サンタクロースの憂鬱
どれほどの人間がこの日を待ち望んだろうか。
どれほどの子供が良い子のフリをしたろうか。
どれほどの願いが欲望が渦巻いているだろうか。
今日はクリスマスの前日だ。
一年で一番、人々がワクワクと胸を躍らせる日だ。
そして、サンタクロースも胸をドキドキさせていた。
一年で唯一の勤務日であり、激務が確定している今日この日を……
緊張とプレッシャーで吐きそうになりながら迎えた。
「ヤバイヤバイヤバイッ! 全然寝れない。今日の夕方には出勤しないといけないのに、夜に備えて体を休めてないといけないのに! ゼンッゼン、寝れない!!」
朝日を浴びて、適度に運動して、栄養に気を付けた適量の食事を取って、40℃の風呂に10分浸かって、ストレッチして、ハーブティーを飲みながら読書して、ラベンダーのアロマオイルを部屋に焚いて、外干ししたお日様の匂いが残る温かなベッドの中で目を閉じた。完璧だった。これ以上ないほど睡眠に気を使った生活を送った。
――だと言うのに!
目を閉じてから一向に睡魔が訪れてくれない。意識がバリバリある。何なら冴えてるぐらいだ。いつもならウトウト舟を漕ぎながらゲームしている時間だ。これが平素であればどれほど喜んだろうか。
――だが今日じゃない!
羊を数えた。頭の中では羊が柵を越えていく。千匹超えた辺りで諦めた。メエメエ五月蠅くて頭が壊れそうになった。
寝返りを打った。寝る姿勢が悪いのだと好い場所を探した。いつもの寝方を思い返して頭を抱えたくなった。寝落ちしている記憶しかなかったからだ。衣擦れ音が気になって余計に寝れなくなった。
睡眠導入剤……は無いからお酒の力を借りた。深酒すればぐっすり眠れるだろうと踏んだ。その結果、吐いた。後に残ったのは気持ち悪さだけだった。最悪。
遂に、朝になってしまった。
小鳥が囀り、カーテンの隙間から陽光が差し込む。
寝れないまま、朝を迎えてしまった。
今の状態、私上最高に最悪だ。
ベストバッドだ。
「今から寝れる気がしない。もう完徹するか。二徹なんて何度もしてきたし……うん、行ける。あははは、もうなんでもやってらぁ!」
毛布を払いのけて体を起こす。天を見上げ拳を掲げて強く握る。
――そして……昼前に寝落ちした。
「ンガッ?! ね、寝てた。今何時……イ゛ッ!!??」
時計の針が差した時刻は、出勤時間を過ぎていた。飛び上がるように起きて、そのまま家を出た。走る走る。それはもう全速力で走った。着の身着のまま走った。
曲がり角ではインを攻め、道行く人には声を掛けて道を開けてもらう。信号は避けて、近道を使った。細い横道を抜けた先、道路を挟んだ先に会社が見えた。後は目の前の信号が青になるのを待つだけだ。
荒い息を吐いて息を整える。それでも視線は信号に向けられている。早く早くと念を送る。今か今かと気持ちが急ぐ中、合図がした。
「君、ちょっといいかな」
肩を叩かれた。
吃驚して心臓が口から出るかと思った。信号はまだ赤である。何だ誰だとイラつき気味に振り返ると今度こそ心臓が口から出るかと思った。そこに居たのは二人組の男だった。知らない顔だ。しかし、着用している制服は知っている。その格好を意味する職業は――警察だった。
「い、今! とても急いでいて……仕事が終わった後でもいいですか? 明け方に終わるのでこ、交番に行きますので!」
チラチラと信号を確認しながらしどろもどろに話す。生まれてこの方警察に声を掛けられたことはない。そして、声を掛けられて好い気はしない。なんなら今は傍迷惑だと感じている。とにかく今は一秒でも時間が惜しかった。苦しい言い訳だと分かっていても、何の用件かも分からなくても、今この時この場所で時間を使うわけにはいかなかった。
それなのに、警察の顔色がどんどん厳しくなっていく。まるで上司みたいだなと思考が変な方向に行ってしまった時だった。
「そんな格好で仕事ですか? 詳しい話は署で聞こう。ご同行、願えますよね?」
固く冷たい視線。訝しむ声に肩に乗せられた手に力が込められた。指が食い込んで痛い。有無を言わさぬ問い掛けに怯え腰になる。その時、冷たい風が全身に突き刺さる。ぶるりと体を震えさせ……全身?
その時、すべてを悟った。今の格好を、普段の家での格好を。パンツ一丁。そう、パンイチだ。ブリーフ一枚しか身に付けていない。
だらだらと冷や汗が流れる。それが冷たい風に晒され体を冷やしていく。寒さを感じ始めるとたちまちそれしか考えられなくなった。手足が、いや全身が小刻みに震えている。どうして今まで忘れていたのか、感じなかったのか不思議なぐらいだ。鼻水が垂れて歯が嚙み合わない音が鳴る。
「さ、さむっ……た、助け……!」
助けを求めると哀れみの視線を向けながらもコートを貸してくれた。脱ぎたてホカホカで温かい。そして、両手に警察で警察署に連行された。
「申し訳ございません!!」
職質を終えて誤解も解け、無事解放された。親切に衣服を貸してくれた優しい警察さん方には感謝しかないが状況は深刻を極めた。大遅刻。説教だけで済めばいいが……いやそれも嫌だが、解雇でもされたら大変だ。サンタクロースの仕事は大変だがそれも一年で一日だけだ。その一日だけでも給料は破格。正社員なので福利厚生も充実し、毎月給料を受け取れる。これほど最高な仕事は他にないだろう。一年の殆どを遊んで暮らせるのだ、天職だろう。
「戯けがっ! 今日が何の日か知らないのか。仕事を軽んじているのか。仕事は遊びではない。サンタクロースの誇りがないのか。そんな体たらくで会社の評判を落とすつもりか」
会社に着き、部署の扉を開けると上司が腕を組んで待ち構えているのが目に入った。他のサンタクロースが注目している中、上司の前まで走るとすぐに頭を下げた。謝罪すると間もなく雷が落ちた。
頭を下げたままお叱りを受ける。顔を見てないのにお怒りだと分かる。指先が冷えて、体がビクつく。不規則になる呼吸が口から漏れないように固く噤む。倒れそうになる体を叱咤して、その場に留まる。
「クソッ! もうこんな時間じゃないか。おい、ボサっとするな。さっさと着替えて準備しろ。時間は待ってくれないんだ。有効に使え」
遅刻した己の非は棚に上げて、長々と説教した上司のせいではないかと心の中で愚痴る。口に出してないのに視線に鋭さが増した。体をちぢこませて、早足でロッカーに避難した。
「よお、災難だったな。お疲れサンタ」
軽口と背中を叩く同僚に非難の目を向ける。とてもそんな気分にはなれなかった。それが例え自分の過ちだとしても、キッパリ忘れてすぐに明るく振る舞えるほどデキタ人間じゃない。
付き合ってられないと無視して着替える。赤と白の制服に長いヒゲの付け鼻。恰幅のいい見た目でないといけないのでタオルやサラシを使って不自然にならないように誤魔化す。
肉体労働を動きずらい格好で行わせる鬼畜の所業。なんでサンタクロースのイメージは太ったオジチャンなんだ。マッチョだとそれはそれで大変だが、スレンダーサンタクロースが居てもいいではないか。
着替え終わった所で掲示板に向かう。そこに今日の担当場所が貼られているのだ。これが最も重要だ。死活問題だと言っても過言ではない。ほら、廊下には床に手をついて嘆くサンタクロースから諸手を挙げて喜んでるサンタクロースまで居る。
「うげぇ、南かぁ〜」
隣にいた同僚は先に見つけ、感想を零す。
懸念点の一つ目は北半球か南半球かだ。これによって移動手段が変わる。季節が違うからだ。北半球はそりに乗ってトナカイに引いてもらうので比較的楽だ。しかし夏季の南半球ではサーフィンになる。これがなかなか大変で、重たい袋を抱えながらバランスをとる必要がある。休憩出来ないし、暑いし、何より肩が凝る。翌日全身筋肉痛になったら辛い。
「に、日本だ〜」
ようやく自分の名前を見つけて、横に視線をずらす。書かれた国名に悲鳴をあげた。
懸念点の二つ目は国の特色だ。いわゆるお国柄と呼ばれるような部分。家の構造や国民の習慣、法の整備などが該当する。ここで一番ハズレなのが日本なのだ。日本人は働き者だ。それ故に睡眠時間が少ないのだ。クリスマスの前夜だと言うのにフラフラフラフラ外を彷徨いている。そのくせ防犯意識が高く、警備が厳重で侵入しづらいのだ。煙突のある家もほとんど無いし、夜は警察が巡回している場所まである。見つかる前に手早く終わらせなければ住居侵入罪で即逮捕だ。そうなれば情状酌量の余地なく解雇される。一発アウトだ。
ここアジア地区では日本における住居侵入罪による退職が最も多い。他の地区ではサンタクロースが射殺されたという情報を聞いた事がある。それに比べれば命あるだけマシだと言えるか。まあ、プレゼント目当てに大人が襲いかかってくる事があるので気を抜いてはいけない。
「今度は捕まらないようにガンバレガンバレ♪」
どうやらこの同僚は職質された事を知っているようだ。ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべている。イラッとしてその顔面に殴りかかる。余裕で躱された。チクショウ。
「よ、よろしくな」
紙を受け取り指定のそりに向かう。そこには繋がれた赤い鼻を付けられたトナカイが待機していた。実を言うとトナカイが、と言うより動物全般が苦手だ。だってコワイじゃん。普通に怖い。何考えてるか分からないし、突然攻撃してくるし、最悪殺される。デフォルメされた動物に可愛いとほざく人々に一つ言いたい、現実を見ろ。動物園に行ってはしゃぐ人々に一つ聞きたい、檻が無くても同じ反応が出来んのか。
「ひーふーみー……よし、全部あるな」
おっかなびっくりそりに近づいてすぐさま乗り込む。トナカイに触るなんて恐ろしや。凶器のツノで振り払われたら、手を噛みつかれたら、突進されたらと思うと近づく気になれない。いくら飼い慣らされていると言っても動物だ。警戒するに越したことはない。
袋の中のプレゼントを一つずつ確認する。これで間違いが発覚しても飛び立った後だとサンタクロースのせいにされるから今しっかり確認しないといけない。本当にサンタクロースに優しくない世界だ。
「各員配置に着いたな。では、速やかに業務を遂行せよ!」
時間ピッタシの開始の合図にサンタクロースが一斉に浮上する。ぶつからないように操作しながら一軒目の住宅地に向かう。今回は飛行機の経路と被らないからまだ安心出来る。
プレゼントの配達は結構難しい。まず配達場所に着いたら上空から周辺の様子を確認する。網戸をしていれば見えることはないが、カーテンだと少し不安が残る。路上を歩いている人が居たら論外だ。また、配達住宅の電気がついていたら絶望する。必ずしも起きているとは限らないが、警戒度は最大限に引き上げる必要がある。
確認したら屋根に降り立つ。手始めに子供の部屋の窓を確認する。ここで鍵がかかっていなければ一番楽なのだが、まあ可能性は低い。順に確認をしていき、全滅なら玄関から入る。もちろん開いていないのでピッチングの出番だ。静かに、でも急いで開ける。焦りが手元を狂わせる。寒さで手がかじかむのも焦りを増幅させる。
「よし……っ! ば、ばれてない?」
思わず漏れた声が思いの外大きくて焦る。両手で手を覆い息を潜める。ドックンドックンと頭に大きく響く心音が五月蝿い。しばらく待って、問題無いと判断したら中に入る。この瞬間は何回やっても慣れない。イケナイ事をしてるので慣れたくはないが。
(右良し。左良し。上良し)
汚さないように靴は手に持つ。玄関に置いたままだと見つかる可能性があるので注意が必要だ。立つ鳥跡を濁さず、だ。事この仕事に関しては何事も気にしすぎが一番だ。気を抜いたら一貫の終わりだからな。
「ッ!」
二階からドアが開く音がした。暗闇の中、目を凝らすと子供が眠気まなこで階下に降りてくる。ああああ大声出したぁー。気づいた親がやってくる気配。挟み撃ちだぁあああマズイ。
「どうしたの?」
「おしっこー」
二人が行ったのを確認して安堵の息を吐く。良かったーマジ焦ったー。運良くデッドスペースがあって助かった。本当、見つからなくて良かった。
今のうちに配達を終わらせる。この家は子供は二人いる。一人はさっきの男の子。もう一人は女の子だ。まず無人だと判明している男の子の部屋に入る。机の上に紙と靴下が置いてある。願い事が書かれた紙だ。靴下の中にプレゼントを突っ込む。彼が戻ってくる前に部屋を出る。
「っ……め、メリークリスマス!」
女の子の部屋に入ると目が合った。ジーッとこちらを見つめるつぶらな瞳。冷や汗が滝。声震えてないよな。てかどうしよう。良い子ならちゃんと寝てろよ。
「サンタさん?」
「ふふおっふぉっふぉ。そうじゃよ。良い子にしておった君にプレゼントを持ってきたのじゃ」
「わぁあ、ありがとう!」
手渡した後、笑顔で静かに後退る。女の子はプレゼントに夢中だ。ドアノブに手を掛けて、外の音を聞く。大丈夫と判断すると、風のように逃げるように家を出た。鍵をかけ直してそりに乗って上空に非難する。
「…………っはぁーーーー。死ぬかと思った」
盛大に息を吐く。もうヤダ、疲れた。一軒目で全神経使った。帰りたい。 温かいベッドに入って寝たい。
だがしかし、今日はまだ始まったばかりだ。プレゼントはまだまだある。
「終わったぁあーーーー!!」
空になった袋を掴んで両手を掲げる。場所はちゃんと上空に移動したそりの上だ。何とか時間までに配り終わることが出来たと安心感に脱力する。ちなみに一つでも配れなかった場合でも解雇されるので恐ろしや。サンタクロースも楽ではない。
一時はどうなる事かと思ったけれど終わってみればなんて事はない。夜中なのに起きてる子供や騒いでる酔っ払いに見つかっても通報されなきゃそれでいいのだ。もう宅配便みたいにピンポン押して渡して済めばいいのに。そしたらこんな犯罪まがいな行為しなくて済むのに。ああ、愚痴が止まらない。
「さあ帰ろう、早く帰ろう、とっとと帰ろう!」
空は明るくなり始めている。冬とはいえ日の出前のまだ暗い時分でも外に出る元気さんはいるのだ。空を飛んでるのを目撃されて写真撮られて拡散されたらたまったものではない。例え顔が見えなくてもどのサンタクロースか特定される。特定班は末恐ろしや。
「やあオッツオッツー。ど? 捕まらなかった?」
「捕まってたらここに居ねーわ」
同タイミングで帰ってきた同僚が冷やかしてくる。プレゼントがなくなって空になった袋を被って縦横無尽に回転している。アクロバティックだな。体力有り余ってるのか。こっちは心体共にヘトヘトなのに。
「うわっ、バカ! 危ねぇ前見ろ!!」
「前ぇ? 何も見えねーわはははは」
サーフボードが頭の上を掠る。調子乗んなと殴りたいが無駄にクルクル回っているので手を出す方が危険だ。呑気に笑ってるのもまた腹立たしい。手綱を引いて離れようとしたその時。
「あ」
「んぇ?」
トナカイのご自慢のツノにサーフボードが当たり、ポッキリ綺麗に欠けてしまった。それまで我関せずだったトナカイは途端に怒りを露わにする。そして――
「な、なんで俺が……ガクッ」
会社に着くや否や後ろ足が飛んできて、そりごと踏み潰された。加害者は無傷だ。巫山戯んな。謝っても許さねーぞ。
「トナカイに対する不当な扱い、及びそり損壊による請求書です。給料から引かせてもらいますのでご承知ください」
マジで許さん。なんで被害者が罰を食うんだよ。病院にだって行かなきゃなんねーのにこの出費は痛い。体も痛い。コンコンお説教もされて心も痛い。最悪だ。
しかもあの野郎さっさと帰りやがった。丁寧にロッカーに「お疲れサンタ!」って貼り紙を残して帰りやがった。達筆なのも腹立つ。怒り混じりに引き剥がして、破り捨てようとして手が止まる。裏にも文字が書いてあった。
「金の貸し借りは受け付けないブヒーって…………巫山戯んなぁああああああ!!!!!!!」
貸し借りも何も主犯は同僚だ。払うべきなのはアイツであって自分ではない。クッソ。マジでクソ。勤務日だけは福利厚生が機能しないのに。実費確定で激萎えだ。魂の叫びは会社に響き渡った。それで近所迷惑だとまたお説教を食らった。トホホ。
「や、やっと……家だ。長かった。本っ当に長い一日だった。今年もやったぞ。やり切ったぞ。これで一年は休み……」
心身共に疲弊して限界だった。枕を濡らし、泥のように眠った。
今日はクリマスだ。
起きた子供がプレゼントに歓喜している頃だろう。
嬉しそうに見守る親が内心困惑している頃だろう。
もしかしたら今日は大掃除をするかもしれない。
夜は街がイルミネーションに彩られる中、仮装サンタがケーキを売っている。
奮発して贅沢な料理で夕食がパーティーになる家庭は少なくないだろう。
雪が降って、カップルがツリーの下で口付けを交わす。
クリスマスはイエス・キリストの降誕祭だ。
だがそれを意識する者は多くないだろう。
クリスマスはお祭りだ。
ご馳走を食べ、恋人家族と楽しむイベントの一つだ。
一年で唯一にして最も過酷な仕事を終えたサンタクロースは、楽しいクリスマスを睡眠状態で迎えて一瞬たりとも起きずに終わった。とても悲しいクリぼっちのクリネマス。疲れ果てたサンタクロースは夢も見ない。
散々な一日だった。
寝坊職質説教説教説教。
一年で最も最悪な一日だった。
けれども無事に仕事が終わった。
サンタクロースの職を剥奪されずに終わった。
これで一年は安泰だ。
これで来年のクリスマスの前日まで遊んで暮らせる。
サンタクロースのクリスマスは幸せな眠りで幕を閉じた。
トナカイは最新の機械技術で作られツノは飛行の役割を担っているだろう。
そりとサーフボードの底にはジェットエンジンが搭載されているだろう。




