1,日常
エテーナが十歳になると弱かった身体が嘘のように丈夫になった。どうやらエテーナは桁外れの魔力を有しているようで、魔力を入れる器である身体が小さ過ぎた為に度々発熱していたらしい。
今さらりと『魔力』などというファンタジーな単語が飛び出したが、エテーナ自体は驚いたりしない。何故なら赤ん坊の頃から魔法は当たり前に周囲で使用されていたからである。部屋を照すのも顔を洗う水を用意するのも怪我の治療も魔法を使う。人間なら誰しも使えて当然の世界なのだ。
一般的にトイレトレーニングと同時に魔法の訓練も始めるのだが、大き過ぎる魔力の為にコントロール不能だったエテーナには誰かが常についてやらねば生活が出来ず、それは周囲の過保護に拍車をかけた。エテーナはいつまで経っても赤ん坊と同等の扱いをされなければならなかったのだが、この度めでたく魔力のコントロールが出来るまでに成長したのである。
「エテーナ、僕の愛しいエテ。何故こんな所をうろちょろしているんだい?」
「あら、イルお兄様」
住み込みの家庭教師に質問に行こうと廊下を歩いていると、六つ年上の兄イルヴェールと出会した。彼はエテーナの兄であるので当然とても整った面差しをしており、それは彼らの父親と瓜二つ。エテーナは家族なのに毎回その美しさに目が潰れてしまいそうな心地になる。
もっとも鏡を見ても目が潰れそうになるのだが。ちなみに十歳になっても自分鑑賞の趣味は健在であり、一生治らない病だろう。可哀想に。
「少し先生に質問に行こうかと」
「駄目だよエテーナ。教師は使用人に言って呼びつけなさい。無闇に出歩くなんて駄目」
もうすっかり丈夫になったというのにイルヴェールはエテーナが屋敷内であろうと出歩くのを嫌う。家族一の過保護はこの兄で間違いない。
「お兄様、私はもう熱など出しません」
「そうだとしても、こんなに愛らしいエテーナがフラフラと歩いていては我が物にしようとする輩が湧いて出てしまう」
「…ここは自宅ですのよ大丈夫です」
内心、コイツ面倒臭いと呆れながらも困ったように小首を傾げてみせるエテーナ。彼女はキャラを大切にするタイプである。
「そんな事はエテーナの美しさの前では関係ないさ。エテを一目見ればどんな要塞だろうと拐いに来るはずだ、さぁ部屋へ戻ろうね」
肩を抱いて部屋へ戻そうとするイルヴェールの手を上手く抜け出すエテーナ。
「ごめんなさいお兄様。私どうしても先生に質問したい事があるの」
最近のエテーナは初めての魔法に夢中であり、駆け回れる丈夫な身体があるのに使わずにはいられない。
「だから教師を呼べばいいんだよ」
「……しつこいお兄様嫌い」
「っ!?」
崩れ落ちる兄を尻目にエテーナはルンルンと駆け出す。キャラは大切であるが面倒過ぎる場合は別である。家族に遠慮などしない。イルヴェールは最近父親の仕事を少しずつ覚え初めているので何かと忙しく会う機会も大分減り、たまに会った時はこのように適当に流せば問題ない奴なのだと完全に兄をなめきっている。兄はチョロい存在だと前世の記憶辞書に刻まれているので、もしかしたらエテーナには前世も兄が居たのかもしれない。
「エテーナちゃん!」
家庭教師への質問も終わり部屋へ戻って魔法の練習でもしようかと思って廊下を足早に歩いていると、今度は母から呼び止められた。
「あらお母様、ご機嫌よう」
「ご機嫌ようじゃありません!」
鈴のような声でヒステリックに叫ぶ母はそれでも美しい。とても二児の子持ちには見えない若々しさである。その可憐さは妖精のようだ。
「そのドレスは一週間前も着ていたじゃない! 使用人は何をしているのやら、エテーナちゃんには着て欲しい服が山ほどあるんですからね!」
「ごめんなさいお母様。ドレスはこれがいいと私が使用人に言ったの」
プリプリする母に苦笑いが浮かぶ。着心地重視のエテーナは王都で流行りだという母から大量に寄越される着にくそうなドレスをあまり好まない。
「ぅぅぅ、あんなドレスやこんなドレスを着た可愛いエテーナちゃんを愛でたいのに」
泣く仕草をする母にエテーナは少し面倒になってきた。どうせこの人は放っていても一人で楽しそうに喋り続けるのだと知っているエテーナはスルーすることに決めた。
「それでお母様のご用件は終わりですか、それならば私は魔法の練習をしたいので失礼しますね」
「あ、待って待って。お父様がお呼びらしいの。エテーナちゃんに今すぐ会いたくて、呼びに行こうとする使用人の仕事を奪って迎えに来たわ」
エテーナを捕まえて頬擦りする母。とても十を過ぎた娘にする仕草ではなくエテーナも鬱陶しく思いながらも、内心嫌ではなかった。母に愛されるのが嫌な子は居ない。
母を引っ付けたまま父の書斎へと向かう。
「失礼します。お父様お呼びでしょうか」
「来たねエテーナ…おや私の天使が二匹絡まっているとはなんて素敵な光景だろうか」
書類仕事をこなしていた父が顔を上げこちらを見留めると、その綺麗過ぎて冷たい印象を与える顔をデレデレに崩す。エテーナの父は商人でありながら王族のような気品と王宮騎士も真っ青な鍛え抜かれた体格を持つナイスミドルなオッサンだ。
「世界一愛らしいエテーナ、私にも抱っこさせておくれ」
少し迷ったエテーナだが、十歳はまだ許容範囲だろうと父親の腕から逃れることはなかった。ギュウギュウに抱き締められた後、頬にキスを一つ落として満足する父。
「エテーナの美しい髪を彩る髪飾りを買って来たよ。母様とお揃いさ」
渡されたのは綺麗な宝石がふんだんにあしらわれた、これ一つで一般市民の年収を上回る豪華な品であった。そしてエテーナはこれと同等かそれ以上の物を父母または兄から有り余る程贈られている。
「ああ、よく似合うな。エテーナは何をつけても美しい」
「ほんとうに可愛いわぁ。そうだ、今度この髪飾りに合うドレスもお揃いで作らせましょう」
温い。
ぬるま湯どころか金粉を散りばめ薔薇を浮かべた最適温度のジェットバスに身を沈めているかのような環境である。
だからエテーナは時々考えるのだ。
欲しい物はなんでも手に入り、やれ美しいだやれ可愛いだと誉めちぎられて育った人間はさぞ傲慢になってしまうだろうと。この人達は私を駄目人間に仕立て上げたいのか!と思ってしまうほどの溺愛ぶりだ。これで前世の常識がなければと考えてゾッとする。この環境が異常だと分かるエテーナは幸せなのだ。案外あの声の主が言っていたオマケとは前世の記憶ではないかと思い始めた今日この頃であった。