6,進歩
その後、エテーナはスイカと二人ずっと部屋に閉じ籠っていた。風呂とトイレは付いているし、食事は転移魔法を使い厨房からこっそりくすねるので問題ない。ゴブリンも人間と同じ食べ物で大丈夫か心配であったが、与えてみれば凄いスピードで消費されるので恐らく大丈夫だろうと判断した。食べ物が合わずに腹を壊すなどという繊細さをこの見た目では欠片も感じられないのも判断の要因の一つであった。
就寝時にはスイカの固い身体を抱き枕にして眠った。流石にベットは一つしかないので仕方ない。それに黒緑の肌は案外暖かくてエテーナは気に入っている。勿論スイカは戸惑いをみせ一生懸命首を振り拒否したが、エテーナが許してくれる筈もなくベットへと強制連行されたのは言うまでもない。
こうしてエテーナとスイカは二日間完全に二人きりで過ごした。
この二日、部屋の外から両親や使用人達に声を掛けられ続けたが、全て無視を決め込んだ。特にゴブリンの事を聞いた兄イルヴェールは半狂乱となりドア越しに訴え続けたが、エテーナがその扉を開けることはなかった。
閉じ籠って時間が経つにつれ周囲にかなりの焦りが見え始めた。皆エテーナが転移魔法を使用出来ることを知らないので、愛する彼女がここ二日何も食べていないと思い込んでいる。
転移魔法はこの世界で最も高等な魔法であり、普通の人間はそれを使おうとは考えない。何故ならばあまりに危険だからだ。膨大な魔力と精密なコントロールが必要となり、少しでも失敗しようものなら転移先には自分だった肉塊の一部だけが送られる結果が待っている。
だがエテーナには不思議と転移魔法を使いこなす自信があった。大騒ぎになるので家族の前では決して使わなかったが。
「エテーナ。僕のエテ、出て来ておくれ」
扉が乱暴に叩かれる音の後に続く兄イルヴェールの声には疲労が窺え、罪悪感がエテーナに芽生える。
しかしここで開ける訳にはいかない。ゴブリンに対する周囲の態度から話し合いが通用しないのは分かっているので、こうして強行手段に出るしかないのだ。
エテーナの望みはたった一つ。
「では私に彼の世話を一任してくれますか?」
「彼? 彼だって!? 何を言っているんだエテーナ! ゴブリンは醜い魔物なんだぞ、エテーナが世話をするなんてとんでもないっ」
「そうですか、では私はこの扉を開けることは出来ません」
「エテーナッ!」
普通の子供であったならば無理やり引きずり出して叱り付ければいいのだろうが、エテーナは規格外の魔力を有している。一般人が何週間もかけて作り上げるだろう頑強な結界魔法を一瞬にして張ってしまったので突入も不可能だ。もっとも、仮に可能だとしても彼らが溺愛するエテーナを無理に引きずり出したかは定かではない。
「イルヴェール、代わってくれ。私だエテーナ」
興奮したイルヴェールに代わり父が努めて穏やかな声で語りかける。
「キミがここまで私達に訴えるのは珍しいからね。分かった、そのゴブリンはエテーナに任せよう」
「っ! 本当ですかお父様!?」
「ああ約束しよう」
思わず開けた扉の先には微笑む父と、ホッと安心した表情の母が立っていた。
「……我が儘を言ってご心配おかけしました。ごめんなさい」
「エテーナちゃんっ!良かったわ」
「いいんだよエテーナ。キミのおねだりなら応えないわけにはいかないさ」
半泣きの母に抱きつかれ父に優しく頬を撫でられる。和やかな雰囲気の中でイルヴェールだけが険しい表情を崩さない。
「父上っ、僕は納得出来ません……」
「イルヴェール……エテーナの体調を考えてこれ以上長引くのは避けたかったんだ、分かってくれ」
「大丈夫よ。エテーナちゃんはあまり醜い物を目にした事がなかったから一時的に興味を惹いているだけよ。この年頃にはよくあることだわ。すぐに他の物へと興味が移るでしょう」
イルヴェールを説得する母の言葉が間違いであると確信めいたものを感じるエテーナであったが、折角まとまった話に再度亀裂を入れたりはしなかった。
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スイカがやって来て数ヵ月が経った。
スイカは人間達が思っているよりもずっと賢いのだと判明。まず驚いた事にある程度の単語は理解出来るようだ。幼児にするようにゆっくりと簡単な単語を喋りかけると返事が返ってくる。まぁ返事と言っても「ヴォ」だが。
今後学園で昼食を食べるのを考慮して食事のマナーを教えれば、完璧ではないがフォークに物を刺して食べるというレベルには成長した。ギュッと握りしめたフォークを持ち、不気味に裂けた口を「あーん」と大きく大きく開いて食べる。これまた幼児のような食べ方なのだが、最初は犬喰い鷲掴みだったので大した進歩である。それに、食べ物をボロボロこぼしながらも教わったフォークを一生懸命使おうとする姿は大層可愛らしいのでエテーナは満足していた。
そして数ヵ月に渡る訓練の一番の成果は、スイカが言葉を喋るようになったことだ。エテーナは自分とスイカの名を覚えさせようとした。自分を指差し『エテーナ』と、スイカを指差し『スイカ』と呼ぶ作業を繰り返す。
その内スイカは口をモゴモゴさせて何か呟き始めたかと思えば、『ズ…イガ』『エ゛…デ……』と二人の名前と分かる言葉を喋ったのだ。これには多い感動したエテーナ。初めて我が子に呼ばれた親の心境で、思わずスイカの屈強な首へと巻き付く。この頃にはもうエテーナの突然の行動にも慣れたスイカ。飛び付くエテーナを受け止め、その容姿からは想像出来ないほど優しい手つきで小さな彼女を抱き締める。
それからも訓練を続けた結果、自分の名である『スイカ』は完璧に発音出来るまでになった。『エテーナ』の方は発音が難しいらしく『エテ』と縮めて呼ぶ。その他にも数える程度だが数単語を口に出来きるようになり、これは今後も訓練次第でもっと伸びそうだ。
喋る魔物の話などどの本にも載ってはいない。うちのスイカは天才だと喜ぶが、そもそも魔物に言葉を教えようとする奇特な人間はエテーナだけであった。