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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第一二九話    新たなる局面




「久方ぶりだな、大御巫」


 その声にアリアベルは応じない。


 天守までの道のりは決して平坦ではなかった。伏兵は存在しないものの、趣味の悪い罠が大量に仕掛けられており、下馬をしての戦闘を継続していた直属の〈神殿騎士団、第一騎兵大隊〉は一個小隊規模の兵員を失っている。対して白虎より降りた〈第五〇五装虎兵大隊〉は城内の制圧行動を続けているが、元より魔導資質に優れた兵が多く配備されている為に魔導障壁の運用を以て罠の威力を防いていることもあり被害は比較的小さい。


 ――逃げずにいたのね……レオもいた。私の勝ちよ。


 アリアベルは賭けに勝ったということになる。


 逃亡されている可能性は常に考慮していた。大昔に建築された古城を改修して流用している防衛拠点である以上、脱出用の地下通路などが整備されていても不思議ではない。北部統合軍の航空部隊の撤退に合わせる形で虎の子の航空部隊に制空行動に当たらせている。航空騎による離脱は不可能であるが、相手があのサクラギ・トウカである以上は確実とは言えないと、アリアベルは考えていた。


 無機質な執務席に収まった姿は泰然自若としており、サクラギ・トウカという軍神はこの絶対的な危機に在っても狼狽える気配を見せない。寧ろ、ウィシュケの注がれた硝子碗(グラス)を傾けて酒精(アルコール)を楽しんですらいる。酒を好む人物であるらしい。しかも、ウィシュケとは好みが中年である。


「逃げ遅れた……訳ではなさそうですね。罠でしょうか?」


 アリアベルは、トウカが片手で指し示した椅子へと腰掛ける。


 トウカは横に位置するレオンディーネ……といっても五月蠅いのか猿轡を噛まされた上で縛り上げられて転がされている姿を一瞥すると、アリアベルへと視線を巡らせる。


「まぁ、罠だが。逃げるか?」


「現時点で私が此処にいる以上、最早手遅れでしょう」


 既に相対している以上、トウカの目的は達成されたと見るべきであり、アリアベルはトウカが講じたであろう罠に対して正面から応じた形である。


 無論、アリアベルにも勝算がある。


 アリアベルの背後にはエルザを中心とした精鋭騎士が控えており、ベルセリカという卓越した戦闘能力を有する存在が野戦に打って出た為、トウカの護衛に対して優勢となるであるという打算と、城郭の内外に展開する〈第三四歩兵師団『ノインキルヒェン』〉と〈第三六歩兵師団『ヴィットリヒ』〉の二個師団という“予備戦力”がアリアベルに絶大なる自信を提供していた。


 トウカは空になった硝子碗(グラス)に、執務机に置かれたウィシュケの酒瓶を手に取り、半分ほど注ぐとその酒瓶をアリアベルへと向ける。


 アリアベルは黙したままに首を横に振る。


 ウィシュケは酒精(アルコール)度数が高く、アリアベルは楽しめない。そもそも、ウィシュケは中高年の酒であるという風潮がある。若くして嗜む者は少なく、そして少数の嗜んでいる者も大半が軍人であった。


「ところで、貴女の御父上が随分と露骨な姿勢を見せ始めたようだが、其方への対応は宜しいのか?」


 トウカの言葉にアリアベルは眉を顰める。


 声を大にして、誰の所為ですか!と怒鳴り付けてやりたい衝動を抑え、アリアベルは頬を引き攣らせて見せる。


 クロウ=クルワッハ公爵が、内戦中の皇国に対して介入の構えを見せた国の存在が表面化しつつある現状を鑑み、牽制の為に大規模演習を実施して之に掣肘を加えた。


 そして、その大規模演習の主役は航空騎だった。


 航空騎の有用性は征伐軍に同行していた《瑞穂朝豊葦原神州国》や《ローラン共和国》などの観戦武官を通して近隣諸国に浸透し始めたばかりであるが、これを裏付けるように七武五公……クロウ=クルワッハ公爵が大規模な航空戦力を有しているという事実を見た諸国は有用性を理解した。叛乱軍とも言える北部統合軍が展開した航空作戦に追従する様に大規模な航空演習を行ったとなれば、それは皇国国内の軍事組織に対して基本方針の転換を促したに等しい。


 航空部隊による制空権の確保と対地攻撃能力の付与。


「確かにあの振る舞いには私も困惑しています。ですが対外向けの武力の誇示は国情が乱れている今この時に在って必要でしょう」


 そう、必要なのだ。


 しかし、その神々の大鉈の如き偉容を誇るそれが何処に振り下ろされるのかという疑念は常に付き纏う。


 その規模は、そうした疑念を皇国内の諸武力勢力に対して確実に、そして何よりも深く植え付けたに違いない。


 〈航空義勇軍〉。



 その数、約五五〇〇〇騎。



 冗談としか思えない規模の〈航空義勇軍〉は、脅威云々という問題以前に差し向けられれば軍の壊滅どころか策源地そのものが焦土となる可能性すら孕んでいる。しかも、その戦力が未だに増強の最中となれば警戒するのは当然のことと言えた。


 トウカが何故かウィシュケの入った硝子杯を執務机に置き、牛乳瓶を手にしたことに驚きつつも、アリアベルは声を上げる。


「では、軍神殿。我々の虜囚となっていただきます。これからも話す時間は存分にあるので今、急ぐ必要はないでしょう」


 立ち上がるアリアベル。


 それに合わせて背後で警戒していたエルザを含めた騎士達が動き出す。


 対するトウカは近くの床で転がるレオンディーネに蓋を開けた牛乳瓶を無造作に投げる。


 あまりにも緩慢で適当な動作だったが故に騎士達が止める間もなく、そもそも容器を見る分には牛乳にしか見えない。


 毒物かと警戒したアリアベルだが掛かった牛乳を受けてもレオンディーネは手足を縛られたまま懸命に床上で蠢いている。水揚げ直後の魚の様に跳ねている姿を見るに毒物ではないようであった。


「あっ……」


 何処かで見た事のある光景。


 捕虜交換の際に送られてきた写真に似た光景だと思い当たったアリアベルは、思わず間の抜けた声を上げる。トウカは楽しげに笑みを零すだけであった。


「謀ったのですか、私を?」


「今はそこの牛乳臭い小娘が清い乙女のままであることを喜んでは如何(どう)だ?」忌々しい笑みを以て言葉を返すトウカ。


 牢屋に監禁してレオンディーネに可愛がらせようと、アリアベルは引き攣った笑みを返す。


 しかし、その胸中には不信感と懸念が渦巻いていた。


 挑発と誘引の気配と思惑は無数に見受けられたが、そうまでして自身を誘き寄せるということは、その後の展開と状況にも自信があると取れなくもない。


「……どちらにせよ、貴方の内戦は此処で終わりです」


「そうかも知れんな。では、始めるとしようか……内戦の終結を」トウカがウィシュケを手に取り、掲げる。


 続く大きな振動。


 皇国はその地政的に大規模な地震は起きず、その振動は不自然なものでしかない。


 あまりの揺れに自らが座っていた椅子の腰掛けに手を付いたアリアベルは、近づくエルザに状況報告をさせようと視線を巡らせるが、その動作よりも早くエルザは対応した。近衛騎士たる資質とは突発的事態に対する即応性を指すという言葉を残した幾代か前の近衛軍長官の言葉に恥じない対応である。


「大御巫、外をッ!」


「あれは……魔導障壁?」


 逼迫した声音のエルザに、アリアベルは開け放たれたままの窓の先へと視線を向ける。


 そして、息を呑む。


 天守へと至る通路から見る外の光景は美しくもあったが、今のその光景は青みがかった色合いの景色となっている。


 魔導障壁。


 しかも、青の色合いが顕現するということは桁違いの魔力量による高出力展開ということである。城郭地下に旧式戦艦の主機を流用したという魔導炉を設置し、その防禦や集団詠唱魔術にも使用されるそれは、エルゼリア侯の趣味と実益を兼ねた温室の維持にも使用されているということは広く知られている。


 魔導炉の制圧も同時並行で実施されているが、強力な魔導障壁が展開されたところを見るに、未だ制圧には至っていないのだろうとアリアベルは嘆息する。


「拘束された様ですね。ふふっ、私を縛り付けて見せた男性は貴方が初めてですよ」


「それは光栄。……序でに貴女を殺す男となる訳だが」微笑むトウカ。


 トウカの拘束に近づいた騎士達。


 しかし、それは叶わない。


「後、十分足らずでこの城は消し飛びます」


 騎士に制止を求めて、トウカが片手を上げる。


 アリアベルは指示を求める騎士達に下がる様に命じると、そこまで追い詰められていたのだろうか?と首を傾げつつも嗤う。


「面白い冗談ですね。貴方が私を道連れにすると?」


 傲慢で相手の弱点を突くことに関しては皇国随一の才覚を持つであろうトウカが、道連れという安易な手段を選ぶはずがないのだ。


 サクラギ・トウカは軍神である。


 剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムや農聖レジナルト・ルオ・フォン・エルゼリア侯爵は、確かに北部の精神的支柱という側面を有しているが、それは民間や政治の上であり軍人はそれらとは違った見解を持っている。


 つまり幾度も征伐軍に甚大な被害を与え、その類稀なる先見の明を以て軍備の近代化を推し進めるトウカこそを精神的支柱と仰いでいるのだ。


 それは当然の結果でもあり、数倍する規模の征伐軍を相手に総司令部を壊乱させ、主力と見做されていなかった装甲戦力を駆っての機動戦による華々しい勝利に加えた。航空戦力の積極的活用による陸空一体の立体戦略も大きい。


 それらが総てトウカによって齎された以上、その戦果もまたトウカに帰属すると見做す流れは不自然なものではない。


 本来、北部貴族の領邦軍の寄り合い所帯とも言える北部統合軍が曲がりなりにも軍事的統率を維持しているのは、サクラギ・トウカという名の権威が確立されているからこそである。そうでなければ北部地域の中央であるエルゼリア侯爵領にまで攻め入られた状態で北部統合軍の統制を維持できるはずがない。ベルセリカという英雄の名声は確かにあるかも知れないが、それはあくまでも下士官や兵士を“誤魔化せる”程度の幻影であり、何百年も軍事組織から離れていたベルセリカが組織運営や近代に合わせた戦略や戦術を行使し続けることなど出来るはずもない。将校は多大な不安を感じていた。


 剣聖には兵を指揮する権威はあっても、将を統率する権威はないのだ。


 だが、その不安をトウカは一蹴し、多大な戦果を以てして将兵の多大な信頼を獲得するに至った。


 こと軍事分野に於いては、その精神的な支柱はトウカ自身なのだ。


 それ故に陸軍総参謀本部はサクラギ・トウカの撃破こそを最優先目標としている。支柱さえ圧し折れば権威を喪った北部統合軍は統制された戦闘を行えず、各領邦軍の独自判断による戦闘を行い出すと判断されていた。


 その軍事的支柱が自らの死を許容するか?


 否、断じて否である。


 その自信こそがアリアベルをこの場に立たせているのだ。


「この城の地下に設置された魔導炉の暴走と主力戦艦の弾火薬庫並に備蓄された火薬……随分と大きな花火になるだろうな」


 何の感慨も感じさせないトウカの声音と表情は、ただ確定事項を口にしている様にも思える。確認を取る為にエルザが近くの騎士に地下の様子を尋ねた。そして、アリアベルへと近づき焦りを滲ませた声音で耳打ちする。


「姫様っ、地下の魔導炉へと続く通路は総て練石(ベトン)が流し込まれているそうです。今、魔導士が魔力供給管の切断を行っているものの偽装が多く、その上分散しているとのことで……」


「……貴方本気で」


 アリアベルは再び手酌で飲酒を始めたトウカを睨む。


「まさか本当に総指揮官自ら突入してくるとは……莫迦らしくて笑える。最悪、城内に突入した敵戦力を漸減できれば儲けものと考えていたが、まさか本当に……」


 喉の奥からくぐもった笑声を零すトウカ。


 続けて部屋に転がり込んできた伝令兵からの、城内の各所に大量の爆薬が仕掛けられており危険な状況であるとの言葉に、その部屋にいる全ての者が息を呑む。


 牢獄。


 捕らわれの大御巫。


 そんな中でも平然としている軍神は、ほろ酔い気分なのか楽しげに言葉を紡ぐ。


「貴女が死に征伐軍が大義と神輿を喪い空中分解、北部は軍を統制し得る軍神を喪い、剣聖は戦闘中行方不明(MIA)……良くて停戦、悪ければ混乱が大きくなり続けて自然休戦だろうな」


 楽しげに話すトウカだが、その内容は苛烈なものであった。


 征伐軍と北部統合軍が共に支柱を失い大きく混乱して軍事組織として成立しなくなるということであり、それは皇国に致命的な混乱を齎す恐れがある。意志が統一されずに小規模な勢力が乱立する状況に陥れば、その鎮圧と統一には膨大な時間と人員、物資を要することは間違いない。中央貴族もそれでは一人勝ちという状況と喜べなくなることは疑いない。


 皇国は国家としての体裁を維持できず、その成立前の時代に逆行するだろう。


「貴方は国を滅ぼそうというのッ!? 護るべき者がいるからこそ、軍人として貴方は戦っているのでしょう!?」


 アリアベルの怒声混じりの問いを、トウカは鼻で嗤う。


「混乱の中で勝機を掴めるかも知れない人材が北部には集っている。完全な敗北を以て未来を閉ざすくらいならば、俺に続くかもしれない北部の何処かの誰かの為、可能性を残してやることこそが北部統合軍参謀総長に科せられた使命だ」


 硝子杯を執務机に置いたトウカの瞳には、壮烈なまでの意志が宿っている。



 父であるクロウ=クルワッハ公爵アーダルベルトやファーレンハイトと同様の瞳。



 彼は地獄を生み出し、進み往く覚悟があるのだ。


「誰にも屈さず、誰にも負けない貴方は……今の勝利を諦めて将来の北部に可能性を残そうというの?」


 アリアベルは愕然とする。


 夥しい死者が出るであろう未来を決断したその瞳は気高く、不可侵性を感じさせるに十分である。その瞳が地獄の演出を自身に強要しているという事実は、若き乙女に取って驚嘆に値する事実でもあった。征伐軍の成立は多くの生命が喪われる決断だと感じていたが、それは確実な現実ではなく不明瞭な未来に過ぎなかった。


 しかし、トウカの口にする未来へ勝利の可能性を残すという手段は夥しい死者を出すことが確実な手段であり、アリアベルの想像の埒外であった。


 明確に皇国の死を突き付けられているのだ。


「死の風が吹き荒れる。一切合財須らくが死を感じ、下を向く日々……その中で英雄が到来するならば、皇国は助かるだろう。まぁ、俺ならば英雄役など御免蒙るが」皮肉げに笑みを浮かべたトウカ。


 アリアベルは、その瞳を直視できない。


 唯、勝利の為に。あらゆる犠牲を許容して自らの意志を押し通さんとする瞳。


「……波打つ時代の桜と散れ、大御巫」


軍神の宣告。


 背後では状況を打開せんとする兵士達が慌ただしく動き、声も響くがそれも遠くの出来事に思える。


 しかし、運命は流転する。




『そうはさせん。死ぬのは貴様だけだ』




 万雷の如き声音。


 大音声ではないが圧倒的な存在感を感じさせる声音にアリアベルは息を詰まらせる。


 この場にはいないはずの者の声。


 眼前のトウカは眉を顰める程度に留まっているが、アリアベルは敵将を前にしている状況でもその驚きを隠せないほどに自らの表情が歪んでいることを感じつつ振り返る。


 そして、予想通りの人物が自身の良く知る何時も通りの気難しげな表情のままに、開け放たれた窓からの風に礼装用外套(フロックコート)を靡かせて佇んでいた。


「お、御父様……」


 一歩、二歩と後ずさり、アリアベルは歳経た偉丈夫を前に呻くように呟く。



 アーダルベルト・ラウ・フォン・クロウ=クルワッハ公爵。



 中央貴族を隷下とする一柱、クロウ=クルワッハ公爵の顕現であった。


 紳士然とした動作でありながらヒトを隷属させることを当然とする仕草を以てして、先程までアリアベルが座していた椅子へと腰を下ろす。


 そして、興味深げな表情と楽しげな口調を以て軍神へと応じる。


「貴様らの茶番劇にも飽いた……故に終わらせる。従え、若造」


 確定事項を口にするかの様な声音。


 傲慢で、人を従わせることに酷く馴れた佇まい。


 そして、時を同じくして硝子が砕け散った様な音と共に城郭に展開されていた強力無比な魔導障壁が破砕される。蒼い硝子の破片に様に分裂したかと思えば、そのまま粒子となって風に流れる光景は一層のこと幻想的とすら表現できるが、天守内の者は誰一人としてそれに目を奪われることはなかった。


 今、この時、内戦が終わろうとしているのだ。


 アーダルベルトは極私的な時間以外は虚飾を嫌い、実用本位の端的な言動が多く、面と向かうと途方もない威圧感を振り翳す老獪なる龍である。


 だが、対するトウカは少し視線をずらして思案の表情を浮かべた後、アーダルベルトへと再び視線を戻して溜息を一つ。


 小さく嗤う。


「貴方“も”大層な莫迦だな」


 心底呆れたという声音。


 アーダルベルトがこの場にいるということは、魔導障壁を強引に粉砕し、何かしらの手段で地下の魔導炉を停止させた上で仕掛けられた炸薬を解除したのだろうとはアリアベルにも推測できる。


 その上でトウカは呆れ声を上げているのだ。


「随分な数だ……実働戦力は八〇〇〇といったところで?」


 トウカが天守の外へと巡らせた視線の先。


 アリアベルはそれに続く。


 そして、小さく息を呑む。


 南の方角を埋め尽くさんばかりの龍の軍勢。


 征伐軍も最大時は一〇〇〇騎近い航空騎を動員していたが、それを遙かに上回る規模と偉容を誇るそれに、気が付けば戦場の砲火すら沈黙している。双方がその堂々たる空の覇者の偉容に呆然としているのだ。


「正確には八二三七騎だがな」


 アーダルベルトは面白くなさげに訂正する。


 それだけの航空戦力があるならば征伐軍と北部統合軍の主力をこの場で諸共に粉砕してしまうことすら容易く、あらゆる障害を打破し得る戦力と言えた。それを目にして尚も動じないトウカは称賛に値するが、全てが決したことは誰の目にも明らかであり抵抗は致命的な犠牲を生み出すことになる。


 しかし、クロウ=クルワッハ公爵と軍神は共に白けた表情である。


「茶番、全く以て茶番だ。空飛ぶ民兵如きに何の意味があるのか。爆撃照準装置もなく、そもそも航空爆弾も開発していないはず。あれは原形を知らなければ短期間では作れない上に生産工程(ライン)を構築する余裕もなかった。そこの大御巫の首一つでなら売却して差し上げますが?」


 敵の戦力単位(ユニット)が戦場に存在するとしても、それが性能諸元(スペック)通りの能力を発揮するかといえばそうではない。万全な兵站と整備、弾火薬の補充に適正な練度を有した将兵による運用などが必要であり、兵器はヒトを乗せれば直ぐに額面通りの性能諸元を発揮できることはなく、それに地形や気象条件などの外的要因が加われば性能は大きく上下する。


 つまり、トウカの言葉が正しいのであれば、あの膨大な数の航空戦力の大半は対地攻撃に有効な兵装を持たず、低い練度しか有していないということになる。



 虚言(ハッタリ)だ。



 それも空いた口の塞がらない規模の。


「やはり、この程度では騙されてはくれないか。軍神」


「無論。腐っても一軍の参謀なれば。クロウ=クルワッハ公爵閣下」


 二人は仏頂面。


 互いに相手の思惑と戦力、政治的視野を計りながらの言葉の応酬に、アリアベルはただ圧倒される。


 だが、何よりも驚くべきことは相手の言葉の真偽に対する是非を下すまでの時間の短さであった。そして、二人の遣り取りを見るにそれは違えた推測ではなく、正鵠を射ておりその理路整然とした言葉に隙はない。


「だが、完全に誇張という訳ではないがな」


 アーダルベルトの言葉に、アリアベルは当然だろうと考えた。


 恫喝だけの為に戦闘空域に編隊飛行が辛うじて可能な程度の練度の航空部隊を投入するなどという視野の狭い真似をアーダルベルトがするはずもなく、必ず複数の副次効果を伴っているはずである。


「空挺ですか? まぁ、本家に同じ戦術で返してくれるとは……特許を取っておくべきだったか」


「その発案に敬意は評してやらぬでもないが……特許(パテント)料は踏み倒す」


 「大損だ」と笑うトウカに、アーダルベルトが「脇が甘いな」と返す。


 表面上は穏やか。


 しかし、アリアベルに小さく耳打ちしたエルザの言葉に、天守より戦域を見渡せば北部統合軍と征伐軍の戦闘は新たなる局面を見せていた。


 中央貴族の〈航空義勇軍〉が編隊を形成して近づきつつある中、城郭を護る様に半月状に展開しつつも北部統合軍が防衛の為に運用していた塹壕を利用して征伐軍はあらゆる状況に対応できる構えを取っている。


 対する北部統合軍はベルセリカ・ヴァルトハイム元帥隷下の部隊が軍狼兵を後衛に戦域からの撤退を始め、ザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン少将隷下の〈集成打撃師団〉は装甲部隊の速度を利用して分散しつつ広域展開の構えを取っている。


 アリアベルには予想もし得なかった行動に眉を顰めるが、それは天守に至る階段より現れたファーレンハイトによって氷解する。


「装甲部隊の動きは、空挺が可能な比較的平面な地形に先んじて展開することで先手を打ち、大被害を与えようという思惑だろうなぁ。あの若造の言葉通りであるならば〈航空義勇軍〉は民兵以前に戦時徴用の民間人と言えよう……喪うことはできんか」


 陸軍府長官を拝命しているだけあってファーレンハイトは未だ確立しているとは言い難い戦闘教義(ドクトリン)の弱点を見抜いていた。


 空挺とは現在のところトウカがベルゲンで行った様な滑空輸送機による手段と、輸送騎による胴体着陸による手段のみが策定されている。実はエルゼリア侯爵領侵攻において実施しようという動きもあったが、どちらの手段も大被害が想定され、ベルゲンで成功したのは空挺という新戦術に対して無知であったからに過ぎない。


 ましてや着陸地点に有力な敵戦力が待ち構えていたとしたら?


 結果は容易に想像できることであり、そもそも司令部は安全を確保してからでなければ降下させることはできない。先んじて降下した陸上戦力が着地地点を、出血を以て確保するまでは各自が自己判断で戦闘を続けなければならない。しかも、輸送の都合上で重火器は装備できないという制約もある。空挺戦車すら存在しないのだ。


 対空戦車から放たれる対空砲火を避けるように膨大な数の航空騎は上空に留まり続けていたが、暫くすると着陸地点を変更する為か遠ざかりつつあった。 


 ザムエル・フォン・ヴァレンシュタインという指揮官も非凡な才能を有するように、アリアベルには見受けられた。実際はあまりの数に森林地帯に隠れ潜んでも絨毯爆撃を受けて蒸し焼きにされると判断して、水際防禦宜しく消耗戦を覚悟で降下部隊と刺し違えようという判断であった。これはベルセリカの撤退時間を捻出する手段としては決して間違ったものではない。一方の犠牲が必要ならば、兵力に於いて劣る〈集成打撃師団〉が大被害を負うであろう任務を務めるべきなのだ。


 トウカとアーダルベルト。


 交わされる視線。


「ところで保護者としてはそちらの躾の成っていない小娘は如何様(いかよう)に為さるか?」


 目下のところの最大の懸案事項に足を踏み入れたトウカに、アリアベルは下唇を噛み締める。


 この場にアーダルベルトが立っているということ自体が征伐軍と北部統合軍に対する姿勢を明確させたに等しく、北部統合軍には敵対の姿勢を見せている。ならば征伐軍への対応は知れたことである。


「……大御巫の判断は違えたものではない」


 苦々しい表情はとても肯定している様には思えない。


 恐らくはアリアベルを頂点に据えたままに征伐軍を糾合し、北部統合軍と相対するという流れを意図してのことであろう。最も困難が少なく現実的な案である。宗教的な象徴に中央貴族の領邦軍と征伐軍が統合されれば四〇〇〇〇〇に届く兵力規模となり、北部征伐軍を圧倒し得る戦力となることは疑いない。


 しかし、それを指揮するのはアリアベルやファーレンハイトではなく、アーダルベルトとなるだろう。恐らくこれを機に陸海軍府長官の意向を尊重するという姿勢を見せて協力体制を構築する腹積もりであることは容易に想像ができる。


 そして相手にするのは、その戦力と弾火薬の備蓄を減少させた北部統合軍。


 中央貴族は最小限の被害で皇国内に蠢く最後の“敵”を撃破して名声を高める。陸海軍と協力態勢を敷き、大御巫を神輿として担ぎ続けることで征伐軍として集結した諸勢力の兵力を運用し続ける。まさに漁夫の利であった。


「非常の時に在って、非情の決断を成した、ということか」


 娘を踏み台にするという。


「それがヒトを、組織を率いるということだ」


 独白の様なトウカの言葉に、アーダルベルトが楽しげに答える。


 興が乗ったのかアーダルベルトは、アリアベルが今まで目にした中でも上位に入るのではないかという機嫌の良さを見せていた。まるで父親と息子の会話の風景にも思えるが、その内容は極めて政治的であり軍事的……そして何よりも思想的であった。


「では、そろそろお別れです、公爵閣下」


「そうか……そうだな。考えていたよりも貴様が正常な人物で驚いたが」


 アリアベルとしてはアーダルベルトのトウカに対する批評に大いに文句を垂れたいところであったが、口を挟むことはできない。アーダルベルトの指す“正常”とは組織を統率するものとしてならば、という前提の“正常”であり、対するアリアベルは二人から見て間違いなく“異常”なのだ。


 終息しつつある言葉の応酬だが、その最後にトウカが卑しく嗤う。


「ああ、そう言えば“マリィ”からの伝言があるのですが……聞きますか?」


 マリィ、という部分をこれでもかと強調したトウカ。


 マリアベルは極めて近しい者にしか“マリィ”と呼ぶことを許していない。つまりトウカはそれなりに近しい関係であるということになる。


 駄目だ。それは禁句だ。


 クロウ=クルワッハ公爵家に於ける禁句として定着しているマリアベルの話を持ち出すなど正気の沙汰ではない。否、それを理解して話を持ち出しているのだろう。


 しかし、アリアベルですら長く逢っていないマリアベルの言葉を聞きたいと感じているのだ。負い目のあるアーダルベルトがその言葉に対して抗えるはずもない。


「………………聞こう」


 暫しの逡巡を終えて父龍は訊ねる。


 アーダルベルトは苦い表情をそのままにしている。


 クロウ=クルワッハ公爵としての立場と親としての立場の板挟みになったアーダルベルトに同情する者は貴族の中にも多く、アリアベルからしてもその感情は察して余りある。


 もし、全てを理解した上でしているのだとすればトウカは相当に碌でもない男である。



「御祝儀は公爵位でよいからの、と。…………御義父さん」



 言ってしまった。


 同時に瞬息で振り抜かれるアーダルベルトの拳。


 死んだ。確実に。



「貴様に娘はやらんッ!!」



 魂の叫びである。


 だが、アリアベルの想像した惨たらしい光景は訪れなかった。


 砕け散るトウカ。同時にレオンディーネの姿にも亀裂が入る。


 飛び散るのは人肉ではない。


 乳白色の硝子の破片。


 そして、その先に窺える謎の機械。


 魔導投影機に類似している形状だが、放射光に魔力の光の気配がなくアリアベルは気付けなかった。


「……それはっ!?」


 魔術を行使している気配がない為に当人と相対していると踏んでいたアリアベルだが、その大前提が崩れた為に狼狽する。


 アリアベルは騙されたのだ。酷い騙りである。


 天守内に乱反射したトウカの声音が小波の様に嗤う。


「投影に魔術を使用しない技術……何でも魔術に頼るから気付けない」


「詰まらん小細工だ!」


 再び拳を振り抜くアーダルベルト。


 砕ける機械とその周囲。


 父は御乱心であった。






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