7,外出
この日エテーナは初めてスイカを連れて外出することに決めた。元々彼女の外出を嫌う家族に止められてあまり外を歩かないエテーナであったが、どうしても図書館へ向かう必要があった。
ゴブリンについての資料を集める為だ。屋敷にある本ではどれにもゴブリンの事が書かれていなかったのだ。これからも一緒にいるならば相棒のことは知っておきたい。
ちょうど両親と兄が揃って外出している今が狙い目である。
本当ならばスイカは部屋で留守番させておくのが簡単なのだが、そうもいかない事情がある。以前エテーナが少しの間スイカから離れた際、その隙を狙って兄イルヴェールがスイカを処分しようとした事があるのだ。その時はエテーナも怒り心頭で一週間口を利かずにいたのだが、イルヴェールも相当それに堪えたらしく反省の色を一応見せた。ただ油断はならない。家の者を使って再度スイカを処分しようとする可能性は大いにあった。
「スイカ、お出かけしよう」
「ヴォ」
素直に頷くゴブリンに微笑み、その大きな身体に予め用意していた灰色の地味なローブを着せる。ローブに付いているフードを深く被せると不審者の完成だ。しかしゴブリンのままで街を彷徨うよりかは幾分マシである。
「うん格好いいよスイカ」
今にも犯罪犯しそうで…と続くのだが、照れくさそうに頭を掻き「ヴォ」と返事をするスイカにエテーナはその言葉を飲み込んだ。
忙しげに動く働き者の使用人達の目を盗み外へと飛び出した二人。外の世界に慣れないエテーナはスイカの手を握り興味深げにきょろきょろしている。スイカの方は特に反応はなくしっかりと前を見据え、たまに楽しそうなエテーナを見てはギョロ目を細めるだけだ。
大通りに着くとそこは人で賑わっていた。建物も多く屋台などが軒を連ねている。呼び込みや宣伝の声、それに笑い声怒鳴り声などの喧騒とあちらこちらから漂う様々な香り。エテーナが今まで目にしたことのない不思議な道具や食べ物を売る店は数時間見て回っても飽きそうにない。
しかし両親や兄、使用人に連れられて街を見て回る時は店構えのしっかりとした明らかに庶民向けではない高級店へしか足を踏み入れるのを許してくれなかった。帰りにでも普段立ち入れない店で買い物出来ればいいなとエテーナの心は弾むが……
「おい何やってんだ! さっさと運べマヌケめっ!」
エテーナの耳にふと飛び込んで来た大きな罵倒に弾んだ心が少し萎む。
目をやれば案の定ネズミの獣人が鞭を打たれながら重そうな荷を運んでいるところであった。
ここ王都には獣人も多く住んでいる。
獣人はゴブリンなどの魔物とは違い知能があり、顔と身体の一部が獣である事以外は人間となんら変わりないとエテーナは感じる。
だからスイカが家に来るまでエテーナは気付かなかった。どの獣人もスイカと同じ首輪をしているその意味を。そしてスイカに首輪を付けたエテーナもまた、あの怒鳴る人間と同じ部類に入ることを。しかし十歳のエテーナはこの状況を動かす力を持ってはいない。過酷な労働を強いられるあのネズミの獣人に手を差し伸べることすら出来ないのだ。
自然と俯きがちになり繋いだ手にギュッと力が入る。それに気付いたスイカがギョロ目をギョロリとエテーナへ向ける。
「エテ、どこ?」
「ん? どこに行くかって? これからね、国立図書館に行くんだよ。本が沢山あるんだよ」
「ヴォ」
図書館は兄イルヴェールに連れられて行った事があるが、果たして道はこっちで良かっただろうかと俯いていた視線を上げ、周りを改めて見回して異変に気付く。皆エテーナとスイカを見て何やらこそこそと耳打ちしているのだ。
(え? 何? なんでみんなこっち見てるの?)
自分達が注目されている理由が分からず戸惑うエテーナ。
寧ろ何故分からないのかと普通の人間ならツッコミを入れるところだろうが、前世の記憶が根強く残り他者とは違う独自の感覚を持ちつつあるエテーナには本気で分からないのだ。
エテーナは自らの趣味を『自分鑑賞』にしてしまう程の美少女である。残念なことに変わりはないが決して自惚れではない。家族の美辞麗句も身内贔屓だけではなく大半は事実である。
それほどに美しい少女が、頭から灰色のロードをすっぽり被った怪しげな大男と手を繋いでいれば誰だって訝しむのは当然だ。この二人組を見ればすぐに『人拐い』という言葉が浮かんでくる。
「ちょっと急ごうか」
「ヴォ」
視線から逃げるように足を速め、人影のいない路地奥の暗がりへと向かおうとしたのがいけなかった。
そんな二人の前に男が道を塞ぐように現れた。
「ちょっと待ちな」
声をかけたのはスイカほどではないがかなり大柄な男。続くように他にも男達が数人躍り出て来て、周りの人間はそれを遠巻きに見ている。
突然見知らぬ男達に囲まれた二人は警戒し身を固くする。スイカは繋いだ手を自分の方へと寄せエテーナを背後に隠した。その行動に男達の元々険しかった顔がより一層険しくなる。
「アンタその嬢ちゃんをどうするつもりだ?知り合いのようには見えねぇんだが」
唐突にスイカへと喋りかける男。どうやらエテーナを心配し親切で声をかけたようだ。
しかし周囲が自分達をそんな風に見ているとは考えもしなかったエテーナはあまりに驚いて声が出ない。スイカもスラスラと達者に受け答え出来る程ではないので当然無言である。
ただ彼の方は何か思うところがあるようで、エテーナの手を強く握り直すと男達を横切りその場を抜けようとした。
「スイカ? どうしたの?」
いつも後ろを大人しく付いて歩くスイカが、自分を引っ張り歩き始めた事に戸惑うエテーナ。それでもいつにないその様子にスイカに任せて付いて行く。
だがそれを男達が許すはずもなかった。
「おい待てよっ!」
大柄な男が肩を掴みスイカを強引に止めようとし、勢いでスイカのフードが脱げてしまった。
その瞬間、周りの空気が一瞬にして凍り―――
「キャァァアアア!!!」
「うわぁぁあああ!!!」
エテーナ達を見守っていた周囲のあちこちから悲鳴が上がり、この辺り一帯がパニックに陥ってしまった。
スイカの肩を掴んだ男は腰を抜かしており、二人を囲んでいた男達も似たような状態だ。
エテーナはこの状況について行けずに口を開けたままポカンとしてしまう。
スイカの方はそんな周囲にまったく興味無しといった具合で、エテーナと手を繋いだまま歩き続ける。ただ、まるでエテーナがちゃんと居るか確認するようにギョロギョロと何度も彼女の方へ目を向けた。
「お、おい! あの魔物首輪つけてるぞ!」
「本当だ! 服従の首輪だっ!」
誰かが叫んだその言葉を皮切りに段々と落ち着いて来る周囲。ゴブリンが野生ではないと分かったようだ。
人間に服従させている魔物は、危険な旅での肉の盾としての役割しか持たないので、普通は街へ連れて歩くなんてしない。ただでさえ高価なモノなので街の一般人は魔物に見慣れていないのだ。
パニックが収まると物珍しい魔物に興味が集まる。
「あれがゴブリン……なんて醜くて卑しいんでしょう」
「目が腐るなこりゃ」
「あのお嬢ちゃんスゲェな、俺なら死んでも触りたくなんかねぇよ」
街の住人は声を抑えるでもなく口々にスイカに向けて侮蔑の言葉を吐いていく。
エテーナはそれが耳に入る度に身を削ぎ取られる思いがした。
スイカにもちゃんと感じる心があることを知っているからだ。恥ずかしがり屋で無口で大人しい彼。
難しい単語を含むその罵りの意味を理解しているかは分からないが、出来るならば耳を塞いであげたい。
しかしスイカは歩みを止めることもエテーナの手を離すこともしないので、それは出来なかった。
「スイカ、待って……」
「ヴォ」
エテーナが声をかけるとようやくスイカは止まった。
エテーナは落ちたフードを被せ直そうとスイカに向かい空いた方の手を上げる。それに合わせて屈んだスイカの頭を一撫でしてフードを被せた。
「もう図書館はいいや。おうちに帰ろう」
「ヴォ」
小さく頷いたスイカはもと来た道へと踵を返す。エテーナはスイカの立派な腕に両手でしがみつく。
未だ止まぬ侮蔑の言葉と嫌悪の視線の中を二人で寄り添い帰路へとついた。
その後、学園に入学するまでの間二人が外出することはなかった。