第5話 聖女ではなく
王城の会議室は、前回よりも人数が多かった。
軍務卿に加え、財務卿、教会代表としてロザリア大司教の姿もある。
リシェルが入室すると、視線が一斉に集まった。
値踏みするような、測るような目。
成功率という名の秤が、ここにはある。
「リシェル」
レオンハルトが口を開く。
「昨夜の件は聞いている。無断で重傷兵を回復したそうだな」
「目の前に患者がいましたので」
「戦地常駐停止は決定事項だ」
「王都であれば、回復してよいのですか」
淡々と問う。
軍務卿が眉をひそめる。
「問題はそこではない。君の身体への負荷だ」
ロザリア大司教が静かに言う。
「聖女とは、神より与えられた奇跡の器。器が損なわれれば、国は祝福を失う」
器。
リシェルはその言葉を反芻する。
「私は器ではありません」
「では何だと?」
「回復職です」
場がざわめく。
「奇跡ではなく、技術です。肩代わりの術式は体系化可能です」
軍務卿が冷笑する。
「体系化? あれは選ばれた者のみが扱える神秘だ」
「違います」
はっきりと言い切る。
「適性は必要ですが、理論は共有できます。負荷を分散させる仕組みを作れば、一人が削れる必要はありません」
レオンハルトの目が細まる。
「分散、だと」
「複数術者による同時展開。外科との併用。致命傷を即座に完全修復するのではなく、安定化させる段階的処置」
戦場で考え続けたこと。
アベルの二度目の重傷が、決定打だった。
「奇跡を一点集中させるから、戦争は延命するのです」
室内が静まり返る。
「……どういう意味だ」
王子の声が低くなる。
「致命傷が即座に全快するから、兵は再び戦場へ戻る。戻れるから、戦は続く」
軍務卿が机を叩く。
「それが悪いと言うのか!」
「善悪ではありません」
リシェルはまっすぐに言う。
「構造の話です」
ロザリアが目を細める。
「聖女が戦を否定するのか」
「私は戦を肯定も否定もしていません。ただ」
一瞬、息を吸う。
「私は、戦う以外の道を作りたい」
レオンハルトがゆっくりと立ち上がる。
「……君は、何を言っているのかわかっているのか」
「はい」
「聖女の役目は、国を守ることだ」
「命を守ることです」
「同じだ」
「違います」
言葉がぶつかる。
「国を守るために命を使うのか、命を守るために国を変えるのか」
沈黙。
王子の瞳に、かすかな怒りが灯る。
「理想論だ」
「現実を見ています」
「現実は、隣国が侵攻していることだ」
「その現実の中で、アベルは二度傷つきました」
名を出した瞬間、場の空気が変わる。
「彼はもう戦えません」
「それは不運だ」
「不運ではありません。構造です」
王子が机に手をつく。
「君は、聖女としての自覚を失っている」
その言葉は、宣告に近い。
リシェルはゆっくりと、左手の指輪に触れた。
王家の紋章が刻まれた婚約指輪。
「……自覚なら、あります」
指輪を外す。
小さな金属音が、やけに大きく響いた。
「私は、聖女ではありません」
机の上に、指輪を置く。
「回復職です」
室内が凍りつく。
軍務卿が立ち上がりかける。
「無礼だぞ!」
だがレオンハルトが手で制した。
長い沈黙。
王子は指輪を見つめる。
「……婚約の解消を、自ら望むということか」
「はい」
声は震えていない。
「象徴として守られるより、現場で傷つく方を選びます」
「それは、国を捨てるという意味だ」
「いいえ」
リシェルは首を振る。
「国を、変えたいのです」
王子の瞳が、わずかに揺れる。
かつて共に語った未来。
だが今、見ている景色は違う。
「……好きにしろ」
やがて、王子は低く言った。
「だがその代わり、王家の庇護は失う」
「承知しています」
「資金も、人員も、保証しない」
「自分で集めます」
ロザリアが冷ややかに言う。
「奇跡を失った女に、誰がついてくると?」
リシェルは答えない。
だが脳裏には、アベルの言葉が浮かぶ。
――戦えなくても、何か役に立てますか。
役割は、戦うことだけではない。
それを証明する。
会議室を出ると、エルマーが壁際に立っていた。
「……やったな」
「ええ」
「後悔は」
「ありません」
腹も、胸も、痛む。
だが不思議と、心は静かだった。
聖女の肩書きを失った。
王妃になる未来も、消えた。
代わりに残ったのは。
問いと、意志。
「エルマー」
「何だ」
「戦えなくなった兵の居場所を、作ります」
彼はしばらく黙り、やがて小さく笑った。
「なら、俺が最初の入所者だな」
王城の外に出る。
王都の空は、どこまでも青い。
リシェルは深く息を吸う。
胸が痛む。
それでも。
私は、命を延命するためではなく。
生き延びた者が、生きられる場所を作るために。
一歩を踏み出した。




