チャラ男vs薄い異世界 うぇーいオーク君見てるー?君が好きな姫騎士様と聖女様は俺の隣にいるよー
ち、違うんです……この指が勝手にタイトルと本文を……!
「うぇーい。あれが宮殿船かー。すげーじゃん……つーか船?」
実に品のない青年がニヤついた表情で、海に浮かぶ超巨大船を眺めている。
常人を大きく超える背丈に、やたらと筋肉質で厚みがある体。
元は黒髪だったのを金髪に染めているのだが、手入れをする時間が無かったのか根元の方は元の黒を取り戻している。
目元は前髪で隠れ表情を窺うことは出来ないものの、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている男の目など誰も気にしないだろう。
服は質素な白シャツとズボン。胸元を大きくはだけているせいで褐色の胸筋が垣間見え、短い袖からは血管の浮いた太い腕が露わになっていた。
総じて述べると、一般の人間がお近づきになりたくないタイプの青年で、どこぞの裏路地で犯罪を行なっていたらしい。という噂が流れると、誰もが信じてしまう雰囲気を醸し出していた。
そんな青年が眺めていたのは、船という名前が付いているだけの水に浮かぶ宮殿だ。
真っ白な外壁は汚れ一つなく太陽を反射し、複数の塔が天に聳えている城とも表現出来るそれが、どうやって浮いているのだろうか。
作るのにどれだけの費用が発生したのか。恐らく内装も凄まじいに違いない。
青年の脳に疑問が浮かんでは消え、間近で眺めたいという欲求が強くなる。
そんな青年に水夫が話しかける。
「着きましたぜ」
「ありがとねー。父ちゃん母ちゃんによろしくー」
「そのぉ、本当におひとりでいいんですかい?」
「いいのいいの。男が一匹、別の土地で生きていく時は郷に入っては郷に従えさ。この服だって合わせてるっしょ?」
「へえ……まあ、そういう考えは嫌いじゃねえですが」
逞しい水夫が、大荷物を背負っている青年と話をするが長く続かない。
一方の青年も複雑な話をするつもりはないようで、自分が乗っていた木造船から降りると、久方ぶりの陸地の感触を確かめる。
「笑顔よし。服装よし。荷物よし。しゅっぱーつ」
両手の人差し指で口角を確かめ、身の回りの物もチェックした青年が歩き出す。なお、良しと判断した笑顔は相変わらず品のないニヤニヤ笑いだ。
彼の目的地は定まっているようで、迷いのない足取りで港を歩き、猟師や水夫、住人たちとすれ違い……。
「なんだアイツ?」
「随分とガラの悪い……」
「どこの生まれだ?」
荒い港の住人すら戸惑う品のない笑みを振りまいた。
「さて……あの人にするか。すいませーん」
あまりにもチャラチャラとした雰囲気を印象付けた青年は、超巨大な宮殿船に近寄ると、係員らしき人間を見つけて話しかける。
「陰一陽世……多分、カゲイチ家のヨウセイって名前で乗船登録されてる筈の者ですー」
「カゲイチ家のヨウセイ……東国の人間か?」
「よりもっと東の東極国の生まれっす」
「ふむ……あった。あったが……うん? 獣の名が不記載?」
チャラチャラした男が陰一陽世。ヨウセイを名乗ると、役人らしき者は聞きなれない名から、独自の文化を築いている東国の生まれかと判断したが、彼の生まれは最も東に位置する島国だった。
そして役人は宮殿船に乗る最も重要な項目が半分しか埋まってないことに疑問を覚え、記載ミスかと首を傾げた。
従門、もしくは獣門と呼ばれる奇跡がこの世界には存在する。
上位なる神がか弱き下位なる人を憐れみ、金属の獣を与える奇跡は、それを受け取る資格が現れる。
最も分かりやすいのは左右の手の甲で輝くまん丸い紋様だ。
この紋様があれば神に選ばれた特権階級として認められ、宮殿船に乗り込み世界各地の王族に面会する宗教的儀式に参加することになる。
ただ、何事のも例外があるものだ。
ヨウセイが従える筈の金属獣の名が無いというなら、つまりはそういうことである。
「いやあ、うんともすんとも反応しなくてですね。契約してる獣はいないんすよ」
「なに?」
へらへら笑うヨウセイの言葉で役人の顔が一変する。
従門の儀式を執り行ったのに契約する獣が現れなかったと言うことは、それ即ち神から見放されたという明確な証だ。
それだけでどんな生まれだろうが嫌悪の象徴となり、関わるに値しない汚物となり果てる。
尤も制度の欠陥というべきか、神に選ばれた証を持ちながらも神から見放されたという、矛盾を想定していなかった古代の人間は、宮殿船に付属する行事に例外を策定していなかった。そしてぽつぽつと例外が発生する頃には、古代の単なる行事は聖務や聖典と化し、下手に弄れない代物になり果てていた。
結果、ヨウセイのような汚物は仕方なく宮殿船に乗せられ、肩身が随分と狭い思いをしながら各地を旅することになる。
「それでなんすけど、船に入れます?」
「追放者め。早く来すぎだ。まだまだ日にちが必要だから、大人しく向こうの宿泊所に籠ってろ」
「うーっす。じゃあ失礼しまーす」
神から見放された者達の総称、追放者と呼ばれたヨウセイは気にすることなく、宮殿船から少し離れた場所に荷物を降ろした。
チャラ男はどこへ行っても世間から摘まみ出されるのが宿命なのだ。
「あー。いい感じに焼けそう。服を脱ぎてえなー。うん?」
それから暫く。
港町の日光を浴びていたチャラ男が、海からやって来る大型船に気が付いて視線を向ける。
「うぇ、うぇーい……常識のない馬鹿を自認してたけど、思った以上に世間知らずだったかなあ」
品のないヨウセイが頬を引きつらせるのも無理はない。
果たして大型船という表現は正しいのだろうか。少なくとも一応帆船の形をしているくせに、マストが何故か樹木なら、船というカテゴリーに含めていいのかも怪しい。
ヨウセイの疑問は港で働く水夫たちも同じだった。
「いつも思うけど、あれでどうやって動くんだよ……」
「木から発せられる魔力がどうのこうの……」
「エルフの美的感覚はさっぱり分からん」
あの類の船を何度か見たことがある水夫たちでも、マストが樹木なのは慣れないらしく、口々に理解できない物体について語り合っていた。
「すいませーん。お話聞こえちゃったんですけど、あれってエルフの船なんですか?」
「あん?」
ヨウセイが手の紋様を見せないように話しかけると、水夫たちはいぶかしげな表情を浮かべたが、追い払う仕草は見せなかった。
「そうだよ。森に棲んでて、耳が尖ってるあのエルフさ」
「目玉はなんと言ってもレガリア獣持ちの姉妹姫だな」
「姫騎士って呼ばれてる姉が馬に使う拍車。聖女って呼ばれてる妹が王笏らしい」
「なんでも超美人らしいぞ」
「ほへー。そうなんすねー。ありがとうございますー」
ヨウセイは次から次へと飛び出してくる情報の内、レガリア獣だの、拍車に王笏だのは理解できていない様子だったが、最重要のことに関しては極まったニヤニヤ笑いを披露した。
恐らく姫騎士と聖女の姉妹で、超美人という項目に反応したのだろう。
森に住む不老長寿の民、エルフは誇り高い種族であると同時に凄まじい美形で知られており、かつてはその美貌を巡り悪徳が絡みついたこともあった。
今のヨウセイの面はエルフを売り飛ばそうとした者達と同じようなもので、彼の品性の無さが伺えるだろう。
「エルフかぁ。こりゃ一目見ておかないとなぁ」
下品を通り越して下劣な顔となったヨウセイは、エルフ達が下船すると思わしき場所に歩き始め、似たようなことを考えた者達の中に混ざる。
いつの世も美しさは一つの強さであり、人を惹きつける最も重要な要素だ。それを見ようとするのは当然の真理で、人々が群がるのも無理はない。
ただ、外の美しさと中が必ずしも一致しないことには、理解しておくべき事柄だ。
「わお」
言葉通りの木造船から出てきたのは、評判に相応しい者達の集団だ。
全員が金髪碧眼。チャラ男の無理に染めたけばけばしい髪色ではなく、天然の金を溶かし込んだような髪。日に焼けたことが無いと思わせる白い肌。
なにより男女を問わない美しさ。
「おおぉ……」
衆人たちからも感嘆のため息が漏れ、気性の荒い水夫たちも大人しく見届ける。
そして登場するのはエルフだけではなく、金属で構成された獅子や猛禽など、獣の王や空の覇者が堂々とした姿を見せつけ、百獣が闊歩する偉大な光景が作られる。
その威容は、なるほど。獣を所持していないことを理由に、扱いが悪くなるのも納得出来る力強さだ。
「おおおっ!」
群衆のどよめきが最高潮に達した。
世に名高きエルフの姉妹、姫騎士と聖女が現れたのだ。
「あれが妹姫の聖女、セリア様らしい」
まず群衆の注目は姉を差し置いて妹エルフ、セリアに向かった。
美貌という点では勝るとも劣らない姉妹だが、たった一点の違いが明確な勝者と敗者を生み出していた。
姉姫もそこそことはいえ、妹姫の方が胸部装甲の性能において圧倒的と表現するのも生温い水準で勝者なのだ。
しかも垂れ目な青い瞳は無垢で親しみやすさを感じさせ、腰まで流れる長い髪は柔らかさを醸し出している。
ついでに口元には薄っすらと微笑みも湛えているため、酒場に行った日には迷惑な男たちが群がって、延々と自慢話を聞かされるような雰囲気だ。
「レガリア従門、王笏蛇……」
学者のような群衆が熱心にセリアの持つ長い杖、王笏に熱い視線を送っている。
白の王笏は女性として平均的なセリアの背丈ほどもあり、それに巻き付く様にやはり白の金属蛇が絡みつき、唯一赤い瞳だけが爛々と輝いていた。
世に従門数あれど、最も名高きは王権の力を宿した金属生物、レガリア従門である。
その中の一つ、王笏蛇をエルフ王族の妹姫が持っているのだから、計り知れない権威を彼女に齎していた。
「あっちは姉姫、姫騎士エルフのアレイナ様だ」
なぜ姫なのに騎士なのか。それは薄い異世界においても永遠の謎だが、とにかくその称号を持っているエルフが馬上で人々の視線を集める。
肩甲骨の辺りまで金髪が揺れている彼女は、青い瞳が中々に鋭い。もしくは気が強そうと表現出来る形で、気の弱い人間なら近づけない気高さを醸し出している。
妹姫がなんでも受け入れそうな白いキャンバスなら、姉姫の方は汚れを許さない漂白の純白だ。悪を決して許さないと伝わる姫騎士の称号が相応しい女性と言えるだろう。
「レガリア従門、拍車馬……」
再び学者のような人間が呟く。
馬上にいるアレイナだが、正確にはユニコーンを模した白い金属馬に乗り、彼女の踵には馬を刺激して合図をする拍車の丸い突起が白く輝いている。
レガリア従門の一つ、拍車馬はアレイナに金属ユニコーンの愛馬を提供して、姫騎士の名に相応しい存在にしていた。
「へえー。姫騎士様と聖女様ねー。さて、俺も宿泊所に行こうか」
世界の美を集めた光景はヨウセイも目撃しており、彼は気色悪いニヤニヤ顔を浮かべたまま、通り過ぎていくエルフの集団を見送ってその後を付いていく。
管理が面倒なので従門所持者の宿泊所は一か所に定められており、ヨウセイとエルフたちの目的地は同じだった。
尤も今宿泊所に行けば、大勢のエルフたちで混雑するのが間違いないので、ヨウセイは物珍しいものが沢山ある港町をじっくり見ながら歩いていた。
「えーっと、ここが宿泊所かな? 何でもかんでもデカいなあ。まあ、デッカいのはいいこった。内装もすげえし」
それから暫く。
大荷物を抱えたヨウセイは巨大な宿泊所に辿り着くと、内装に感嘆しながら中に入る。
流石は神に選ばれた者たちの宿泊所。壁や天井、絨毯のみならず細々とした机まで、高級感に溢れており、チャラ男は完全に場違いだった。
「すいませーん。宿泊所に行けと教わったんですがー。多分、カゲイチ家のヨウセイで登録されてますー」
「カゲイチ家のヨウセイ様……はい、確認が……うん? 従門が……」
「いないんで不記載なんすよ。追放者ってやつです」
港と同じやり取りをすると案の定だ。
係員は途端にヨウセイを汚物とみなして嫌悪に満ちた表情となったが、港と違うのはギャラリーが多くいたことだ。
「追放者だと?」
「なぜこんなところに追放者がいる」
「ふざけるな。早くここから出て行け!」
とある事情で近くの森に向かうエルフの若者たちが、口々に神に見放されたヨウセイを罵る。
「おいおい。追放者と同じ寝床とか冗談じゃないぞ」
「うげぇ……」
「来るなよ……まさか宮殿船にも乗るつもりか?」
それだけではない。通常の人間種ながら従門を持っている者たちも顔を顰めて、追放者と同じ空間にいたくないと文句を言い始める。
「いやあ、仲良くやりましょうよ。特に変なことはしませんから」
「口を開くな!」
「とっとと失せろ!」
「追放者が!」
頭一つ分は高い背丈だろうが、シャツを押し上げる筋骨隆々だろうが、獣を従えていない一点で汚物として完成しているヨウセイは、間違いなく世界にとっての追放者だろう。
「追放者を入れる訳にはいきません」
「うぇ、うぇーい」
管理側としても、宗教的制約で縛られている宮殿船ならともかく、それとは無縁な宿泊所全体からの文句など対応できない。
よってヨウセイは追い出され、とぼとぼと消えて行った。
ここで視点を姫騎士エルフ、アレイナに移そう。
(妙なのがいたわね……)
凛々しきアレイナは宿泊所の部屋で、今までの人生で経験したことがないほど、露骨な笑みを浮かべていた男を思い出す。
逞しい水夫よりも頭一つ抜けて背が高かった男の目元は見えなかったが、それでも下品を極めていたニヤニヤ笑いはよく見え、酷く印象に残る羽目になっていた。
「姉様、早くいきましょう」
「セリア」
記憶にある品の無さとは正反対の、無垢でポワポワした笑みを浮かべる妹セリアに、木の強そうなアレイナは姉らしい穏やかな表情を浮かべる。
「そうね」
「はい!」
アレイナの同意を得たセリアが大きく頷く。
基本的に森で生活するエルフは、人が拓いた街にあまり馴染めない。そのため従門として集められたかつてのエルフは、近くの森に祭壇を築いて祈ることにした。
伝統は今も続いており、アレイナとセリアを含めたエルフたちは、森の祭壇に向かうつもりだった。
「安全は?」
「問題ないとのことです」
「なら行きましょう」
「はい姫様」
アレイナが自身の身の回りの世話をしてくれるメイドに尋ねると、既に役人から確認を取っていたらしく、即座に答えが返って来た。
こうしてエルフの女性陣は森の祭壇に向かうことになったが、点数を稼ぎたい男性エルフがこのイベントを放っておくはずもないし、なんなら伝統の一部と言えた。
「我々がお守りしますのでどうかご安心ください!」
魔物蔓延る荒野のつもりなのか。
港町に近い森に行くだけなのに、大勢のエルフの青年たちが集まり、その道中の安全を宣言しているではないか。
実は宮殿船に付属する行事は、一種のお見合いや俗な表現をすると婚活を兼ねており、男たちは女性陣に自分の優秀さをアピールする場でもあった。
そして内面や性格、相性というのは人間が生み出した最近の概念であり、最も長く尊ばれてきた生物の根本は、強く逞しいという本能だ。
若いエルフの青年たちは胸を張って港町を行進し……そこにいた馬鹿に唖然とした。
「ぐが……」
祭壇近くで寝転がっている。否。熟睡しているのは褐色肌、金髪擬きの大男。
涎を垂らして寝息を立て、シャツをはだけて腹をぼりぼりと掻く醜態は、貞淑さと気品を求められるエルフにすれば未知のものだ。
さしもの姫騎士アレイナと、どこか天然気味な聖女セリアのみならず、エルフ全員がポカンと固まってしまう。
「おい! 起きろ!」
「……うぇ、うぇい?」
我に返ったエルフが、祭壇近くで眠っているチャラチャラした男、ヨウセイの脇腹を軽く蹴って無理やり起こす。
すると彼は首を傾げて上体を起こし、あー。これはやっちまったかなと言わんばかりの雰囲気を醸し出した。
「貴様、我々の祭壇で何をしていた!」
「いやあ、すんげえ雰囲気いいところ見つけちゃって、そのまま爆睡してたんですけど、色々マズかったすかね?」
「当たり前だ! エルフの祭壇や神殿に人間如きが侵入するなど、許されることではない!」
「ありゃぁ……」
青筋を浮かべて怒るエルフの説明で、不法侵入者ヨウセイは大事になっていることを自覚する。
基本的に人よりも上位を自認するエルフは、下位の人がテリトリーに入ってくることを極端に嫌う傾向にあり、排他的な行動を見せることが多々ある。
今回もまさにそれが当てはまるし、なによりまだ悪材料があった。
「追放者だ!」
「なに⁉」
「追放者が祭壇に⁉」
宿泊所でも悪目立ちしたヨウセイを覚えていたエルフが、彼を追放者だと断言したことで、比較的温厚なエルフたちも怒り始めた。
ただでさえ人間がエルフの祭壇に近寄っているのに、それが神から見放された追放者ともなれば不遜の重ね掛けであり、許せるものではなかった。
ただ、いつの世も空気を読めない天然というものが存在する。
「どうされたのです?」
「セリア様、お下がりください!」
世の穢れを知らないような無垢の聖女、セリアが騒ぎの原因を見ようと集団の先頭に出ると、慌ててお付きの侍女たちが引き留めようとした。
「どうもー名前の方はカゲイチ家のヨウセイっすー」
「エルフ王家、二の姫セリアですー」
「あ、これはご丁寧に」
「貴様! セリア様になんだその無礼は!」
世を舐め腐ったニヤケ面のヨウセイが自己紹介すると、彼の語尾伸ばしに合わせたセリアがちょこんと頭を下げて名乗った。
そして敬意に欠けすぎるヨウセイの態度にエルフたちが腹を立てたことで、このまま男連中と妹に任せても事態が解決しないと思ったアレイナが一歩前に出た。
「ヨウセイ。ここにいる理由はさっき言った通りですか? 宿泊所はどうなっています?」
「うっす。宿泊所は、まあ、これですから。普通の宿も利用できなくて野宿っすね」
「姉様、ヨウセイさんがお風邪をひいてしまいます」
アレイナはある程度の事情を察してはいたものの、一応確認をすれば案の定だ。
これに純真なセリアが心を痛め、どうにか出来ないかと姉に訴えたが、実のところエルフが住まう国内ならともかく、国外での権限はほぼ皆無に等しい。
「宮殿船に乗り込む資格のある人間が野宿しようとしていることに、私たちの名で憂慮していると伝えておきましょう。それ以上は難しいですが、恐らく何とかなる筈です」
「アレイナ様⁉」
「おやめください!」
アレイナが提案すると、周囲のエルフ全員が絶叫した。
姫騎士に政治の才能はなく、人としての才能はあった。
流石に見つけ次第殺すほどの扱いではないものの、追放者は明確な汚物だ。その汚物にエルフ王家の一員が配慮を示すのは政治的な失点に近く、不必要な行いと言ってすらよかった。
ただ、宮殿船に乗り込む資格が一応ある者が野宿するのも外聞が悪く、その点を含めるとアレイナの判断は、正しくはないが正しい判断という複雑なものだった。
「マジっすか! いやあ、雨降ったら荷物がヤバいと思ってたんで助かります! 一宿一飯の御恩は忘れないので、なにかあったら死ぬ気でお助けしますよ!」
「はいはい」
ぴょんと飛び跳ねたヨウセイが、まるで心に響かないおべっかを口にすると、その類の言葉を聞き飽きているアレイナが適当に流す。
命を懸けてという言葉ほどあてにならない言葉はそう多くなく、それはエルフの国でも同じらしい。
ついでに述べると、別に一宿一飯を提供するのはアレイナではなく宿泊所の係員だ。
「よかったですねヨウセイさん」
「セリアちゃんもありがとうございますねー! なんかピンチなことがあったら、鬼門だろうが地獄門だろうがまたぶっ潰してお助けしますからー。いやまあ、二つの穴を同時に塞ぐのは流石の俺っちでもめんどくさかったですけど、恩人のためならどこへでもいきますともー」
「はい、分かりましたー……?」
「さっきから貴様の態度はなんだ!」
「お二人はエルフ王家の姫君なのだぞ!」
「皆さんどうしたのです?」
「セ、セリア様?」
セリアは行き倒れそうなチャラ男が、屋根の下で眠れそうなことを無邪気に喜ぶと、相変わらず礼儀など欠片も感じない口調が返ってくる。
これには他のエルフたちは我慢の限界だったが、こてんと首を傾げるセリアは違う意見を持ったらしい。
「ヨウセイさんはきちんとお礼を言ってくれてますよ?」
裏表のないセリアに、姉のアレイナが少々困る。
これはセリアが度を越した天然という訳ではなく、エルフ種の根本的な生態が深く関わっていた。
ただでさえエルフは不老長寿な上、王家の人間ともなれば平気で千年以上は生きる。そのため感覚や感性が、人間種どころか通常のエルフとも大きくかけ離れており、長女として育ったアレイナはかなりの常識を持っていたが、次女のセリアは良くも悪くもエルフ王家の一員に相応しい感性をしていた。
「それじゃあ自分はこれでー。夕方くらいにまた宿泊所に行ってみますー」
そんなエルフたちの事情を気にしてないチャラ男は、ここにいてはいけない。後で宿泊所に話を付けてくれる。この二点だけを理解して軽い足取りで去っていく。
「セリア様、あのような追放者の言葉を信じるのはおやめください!」
「追放者がセリア様を守るなどあり得ません!」
「それは我々の使命なのです!」
「そうなのですね」
一方、残されたエルフは追放者に怒りの眼差しを向けたり、セリアの思い違いを正そうとする者など様々だ。
彼らにすれば、姉妹姫を守るのは自分達の役目であり、追放者の宣言を信じるようなセリアの言動は許容できるものではなかった。
「祭壇の前ですよ。心を落ち着けなさい」
「はっ……」
その騒ぎもアレイナが窘めたことで多少は落ち着いたが、それでもエルフたちには不満が燻っている。
(荷が重い……)
ただ当のアレイナも似たようなものだ。
レガリア獣、拍車馬所持者の姫騎士と称えられようが、エルフの中で彼女は小娘でしかない。
一応、王家としての教育を受けているが、レガリア所持者というだけで称えられ、一行の最高責任者のように振舞うのは明確な負担だった。
(誰かに……いえ、駄目よアレイナ。しっかりしなさい)
本当は誰かに寄りかかりたい。頼りになる人物がいて欲しい。アレイナはそういった弱い部分があることを自覚しているが、責任感から邪念を打ち消し祭壇に祈る。
本来、真摯に祈らなければならない祭壇では、様々な雑念が渦巻いていた。
では次に、エルフの青年たちの視点でこの事態を見てみよう。
(追放者如きが!)
勿論、はらわたが煮えくり返っていた。
何千年も生きるエルフなのだから、世界を見渡してもこれに匹敵する国はほぼほぼ皆無で、彼らかすればその生まれは最も尊いものだ。
なのに馬の骨どころか、追放者如きが姫騎士と聖女に話しかけ、しかも敬意が欠片もない態度だったのだから、彼らが怒り心頭になるのも無理はない。
ただ一点、結局のところ途中過程は別として権威の成立自体は、最も強いこん棒を振り回した者に宿る、酷く原始的なものということを忘れていたが。
あるいは野蛮として目を瞑っているか。
それはさておき、夕方を過ぎて本当にヨウセイが宿泊所を訪れ自分の部屋を確保すると、エルフの青年たちは彼を囲った。
「なぜいる追放者!」
「アレイナ様とセリア様にご迷惑をおかけしているのだぞ!」
「遠慮するべきだろうが!」
エルフの青年たちは狼や猛禽などの従門を唸らせて、宿泊所に入れたヨウセイを脅す。
約束通り姫騎士と聖女が、宮殿船に乗り込む人物が野宿するのは、体面を損なうと働きかけたため、宿泊所は一応の正論を受け入れざるを得なかった。
しかしエルフたちにすればヨウセイは、分を弁えず姉妹姫の手を煩わせ、しかも辞退して気を回さない汚物に等しい。
「基本的に表出ませんから、勘弁してくれませんかねー?」
「貴様!」
その上、ヨウセイの態度は変わらずお約束のニヤニヤ笑いだから、とことん空気が読めないことも合わさって火に油を注いだ。
注いだが、脅し以外に具体的な手段はない。
流石に追放者と言えども、従門を噛み付かせると普通に傷害で、宮殿船に乗り込む前になんらかの不利益を被ることは十分考えられる。
だからヨウセイが部屋から出ないのなら、それが現実的な落としどころではあった。
「まあ、アレイナちゃんとセリアちゃんになにかあったら、すっ飛んでいくって約束したんで、基本的には。っすけど」
「っ!」
こればかりは、エルフたちの手が出なかったのが奇跡だろう。
ヨウセイの言葉は曲解しなくても、姉妹姫を守れない貧弱エルフがなにか喚いてるわ。と言ってるようなもので、時代が時代なら決闘騒ぎになっていただろう。
ただ、決闘が起こらないのも問題だった。
「殺されたいのか!」
「何を言う!」
エルフたちは喚くものの直接的な行動を起こさない。
森に住み、人間種が行う争いを野蛮な行いだと嘲笑しながら生きてきたエルフは、直接的な暴力から遠ざかって久しく、いざ鉄火場に直面するとそれを回避する傾向にある。
その傲慢に振舞っても、荒事に対して芯が通ってない有様は、姫騎士と聖女の護衛を名乗るには頼りなく、ヨウセイが一応の断りを入れるのも仕方なかった。
「それじゃあ俺はこれでー」
このまま話していても堂々巡りをするだけだと思ったのか、ヨウセイは部屋に引っ込み出てこなくなる。
本番は宮殿船に乗って各地を巡ることなのに、始まる前からこれでは話にならない。
さて、話は変わるが港町の管理者たちもかなり平和ボケをしている。
何百年も続いた儀式で死人が出るような大事件は起きておらず、最早惰性に感じている者も少なからずいた。
その適当さは、エルフの祭壇の件でよく表れており、ヨウセイは誰かに咎められることなく、本来は衛兵がいる筈の場所すら素通りして寝転がっていた程だ。
何が言いたいかというと、時間は獅子を怠惰な豚に変えるし、千回やって九百九十九回大丈夫だったなら、千回目も絶対に大丈夫だからと気を緩めるのが人間という種の癖だった。
そして平和だからと守りの予算を減らした後、でこぼこの穴が全てを崩してから人はこう叫ぶのだ。どうして今回に限って?と。
最初は行われていた森の巡回が絶えて久しい。
次の日の朝。エルフたちは再び森に赴き、祭壇へ向かっていた。
それだけ信仰心がある。と言えればよかったのだが、長い伝統は若者がぶーぶと文句を垂れても変わるものではなく、これもまた惰性の一環だ。
だからここ数百年と同じように祈って、同じように街へ戻り、同じようにまた明日を迎える。
筈だった。
「これはいったい?」
祈っていたエルフたちは、突然森がざわめき始めたことを感知すると、警戒するように周囲を見渡し一塊になる。
答えは直ぐに訪れた。
「プギイイイイイイイ!」
「オークだと⁉」
突然祭壇に乱入した怪物たち。
一応ながら四肢があって二足歩行している人型。身の丈はエルフの頭三つは上。体に至ってはエルフが四、五人抱き合っても足りない横幅。
灰色の皮膚は分厚い脂肪に覆われ、頭部は正気を失った豚を無理矢理くっ付けたかのような生物。
広くオークとして知られる怪物は見た目通りの怪力と耐久性を持ち合わせ、人だろうがなんでも食らう悪食だ。
しかしなにより恐れられている。もしくは嫌悪されるのは、こんな見た目でも分類上は人やエルフの近縁種で、交配が可能なことだろう。その上更に美的感覚も似ているのか、美女を見つけると目の色を変えて襲い掛かる習性があった。
総じて述べると文化圏で許容できない生態のオークは、侍女に至るまで美少女、美女しかないエルフを見つけて完全に理性を失い、涎を垂らして突進した。
その数、三十と少し。並みの剣や槍を弾き返し、逆にこん棒の一撃は鎧騎士の中身を潰す膂力を兼ね揃えている生物の集団など、通常なら絶望する光景だろう。
生憎とこの場にいるのは神に選ばれた者たちだ。
「行け!」
「頼むぞウルフ!」
「お願い!」
エルフの命令で狼、獅子、猛禽、猪や鹿など、多種多様な金属の獣が駆け、オークに襲い掛かる。
「グオオオ!」
「プギイイイイイ!」
獣の雄叫びとオークの叫びが交差する。
鋭すぎる獣たちの牙は、オークの分厚い脂肪すら食い千切り、猛禽は目を狙い、猪や鹿の突進は巨体すら吹き飛ばす。
流石は神に選ばれた者たちの獣。人やエルフが敵わないオークと互角以上の戦いを見せ、醜悪なる怪物を追い詰めていく。
「プギャアアアアアア!」
だがオークも負けていない。
異様な怪力でこん棒を振り回すと獣たちを吹き飛ばし、その中には頭が砕けたり、四肢が拉げた獣がいた。
「癒しよ!」
清らかな光が獣たちを包むと、砕けていた彼らの金属が修復して再び立ち上がる。
原因は聖女セリアが持つレガリア、王笏蛇だ。
再生と不滅の象徴たる蛇は、聖女に相応しい力をセリアに与え、人体だけではなく従門すらも癒すことが出来た。
ただ力は立派でも、荒事に対する免疫がない彼女の眼にはうっすらと涙が浮かび、明らかな怯えを見せていた。
「プギャアアアアア!」
しかも飛び抜けた美少女で、体の起伏が激しすぎるセリアにオークたちは興奮してしまい、群がる従門を弾きながら近寄ろうとする。
「近寄るな!」
決定打に欠けていたエルフたちから、質量という暴力が解き放たれた。
常人を遥かに超えるオークよりもなお巨体のユニコーンがアレイナを乗せて突っ込むと、それだけでオークたちは抵抗できず吹き飛び、あちこちの骨が折れる。
(つ、使い方が分からない!)
ただ勇ましい声を発したアレイナも妹と同じく混乱し切っており、ユニコーンに付属している姫騎士らしい白い槍の使い方が分からず、戦い方は乗馬に任せっきりだった。
実戦経験があるエルフなど世界全体を見ても数えるほどしかいないため、彼らがなんとか戦えているのは全て従門のお陰だ。
「なんとか……なったかしら……?」
それから少々。
ユニコーンの突撃。蛇の癒し。その他様々な従門の攻撃で全てのオークが息絶え、馬上のアレイナがほっと息を吐く。
「はああああああ……まったく……」
その時、嘲笑うような。それでいて嘆くような奇妙なため息が漏れた。
「オーク、弱い。弱すぎる……オークの母胎、不要……別種の母胎、必要」
姿も奇妙だ。
ブツブツ呟きながら、のっそりと森から出てきたのは一見するとオークだが、目や口、鼻、耳などからどこか人間らしさを感じられ、皮膚の色も灰色ではなく人の体色に近い。
それこそオークと人間の要素を半分ずつ抽出し、無理矢理合成すればこうなるのではと思わせる姿だ。
「達成者⁉ いや、異端者か!」
エルフの口から日常では使わない二つの単語が飛び出す。
従門と一体化し、半人半獣の更なる高みに至った人間は達成者と呼ばれ尊ばれる。だが必ずしも善人だけが達成者に至れるわけではなく、中には邪な儀式で正当な手順を踏まず、半人半獣と化すものがいる。
そういった存在は異端者と呼ばれており、追放者とは比較にならない悪徳の象徴だ。
「雄、いらない。食う。殺す。雌、母体。必要」
異端者が見つけ次第殺される理由が浮き出ている。
ただでさえ邪法に関わると理性の箍が外れてしまうのに、獣の要素が加わるのだから、その精神状態は正気に程遠い。
事実、オーク擬きは不必要な青年たちを食料としか捉えておらず、女性に対してはもっと酷い考えを抱いていた。
「舐めるなよ!」
勿論、黙ってやられるエルフではない。
従門たちが一斉に襲い掛かり、ふざけたことを抜かすオーク擬きを屠ろうとした。
「か、感覚遮断」
それはオーク擬きの一言で潰えた。
従門たちが爪と牙を突き立ててもオーク擬きは無傷で、鹿や猪に体当たりされても物理法則を無視したかのように不動だ。
「我が権能、感覚遮断。世界にとっての感覚を遮断する」
オーク擬きの言っている理屈を理解できなかったエルフたちだが、権能という言葉にはぎょっとする。
達成者や異端者の中でも、更に限られた存在は権能と称することが出来る特殊な力を宿すことがあり、その力は凡百の存在を歯牙にもかけない強力さを誇る。
オーク擬きはその権能、感覚遮断をどうこねくり回したのか、自身だけではなく世界の感覚すらも遮断して現実を拒否し、己を保つことが可能になったらしい。
無茶苦茶である。
「はあああああ!」
ただし、レガリア従門はどうだろう。
偉大なる王権の名を冠するユニコーンがアレイナを乗せたまま突進し、渾身の体当たりを敢行した。
が。
「むだぁ」
「そ、そんな⁉」
「アレイナ様⁉」
無意味。無駄。
ニタニタと笑うオーク擬きは小動もせず、逆にユニコーンごとアレイナは大きく弾き飛ばされ、エルフの集団の前で倒れ伏す。
「感覚遮断」
「なっ⁉」
「あ、足が⁉」
「これはいったい⁉」
「足が動かない!」
アレイナを救出しようとしたエルフたちは、突然足が動かなくなり地面に頭から突っ込んだ。
エルフも、アレイナも、セリアも例外ではなく、従門に至っては全身が麻痺したかのように全く動かない。
「感覚遮断、相手にも有効」
ご親切なことにオーク擬きが原因を教えてくれた。
エルフたちは下半身の感覚を遮断されたことで歩けなくなり、従門との繋がりを完全に断たれてしまったのだ。
「い、癒しよ! 癒しよ!」
「その程度、無駄。でも、癒しの力、欲しい」
聖女セリアがこの理不尽を治そうと試みたが、王笏蛇との繋がりが遮断されている彼女は単なるエルフに過ぎず、その全てが無駄に終わる。
しかもオーク擬きは先程の使い捨ての駒とエルフたちが戦う様子を観察していたようで、癒しの力をセリアの使い道をあれこれと考えていた。
「癒しの力を持つオーク。増やす」
「え? え? い、いやぁ……」
オーク擬きの言葉と付属する手法について全く理解できなかったセリアだが、下卑た笑みからとにかく不幸が訪れることは分かった。
「雄は昼飯と保存食。雌は連れ帰る」
「プギイイイ!」
「プギャアアア!」
「ひいいいい⁉」
「いやだああああ!」
しかもまだ森から複数のオークがやって来て、とてもとても簡単な作業を行なおうとする。
これにエルフたちは耐えられず地面を這って逃げようとするが、当然逃げ切れるはずもない。
「セ、セリアだけは! どうか!」
唯一、アレイナだけはセリアを庇うため妹に覆い被さるが、ニヤついているオーク擬きがそれを許す筈がないのは明らかだ。
「俺に、キスする。考えてやっても、いい」
「あ、ひ……」
いや、性格がとことん悪い。
考えてやってもいいと宣うオーク擬きだが、口走った目的を考えると反故するに決まっている。
決まっているが、アレイナの立場ではそれに縋るしかない。彼女の目から涙がこぼれ……。
「俺っちの熱いのをお求め?」
とことん空気を読めない。そして女性と男性が重なり合う瞬間か、決定的な弱みの場面に必ず立ち会う宿命的存在が声をかけた。
「でもお客さん、困りますよ。当店はお触り禁止っす」
いったいどこからやって来たのか。なぜ誰も気が付かなかったのか。
エルフとオークたちの間で奇妙な変態が声を発した。
上半身裸。下半身はヒョウ柄のボクサーパンツだけ。
誰がどう見ても街中で見かけたら衛兵に通報し、即座に詰所に連行されるだろう。いや、逞しい者が多い港町でも暫くは呆然とするかもしれない。
筋が浮き過ぎている腕の筋肉群。これでもかと盛り上がった大胸筋。脇腹をボコボコにしている前鋸筋。異様に割れている腹筋。膨れ上がって血管が押し潰されそうな大腿四頭筋。岩でもくっ付けているのかと思われそうなふくらはぎ。
その全てが奇跡的なバランスで人体を構成しており、星々すらも思わず見惚れてしまいそうな究極の肉体が現れた。
異常極まる肉体は細いエルフや肥満のオークにはないもので、エルフの女性陣の中には今の状況を忘れて思わず目を伏せたり、手で顔を覆っている者までいる程だ。
「いやあ、部屋の窓から太陽が見えたんで肌焼いてたら、なんかビビットきてこのまま来ちゃったんすよ。流石にこの状況で意図的に服脱ぐ趣味はないんで勘弁してください」
飄々と話す変態。チャラ男ことヨウセイが歩くと、エルフたちは疑問しか浮かび上がっていないのに、オークは気圧されたように一歩下がる。
「うぇーい。オーク君さぁ。女の子の麗しい関係の間に男が入るなって教わらなかった? 俺は画凶マジマンジ大先生の戯画で、そういうのは結構詳しいんだよね。そんで大先生曰く、チャラチャラした男とは女の子との間に挟まる者らしいから、オーク君みたいなのと、女の子の間に挟まる必要がある訳だ。つまりこの状況ー」
先程までのオーク擬きとそう変わらない下品な笑みを浮かべるヨウセイは、重なり合っていたアレイナとセリアをそれぞれ器用に抱えると、少し離れたところに横たえた。
「なぜだ……!」
「うん? どしたん?」
「なぜ我が権能、感覚遮断、通じない! なぜ歩けている⁉」
オークたちが狼狽えているのは、支配者であるオーク擬きが焦りに焦っているからだ。
それもその筈。感覚遮断の権能は確かに効果を発揮しているのに、なぜかヨウセイはピンピンしていた。
「あーね。地元の穴から出てきた連中も言ってたよ。絶対ほにゃらら。因果律ほにゃらら。概念ほにゃらら。俺っち頭が悪いからさあ、碌に分かんねえんだよ。これの解釈はこうだから! とか言われてもねえ……大喜利のとんちは、聞く側の頭がよくねえと成立しねえから分かりやすくしてくれ! って言ったのに、それこそ誰も聞いちゃくれねえし。こんなチャラ男が概念とか理解出来ると思う?」
ヨウセイがオーク擬きの疑念をシンプルに、分かるか馬鹿! と一刀両断する。
傲慢。不遜。神の如き権能を受けていながら、自分に通用していない理屈を全く気にしていない。
「よし、じゃあヤろう」
お話の時間が終わり、本番への移行を求めるヨウセイが堂々と歩き、混乱するオークたちに接近する。
しかし、単なる人間がオークに近寄っていったいなんになるというのだ。
どうとでもできる。
「ッ⁉」
とりあえず襲ってきたオークのこん棒が、ヨウセイの頭に直撃した。
全身鎧を着用している人間でも、容易く叩き潰せる一撃を生身の人間が受けたのだから……。
無駄。無意味。
こん棒がバラバラの木くずになったのにヨウセイの笑みは変わらず、逆にそっとオークの腹に拳を添えただけで、巨大な怪物は絶命した。
瞬きの間に数万回のバイブレーションを行なった拳が、オークの内臓をぐちゃぐちゃにかき回し、液状化した衝撃でショック死したのだ。
「なにが⁉」
「プギ⁉」
それをエルフもオークも理解できず、彼らの視点ではヨウセイが手を添えただけで命を奪える、死神の手を持っているように見えた。
「貴様⁉ なぜここに⁉ どうして⁉」
焦ったオーク擬きが少しでも時間を稼ぐため話しかけると、律儀にヨウセイは答えるようだ。
「一宿一飯の恩返し」
端折り過ぎだったが、ヨウセイからすればそれで十分。
寝床と飯の恩を返すと宣言したのなら、彼の中でそれは絶対のルールなのだ。それに男が戦う理由としては上等の部類だとも思っていた。
「神よ! 神よ! お応えください! 我に力を授けたまえ!」
だがオーク擬きからすれば理解不能な理由でこの場にいる怪物に等しい。
自分の力が通じない上に、軽く殴っているだけで次々とオークの命を奪える存在を殺すため、超常の存在から力を引き出そうとした。
成功してしまった。
「お、おお、おおおお⁉」
オーク擬きの頭蓋骨がボコボコと音を立てて盛り上がり、肥大した脳に超常の知識が詰め込まれていくではないか。
「そうか! そうだったのか! 感覚遮断とは世界が認識している生物をも遮断できるのか! 命を奪えるどころか無かったことに出来るのか! これが! これが世界の感覚を遮断するということだったのかあああ!」
発音が怪しかったオーク擬きが流暢な言語を操り、無理矢理詰め込まれた世界を弄り回す術に歓喜する。
世界そのものが認知している感覚と、そこから繋がっている生物の間を極僅かでも遮断すれば、自己を保てない生物は星からいなくなるしかない。
そんな無茶苦茶で理屈にすらなっていない権能を手にしたオーク擬きは、あまりにも頭蓋骨が肥大し過ぎて立てなくなったことも気にせず、その力を全開で解き放つ。
最早エルフの身柄すら考慮していない権能は全方位に広がり、なぜかヨウセイだけに殺到した。
定点での視点……とでも表現するべきか。
オーク擬きとヨウセイしかいない視点はそれ以上広がれず、一種の封鎖空間を形成していた。
「浮気は酷くなーい? 俺だけを見てくれないとさー」
しかも感覚遮断の力をもろに浴び、世界から遮断されて消え去る筈のヨウセイがオーク擬きを煽る。
「な、なにをしたああああああ⁉」
「大先生の作品から表現を借りるなら、陰気と陽気が混ざって俺が中心……みたいな?」
立ち上がれず絶叫するオーク擬きに、至高が我が身こそ全ての中心点だと宣言するものの、こちらも理屈になっていない。
「ひっ⁉ ひいっぃい⁉」
掠れた叫びがオーク擬きから漏れた。
霊核が無理に拡張され、今まで見えなかった世界の現象がその眼を通して脳に伝わってしまったらしい。
外に答えを求め続けた人々にとっての盲点。
己こそがそう。
肉体こそがそれ。
人こそが答え。
そうあれかし。
ではない。
事実そうなのだ。
天の神は応えない。海の未知に答えなどない。なにより回りくどい。
天を見上げ、海を覗き込んで人から外れた者たちよ、振り返れ。
四肢を持ち、立ち上がり、道具を得て、科学を突き詰め、文化を創造したその御業。その道のり!
なにより概念を生み出し定義した権能!
態々横道に逸れ、上位を自称する虫や獣に跪かなくとも、人は既に無類の存在なのだ!
「うぇーい。そろそろ終わろうぜー」
真の上位なる者にして万物の霊長、即ち人類がオーク擬きを掴んで持ち上げ、強制的に視線を合わせた。
「ひぎゃあああああああああああ⁉」
物理的な痛覚ではなく、霊的な激痛でオーク擬きが暴れ回る。
まさしく見てはいけない者だった。
ヨウセイの股間がこれでもかと光り輝いている。その輝きは何人たりとも崩せぬ基盤であり、世界を構成する中心とすら言ってよかった。
まだだった。
正確に述べると脊柱の基底部と股間がそれぞれ輝いていた。
まだだ。
臍が輝いている。
まだまだ。
胸が輝いている。
まだまだまだ。
喉が輝いている。
眉間も輝いている。
なによりよりにもよって第七。
登頂が輝いている。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!」
チャラチャラした男に宿る七つの輝きが、霊的に拡張されたオーク擬きの目を、脳を焼き焦がす。
「遮断! 遮断んんん! 世界からダメージを遮断! 理を遮断! 概念を遮断んんんんんんんんん!」
「あのよ、だからそんな小難しいこと言われても分かんねえからさ、もっとシンプルに二、三区切りで纏めてくれね? 例えばさ」
もがき苦しむオーク擬きが滅茶苦茶な権能を行使するが、殆ど理解できていないヨウセイが持論を展開する。
最強とは即ち基礎性能。
もっと言えば。
「デカくて硬いのが強い。そうだろ?」
「た、た、たぁい⁉」
「俺のぶ厚いキス、受けてくれや」
質量だ。
ヨウセイの単なる頭突きがオーク擬きに迫る中、オーク擬きはまた余計なものを見てしまった。
正中線の七つの輝き。その背後。
混ざり合う白と黒の大渦。
陰と陽。
故に全てを押し潰す。
ぐしゃり……と。
「ひょっとしておつむの方は俺の出来が良かったかな」
邪魔する概念を薄紙以下に貶め、頭突きを叩き込んだヨウセイは、自分の頭が強いのだからオーク擬きより賢いのかなと冗談を口にし、頭部が爆散した死体を地面に放り投げた。
「怪我無いっすかエルフのみなさーん。フルパワーオロチでも出てこない限りはダイジョブなんで安心してくださいねー。お?」
気楽な口調でヨウセイがエルフの様子を確認すると、大慌てでやって来る一団の姿が遠くから確認出来た。
目的はオークに襲われたエルフたちの救援ではない。
そもそも事件のことを知らない彼らの目的はただ一つ。
「あー……うーん……ひっじょーに申し訳ないんすけど、街中をこれで突っ走ったものんですから、口添えお願いできません?」
「わ、分かりました。その、助けていただいて誠にありがとうございます」
「いえいえー。言ったでしょ? なにかピンチなことがあったら助けに行きますって。ね?」
ほぼ裸で港町を突っ走った上で、エルフの祭壇に向かった不審者を捕まようとしている衛兵への取り直しをヨウセイが頼むと、まだ事態を飲み込めていないアレイナがなんとか頷いて礼をした。
「さーて……父ちゃん母ちゃんに、オタクの息子さんは素っ裸で走ってましたよって伝わるのだけは阻止しないと……」
このチャラ男にも羞恥心はあったらしいが、事件の終わりはなんとも締まらない呟きだった。
それから数日。
ヨウセイは色々あって港を満喫し、市場に顔を出すこともあった。
「あ、ヨウセイさーん」
「うぇーい。セリアちゃんおはよー」
この日もヨウセイが市場を歩いていると、事件以来酷く懐いたセリアが笑みを浮かべトテトテと走りより、彼と同じものを観察する。
「アレイナちゃんもおはよー」
「おはようござい、ごほん。おはようヨウセイ」
次に後ろからアレイナも近寄ったが、公的な立場での礼が済んだ後に、ヨウセイから硬すぎる口調をしなくていいとお願いされたため、若干言葉遣いが変になっていた。
「これは……お船ですか?」
「そうそう。俺ってばかっこいい人形とかこういうのが好きでねー。それに絵のついた本の戯画も好きだしいい感じの服着て変身するのも趣味なんだ。まあそのせいで大荷物だけどやめられなくてねー」
首を傾げたセリアの視線の先には、帆船を模した木彫りの置物が存在し、すぐ隣にいる殿方はこういったものが好みなのだろうかと考えた。
それにヨウセイは一息で答えた。
早い。早すぎる。
言葉の内容こそ普通だがべらべらと舌が回って声が上ずり、明らかに落ち着きを無くしている。
「どうしたの?」
アレイナは冷静さを無くしているヨウセイに疑問を覚えたが、その答えはかなり予想外なものだった。
「よくよく考えると女の子が傍にいる状態で買い物したことがないのでこの場合どうしたらいいかさっぱり分かりません。はい」
またヨウセイは早口で答える。
つまり、緊急時ではない状態や必要な案件以外で、女性との交流が著しく欠けているため、どうしたらいいか分からないらしい。
これにはアレイナとセリアは顔を見合わせるが、本当にチャラ男は焦っていた。
幼少期からの女友達もいるにはいるが、逆を言えば付き合いのない異性に対する接し方に難があり、ついでに人との距離感が上手く掴めずやたらと馴れ馴れしい態度しか取れない。
更にこの時代、人形を集めたり絵のついた本を楽しむ男は一般的と言い難く、世間的には理解されない趣味だ。
異なる次元に住まう者たちならこう評してくれるだろう。
チャラ男ぶってるオタク趣味の、陽キャなのか陰キャなのかはっきりしない馬鹿だと。
「うぇ、うぇーい」
自分では場を和ます笑みのつもりで、下品なニヤニヤ笑いを浮かべる男の人生は、中々に複雑怪奇なものになりそうだった。
拙作において今年の最高傑作かも……面白かったと思ってくださったら、下の☆で評価していただけるとめちゃんこ嬉しいです!
……………。
ふう……ナニ書いてるんでしょうね(*'ω'*)【正気に戻る】
でも薄い用語&チャラ男と神羅万象的バトルの相性が良かったとは、宇宙的電波で脳が肥大化する前は気付かなかった。
なお風呂入ってたらまた宇宙的電波を拾って、うぇいうぇい言ってる奴は、自分が上位存在だから気を付けろって、親切にも警告してくれてるんじゃね?と思いました。【感想文】
本文で邪推した人は、年末も近いことですし僕と一緒に除夜の鐘を聞いて煩悩を打ち払いましょう!
あと、気が向いたらちゃんとした続編書くつもりっす。




