2,出会い
「そうそう、エテーナにもう一つプレゼントを用意してあるんだ」
にっこり笑い父が指差した先を見たエテーナは目を見張る。
「え? な、何、あれ…」
最初、汚れた置物かと思った。
全く動かないそれは父よりも頭一つ大きくガッシリとした強靭な肉体を持っている。一見人間のように思えるその置物だが、肌の色は黒とグリーンが入り交じり手足の指は四本で長さはてんでバラバラ、爪は巻いてしまうほど長く泥がこびりついてちょっとやそっとでは剥がれそうにない。下半身には粗末な布が申し訳程度に巻き付いているのみ。顔の部分には黒い布袋が被せられている。
魔除け人形か何かだろうか。こんなの貰っても置場に困ると顔が引き吊るエテーナに気付かない父は軽い足取りで人形の元へと向かい黒い布袋を取ってみせた。
「ひっ………」
思わず悲鳴が漏れるエテーナ。
露になった人形の顔はそれほどに醜悪であった。
頭は禿げ上がり尖ったてっぺんに肌と同じ色の髪が少しだけ生えている。ギョロリとした目玉に酷い鷲鼻、引き裂かれたかのような口から覗く歯は黄ばみ吐き出される呼気もかなり臭いそうだ。涎も垂れっぱなし。
そう、この置物は生きていた。
「お、おと、おと、お父様? これ、生きてますがっ?」
「ああ、エテーナはゴブリンを見るのは初めてだったね」
仰天するエテーナを見つめ愛しそうに目を細めて笑う父。
彼の言うところの『ゴブリン』とは本で読んだことがある。醜く知能は低いが身体は頑丈で魔物が蔓延る街の外へ出掛ける時には欠かせない生き物ではあるが、ゴブリンは捕獲が難しく一部の上流階級しか手に入らない貴重な品らしい。
街の外どころか街にすら殆んど行った事のないエテーナ。全て読んだり聞いたりした知識だ。
優秀な頭脳で確かにその知識を吸収したが、本で読むのと実際に見るのでは全く別ものであった。想像していたよりもずっと人間に近い形をしており、そして醜い。
「エテーナは来年から学園に入学予定だろ? コレにエテーナの盾をさせようと思ってね。学園で連れて歩きなさい」
『コレ』と言って指差したのは父の言うところのゴブリンである。父は未だにエテーナに対して微笑んでおり、ゴブリンの方はギョロリとした目でこちらを凝視してくる。美しい父と醜いゴブリン。両極端な存在に戸惑うエテーナ。
「こんなに醜いものをエテーナちゃんの側に置くなんてとんでもないわ!」
ゴブリンを目にした母が顔を歪めて父に向かい訴えたが、父は眉を下げて笑うのみである。
「確かにエテーナの目に触れるのはどうかと思う醜悪さだが、これはゴブリンの中でも特に強いんだ。同じ檻に入れていた仲間を全て食い千切ってしまったほどらしい」
(ヒィィィ!)
エテーナは心の内で恐怖の悲鳴を上げる。そんな危ない奴をプレゼントとか訳の分からないことを言うんじゃねーよ! と父親に掴み掛かりたかったが、父親の隣にゴブリンが居るので怖くて近寄れない。
「お、お父様。それは危ないんじゃないかしらウフフフフ」
ゴブリンを刺激せぬよう十歳らしからぬ上品な愛想笑いを添えて父親に抗議する。愛想笑いでも花が咲き誇ったような可憐さ。親バカ達は魅了されてうっとりとなり、ゴブリンはギョロリとした目を更にギョロリとさせてこちらを見てくるものだからエテーナは固まった笑顔のまま冷や汗が滝のように流れた。
「大丈夫だよエテーナ。付けられている首輪のお陰でゴブリンは人間に危害を加えることが出来ないようになっているから」
見れば確かにゴブリンは黒い首輪をしていた。その真ん中に小さく透明な硝子玉が嵌め込まれておりなかなかお洒落だ。
「…でもお父様、私は学園に通うだけですのよ? 何故にその…ゴ、ゴブリンが必要なのかしら」
ゴブリンなどの魔物を服従させて連れ歩くのは普通、野生の魔物がウヨウヨしている前人未踏な場所を冒険する時だけである。エテーナが通う学園は決して命に関わる危険な場所ではなく魔法を学ぶ為の教育機関なのだが。
本来七歳から通うのが普通だが、身体の弱かったエテーナは来年からやっと入学する事が出来るようになったのである。勉強や魔法の練習自体は家庭教師に付きっきりで教わったので問題なく、それどころか適性を見に自宅へ来た学園の教師により七年生まで飛び級するように取り計らわれてしまった。
年下のちびっこ達と混ざって勉強するのも少し憂鬱だったが、一度も集団行動をしたことのないエテーナがいきなり年上のクラスに放り込まれるのはかなり嫌だ。それなのに父はエテーナにこの恐ろしいゴブリンを学園で連れて歩けとか言いやがる。友達出来ないボッチ野郎となってしまうのは必至だ。
「エテーナ、外の世界は危険がいっぱいなんだ。学園だからと油断していては愛らしいエテーナはすぐに拐われてしまうだろう。だからコレを側に置いておきなさい」
「でもあなた、こんな物ではなく誰か人を雇ってエテーナちゃんをガードさせればよろしいじゃない」
「学園の中は関係者しか足を踏み入れることは出来ないんだよハニー。学園の人間など半人前でとてもじゃないが使えないし、四六時中エテーナの側には居られない。しかしコレならばエテーナの所有物として認められるから便利なのだよ」
(四六時中……所有物………)
ゴブリンが四六時中ピッタリ離れず張り付くのかと考えるとエテーナは目眩を起こしそうである。
そして先程から薄々気付いてはいたが、このゴブリンの扱いはどうも奴隷とかいう単語が浮かんでしまう。使用人にも優しく決して見下すようなことをしない両親が、ゴブリンのことはまるで生き物として扱っていない。
ゴブリンは確かに恐ろしいのだが、姿形は人間に似ている二足歩行の生き物なのに……。どうしても違和感を感じてしまう。
「それにこれだけ醜いならばエテーナ目当てに群がるだろうハエへの牽制にもなる。家族以外のくだらない人間がエテーナの周りをうろつくなんて我慢出来ないからな」
「確かに本当ならエテーナちゃんにはずっとずっとお家に居て貰って私たち家族だけが独占していたいんだけど。学園に通いたいという可愛いエテーナちゃんのお願いは断れないから仕方ないわよあなた」
楽しげに語る両親の話を聞いたエテーナは愕然とした。
醜いがモノを言わずただこちらを凝視してくるゴブリンよりも、両親が見せる過保護の中に隠れた狂気の方が余程恐ろしいのだから。