海星楽
城の主人である海星楽は、エイの形をした鏡を見ていた。この鏡は四季の鏡と呼ばれる秘宝である。その昔、東に住む大略民駄の宝物庫から盗んできたものだ。特殊な鏡で四方の数百メートルを自由に見通せる。今、海星楽が見ているのは少年である。ぼろぎれをまとった如何にも、ひ弱そうな少年である。召使いである唐朴の翁に連れてくるように命じたのは海星楽だった。少年は今、こちらに翁の後をついて近づいている。異世界に等しい地にやってきたにも関わらず、動じない性根を少年は持っている。今までの子らとは違う。少年がどういう生い立ちで、あのような振る舞いを身につけたかはしらぬ。ただ、海星楽は少年が無闇に今までの人間たちのように、家族のことを叫ばないのを嬉しそうに見つめていた。もしかすると計画は上手くいくかもしれぬ。ほくそ笑んだ海星楽は鏡を棚に戻すと、ゆっくりと立ち上がり、謁見の間へ向かった。間は海星楽のいる部屋の裏手にあった。高級な布のカーテンをくぐると、謁見の間の椅子に腰を下ろす。ちょうど、間は東半分がへこんでいて、西半分が突き出ている格好だ。西半分の高所に金色の椅子が備えつけられていた。陸の細工師、阿弥陀の羅紗によって作られた逸品だ。海星楽は椅子の肘掛けの部分の装飾を飽きることもなく眺めている。蝙蝠という空の生き物を描いているらしいことはわかるが、近海の陸にしか行かない海星楽にとって、いつ見ても興味をひかれる形をしていた。
何分くらいそうしていただろうか。海星楽は部屋の扉をノックする音を聞いた。「入れ」と言ったつもりだった。しかし、部屋の入口と高所の台座では、距離があり過ぎるようで声が届かない。さらには分厚い扉が外に音を漏らさぬとばかりに閉じている。海星楽は唐朴の翁の融通の利かなさに閉口しながらも、かつて、急にこの部屋の扉を開けた翁を叱り飛ばしたのを思い出した。その時のことをまだ根に持っておるのか翁め。「入れ!!」今度は先ほどより大きな声を出した。威厳を保ちながら、大きな声を出すのはなかなかに難しく、これ以上大きな声を出すと、怒鳴るようになってしまうのを心配した。しかし、海星楽の心配を吹き飛ばす形で物事は進んだ。翁はゆっくりと扉を開けて入ってきた。「失礼いたしまする。陸人を連れてきました」翁は恭しく見上げて、お辞儀をすると高所にある椅子に座っている海星楽に言った。海星楽は後ろから少年が恐る恐る入ってくるのを見ると、満足気に笑みをもらす。
「ご苦労だったな。翁。しばし、ここに留まり、陸人に何故ここにいるか説明してやるがよい」
命令を受けた翁は少年に向き直ると、懇々(こんこん)と話し始めた。少年は大人しく聞いている。
「お前が何故ここに連れてこられたか話してやろう。ここに、おられる海星楽様は高貴な海のお方じゃ。しかし、ある時、陸に旅行に行った時に大切な物を失くしてしまった。西の都でだ。本来ならば海星楽様が行きたいところだが、事情があって行けはせん。そこで、お前を波平太に命じて連れてこさせたのだ。陸に行き海星楽様が失くした物を見つけてきたならば、褒美をとらせる」
今度はまったく詰まることなく言えた、と翁は喜んでいた。何せ、これで7回目の言葉なのである。慣れもあった。今までに連れてきた陸人たちは未だに帰ってこない。せっかちな海星楽はそのつど、波平太に海岸や船に乗っている人間を連れてこさせた。大人たちに命じても彼らは陸に戻ると海中の城のことなど忘れてしまうらしかった。そこで、今度、海星楽は「子供」を連れてこいと命じたのである。翁は子供になど探し物が見つけられないと反対したが、では老人ならできるのかと返されては、何も言えなかった。少なくとも老人よりは子供の方がましであった。それに、海星楽が翁自身に陸に行けと命じるかもしれぬことを翁は恐れた。そこで、慌てて子供とは実に素晴らしい案でございますな、と言ったのだ。しかし、果たして成功するだろうか。翁は不安だった。
少年は少し考える仕草をした。
「俺は陸地になど戻りたくはない。ここは、美味しい食べ物もあるし、出て行きたくはない。ただ閉じ込められるのは御免だ。自由に部屋を出入りできるようにしてくれ」
海星楽は渋い表情をした。何と物わかりの悪いやつだ。少年の命は私の命令一つでどうにでもなるにも関わらず、この態度。ふてぶてしい子供には世の厳しさをわからせてやるべきか。水の下僕を呼べと合図を翁に送る。
翁が慌てて子供に忠告する。
「これ。お前は海星楽様の恐ろしさを知らぬ。口を慎むがよい。それに昨日、飯を食う前に言った言葉を忘れたか」
「うるさい爺さんだ。昨日のことは昨日のことだ。そんなすごい方がなんで探し物もできないのさ」
腹を立てた海星楽は今度は、はっきりと声に出して言った。
「翁。水の下僕を呼べ」
翁は仕方なく水の下僕を呼ぶために指を鳴らす。と、足音が聞こえてきた。少年は何が始まるんだと、見ていると足音の主である透明の何かに足をつかまれた。あっと声をあげた少年は体の自由を失い、硬い石面に叩きつけられた。
「少年。もう一度言うぞ。探し物を見つけに行くか。それとも、痛い目にあうか。お前の取るべき方法は二つに一つだ」
少年は痛んだ顔をさすりながら、渋々肯いた。
「わかった。探し物を見つけにいく」
海星楽は満足そうに笑うと、少年に小さなほら貝と黒童丸を渡すように言った。翁が言われたとおりに立ち上がった少年に二つの品物を渡す。少年は不思議そうな顔をした。
「これ何だい?」
海星楽は少年と目を合わせると、低い声で静かに告げた。
「少年。お前の食べた料理には貝の毒が入っていたのだ。その渡した黒い薬を一週間に一度飲まなければお前は死ぬ。ひどく苦しんで死ぬことになるだろう。もし、生きたければ探し物を見つけて、ここに持ってこい。薬がなくなれば、ほら貝を吹くがいい。使いに薬を持たせよう。探し物を見つけ、ここに持ってきたならば毒を取り去り褒美をやろう」
少年は翁に何度も海星楽の言ったことの意味を聞く。数度のやり取りの後、少年は自分の境遇を理解すると、後悔した。無料で食べる飯ほど怖いものはない、とは本当だった。俺はこれから、本気で探し物とやらを探さなければならないようだぞ。




