我が事務所の(恐らく)平凡な朝 その2
玖ノ木事務所が入っているビルの一階、そこに店を構えるレトロな喫茶店「クレッセント」。 ゼロエリアのネオン街の中という特異な立地のためか、他にはあまり知られていない隠れ家的な喫茶店となっている。
事務所を後にした俺は、ビルの階段を下って一旦外の歩道へと出る。改めてビルを振り返ると見えるのは、周りのきらびやかな光には少々合わないシックな喫茶店の重厚なドア。そこを開けると、カランカランというベルの音と共に香ばしいコーヒーの香りがふわりと鼻をくすぐった。
「あ、シューゴさんいらっしゃい。ミオちゃんもう待ちくたびれてますよ?朝食もうできてますから席についてて待っててくださいな」
奥のカウンターから響く透き通った声。この店の店主であり、ビルの大家でもある春海詩織さんが、体を伸ばしてカウンターからひょっこり顔を出していた。肩までのびた栗色の髪、大人しめなブラウンのエプロン、赤いセルフレームのメガネに穏やかな性格から、おっとりとして大人びた印象を出会った人にに与える。ただし他人から聞いた話、キレるとかなりヤバいらしい。ただ、まだ俺はそういった一面を見たことはない。これからも見ないで済むことを願いたい。
ついでに言うとかなりの美人、加えて独身。何がというわけではないが、まあ、なかなか最高だよね、うん。おっとりしたお姉さん系美人。
ここのメニューに並ぶコーヒー・食事はどれも絶品、加えてうちの事務所の面々(といっても三人だが)は 料理をしないので、普段はここでいつも食事をとることにしている。上の階に住んでる ということで割り引きしてくれるというのも嬉しいところだ。俺が詩織さんとお近づきになりたいとかそういう下心がないわけでもないが。
「おーそーいー。はやくたーべーよーよーぅ」
店のカウンター前、朝食が準備された四人がけテーブルの一席に、うちのメンバーの一人である雫火澪が両手にフォークとスプーンを持ってテーブルにうなだれていた。艶のある長い黒髪に赤いヘアピン、黒のゴスロリ服に勝気な瞳がトレードマークの少女は、強烈な空腹感に顔をしかめて呻いている。
その様子が見ていてなんとなく面白かったので、ちょっとからかってみることにする。
「おーおー、朝から食い意地はってんな。そんなことしてたらぶくぶく太るぞー?あ、そういや顔の辺りが最近ふっくらとしてきたような……」
「へ?、ふへっ!?」
澪は慌てて自分のほっぺたをぷにぷにつまみ、必死に太っていないことを確認する。そのあまりの必死さに俺が笑いを堪えていると、物凄い眼力でこちらを睨んできた。うお、必死必死、怖え。でも…笑いが…とまらん…。
「うっさい、だまれバーカバーカ。可憐な乙女に太るだなんて、デリカシー腐りきってんじゃないの?今日も朝に刀の稽古やったから腹減ってるのよ。そりゃあ誰かさんみたいにぐうたらぐうたら寝てたらお腹も空かないでしょうけどね!」
う、からかうつもりが割と痛いところを突かれたな。というかそもそもリーダーに対する敬意が著しく不足しすぎではないだろうか。曲がりなりにも俺、所長なんだがな…。
ま、いいか。からかったのは俺だ。その分笑わしてもらったし。
ついでに言うと、その口の悪さの一体どこに可憐な乙女の成分が含まれているのかは謎。多分ツッコんじゃ駄目だろうけど。
「はいはい。悪かった悪かった。ん? 奏真は?まだ降りてきてないのか?」
今は午前の8時過ぎ。喫茶店自体はまだ開店していないため、店内には俺と詩織さんと澪の三人だけだ。
未だに若干むくれてこちらを見つつも、澪は答える。
「んー、秋梧さんを起こした時に一緒に呼びに行ったんだけどね。誰かさんと違ってもう起きてる様子だったし、すぐ来ると言ってたんだけど…」
…中々根に持ってんな、さっきのこと。まあメカが専門の奏真のことだ。自室でどうせ新しいプログラムでも組んでるんだろう。
「ならすぐにくるだろ。コーヒーでも飲みながら気長に待つかな」
「…うー、はーらーへーったー…」
可憐な少女(自称)は悲痛な声を上げると、テーブルの上に再び顔を伏せた。
席についた俺はポットから淹れたてのコーヒーをカップに注ぎ、もう一人の同僚が来るのを待つことにした。