3,嫌われ者
「さぁエテーナ、コレの首輪に触れてごらん」
「え?ちょ、お父様!?」
強引に手を引かれてゴブリンの前へと連れて行かれる。
「この首輪の中央の魔石に魔力を送った人間が所有者となる。所有者の命令は絶対。魔力を込めて命令すればなんでも言うことをきくよ。それに所有者を守るように術式が組み込まれているから、いざって時は命を投げ出して所有者を守る筈だ」
「……お父様、どうしてもゴブリンを側に置いておかなければならないかしら?」
このゴブリンを従わせる自分なんてあまり考えたくない。出来るならば、いや、絶対に回避したいエテーナは真剣であった。
「え?うーん…どうしてもエテーナが嫌なら無理にとは言わないけど。こんな醜い物はやっぱり嫌だよね。仕方ないからエテーナには学園の生徒で使えそうな人間に護衛させるよ」
「そ、そうですか、良かった」
正直護衛なんてものも必要ないと言いたかったが、取りあえずゴブリンは回避出来たから良しとする。
「じゃあコレは知り合いにでも売り付けるか。今度仕事で未開の地へ遠出する奴が居るから、そいつなら買ってくれるだろう。力も強いし、なんたってゴブリンの肉は他の魔物の大好物だからな、コレほど良い盾はない」
(ああああ、聞きたくなかった……)
父の言葉を受けたエテーナは天を仰ぐ。
それはつまりこのゴブリンはエテーナが拒絶したばかりに極めて死の確率の高いところへ寄越されてしまうと言うことである。このギョロギョロとした目でガン見してくる二足歩行の生き物を……エテーナが見殺しにする。
残念ながらそんな度胸を彼女は持ち合わせていなかった。今世は究極の箱入り娘で、前世でも平和な世界で生きていたのを記憶の端々から感じる。それなのに、エテーナの判断一つでゴブリンの生死が決まってしまうのは彼女にとってとてつもなく負担であった。
(だって、人間に見えるんだもん…ちょっ肌の色はアレで凄く不細工だけどさ…)
エテーナは渋々観念する。
「お父様、私やっぱり気が変わりました。ゴブリンをください」
「おや、そうかい? それなら首輪へ魔力を注いでごらん」
エテーナは恐る恐るゴブリンの首輪へと手を伸ばす。一度は観念したものの、やはりゴブリンを自分の所有物にしてしまうというのは戸惑いが大きくゴブリンの首へと手を伸ばす途中何度も手が止まりかける。
しかし首輪へ触れるか触れないかまで来た瞬間、今まで一切動かなかったゴブリンがビクリと肩を上げた。それを目にして今度こそ腹を括る。
ギョロリとした目玉が揺らめいているのに気が付いたからだ。それが恐怖なのか嫌悪なのかはたまた怒りなのかは分からない。しかし確かに目の前の彼には感情がある。エテーナはもう迷わなかった。
指先からほんの少し魔力を放出すると首輪の魔石がそれを吸収する。すると硝子玉のように透明だった石が綺麗なスカイブルー、エテーナの瞳と全く同じ色へと変化した。
「良し上手くいったね。これでゴブリンはエテーナの物だ。なに、気に入らなければ処分すればいいことだからそんなに気構える必要もないさ」
顔を強張らせて首輪を見るエテーナに父が優しく頭を撫でる。『処分』なんて言葉を気軽に使う父に余計強張りが増したエテーナであったが、周りは気付かない。
「ところであなた、コレは一体どこに置いておくのかしら」
屋敷の中なんてとんでもないと続ける母に父は少し思案する。
「厩舎に空きはあっただろうか? 世話は……調教師達は嫌がるだろうな。ソレの面倒を見る人間を雇おう、カネを出せばなんでもする人間は沢山居る」
アンタそんなに嫌厭されるものを娘の隣に置こうとすんのかと呆れるエテーナ。しかし彼女はそれよりも、何故そこまでゴブリンが忌み嫌われているのかよく理解出来なかった。狂暴らしいが人間に危害を加えることが出来ないのならば問題ないではないかと思う。
この世界の人間ならば醜悪な魔物が嫌悪の対象となるのは当たり前であったが、エテーナにはその常識が良くも悪くもまったくない。今世ではあらゆる経験が不足しており、前世ではそんな経験とは無縁の幸せな人生を送っていたらしい。
意思を持つ生き物だとこの目で見てしまえば、蔑むなんて出来ない。
もうエテーナには彼が黒緑で不細工なマッチョにしか思えないのである。
「私の部屋で宜しいではないですか。これから私の側に居るならば慣れる為にも私が世話を致しますね」
「「えっ!?」」
エテーナの突拍子もない発言に両親だけでなく側に控えていた使用人達も驚いた。
「さぁいきましょ」
反対されるのは分かっている。だからあまりに驚いて皆が固まっている隙にゴブリンの手を取る。本当はまだ少し怖かったが、急がなければとゴブリンを触れるのに迷う暇はなかった。
触れた瞬間またしてもゴブリンは大袈裟な程びくつき呻き声のようなものを漏らしたが時間がないのでスルー。
その白魚のような白い手で掴まえたゴブリンの緑の手はガサガサとごわつき固かった。綺麗な手はゴブリンに付着していた泥で少し汚れるが彼女は気にならない。
早く、皆が正気に戻って止められる前に彼を連れ帰り部屋に鍵をかけてしまわねば。黒緑のマッチョを厩舎に繋げておく趣味はないのだから。
焦っていたエテーナは気付かない。
見たこともない程眩く美しい彼女に微笑まれ手を取られた醜い魔物が、引っ張られながらギョロ目を高速でギョロギョロさせ、それはそれは困惑していることに。