都への道
気がつくと、テルは浜辺にいた。朝日が海の向こうから出ようとしているところだった。夜明けだった。辺りには朝早い漁師の船が海の向こうに小さく浮かんでいる。寄せては引く波の間から声が聞こえた。大地に響くような重厚な声だった。
「少年よ。日と反対の方向に向かえ。そうすれば都が見えてくるだろう。西の都という大きな町だ」
そして、それきり、テルが何を言っても、波はいつもの波であった。恐らく、あれが波平太という者なのだろう。テルは、翁や海星楽を横暴な連中だと思っていた。だが、彼らは怖くはなかった。彼らはただ、命令をする得体の知れる悪党であった。ただし、波平太についていえば、得体が知れない存在であった。そんな者を従えている海星楽をテルは恐れた。
テルは自らの使命を果たすべく歩き始めた。都への道はどれほど遠いのかわからなかった。だが、歩き続けるしかなかった。幸い、テルは歩くのには慣れていた。長年裸足で歩きまわったせいで厚くなった足の皮膚は簡単には痛まない程に強靭になっていた。着物はボロボロで薄黒い汚れがついていた。都に着いたら、綺麗な服を買いたい。そして立派な町の子供になるのだ。龍宮の竪琴探しはそれからでいいだろう。懐のポケットには大きな真珠の粒が2つあった。これを売ればお金になるはずだ。いつの間にか紛れ込んだのか。それとも、誰かが入れてくれたのか。真実はわからなかったが、テルは真珠を一度だけ見たことがあった。大人たちがとある町中で叫んでいた。都に売れば、大きな金になるぞ、と。間違いなく、この白い輝く珠玉は真珠だった。テルには確信があった。
太陽とは正反対にずっと歩き続けていた。だが、どんどん日は南に移動していた。道は太く一直線だった。やがて、左上に太陽が見えるようになった。テルは方角がわからずにいた。波平太が言ったように太陽と反対方向に歩むべきか、このまま道なりに歩くべきか。
と、そこに向こうから派手な格好をした傾奇者がやってきた。鳥の羽のようなカツラをかぶり、黄土色の着物を身につけている。テルは男に近づくと、西の都はどっちか?と聞いた。
「なんでい。なんでい。小僧がこの天下の傾奇者、江戸屋十郎兵衛に口を聞くとはいい度胸だ。西の都はどっちかだって?そりゃあ。この道をそのまま行けばいいのよ。俺様が都から、この道を通ってやってきたんだから、間違いはねえ。しかし、小僧。一人旅で何をしておる。親はどうした」
テルはいかにも胡散臭い江戸屋十郎兵衛に親のことを聞かれ、困った。これまでも、通りすぎる旅行姿の人から、不思議そうに見られていたからだ。もし、テルが親のいないみなし子だと知れば、どんな行動を起こすだろうか。もしかすると、真珠を奪われるかもしれない。テルは慎重に返事をした。
「親は都にいるんだ。俺は親に会いに行く途中なんだ。じゃあな」
テルはそう言って、歩き出そうとしたが、江戸屋十郎兵衛はテルの襟首を掴んで、引き止めた。
「おい。小僧。一言あっても良いんじゃないか」
十郎兵衛は怒っていた。こんな小僧を一人旅させる親はろくでもないに違いない。だから、お礼の一つもできない子供に育ったのだ。まったく、戦乱の世の中になって、傾奇者の活躍が増えたとはいえ、庶民には苦しい時代になったもんだ。子供の一人旅も大方そんな事情からだろう。都の王に反乱を起こした蛇呂のせいだ。戦はもう、3年も続いていた。最初のうちは反乱軍が優勢であったが、地方から諸侯が駆けつけて、形勢は逆転した。それでも、反乱は他の地域にも飛び火し、鎮圧にはまだ時間がかかる様子であった。江戸屋十郎兵衛は王のための兵士を集めるために、地方に行くところだった。
心の内は知らずにテルは十郎兵衛が難癖をつけてテルの持ち物を全て奪おうとしているといった疑念をますます確信させ、離せ、と言った。が、十郎兵衛の大きな手は決して着物を離さない。バチン。テルは頬に痛みを感じた。叩かれたのだ。
「人にお礼の一つも言えんのか。親の顔が見たいわ」
十郎兵衛はそう言って去っていった。テルは、そうか、そうだったな、と思い、痛みが和らぐとともに、微笑した。
俺は何を焦っているのだろう。海星楽に命じられて、龍宮の竪琴を見つけようと言うのに、下手に真珠を奪われるのではないか、と気にし過ぎていた。十郎兵衛も手加減はしたに違いない。痛みはすぐにおさまった。都はこの道でいいらしい。さあ、後、どのくらいかわからぬが、とにかく都に行くまでの辛抱だ。腹は減ったが、都に着けばすべてがよくなる。
テルは都を頭の中で桃源郷のように美化していた。御馳走はあって、人々は豊かで、乞食などいない。仕事もあって、親切な人たちばかり。だが、さっき会った十郎兵衛は決して親切でなかったな、と思いだした。それでも、テルは都は少なくとも、ずっと今までの村や町よりも素晴らしいはずだと信じていた。