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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
131/429

第一二一話    緩やかな一時、そして決戦へ




「物資の陸揚げを開始せよ」


 トウカは防空巡洋艦〈ゾルンホーフェン〉の戦闘艦橋で命令を下す。


 元来、大型揚陸艦であったこともあり、艦内の可搬重量(ペイロード)に余裕がある〈ゾルンホーフェン〉は、戦災復興の為の輸送手段である揚陸艦や輸送艦を指揮するに最適の艦艇とされ、ここ三日は戦災復興の総指揮を執る為の拠点として運用されていた。当初、マリアベルやベルセリカなどは陸上施設で指揮を執る予定であったが、情報部部長のカナリスが混乱に乗じて間諜が暗殺を目論む恐れありと進言し、独立性の高い戦闘艦で指揮を執ることになった。戦艦二隻は船渠(ドッグ)内で身動きが取れない上に大きく損傷し、改修も終えていない為、運用は叶わず、高い指揮機能を持つ〈ゾルンホーフェン〉が選ばれたことは当然の帰結と言える。未だ艤装中である指揮統率に特化した艦艇が就役していない以上、選択肢は少ない。


「揚陸艦〈キールアルトラン〉、〈キールベルデル〉がシュパンダウに揚陸を開始。輸送艦〈ブランデンマイヤー〉と〈ブランデンヴァルト〉は健在な桟橋を利用して物資の揚陸を開始しました。病院船も続くとのことです」


 通例となった通信士からの報告に、トウカは無言で頷く。


 シュパンダウは空襲を受けて市街地に少なくない被害を生じたものの領民の死者は極めて少なく、消火活動も順調であった為に物資輸送などの優先順位が後回しとなった。マリアベルなどの要人が搭乗して指揮を執っていたこともフェルゼンから離れられない理由の一つであり、事態が鎮静化に向かって多くの指揮官が退艦し、其々の任地での指揮に戻りつつある為、ようやくトウカはシュパンダウに向かうことが可能になったのだ。


 マリアベルは現在、憲兵隊によって厳重に警護されたフェルゼンの北部統合軍総司令部にいる為、この戦災救助を目的として特設された艦隊にいる将官はトウカ唯一人であり、安易に退艦する訳にはいかない。


 近い距離にミユキがいるにも関わらず逢いにいけないというもどかしさ。


 態度には出さないが、トウカは軍帽を深く被ることで焦燥が気取られない様に配慮しつつも、シュパンダウを鋭い視線で眺める。


 ミユキは悲しんでいるだろう。

 ミユキは嘆いているだろう。

 ミユキは慟哭しているだろう。


 それを支える立場にあるはずのトウカは、軍務に拘束されて役目を果たすことができない。ミユキが負傷したという報告は受けていないものの、リシアやエイゼンタールがミユキを支えられるとは思っていなかった。自身でも現場にいれば、ミユキに対して掛けられる言葉が咄嗟に思い付くかと聞かれれば否と言うしかないが、それでも横にいてやることはできる。


 ――裏切りの代償、か。


 マリアベルとの一時はその思いを薄れさせてくれたが、その最中に征伐軍の大編隊が来襲するとなれば、これを裏切りの代償だと考えることも無理はない、無論、トウカは偶然の産物であると理解していたが、人間というものは不明瞭な現象に対して、神々などの上位存在の介在や、自らが知り得ない法則の存在を感じてしまう生物である。


「……ふん、下らん」


 つまらぬ妄想だと、トウカは思考を一蹴する。


 戦争を生業とする人間が不明瞭な存在を信じるべきではないと考えるトウカだが、一般的に軍人の多くは祈祷や験を担いだりと戦野に赴く前でも忙しい日々を送っている。無論、軍人であっても戦勝祈願や武運長久の祈り方は其々であるが、トウカはその手の行いを嫌っていた。


 所詮、軍隊では女一人護れないのだから。


「総参謀長閣下」


 艦長のフロンザルトの呼び声に、トウカは視線を巡らせる。


 寝不足もあって目付きの荒んだトウカに、フロンザルトが敬礼を以て近づく。


 フロンザルトは俗に言うところの気の利く男であり、現在の軍務とはかけ離れた活動に柔軟な発想と手段を以て応じることのできる軍人である。少々、斜に構えた部分のある生意気な中年という雰囲気があるが、その能力に不足はなく、昇進が遅れている理由は扱い難いという一点に限るだろうとトウカは考えていた。


 上位組織から扱い難いとの評価を受けるのはトウカも同様であり、フロンザルトはその点に於いては親近感を持てる男である。


「如何したか? 敵襲か?」


 航空戦力を磨り潰すことを覚悟で征伐軍が事に臨んでいるのであれば、再度の空襲も十分に有り得る。この世界で正しい航空戦力の運用法は未だ定まっていないのだ。無理を無理と判断する基準すら曖昧である。故にいかなる状況とて起こり得た。


「いえ、総参謀長の責務は既に終えたと思いますので、参謀本部に司令部を移されれば如何かと思いまして……将官が艦に搭乗していると部下が委縮し過ぎるというのもありますので」


 肩を竦めたフロンザルトの言葉に、トウカは頬を引き攣らせる。


 暗に邪魔だと言われているのだと察したトウカは怒鳴り付けようとしたが、現場に高級将校が居座っていては兵士達が気を使うという話はよく聞くと思い直す。


「まぁ、私の不真面目な態度に何時まで御目溢しをいただけるか不安でもありますので」


「そういう事にしてやろう……全く」トウカは溜息を一つ。


 フロンザルトは曖昧な笑みを零すばかり。


「ところで……奥方(フラウ)への御土産にこの鎮守府名物の巡洋艦饅頭などどうですかな?」


「……そんな副業をしているから昇進が遅れるのだ。自重しろ」


 受け取ろうとしたが、金額を提示してきたので買えということなのだろうと呆れ顔をするしかない。その巡洋艦饅頭の箱を見てみれば値札が付いている。話を聞けば売れ残りが多いとのことで、この〈ゾルンホーフェン〉の艦内倉庫の端に山積みになっているとのことであった。


 無論、無言で奪い取る。


 ついでに在庫一斉処分宜しく領民に配ってやるから倉庫のもシュパンダウ領邦軍司令部に配送しておけ、と命じてトウカは〈ゾルンホーフェン〉の戦闘艦橋を出る。


 ――まぁ、フロンザルトなりの気遣いか? いや、そもそもミユキを奥方だと。


 舞踏会で愛を囁いたが故に多くの貴族からはそうした目で見られているものの、実際のところはそれが正式に受け入れられた訳でない。ミユキは全力で何度も頷いていたが、貴族女性の夫になる場合は神祇府での手続きが必要であり、この内戦中に北部貴族の冠婚は中断されていると言っても過言ではない状況であった。戦時下の為にそうした冠婚は自粛傾向にある。ミユキがそれに(むく)れていることもトウカは知っているものの、こればかりは内戦の終結を待つしかない。


 ――気が早いにも程があるな、全く……


 悪い気はしないが、とトウカは笑う。


 トウカは内火艇(ないかてい)を下ろす様にと指示を出し、〈ゾルンホーフェン〉の中央甲板からシュパンダウを眺める。


 内火艇(ないかてい)とは石油機関を搭載した小型艇で、皇国海軍はかつて内燃機関のことを内火と呼んでいたことに由来する。その為、厳密には構造に差異があるものの、内火短艇や運貨艇を含む内燃機関を搭載した小型艦載艇全ての総称として使われていた。ちなみに魔導機関ではないのはその小さい規模に収められないからであり、魔導国家である皇国の海軍でも未だに小型艇の類は内燃機関を使用している。近年では戦車に搭載される程に軽量化しつつある魔導機関だが、内火艇は直接戦闘に寄与しないことから、新規設計されることもなくそのまま運用され続けていた。


「閣下、御迎えに罷り越しました」


 不意の横からの声に振り向けば、そこにはエイゼンタールが敬礼と共に直立不動で立っていた。


 恐らくフロンザルトが通信で示し合わせたのだろうとトウカは嘆息するしかない。考えてみれば港の収容能力の問題から沖合に停泊している〈ゾルンホーフェン〉だが、他の内火艇が接舷した気配はなかった。一体どのようにして〈ゾルンホーフェン〉に乗り込んだか極めて気になるが、情報部は変人が多いので気にしても仕方ないことである。


「御苦労」


「いえ、ハルティカイネン大佐がミユキ殿……ロンメル子爵の御乱行に頭を抱えており、責任者を出せと怒鳴り散らしておりますので御迎えに参上いたしました」


 目を背けながらのエイゼンタールの言葉に、トウカは唖然とする。


 そして、(シュパンダウ)の方角では大きな爆発音。


 どうも想像を絶する事が起きている様子であった。










 シュパンダウへと帰還する途上にあった小型輸送艦の艦橋にいたキュルテンに、エイゼンタールからの通信が届いたが、その内容が問題であった。


「そ、そんなことは私には……いえ、分かりました、少佐殿。何とか対処致しましょう」


 無難に返答したものの、正直なところ有効な策が思い浮かばなかった。部下の前なので畏まった口調だが、内心ではエイゼンタールに「チカたん、酷いよ」と嘆いてすらいた。


 なにせ相手はあのミユキなのである。そう、あのミユキなのだ。


 通信が終わった後、キュルテンのみならず、後方に控えていた部下達も絶望的な表情を浮かべていた。


 帰還したくない。これ程に帰還したくないと思う任務があるとは思わなかったキュルテンは、エイゼンタールに夜の特殊任務を依頼しても良いのではないかとすら考えた。


 それが回想である。


 しかし、現実は無常である。


「成功しちゃいましたね」


 えへへへ、と無邪気に笑うミユキに、キュルテンは「よう御座いましたな」と顔を引き攣らせるしかない。


 眼前では無数の領民達が切り出された石材や木材を運び出しているが、それを切り出して裁断しているのは他ならぬミユキであった。元より採石場や伐採場として機能していた一帯は、その悉くが切り出された上で運ばれようとしている。


 無論、シュパンダウにはそうした工作機械は少ない。極少数しかないと言っても過言ではなく、市街地や公共施設の再建には多くの時間を要することになると考えられていた。


 だが、暗い領民の雰囲気を一掃したのはミユキであった。


「は~い、運んじゃってくださいね」


 ぱんぱんと手を叩いて領民を促すミユキの姿に、キュルテンはこんな人物であっただろうかと首を傾げる。或いは、空襲の被害で何処かに頭をぶつけたのかも知れない。無駄に溌剌としている。


 キュルテンは、ごっそりと削られた山間部へと視線を巡らせる。


 山間部の火災に対してミユキが断固たる態度を以て応じた結果であるが、その手段が気の触れたような規模の大規模魔術による絨毯砲撃となれば話は別である。地形が変わるなどという規模の魔術は、高位種の中でも魔導資質に優れた者で編成された魔装砲兵中隊が運用すべきものであり、訳の分からない狐が振るうものではない。


 勝手に領邦軍司令部の書庫から高位魔術書を引っ張り出してきて、消火と復興活動で疲れて就寝していた工兵を叩き起こして魔術陣を大地に描かせた上での大規模魔術の行使。


 正直なところ、個人が大規模魔術を行使するなど七武五公の血縁くらいのものであり、あくまでも補助に魔術陣を使っているとは言え、ミユキの能力は特筆に値する。


 それを領民は万雷の拍手を以て迎えた。


 実際のところ政治的結末として行き成り現れた領主に対して不安視する領民は想像以上に多く、戦時下であることを踏まえれば致し方のないことと言え、トウカやマリアベルもその点を不安視していた。


 だが、直接的とはいえ、高位種が高位種足らんとする片鱗を領民の前でまざまざと見せつけた。


 強者に統率される事の幸運を権威主義国の民衆は良く理解している。


 こうした手段で、ミユキが領民からの信頼を勝ち取るとは思わなかったが。


 しかも「これを機に都市計画を見直します!」と宣言したミユキはフェルゼンのような放射状の道路や雑然とした街並みを希望し、しかも湾岸部と接続させたいと言うと、反対するリシアを領邦軍司令部の椅子に縛り付けて、民間の設計士を呼び込み草案を書かせると全領邦軍と領民を招集した。警備や瓦礫撤去を放置しての招集であったが、主君の命令とあれば致し方ないと他の各島からもシュパンダウに集結することとなる。


 そこでミユキは命令を通達した。


 全力で、シュパンダウの復興と発展をおこなっちゃいます!


 復興には賛成であるが次いでに発展も加えるという無茶に呆れるしかない。しかしながら、ミユキの突然の思い付きに近いことを知るのは、リシアやエイゼンタールなどのロンメル領邦軍でそれ相応の立場にある者だけであり、多くの領民や領邦軍兵士は長期的視野に基づく断言だと勘違いした。あのサクラギ中将が関与しているのだろうと錯覚したが故である。


 そして瞬く間に山間部の火事を大規模魔術で吹き飛ばして反対意見を押さえ付け、石材や木材の切り出しを、魔術を使って率先して自ら行う姿は人々を惹き付けた。


「一撃で山を削り飛ばした上で、巨大な石材を風刃で一刀両断する姿を見れば……いや、そもそもあのどこから来るかわからない自信に満ちた笑みを見れば行き当たりばったりとは思わない訳か。やれやれだ」


 ミユキを見習い、魔導士を動員して木々を伐採している領邦軍の姿を眺めながら、キュルテンはやれやれと嘆息する。リシアは激怒したが、ミユキに縛り上げられて放置され、エイゼンタールはトウカを出迎えるという名目で逃げ出した。


 代わりに御目付け役を任され……押し付けられたのがキュルテンであった。


 ミユキの御乱行を止める術を考えるようにとエイゼンタールには言われたが、その様なことなど出来るはずもなく、キュルテン自身も(かんな)を手に木材を削らされている状態なのだ。


 遠目に見える、建築士と言葉を交わしているミユキと天狐達は笑みを浮かべている。


 そう、天狐族だ。


 空襲を受けた翌日に一〇〇名ほどの天狐を率いて現れたマイカゼとシラヌイは、ミユキに即座に協力する姿勢を見せた。ライネケでの移住希望者は予定よりも多かったとのことで、現在は復興と発展に大いに活躍している。


 特筆すべきことは、シュパンダウの領民と作業を通して打ち解けつつあるという点である。


 良くも悪くも汗水を共に流す事でトウカやマイカゼ、シラヌイが懸念していた点が解決しつつある状況は笑うしかない。


 高位種が三個小隊弱で協力してくれるならば大抵の無茶は罷り通る。


 かくしてミユキの暴走は留まることを知らない。


 不幸中の幸いであるのは建築士が比較的まともな人物であり、ミユキの意見を取り入れつつも堅実な計画を立案して製図を続けていてくれている点である。


 こうして工兵が指揮を執り、兵士と領民が現場で動き、天狐達が強力な重機のような役目を果たすことで現在は上手く回っている。


「手が止まっちゃってますよ、エルちゃん」


 遠方に見える巨大な石柱を書かれた白線通りに腕を振り払うだけで裁断したミユキの言葉に、キュルテンは緊張の面持ちで何度も全力で頷く。


 慕われてはいるが遮るには多分に緊張を強いられる領主として権威?が確立しつつあるミユキに正面切って文句を言う者はいない。シラヌイとマイカゼは苦笑と共に見守るだけである。


「ミユキ!」


「あ、主様~!」


 石材の粉に汚れた顔で微笑むミユキに、到着した軍用魔導車輛から降りてきたトウカは困惑気味であるが、汚れた衣裳もそのままのミユキを嫌な顔一つせずに抱き止めるところは紳士であると言える。背後に控えるエイゼンタールは安堵の表情を浮かべていた。仔狐の暴走を止められるのは異邦人だけである。


「随分と派手な事をしているな」


 トウカの問いに、ミユキが恥ずかしげに笑う。


 キュルテンは、派手どころでは済まないと思いますがね、と胸中で毒づくが現状が収束するのであれば笑顔で聞き流すことも吝かではなかった。


「街を作り直しているんですよ? 狭いし燃えやすそうだし……それに明るい街にしたいから」


「……それは専門の方に任せるべきだろうに」


 ミユキの言葉に、トウカが困惑の表情を深める。


 都市計画の策定など思い付きでできることではないし、長い期間を掛けた上で領民の意見を取り入れながら行うことが通例である。確かに今のシュパンダウは大きな被害を蒙り、住民の住居の移住などは比較的了承を得やすく、ましてや新居を率先して建築しようとする姿勢のミユキに否定的になれるはずもない。何より、ミユキはシュパンダウ市街よりも更に湾岸に近い位置に市街を移動させようとしており、どちらかと言えば何もない土地であったフェルゼンに巨大な城塞都市を築いたマリアベルの手法に近いものがあった。


「おい、建築士」


 トウカは建築士を呼ぶと、ミユキから離れて二人で話し始める。遠方からは伐採作業の音で聞こえないが、二人の表情は決して暗いものではない。


「分かった。悪くない。俺からの要望があるとすれば、非常時に備えて市街の道路の間隔を広く取って欲しいことくらいだ」


 設計図を一瞥して設計士と戻ってきたトウカの言葉に、キュルテンは唖然とする。


 ミユキの思い付き都市計画は、トウカにも受け入れられたらしい。


 ――或いは、再度、戦火に見舞われることはないと踏んだのか。


 寧ろ輸送艦や揚陸艦、病院船から人員と物資を可能な限り増派するとまで口にしている。しかも、参謀本部もシュパンダウの都市計画に協力するとのことで、軍事上の観点からも防備を強化したいとの事であった。


 再び石材を切り始めたミユキを遠目に、トウカとエイゼンタールが言葉を交わす。


「湾岸周辺の天狐族の村とシュパンダウの市街を繋いで交流の拡大を図るか。悪くない考えだ」


「しかし、予算上の都合もあるのでは……」


「さぁ、ミユキの自信を見るに何かしらの当てがあるのだろう。……そう言えば、ミユキはヴェルテンベルク伯から色々と貰っていたな」


 エイゼンタールの指摘に、トウカは思案の表情を浮かべる。


 トウカもエイゼンタールも、マリアベルの大型輸送艦内での金貨偽造を知らないが、共に多くの情報に触れる立場にある。ヴェルテンベルク領の発展期に運用された資産が船舶建造や資源輸出だけでは叶わないということを朧げに察していた。ヴェルテンベルク領の発展にはそれほどの資産が投じられ、その上、強大な軍備と幾つもの重工業会社の設立までとなると七武五公の資産を以てしても難しい。


「考えても詮無いこと……ミユキが口にしないのであれば俺は追及しない」


「信頼している御様子で……。では、ハルティカイネン中佐への言い訳……失礼、説得もお任せします」


 無駄のない敬礼を以て、エイゼンタールが足早にその場を去る。否、逃げる。


 それと引き換えに採石場へ、荒々しい運転で軍用魔導車輛が侵入してきた。側面にはシュパンダウ領邦軍の紋章と小さな領邦軍司令官旗が立てられている。


 蹴破る様にして開けられた(ドア)


 出てくるのは紫苑色の髪の少女。


「ハルティカイネン大佐、今回は助かった」


「…………今度、形のあるモノで返しなさいよ」


 一瞬、右手を上げたリシアだが、震えをそのままに黙って下ろす仕草からは途轍もない程の怒りを感じさせる。トウカも気付いているようだが、周囲を慮って敢えて気付かぬよう振る舞っているようであった。二人とも軍人であり、公私を使い分けるだけの分別は持っているのだ。


 無論、多少のぎこちなさは残るが。


 こうして、ミユキを中心として参謀本部や総司令部をも巻き込んだシュパンダウ新造都市計画が始まった。













「ミユキ、順調か?」


 トウカは書類から視線を上げて問い掛ける。


 空襲から暫しの時が経過し、シュパンダウの都市計画は順調に進みつつあるが、あまりにも性急に……というよりも行き当たりばったりだった計画なので参謀本部がそれに対する修正と変更を行っていた。フェルゼンに関しては軍務卿であるマリアベルと総司令部を中心に復興が進んでいる。無論、軍需工廠以外は大被害を受けていない為、民間への被害は最小限であることから日常生活への影響は極限定的なものであった。


 一ヶ月は、トウカも緩やかな日々を過ごすことができた。


 シラヌイと夕飯の肉を奪いあったり、マイカゼの夜這いを受けたり、ミユキが剥れたりと大変に充実した日々であった。基本的に天狐達の破天荒に巻き込まれた形であるが、一番は魚介類が取りたいと馴れない漁業に勝手に挑戦した天狐達が行方不明になったことである。領邦軍の哨戒艇まで動員して捜索することになったが、当人達は魚の包まれた網を背負って湖面を凍らせながら歩いて帰ってきた為に収束した。良くも悪くも規格外である。しかも、どうやったのか沈没船の財宝まで持って帰ってくる始末で、領民は天狐様がいると幸運に(あやか)れると喜んでいるが、何か起こる度に深夜であっても叩き起こされるトウカとしては冗談ではないという心情であった。


 そして、ミユキを過度に可愛がろうとするシラヌイだけは止められなかったが。


 ミユキには指一本触れさせなかったが、トウカは酷い目にあった。ミユキが作った夕飯の争奪戦では、シラヌイが箸で目潰しを仕掛けてきて危うく失明しそうになった。露天風呂では潜水具(シュノーケル)を使って潜行し、ミユキがくることを待ち構えていたシラヌイを投石による爆雷攻撃で撃沈。ミユキのために用意された部屋では、先に布団の中で待ち構えていた様なので、布団諸共に長槍で串刺しにした。そんな無数の戦いを繰り広げて疲れたのだ。


 何事にも限界はある。


 眼前で尻尾を揺らして微笑むミユキに、トウカは微笑みかける。


「凄く順調ですっ! おっきな道路は全部完成しちゃいましたよ?」主要道路は完成したというミユキ。


 トウカが前線での飛行場設営にと提案した重機も少数ながら配備され始めていたが、フェルゼンの復興……特に軍需工廠の再建が優先されており、シュパンダウの復興と都市計画にはロンメル領邦軍と領民、そして天狐族によって行われた。


 当初はマリアベルからも「何時終わるや分からぬことを今する必要はあるまいて」と苦言を呈されたものの、それは二個小隊を越える数の天狐族によって覆されようとしていた。


 特に灌漑や人口河川の建設作業に当たりその威力を発揮した天狐族は、高位魔術で大地に大穴を開け、障害物を尻尾一振りで吹き飛ばし、負傷者を治癒魔術で忽ちに治療するという八面六臂の大活躍で領民に受け入れられつつある。


 全てが巧く回っている。


 ぽややんと眼前で微笑むミユキがそれを実現したのだ。


 一体どの様な心境の変化があったのかトウカには分からないものの、積極的な姿勢は悪いものではない。領地運営に興味を持ったならば都市計画が頓挫していても十分に収穫のあるものとなっただろう。無論、シラヌイとマイカゼがミユキの後ろでこそこそと手助けしている状況では失敗の可能性は極めて低いのだが。


「シラヌイ殿は帰られたか」


「……主様、そんな嬉しそうな顔しなくても」片方の狐耳を曲げて笑うミユキ。


 トウカとシラヌイは休戦中である。


 休戦にまで持ち込んだトウカの忍耐を称賛すべきか、休戦程度で済ませたシラヌイの粘り強さに驚愕するべきか迷うところではあるが、トウカの立場が北部統合軍の中で存在感を日々増しつつある状況では二人の仲を裂くことはできない。シラヌイは天狐族のミユキに爵位が与えられることに魅力を感じていたが、爵位という名の権利にはそれを維持する費用(コスト)が必要になる。


 荒れた領地に貴族社会での孤立となれば、爵位を手にしている意味がない。


 他者に魅力的と感じられる要素があってこそ貴族は周囲と交渉し共に発展できる。


 そして現在のミユキにある魅力とは天狐族の姫君であるという点とマリアベルの政治力、トウカの軍事力である。


 そして今の時代、軍事力が何よりもものを言う。シラヌイも外へと出てそれを理解したのだろう。直接外の空気に触れねば分からないものもある。


 激動の時代。意志を通すにも、愛する者を護るにも力がいる。そして皆が分かりやすくも見えやすい暴力……軍事力に頼ろうとする風潮があった。斯くして悲劇は振り撒かれるのだ。


「まぁ、義父様も私達の仲を認めてくれたのだろう。嬉しい事だ」


「えへへ~、そうですよね」


 執務椅子に座るトウカの膝へと座り込んできたミユキ。


 緩やかな一時である。


 ミユキの腹部に手を回し、首元へと顔を寄せる。


 仄かに薫る甘い薫りに、少しばかりの獣の匂いがトウカに安らぎを与える。


 闘争という嵐の迫りつつある状況だが、嵐の前の静けさなのか最近は緩やかな日々が続いている。職務中の参謀本部では作戦室や資料室で幾つもの課の参謀達が顔を突き合わせて作戦計画の修正と立案を繰り返していた。


 対するトウカは何もしていない。


 訓練計画や編制の確認と追認のみに留めているのは、敵の出方を見てからの迎撃を意図しているからである。そもそも征伐軍が内部事情の悪化により短期決戦を望み、北部中央のエルゼリア侯爵領を目指して進撃してくることは疑いなく、最低限の準備は済ませていた。


「そう言えば私、お弁当を作ってきたんですよ」


 いそいそと風呂敷から三段の弁当箱を取り出したミユキに、トウカは執務机の上を整理する。


 征伐軍侵攻に際して機動防禦による手痛い逆襲を加えることは不可能ではなく、懸念していたボーデン平原での陣地構築も順調であった。


「今日は、ハネハネの揚げ物と、よく分からない深海魚の刺身です」


「お、おう、美味しそうだな……」


 トウカは差し出された箸を受け取ったが、弁当箱中で苦悶の表情を浮かべる太刀魚に鳥の羽根が生えたかのような魚と視線が合った気がして頬を引き攣らせる。そして、よく分からない深海魚の刺身は綺麗に等間隔に切られて添えられているが、緑色という著しく食欲を減衰させる色合いをしており、他の食材も個性が噴出していた。ミユキの食材の選択はトウカに嫌がらせをしているかの様に背徳的で冒涜的な形状のものが多いが、味は悪くないのだ。


 良く分からない深海魚の刺身を一切れ取り、ミユキの差し出した小皿に注がれた醤油を付ける。緑に茶色という色彩(コントラスト)は筆舌に尽くし難いものがある。


 ――二式複戦(屠龍)の迷彩塗装みたいだな……


 戦闘機の塗装みたいな色合いの食材など、トウカは初めて見る。


 いや、ミユキがこの一ヶ月で新婚の若奥様の様にトウカの職場に持ち込んだ料理は、黒色と黄色の縞模様の海鼠(ナマコ)のような生物の酢の物に、手足の生えた大根?の煮物などは忘れたくても忘れられない体験である。参謀達の(ことごと)くが敵前逃亡したことから北部でも一般に食されることのない食材であることは疑いない。


 この時間帯に、トウカ以外に誰一人として統合作戦室にいないのはそうした理由もある。


 参謀だけに撤退の判断が早い。そして危険な場所には近づかない。上官を見捨てて後退するのは気に入らないが、昼休み明けにこっそり執務机に胃薬を置いてくれる騎兵参謀(耳長族の女性)の優しさがトウカの目に染みる。悪いことばかりではないし、決して涙している訳でもないが。


 トウカは、謎の深海魚を口に放り込む。


 かなり自己主張のある食感に淡白な味わいは、何処かウマヅラハギの刺身を思わせるが、見た目が違うとささくれ立った舌触りがある気すらする。意外と磯の香りのするウィシュケに合うかも知れないが。


「はい、主様。あ~ん」


 ミユキが箸に挟んで差し出したハネハネなる珍生物の揚げ物に、トウカは問答無用でかぶり付く。一ヶ月も経つと太刀魚に鳥の羽根が生えたような魚程度では驚くことすらなくなった。


 骨は取られているのか身の部分に感触がないが、羽根のぱりぱりとした煎餅のような感触があり、妙な気分にさせる食材である。


 互いに料理を差し出し相手の口へと運び、脈絡のない会話をしながら二人は楽しい一時を過ごす。


「あ、そう言えば、リシアって最近見かけないけどどうしたのかな?」


「軍務だ。総司令部に出向して情報を擦り合わせている。セリカも総司令部では苦労しているからな」


 リシアとミユキの仲が良く分からない方向に進展していることはトウカも知っていた。リシアの告白を有耶無耶にしたことをミユキが知ったであろうことは想像できるが、それについて何かを言われたわけではなく、リシアですらなかったことのように扱ってトウカに接している。


 今はまだ、このままでいい。急ぐ必要はない。時間はあるのだ。


「そうだ、午後は有給取って港に釣りに行きましょう! 夜御飯を取りに行くんです!」


 ミユキの突然の提案に、それも悪くないとトウカは苦笑する。シュパンダウ周辺の水質は恵まれていることからシュットガルト湖内でも有数の漁場でもあるので、魚によっては餌を付けなくとも釣り針に食い付くほどである。たまには狐達の機嫌を取る為に大きな魚を釣り上げるのも悪くなく、獲れないならば対潜用に試作中の爆雷を使用して気絶させて纏めて掬い上げればいいと算段を付けながらトウカは頷こうとする。


 しかし、頷けなかった。


 慌ただしい足音が聞こえたからである。


「参謀総長閣下! 敵襲です! 大規模攻勢です!」


「慌ただしいな。首席参謀。詳細を」


 入室してきた首席参謀のアルバーエル少将はミユキを一瞥したが、問題ないと判断したのか報告を始めた。


 報告の内容に、トウカはずるずると御茶を啜り、椅子により一層深く腰掛ける。


「参謀本部はこれより総司令部と連絡を密に取りつつ、現状で決定している防衛計画を実行する。これより実働体制に移るぞ。総員呼集、急げ!」


 慌てて敬礼したアルバーエル少将が部屋を飛び出す。


 不安そうにするミユキの頭を撫で、トウカは深い笑みを浮かべた。


「釣りは次の機会になりそうだな」


 ミユキを抱き寄せて啄む様な口付けをすると、トウカはミユキの差し出した軍用長外套(ロングコート)を羽織る。


 翻る漆黒の軍用長外套。


 戦争の時間が再び始まる。









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