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群雌割拠

 現世に悔いを残して死んだ乙女が、神の手により乙女ゲーム世界への転生を開始してから早数年。

 乙女の数には限りなく、しかし乙女ゲームには限りがある。

 一つのゲームに一人の転生者などという平穏が許されたのは、もはや遠い昔の夢のあと。今や乙女ゲームに転生者数多あり。各地の雌が限られた攻略対象を奪い合う、血で血を洗う群雌割拠の戦乱の世。

 荒れ狂う乙女と猛り声。肉食女子の真髄ここに極まれり。

 いつしか誰ともなしにこう呼ばれるようになった。


 ――――世はまさに、大乙女ゲーム時代、と。


 ○


 チャペルに春の風が吹く。新入生を迎え入れたばかりの、旧ミッション系高校。

 カトリックの名残を残すチャペルには幾重もの蔦が絡まり、もう手入れする人がいないことを物語っていた。

 元は男女別学であった学園も、今年から共学になる。慣れない青春の風が、ふとチャペルに迷い込んできた少女の髪を揺らした。

 まだあどけない顔をした少女は、学園の新入生だ。これから始まる学園生活に胸を高鳴らせてきたものの、入学式を前にして道に迷ってしまったらしい。

 不安の色を露わに、ようやく見つけた建物――チャペルに、恐る恐る近寄っていく。


 これが、運命の出会いとなるとも知らずに……。


 ○


 しかし、少女がチャペルの戸を開くより先に、一陣の風が吹き抜けた。

「きゃっ」

 少女は突然の風に目をつむり、髪をおさえた。その一瞬の所作が明暗を分けた。



「遅いッ!」

 顔を上げれば、目の前には少女と同じ新入生らしい女。

 新入生であるならば、年は少女と同じだろう。真新しいセーラー服に身を包み、よく手入れされた髪をまとめた彼女は、しかし「少女」というよりも、「女」――いや、「雌」という言葉が似合う。

 目を爛々と光らせた、獣じみた表情で、少女に向けて口の端を曲げてみせる。

「主人公イベントは私のものだ。残念だったな」

「主人公……?」

 小首を傾げる彼女を横目に、その「雌」は悠々と扉を開けて中に入ろうとする。少女は唖然とその姿を眺めていた。


 だが、奇妙なことはそれだけでは終わらなかった。

「待てぇえええ!」

 どこからともなく咆哮が響く。周囲を見渡せば、木々の影からいくつもの凶暴な瞳が覗いていることに気づいた。瞳は少女と、中へ入ろうとする「雌」へと向かう。

 取り囲まれているらしい。無意識の恐怖に、少女の足は震えた。肉食の猛獣を前に、本能的に覚える恐怖と同じものであろう。歯の根が噛み合わない。頭に浮かぶのは、死する己の姿のみ。

 瞳はじりじりと距離を詰めてくる。「雌」は苦々しく舌打ちをしたが、それだけだった。足を一歩でも踏み出せば、全員が一斉に襲い掛かってくると知っているのだろう。

 ゆっくりと詰め寄ってくる瞳が、木々の影から姿を現した時、少女は「あっ」と声を上げた。

 それらのすべてが、自らと同じ新入生であることに気がついたのだ。真新しいセーラー服、幼さの残る柔らかな輪郭。履きなれていないらしい靴に、かすかな初々しさを残すものの、その姿は「少女」からあまりにかけ離れていた。獲物を狩る、熟練した獣そのものである。

「抜け駆けは……」

 群れの中の一人が歩み寄り、口を開いた。群れの中でも一際大きく、一際目つきの鋭い「雌」である。それは息を吸うと、吠えた。

「許さんッ!」


「許さんッ!!!」


 彼女の声に合わせ、周りの獣たちが一斉に唱和する。空気を揺らす大音量に、少女は耳を押さえた。びりびりとした振動が脳を揺らす。

「数少ない攻略対象! お前一人に渡すわけにはいかん! このイベントは我々がいただく!!」

 獣じみた威喝に震える彼女の横で、最初の「雌」は鼻を鳴らした。不愉快そうに眉を寄せると、たった一人で先ほどの咆哮に劣らぬ声を上げる。


「貴様ら、いったい何のために生まれ変わってきたのだッ!!」


 声は少女の鼓膜を破らんばかりだった。耳を押さえても脳髄に侵入する声は、少女に思考する隙を与えない。

「全員が男を手にする未来などあり得ん! 貴様らの前世はどうだった!? 女同士で群れて、男ができたのか!!」

 前世、という言葉に、獣たちは一斉に凍りついた。理解の追いつかない少女をおいて、「雌」はさらに言い募る。

「私は前世で生きた五十年、一人の彼氏もできなかった。年を経るごとに処女の称号は重くなり、猛る妄想は枷となり、男と話す機会は乙女ゲームの中だけとなっていった。……ついに無念のうちに死んだ私は、しかし今度こそ男を得るために生まれ変わった。これはそう、婚活! 前世では味わえなかった、雌としての本能を満たすための魂活!! そこに女同士の馴れ合いなど不要! 目的はただひたすら、私を愛する男を得ることのみ!!」

 「雌」は周囲を一睨みすると、堂々とした獣のように胸を張って、今度こそチャペルの内部に足を踏み入れた。

「ま、待て!」

 獣たちのボスであった者が、あわてて群れを見回した。「雌」の侵入を阻止するため、指示を出そうとしたのだ。

 だが、己が率いていたはずの群れは、すでに知らないものとなり果てていた。


「うおおおおお! 私も男が欲しい!!」

「主人公イベントは私のものだ!」

「享年九十九歳、白寿を迎えた処女を舐めるな!!」


 群れは崩壊していた。一人一人が声を張り上げ、チャペルに向かって駆ける。

 セーラー服のスカートをたくし上げ、荒々しく泥を蹴りあげる獣たちに、もはや統制という言葉はない。彼女たちにあるのはただ、荒ぶる魂活の心と、本能に由来する男への執念である。

「待て! お前たち! 待つんだ!」

 幾度となく威圧してきたボスの声は虚しく響く。

 静寂を体現したような古いチャペルに、今は猛獣たちが荒々しく乗り込み、蹂躙しようとしていた。

 ボスは表情を歪め、その惨状を睨んだ。それから猛る声を上げた。

「私もッ! 初対面イベントをこなしたいッ!!」

 腹の底から叫ぶと、彼女もまた猛獣の群れに飛び込んでいった。

 男を巡る争いに、統制などは不要。今ここに、戦乱の世の開幕が告げられたのだ。


 ○


 このチャペル内で行われるは、乙女ゲームにおける攻略対象の一人とのファーストコンタクト。サボり癖のある、王子様めいた美男子との運命の出会いであった。

 しかし、一人残された少女にはそのことを知る由もない。

 また、彼女が本来のゲーム主人公であったということもまた、永遠に知ることはない。


 世はまさに大乙女ゲーム時代。

 敗者に与えられるのは、屈辱と喪女の称号のみである。

 チャペルの前にたたずむ少女は、今やただの哀れな敗北者に過ぎなかった。

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