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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》

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第九四話    神算鬼謀と神機妙算 




「笑えるのぅ。彼奴も此奴も、まんまと踊らされおって! 見てみぃ、イシュタル。今回ばかりは妾もトウカを出し抜けようて!」


 マリアベルは情報部より届けられた報告書をイシュタルにぞんざいに投げ付けると、執務椅子に荒々しく身を投げ出したかのように座る。煙管を手にし、豪奢な着物が着崩され肩が大きく見えるという何時も通りの姿だが、今日に限っては簪や髪留めなども高価なものであり、口元には紫の口紅(ルージュ)も引かれていた。


 実は先程まで、機密理に北部の有力者との会談が持たれていた。


 エルゼリア侯爵やタルヴィティエ侯爵、先代シュトラハヴィッツ伯爵、アイゼンヴェルト伯爵、ロートシルト子爵などとの会談は極めて実務的なものであり実りのあるものであった。内容は慎重を擁するものであり、同時に北部の命運を決めるものでもあり、当初会談は荒れに荒れた。


 内容は、エルゼリア侯を支柱とした中央集権体制の確立と、タルヴィティエ侯爵の政務卿就任……そして、マリアベルの軍務卿就任。


 それは、貴族間の確執と政治制度の差異を取り払い、各領邦軍を統合した新たなる北部の体制の確立を意味する。


 各貴族は、それぞれが支持している有力貴族に付き従い派閥を形成しているが、それを無視する形で各々の代表を機密理に呼び寄せての会談は紛糾した。


 高齢のロートシルト子爵は、船旅で疲れておるから任せると居眠りを始めたので例外だが、それ以外の貴族……特に先代シュトラハヴィッツ伯爵とアイゼンヴェルト伯爵が、クラナッハ戦線におけるヴェルテンベルク領邦軍の独自行動を非難することで始まった。共に武門の一族であることもあるが、先代シュトラハヴィッツ伯爵に関しては、旗下の領邦軍と娘が巻き込まれる形で戦端を開いたこともあり怒り心頭といった有様であった。それなりに高齢なので、マリアベルはこのまま憤死してくれればと火に油を注ぐが如き発言を繰り返したので、会談は早々に空中分解する気配を見せる。


ちなみに、今代シュトラハヴィッツ伯爵は未だ年若く、こうした非公式にして実力が必要となる場には、先代シュトラハヴィッツ伯爵が出ることが常であった。


 ――御主らの軍が弱すぎるから、妾の軍で大御巫の尻を蹴り上げてきてやったのじゃがな。どうも妾の軍は勢い良すぎて、大御巫を運河に突き落としてしまった様子での……ところで御主らの軍勢は何処におる? 民兵しか見当たらんかったのじゃがのぅ?


 口から機関銃の如く嫌味と皮肉を撒き散らすマリアベルに、他の有力貴族は閉口するか激怒するかに分かれた。


「話しを纏める気がないの? マリィはいつも話を複雑にする……」


 対面に座るイシュタルが、軍装の胸元を緩めながら呆れた表情と声音で呟く。


 二人の座っている場所は決して話し合いをするような場所ではなく、シュットガルト湖からの吹き荒ぶ湖風も展開されている敷設した術式による魔導障壁と温度調整の為の多機能恒温機がなければ、とてもではないが寒風ゆえに立っていられない。


 イシュタルが差し出した徳利に、マリアベルは御猪口を突き出す。


 並々と注がれた米酒を啜り、マリアベルは小さく笑う。


 多機能恒温機の上では熱湯の入った鉄桶に幾つかの徳利が入っており、米酒を温め続けていた。他にも若干のおつまみと酒瓶が置かれており、酒宴の様相を呈している。


 しかし、そこは長大な甲板。


 軍港内に係留された艤装中の一隻。


 一際に異彩を放った艦であり、建造中であった新造高速客船の船体を利用して擬装が推し進められているその姿に首を傾げる工員も多いが、それは領邦軍艦隊の将兵であっても同じである。



 航空母艦。



 トウカが、そう称した艦であった。


 艦首から艦尾まで続く全通式の飛行甲板と、右舷前よりにある島型艦橋は艦橋と煙突が一体化しており、その上、排煙の航空騎運用への影響を避ける為に煙突は外側へ傾斜していた。正式な艦種は後に別に付けられる可能性もあるが、現在は少なくとも便宜上、航空母艦とされている。


 その様な形状の艦影が二隻並び、その巨体を横たえていた。


 遠方から見れば、闇夜に巨大な下駄が浮いている様に見えるのだが、軍港全体が地形的に隠蔽されている為に民間人の目には晒されることはなく、航空騎による哨戒も昼夜を問わずに実施されている。航空騎による哨戒はフェルゼンでは平時からなされていたのだが、トウカは軍港上空に対する専属の哨戒騎部隊を求め、イシュタルがそれを受け入れた。


「巨大な宴会場に使えるのぅ。正に移動式同窓会場であろう」


「同窓など私達にはほとんど居ないでしょうに」


 そう言えばそうであったの、とマリアベルは笑い、イシュタルは嘆息する。


 同窓と言っても双方共にヴェルテンベルクの生まれではなく、また幼少の頃より平凡とは程遠い人生を送っていた。マリアベルは北部の生まれではなく、イシュタルも褐色の肌が示す通り同様である。寒冷地帯と称してよい北部には肌が白い者が多く、そういった意味ではイシュタルは良く目立っていると言える。


 敷物に座る二人は対面の盟友の周囲には誰もおらず、建造中であることも相まって建材や資材が置かれている。艦尾側の飛行甲板は未だ完成を見ておらず、剥き出しの内部構造物はただ只管(ひたすら)に無機物であり、この航空母艦が戦闘艦であることを思わせた。


「この艦の就役はいつじゃったかの? 魔導式射出機は水上騎の射出機の流用で、着艦は飛行甲板に合成風を発生させて艦載騎の発艦や着艦速度を操作する為の術式を刻印……そう難しいことではなかろうて。その上、何と言ったか……」


「……全溶接(アーク)船体構造と積木(ブロック)建造方式」


 不意に差し込んだ影がマリアベルの言葉を引き継ぐ。


 視線を向けると、そこには黒い毛並みの少女が立っていた。


「既存の(リベット)式船体構造は生産期間が長く、工員も多く必要だった。でも、トウカが指示した全溶接(アーク)船体構造は、生産期間を短縮できて工員も減らすことが出来る。だけど船体構造が脆弱になって外洋の航海では凌波性に劣るから船体の破損が考えられ、戦闘艦も交戦時に被害が拡大する恐れがある。そこで船体内壁に構造維持の為に魔導障壁を展開することでトウカはこれを解決した。副次効果として、被弾時に魔導障壁を強化することで被害拡大を阻止できる。これを専門に行う部署を設けて、被害制御(ダメージコントロール)と注水制御による船体傾斜の統制……そしてそれらを含めた艦の総てを陸上で並行作業による建造を推し進め、最後にそれを組み立てて完成させるという積木(ブロック)建造方式。……性能の飛躍的な向上と、生産性を両立させた二つの新技術は、造船業界に革命を起こし――」


 機関銃の如く説明を続ける少女に、マリアベルとイシュタルは苦笑する。


 世界中から一目置かれるヴェルテンベルクの研究開発の中に在って、その一翼を成す少女は偏執的なまでに技術者であった。


 天女が着ている服の様だとも称される《ヴァリスヘイム皇国》の民族衣装を纏う少女だが、更にその上から白衣を肩に掛けている姿は異質としか言い様がない。


 ヘルミーネ。


 そう呼ばれる少女は白衣を脱いで敷物にすると、マリアベルの横に座る。良く見てみれば白衣は薄汚れており、何かしらの研究をしていたのかも知れなかった。衣嚢(ポケット)には工具などが無造作に突っ込まれており、知的好奇心の赴くままに生きていることが窺える。


「ミーネか……難しいことは妾らには分からん。役に立つというだけで十分での」


「あの若者が役に立つのは私も分かる。だが、領邦軍司令官たる私を飛ばしてマリィに作戦計画を提出するのは困りものよ」


 マリアベルとイシュタルは、其々の心情を漏らす。


 使えるモノは徹底的に用いるというマリアベルの姿勢と、自身の頭上を飛び越えて作戦計画をマリアベルに承認させるトウカの遣り方に振り回されるイシュタルの苦悩を聞いても、ヘルミーネは興味なさげである。おつまみとして置かれていた小鉢の料理をもそもそと食べるだけであった。


「それで? トウカの玩具箱の様子はどうであった?」マリアベルは楽しげに問う。


 トウカの玩具箱……それは、ヴェルテンベルク領邦軍内に新設された先進技術開発部に対してマリアベルが付けた異名であった。


 先進技術開発部は、トウカとマリアベルの話し合いによって設立された部であり、その部長をタンネンベルク社の会長を招聘する事で、技術者と研究者の集団を統率させていた。この部に所属している技術者や研究者の多くは、ヴェルテンベルク領内に本社を構える企業に所属する者達で、目的は各企業に新規技術を取り入れさせる事と各自の研究を統制することであった。


 技術の取捨選択。


 トウカはヴェルテンベルクに対して協力的な企業で行われるすべての研究開発に対してのそれを望み、マリアベルもそれを許可した。兵器は当然であるが、領地開発や公共施設(インフラ)整備に運用できる民生品にまで及び、技術的な独裁であるとの批判すら出た。しかし、トウカの着想によって提案された物品の数々が有用であり高評価を得ていたので、その声は成果を出す度に小さくなっていった。無論、そこには非協力的な企業には一切の新技術を与えないというトウカの明確な方針の影響もある。トウカは非協力的な者を冷遇はしないが、決して厚遇することもないと明言していた。


「向こうの強襲揚陸艦も遅れてはおるが、完成しつつある様子。元より有事の際には徴用して高速輸送艦に改装する予定であったからの。少なくとも内火艇が舷側に衝突しても凹みはすまいて」


 トウカが商船改造航空母艦の失敗の例で挙げた一つを思い出し、マリアベルは小さく笑う。


残念ながら、もう一隻の長大な甲板を有する艦艇である強襲揚陸艦は、新機軸の機構の搭載に手間取り建造が遅延している。マリアベルが本当に期待を寄せている艦艇こそが強襲揚陸艦であり、実際、建造に関してはトウカとの喧々赫々の遣り取りがあった。二隻とも航空母艦とするべきだと主張するトウカに対して、基地航空隊の増強を行いつつ、揚陸艦に改修すべしとマリアベルは反論した。そして結局、トウカが新機軸の機構を盛り込んだ強襲揚陸艦を建造する代わりに、一隻を航空母艦として建造するという折衷案で落ち着いた。


「マリィは揚陸艦に拘るわね。何か理由が? 他の輸送艦でも問題ないはずでしょう」


「軍事的な理由は二の次ぞ。あれはの、他貴族の領地に速やかに軍を派遣できるという意志表示に他ならぬ。確かに戦艦は強力な兵器だが、上陸はできぬであろう? だが、揚陸艦は部隊を陸地に展開できよう。ある意味、戦艦よりも複数保有する揚陸艦の方が周辺の貴族に取っては脅威であろう?」


 周辺貴族に対する牽制という事実に眉を顰めるイシュタルに、マリアベルは苦笑する。


 戦艦などという建造にも維持にも大量の資金が必要となる存在に比べ、揚陸艦は低資金で大量に保有でき、旧式となれば一部を改装して商船の名目で民間に払い下げることもできる。その上、戦艦以上に他貴族に牽制できるとなれば配備を優先しない理由がなかった。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻が、揚陸戦艦という前代未聞の艦種としたままに、艤装中に中断となったのはマリアベルがそれに気付いたという理由もある。


「まぁ、今回の戦では揚陸艦は目を付けられて動かせなんだがの」


 逆に戦艦の艤装を中止してまで揚陸艦を揃えた事で、必要以上に意識された揚陸艦は他貴族に逐一監視を受ける事となった。


だが、既にエーゼル子爵領とバイルシュミット伯爵領を攻撃した時点で大人しくしている必要はなく、既に二四隻の揚陸艦はその艦内に各種兵器と将兵の積載を終えて出航していた。護衛には三個巡洋戦隊、重巡洋艦一二隻を始めとする六九隻の大艦隊が付いており、万全の態勢で後続部隊を送り出す事に成功していた。残念ながら、護衛艦艇は哨戒艦隊や警備艦隊の名目で保有していた艦艇を再武装したものである。当初から戦闘艦として再就役させる予定であったとは言え、正規の巡洋戦隊や駆逐隊と比して練度に劣るが、運河という特殊な行動水域に在っては奇襲を受ける確率は低く、扱いとしては砲艦に他ならない。


「まぁ、アレも戦艦と遣り合うことになるとは思わなんだであろうて。……妾が苦労して作戦を漏らした甲斐があろうというものよのぅ」


 呵々大笑といった風体で笑うマリアベルに、イシュタルは呆れた声を漏らす。


 トウカはイシュタル隷下のヴェルテンベルク領邦軍司令部から作戦が漏れることを恐れ、領邦軍艦隊が領邦軍司令部とは別の指揮系統に置くことを艦隊司令官就任時に求め、マリアベルは今作戦の計画と共に承認した。


 トウカは、今作戦に於いて陸上戦力をザムエルに独断行為をさせる事で確保したと思っているかも知れないが、実は作戦計画はその時点でマリアベルがイシュタルに伝えていた。


 トウカは、エーゼル子爵領とバイルシュミット伯爵領、バルシュミーデ子爵領に対して軍事的な攻勢を行う事で軍の派兵と政治的隷属を強いる心算であった。


 しかし、マリアベルは事実上の占領を目的とした。


 信頼できない者が渦巻く領土を勢力下に組み込むことを良しとしないトウカに対して、マリアベルは敢えて領有を宣言し、憲兵隊の投入と強力な経済支援によって飼い慣らす事を望んだ。


 信頼できないモノを近くに置く事を忌避するトウカ。

 信頼できないモノを屈服させて牙を奪うマリアベル。


 その違いが今作戦で、如実に露呈する形となった。


「彼奴は妾に不信感を抱きつつある」マリアベルは独白する。


 どうしてこうなったのか、とは思わない。


 ミユキがトウカが戦場に行くことを狐の嗅覚か聴覚かは不明なものの感じ取り、マリアベルにそれが事実か否かと確認を取ってきた際、マリアベルはそれを否定しなかった。


 マリアベルは、トウカがミユキを危険な戦場に連れて行くことを良しとしないと考えていた。だからミユキにトウカの動向を教え、飛び出す際、簡単な手紙を(したた)めた。


 好きにせぃ。


 内容は、その一言であった。


 いざとなれば、何かしらの理由を付けて海戦には連れて行かないと考えていたのだ。下手に文章を重ねると、トウカの理屈の余地を狭めてしまうと考えたからこその簡潔な一言であった。


 しかし、結果は違った。


 決戦前の艦隊からの通信では、ミユキが〈剣聖ヴァルトハイム〉の戦闘指揮所にいるとのことであり、トウカがミユキを退艦させなかったことは明白である。


 若しかすると、戦海よりも自身の影響下にあるフェルゼンに留め置くことを、より危険視したのではないのか?


 マリアベルは、トウカがヒトの上に立つ資質を備えているかクラナッハ戦線で試したが、それがトウカの猜疑心を掻き立てた気がしてならなかった。


「笑って謝る心算であった……しかし、彼奴はそのことについて一切触れなんだ」


 それを楯に何処かで譲歩を迫る場面があると考えて身構えていたが、それすらもなかったことは拍子抜けと言えた。


「だから謝罪の機会を逸したと? 全く子供ね……いや、サクラギ代将も似たようなものね」イシュタルが呆れたように呟く。


 ヘルミーネはもしゃもしゃとおつまみを貪っている。


 個性的な面々だが、三人は確かにヴェルテンベルクの一翼を担っている。


 其々が喧々赫々に喋りたいことを喋る。


 そこで、不意にヘルミーネが、海面に視線を向ける。











「あれは……」


 イシュタルが零した言葉に、ヘルミーネはトウカの機密に対する意識が極めて高いことを思い知った。


 漆黒に塗装された小さな艦艇の姿に、マリアベルが小さく鼻を鳴らす。そしてヘルミーネは、マリアベルがその兵器に対して否定的であるという噂が本当であったのだと思い知る。


「あれが潜水艦かの? 何とも頼りない姿よの」


 マリアベルの言葉通り、その艦は漆黒の塗装を施され、小さな艦橋を甲板中央に配置された姿は何とも頼りない。艦首と艦橋横に配置された潜舵から水上艦とは一線を画すことは軍関係者であれば嫌でも理解できるが、素人が見れば武装が付いている様にすら見えないその姿は頼りなく見えるかも知れない。


「あれは試験艦。武装も付いていないし戦えない……でも、歴史に名を残すことになる」


 それは初めての有人潜水艦としてであり、潜水航行を成功させた艦としてという意味であった。


 皇国に限らず、この世界では水中を戦場にするという概念に薄く、推進剤として魔力を利用した魚雷が限界であった。


 その理由は至極単純であり、海面下や水中には基本的に魔力が存在しないからである。


 この世界では艦艇の大部分が魔導機関を使用しており、これは空気中から魔力を取り込むことで稼働するが、海面下や水面下にあっては魔力が存在しないこともあり、これまで人を乗せて潜水する兵器というのは開発を試みられるに留まっていた。その上、魔導機関は小型化することが難しく、艦を大型化してしまえば航行能力が致命的なまでに低下するという悪循環を解決できなかったのだ。


 トウカの熱意と抵抗もあって試作が認められた潜水艦だが、その建造は苦難の連続であった。既に三隻建造された試作艦の内、二隻は潜航したまま浮上することもなかった。念の為に配置していた工作艦による引き揚げ作業を実施することによって乗員は無事救助できたものの、機関部への浸水によって工廠に逆戻りとなっている。


 幾多の改修と補修を乗り越えた一隻が、今この時、航空母艦と強襲揚陸艦の間に現れた潜水艦であった。


「潜水艦用の魔導機関の開発はなんとか完了した。トウカの言った通り、反発し合う性質の二種類の魔力を気筒(シリンダー)内で亜音速に近い高速でぶつけ合い、摩擦熱で生じさせることに成功した。この熱で過熱水蒸気を発生させて回転式原動機(タービン)を回す。これは全く新しい概念の魔導機関」


 無論、回転式原動機(タービン)を回転させる機構や燃焼温度調節の水の供給、高温となった水蒸気を水に戻す復水器などの開発には手間取ることとなり、それは現在も改良が続けられている。トウカはあくまでも奇抜な提案をし続けるだけであり、持ち得る技術を以て細部を詰めるのは技術者や研究者の仕事となり、開発とはそんな部分こそに一番時間が掛かるものである。


「水を冷却以外で機関に利用するなんて考え方は私にはなかった」


 水は魔力を通し難い性質を持っている。


 魔導機関の冷却に使われる場合もあるが、その水が漏れ出して機関内部に流入、魔力の伝達を阻害して出力を低下させるという事故は民間や軍用に限らず、度々紙面を賑わせていた。これに対するトウカの対策は過熱水蒸気を発生させる気筒(シリンダー)を複数搭載して、それぞれを独立させることで被害を分散。


その上、魔力補充時に浮上せずに済むよう水面上に突き出した吸気管から魔導機関への魔力補充を行い、継続的な潜航を可能とする装置である通気装置(シュノーケル)も搭載も予定されている。


「戦力化には時間が掛かる、と? 改装や改修で戦力を強化してきたサクラギ代将が、ここまで肩入れするのは珍しい」


 イシュタルの言葉に、ヘルミーネはこくりと頷く。


 潜水艦とは、通常の戦闘艦艇とは本質的に違った性質を持つ兵器であり、そして何よりも大々的にその能力が認められれば、各国の海軍の編成は大きな改編を迫られることになる。


「トウカは潜水艦を蒼海の暗殺者と称した。通商破壊を行う為だとも言ってるから、ある意味最終兵器」


「経済に影響を及ぼす兵器など、我らが用いることなど出来ぬであろうて」


 マリアベルの言葉は正しい。


 経済的に傑出した地力を持つヴェルテンベルクだからこそ、一領邦軍にしては異常な程の軍備を整えていた。経済的な戦略を展開した場合、征伐軍、蹶起軍に限らず、計り知れない損失と他国からの信用を失うこととなる。例え勝利したとしても、それらを喪えばその勝利に意味はなくなるのだ。


 よって、通商破壊は征伐軍も蹶起軍も行ってはいない。


「どちらにしても、正式採用にはまだ二年は掛かる。きっと、内戦は終わっている」


 そこからの改修と量産化への設備投資を踏まえると五年は必要であろう。


 それは詰まるところ内戦後を見据えているという事に他ならない。


 大御巫の殺害に失敗しても尚、潜水艦の開発を止めなかったということは、トウカが未だ活躍させる機会があると踏んでいるからに他ならない。もし、使えないと判断されれば直ぐ様開発中止となり、他の開発に人員と資金が回されるはずであった。トウカは政治と軍事に対しての無駄と無意味を何よりも嫌っている。


「新型戦車の開発も一年近く掛かるから、トウカは戦後も見据えている。それもこの内戦を勝利することを前提にしているはず」


 そうでなければ開発中の兵器に意味はない。無論、内戦を長期化させる心算であるという可能性も否定できないが、それは帝国の介入を招く可能性の増大を避けられないので可能性としては低い。


 それはつまり、トウカが戦後も蹶起軍陣営に付く心算であるということである。


「そうか、そうかえ……妾はまだ見捨てられてはおらぬか!」


 喜色を浮かべたマリアベルが立ち上がり、航空母艦の舷側から小さな潜水艦を見下ろす。一見すると頼りない存在に思えるが、経済と密接に絡み合った新時代の戦争を行う兵器。


 長期的視野をトウカが捨てていないならば、トウカは現状の立場を堅持するとも取れなくはない。


 軍事は政治に使役され、政治は経済に隷属する。


 トウカは、そう技術者や研究者に口にしていた。


 だからこそ少しでも経済に影響を及ぼし得る兵器や民生品を完成させることに、トウカは腐心していたのだとヘルミーネは考えていた。当人に真意を尋ねても、話題を逸らされるだけであり、それが技術的な発案であればヘルミーネには抗いようもない。


「本当に似た者同士というわけね。そうは思ないか、ヘルミーネ」


「似てる。でも、だからこそ理解し合うことは難しい」


 マリアベルの背中を見て、ヘルミーネとイシュタルは頷き合う。


 異邦人と廃嫡の龍姫。


 共に類稀なる政戦能力を有する二人は、武断的な姿勢や苛烈な判断など類似しているところが多く、その共闘はヴェルテンベルクに大きな繁栄を齎した。だが、しかし水面下では二人の腹の探り合いが続いているのは、イシュタルやヘルミーネにとって周知の事実であり、協力しつつも騙し合いが続いているという状況には辟易とするしかなかった。


「ただの意地っ張りでしょう。全く、板挟みと頭越しの応酬の被害者は私なのだけど」


 イシュタルの言葉に、ヘルミーネは反応を示さない。


 一番被害を受けているのは、皇国内を縦横無尽に暗躍する情報部と、急激な軍事費の増大と複雑化と肥大化の一途辿る政務に人員が不足している政務部であった。政務官の中には過労で倒れる者すらいるという状況であり、他貴族との折衝や各企業や商会との交渉に加え、今作戦における占領によって統治する領地が増える事を考えれば、首席政務官の“四五九九年、ヴェルテンベルク領政務部からは戦死者がでるだろう”という言葉は決して法螺や誇張でもない。現に幾人かの政務官が胃に穴を開けて“戦線離脱”している。


「ん? 何だ、ヘルミーネもその本を読んでいるのか? 最近、良く見かける。兵達も兵舎に持ち込んでいる」


 不意にイシュタルが、ヘルミーネの白衣の衣嚢を見て、辟易とした顔をする。


 ヘルミーネはそう言えば、と思い出して一冊の本を取り出す。


 ヴァルトハイム戦記、漫画版。


 皇国の戦記に在って一番有名なヴァルトハイム戦記を登場人や背景、ふきだし、音喩、漫符、台詞などといった技法で表現する漫画という媒体はトウカが提案したものであった。幾つかの種類が刊行された中でも、ヴァルトハイム戦記を漫画版にしたものは、独自の展開と現実感溢れる内容も相まって高い評価を受けて人気を博している。漫画という形態に似た書籍がなかったわけではないが、トウカが示した技法のほとんどは未だ確立のされていないものであり、イシュタルやヘルミーネの目にも実に分かりやすく洗礼されたものに見えた。


「おお、それを読んだのかえ? どうだ、中々の出来であろうて」


「貴女も関わっているの?」


「出版社の出資元がマリア様」


 マリアベルが潜水艦から視線を外して振り向いて、ヘルミーネの持っていたヴァルトハイム戦記、漫画版に視線を向ける。ヘルミーネは巻末の出版元をイシュタルに見せるが、見せられたイシュタルは露骨に顔を顰める。


「こんなものに金を出す余裕があるなら、前線に小銃弾を一発でも多く送り届けてやることに資金を費やすべきでしょうが」


「違う、違うのぅ。漫画は軍人の娯楽にもなろうが、それ以上に我々の主張を知らしめる事ができる。あからさまにならない範囲で、娯楽品に真実であるかのように我々に有利な情報を記しておく。地域を問わず民衆の支持を得る一手に他ならんよ」


 マリアベルは楽しげに笑う。穏やかな笑みだが、狂気を孕ませた声音にイシュタルが視線を逸らす。ヘルミーネはその様子を黙って見据える。


 実際、トウカがこの北の大地に現れて未だ半年も経過していないが、ヴァルトハイム戦記、漫画版の刊行はそう簡単なものではなかったので、とヘルミーネは見ていた。原案は元よりあったヴァルトハイム戦記だが、独自展開に加えて高い現実性がある。


そして、急激な発行部数の増加に対応するという手際の良さ。発行に関しては、マリアベルがかつて宣伝誌や引札(チラシ)の発行の為に建設した施設を利用していることをヘルミーネは知ってはいたが、やはりその内容が問題であった。


 一般に流布しているヴァルトハイム戦記は実話ではないとしているのだ。


 確かに、剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムが記した書籍であることは間違いないが、現在出回っているものは全面的な添削を受けたもので、皇国の国家統制上、不都合な内容はすべて削除されていた。しかし、最近刊行された漫画版には全ての内容が記載されており、その上、当時、直接関わったものでしか分からないような内容にまで触れていた。


 果たして、真実か創造か。その議論がまた大きな波紋を呼んでいる。それ故に誰しもが手に取る。


 だが、少なくともベルセリカ・ヴァルトハイムが、多くの犠牲を払って北部を護持したことだけは事実であり、それを座視した中央貴族という構図にも間違いはない。爵位の高い貴族の間では禁忌に近い内容が一般に流布しつつある現状。既に三巻まで刊行されているが、その度に大きな論争を巻き起こし、無関係だという公式見解を発表する貴族すらいた。


 ――あの内容は、当事者でもないと知らないはず。いや、あれだけの心情描写が創作とは思えない。しかも、内容は暗に七武五公を非難している。


「真実である必要はない。だが、創造である必要も無かろうて」


「それが公式見解?」


 マリアベルの肯定とも否定とも取れる言葉に、ヘルミーネは尋ねる。


 或いはヴァルトハイム戦記の原本に近いものを手に入れたのかも知れないと納得し、ヘルミーネは追及を思い留まる。目下のところヘルミーネが追求せねばならないのは、潜水艦の技術であり、過去の偉人の真実ではない。


「まぁ、御主らも、もう少し時が満ちれば分かろうよ。……そろそろバルシュミーデ子爵も追い詰められておろう。セルアノの提案を断れはしまいて」


「……そう言えば、ここ何年か見ていなかったわね、セルアノ」イシュタルが思い出したかのように呟く。


 そう言えば、とヘルミーネは、桜華色の長髪に、妖艶な黒の神州国産の上質な生地を用いた不思議な衣裳(ドレス)を身に纏った傾国の美女を思い浮かべる。


 黄金山吹の色をした瞳に射竦められれば、高位種であってもその言葉をに従わざるを得ない強制力を有していたセルアノという女性。元はヴェルテンベルク首席政務官の任についていたが、ここ三年ほどは全くと言っていいほど顔を見ていない。首席政務官の任を解かれたことから、周囲ではマリアベルとの政治方針の相違が決定的となったのではないかと噂されていた。ヴェルテンベルク領の軍事全般をイシュタルが担っているならば、セルアノは政務全般を担っていると言える。現在の首席政務官が心労で苦心していることを考えると明らかに重責に耐えられない。


 つまりは、首席政務官の任よりも重要なナニカをセルアノは任されているということになる。


 無論、本当に喧嘩別れした可能性も捨てきれないが、二人とも似た者同士であり、衝突すれば大きな話題になることは疑いない。元よりセルアノは公式記録上では、個人情報を擬装しており、その足取りを辿ることは元より難しく、特殊任務に投入されても身元が露呈する可能性は低い。


「間に合わぬと思っておったが、生存圏(レーベンスラウム)の確立は叶うやもしれんの」


 生存圏(レーベンスラウム)とは、地政学の用語で、国家にとって自給自足の為に必要な地域であり政治的支配が及ぶ領土を示す。それは、領土区分や国境によって設定されるべきものであるが、領土内の人口が増加し、国力が向上してくれば、更に多くの資源を必要とし、それに合わせて生存圏を拡張せねば、領地や国家は繁栄しないというマリアベルの持論からであった。


 実際のところ、それは現在のマリアベルの政治姿勢が否定している。


 嘗ては周囲の他貴族の領地に付け入る隙がなかったことと、時間が掛かり過ぎることを考慮して、最終的に経済の国際化を推し進める結果となった。その影響から自給自足の概念は輸入量の飛躍的な増大によって重視されなくなった為、生存圏という理論を戦略に反映させる必要性は大きく低下している。


「領地を拡大させるなんて野心も、内乱時であればこそ満たすことが出来る、そういうわけ?」


「領地の拡大など出費しか増えんわ。目標は周囲に衛星領を増やして、軍事的緩衝地帯を作ることに他ならん。叶うならば独自の経済圏にまで発展させたいが、今はそこまでは望まぬよ」


 マリアベルは安全保障戦略の一環として、自領の周辺を衛星領で固めることを手段として自領の生存圏を確保しようと常々考えていた。天帝によって下賜される他貴族の領土を法的に領有するなどは余程の理由がない限りは難しく、故にマリアベルは衛星領となった周辺貴族領に条約で交わした範囲でのみ拘束し、或いは軍事力で睥睨することで味方に付けることを意図していた。


 その為には一度、完全占領せねばならない。誰が、誰の配下にあるのか、軍事的決着を以て明確にしておかねばならない。


「妾は多くを奪われた。じゃから、これから多くを奪い返さねばならん。御主らにも手伝うてもらうからの? 逃げるでないぞ」手を月へと伸ばすマリアベル。


 その掌から零れ出た月光が、その楽しげな横顔を照らす。


 その手が掴み取るのは何か?


 ヘルミーネには分からなかった。







内火艇が舷側に衝突して凹むのは、旧海軍の商船改装航空母艦の隼鷹の事です。


 生存圏(レーベンスラウム)は、総統閣下の間違った考えに近い使い方をしています。カール・ハウスホーファー氏のものとは少し考え方が違いますね。ただ、ヒトラーに地政学的知見がないと口にしていたハウスホーファー氏ですが、日本が戦争を経ずに韓国併合を実現した点を、膨張主義の成功例として研究したようです…………民族学と極東の歴史も学んでおきなさい。ただ駐日独逸大使館付武官として勤務したこともあるハウスホーファー氏は、終戦後に服毒自殺で死にきれないからと割腹自殺した猛者でもあります。日本に対する博士論文も発表しているので、日本の理解者なのかも知れません。


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