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二つの雌

 このゲームに逆ハーレムエンドというものはない。

 ゆえに、攻略対象を一人に絞れば、基本的に他キャラクターとのイベントをこなす必要はない。むしろ下手に他のキャラクターと親しくなれば、主眼としていたヒーローに嫉妬され、嫌われる可能性さえあるのだ。

 だが、上手く好感度のバランスさえ取れば――。

 複数の攻略対象とのイベントを併発させ、疑似的な逆ハーレムを味わうことも可能であった。


 ○


 翌日、学園は重い沈黙に包まれていた。

 何者かに襲撃されたチャペルと美術室は立ち入り禁止になっていた。帰宅後になにか獣じみた生き物に襲われたという男子生徒もいるらしく、朝礼では全校生徒に向けて注意勧告がされた。

 しかし、乙女ゲームは止まらない。

 翌日のイベントは、腰痛に倒れた理事長に代わりやってくる美青年との初対面。理事長の息子であり、生真面目で気難しい大人の男だ。伝統ある男女別学を廃止し、共学を推進した理事長とは実は反目しており、恋愛に浮かれる生徒たちを苦々しく思っている。

 そんな理事長代理との恋愛は、当然のことながらなかなか上手くはいかない。見目麗しい彼の容姿に惹かれて、女子生徒のみならず女性教諭までが言い寄るが、すべて冷たく切り捨てる。

 初対面イベントでも同様だ。


 だが、その切り捨てられることを目的として、今日もまた乙女たちが集う。


 ○


 二人が駆けつけた時には、すでに争いの痕跡がそこかしこに見られた。

 学園の最上階にある理事長室まではまだ遠いというのに、生々しい血とあちらこちらに転がる雌たちの姿がある。遠くからは怒声と咆哮が響き、いまだ戦闘は続いていることが理解できた。

「チッ」と舌打ちするのは、セーラー服に身を包んだ少女――いや、「雌」だ。幼さの残る外見には似合わず、目はギラギラと飢えた獣のように光っている。不快そうに鼻を鳴らす、野性味溢れるその姿は、紛れもなく肉食女子の中の肉食女子。

 生肉さえも厭わず、生きたままはらわたを喰らう系女子である。

「出遅れたか。……お前が纏わりついてくるせいだからな」

「だって、可憐さん」

 可憐と呼ばれた「雌」の影から、やや小柄な少女が姿を現す。圧倒的な可憐のプレッシャーの前では、それなりに美少女である彼女の存在感も紙切れに等しい。彼女は肉に火を通すタイプである。

「あたし、可憐さんについていきたいんですよ。可憐さんみたいに強くなりたいんです、だからどこまででも付きまとうッス!」

「フン、めんどくさいやつ」

 意気込む少女を一瞥し、可憐は眉をしかめた。

 この少女、昨日に起きたイベント時の戦闘で、可憐が助けて以来ずっとこんな調子であった。追い払ってもついてくる。休み時間のたびに可憐の元を訪ね、昼時の食堂へも連れションへも同行する。

 名前を、桜井悠里さくらいゆうりと言った。

「……こんなことなら、二度と人なんて助けねえ」

 獣のように鼻の頭に皺を寄せ、可憐は呟いた。

 その時だった――廊下の先から、骨を砕くような重い音が響いたのは。


 驚きに悠里は体を硬直させる。可憐は身構え、階段へと続く長い廊下を睨んだ。

 この先にある階段を登れば、理事長室に辿りつく。そのせいか奥に向かうにつれ、倒れ傷ついた雌たちの姿が増えていく。

 そんな雌たちを跨ぎ、ゆっくりとこちらに歩いてくる何者かの影。未だ戦闘の音が聞こえてきているということは、理事長代理を仕留めた帰りというわけでもなさそうだ。

 おそらくは、群れた雌たちの一人。群れの仲間がことを成し遂げるため、ここで足止めでもしているのだろう。

 ――男を手にできるのは一人だというのに、愚かな。

 影は緩慢に足を止めた。可憐との距離は約二メートル。おそらくはそれが奴の間合いなのだろう。拳に力を込め、可憐は対峙する影を見た。

 メスゴリラ――そうとしか形容のしようがない。サイズの合わないセーラー服は、彼女の肉体に合わせて伸び切っている。丈が足りていないのか、セーラー服とスカートの間からは六つに分かれた見事な腹筋が覗く。巨躯ではあるが無駄な筋肉はなく、野生じみた美しささえ感じられた。

 彼女の白い肌には返り血が飛び、その逞しい腕には、一匹の弱き雌が捕らえられている。

 ――美と力がカンスト……知もそれなりにある。なかなかだな。

 可視化されたパラメータを一瞥し、可憐は心の中で呟いた。もっとも、パラメータなど見ずとも、可憐であれば相手の力量など肌で感じることができる。

 メスゴリラは捕えた雌を放り捨てると、可憐を鋭く睨んだ。

「お前も理事長代理を狙っているのか?」

 ひいい、と背後で悠里が悲鳴を上げる。メスゴリラのプレッシャーに勝てなかったのだろう。硬直したまま足を震わせていた。

「違うなら去れ。私は戦意のない者に手出しはしない」

「へえ」と可憐が口を曲げた。「お優しいことだな」

 精悍なメスゴリラが、小馬鹿にしたような可憐の笑みを見やる。

 可憐とメスゴリラの体格差は、およそ五十センチ。横幅は倍以上もあるだろう。可憐自身もそれなりの背丈があるが、それでも目の前のゴリラには敵うはずもない。

 だが、可憐が怯むことはない。

「違わなかったらどうする」

「……ならば、アフリカン美ーストの背中を任されたこの私、容赦はせん」

「私を止められるとでも思っているのか」

「無論。肉のない骨ばかりの人間には――――いや、待て」

 余裕の態度を崩さない可憐に、メスゴリラはかすかに表情を歪めた。パラメータを見ているのか、ゴリラの視線は可憐の正面から少し逸れる。

「力のカンスト……お前の姿、見覚えがある。たしか昨日も別の攻略対象のイベントに姿を見せていたな」

 ゴリラの声が低くなる。声色に滲ませた敵意は隠そうともしない。

「お前もまた、逆ハーレムを狙う女か」

 逆ハーレム。それは女の夢。

 見目麗しいイケメンたちに愛され守られ、周囲の女子たちから羨望の視線を受ける。そんな心地よい優越感と充足感に、乙女は見果てぬ夢を見るのだ。

 しかしそれは、敵を作ることと同義。数少ない攻略対象の独占を狙う雌は、他の雌からは蛇蝎のごとく嫌われていた。

「可憐さん、逆ハー狙いですか! まじっすか!」

 悠里は興奮し、思わず声を荒げた。

 不可能と思しき逆ハーレム。だからこそ、もしも本当に作り出せるのであれば、得られる優越感はたまらないだろう。

 そして可憐には、それを目指すだけの能力があると、悠里は信じていた。

「だからこんなにイベントこなしているんですね。ヤベえっす、パネえっ――――」


「黙れッ!!」


 だが、悠里の言葉を遮るのは、苛立った可憐の一喝であった。

「私を愚弄する気か!!」

「か、可憐さん……?」

 無意識に悠里は足を引く。可憐は明らかに怒っていた。そしてそれが、自らの発言によるものらしいと悠里は気づいていた。


「逆ハーなど子供の遊びにすぎん!」


 可憐は悠里を睨み、重みのある声で威喝した。

「私がしているのは婚活! 魂の安寧を得るための魂活! 狙うべくは、死が二人を分かつまで続く誓い! 寂しい夜に泣くことはなく、将来の不安に怯えることはなく、親のプレッシャーとも無縁な生活! そこに必要なのは、私を愛するたった一人の男のみ!!」

 その声は静寂に満ちた廊下を揺らす。圧倒的なその咆哮に、悠里は膝をついていた。メスゴリラも体を強張らせ、両腕で体をかばう。

「ゆえにッ! 私が目指すは最短ルートの攻略ッ!! 攻略、即同衾! 一夜の過ちによる妊娠! 籍を入れざるを得なくするまでが魂活なのだ! そのために、逆ハーレムなどという無為な時間は過ごせぬッ!!」

 悠里、メスゴリラともに息をのむ。魂活への思い入れの深さ、それに対する情熱に胸を打たれたのだ。腹からねじりだされた可憐の声は、嘘偽りのないことを何より物語っていた。

「……じ、じゃあなんで可憐さんは、他のキャライベントを?」

「私が狙うは、メインヒーローただ一人」

 あっ、と声が上がる。それが、悠里とメスゴリラのどちらが発したものかはわからない。


 ゲーム開始後、一番初めにチャペルで出会う、女性恐怖症の美少年。彼の攻略までのイベントを、メスゴリラも悠里も熟知していた。

 彼は、他の攻略対象との絡みが非常に多いのだ。友人として性悪眼鏡と、サボり癖のある問題児として理事長代理と、スポーツのライバルとして、洋菓子店の息子と――。

 イベントを併発させなければクリアできない彼のルートは、ゲーム中最難関。特に、イベントを奪い合う現状においてはなおのこと。

「私は無為なイベントの回収をしない。必要な時期、必要なもののみ。貴様らのように、群れで狩り尽くすような無粋な真似もしない」

「……ぐ」

 ゴリラが呻いた。痛いところを突かれたのだろう。

「集団による無為なイベント回収、逆ハーレムを狙う連中とどこが違う。どうせ貴様らも最後は力で奪い合うというのに、なぜ群れようとする。少しでも攻略のチャンスを得るためか? ハッ、姑息な真似を」

「…………ぐぬ……確かに、反論はできん」

 ゴリラが足を引く。顔をしかめ、可憐を見つめるその表情には、先ほどまでの敵意や侮蔑はない。むしろ、自身に恥じ入るような様子さえ窺えた。

「私の狙いはショタ野獣。他のイベントは、私には必要のないものだ……このイベントでさえ」

 可憐の冷たい視線を受け、ゴリラは一度目を閉じた。それから長い息を吐く。

「私は思い違いをしていたようだ。お前は強い意志と婚活魂を持つ、誇り高い乙女だと認めよう」

「……わかったなら、さっさと道を譲るんだな」

「だが!」

 ゴリラは顔を上げた。一喝とともに、両足で床を踏みしめる。両手を握れば見る間に筋肉が盛り上がり、セーラー服を破いた。

「私はここを動くわけにはいかん! アフリカン美ーストが一人、東雲珠子! 仲間のため、お前を通しはしない!」

 その姿、まさしく弁慶。誰かのために命を懸ける乙女の姿であった。

「女同士で群れて何になる。どうせ最後には貴様らも殴り合いをするだけだろう?」

「理由などはない。ただ、友情のため。男のない身を慰め合った友に命を捧げる、それだけだ」

「フン……ぬるい馴れ合いだな」

「何と言われようと構わん」

 ゴリラ、いや、珠子は身構えた。可憐もまた足を広げ、重心を低く落とす。

 一触即発。互いの隙を狙い、今まさに強き二匹の雌が拳を交えようという時だった。


 頭上から轟音が響く。なにか壁を打ち砕くような重たい音に次いで、高い雌叫びが聞こえた。可憐、悠里、ゴリラの三人は一斉に頭上に目をやった。

 上の階は、理事長室がある階層だった。可憐はすぐに悟る。突破されたのだ。

「チッ、やっぱり遅かったか」

 可憐は首を振った。それからゴリラに背を向けて、慄いていた悠里の尻を軽く蹴る。「ぎゃっ」と悠里が尻を押さえて飛び上がった。

「お前のせいだぞ。……まったく、人助けなんてするもんじゃない」

「え……ええー、もしかして、理事長イベントはじまっちゃったんです? どうするんですか?」

「別のイベントで代用でもするしかない。帰るぞ」

 唇を尖らせる悠里に対し、可憐は淡泊だった。もはや奪われたイベントに興味はない。初対面イベントこそこなせなかったが、別の機会に親しくなっておけばなんとかなるだろう、程度に考えているのだ。

 可憐の狙いはメインヒーローのみ。他の攻略対象の好感度は必要なものの、どのイベントによって好感度を上げるかについてはさほどこだわりがなかった。

 ――もっとも、一度狙ったイベントを逃すことなんて、二度とするつもりはないがな。

 可憐は内心で呟いた。

 ――東雲珠子、か。足止めとしては十分な働きだった。

 確かに可憐は出遅れた。だが、理事長のイベントを勝ち得なかった決定的な理由は、ゴリラの足止めにあった。

 強行突破を許さず、無駄口を叩いてしまったこと。可憐の威喝に怯まず、あくまでも立ち塞がったこと。

 ……これを屈辱の記憶とし、可憐は東雲珠子の名前とともに、脳裏に刻みこんだ。



「お、お前! このまま引き返すつもりか!」

 背を向け、悠里を引き連れて帰ろうとする可憐に、ゴリラが慌てて声をかけた。すっかりやる気をなくした可憐に対し、ゴリラは臨戦態勢のままだ。

「これ以上ここにいて、何をすることがある」

「……む」

「私は婚活のためにここに来た。無駄なことをするつもりはない」

 足を止め、可憐はゴリラを見つめる。ゴリラもまた、可憐を見つめていた。その顔を、寸分違わず記憶するように。

「…………お前の強い意志、見事だ。もしも私が美ーストでなければ。あるいはお前が、肉体美を持っていれば――いや、そんな考えは無意味だ。お前がイベントを狙いに現れるたび、私は敵として立つだろう」

「私に勝てると思うのか」

 可憐は傲慢に笑ってみせた。ゴリラは否定も肯定もせず、ただ一言、尋ねた。

「お前、名は」

「御堂可憐。覚えておいて損はない」

 静寂の中、互いを認めるように交わされた視線は一瞬。

 先に目を逸らしたのは可憐。彼女は悠里の首根っこを掴み、長い廊下を引き返していった。


 これがいずれ婚活の頂点に立つ、二つの雌の出会いであった。

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