アルフレイドは混乱中②
歩き慣れた石づくりの廊下に、鈍い靴音が響く。
すでにリネットは食堂に着いていて、自分を待っているという。
侮られないよう、髪も服も整えてから出てきた。
しかし、食堂に入るなり唖然としてしまった。
彼女の纏う雰囲気があまりに変わっていたからだ。
派手な赤いドレスはざっくりと胸元が開いていて、豊かな膨らみがのぞいている。
化粧で顔立ちも変わって見え、もともと目鼻立ちがくっきりとした美人だったが、守ってやりたくなるような純朴な雰囲気から自信ありげな派手な美人に変化していた。
『恋多き女』といわれて納得の姿である。
「……リネット・カーマイン伯爵令嬢?」
「さきほどは失礼いたしました。ようやく『いつもの私』に戻れました」
「そ、そうなのか……?」
(こっちがいつもの姿なのか!?俺が見たのは幻だったのか!?)
女性は化粧や衣装で変わると聞いていたが、いくら何でも変わりすぎだろう。アルフレイドは目を疑った。
驚きのあまり、女性を褒める社交辞令も出てこない。
すると彼女は不安げに尋ねた。
「もしかして、あまりお気に召しませんか?」
上目遣いの表情は、化粧で見た目が変わっているとはいえとても可愛く思えどきりとした。
ここでアルフレイドは自分を戒める。
(見た目の変化が何だ!本人が好きでこっちを選んでいるなら、黙って受け入れてやらねば!!女性の服装にケチをつけるような小さな男だと思われたくない!)
アルフレイドは精いっぱいの作り笑いで告げる。
「とても似合っている!」
さっきの方がよかった、など言えるわけがない。
リネットのあからさまにホッと安堵した顔を見ると、なおさらそんなことは口にできないと思った。
その顔を見ていると、彼女に何か裏があるのかと疑っていたことが申し訳なくなってくる。
(遠い王都からやって来て、顔も見たことのない夫と会って不安だったに違いない。もし本当に恋多き女だったとしても、しょせんは18歳の伯爵令嬢なのだから。ただ、だからといって信用するわけにはいかない)
初めての晩餐は始まったが、料理の味などわからなかった。
余裕のある男はどんな話をするのか、想像もつかなかったからだ。
いきなり「なぜこの縁談を受けたのか」と尋ねるのもおかしい。
緊張感からやたらと喉が渇いた。
ちらりと彼女の方に視線を向ければ、彼女もまたぐびぐびと水をたくさん飲んでいた。
(ここの水が気に入ったのか…?)
そういえば、王都よりもイールデンの方が水はうまい。
肉も野菜もうまいが、王都から来た者がほぼ全員口を揃えて言うのが「水がうまい」ということだったのを思い出した。
そして勢いあまって、剣の話をしてしまった。
(ああっ!気の利いた会話ができない自分が恨めしい!探るにも探れない!)
会話下手をダナンにやんわり指摘され、居たたまれない気分になる。
思えば、剣の師にどれほどつらい訓練を命じられても耐えて来られたが、女性関係では手も足も出ないのがはがゆくて早々に退散してきた。
アルフレイドを囲むとすぐに自分の売り込みを始める令嬢たちには、軽く笑みを浮かべ「あぁ」「そうですね」「どうでしょう?」という単語だけでごまかしてきた。
これまではそれでよかったのだ。
ただ、相手が話しかけてくれなければそれは成立しない。
(ここからどうすれば)
魔物に囲まれたときは剣を握り一点集中で突破口を開けば逃げられるが、女性から逃げるのは剣でも腕っぷしでもどうにもならないから苦手なのだ。
(対策を……練らなければ……!)
冷や汗が流れる気がした。
「では、突然すまないが見回りの仕事が残っている。君はゆっくりと食べて体を休めてほしい」
「え?」
アルフレイドは予定にない見回りをすると嘘をつき、席を離れた。
逃げたのだ。
後ろでダナンが吹き出すのが聞こえたが、妻を迎えた初日から逃亡するしかなかった。
冷たい空気が頬を刺す。
暗闇にちらつく雪は柔らかで、薄っすらと地面に積もり始めていた。
「まったく、夜になぜこんなことを?」
魔物を斬り倒した俺に向かって、ダナンの呆れた声がした。
足下には魔物の血が新雪の上に飛び散っている。
「本当に魔物が出たのだから仕方ないだろう」
昼間の晴れのせいで、民家の近くに魔物が出てきていた。
見回りが嘘にならずに済んだと喜べるかというとそうでもないが、とにかく巨大な熊の魔物が出て騎士隊が出動することになったのは現実だった。
辺りを見回せば、騎士隊の仲間たちもそれぞれ討伐を終えたらしいとわかる。
領民にも騎士にも怪我人がいないとの報告を受け、アルフレイドは馬に跨り城へ帰ることにした。
「……もう部屋で休んでいるだろうか?」
置いてきてしまった妻のことを思い出す。
(いきなり剣の話をして彼女を混乱させたはずなのに、でも笑ってくれた)
化粧や服装は見事に変化していたが、笑顔や目の輝きは街の入り口で会ったときと同じだった。
「剣づくりの話に興味を持ったようだった。もしかするとここの暮らしが合っているのかもしれない」
うっかり期待を口にしたところ、ダナンに容赦なく打ち砕かれる。
「軍人と付き合っていたんですかね?」
「な……!?」
(その可能性は思い至らなかった!)
この世の終わりのような顔をするアルフレイドを見て、ダナンは「冗談ですよ」とやや引いている。「まさかもう篭絡されたんですか?」とも驚いていた。
アルフレイドは気まずそうに目を逸らし、沈黙を守った。
(騙されるな、まだ彼女の目的がわからない。いくら王命で断れないとはいえ、王都暮らしの悪女が目的もなくこんな辺境へ来るわけがない。夫婦関係を続ける上で、こちらが優位に立たなくては……)
信じるな、疑え。
そう自分に言い聞かせつつも、初めて会ったときの可愛らしい笑顔が忘れられずにいた。