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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第一二五話    〈航空義勇軍〉と暗躍の仔狐




「進捗状況は?」


 紳士然とした中年男性が正規軍の軍装とは違う何処かの領邦軍軍装を身に纏った男性士官に訊ねる。


 皇国内の複雑怪奇な軍事組織全般に詳しい者であれば、それがクロウ=クルワッハ公爵領邦軍の軍装であると理解できるかたかも知れない。


 男性士官からの報告を受けた紳士然とした中年男性……クロウ=クルワッハ公爵アーダルベルトは、上空通過(フライパス)した航空騎の大編隊を見上げて嘆息する。


「気に入らんが、止む無しか」


 空を埋め尽くさんばかりに飛行する様々な龍と龍種によって構成された一大航空集団。世界最大規模であろう偉容は各国の駐在武官を瞠目させ続けている。例え、その実情が民間や貴族の龍種までを大動員した結果の混成航空集団に過ぎないとしても、圧倒的数量であるならば十分な脅威と言える。例え民間騎であったとしても短期間でこれ程の動員が可能であるという事実は皇国が航空強国であるということを印象付けるだろう。


 《ヴァリスヘイム皇国》と《スヴァルーシ統一帝国》、《ローラン共和国》に《瑞穂朝豊葦原神州国》……


 互いに牽制し合い、時には肩を並べることもある複雑な関係にある隣国達。


 しかし、問題は無数に存在する。


 中には互いに譲ることのない係争地を持ち、社会的観念(イデオロギー)が異なり、実際に互いを仮想敵国として考えている国も存在する以上、大陸の平和は有り得ない。軍事力は奇妙な情勢も相まって拮抗しており、総ての国家が内政上、小さくない不安と不和を抱えている。それらの不満や軋轢を対外戦争によって誤魔化そうと、或いは解決する可能性も十分に考えられ、周辺諸国もまた領土拡大の機会を狙っていた。


 世は正に戦国時代である。


 だからこそ軍事的牽制は欠かすことができない。戦乱の世に在って直接的な暴力……軍事力こそが何よりもの抑止になる。そして、交渉や外交は、軍事力ある程度の均衡、国際情勢の安定を以てして初めて意味を成す。


 皇国の軍事組織が大きな活躍を見せた航空部隊の運用を既に大規模に行い、それを行使することができるのだという姿勢を見せる為、この場には各国の駐在武官を招いている。訪れていない駐在武官は国交のない帝国程度のものであった。


 顔を真っ青にしている駐在武官達を一瞥し、アーダルベルトは眉を顰める。


 ――周辺諸国への牽制には十分か。しかし……


 編隊飛行させるまでにどれ程の時間を要したことか。


 アーダルベルトは、その苦労を思い出して眉を顰める。


 クロウ=クルワッハ公爵であるアーダルベルトは、皇国内に住まう龍種の代表的な立場にある為、航空戦力の有効性が確認されると同時に民間の龍種や予備役の龍種を統合した義勇航空部隊の設立の指揮を執ることとした。


 しかし、それは難航した。


 予備役の龍種は兎も角、民間の龍種が大規模な編隊を組んで飛行するなど不可能なことであり、訓練飛行中の接触事故が相次いだ。流石に飛ぶことを定めとする種族であり、龍も彼らの言葉を良く聞いたこともあって犠牲者が出なかったことがせめてもの救いである。


 エルメンタール准将の発案によって魔導通信機を搭載した複数の大型騎で管制を行うという手段が講じられなければ解決しなかった。


 トウカが知れば驚いたことは疑いない。


 不十分な部分は多いものの早期警戒管制機の萌芽とも言える発案であり、航空部隊の高度な運用には必要となる騎種でもあるのだ。差し迫った理由によって生じたとはいえ、兵器開発で正解を導いたことに変わりはない。


如何(いかが)でしょうか? 我が〈航空義勇軍〉は」


「ハルトヴィヒか。私は満足している。これならば可能だろうな」


 背後からの声に、アーダルベルトは朗らかな声を向ける。



 ハルトヴィヒ・フォン・エルメンタール准将。



 アーダルベルトの腹心にしてクロウ=クルワッハ公爵領邦軍で航空兵総監を努める中年男性であり長年の悪友でもある。幼少の頃より悪戯をすることも怒られることも一緒であった。その上、こうして政治でも軍事でも共に並び立つという腐れ縁には、アーダルベルト自身思うところがないわけでもない。


 何より、共に娘と敵対する立場になってしまったが故に。


 ハルトヴィヒ・フォン・エルメンタール准将には一人娘がおり、それはアリアベルの護衛を努めているエルザ・エルメンタール近衛軍中尉であった。噂では近衛軍の帰還命令を無視して征伐軍に参加したとのことであり、ハルトヴィヒの頑固な一面を受継いでいるであろうことは疑いない。共に娘の教育に関しては違えたということである。


「では、娘の尻を引っ叩きに行く準備をしましょうかね」


「そうだな。御灸を据えてやらねばならん」


 互いに頷き合う二人。娘への対応もまた同じなのだ。


 娘達もまた似たような性格をしているのは因果なものであるが、二人揃って父娘と相対するという状況になるなど後世の歴史家に何と言われるかと考えると気が重い。アーダルベルトは、やはり二人とも娘の教育には失敗したと言われるのだろうと暗澹たる気分となった。貴族としての能力ばかりを詰め込んだ結果、貴族としての在り方を教えることがでっきなかったことが悔やまれた。


 ハルトヴィヒも考えていることを察したのか、努めて明るい声で「そういえば」と呟く。


「あの航空攻撃を立案したサクラギ中将ですか? どうもまだ二〇歳にも満たない若者だそうですよ? どうも立案する作戦や提案する兵器に比べて印象が乖離している気がしますな」


 話題としては悪くないが、父より先に娘に御灸を据えた男の話題でもある。



 サクラギ・トウカ北部統合軍中将。



 北部統合軍参謀本部の参謀総長でもあり、兵器開発や公共施設(インフラ)整備にも多くの提言をしていると噂されていることから、優秀な複数人の人材を背後に付けて一人の人物の偶像化を図っているのだろうとアーダルベルトは考えていた。軍事と政治で顔となる人物がいる北部統合軍だが、双方の資質を兼ね備えた存在は居らず統率の面で隙がある。


「英雄を作り出そうとしているのだろう。内部の意思統一に力を入れているというということは内部分裂を恐れていると取れるな」


 英雄が世に誕生するのはその周囲に理不尽が満ちているからであり、それが必要な状況に追い込まれているからである。もし、そうであるならば北部統合軍は追い詰められているということになる。苛烈な時代。ヒトは英雄を求める。紅蓮の劫火で一切合切悉くを焼き払い、停滞と荒廃を突き崩す英雄。


 だが、彼らは理解していない。英雄の放つ劫火が焼き払うは、一切の区別なきことであると。


「……或いは」


 内部分裂しかねない程の行動を起こす為、英雄を作り出す必要があったのか。だとすれば真面(まとも)な思考ではない。


 どちらにせよ、北部統合軍に異分子がいることに変わりはない。


 その謀略に中央貴族も巻き込まれる危険性がないとは言い切れない。北部統合軍と征伐軍の衝突を座視するだけで利益を拡大し続けることができる中央貴族だが、両陣営がそれを看過し続ける道理もない。


 軍事を舞台とするサクラギ・トウカが門外漢であるはずの政治にまで口を挟んでいる状況は恐ろしくもあり厄介でもあった。


 軍人が政治を取り仕切る。


 つまりは政治に合わせた高度な軍事力の行使を行えるということである。


 そして、サクラギ・トウカ……或いは背後で蠢くナニカは、それを行えるだけの才覚を有している。


「サクラギ中将を甘く見るのは危険ですな。ベルゲンを襲った手際を考えれば軍事的な才能は傑出していると見るべきかと」


「……あれの被害は数値上では大したものではなかった。征伐軍は総司令部を壊滅させたとは言え、強襲自体の死傷者は三〇〇〇程度。だが、政治的な被害は計り知れなかった。あの男の恐ろしいところは政治を前提に軍事力を行使しているところだ。これは簡単なように見えてそうできることではない」


 軍事も政治もヒトが行使する活動に過ぎない。


 故に個人や不特定多数……即ち指導者や民衆の意思に左右される為に最善の決定を下し続けることができない。特に後者は酷く、国益ではなく自身の利益や安全を最優先する為、それが逆に国家に危機を齎すことも少なくない。指導者や民衆が最善の判断をするとは限らないのだ。


「我が領邦軍に欲しいですな」


 ハルトヴィヒの言葉に、アーダルベルトは顔を顰める。


 飼い慣らせない部下が政治と軍事を壟断するなど、アーダルベルトからすれば悪夢以外の何物でもない。サクラギ・トウカという人間が短期間で権力の座を得たからには相応の野心があることは疑いなく、アーダルベルトにも御しきれる自信はなかった。


 人間の執念を知るが故に、権力に飢えた戦人(いくさびと)を恐れるのだ。


 だからこそ皇国では軍人が政治に干渉しないという風潮が醸成され、今回の内戦で陸海軍が見かねて征伐軍に加わるまではその風潮は守られていた。


 しかし、これからは軍人も積極的に政治に介入することは疑いない。


 貴族と政治家が失敗して内戦が勃発した。国力は低下し、周辺諸国の脅威に対して何ら有効な手段を取れないままに右往左往する状況。民衆も陸海軍に理解を示すことは疑いない。それは軍にとっての悪夢だ。


 だが、安易に状況打開に動けないのもまた事実である。戦争を生業とする組織が活躍し支持を受ける最大の手段とは戦争であり、戦争の為に政治を利用しかねない。そして、それが一度成功してしまうと軍人は勿論のこと民衆も輝かしい勝利と賠償金、領土拡大による恩恵を受けたことで対外戦争に肯定的になるだろう。


 ヒトは一度成功すれば二度目を求めるものである。そうなれば、皇国は亡国への道を歩み始めることになるだろう。


「止めねばならん」


「ですが、征伐軍は何とでもなるでしょうが、北部統合軍はどう出るか予想できません。素直に降伏してくれるとは思えませんが……下手に暴れられると次こそ本当の意味で北部が叛乱軍になります」


 ハルトヴィヒの懸念は中央貴族の誰しもが抱くものであり、従わせる為に不遇を強いたことで逆に北部貴族の結束を強固なものにしてしまったという負い目もある。


 だが、最早看過することは許されない。


「だからこそだ……そろそろ動かねばならん」


「準備は既に。この演習に合わせた動員で中央貴族の各領邦軍は臨戦態勢にあります」


 アーダルベルトの言葉に、ハルトヴィヒが同意して一礼する。


 その上空を言葉通りに空を埋め尽くさんばかりの大編隊が過ぎ去る。


 《ヴァリスヘイム皇国》が神龍、今この時、その翼を広げんとしていた。











「貴女がステアさんですか? 私はミユキって言うんですけど」


 ミユキは狐耳をひょこひょこと動かしながら、青を基調とした服装の幻想的な佇まいの女性に声を掛ける。声を掛けることを戸惑う程の雰囲気を持つ女性であるが、手にした丼の麺を箸で口元にずるずると運んでいる姿が色々と損なっていた。


 美しい女性……ステアは気だるげな瞳でミユキを一瞥しただけで食事に戻る。


「えっと……おじさん。私もきつねうどんを下さい」


 ミユキは屋台の椅子に座ると、髭面に鉢巻を付けている虎種の老人に注文する。気まずくなったので取り敢えず隣に座る口実として注文したのだ。決して食べたかったわけではないのだ。決して。


 ちなみに現在のフェルゼンでは、退役する傷痍軍人が屋台を開くとトウカに言葉を漏らした際、ならばうどん屋でもしてはどうか?という言葉を返したことが始まりで開店した“うどん屋”が大繁盛している。


 製麺方法はトウカのうろ覚えな知識からなので最初は戸惑っていたようであるが、魚類を中心とした具材で作られた汁の素朴な味わいも手伝って現在では高い評価を受けるまでに質が向上している。しかも、抜け目のないトウカは税として売り上げの一割という契約を結んでおり、ロンメル子爵であるミユキの収入源の一つとなっていた。


 ――主様が言うには、いいコムギコがないからコシが足りないって言っていたけど。


 手早く出されたきつねうどんの油揚げに被りつきながらミユキは考えを巡らせる。甘辛く煮た油揚げは狐の心を掴んで離さない。ちなみに狐種はきつねうどんを注文するとおまけでもう一枚油揚げが付いてくるのだ。お得である。


「あ、あと稲荷寿司も下さい」


「私も、こんこん寿司一つ」


 稲荷寿司……最近では狐の好物だと広まりつつあるので“こんこん寿司”なる異名でも通じるそれもまた狐の好物であった。


 シュットガルト湖沿いの沿岸公園に設置された屋台には、客はミユキとステアしかいない。トウカが言うところの連鎖店(チェーン店)化してからは大型店舗が主流となってしまい屋台に人が訪れることは少なかった。


 ずるずるとうどんを啜る二人。


 会話の糸口は掴めない。


 ミユキは何故かステアから嫌われていた。


 マリアベルに魔術に造詣の深い人物を紹介してくれと頼み込んでステアを紹介して貰い、情報部の伝手で発見したのだが何故か反応が薄い。寧ろ、不機嫌な雰囲気が滲み出ている気すらする。


 ずるずる。

 ぱくぱく。


 二人は無言できつねうどんと稲荷寿司を咀嚼する。


 トウカは出会った頃は繊細な舌を持っていたのだが、最近は軍隊生活が続いた為か食事にあまり拘らない上、味が濃くて油分が多くないと食べた気がしないという軍隊式の味覚に侵食されつつあるのできつねうどんは好まない。


 そして、無言の飲食が終わるとステアは食卓に銅貨を置くと立ち上がりその場を去ろうとするので、ミユキも慌てて銅貨を支払うと後を追う。


「もぅ、なんで邪険にしちゃうんですか」


「私、食い意地の張った狐は嫌いなの」


 振り返ったステアの悪意を隠さない言葉に、ミユキは狐耳を垂らして項垂れる。日常生活で敵意を剥き出しにされることなどミユキはないに等しいのだ。


「むぅ……。リシアの事、知りたくないかな? 私、友達なんですよ? ……お母さん止む無しとミユキは切り札を切る。


 実際、ミユキの思惑とマリアベルの思惑が合致したからこそミユキとステアは邂逅することになった。魔術に対して技術的に造詣の深い人物を求めるミユキに、リシアと自身の関係を払拭しておきたいという思惑があったマリアベルが、リシアとステアが親子の関係であるという流言飛語をミユキにさせることでそうした認識が一般市井に流布するように仕向けたのだ。


 ステアはリシアに対して親としての愛情を持っており、リシアもその辺りは察している為に否定はしないだろうという判断と、政的の多い自身の娘であるという可能性によって生じる不利益から護るというマリアベルの親心からであった。


 マリアベルが母であるように、ステアもまた母なのだ。


 勿論、マリアベルの一番の理由は男が子持ちの女を忌避するという噂を聞いたからである。ましてや自身と同世代の娘のいる女など面倒でしかない。その上、娘がリシアであり此方もトウカに並々ならぬ感情を向けており、母娘揃って一人の男を求めるというのは外聞が悪かった。


 かくして、リシアの母親がステアであるという既成事実化は決定された。


 まさか、ステアがリシアを邪険に扱うことは考えられず、済し崩し的に既成事実は成立するはずである。リシアも気が付けばステアが母として周囲に認識されていて驚くだろうことは疑いない。


 ステアは聡明な女性であり、老獪な年長者でもある。 


 ミユキの背後で色惚けているマリアベルの意図を察して、ステアは溜息を一つ。動物による諜報網によって多くの情報を得ているステアは、マリアベルとトウカの関係もまた朧げに察していたのだ。


「仕方ないから気にしてあげます。対価は?」


 不満げな顔のままに、ステアが尋ねる。


 故にミユキは答える。


「強力な認識阻害魔術が知りたいんですっ!」


 ミユキは強大な魔導資質を持つが魔導技術に特筆できる部分がある訳ではなく、民間で広く運用されている生活魔術や第二種攻撃魔術などが主体となっており、一部の軍用魔術と呼ばれる高効率な魔力運用可能な第一種攻撃魔術を齧っている程度に過ぎない。


 軍用の高度な認識阻害魔術などミユキは知らず、運用できる者も少ない。


 トウカに施した認識阻害魔術も魔導資質にものを言わせて、民間の狩猟などで使われている民間用のものを気の遠くなるほどに多重化させたものに過ぎない。


 ちなみに多重化させたと言っても、それは途轍もない規模で何重にしたものであり、高位魔導士にも見破れないものとなった。


「強力な……どれくらい?」


 犯罪でもする気かというステアの視線にミユキは尻尾を一振り。とんでもないという意味である。


「えっと、範囲は極小さくてもいいから、大御巫……じゃなくて七武五公を誤魔化せるくらいのがいいです。できれば個人の生体反応の偽装も欲しいかな?」ミユキは真摯な瞳で願う。


 トウカと大御巫……アリアベルが邂逅したことはミユキの耳にも届いており、その焦りは頂点に達していた。神祇府の象徴たるアリアベルは大御巫という天霊神殿の権威で、その上、魔導資質と魔導技術に優れたものが代々選ばれる。


 言わば《ヴァリスヘイム皇国》一の魔導士である。


 ベルゲン強襲では戦闘中であることから不特定多数の魔力放出が吹き荒れており、アリアベルの反応がなかったことからも気付かれなかったことは想像できる。流石の大御巫も魔力が撒き散らされる戦野で個人を特定することは難しいようであった。


 しかし、二度目はどうなるか分からない。


 折しもアリアベルは征伐軍主力で陣頭指揮を執り、この北部に、トウカに迫っているという状況は看過できるものではないが、アリアベルをミユキが排除できるはずもない。


 よってトウカを完全に擬装するしかないのだ。


 しかし、一般人などは紫苑色の瞳で判断しているかも知れないが、大御巫はどの様にトウカを見いだすか判断が付かない。魔力を一切感じられないトウカを外見的特徴以外で判断できるものなのかという疑問はある。そうなれば旧文明のような生体反応での照合を魔術的に行っているとしか考えられず、天霊神殿の地下が旧文明の遺跡であるという話は有名であった。関連していても不思議ではない。


 詰まるところ、ミユキには判断が付かない。だからこそ考え得る限りの手を打たねばならない。


 ステアが胡散臭い視線を向けてきたことでミユキは慌てる。


「わ、悪いことなんて考えてないですよ?」


「女狐は悪巧みすると相場が決まっているから、私の警戒は当然の判断だと思うの」


 建国時の皇国で憲法や法律整備などの国法の制定などに活躍した狐種の女性も初代天帝を誑かそうとしたことがあるのだ。初代天帝が生涯独身を貫き徹したことから盛大に振られた事は明白であるが。


「……本当に因果ね」


「???」


 呆れ顔のステア。


 因果。この場でその言葉を聞くとは思わなかったミユキは首を傾げる。


「貴方の御先祖様もつまらないことを私に口にしていたの」ステアは薄く笑う。


 そこにはマリアベルと同じ笑み……老獪な女性が持つ猛々しくも鋭い感情が宿っている。ミユキが巧く手玉に取れる相手でなく、ステアは皇国の歴史そのものでもあるのだ。


 天帝への即位を阻止したい、なんて。









「仕方ないから、協力してあげる」


 ステアは楽しみである。


 サクラギ・トウカという人物が“彼の者”に続き得る男であるのかという見極めが自身の役目になるとは考えてもみなかったのだ。初代の七武五公達も一部は健在である以上、確認は彼らが成すことであると判断していたが、こうも偶然が重なってその正体が秘匿され続けるなど、あの建国時代の英傑達の誰しもが予想だにしなかったことである。


 全く以て世の中は面白いとステアは、この時代に“女神の大剣”から解放されたことはある種の神託である様にも思えた。


 ステアは、ミユキの皿の鶏の揚げ物を突き(フォーク)で突き刺す。


「でもでも、私の唐揚げまで取らないでくださいよぅ!」


「代わりに、この野菜を上げるから」


 面倒臭い、とステアは自身の皿に乗っていた小さな果実を指で弾いてミユキの皿へと載せる。長く島から出ていなかった為、舶来の野菜には見知らぬものが混ざっているので口にするのは躊躇われた。


 ぶぅぶぅと文句を垂れるミユキであるが、これは対価でもあるのだ。


 仕方のないことである。ステアは所持金が少ない。


 最初は夜に下心隠しもせずに絡んでくる若者を拳で淑女的(ステア視点である)に説得することで金銭を巻き上げて……贈呈させて、それを元手に賭博場で日銭を稼いでいた。否、日銭という言い様は正確ではなく、莫大な金銭を荒稼ぎしていたと言っても良い。魔術に対する対策を講じた上で、ステアを年若い人間種の小娘だと判断して慢心した相手に付け込む形で賭博場を荒しながら梯子(はしご)したのだ。魔術など使用せずとも皇紀よりも長い年月を生きてきたステアは、人の仕草や動作などで十分に相手の遣り様を予測できる上に周囲の動物達も様々な角度から相手の手の内を教えてくれる。


 負けるはずがないのだ。


 しかし、勝ち過ぎれば恨まれる。


 当初の予定では報復を受ける前に儲けるだけ儲けてフェルゼンから去る心算であったのだが、嘗ての時代とは違って美味なる料理が満ち満ちており、それに釣られて長居することになってしまった。


 結果として、皇国系暴力団(マフィア)なる武装集団に襲撃を受ける事となる。


 なので、ミユキにそれの対処と衣食住を要求することで要求を呑んだのだ。そもそも、トウカの正体が“現時点”で露呈することをステアも望んでいない。譲歩する要素のない取引と言えた。渡りに船と言える。


 だが、ミユキは同じ様に天帝を誑かした先祖についての問い掛けがないことは不思議であった。


「聞かないの?」


「私はステアさんを信じます」


 こうしたところで無邪気な笑みを見せて相手を油断させる卑しい狐。油断ならない。相手の背後を洗った上ででしか信用しないのだ。恐ろしいことである。恐らく自分は信用されてはいないだろう。


 シュパンダウのロンメル子爵邸宅は空襲によって焼失した為、今は臨時で市内の空き屋敷を買い取ってそこに住んでいる。その食堂でステアは、ミユキと食卓を挟んで会話していた。人払いは既に終えているようで二人以外の姿はない。


「認識阻害の魔術は私が手伝ってあげなくもないけど、どうせなら空間歪曲による偏光で媒体の完全な隠蔽を目指すべきだと思うわ」


「えっ! そんなことも出来ちゃうんですか!?」


 高位魔術以前に現在では散逸した魔術として扱われている空間制御魔術だが、ステアであれば運用できなくもなかった。初代天帝が後退戦や防衛戦に卓越した能力を見せたのはそうした理由もあるのだ。彼は基本的に攻勢を得意としているが、それに対して防勢の面を補ったのがステアなのだ。


「出来た護符を御守りの中に入れて主様に渡しちゃえば問題は解決です!」


「……貴女、当人にも伏せていたの」


 後々、問題になりそうな気がしたが、参謀総長にまで上り詰めているなら権力志向であっても不思議ではなく、現段階で知るのは確かに無用の混乱を招く恐れがある。そもそも、北部統合軍側からそんなモノが出てしまえば、征伐軍も北部統合軍も戦争どころではなくなって収拾がつかなくなるかも知れない。中央貴族の乱入も大いに考えられる。


 ――いえ、第一にトウカ君が、そうした存在に押し上げられることを望むかどうか……


 現在の皇国を取り巻く状況は過酷であり、内憂外患という言葉が相応しい。建国以来最大の国難に当たって最善の指導者など誰もが見いだせず、そして納得する要素を兼ね備えた者などそうはいない。


 混乱は避けられない。


 時代はトウカの立身出世を許さない様にすら見える。


 噂を聞く限りサクラギ・トウカという人物は敢えて火中の栗を拾うような人物であるとは思えない。寧ろ、そうした機会を座視して様子を見る様に思えた。或いは逃げ出す可能性すらある。初代天帝とは随分と毛並みが違う。母方の血かも知れない。


 ――益々似ていない。本当にあのヒトの子?


 やはり近くで観察し続けねば分からないとステアは考えた。


「これで後は主様が征伐軍をけちょんけちょんにしちゃえば安泰です!」


 はしゃぐミユキを余所にステアはどうだかと考えていた。


 運命は流転する。


 そして、トウカの運命は坂を転げ堕ちる様にして変遷を続けている。歴代天帝でもこれ程に混乱を見せたものはいないだろうことは疑いない。


 ――さぁ、運命に抗って見せて……あのヒトの子。


 ステアは窓越しに燦々と陽光を振り放つ旭日を見上げる。


 眩しくて直視できない邪悪を祓う旭光。


 旭光が鎮め祓うは国難か。

 旭光が焼き払うは祖国か。


 実に興味深い事である。


 しかし、ステアが考えているよりも早く、トウカの運命は流転しようとしていた。



  時に皇歴四五九九年、一三月の終わりの出来事であった。



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