第17話 延命を拒む
北方戦線から、再び急報が届いた。
隣国が総攻勢に出たという。
要塞の一つが陥落寸前。
王城は緊迫していた。
「敵将が前線に出ている」
軍務卿が言う。
「これを討てば戦況は一変する」
だがそのためには、負傷した我が軍の主力部隊長を即時復帰させる必要がある。
担架が王城内の臨時医療室へ運び込まれる。
胸部深くの損傷。
完全回復すれば、数時間で前線に立てる。
全員の視線がリシェルに向く。
「これは戦略的案件だ」
軍務卿の声は低い。
「全快させれば、敵将を討てる可能性が高い」
王子は沈黙している。
カトリーナは地図を見つめている。
「……成功率は」
カトリーナが問う。
「七割」
軍医が答える。
全快させれば、戦況は逆転するかもしれない。
だが戻れば、彼はまた最前線に立つ。
そして。
次は、助けられないかもしれない。
負傷した部隊長が目を開ける。
「……状況は」
「総攻勢です」
カトリーナが答える。
男は苦笑する。
「なら、戻らねばな」
リシェルは彼の胸に手を置く。
魔力を巡らせる。
完全修復は可能だ。
代償は重い。
そして制度は揺らぐ。
全快を一度許せば、前例になる。
沈黙が続く。
「先生」
部隊長が言う。
「あなたの噂は聞いている」
かすれた声。
「戻さない聖女だと」
リシェルは答えない。
「私は戻りたい」
正直な言葉。
「兵が待っている」
視線が集まる。
「だが」
男は続ける。
「戻れば、あなたの制度は壊れるか」
問い。
リシェルは静かに言う。
「揺らぎます」
「……なら、段階回復でいい」
室内が凍る。
「私は後方から指揮を執る」
「それでは間に合わん!」
軍務卿が叫ぶ。
「間に合わせる」
部隊長は笑う。
「奇跡がなくても、戦はできると証明しよう」
カトリーナの瞳が揺れる。
リシェルは決断する。
光を広げる。
致命傷を閉じる。
だが筋力と体力は戻さない。
立ち上がることはできる。
だが走れない。
「これが限界です」
部隊長はゆっくりと起き上がる。
「十分だ」
軍務卿は怒りを隠せない。
「これで負ければ、貴様の責任だ!」
「はい」
リシェルは受け止める。
部隊長は後方指揮所へ送られる。
数時間後。
報告が届く。
敵将は討てなかった。
だが総攻勢は退けた。
壊滅は免れた。
王城に重い空気が流れる。
「決定打を逃した」
軍務卿が呟く。
「だが崩れなかった」
カトリーナが静かに言う。
王子が立ち上がる。
「今回の判断は、医療指針に沿う」
短い宣言。
「全快は例外とする」
ロザリアが顔をしかめる。
「奇跡を縛るのか」
「奇跡に縛られないために」
王子は答える。
夜。
リシェルは医療院の屋上に立つ。
遠くで、かすかな歓声が上がっている。
勝利ではない。
生存の歓声だ。
カトリーナが隣に立つ。
「敵将は逃げた」
「ええ」
「全快させれば討てたかもしれない」
「かもしれません」
沈黙。
「だが」
カトリーナは続ける。
「部隊長は生きている」
「はい」
「……私はまだ、あなたを完全には肯定できない」
「それでいい」
リシェルは微笑む。
「私も、あなたを否定しません」
夜風が吹く。
延命を拒む。
それは勝利を拒むことではない。
だが劇的な逆転も拒む。
ゆっくりと、確実に。
奇跡を特権から制度へ。
その歩みは、派手ではない。
だが確実に、国を変えている。
胸の痛みが強くなる。
削れた分だけ、未来がある。
リシェルは目を閉じる。
延命は、拒んだ。
だが命は守った。
その重さを抱えたまま。
彼女は立ち続ける。




