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ガールズトーク

 二週間後。心の傷が癒え、理事長が学園に復帰してきた日のことだ。


 早朝の乙女たちに揉まれ、再び病院送りとなったと噂の飛び交う昼休み。すっかり返り血のにおいの取れた可憐とともに、悠里は昼食をとっていた。

 話題はもっぱら、早朝に勝ち得た理事長イベントについてだった。

「やっぱさすがですよねえ。可憐さん、筋肉質って感じじゃないのに、どうしてそんなに強いんですか?」

「必要な筋肉だけ鍛えてんだよ。ゴリラみたいになる趣味はない」

「おい、待て。今の言葉は美ーストに対する侮辱か」

 なぜか珠子、もといメスゴリラもいた。何の因果か、ゴリラ、可憐、悠里の三人は同じクラスであったのだ。

 クラスには他にも、漢組らしき腐臭のする男子生徒や、老練したアラハン女子会、口数少ないぼっち(複数)に、ゴリラ然としたゴリラまで揃っている。世に転生者多数、攻略対象を狙う乙女たちが学園に集うのであれば、当然の帰結ともいえよう。

「この美しい肉体をゴリラだと?」

 可憐の発言を耳聡く聞きつけたゴリラが眉をしかめる。そこを慌てて仲裁するのは悠里の役割だった。

「いやいや、珠子さんもかっこいいですよ。あたしもそれだけ強くなれればなあ……あの人も救ってあげられたのに……」

 悠里の記憶にあるのは、野獣に取り囲まれた愛しい人の住処。窓を割り、扉を千切り、壁さえ壊して侵入する悪魔たち。そして最後に聞こえた、何度も聞いてきた彼の声――いや、悲鳴だった。

 この悲しみを忘れまい。そしてきっと、今度こそ愛する人を守るために強くなる。そう誓って、悠里は強さを見込んだ可憐の傍にいた。

 しかし、今はその記憶も横道に過ぎない。悲しい思い出は横において、可憐とゴリラを交互に見比べた。

「でも、不思議ッスよねー。二人とも、どう考えても肉食系なのに」

 生肉も厭わぬ二人の積極性は他に類を見ない。数多のライバルを蹴散らし、男という名のトロフィーを得ることなど造作もないように思えた。

 だが、その疑問を口にする前に、悠里に声がかけられた。

「あ、あの……桜井さん」

「ん?」と振り向けば、クラスメートの男子生徒が立っている。穏やかでどこか小心そうな彼の名は――たしか、佐藤と言ったはずだ。まじめで人の好い顔をしたこの少年は、クラス委員を務めていた。

「佐藤君? 何か用?」

 滅多に会話をしたことのない彼に話しかけられ、悠里は小首を傾げた。佐藤は草食動物じみたしぐさで眼鏡を直すと、恐る恐ると言うように三枚のプリントを差し出した。

「朝のホームルームにいなかっただろ。プリント配られてたから……」

「ああ、ありがとう」

 朝と言えば理事長イベント。学園の乙女の大半が消えたことだろう。クラス委員である佐藤は、彼女たちにプリントを配って回ることに難儀しているようだった。

 ――なにせ相手は、男に不慣れな、純情な乙女たちなのだ。

「あの、友達の二人にも渡しておいてくれる?」

「うん、いいよ。大変だねえ」

「いや、僕は……」

 微笑みかける悠里から目を逸らし、佐藤は俯いた。それからどこかぶっきらぼうにプリントを押し付けると、「よろしく」と言って足早に立ち去って行った。


 悠里はその後ろ姿を見送ってから、可憐とゴリラに向き直った。そして目を見張った。

「か、可憐さん……?」

 悠里の目に映ったのは、蒼白な顔をして脂汗を流す可憐の姿。もはや白目を剥き、意識を失いかけるゴリラの姿。かつて、どんな強敵にも怯んだことのなかった両雌の変貌に、悠里は慄いた。

「ど、どうしたんですか!? 可憐さん、珠子さん!」

 慌てて可憐の肩を揺さぶると、ようやく彼女の目に光が戻る。だが、「ああ……」と短く可憐の呼吸は荒い。腕で荒く汗を拭うと、悠里を瞳の正面に映した。

「チッ、まだ震えてやがる。……お前は、よく平気でいられるな」

「……え?」

 戸惑う悠里に、意識を取り戻したらしいゴリラも声をかける。

「勇敢な女だ……顔色一つ変えないとは。それに比べて私は……」

「えっえっ」

「すげえな」

「大したものだ」

 強き二人の雌による突然の称賛に、悠里は混乱する。悠里を見つめる四つの瞳には、羨望と尊敬、そしてわずかな妬みが入り混じっていた。

 悠里の前にいるのは二人の乙女。男を知らぬ、純情さと潔癖さを塗り固めた愛すべき存在なのだ。


「い、いや、でもッスよ?」

 二人の視線に耐え切れず、悠里は沈黙を破った。

「こ、攻略対象の男の子は平気じゃないですか?」

「やつらとは、何度もモニタ越しに言葉を交わした。だが、あの男は違う」

 ようやく顔色の戻り始めた可憐が答える。乙女という成分を凝縮し、セーラー服を着せた存在である可憐に、慣れ親しんだ男以外との会話は不可能であった。

 可憐は清純にして繊細。そして誰よりも内気な乙女である。無論、珠子もだ。

 だが、その複雑な乙女心を知ることができるのは、同じく老練した乙女のみである。無粋な悠里には気づくはずもない。

「でも、二人とも超肉食系じゃないですか。男なんて怖くないでしょう? ……それに、ずっと不思議に思っていたんですけど――お二人が本気になれば、男なんて簡単に手に入れられるんじゃ?」

「簡単に?」

 可憐が不快そうに眉をしかめた。悠里は肩を強張らせる。が、口は止めなかった。長い間の疑問だったのだ。

「可憐さんに襲わ――誘われたら、男なんてイチコロじゃないすか。カカア天下ですよ、尻に敷けますよ。こんな、わざわざ苦労してライバルの多い攻略対象を狙わなくても、ほら、佐藤君みたいな人ならビビらせたら一発じゃ」


「痴れ者がッ!!」


 可憐の一喝が教室に響き渡る。窓ガラスが揺れ、棚の花瓶が転げ落ちた。穏やかな昼時の教室に、一瞬にして緊張が走る。

 悠里は椅子から転げ落ちるほどに驚いた。床に手をつき、見上げる可憐の形相は怒りに満ちていた。失言をしたらしいことは悟るが、どの発言が悪かったのかは悠里にはわからなかった。

「貴様、乙女の妄想をなんと心得る!」

「も、妄想……?」

「なぜ貴様は、乙女ゲームに手を出した! なぜ、乙女ゲームの男たちは人気がある! それは乙女の夢を体現しているからだッ!」

 瞬く悠里を、ゴリラが助け起こした。「ありがとうございます」という悠里に対し、ゴリラの視線もまた厳しいものだった。

「可憐の言うとおりだ。我々は、誰でもよいから男が欲しいというわけではない」

「……はあ」

「我々が望むのは、理想の男。美しく繊細で、一途に愛を注いでくれる王子のような存在だ」

 乙女の妄想に際限はない。一つ年を経るごとに、夢は膨らみ現実は遠のく。そして遠のいた現実から目を逸らすために、さらに夢を膨らませていく。雪だるま式に膨れ上がる妄想は、いつしかこの宇宙をも凌駕した。

 長い間夢を見続けた、年季の入った乙女たち。彼女たちにはもはや、無情な現実の男などで満足することはできないのだ。

「王子との夢のような青春。ともに育む愛の日々。強要では得られるはずのない愛情!」

 ゴリラの言葉を継いで、可憐が口を開く。それは心を打つほどに切実な乙女の夢の体現であった。

 見果てぬ夢を追い求める、ともすれば愚かな、しかし凛々しいその雌姿を、悠里は眺める他にない。

「常は優しく手中の珠のように! しかし時には荒々しい獣のように! 私を求める男が欲しい!! 自ら誘うなどもっての外!! 乙女の妄想は常に受け身であり、待ちの姿勢を貫くべきもの! ただひたすらに、与えられ、求められることを欲しているのだ!!」

 ゴリラが頷く。可憐を注視していた乙女たちもまた、一斉に首肯する。積極性が欠片でもあるのであれば、長い乙女生活などに甘んじることなど、もしかしたらなかったのかもしれない。

 だが、夢を捨てきれぬものが乙女になる。神のみぞ知る真理によって、乙女たちはこの世界に導かれてきたのだ。


 悠里は唇を噛みしめた。

 彼女に足りないのは、この心の強さなのかもしれない。

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