0-3
「んあー……………………ん?」
自分の出した寝言によって目が覚めた。
これほど恥ずかしいものはないな、未だボヤけた目のまま、体を起こそうとして思い出す。
「俺、そういえば首やっちゃったんだっけか」
独り暮らしが長いせいか思いっきり独り言を呟いてしまった。いつもなら返事もクソも返ってこないのだが、何故かこの時は返事が返ってきた。
「ふふふ、大丈夫です。人工脊髄を埋め込みましたので」
何処かで聞いたことのある声に思わず飛び上がる。
ああ、確かに体は動くようになっているな。声の主を探すより先にそこを安心してしまう。
しかし今の声ってもしかして…
「私です、菅野ですよ」
「ああ、やっぱり菅野さんですか」
あれは夢だと思いたかったのに、後に続く言葉を堪え、代わりに愛想笑いを浮かべる。
しかし本当に助かったのか…それにしてもここは何処だろう。
「ここはですね、私達の行きつけの病院です。坂本さんの義足が法に思いっきり触れるものだったので仕方なく」
今度は聞いたことのない声が聞こえてきた。そちらを向けばスーツ姿の女性がいた。
病院、言われてみればそうかもしれない。金属フレームのベッドにカーテンの仕切り。成る程、ここは病院か。
それにしても便利な世の中になったものだな。脊髄をやったというのにもう身体を起こせるくらいまでには回復している。なんだかファンタジーよりファンタジーしている気がする。
それにしても、あの状況で菅野はどうやって生き残ったのだろう。
相手の武装集団は全員武器を持っていた。対して彼女はあの時何も持っていなかった筈だ。
それにしてもやけに目がチカチカするな。周りを見回してあることに気がつく。
「あの、この部屋ってなんか全体的にピンク色すぎませんか?」
「だってここ、そういうところですもの」
菅野はそっけなくそう言うが、そういうところってもしかして…
「表向きはイメクラなの。だから看護師も、ほら」
スーツの女性がそう言うと、丁度カーテンが開かれた。
そこに立っていたのは、何というか、その、若干ピンクが混じった白衣の天使だった。
「坂本さーん…おっ、菅野さんと斎藤さんも来ていたんですね。これではお仕事が捗りませんな」
「仕事って、怪我人になにするつもりだよ…いいからちゃんとした病院に移らせて下さい」
そんな反論に耳を貸すこともなくピンクの天使は俺の体をあちこちまさぐり始めた。
彼女なりのサービスなのかもしれないが何故か全身が痛い俺にとっては拷問でしかない。
「あ、あの、ちょっと、痛、あだだだだだ!!」
「うん、痛いってことは脊髄の機械化が上手くいった証拠だから我慢してね。いやー、処女だったから手術失敗したらどうしようかと…」
「おいちょっと待て。もしかして、ここで、君が、俺の脊髄を機械化したのか?」
「そうだけど、感謝の気持ちはいらないか指名をしてね。坂本さんみたいな色男ならゴム無しでも構わないよ」
「感謝というか、なんで君が俺の脊髄を手術するんだよ。ここはイメクラだろ」
天使はそんな疑問を何回も投げかけられているからかすごい面倒臭そうな顔を浮かべ、斎藤と呼んでいたスーツ姿の女性に会話をバトンタッチする。
「だからね、表向きは、ってだけで裏向きは本物の病院なの。一身上の都合で普通の病院に行けない人がここをよく使うんだよね」
「一身上の都合って…交番に顔が出てたりする有名人とかですか?」
「その通り。やはりあれから生き残っただけあって察しがいいね」
斎藤はそう言って適当な感じで拍手をする。そんな拍手なんていらないといった意味を込めて再びベッドに体を預け、いつもの癖で枕の下に手を突っ込むと、ふと手に何かが当たった。
取り出してみると、正方形で開封済みの何かが出てきた。
「あの、まさかこのベッドって」
「もちろんあなたが来る前は気持ち悪いおっさんが使っていたわよ」
「これくらい片付けておけよ!」
そんな俺の虚しいツッコミが、室内にこだました。
※
唐突に話が飛ぶが、イメクラ兼病院を退院した後、とあるビルの空きテナントに監禁されていた。
足は椅子に手錠で固定され、胴体も紐で括り付けられている。
唯一右手が固定されていないが、それにはまた理由があった。
「だから、貴方はそこにある紙に自分の名前を書いてくれればそれでいいの」
「だから、それは絶対に嫌だって言ってるじゃないですか」
こんな感じの菅野とのやりとりを多分1時間近くやっている。
菅野は俺に、契約書に名前を書かせようとしていた。
内容は「KSサービス」、つまりは彼女の会社なのだが、その下で働くことを誓います、といったものだ。
バイトの時に見かけた「優秀者は正規雇用あり」、とはどうやらこれのことらしい。
何も見ていなければ喜んでなるのだが、なにせあの武装集団を見た後だ。再び首をへし折るような目にあうのは御免蒙りたい。
ただ菅野はそんなことには気づいていないようで、
「ねえ、なんで名前を書いてくれないのかしら? 給料? それとも私? 何が気に入らないの?」
彼女はいい加減このやりとりに飽き始めていた。
別に給料も彼女も気に入らないわけではないし、そもそも給料の額は教えてもらってない。
「不満なのはそこじゃないんですよ。菅野さんから受け取った荷物のせいであんな武装集団に追われたことくらい俺にだって分かります。それを理解した上で貴女の部下になりたいなんて言えるわけがない」
「………つまり、私のところで働きたくないと」
そりゃそうだ、とは監禁されているため言えないがその意思は伝える為に首を縦に振る。
それだというのに、彼女は楽しそうな笑顔を浮かべているのだ。
これはヤバいパターンのやつだ、珍しく本能と補助脳の意見が一致する。
「そうですか…では、こうするしかないですね」
何かのスイッチが入ったのか、菅野の眼が乃木坂で会った時のそれに変わった。
いよいよ殺されるかもしれないな、そんな時だった。
首から下がどんどん冷たくなっていくような、そんな感覚に襲われ始めた。いや、体の感覚が段々と失われているのだ。
爪先から大腿、胴、そして気がつけば、首から下の感覚が全て消えた。
人工脊髄に不具合が生じたのか、そんな疑問は彼女によって解決された。
「そうそう言い忘れてましたね。貴方の強化内骨格だけど、現在その全ての機能の権限を私が掌握しているの。言っている意味、分かるかしら?」
「お前、もしかして…」
人工脊髄を埋め込んだ時に何か仕込んだのか、そう言う前に彼女が動く。
「うふ、次は右目」
彼女の言葉通り、一瞬にして視界の半分が黒で塗りつぶされた。
機械化していない本物の左目に映る菅野の顔を見て言葉を失う。
彼女はそれはそれは楽しそうな顔でこちらを見つめている。こちらの自由が奪われ、苦しんでいるのを見て楽しんでいるのだ。
武装集団が駅に現れた時のそれとはまた違う恐怖。
彼女の気まぐれ次第で動くことはおろか考えることも無く死を待つのみ、なんてこともあり得る。
俺に残されている選択肢は二つだけ。
彼女の部下として生きていくか、それとも彼女の機嫌を損ね芋虫みたいにただ死を待つか――当然、彼女の部下として生きる方を選ぶ。
「分かりました。名前を書きますから、とりあえず人工脊髄の電源をオンにして下さい」
「うふふ、素直な人は私も歓迎です。でもね、貴方は少しだけ遅すぎたの」
――――思考が、考えが纏まらない?
今自分が何を考えているのかは分かるが、それが分からない。
「あら、スイッチを押し間違えたみたい。うふふ、私の言葉が分かるのかしら?」
「あ、あ…あが…」
声は出るのだが喋れない、自身が何を喋ろうとしたのかも分からない。
「ふ、ふふ、補助脳を停止させてみたの…本当に言葉が分からないのかしら」
「ホジョノウヲテイシサセテミタノ」、どういうことだろうか。言っていることは分かるのだが、やはり意味が分からない。
「ふ、ふ、ふ、ふふ、ふふふ。こんなスイッチ一つで人が玩具になるなんていい時代になりました。もう少しだけ楽しませてくださいね」
菅野は本当に楽しそうにしているな、自分がピエロになっているとも知らずそんな原始的で単純な思考しか浮かばない。
「じゃあまずは、これくらいでどうですか?」
機能が回復したのか、思考は上手く回らないが彼女の言葉の意味がどうにか分かるようになった。
しかし何をすればいいのかは分からない。
「あ、ああ…な……」
「ん、まだ駄目か。人の身体を操るのは難しいのね…では、これでどうでしょう。そこに名前を書けば、元に戻してあげます」
彼女がそう言うと再び補助脳の機能が解放された。
そこに名前を書け、そこには紙が置いてあるのが理解できる。
だがそこに何が書いてあるのかが理解できないのだ。自分がここまで補助脳に頼り切っていたという事実にもはや驚くしかない。
しかし、どうやら目の前にある紙に自分の名前を書けば元に戻るようだ。機能を制限された補助脳はそう結論づけた。
ならば書くしかないじゃないか、本能がそう叫ぶ。
人工脊髄も微妙に制限されているため動かしにくい右手を使い契約書に名前を書き、そこで全機能が復活する。
「はい、よく出来ました。しっかり機能は元通りにしてあげますよ」
そう言って菅野が手を叩く。
するとどうだろうか、乾いた大地に水が染みるように全身に火照りと感覚が戻り、その思考能力も回復していく。
そして彼女の目も、病院で隣にいた時のそれに戻っていた。
「これで貴方も私達『KSサービス』の一員です。斎藤さん、この子を例の場所に連れていくのを手伝ってください」
「そうくると思ってもう下に車は停めています。では行きましょう」
「はあ、っていつの間に俺の背後に…お、おい! 椅子ごと運ぶなよ! せめて拘束は解いてくれよ!」
そういうことになった。