幸せ
「リネット様、本当におひとりで大丈夫ですか?」
夜。就寝の準備が整った私にマイラが不安げに尋ねる。
私は笑顔で「平気よ」と答えた。
「何かあったらすぐにお呼びくださいね?」
「心配しないで、もう眠るだけなんだから」
私がそういうと、ようやくマイラは納得して部屋を出ていった。
「今度は私がいなくなるとでも思われているのかしら?」
思わず小さな笑いが漏れる。
夕方の話を終え、アルフレイド様は「俺がすべて何とかする」と言ってくださった。
ヤニクさんは姉との思い出を語ろうとしていたけれど、ダナンさんとグランディナさんによってどこかへ連れていかれてしまった。
『解放してくれないの!?』
『不法侵入の件はまた別ですので』
『そんなっ!』
ダナンさんは明るい笑顔で彼を連れて行った。
でも私はそれを見ていて複雑な気分だった。
「やっぱり、それはそれ、これはこれ……よね」
現状、私はアルフレイド様の妻である。
でも、姉が病だと家族ぐるみで偽った罪がなくなるわけじゃない。
「お姉様が見つかったら一体どうなるんだろう?」
家族揃って罰を受ける?
もういっそ見つからないでくれたら、なんて一瞬だけ思ってしまった。
「ああ~!もう、どうしてこんなことに……!」
私は両手で顔を覆い、ひとりで嘆いた。
今こんなに苦しいのは、私がアルフレイド様を好きになってしまったからだ。
嫁いだばかりの頃はとにかく必死で、支度金を返せないことが一番の問題だった。
アルフレイド様のことも、政略結婚だから多くを求めず恋人がいてもいいって考えていたくらいだったし……。
それが今では夫が好きすぎて嫉妬の鬼になり、家族のことより今の幸せを守りたいと思ってしまっている。
「眠れない」
考えれば考えるほど苦しくて、私は気分転換のためにバルコニーへと出た。
頬や髪を撫でる夜風が涼しくて心地いい。
ぽつぽつと見える街の明かりがきれいで、しばらくぼんやりと眺めていた。
「リネット」
「?」
振り返れば、ラフな服装に着替えたアルフレイド様がいた。
私を見つけてほっとしたという風に見えた。
「勝手に入ってすまない。声をかけても返事がなかったから気になって」
「私はどこへも行きませんよ?」
「いや、ヤニクのような男に攫われていたらと不安になった」
「そっちですか!?」
扉の前には護衛騎士もいますよ……?
アルフレイド様はものすごく心配性だった。
「「……」」
しばらく二人の間に沈黙が続く。
何か話さなくてはと思うほどに言葉に詰まった。
「ごめんなさい。姉のこと、これまで話さなくて」
「謝らなくていい。リネットの立場なら言えなくて当然だ。マリアローゼのことは公爵家の者が捜索する。何も心配いらない」
そう、あのお姉様がおとなしく伯爵邸へ帰っているとは考えにくい。
王都には戻っていても、恋人のもとにいるだろう。
「大丈夫だ。リネットはいつもみたいに笑ってくれ」
アルフレイド様は優しい!
さらに胸が苦しくなって涙がにじむ。
「ごめんなさい本当にごめんなさい」
「なぜだ!?」
優しくされればされるほど苦しいなんて知らなかった。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
「私、過去のことはなるべく思い出さないようにしていました。両親のことも姉のことも」
私の懺悔を聞いたアルフレイド様は戸惑っていたけれど、その大きな手で私の手を包み込むように握って言った。
「そんなこと気にしなくていい。過去は振り返らない前向きな性格だと思えばいい!」
さすがに無理がありませんか!?
私は目を瞬かせる。
でもアルフレイド様の目は本気だった。
どこまでも優しい方……。
こんな面倒な妻を放り出そうとせず、この手を離さずにいてくれるなんて。
「──本当は、私なんかアルフレイド様にはふさわしくないってわかってます」
アルフレイド様ならきっと素敵な女性と再婚できる。
いくら王命による結婚でも、私にこだわる理由はない。
そんなことわかってるのに、「私と離婚して他の人と幸せになってください」という一言がどうしても言えなかった。
「でも私……あなたと一緒にいたいんです」
アルフレイド様を見つめ、そう訴えかける。
彼は驚いた目をしたものの、私を引き寄せると力強く抱きしめてくれた。
「そう言ってくれて嬉しい。俺はリネットに離れていかれる方がつらい」
腕の力強さと温かさに、また胸が苦しくなる。
恐る恐る彼の背中に腕を回し、本当に離れなくていいんだと確かめようとした。
「リネットはもっとわがままでいいんだ。自分なんて、と思わないで欲しい。それに……幸せになりたいと願ってくれ」
アルフレイド様は私の不安を消すように、優しい声音で続ける。
「どんなリネットでも俺はずっと好きでいるから、これからも妻でいてくれないか?」
「!」
胸がどきどきして、でも温かくなって喜びがこみ上げる。
最高に嬉しいのに泣きたい気分にもなり、自分の気持ちがよくわからない。
「私、もう幸せになれました。好きな人に好きって言ってもらえましたから」
「今の百倍は幸せになれるぞ」
「それはすごいですね?ふふっ」
思わず笑ってしまった私につられて、アルフレイド様も小さく笑う。
「リネットの願いは俺が全部叶えてみせる。何でも言ってくれ」
頼もしいアルフレイド様は本気でそう言ってくれているのだとわかる。
私はぱっと顔を上げ、思いついたことをお願いしてみた。
「じゃあ……今日は一緒に寝てくれますか?」
「え」
「その、眠れなくて。明日の出発に備えて早く寝ないといけないのに……あ!でも迷惑でしたらやっぱり」
「迷惑じゃない!リネットさえよければ一晩中そばにいよう」
「ありがとうございます!」
私はアルフレイド様の手を取り、バルコニーから寝室へと向かう。
一人で寝るには広すぎるベッドも、二人一緒ならちょうどいい。
並んで横たわると、私はすぐにアルフレイド様の方を向いて言った。
「おやすみなさい」
「おやすみ……」
アルフレイド様の左腕にしっかりと両腕を絡ませれば、安心してぐっすりと眠れそうな気がした。
夜風で冷えた体がぽかぽかとしてきて、私は幸せな心地で眠りについた。