表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
130/429

第一二〇話    戦火の決意




 ミユキは走る。


 火の粉舞うシュパンダウ市街を走る一人の仔狐。


 時折、崩れた建物の残骸を飛び越えて突き進むものの、ミユキはシュパンダウに訪れて間もないので地理に詳しい訳ではない。魔導障壁で飛び来る火の粉を防ぎ、時折迫る火焔を風魔術で吹き払うその姿を魔導士が見れば、魔術を即応して扱えるその技量は高位種であることを差し引いても瞠目に値するものであると判断するだろう。


「もうっ、邪魔っ!」


 倒壊しようとしていた建造物を圧縮させた風の刃を放つことで邪魔にならない方角へ倒壊させると、一度立ち止まって一息吐く。


 膝に手を付き、荒い息で周囲を見渡すが、幼い姉弟は見つからない。魔導投影に映し出されていた風景の片鱗さえ周囲からは窺えない。場所すら確認せず飛び出した結果、ミユキは迷子になっていた。


 頭上では嘶きを響かせる敵航空騎の編隊。


 腹立たしい事この上ない。


 戦争だ。


 トウカが言うところの、人が行使し得る最大規模の消費行動。


 時間、資源、物資に技術……そして生命。消費する事で発展し、躍進するものもあるかも知れない。


 しかし、生命は喪われるのだ。だから助けなければならない。


きっと、それを止めてしまうと、ヒトはヒトとして成立しなくなるのではないかとミユキは考えていた。それでは畜生に堕ちてしまう。


 トウカとマリアベルは、そうした面でも似ているのかも知れない。


 トウカは、周囲が自身の能力に追随できないと判断しているからこそ周囲に配慮しない。対するマリアベルは、周囲が自身を忌諱するからこそ自身も周囲に配慮しない。二人は、周囲が自分の遣り様を理解しないならば周囲を切り捨てるだろう。基本的に他者を必要とせず、独立した個として在ることができる強いヒト。それがミユキの印象であった。


 そうした二人が自分を気に掛けてくれている上、一方が愛を囁いてくれるという奇蹟を逃してはならない。そして、或いは自身が二人を……トウカをヒトとして繋ぎ止める要素の一つなのかも知れない。


 ならば、自身は貴族として、否、誰よりもヒトとして振る舞わねばならない。


 ここで姉弟を助けることは勿論、ミユキの貴族としての義務を履行することに加え、人道的、心情的な理由もある。だが、やはり、トウカの齎した影響によって生じた被害者であるならば、叶う限り助けたい。そんな考えを持っていた。


 ミユキは、不意に右手で風を圧縮する。


 魔術は精神に影響する。


 風を無理やり圧縮し、周囲の炎すら巻き込み、一振りの槍が出来上がる。巻き込んだ粒子が亜高速で衝突し、光を生じて光槍となった。


 それを投げる。


 地上から伸長した光槍。


 それが、航空騎の一騎を捉える。


 見事に胴体と搭乗している航空兵を貫徹し、地上へ向かって落下する。


 今や市街では航空騎が領邦軍の頑強な抵抗に苦戦を強いられ続けていた。


 重要施設への進路を邪魔するように設置された阻塞気球の垂らす金属線や阻塞気球同士に張られている防空網に翼を絡め取られ、少なくない航空騎が勇戦することもままならず大地に叩きつけられていく。運よくそれぞれの高度に設置された阻塞気球を回避しても、暗くなり始めても盛んな対空砲火が出迎える。曳光弾混じりの機関砲や機銃による砲火は、夜空に向かって逆の動きをする流星群のようであった。


 トウカは防空戦闘に対しても手を抜いてはいなかった。


 多彩な対空兵器がヴェルテンベルク領の空でそれを証明しつつある。


 偶然であるが、その中でもミユキの攻撃は群を抜いて目立った。


 燃える市街地で尻尾を振るミユキ。


 闇夜となりつつある中で燃え立つ市街であることもあるが、夜間に光源となる風の光槍は極めて明瞭な目標だった。


 降下してくる航空騎。トウカが言うところの軽爆撃騎だろう。


「えっと、やっぱり大きいのがいいかな?」


 姉弟が地上から見つからないのであれば、空から探せばいいのだ。


 一匹、空飛ぶ蜥蜴(トカゲ)を捕まえて空から確認すればいいのだ。


 ミユキは頭が良くない。だから原始的で確実で、咄嗟(とっさ)に思い付いた手段を以て叶えるのだ。


 向かってくる軽爆撃騎は三騎。


 二騎はちょっと小ぶりだから却下です、と風の光槍を両手に新たに構え直して無造作に投げる。


 光槍は命中までの時間差(タイムラグ)はそれなりに生じるものの、目視による追尾なので然したる問題はない。光槍という名称であるが投擲している訳ではなく、あくまでも延伸しているだけである。魔術的にはミユキの手元に結合しているので追尾能力に不備はなく難易度も高くはない。無論、本来であれば射程は遙かに短いものであり、膨大な魔力を持つミユキだからこそできる荒業と言える。


 瞬く間に先程撃墜された騎体の後を追う二騎。


 そして攻撃態勢に入った一際大きい軽爆撃騎は既に降下を始めており、進路変更は難しい状況であった。


「飛び乗っちゃいますっ!」ミユキは腰に佩用していた大脇差の小狐丸を抜き放つ。


 ベルゲンでトウカに買って貰って以降、然して使う機会に恵まれなかったが、今この時、抜刀する機会に恵まれた。


 ミユキの足元が光を放つ。圧縮した烈風が足元を吹き荒れる。


 そして、宙を舞う仔狐。


 原理的には風を更に強力な風で押さえ付けることによって圧縮させ、それを一方の方角に放出するというものでしかない。同時に足元に展開した魔導障壁が風を受け、ミユキを押し出した。風の偏向という初歩的な魔術を高い魔導資質を背景に、高密度化し、指向性を持たせて複数展開しただけに過ぎないそれは飛行ではなく射出とでも言うべきものである。


 膨大な魔力はヒトを打ち上げるだけの推力を与えた。


 円錐状の障壁で正面からの風圧を防ぎつつ、迫る軽爆撃騎を真正面から、ミユキは見据える。何とも言えない浮遊感が込み上げる不快感を誘うものの、眼前に飛龍の牙が迫れば、それも記憶の彼方。


 航空兵はヒトが飛んできた上に、魔導障壁を瞬き一つにも満たない時間で破砕されたことに戸惑い、手にしている小銃を構えることもない。


 驚いた飛龍が炎弾(ブレス)を吐こうとするが、素早く頭を両足で飛び乗る様に頭を蹴り付けることで炎の奔流を逸らす。ついでに飛龍の一対の角を掴むことで落ちない様に踏ん張る。


 驚いた表情の銀髪の航空兵。硝子細工の様に整った美しい顔であるが、ミユキは左手で容赦なく鷲掴みすると、右手に構えた小狐丸を首筋に押し当てる。


 だが、軽爆撃騎が二人乗りであることを、ミユキは忘れていた。


 小銃では至近での取り回しに難があると判断し、自動拳銃に持ち変えた後部座席の航空兵に、ミユキは一瞬、驚いた顔をするものの、両手が塞がっているので仕方なく頭突きで黙らせる。後部座席の航空兵は飛龍上から落ちそうになるが、保護紐で結ばれているのか、垂れ下がる様にして動かなくなるだけであった。


 ミユキは後部座席へと飛び移る。


「御狐様と遊覧飛行の時間だよっ。美人なヒトっ!」


 まずは右から行っちゃいましょう、とミユキは小狐丸を揺らして微笑んだ。








「最早、畜生の所業……」


 決めた、狐は畜生だ、とヴィトゲンシュタインは溜息を吐く。


 飛龍の尻尾に手足を縛られた上で括りつけられている頼れる部下のオストハイマーの顔は吐瀉物で悲惨なことになっている。当たり前である。飛龍の尻尾は飛行中、姿勢を維持する為に激しく揺れるのだ。そんな場所に括り付けられるなど恐怖以外の何ものでもなく、航空兵であれば泣いて許しを請う非道である。


 しかし、仔狐は「面倒臭いですよぅ」の一言で済ますと、手早くオスハイマーの軍帯(ベルト)などを剥ぎ取って縛り上げてしまった。


 眼前で、幼い姉弟を抱き締めながら近づいてくる仔狐。


 ヴィトゲンシュタインとしては自身が空襲の一端を担っている以上、痛々しい姉弟の姿を見て思うところがない訳ではないが、これは戦争であり市街地への爆撃はベルゲン空襲を先に行った北部統合軍に対する報復という意味もある。征伐軍司令部も故意に市街地への爆撃を許可した訳ではないが、誤爆があるであろうということを承知の上で行った。


 ヴィトゲンシュタインは捕虜になるのは免れないだろうと踏んでおり、この忌々しい仔狐の不興を買うのは得策ではないと考えていた。北部統合軍も蹶起軍も純粋な正規軍ではなく、練度にばらつきのある領邦軍が捕虜をどの様に扱うか不安がある。


 否、そもそも今から飛龍に飛び乗り空へと逃れたところで、あの光槍の前では回避すら間に合わず、叩き落とされるのは目に見えている。今は言いなりになるしかない。高位種は個人で部隊を相手にできるという理不尽な存在である。拳銃以上に容易く相手の生命を奪えるのだ。


「仔狐殿、周りをこうも炎に包まれていては飛び立てません」


 そう言えば、シュットガルト=ロンメル子爵領の新領主は年若い天狐の娘だという噂があったな、と思いながらヴィトゲンシュタインは周囲を見渡す。


 公園である為か可燃物が少なく、炎の奔流から取り残されていたようであるが、周囲の炎の勢力はいよいよ公園をも焼き尽くさんと迫りつつある。消火を担う組織もこうなっては近づけないだろう。


 航空騎というのは、安定的な飛行状態にまで移るのに時間が掛かる。


 御伽噺の様に羽ばたいて宙を舞うこともできなくはないが、体力と魔力を著しく消耗する上に現在は航空戦闘と長時間の飛翔でそのどちらをも失いつつある。そして、航空騎の離陸は本来、航空兵や魔導士による魔術での射出が必要になる。前下方からの合成風とそれを最大効率で受ける為の魔導障壁、滑走する足元を魔導障壁によって安定させる等の複数の複合魔術……離陸には航空兵も少なくない魔力を消費する。航空基地であれば、滑走路に術式が刻印され、魔力を充填する発動機も用意されているが、今はそれも望めない。


 正直なところ、難しい事この上ない。


「大丈夫です。私が海側に向かって滑走路を作っちゃいますから、その間に飛んじゃってください……魔力が足りないのだったら、術式だけ展開してくれれば、私が補っちゃいますよ」満面の笑みで仔狐が告げる。


 一陣の風が吹き抜ける。


 そして、それは仔狐の前を過ぎると、圧倒的な奔流となってその眼前にある総てを一直線に押し流す。


 暴風という言葉ですら生易しい風の奔流は指向性を有しているのか、海側に向かって直線の道を創造した。炎は風と真空によって瞬く間に寸断され、燃えていた建築物すらも粉々になって夜風に一瞬のうちに運ばれて消えゆくという破天荒には閉口するしかない。


 否、これこそが高位種なのだ。理不尽の権化として戦場に君臨する者達。成程、運が悪かったと諦めるしかない。


「飛びます。御搭乗を」


 姉弟を抱えた仔狐が後部座席に飛び乗ったことを確認すると、地面が露出するまで風に削られた滑走路を目に、飛行眼鏡(ゴーグル)を付けて愛騎を促す。


 戦争は理不尽だからこそ皆が必死なのだろう、とヴィトゲンシュタインは嘆息して滑走を始めた愛騎を駆った。








「シュパンダウ空襲は、完全に収束したとのことです」


 報告書を受け取り、通信士を下がらせたトウカは溜息を一つ。


 フェルゼンへの空襲は、軍需工廠と兵站施設に少なくない被害を齎した。市街地への被害は予想よりも少なく、戦時下での消火活動訓練、憲兵隊や警務隊の協力もあり小規模なものに収まったが、集中して爆撃を受けたヘルガ島の領邦軍兵器工廠や軍港などを中心に少なくない被害を蒙っていた。


 空襲の脅威が確実となった段階で避難活動を始めていたこともあり、領民への被害は限定的なものに収まったが、軍需工廠一帯などは弾火薬の製造工程(ライン)に引火した挙句に大爆発し、今も明け始めた夜空を赤々と照らして燃えている。


「ええい! 戦車の製造工程(ライン)には、何としても延焼させるでないぞ!」


 通信機を通信士から引ったくり、怒鳴り散らす様に指示を飛ばしている。


 残念ながらトウカは、現状は総司令部と現場の努力に任せる心算であった。弾火薬の不足している状況では、他の兵器製造工程が無事であっても意味がない。弾火薬のない近代兵器など鉄の置物でしかないのだ。


「〈ヴァルトハイム〉と〈リリエンタール〉に通信。健在な主砲数を報告せよ」


 トウカは「止む無しか」と指示を出す。


 マリアベルは、トウカの意図するところを察したのか、戦域図に煙管を叩き付ける。


 正直なところ、トウカはどの道、弾火薬の欠乏については問題ないと考えていた。実際、あと一会戦分は備蓄しており、北部貴族達が恐れたのは先のゲフェングニス作戦全体での砲弾の投射量に腰を抜かしたからに過ぎない。危険視しているのは北部貴族であって、トウカは最近では問題ないと考え始めていた。何せ、北部統合軍も征伐軍も内戦終結を急いでおり、次は征伐軍の総攻撃を受ける形となるとトウカは睨んでいる。


 ――どの道、次で最後、か。


 征伐軍が前線を大きく縮小させて再編成を行っているということからもそれは窺える。


「〈ヴァルトハイム〉が橋脚型起重機(ガントリークレーン)の倒壊に巻き込まれ、第一砲塔と第二砲塔が使用不能。〈リリエンタール〉は、爆撃による被害で第三砲塔の動力回路が切断し、旋回不能とのこと」


 通信士の報告に、鷹揚に頷いたトウカはマリアベルへと向き直る。


「火災の激しい区画からの延焼を阻止する為、戦艦の艦砲による間引きを進言します」


 艦砲によって延焼が想定される区画の可燃物を破砕し、吹き飛ばすのだ。些か強引であるが、江戸時代に延焼を防ぐ為に周辺家屋を引き倒していたことを踏まえると、決して無理無謀ではない。無論、在りし日の如く、屋根上で合図を出す猛者は必要ない。哨戒騎による観測と陸上部隊との連携によって行うことは十分に可能である。


「許可するしかないかの……着弾区画の人員の避難を急がせるがよい」


 マリアベルは、トウカが戦域図に指示した区画を目に鷹揚に頷く。


 都市区画で火災の延焼を防ぐ為、周辺建造物を破壊して被害拡大を防止するという手段を、戦艦の有する大口径の艦砲を以て行うということを察したマリアベルは聡明と言っていい。時間がない上に、道路も爆撃や瓦礫によって寸断されている以上、時間が掛かることは避けられず、艦砲で行うことが一番時間を短縮できた。


 こうした有事下に在って、二人の連携は群を抜いた即応性と独創性から皇国陸海軍の指揮官と参謀の理想的な関係として後々まで語り草となるのだが、この時それを知る者はいない。


「哨戒騎に現場から観測情報を送らせろ。……シュタイエルハウゼン大洋軍艦隊司令長官官に繋げ」


 通信士が頷くのを確認し、トウカは指揮官席の受話器を手に取る。


『総参謀長ですかな? 私の指揮下の艦で随分と好き勝手してくれましたな』


「では、ヴェルテンベルク伯に変わりましょうか?」


 暗にマリアベルの指示だと口にすると、シュタイエルハウゼンは慌てて「その必要はありません」と切り返してきたので、トウカは胸中で苦笑する。実際のところ、トウカとマリアベルが〈ゾルンホーフェン〉に搭乗したのは、どちらかが指示したという訳ではなく、共にそれが最善だと判断して気が付けば足が向いていただけに過ぎない。トウカの言葉は正解とも間違いとも言える。


「艦砲で火災区画の間引きを行いたいが可能か?」


『……それはまた随分と無茶を言ってくれますな。列車砲は?』


 シュタイエルハウゼンの問いに、トウカは、否と答える。


 城塞列車砲聯隊の人員は、列車砲を専用掩体壕に避難させた後、小隊規模に分かれて消火活動に従事しているとの報告が上がっている。これを再集結させて列車砲を稼働状態まで持ち込むにはかなりの時間が掛かる為、最善とは言い難い。


『では、やりましょう。ヒトを殺す為だけの兵器(艦砲)も、偶にはヒトを救う為だけに咆哮するのは(やぶさ)かではないでしょう』


「そうか……では、頼む」


 トウカは通信を切ると、用意された椅子に座り、戦域図の端に散乱した書類を手にする。


 それは、空襲を受けたシュパンダウの被害報告書であった。


 市街地への被害が比較的大きく、一〇〇騎規模の編隊の攻撃の過半は市街地へと集中したとの報告に、トウカはミユキの精神に負担を強いるのではと考えた。そして、シュットガルト湖上の独立した島嶼という閉鎖空間であるシュパンダウですら攻撃を受けたという事実は、ミユキが裏で動いている天狐族の移住という案に影を落とすかも知れない。シラヌイやマイカゼも、空襲の爪痕を見れば言動を翻す可能性があった。


 市街地の被害が大きかった理由は、一部を除いて完全に地下式となっている研究開発施設が発見できない上、攻撃開始時点で夜の帷が降り始めていたことが原因であった。民家に偽装していると敵航空兵が考えても不思議ではない。ベルゲンでは、避難活動が遅れたことから民間人にもそれなりの死傷者が出ていたらしく、シュパンダウやフェルゼンへの空襲は報復といった意味もあると想像できる。無論、一〇〇〇騎を投入し、七〇〇騎近くを失ってまでする程の価値があるのかと言えば否であるが。


 そう、七〇〇騎近い被害だ。


 フェルゼンとシュパンダウに来襲した征伐軍航空集団……〈特設航空軍団〉と飛ばれている航空部隊は七割近い被害を受けて帰途に就いた。否、正確に言うならばフェルゼンとシュパンダウ上空では三割程度の被害で収まっていたが、撤退時にヴェルテンベルク領一帯の航空基地から離陸した航空騎が総力を挙げて苛烈な邀撃と迫撃を仕掛け、それに加えて撤退時に上空を通過する領にある航空戦力が逐次漸減行動を取った。


 常に晒される執拗な攻撃に徐々に、特設航空軍団は数を削られていった。


 この漸減はトウカやマリアベルが意図した結果ではなく、各航空基地司令官が、接近する敵航空戦力を迎撃した結果に過ぎない。空襲時の迎撃機や対空砲火の被害によって負傷した航空騎が多く、飛行速度も低下していたからこそ迎撃は容易くあり、編隊も形成していなかった。邀撃行動は酷く容易く、七面鳥狩りも同然だったはずである。


 被害は少なくないが、軍事的勝利と言えなくもない戦果である。


 征伐軍は来る決戦で近接航空支援能力を大きく減じることは疑いなく、参謀本部は作戦計画の修正すら始めていると報告を受けている。


 だが、トウカ個人としては大敗である。


危うく出そうになる溜息を抑えて、トウカは明け始めた夜空を見上げる。


「……最早、状況の奈何(いかん)は現場の努力に依るところであろうて」


「そうした気遣いは無用に願います」


 迂遠にシュパンダウに向かえばどうか、というマリアベルの言葉に、トウカは(かぶり)を振る。


 ミユキの無事は確認できており、そもそも軍務を放棄して私情に動けばそれは最早、軍人たりえない。この戦火の中に在って、各所の現場では北部統合軍や憲兵隊、警務隊に関わらず多くの者が、家族や恋人、愛する者を気にしながらもその職責を全うせんとしている。トウカだけではないのだ。


「……辞めてもよいぞ」


 思いがけない言葉に、トウカは眉を顰める。幸いなことに周囲の士官達は職務に精励しており、聞かれた様子はない。


「そうですね。それも良いかも知れない」トウカは苦笑する。


 ミユキとの幸福な未来を勝ち取る為に仕官した以上、本末転倒となりかねない現在の状況は看過し得るものではない。今回の空襲の爪痕も場合によってはミユキの心に大きな傷を残すことになったかも知れず、シラヌイやマイカゼへの対応もある。


 だが、北部統合軍を除隊するなど有り得ない。


「確かに軍にミユキがいる訳ではない。そして軍は手段に過ぎない」


 マリアベルは無表情のままに、トウカを見据える。そこには否定も肯定もない。


 そう、マリアベルは安い女ではない。涙で引き止める事も、言葉で突き放す事もしない。或いは、二度は無い。そう考えているに違いない。


「……だが、貴女がいる」


 座ったままに頬杖を突きながら面白くなさげに戦域図を見下ろしながら、トウカは呟くようにして告げる。周囲の視線以上に、あまりにも格好付けた言い回しなので正面切って口にはできないからこそであるが、最たる理由は気恥ずかしいからであった。


 マリアベルは、思案の表情を浮かべて頷くだけである。


「そうかの。……ならば、参謀総長、義務を果たすが良い」


 軍務中に於ける二人の関係は極めて冷淡である。


 露呈してはならない関係であるからであり、本来ならば許されない関係であるかからでもあるが、或いは多くに対する裏切りとも言える関係に対するけじめにして妥協なのかも知れない。








「死んじゃった人は?」


 ミユキは、憮然とした顔のリシアに問う。


 姉弟を助ける為に飛び出したミユキに対する評価は二つに分かれる。


 領民の為に最善を尽くそうとする佳き領主として評価する者と、指揮官が前線に勝手に飛び出されては堪らないと憤慨する者である。前者は概ね領民からの評価で、後者は軍人からの評価であった。後者の場合は、我々が戦野に赴きながらも、領主を戦野に赴かせてしまったことからくる怒りであり、ミユキの行動を責めるものではなかった。未だ主君主義が根付く文明の過渡期にあっては、奉じて間もない主君であってもそれ相応の権威を有するのだ。


「残念ながら領民の死者が六名ほど出ている様ね」


 リシアの報告に、ミユキは木箱に座り毛繕いをしていた己の尻尾を小さく揺らす。


 死者に、被害に心を乱してはならない。それで判断を違え、周囲を不安にさせるは貴族に在らず。


 マリアベルを見習い、ミユキは深呼吸を一つ。


「その人達が遺した人達に支援をお願いね」


「多方面に角が立たない程度が宜しいかと」


 エイゼンタールの言葉に、ミユキは小さく頷く。


 幸いなことに窓を通して空を見上げるミユキの表情を見ることが叶う者はいない。そして、慌ただしげな領邦軍司令部の一角である事もあり気を払う者も少ない。捕虜となった征伐軍の航空兵への対応に加えて、防空戦闘時の負傷者への対応、焼け出された領民への対応などの総指揮を執る必要がある為、領邦軍司令部は慌ただしかった。特に領邦軍司令部内に小規模とはいえ領邦軍病院を併設している為、負傷者が廊下などに溢れ返っている。


 ミユキも先程まで運び込まれた負傷者の治療を行っていたのだ。


 良くも悪くも〈剣聖ヴァルトハイム〉での治療経験が役に立つ形となり、軍医の補助という形でその膨大な魔導資質を生かしていた。現在のミユキの衣服も返り血が付着しているが、周囲も似たような状況なのでそれを気にする者はいない。


「リシア、状況はどうなっているの?」


 臨時とは言え領邦軍司令官代行を務めているリシアは、この防空戦闘後の混乱鎮静化の為に指揮を執り続けている。軍人という非日常を生きる者が、非常時に指揮を執ることは近代への過渡期では何ら不思議な事ではなく、武断的で迅速な対応に馴れた軍人は一般的な職業とは一線を画す存在として見られていた。


「市街地の火災は鎮火しつつあるのだけど、民間人の男性有志を集めての消火活動の限界が出たわ。山間部に広がった火災に手が回らないのよ」


 山間部の消火活動は、密林であることに加え、足場の悪い斜面であることも影響して難航していた。消火剤は存在するものの、それを輸送する手段や効率的に散布する手段がなく、そもそもその量自体に不安がある。


「私が現場で何とかするから、リシアは市街地と領民をお願い……何も言わないで。分かっているから、ね?」


 危険だという言葉は、炎に巻き込まれそうであった姉弟を助けて帰ってきた際に嫌という程に聞き、リシアには引っ叩かれ、エイゼンタールには尻尾を抓られた。


 しかし、ミユキはそれでも前に出る。


 領邦軍の前へ。

 領民の前へ。


 それが、貴族というものなかも知れない。統率するチカラを持たぬなら、ただ前へと進み出るしかないのだから。


 きっとマリアベルであれば前に立つことなど、そうそうしないことは疑いない。そうなる以前に手を打ち、組織を改編し拡大し、人的、物質的資源を蓄える。口で言うは容易いが、ミユキが一人で生きていく為に自身の食い扶持を稼いでいる様なものとは規模が違う上、幾多の者達を無条件で従える“威”など容易く獲得できるものではない。


 憧れていた御姫様……貴族とは決して、美しくも気高いというだけではない。腐敗する権力を是正し続け、血涙と屍山の道を笑顔で歩み続けなければならないのだ。自分の背に続く無数の領民の道を照らして指し示し続けなければならない重圧を、飛来する航空集団を前に、ミユキは感じた。


 だが、身を引く事は許されない。自身が望んだ立場であり、自身の夢の為にも切り開かねばならない境地がある。


「……行きなさい、義務を果たせばいいわ」リシアは咎めない。


 黙って背中を見せるだけであった。


 ミユキは深く頷いて立ち上がると、エイゼンタールを促して司令室の扉を潜る。


 こうした戦争という止むに止まれぬ現象によって生じた義務感であるとはいえ、その思いはミユキを突き動かし、皇国という複雑怪奇な国家に一つの潮流を作り出すことになるのだが、それはまだ先の話である。


「あ、おきつねさま~!」


「えっと、リリアちゃんだったかな?」


 火災の中で助けた姉弟の姉がミユキの前に現れる。


 包帯や医薬品の瓶を手一杯に持った姿は健気の一言に尽き、頭に巻かれた包帯が痛々しいがそれでも懸命に手伝っているのだろう。軽症者は順次、張られている天幕に移されるが、中には協力を申し出る者も少なくないとミユキは聞いていた。そうした郷土を護ろうと、日常を護ろうという精神こそが、このシュパンダウをシュパンダウたらしめているのだ。


「わたし、がんばってるよ」


「うん、そうだね。でも、無理は駄目だからね」


 リリアと同じ目線の高さに屈みこみ、ミユキは苦笑する。


 故郷の妹たちを思い起こさせる仕草だが、行動的な面は妹たちと比べ物にならない。炎に怯えていた少女だが、元来は好奇心が強く、溌剌とした正確かも知れなかった。


「頑張ってね、リリアちゃん。なにか困った事があったら、司令室の目付きが悪い紫のヒトに言っちゃってくださいね」


「おきつねさまもがんばって」


 これでは領主としての威厳がないと苦笑を深めるが、領主に決まった型がある訳でもないと思い直して、ミユキはリリアと別れる。


「チカちゃん」


「……何でしょう?」


 やや胡乱な目で直立不動となったエイゼンタールに、ミユキは笑い掛ける。


 全力を以て事に当たる。最早、それに躊躇いはない。


 今までは自身の力を振るう事にミユキは前向きではなかった。高い魔導資質や膂力がありながらも、その使い方を学ぶことがない一般人という範疇である以上、それが必要とされる非日常は、本来、ミユキが対処すべきものではない。


 しかし、今は違う。



 シュットガルト=ロンメル子爵。



 ヒトの上に立つ立場なのだ。


「本気を出しちゃいますから後始末、任せちゃいますね」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レビュー、評価などを宜しくお願い致します。 感想はメッセージ機能でお願いします。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ