8月6日 午前
昨日は話が終わったあとそのまま布団に潜り込み、無理矢理寝ようとした。でも結局1時間おきに脳が覚醒してぐっすり眠れなかった。
疲れが溜まったまま朝を迎え、リビングへと行くとダイニングテーブルにはお父さんとお母さんがいて朝ごはんを食べている。
「おはよう」
「おはよう、こうすけ」
窓の外は昨日に引き続いて土砂降り。
「・・・おはよう」
「早いな。もうちょっとゆっくりしても良かったのに」
まるで晴れない頭の中を具現化されたみたいで気分がいいものではない。
「いや、中々寝付けなくて・・・お父さんは仕事?・・・・・だよね?」
「そうか。まぁ夏休みだしゆっくりしてなさい。僕は仕事だよ。でも午後からしばらくは抜けるかな。少なくとも今週はそんな感じ」
「・・・・・帰りは遅いの?」
それにしても昨日何事もなかったように会話をしているけど、これは普通なのだろうか。
けいすけの名前は出さずとも、彼のことについて話しているのはなんとも不気味で仕方がない。
「かな・・・・まぁ昨日みたいにはならないようにするよ」
「・・・分かった」
そして母親は相変わらずニコニコしている。理解できない彼女の言動は父親の目にどう映っているのか。
「こうすけ、朝ごはんは?」
「え?あぁ、食べるよ」
「準備するから座ってちょうだい」
「・・・うん」
促されて席についた俺は、朝食の準備で席から離れた母親に聞こえないように、目の前に座っているお父さんにやっぱり昨日の夜のことは考え直したほうがいいと言おうとした。
「・・・あのさ」
「ん?」
「ごめん、朝ご飯の邪魔して。でもやっぱり佐藤のおっちゃんがそんなことしたって信じられなくて・・・こうしてる間も・・・なんていうか、本当はもし違う別の誰かがけいすけのこと誘拐してたとして、それが最悪なことになってたら・・・」
犯人が何を考えてるかなんて知らないし、知りたくもないけど行き着く先なんて少し考えれば分かる話だ。
「・・・おっちゃんのこと確かめるのは・・・時間の無駄というか」
箸を止めて話を聞いてくれるお父さんは俺から目をそらさない。
「・・・ん〜・・・こうすけが言う別の誰かっていうのは、何か心当たりがあるのか?」
「え?」
「僕は心当たりが佐藤さんしかないから、彼を最初に探ってみようと思ってるんだけどね。こうすけが言う違う他の人がもしいるんなら教えてほしいかな・・・でも、いないんならそれこそ時間の無駄な気がするよ」
「・・・・・」
「そう思わない?」
口角を少し上げてまた箸を動かし始めた彼の目は笑ってない。それが怖くて思わず目をそらした視線の先で、父親の右手の親指近くに掠り傷が見えた。
「ご・・・ごめん、昨日言ってなかったんだけど、っていうか、忘れてて・・・」
「ん?」
「おっちゃんに・・・会う前、吉木さんの家の前で知らない男の人に何かされそうになったんだ」
「・・・・」
「そ、それで俺気分悪くなって・・・」
昨日、やっぱり言っておけば良かったと今になってした後悔。
「こうすけ、」
「その人が・・・その人が怪しいと思う・・・く、黒木さんも言ってたし、最近変な人がいるって。父さんはそれ知ってた?」
傷が気になったけど、そんなことよりも言わなきゃいけないことをお父さんが家から出る前に吐き出そうと早口で焦ったように言った。
「あぁ」
美味しそうな玉子焼きがお皿にあと一つ残っている。階段を降りる時に微かに匂ってきていたのはお味噌汁だったのだろうか。
「それは心配ないよ」
箸で器用にその玉子焼きをつまんで口に入れた父親は、何回か噛んでから喉を鳴らして飲み込んだ。
「そんな人いないから」
「・・・・え」
「母さん、ご飯美味しかった。ありがとう」
仕事に遅れそうな時間だったのか、軽く言い放って俺の質問に答えたお父さんはすぐに仕事場へ行く準備を始めた。
いつもどおりの服装で、玄関までも同じ流れ。
「と、父さん・・・ちょっと待って」
「ん?」
「いないって」
俺は確かに自分の目で見た。
対面したし、話もした。
それなのに、いないとはどういうことなのだろう。
お母さんが用意してくれた朝ごはんそっちのけで玄関まで向かう父親のあとを慌てて追った。
「ちょっ・・・ちょっと待って、いないってどういう・・・意味」
「そのままの意味さ」
「・・・・・」
靴を履いて、傘を手に持ったお父さんは玄関の扉を開けようとして何かを思い出したように動きを止めた。
「あぁ、そうだ・・・こうすけのスマホを貸してくれないか」
「・・・スマホ?」
「うん。昨日言い忘れてたんだが、ちょっと預からせてもらうよ」
「・・・え」
振り返って俺に見せた顔は目も口元も笑ってなくて、スマホを渡せと差し出された右手が『早くしなさい』と告げている。
「一人で好き勝手冒険されると心配するからもうそんなこと止めてくれ」
「・・・・でも、けいすけが」
「僕の仕事だよそれは。あと、こうすけと母さん・・・まぁ、彼女には昨日もう言ってあるんだけどね、今日からしばらく家の中に居なさい。外に出てはだめだ」
突然の外出禁止令に、俺はその場で立ち尽くしたまま返事ができずにいた。掠り傷が見えそうで見えないその右手のひらは上に向いていて、俺のスマホが乗るのを待っている。
「あぁ、それと、もう一つ」
躊躇いがちに持っていたスマホを差し出して彼の手に乗せると、後ろから戸を叩く雨の音に掻き消されないようにお父さんは口調を強めて大きな声を出した。
「誰かが来ても絶対玄関のドアを開けてはだめだよ」




