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政治家は、その場に立ち尽くしていた。
風は、まだ吹いていた。
しかし、それはもう、外から来るものではなかった。
胸の内側で、何かが動いていた。
それは、長い間、触れないようにしていた感覚だった。
「あなたは、なぜ政治家になったのですか。」
ポール・ラッシュが、静かに尋ねた。
責める声ではなかった。
確かめる声だった。
政治家は、すぐには答えられなかった。
多くの答えが浮かび、
そして、すべてが消えた。
選挙。
派閥。
支援者。
議席。
役職。
どれも、本当の答えではないと、自分でわかっていた。
やがて、彼は、小さく言った。
「……国を、良くしたかったのです。」
その言葉は、驚くほど弱かった。
しかし、それは、嘘ではなかった。
コンラッド・ヒルトンは、わずかにうなずいた。
「それで十分です。」
政治家は顔を上げた。
「十分……ですか?」
ヒルトンは答えた。
「はい。」
「大切なのは、完璧な理由ではありません。」
「本物の理由です。」
彼は続けた。
「人は、途中で多くのものを失います。」
「忙しさの中で。
責任の中で。
恐れの中で。」
「しかし、最初の理由を、完全に失った人間は、
もう、一流の仕事は出来ません。」
政治家の胸の奥で、何かがほどけ始めていた。
忘れていた景色が、浮かんだ。
初めて選挙に出た日のこと。
誰も聞いていなくても、駅前に立ち続けた日々。
一人の老人が、足を止めて言った。
「頑張ってください。」
その一言が、どれほど嬉しかったか。
あのとき、自分は、何も持っていなかった。
だが、確かに、何かを持っていた。
ラッシュが言った。
「一流とは、地位ではありません。」
「状態です。」
政治家は、その言葉を繰り返した。
「……状態。」
「はい。」
「毎日、正しい方向に向いている状態です。」
「間違えないことではありません。」
「間違えたときに、戻ることが出来る状態です。」
風が、静かに通り抜けた。
それは、もはや、冷たい風ではなかった。
政治家は、初めて理解した。
風は、敵ではなかった。
風は、罰ではなかった。
風は、
「まだ間に合う」
という合図だった。
ヒルトンは、最後に言った。
「国を一流にする方法は、一つしかありません。」
「一人ひとりが、自分の仕事を、一流にすることです。」
ラッシュも、続けた。
「政治家も、例外ではありません。」
「むしろ、最初に始めなければならない人です。」
夜が、少しずつ明け始めていた。
東の空が、わずかに明るくなっていた。
政治家は、ゆっくりと息を吸った。
そして、初めて、自分の足で立っている感覚を取り戻した。
風は、まだ吹いていた。
しかし今、彼は、その風を読むことが出来た。
それは、終わりの風ではなかった。
始まりの風だった。




