手に負えないお客人
某お題スレより。「スペオペ」
胃の中身をいつも通り盛大にぶちまけてきたであろうお客人をちらりと見やると、唇をへの字に曲げて判りやすく不機嫌を装っている。いやはや全く、超空間ジャンプの度にアレでは身が持たないのではないかと思うのだが、温室育ちの割に気合と根性だけはあるようで絶対に船を降りると言い出すつもりはなさそうだ。勿論、そうなるように焚き付けたのは自分ではあるのだがここまで気丈に振る舞っている姿を見るとなんとも名状しがたい感情を覚えてしまいそうになる。
「……何がおかしいのです、人の顔を見て笑みを浮かべるなどと」
「いやいや、痩せ我慢もそこまで貫けるならば立派なものだと思ったのさ」
視線を隠すつもりも無かったから当然ではあるが、こちらの表情に憮然としながら気丈な返事をよこす姿はついこの間まで世界の不幸を一身に背負っていたかのように振る舞っていた人物と同じに見えない。遺伝子操作を繰り返された末の造形美なのだろう。彫像めいた無機質さを感じさせる程に整った相貌は、長年に渡って躾けられた貴族流の立ち居振舞いと相まって相応の衣装、例えば今来ている洗濯を繰り返してよれよれになったジャンプスーツとは対極にあるようなエレガントな奴を用意してやれば、きっと何処ぞの貴族様の傍系なので御座います、とはったりかましても通用するだろう。流石は変態貴族のペット候補だっただけの事はある。一体育てるのにどれだけのクレジットが湯水のごとく使われたのやら?
こちらの軽口に何か言い返そうとしたのか、口を開きかけたお客人は軽く鼻息を鳴らして手近な計器に視線を落とした。口喧嘩をしたところで勝てない事は短いつきあいの中で得た経験則の一つ、という事なのだろう。しかし、視線を向けている計器の意味を果たしてお客人は理解しているのだろうか? まぁ、判っている訳がないではあるけれど。きっとこういう計器やらなにやらすらも珍しいに違いない。籠の中の鳥だったのだから、尚更だ。
「君、それが何の数値なのか判っているのかい?」
「いいえ、ですがかなり高い値を示しているように見えますが」
「その通り、とても高い値を示しているともさ。その辺の計器は私の内蔵チップと連動していてね、バイタルデータを取れるようにしているんだ。私たちは身体が資本だからね」
「そうですか……ちなみに、先程の高い値は一体何の数値です?」
「私の性欲」
けたけた、と笑いながら溜まってるんだよねぇ、と続けてやるとお客人は顔を真っ赤にしてしまった。そう言う用途の為に作られた割に純情なのは、今や分子単位で分解されたあの忌々しい脂ぎった脂肪を全身に乗せた、見苦しく臭く汚らしい、だけど権力と金は腐るほど余らせていた変態貴族の嗜好であろう。蝶よ花よと美しい人形を育て上げ、その顔を絶望で染めるのが生き甲斐だと語って憚らなかったあの糞貴族。思い出しただけで全身が不快感で総毛立つような感覚を押さえつけて航法データに目を通す。お客人の体調を考えてなるべくジャンプが少ない航路を選んできた結果、標準時間で後3日ほどすれば最寄りのステーションに到達する筈だった。
「ま、なんでそんな数値を計測してるかというと色仕掛け対策なのさ。最近はヒューマン限定で強烈な効果を発揮する無味無臭のフェロモン媚薬もあるからさ。ヘタに色仕掛けに引っ掛かってお楽しみの最中に頭をズドン、喉元バッサリ、心臓一突き、てのは良くある残念な死因でねぇ」
だから、普段からその手の数値を把握しておいて損は無い。こう言ってやるとお客人は納得はし難いが理解は出来た、といった様子である。それでもちらちら、と性欲の計器に視線を向けているのはさてはて一体何のつもりなのやら? 考え事をしながらも水や食料の貯蔵量をチェックする。元々囚人を置いておく為に貯蔵量には余裕があるが、それでも今までずっと一人で活動してきた以上、客人扱いの乗員が増えるとなると余裕が本当にあるかどうかは気になるところである。ヒューマンという点では客人と自分は同じだが性別も体格も違うとなると、妥当な食事量とやらを考える必要性もあるだろう。そんな事を考えながら手元のコンソールパネルを弄くっていると、ふとお客人が自分の背後に歩み寄ってくるのに気が付いた。敵意も害意も無さそうだが、はて一体何のつもりだろうか。
「どうしたね?急に後ろから忍び寄るなんてのはあまりマナーがなってないのではないかな?」
「……ええ。ですが、一つ思いついた事がありまして」
なんだいそれは、と首を傾げたとたん、ふぅ、と首筋に吐息が吹きかけられた。あの糞貴族を思い出したときとは違う意味で、ぞわりと全身が総毛立つ。
「ちょっと、君。急に一体何の真似かな」
「あなたは性欲が高まっていて、私はそういう目的で作り出されました。救出の対価になるとは言いません、ですが、もし私で良ければ」
抱いてくれ、と言うお客人。先程自分が言ったフェロモン媚薬でも生体分泌してるんじゃなかろうか、と疑りたくなるような濃厚な異性の香り。あの変態貴族は分子分解して尚憎々しいが、その造形美の観点だけは認めねばなるまい。このお客人はちょっとどころではなく蠱惑的だ! このまま若い肉体に溺れてしまいたくなるような、相手の唇を貪って押し倒してしまいたくなるような、そんな感覚――それを、鼻で笑って内臓チップに命令を下す。性欲をカット。途端に直前までの昂ぶりは消え失せて、湧いてくるのは呆れの感情。馬鹿者、と言って額を小突いてやる。冗談めいた仕草を意図してやらないと、元から同情していて可哀想に思っていた相手、それも人造だがとっておきの美形に、に言い寄られてしまった事でおかしくなりそうだ。可哀想に、私が慰めてあげる、なんて今時古典文学でも漁らない限り出てこないような台詞が脳裏に浮かんで、鳥肌が立った。
「君ね、そう自分を安売りするもんじゃないよ。大体抱いてくれったって経験どころか知識もないんだろう?」
「はい、ですが、他に私はあなたに報いる術を知りません」
「ならこの先報いる術とやらを自分で学ぶ事さ。急ぐと失敗してオゥジーザス、と大昔、アースのアジアとかいう地域の人は言ったらしいよ?」
「正確な表現は急いては事をし損じる、だったかと。……でも、あなたはステーションで私を降ろしたら行ってしまうのでしょう?」
「博識だねぇ。まぁ、そのつもりさ。ハンターは普通、一人で動くものだし。心配しなくても君が生きていけるように手配はしてあげるさ」
だからこそ自分はずっとお客人、と呼んでいるのだ。意識して境界線をはっきりさせておかないと、ただでさえその為だけに作られた異性の美形である、転ばない方がおかしいくらいだ。同業の中にはそういうのも役得、として楽しむ奴もいるようだが、そうした性癖が一度知られてしまえば行き着く先はズドンバッサリ一突きのフルコースと相場は決まっている。家族や身内の存在は論外だ、こんな家業をしている以上いつか自分以外の誰かの命でツケを支払う日が絶対にやってくるのだから。
「……私は、今までずっと自分の仕様書を読んでいました」
黙り込んでいたお客人は不意にそんな事を語り出した。仕様書、仕様書、ああ、確かにあった。遺伝子操作や生体プログラミングの結果を纏めた概要書とも言える。このお客人に一体ナニが出来て、何が出来ないのかとか、そういった非常に呼んでいて不愉快になるようなデータファイルである。あの鳥籠からこのお客人を拾って以降、現実と向き合うためにその辺のデータを一緒くたにして渡しておいたのだが、それがどうしたと言うのだろうか。
「その様子だとあなたはこれを子細に渡って目を通した訳では無いようですね? こちらを見て頂きたいのです」
そう言って差し出された小型端末、該当するセクションには『より強い刷り込み型依存形式を適用済。初めて出会った同種族の異性に極めて高い好意を抱くように――』とある。意味を理解した瞬間、盛大に表情が引きつるのを自覚した。あの日、自分がこのお客人の鳥籠に踏み込むまではヒューマンどころか有機生命体とは一切接触が無くて、全ては機械的な外見丸出しのメックにこいつは育てられていたんだぞ……!
「元々は見えない枷にとしての用途と、焦がれながらも憎しみを抱くといった倒錯的な面を意図しての仕様だそうです。
もしもあなたが来て下さらなければ、私はアレを恨みながらも恋い焦がれ、最後には屈服する事になっていたのでしょうね」
「そいつは、また」
「ですが、私が初めて目にした異性はあなたでした」
自身を一生縛る事と相成った相手に、それを知らせるにしては表情は酷く無感情だった。噎び泣いて抱きついてくる訳でも、熱烈に告白してくるでもなく、淡々とパイロットシートの先にある超硬化耐熱ガラスに写り込む自分を見つめるお客人。ガラスに反射して尚鮮明なその瞳が射抜くように自分を見据えていて、冷たいガラス越しで尚熱の篭もりようが伝わってくる。性欲をカットしているにも関わらず頭がくらくらしてきてしまう。なんという、タチの悪さだ。いっそ溺れるように抱き合ってしまえば楽なのだろうが、自分自身がそれを良しとできない事情もある。だからこそ、こんなハンター家業なんぞに手を染めているのだが。はぁぁ、と深い溜め息が漏れてでた。
「悪いけど、私は君を手元に置いておくつもりはないよ」
「そういう風に作られてしまいましたから納得は難しいでしょう、それでも理解はしています。している、つもりです」
悲しげな表情を浮かべられると罪悪感すら感じてしまう。この手のお慰み人形はシナを作るのがとても上手い。そういう風に作られていると認識していても中々心にクるモノがある。特に、切なげな溜め息とセットで俯かれたりするとだ。チップに命じて感情の抑制を図ろうとこちらが視線を逸らして暫く、ですが、とだけ言うとお客人は小型端末を操作して寄越す。今度は何だ、と思いながらも目を通すと、そこには遺伝子操作による身体能力の強化とかそう言った項目が載っている。まぁ、おかしな話ではないだろう。人形にも護衛としての性能を求めたということで、従順さが保証されている以上はそう悪い手段でも無い。少々ありがちな感は否めないが。
「それで、何、君はハンターにでもなろうというのかな?」
「身の振り方は手配してくださるのでしょう?ならば、あなたの役に立てるようになって、あわよくば側に置いて貰おうと考えました」
「なんとも一途な事だね……」
こうした身体強化が生産前から意図されていたのであれば、基礎的な面では仕込まれているのかも知れない。ただの人形兼ボディガードとハンターに求められる資質というのは違ってくるので一概にそれが良い事だとは言えないのだが、しかし、なんともはや、面倒な事態になってきたぞ、これは。本来は変態貴族に急死して貰う事で人形遊びを有耶無耶にし、もっと上の連中、例えば貴族院のお偉方なんぞ、に泥がはねる事を防ぐだけの良くある仕事だった筈なのだが。気付けば年下の作り物だが偉い美形さんを救い出し、似た境遇の連中も信用できる同僚に預けて、そしたらなんか懐かれていて……いや、それよりもだ。
「一番タチが悪いのは悪い気がしてない自分自身かな、これは……」
「それは、何よりです」
短時間でやおら気疲れしたせいか、思わず付いてでた独り言を耳聡く聞きつけやがった客人殿は、目を細めてにんまりと笑う。ほんとうに、なにより――そう呟くとさっきまでの純情さはどうした?と言いたくなるような色気たっぷりの吐息を漏らしてそんな事をほざいてくれるとは、あの変態貴族め、もっと苦しむやり方で殺してやれば良かった! 思わず天を仰いで片手で顔を覆ってしまう。これは良くないぞ、本当に良くないぞと散々脳裏で愚痴りながらも、同じ脳の何処かでステーションの中でズブのド素人を鍛えてくれそうな面子を探しているのは、本当に良くない傾向だ。
「……一応、手配はしてあげるよ。けど、その後私が君を乗せてステーションを出る事になるかは別の話になる」
「それで構いません。いえ、寧ろ望外の喜びであると申し上げさせて下さい。後は私はあなたのお側にいれるよう、全力を尽くすのみです」
きっとお眼鏡に適うようになってみせます、とやる気に充ち満ちているお客人は何処で覚えたのか鼻歌まで歌い出してしまった。妙に上手いのがまた腹が立つが、一体全体何でこんな事になったのやら、と気付けば相手の手玉に取られていた事に思い至り少々どころではない憤慨を覚えてしまう。憮然としてモニター類に目を通す。気が付かない内にステーションとの交信圏内に入っていたようで、やれやれと頭を振りながら長距離通信用のアレイを展開させた。いやはや、それにしてもどうしたものか。顔見知りはきっと大喜びでからかって来るに違いないのだから!
すっかり仏頂面でパイロットシートに座る自分を、今度はそのお客人が自分の後ろでニコニコしながら見つめている事に気が付けないままに馴染みの通信員との回線を開いてしまったのは、本当に痛恨のミスであった。自分の後ろで満面の笑みを浮かべるお客人はしっかりと通信手のモニターに映し出されており、小さなステーションの中での話だ、あっという間に話がステーション中に広まって、ちょっとした騒ぎになってくれやがる事だろう。
モニターの向こうで大はしゃぎしている馬鹿職員共を見て、もうどにでもなぁれ、と悪あがきに呟いた声はお客人の笑みをますます濃くするだけの結果に終わった。もう、手に負えない。
二人を乗せてステーションへと寄港したその船が去ったのはそれから三ヶ月後である。過去の経歴からすればそれは異例の長期滞在であり、船主が小綺麗な衣装を買い込んだりとか、二人分の水、食料、酸素を乗せていったのも、それが初めての事であった。
さてどっちが男でどっちが女でしょう。