという目的で、ヴェルテンベルク領邦軍で使用されている一種の強壮薬である。


 しかし、リシアは、その有効性と同時に、精神依存、薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪に結び付き易い事を知っていた。これはヴェルテンベルク領邦軍が開示していない情報であり、特に義勇装甲擲弾兵などは民兵である以上、強壮薬と手渡されてそれを信じて使用している事だろう。


 無論、リシアは反対した。護るべき領民を薬漬けにしてまでの勝利に如何程の意味があるのか、と。


 それに対するトウカの答えは簡潔であった。


 護るべきものは、ヴェルテンベルク伯の権威のみであり、それさえあれば復興は容易い。


 リシアは何も言えなかった。


 自身が間違った事を口にしていないことには自信を持っていたが、同時にマリアベルの権威を奪われたヴェルテンベルク領や北部地域が再び、日常を取り戻し得るのかという疑念を捨て切れないのもまた事実。


 リシアの場合は、皇都近郊の陸軍士官学校で教育を受けていた頃、七武五公の政策や公正な判断を目の当たりにしており、其々の領都を課外教練で訪れた事もある。そこで見た光景や得た知識を踏まえた結果、七武五公が戦後に北部を冷遇する事はないと踏んでいた。無論、再び北部に不満を持たせて未来に内乱の火種を残すという愚を犯すはずがないという打算もある。


 しかし、トウカや他の参謀は違う。


 あくまでも書類上でしか七武五公の政策や其々の領都の繁栄ぶりを知らないのだ。


 書類での確認と実物を確認するのではやはり違う。そこに住まう人々の表情や、市街地の雰囲気などは決して書類からは読み取れるものではない。ましてや、マリアベルという七武五公の被害者がいる以上、それらに対して否定的な評価になる事は仕方のない事と言えた。


 多くの者は、確実に復興できる未来として、条件付きでの勝利を渇望している。


 その為には手段を選ばないだろう。


 トウカもまたその一人なのだ。否、トウカこそがその代表者と言える。


 領民が居たからではなく、マリアベルが居たからこその発展と繁栄。


 維持するには、やはりマリアベルが必要であり、特に軍人はその恩恵を受け続けていた。正規軍に劣らぬ装備を有した強大な軍事組織を編成したが故に痛感しているのだ。そして、領民を護るのが自分であるとの自負があるからこそ、大多数を護る為に少数の領民の犠牲を許容する。永い時間を掛けて凝り固まった栄光は、彼らに妥協という手段を取らせる事を躊躇わせていた。


 軍だけではない、領民も例外足り得ないのだ。


 冷遇され続けた先祖の憤怒と悲哀を背負い続け、今尚、政治的に冷遇されているという事実がある以上、中央貴族や政府、七武五公に好意的であるはずがない。マリアベルと共に犠牲を乗り越えて戦い続けようという意志の発露こそが、義勇装甲擲弾兵三個師団である事を踏まえれば、寧ろ領民こそが最も好戦的ですらある。


 ヴェルテンベルク領、否、北部地域が如何様な未来を迎えるか。


 それは、トウカの双肩に懸かっている。


 だが、同時にトウカは、二十歳にも満たない人間種の男子でもある。


 それは過大な負担である。


 誰もがその華々しい活躍に目を奪われて、その現実を一人の若者に押し付けるという非現実的で非常識な状況に気付かない。トウカが年齢を感じさせない程に老獪であり、卓越した視野を持ち、隙のない言動を見せる事でそうした状況に一層の拍車が掛かるのだ。


 優秀であるが故に、総てを背負わねばならない。


 リシアは、如何(いかが)わしい除倦覺醒劑(ペルビチン)を唾棄してはいたが、トウカに使うなと言える立場ではなく、寧ろ、リシアもまたトウカの才覚に依存する形で内戦を戦っている将校なのだ。


 トウカは、リシアの問いに些か驚いた表情となり、気恥ずかしげな表情をする。


「気付いていたいのか? 前後の状況からの推察と、これの使用許可を無理やり押し通した事を踏まえてだな。……これは良いぞ。熱した血液に氷水を流し込む様に冷静になれる上に、疲れも吹き飛ぶ」


 胸衣嚢(ポケット)から茶色の小瓶を取り出して、教師に悪戯がばれた生徒のような表情は新鮮であったが、それが逆に痛々しさを感じさせる。推察するだけの能力があるなら情報参謀として推した俺も鼻が高いと愉快げなトウカだが、その顔は良く見れば翳がある様に見えた。


 言葉がなかった。これが戦争なのだ。生命と精神を削り、奪う為、失いたくない為に戦う。地獄だった。


「恐らくは塩酸メタンフェタミン錠だろうが……。神経終末からアミン類を遊離させて、間接的に神経を興奮状態に……アミン類の神経終末への再取り込みを阻害する作用と、シナプスの間隙のアミン類の濃度を上昇させる……だったか? ふん、この辺りも深く学んでおくべきだったな」


 茶色い小瓶を眺めながら、その能力を推察するトウカ。


 トウカは義務を果たしている。痛々しい程に非難する事などできはしない。


「俺もこんなものには頼りたくなかったが……やはり、ヒトでは長命種には勝てない。少しの戦略的優勢など長命種の頑丈な身体の前では霞む。俺が寝ている間にも七武五公は指揮を撮り続けているそうだ」


 長命種……それも七武五公ともなれば三日程度の継戦は、魔力の節約さえできれば不可能な事ではない。しかし、トウカの口振りから窺うに、問題視しているのはクロウ=クルワッハ公爵が不眠不休で指揮を続けられるという点なのだろう。


 長命種に対して身体的劣勢を強いられる人間種が不利な点は、決して正面切った命の奪い合いだけではなく、その指揮を続けられる時間や集中力にも少なからず出ていた。身体的に優れているなら、それに依存した行動時間や集中力などにも差が出る事は当然と言える。


「甘く見ていた……そうした部分が危険視されなかったのは、長命種の戦闘能力に押し潰されて、互角の軍略を展開できなかったからだ」


 冷静な評価に、リシアは成程と思う。


 勿論、除倦覺醒劑の効果ではなく、その認識であり、皇国内では高位種の戦闘能力ばかりが注目を浴び、その指揮可能な時間の差という部分に注意を払っていなかった。高位種という戦力を如何に運用して、敵軍に致命傷を与えるかという事が重視され、古来の会戦であっても高位種の積極的運用に被害が拡大し、敵軍が撤退するという決着が多い事からもそれは窺える。


 つまり高位種は最前線で直接的に運用してこそという風潮が現在まで続き、それ以外の可能性が表面化したのは今この時なのだ。特に兵器の近代化により、高位種と低位種の彼我の戦闘能力の差異が縮まりつつある現状がある以上、この点は大きな波紋を投げかけるに違いなかった。


 指揮可能な時間の差というのは恐らく、高位種という存在に一番、被害を受けているであろう帝国軍ですら考慮していないだろう。


 人間種では、トウカが初めて高位種が指揮する軍隊と戦術的に互角を演出したと言えるのかも知れない。無論、在野を汲まなく見渡せば、それだけの才覚を持ち合わせたヒトも少ないながらもいるかも知れないが、そうした人物が軍で大成し、軍勢の指揮に影響する立場に立つというのは、可能性として皆無に近い事は疑いなかった。


 アーダルベルトを殺害できるかではなく、寧ろその後に残りのレオンハルトやフェンリスがどうした行動を選択し、征伐軍がどうした動きを見せるかという点を、トウカは危惧しているのだろう。そして、人間種に過ぎないトウカは、それに対して不眠不休で対応し続けることはできない。トウカが就寝し、疲労している間にも、レオンハルトやフェンリスが指揮を執り続けた場合、戦力的互角であっても優勢を確保できないのだ。


「浸透偵察の結果、突入してくる部隊の規模は四個師団相当……しかも、後方の部隊も移動の構えを見せている。クルワッハ公爵を撃破した後、これに抗するだけの戦力が我々に果たしてあるかどうか……」困り顔のトウカ。


リシアは、恐らくはないだろうと判断する。


 既に防護障壁は破られ、陸上戦艦二隻もレオンハルトとフェンリスに、それなりの負傷をさせただけに留まり、代償として大破航行不能となっている。〈龍討者シグルズ〉に関しては、最後に機転を利かせたのか、大正門付近を塞ぐように力尽き、フェルゼン内へ突入する部隊に対して遅滞行動を取っていたが、それも最早、乗員が降伏する事で収束していた。


「ティーゲル公爵とフローズ=ヴィトニル公爵が前線に現れないのは、後方で陸上戦艦の攻撃に動揺して壊乱状態になった部隊の再編制に追われているからだろうが……クルワッハ公爵を喪えば停戦協定の席に着くと考えた事すらも、我々、ヒトや有象無象の種族の常識に過ぎない」


 それに対して、リシアは眉を顰める。


 総司令部や参謀本部にも高位種は居り、しかも北部中から優秀な将校を集中運用していると言っても過言ではない総司令部には、ベルセリカが総司令官として職責に就いている。それらの者達が多くの専門的角度から鑑みて弾き出した答えに疑問を呈するなど正気の沙汰ではない。しかも、一度はトウカも賛成しているのだ。


 第一に、最早、作戦は発令させているのだ。


「高位種の最上位に位置する七武五公は、思考の面でも我々とは別だって言いたい訳ね? でも、停戦協定の為に出血を強要するのは総司令部と参謀本部で取り決められた大前提よ。それを疑い始めれば、戦争なんてできないじゃないの」


 トウカがそれを理解していないはずがない。


 今更、総てを否定するのか。


 もしそうならば、心神喪失として指揮権剥奪も有り得るだろう。しかし、参謀本部は人員を分散させ、総司令部との通信網は寸断されつつあり、正規の手続きなど取れるはずもなかった。そして、ブルンツベルクは兎も角として、ベルセリカにそう訴え掛けても一笑に付されることは疑いない。


 トウカは、何故か年長者に好意的に見られることが多い。元気のいい若者と見られているのか、期待の将官と見られているのかまでは分からないが、リシアよりも余程、信頼されていることは疑いない。除倦覺醒劑(ペルビチン)を使用している事を暴露したところで、眉を顰めはしても咎める事はないだろう。兵士に使用を許可しておいて、将官が使うことを咎めるというのは筋の通らない話である。


 止められない、とリシアの表情が歪む。


 トウカはそれを見て、薄く笑う。


「俺が戦意を喪ったとでも思ったのか? 莫迦者め、殺せるだけ殺すという前提に変わりはない。俺達は軍人だぞ? 俺はそうせざるを得ない。将兵の健気と挺身に応える為か、狂気に魅入られたのかは俺にも分からないが。だが、俺は一度、“征く”と決断したのだ。幾多の将兵の生命(いのち)賭け金(ベッド)にしつつ、ただ只管(ひたすら)に”往く”と」


 茶色の小瓶の蓋を外し、除倦覺醒劑の錠剤を手に取り、がりがりと咀嚼するトウカは無邪気に嗤う。


「これこそが君の求めた軍人たるの姿だろう」


 不明瞭な状況。だからこそ、総てを全力で投じて活路を見出すのだ。自身の生命と正気など、差し出すことは至極当然の事に過ぎない。


 トウカの戦意に蔭りはなかった。








「それならそうと先に言いなさいよ。紛らわしいわね」


 唇を尖らせるリシアに、トウカは苦笑する。その笑顔は痛々しいものがあったが敢えて指摘する事もない。


 トウカはこの内戦後の北部の処遇に関しては、運次第となるのも止むを得ないと割り切っている。その都度、状況を見定めて北部統合軍を運用するしかないと判断し、情報部を主導とした地下組織の準備も行われている。


 トウカが、胡散臭い除倦覺醒劑に手を出したのは、そんな事が主たる理由ではない。強いて言うなれば、再認識しただけなのだ。


「そうだ。ただ、思い出しただけだ」


 恋と戦争の難しさを。


 そして、自分の一対の腕が二人の女性を抱き止めることができる程に長くはないことを。


「やはり、俺には女を二人も護るなんて真似はできないらしい」


 感情が肌を破って溢れだしそうになる。だからこそ薬物で押さえ付けるのだ。この腹立たしさと羞恥心を。


 部屋が小さく鳴動する。


 至近に高威力の攻撃が行われたのだ。


 そんな攻撃をする者が誰かなど問う必要もない。




「さぁ、往こう。戦争だ」


 血みどろの意志を宿した言葉が漏れ出てトウカの顔を焦がす。


 今はただ、殺し合えばいい。


 そんな冴えない遣り方でしか活路を見いだせないのだから。


 しかし――


「せめて恋の様にはしたくはないものだな」


 ――そう切に願うトウカは、司令室から廊下へと出た。






「戦いは敵が選んだ治療法である。それならば存分に治療してやろうではないか」


       《亜米利加(アメリカ)合衆国》 陸軍ミシシッピ方面軍司令官 ウィリアム・シャーマン将軍


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