見えている設備だけで組め
規格不一致の話が出た翌日、補講はいつもの小型ドームではなく、北棟と実習棟をつなぐ長い連絡通路で行われた。
床には青い避難誘導線。
壁には退避灯。
天井には簡易境界用の補助レール。
つまり、昨日までの「何もない場所で術式を組む」訓練ではない。
最初から設備がある場所で、どう設計するかを見る訓練だ。
「今日は実地でやる」
立花匡介は連絡通路の入口で言った。
「昨日の講習で、お前らは“正しい手順”の話を聞いた。
今日は逆だ。
見えている設備の中で、どこまで柔軟に組めるかを見る」
湊と神崎のほかに、鷺ノ宮理緒、そしてなぜか天城澄人まで呼ばれていた。
「なんで天城までいるんですか」
湊が聞くと、立花は即答する。
「境界保安科の視点が要るからだ」
天城は特に不満もなさそうに立っている。
昨日の議論を引きずる様子もない。
そこが逆に少し厄介だった。
黒瀬が壁の退避灯を指した。
「ここは古い公共安全格子と、新しい校内教材系ライブラリが混在してる。
昨日の実習ドームと同じで、規格が完全には揃ってない」
神崎がすぐ聞く。
「つまり、昨日みたいなことがまた起きるかもしれないってことですか」
「起きる可能性がある場所を、どう安全に使うか覚えるための訓練だ」
立花は課題を説明した。
「連絡通路の中央に仮想崩落区画を設定する。
人形を一体、向こう端まで運べ。
使っていいのは、自分の術式と、この通路に最初からある設備だけ。
勝手に新しい接続点を増やすな。
勝手に見えない場所へ潜るな。
つまり、見えている設備だけで組め」
これは昨日までと違う。
昨日までの補講では、神崎が何を持ち、湊が何を持つかが問題だった。
今日はそこに、「既にそこにある設備をどう組み込むか」が加わる。
立花は班を二つに分けた。
湊と神崎。
理緒と天城。
理緒が少し眉を上げる。
「私、走らせる側じゃないけど」
「今日は鑑識役も兼ねろ。
使った設備と順番を全部覚えとけ」
理緒は「それなら分かる」と小さく頷いた。
最初にやるのは湊たちだった。
通路の真ん中には、実習用の赤い投影で「崩落危険」の範囲が示されている。
その向こうに黄色いダミー人形。
神崎が壁の退避灯を見て、小さく言う。
「この灯り、昨日のやつと似てる」
「同じ世代の公共安全格子だと思う」
湊は床の誘導線を見ながら答えた。
「ただし、昨日みたいに勝手に外へ逃がすのは駄目だ。今日は見えてる設備だけ使えって言われてる」
神崎は腕を組む。
「じゃあ、どうする」
そこで湊は、昨日までの自分ならしなかったことをした。
すぐに式盤へ向かわず、神崎に先に見せる。
「これ、通路の設備配置」
式盤に簡単な図を出す。
床の誘導線。
左右の退避灯。
天井レール。
この三つが、最初から通路に埋め込まれている補助層だ。
「中核はどこに置くの」
神崎が聞く。
「今回は人形の頭上じゃない。ここ」
湊は通路の中央より少し手前を指した。
「ここを中核にして、床線で荷重を受ける。
右側の退避灯で熱を切る。
左側の灯りは非常時の予備。
片方が死んでも、もう片方だけで最低限持つようにする」
神崎は図を見たまま言う。
「昨日の“中核だけ見てくれればいい”とは違う説明だね」
少しだけ刺のある言い方だったが、前よりは建設的だ。
「今日は止める条件も見せる」
湊はそう言って、式盤の停止条件欄を開く。
「ここ。
一、灯り二系統が両方落ちたら停止。
二、床線の荷重が規定以上なら停止。
三、人形が安全圏へ出たら停止。
この三つ」
神崎はそれを黙って見たあと、頷く。
「分かった。
それなら、何を持ってるか分かる」
その一言で、立花がわずかに目を細めた。
聞いていたのだろう。
「開始」
湊が骨格を組み、神崎が流す。
床の青い線が強く光る。
中央の一点に薄い支点が立ち、右側の退避灯が熱を切る。
通路は細いが明瞭だ。
神崎が人形を抱えて走る。
半分まで来たところで、右側の退避灯が一瞬だけ明滅した。
規格不一致。
昨日、理緒が言っていた単語が、湊の頭に走る。
古い公共格子と新しい教材ライブラリの噛み合わせが悪い。
そのせいで、灯りの応答が一拍遅れた。
「右が死ぬ!」
神崎の声が飛ぶ。
湊は反射で新しい枝を足しかけた。
だが今日は、勝手に見えない設備へ潜ってはいけない。
立花も見ている。
天城も見ている。
ここでまた昨日と同じ「その場の最適解」に飛びつけば、前へ進まない。
湊は声で先に言った。
「左の予備に切り替える!
神崎、三歩だけ速度落として!」
神崎は迷わなかった。
右の灯りが落ちる寸前、湊は最初から図に入れていた左の退避灯へ補助を切り替える。
見えている設備の中だけで、予備系へ渡す。
通路の右側の熱が少し漏れる。
それでも中核は落ちない。
神崎は速度を抑えて人形を運び切り、安全圏へ出た瞬間、湊は停止条件三つ目を使って術式を畳んだ。
通路に静けさが戻る。
「成功」
立花が言う。
「時間内。負傷判定なし。
使った設備も規定内」
湊はそこで初めて、息を吐いた。
神崎が人形を置き、こちらを見る。
「今の、勝手に新しい逃がし先を作らなかったね」
「作れたけど、今日は駄目だから」
「……それでも持った」
「最初に予備を入れてたから」
神崎はそこで少しだけ笑った。
昨日までの反発ではなく、ちゃんと分かった時の顔だった。
「最初から見せてもらえると、私も持ち方を選べるんだね」
その言い方に、湊は少しだけ言葉を失う。
たったそれだけのことを、自分は昨日までしていなかった。
次は天城と理緒の番だった。
天城は、湊たちよりさらに手順どおりに組んだ。
見えている設備しか使わず、切り替えも口で明示する。
理緒は走らないが、どの灯りを使い、どこで切ったかを全部口に出して確認する。
「床線、起動確認」
「右灯、補助接続確認」
「停止条件一、二、三、確認」
湊はそれを見て気づく。
天城の強さは、個人の完成度だけではない。
誰が見ても同じ形で再現できることも含めて強いのだ。
実習が終わったあと、立花は全員を集めた。
「今日の課題は二つあった。
一つ、見えている設備の中だけで柔軟に組めるか。
もう一つ、相手に何を持たせてるかを言葉で共有できるか」
そこで神崎と湊を見る。
「昨日よりは、少し進んだ」
神崎が小さく言う。
「少しだけですけどね」
「最初はそのくらいでいい」
立花はあっさり返す。
その時、理緒が端末を見たまま手を挙げた。
「先生」
「何だ」
「今の右灯の明滅、保守ログ上の応答遅延と一致してます。
それと、同じ規格不一致の警告が校内の別区画でも出てる」
ホールの空気が少し変わる。
立花が表情を消した。
「どこだ」
理緒は端末を数回操作して、画面を見せる。
「北棟避難回廊。
それと、学校の外ですが――」
一拍置いてから続けた。
「東央駅の地下連絡通路にも、同じ世代の格子と同じ更新遅延があります」
神崎が聞き返す。
「駅?」
理緒は頷く。
「公共設備の公開保守情報に出てる。
学校と同じ業者の組み合わせ。
同じ規格不一致が起きる条件が揃ってる」
湊の背中に冷たいものが走る。
学校の実習設備だけなら、まだ学校の問題で済む。
だが駅は違う。
毎日、大勢の人間が通る。
天城がその画面を見て、初めて明確に顔色を変えた。
「その情報、確かか」
「公開保守ログだから、少なくとも偽装ではない」
理緒は言う。
「ただ、どこまで危険かまでは分からない。
現場の応答ログがないから」
立花がすぐに動いた。
「この話はここで止めるな。
理緒、その画面を俺と黒瀬先生に転送。
天城、お前は境界保安科の教員へ報告。
白瀬と神崎は――」
そこで一瞬だけ言葉を切る。
「次の補講まで、今日使った設備図を整理して持ってこい。
学校の外の話に首を突っ込むには、まず足元を自分で説明できるようになれ」
その指示は、冷たく見えて実は筋が通っていた。
今の湊たちは、まだ何かを“知ってしまっただけ”の学生だ。
動く前に、自分たちの足場を言葉にしなければならない。
神崎が小さく舌打ちしかけ、でも飲み込む。
「……分かりました」
天城はもう教員室の方へ向かっている。
理緒は理緒で、端末を抱えたまま転送準備を始めていた。
湊だけが、一瞬その場に立ち尽くした。
学校の中の事故だと思っていた。
自分がやったのは、一つの魔法を止めるための応急処置だと思っていた。
でも今、話は駅へ伸びた。
大勢が使う場所。
もし同じ綻びがそこで起きたら、昨日の比では済まない。
そしてその綻びは、神崎灯の削り方だけでも、学校の設備だけでもない。
魔法を社会へ流す仕組みそのものの問題だった。
神崎が隣で言う。
「白瀬」
「何」
「今度は、間に合わない前に見つけたい」
その言い方は、昨日までの彼女とは少し違った。
無茶を通したいのではない。
間に合う形で助けたいのだ。
湊は少しだけ間を置いて、答えた。
「……そのために設計するんだろ」
神崎は短く頷いた。
それが、二人が初めて同じ方向を見た瞬間だった。




