第6話 奇跡のいらない場所
王城を出たその日から、リシェルは王都の片隅にある空き修道院を借り受けた。
正式な許可も、十分な資金もない。
あるのは、わずかな私財と、聖女の肩書きを失った元回復職という事実だけ。
「本気なのか」
修道院の中庭で、エルマーが問う。
石造りの建物は古く、屋根の一部は崩れている。井戸はあるが、水は濁っている。
「ここを拠点にするのか」
「ええ」
「戦えなくなった兵を集める?」
「戦えなくなった人、です」
リシェルは言い直す。
兵ではなく、人。
それが最初の線引きだった。
翌日、アベルがやってきた。
胸の包帯はまだ厚い。
「……本当に、ここで働いていいんですか」
「働くのではありません。まずは休養です」
「でも、何もしないのは」
「では、水を汲んでください」
井戸を指す。
アベルは一瞬きょとんとし、やがて笑った。
「それなら、できます」
小さな仕事。
だが、それでいい。
数日後、噂を聞きつけた帰還兵が一人、また一人と訪れる。
脚を失った者。
視力を大きく損なった者。
震えが止まらない者。
皆、共通しているのは。
戦えなくなった、ということ。
「聖女様がいるなら、元通りに――」
そう期待する者もいる。
リシェルは首を振る。
「ここでは、奇跡は使いません」
ざわめきが起こる。
「なぜだ」
「あなた方を、再び戦場へ戻すための回復はしない」
静かに、はっきりと告げる。
「ここは、戦うための場所ではありません」
困惑と、怒りと、安堵が入り混じる。
エルマーが一歩前に出る。
「俺は右腕を失った。聖女は戻さなかった」
義肢を軽く叩く。
「戻せないからだ。だが俺は生きている」
視線が集まる。
「戦えなくなったから終わりじゃない。戦えないまま生きる方法を探す」
その言葉に、何人かが俯いた。
リシェルは続ける。
「外科と薬草学を取り入れます。段階的な回復と、機能訓練を行う。奇跡で瞬時に治すのではなく、時間をかけて身体を慣らす」
「そんな悠長な」
「悠長でいいのです」
戦場の速度とは違う時間。
それをここに作る。
数週間が過ぎる。
修道院は少しずつ整えられていく。
井戸の水は浄化され、簡易の処置室ができ、寝台が並ぶ。
アベルは水汲みから始まり、包帯の洗浄を覚え、やがて簡単な消毒を手伝うようになる。
「俺、手が震えなくなってきました」
そう言って、自分の指を見せる。
戦場の夜を思い出すと止まらなかった震えが、少しずつ収まっている。
「よく眠れていますか」
「まだ夢は見ます。でも……ここでは、起きても怒鳴り声がしない」
リシェルは小さく頷く。
奇跡は使っていない。
だが、確かに回復は進んでいる。
ある日、軍務卿の使者が現れた。
「王都内で無許可の医療行為を行っていると通報があった」
冷たい声。
「聖女の称号を失った者が、回復術を使うことは禁じられている」
「ここでは致命傷の肩代わりはしていません」
「だが適性は残っている」
「適性は奪えません」
使者は眉をひそめる。
「王家の庇護がない以上、いつでも閉鎖できる」
「それでも構いません」
リシェルは答える。
「その場合、行き場を失うのは彼らです」
中庭で、アベルが井戸から水を汲んでいる。
脚を引きずる兵が、木材を運んでいる。
震えのあった男が、静かに椅子を削っている。
奇跡の光はない。
だが、確かな動きがある。
使者はしばらく沈黙し、やがて去った。
その夜、エルマーが言う。
「圧力は強まる」
「ええ」
「それでも続けるか」
「続けます」
迷いはなかった。
「ここは、奇跡のいらない場所です」
リシェルは空を見上げる。
王城の塔が遠くに見える。
あそこでは、今も数字が並び、成功率が議論されているのだろう。
だがここには、別の秤がある。
生きているかどうか。
眠れるかどうか。
笑えるかどうか。
アベルが駆け寄ってくる。
「聖女様……あ、違う。リシェル先生」
照れくさそうに言い直す。
その呼び方に、胸の奥が静かに温かくなる。
「井戸水、きれいになりました」
「ありがとうございます」
彼は少し誇らしげに笑う。
戦えなくなった少年が、水を守る。
それでいい。
戦場を延命する奇跡ではなく。
生き延びた者が、生きるための時間を。
リシェルはゆっくりと息を吸う。
胸はまだ痛む。
だがその痛みは、誰かの未来と繋がっている。
奇跡はいらない。
必要なのは、続けることだ。
小さな灯が、確かに灯り始めていた。
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