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脱出王の追憶

作者: 遠山海月

ファーン

糸を引くように警笛を鳴らし霊柩車は滑り出した。

「ありがとうミスターエスケープ!!」

「さよなら脱出王!」

大勢集まった参列者の中から彼を送る掛け声が飛ぶ。

一世を風靡したイリュージョニストは目を閉じ無言でファンの前から去って行った。


ミスター・エスケープことルパン長崎は夢を見ていた。

それは幼い時からの自分の記憶。

これまで歩んできた光景が走馬灯のように映し出されては消えていく。

とくにこの20年、イリュージョニストとして活動を続けてきた歴史は鮮明に脳裏に浮かんでくる。


始めは百貨店のおもちゃ売り場だった。

就職したおもちゃメーカーの営業の仕事の一環でやらされていた手品用品の実演販売でテクニックを身につけた。

集まって来た子供たちが自分のパフォーマンスに不思議そうに瞳を輝かせるのが楽しかった。


仕事を辞め手品師として生きていこうと決心したのは、皆を楽しませたい、皆の驚く顔が見たいーただそれだけの単純な動機だった。


当時業界では大御所と呼ばれていた手品師、ルブラン石川に弟子入りした新人時代。

地方興行に鞄持ちとして付き従いながら前座として舞台に上がり腕を磨いた。

あの頃は舞台だけではなく師匠のお世話すら上手く出来ず失敗の連続だった。

失敗すれば容赦なく師匠から叱責された。

言葉よりも手が先に出る昔堅気の師匠はとても怖い存在だった。

(いつか師匠を乗り越えてやる)

今思えば人前を憚らず浴びせられる拳と言葉の制裁による屈辱に対する反発こそが今の成功の原動力だったのかもしれない。


そんな修行時代にあってラッキーだったのは師匠と仲の良かったテレビ局のプロデューサーに可愛がられたことだった。

人気とともにその横柄な態度も目立つようになり扱い難くなっていた師匠に替る新たな目玉としての期待もあったのだろう。


彼の番組に呼ばれるようになってからは順風満帆の日々だった。

最初は他の手品師と並んでの出演だった。

カードやリングを使った指先を駆使する手品だったが営業で鍛えたユーモアあるトークと自身の若さも幸いして居並ぶ出演者の誰よりも多くの拍手を受けることができた。

人気が上昇し独りで演じる番組を与えられるようになるにつれ、手品の内容も箱や装置を使った大掛かりなものになり派手な衣装、派手な演出へと変質していった。


しかし人々の欲求は果てしない。

いつも同じショーでは満足しなくなる。


プロデューサーと試行錯誤し、行き着いたがの脱出劇だ。

ロープで手足を縛り箱の中に閉じ込められる。さらに厳重に鎖で施錠された箱の中から脱出して見せる。時に箱は水の中に沈められ、時には火を付けられたりもした。地中に埋められたこともあった。

誰もが不可能と思う状況からの奇蹟の脱出。

これは非常に受けた。


観客の恐怖と絶望で染まった顔が奇蹟を目の当たりにして驚きと安堵に変わる瞬間。

そうだこれこそ私が只一つ望み欲していたものだ。


やがて人々はわたしを「奇蹟の脱出王」「ミスター・エスケープ」と称するようになった。

余るほど手に入れた地位と名声。何処へ行っても私は特別だった。皆の私を見る尊敬、羨望、驚きの眼差しが心地良い。

望むべく美しい妻を娶り三人の子宝にも恵まれ多くの弟子を侍らせ…私は絶頂にあり波に乗っており、そして、調子に乗っていた。

慢心があったのかもしれない。幸福の隣には常に最悪が口を開けて待っているのだ。


その日の仕事はテレビの特番だった。

いつものように厳重に箱に閉じ込められた私が火の付いた箱から脱出する大ネタだ。

放送の度に私や箱を縛る条件は厳しくなっていたがやることはいつもと一緒。

落ち着いていれば番組開始から1時間半後には笑顔で観客の前に登場、拍手に包まれているはずだった。


それなのに何故かあの日は手錠を外すという簡単な作業が出来なかった。

(おかしい、落ち着け、落ち着け)

自分に言い聞かせるほどに焦りは増していく。

箱の外を包む炎が外装を襲う音が耳に流れ込む。焦りの脂汗とは別に異常な高温による発汗が手錠を外す作業をさらに難しくさせる。

箱を焼き落とし炎が体を包む。

踊り狂う炎の音に混じって観客の悲鳴、スタッフの怒声が渦巻く。

アツイ、アツイ、アツイ、アツイ、アツイ…


走馬灯の流れはここで止まった。


ミスターエスケープは目を覚ました。


狭い箱の中。


(なんだ、ショーはこれからか)

それにしてはおかしい。いつもなら鎖で雁字搦めのはずが白い着物一枚で手足も自由だ。

思案を巡らせているうちにあの嫌な音が再び耳に襲いかかってきた。

炎が箱を焼き包むあの音だ。


「熱い!!出せ!出してくれ!ここから出してくれ」

箱を力一杯叩く、叩く、叩く…




「おい、なんか今、焼却炉の中から声が聞こえなかったか?ドンドン叩く音も聞こえたような気がするぞ」

「ははは、まさか。案外脱出王が火葬場の焼却炉の中から脱出しようとしてたりしてな」

「まさか。でも…ミスター・エスケープの最後に相応しいエピソードだな」


火葬場の煙突から上空へと真っ黒な煙が立ち昇ってゆく。

参列者はその煙に在りし日の脱出王の姿を映し涙した。



やがて…



制帽を目深に被った作業員が焼却炉を開け中から棺桶を乗せた台車を引き出す。

参列した一同はそれを見て声をあげた。

本来焼かれた遺骨が乗っているはずのそこには棺桶の燃えカス以外何もなかった。

「これは一体…」

キツネに摘ままれたような一同に声がかかる。

「そう。皆、いい表情だ」

参列者が一斉に声の主を見る。

皆の視線を浴びた作業員は目深に被った帽子を脱いだ。


それは居るはずの無い男、ミスターエスケープだった。

「あなた!」

「ミスター!どうして…」

驚愕の一同の顔を一人一人見渡すと彼は満足そうに笑みを浮かべた顔を左右に振った。

「さぁ?…でも、みんな、奇蹟は好きだろう?」












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