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渇望する者

「桜井さんって、どうして御堂さんと仲がいいの?」

 ふと、そんなことを尋ねられた。

 放課後イベントを待ち構える五時間目。臨戦態勢にある乙女たちの緊迫した空気の中で、隣の席に座る佐藤が悠里に囁いたのだ。

「どうして、って?」

「なんていうか……タイプが違うから。桜井さん、普通の女子っぽいし」

 悠里は瞬いた。内気そうな佐藤が、眼鏡の奥で視線を逸らす。

「普通……か」

 シャープペンシルで机を小突き、悠里は呟いた。あの日から可憐の後を追い、戦場をいくつもまわった。戦いを間近で眺め、血のにおいにも慣れたつもりだ。体も鍛えている、パラメータのゲージは、わずかずつ上昇している。

 だが、血で血を洗う乙女の闘争に加わるには、あまりに弱すぎた。可憐について回るほどに、己の無力さを痛感するのだ。

「あたし、強くなりたいの。可憐さんみたいに」

「えっ。……えっ、なんで?」

「守りたい人がいるの」

 佐藤の眼鏡がずり落ちる。慌ててかけなおすと、佐藤は俯きがちに悠里を見つめた。そして、ためらいながら口を開く。

「その人……好きなの?」

「…………憧れの人」

 前世の乙女ゲームで、ずっと癒されてきた幼馴染の彼。口が悪くて意地悪で、だけどたまにすごく優しい。振られるたびに慰めてもらっていた、一番好きだったヒーロー。

 そんな彼の悲鳴が、悠里の頭から離れない。



 ○



 やつれた幼馴染の彼は、今日も図書室にいるはずだ。凛々しい眼鏡を萎れさせ、いつか来る恐怖に怯えているに違いない。

 放課後、攻略対象の居場所はおおよそランダム。しかし、キャラクターによって出現する場所に偏りがあるのだ。

 性悪眼鏡であれば、学校の図書室で勉強をしているか、自宅に帰っていることが多い。委員会のある水曜日ならば、風紀委員長である彼は学生指導室にいる可能性もある。ごくごく稀に商店街を歩いていることもあるが、その時はたいてい、併発するイベントに誘われてのこと。事前に予兆があるはずだった。

 現在、休み明けの月曜日。性悪眼鏡の自宅は改修中につき、出現場所の候補は図書室しかなかった。


 メインヒーロー攻略を目指す可憐にとって、性悪眼鏡の好感度上昇イベントも目的の一つ。野獣の襲撃により心に傷を負ったメインヒーローがいまだ登校してこない今、可憐は性悪眼鏡を狙うだろう。

 いつもなら悠里は可憐の後を追うはずだが――今回は違う。

 学園生活が始まってから三か月。今日は性悪眼鏡の誕生日だった。大幅好感度アップイベントのこの好機、プレゼントを片手に野獣たちが押し寄せるだろう。

 自宅を失い、幾度もの襲撃に心を病み始めた性悪眼鏡。年に一度の今日が血の誕生日となってしまっては、もう二度と立ち直れないかもしれない。

 だから、悠里は守らなければと思うのだ。

 悠里にとって、前世から大事だった人を――――可憐を敵に回してでも。


 ○


 図書室へと続く廊下は静寂に満ちていた。

 だが、そこかしこから放たれる殺気に、悠里はこの静寂が偽りだと気づいた。すでに何人もの乙女が潜み、互いを牽制しあっているのだ。

 悠里は図書室に背を向けると、両の足で床を踏みしめた。肩に力を込め、両手を軽く握る。

 潜み窺う乙女たちは、悠里にとって些細なこと。今はただ、押し寄せてくる圧倒的な気配に意識を集中させる。

 その乙女の一歩が、巨人のように廊下を揺らす。近づくにつれ重くなる空気に、隠れていた乙女が「ひっ」とかすれた声を上げた。

 そう、この圧力プレッシャーこそ――――。

「……可憐さん」

 対峙して、改めて感じる乙女の強さ。御堂可憐、その人である。

「悠里ぃ……私に勝てると思うのか?」

 手入れされた長い髪を一つに結び、セーラー服をなびかせる。柔い頬は幼さを残すが、その瞳はまさに「雌」。獲物を前にした、野生の獣であった。

「勝てなくても……! ここを通すわけには行きません!」

「その心意気は立派だがな。私を止めたところで、他のやつがイベントを掠め取るだけだ」

 悠里は唇を噛んだ。乙女ゲームを愛好する者であれば、イベントを狙うのは必定。むしろ、目の前のイベントをみすみす逃すような真似はすまい。

 攻略時には全力で。一切の手加減を許さない。それほどに乙女ゲームに入れ込んでいるからこそ、この世界に転生することを選んだのだ。

「たしかに……イベントを求めるのはゲーマーの性です。……ですが、ですが!」

 可憐が呼吸するたびに波打つ、強い圧力プレッシャーに負けぬよう、悠里は顔を上げた。瞳に映すは強敵。引かずに立ち続けるのは意思の力。

「この世界はゲームじゃない! 現実なんです! 彼も、攻略対象もみんな生きていて、痛みや恐怖を感じるんです!!」

 可憐は答えなかった。無言のままに悠里を睨む。怯みそうになる悠里だが、ここで退くわけにはいかない。

「彼らはあたしの知ってるゲームのキャラクターじゃない。生きて、意思をもってこの世界にいる。ゲームの始まる前から、ゲームの終わった後の世界で、ずっと生き続けるんです。ゲームで遊んでいた前世とは違う!」

 悠里は息を吸う。そして微かな希望と、胸を押しつぶすような思いを声にする。


「ここは、現実だ!!」


 言葉を吐き切ると、悠里は拳を握りしめた。肩を大きく上下させ、荒い呼吸を繰り返す。

 言葉一つを吐くだけでも、これほど疲弊するという事実を悠里は知らなかった。敵として可憐に対峙するには、まだ早すぎたのだ。

 震える足を打ち、悠里は可憐を見た。可憐は微かに俯き――。

「……ハッ」

 鼻で笑ってみせた。


「この世界がゲームでないことなど百も承知! だからこそ、本気で攻略に向かうのだ!」


 愉悦を交えながら、可憐は言い放った。空気を引き裂く可憐の声は、肌を刺す幾多もの針のようだった。悠里には立っているだけで精一杯だ。

「現実の世界に! 手段を間違えなければ必ず攻略できる男がいるのだ! 男と会話のできない私に、攻略できる男が!! いずれエンディングで終わる夢幻ではない、理想の王子と入籍できる世界を、誰がゲームなどと勘違いするものかッ!!」

 可憐の声は脳を揺さぶる。ゲームならば飽きる、諦める、リセットを押してやり直す。そんな選択もできるだろう。

 だが、ここは現実。だからこそ、誰も諦めずに全力を尽くす。

「この乙女ゲームの世界は紛れもない現実ッ! 攻略しても離れることのない真実の世界ッ!! なればこそ私は本気で立ち向かうのだ!!」

 年季の入った乙女たちにとって、この世界は夢にまでみたエルドラド。それでいていずれは消える泡沫の幻ではない、確かな現実。この世界で得たことはすべてが真実であり消えることがない。

 そのことを正しく理解していなかったのは、悠里の方だったのかもしれない。

「……可憐さんは、やっぱりあたしが見込んだ通りの人ッス」

 悠里は息を吐き出した。心のどこかで、少し安心したのかもしれない。可憐が可憐であることに。

「だけど」

 もう一度、悠里は足で床を踏みなおす。腰を落とすと、肘を体の前で軽く曲げ、身構えた。

「現実だからなおさら、あたしは彼を守りたいんです」

 無謀であることはわかっていた。

 だが、無謀な夢を見続けること――それこそが乙女。


 この時の悠里は、確かに乙女だった。


「……いいだろう。お前にも戦い方を教えてやる」

 可憐は右手を悠里に伸ばし、指先を曲げて誘う。その姿に、悠里は迷わずに地面を蹴った。喉の奥から、知らぬ間に甲高い音が口をついて吐き出される。

 獣の――乙女の咆哮だ。婚活に繰り出す乙女の一歩を、悠里は踏み出したのだ。


 わずかに伸びた悠里の力のゲージ。

 カンストした可憐のゲージ。

 敵うはずもないと知りながら、悠里は拳を握りしめる。


 ○


 気が付けば、性悪眼鏡最後の安寧の地。図書室の崩れ落ちる瞬間だった。

 悠里は廊下の端に、他の弱き雌たち同様に倒れていた。腹部に殴打の痛みがある。悠里は苦笑した。可憐が遠慮をするはずがないのだ。誰に対しても平等な可憐は、潔く、気高い。

「……大丈夫、桜井さん」

 恐る恐ると言うように、声がかかる。目をやれば、クラスメートの佐藤だった。どうしてこんな場所に、という悠里の疑問を察してか、言い訳がましく佐藤は口を開いた。

「放課後、なんだか急いでいるようだったから……どうしたんだろうと追いかけてきたんだ。そうしたら、桜井さんは倒れているし、図書室が……」

「図書室」

 その単語に、悠里は飛び起きた。骨のきしむような痛みが走ったが、それも今は気ならない。

 廊下の先の図書室を見据えれば、騒乱が続いていた。野獣たちが吠え、猛り、牙を剥く。図書室の扉は崩壊し、破かれ散っていく本のページが目に映えた。それはまるで、桜が散るような儚さだった。

「……桜井、さん?」

 佐藤が尋ねる。悠里は応えなかった。喉から熱い息が漏れる。目から零れるとめどない涙にも、しばらくの間気づかずにいた。

「ああ……」

 守れなかった。悠里の弱さだ。

 理想の王子を求める。これが乙女の性であるならば、可憐を恨みはしない。

 ただ、自分の弱さだけが憎い。

「強くなりたい」

 心からの言葉だ。愛する人を守れるほど、強くなりたい。

「……桜井さん、もしかして、憧れの人って」

 佐藤もまた、図書室を見据える。恐るべき野獣たちに蹂躙された図書室に、誰かがいた。そしてその人物こそが、悠里の大切な人なのだ。


「僕は……僕は、桜井さんを守れるようになりたい」

 強くなりたい。ぽつりと呟いた佐藤の言葉は、悠里の耳には届かなかった。

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