嫉妬の鬼
陽が落ちた街を、公爵家の馬車は宿に向かって走っていく。
宿に戻りながら何があったのか説明を受けた。
アルフレイド様によれば、アストン男爵と共に別室へ行ったらそこには女性たちが待っていたらしい。
『公爵様、好みの娘をお選びください!全員でもどうぞ!』
しかも、さらに思いもよらない話を持ち出されたそうで──
『公爵領の発展に尽力なさっているのは、次期国王になるための実績を作りですね?私も公爵様を支援いたします!だからどうか我が一族を公爵家の家門に加えていただきたく……』
勘違いも甚だしい。
当然、アルフレイド様の返事は決まっていた。
「愛人も支援も断る」と。
あんなに早く戻ってきたのは、アルフレイド様が一瞬で提案を断ったからだった。
「アストン男爵は、これまでも女性たちを貴族に紹介していたんだろうな」
アルフレイド様はそう言った。
ダナンさんも呆れ交じりの笑みで言う。
「成功体験があったんでしょうね。女性を紹介すればうまく取り入れるという」
アルフレイド様が断ってくれてよかった。
話を聞きながら私はほっと安堵する。
「でも、よくすぐに諦めてくれましたね?」
そう尋ねれば、アルフレイド様は笑顔で答えた。
「飾ってあった剣を壁に突き立ててきた」
「え」
「気持ちは態度で示すのが一番だからな」
なるほど、それでアストン男爵はあんなにも蒼褪めて震えていたのね……。
それでもなお食い下がるなんてとてもできないだろうなと納得だった。
「ところでリネット、体調はどうだ?」
どうしてそんなことを聞くんだろう?
私は不思議そうにアルフレイド様を見つめる。
「ワインを随分と飲んでいたから」
「平気です。気分も悪くないですし、ちょっと体があったかいくらいです」
全然酔ってません、と笑顔で答える。
「そうか……」
何か気になることでもあるんだろうか?
アルフレイド様は私から視線を外し、少し嬉しそうな声でつぶやいた。
「つまり嫉妬は本心なんだな」
「!!」
心臓がきゅっと縮むような心地だった。
アルフレイド様、忘れてなかったー!!!!
私の嫉妬なんて忘れ去ってほしかったのに!
あのときは必死で……。
両手で顔を覆い、うっかり言葉にしてしまったことを悔やんだ。
「もうあんなこと言いません。ごめんなさい」
嫉妬深い妻なんて嫌がられるはず。
“小悪魔を目指す本”にも「男性は束縛を嫌うから嫉妬心は隠して」って書いてたもの!
私なんて小悪魔どころか嫉妬の鬼よ!
恥ずかしすぎてアルフレイド様の前から逃亡したくなった。
「大丈夫ですよ、アルフレイド様に比べたら」
「ダナン!もうすぐ宿に着くぞ!!」
笑顔のダナンさんをアルフレイド様が遮る。
それを見ていたグランディナさんは、くすくすと笑ってから私に言った。
「リネット様の嫉妬なんてかわいらしいものですよ」
「本当に?」
「はい。私ならあの女の目をくり抜いてインテリアにします」
「残酷」
「恋は人を狂わせるって言いますもの」
グランディナさんの笑顔が怖い。
これまでどんな恋愛をしてきたんだろう……。
話しているうちに馬車が速度を落とし、宿の前に到着した。
「リネット」
「はい」
アルフレイド様が私の手を握り、気遣うような目で言う。
「今日は苦しい思いをさせてすまなかった。もう心配をかけないように努力する」
「アルフレイド様……!」
私が勝手に嫉妬しただけなのに、なんて優しいの!?
見つめ合っていると胸がきゅんと鳴った。
嫉妬深い妻を許せるアルフレイド様は心が広いわ。
「リネットはゆっくり休んで、今日の出来事は何もかもきれいさっぱりスッキリ跡形もなく忘れてくれ」
「はい。ありがとうございます!」
ダナンさんとグランディナさんは先に馬車を下り、二人きりになる。
アルフレイド様はそっと私にキスをしてくれて、とても幸せな気分になった。
エスコートされながら外へ出れば、マイラとルイザの姿がある。
「「おかえりなさいませ」」
二人に迎えられ、私は笑顔で「ただいま」と告げる。
色々あったことで体はくたくたで、今日はよく眠れそうだ。
「おやすみ、リネット」
「おやすみなさい」
アルフレイド様と別れ、私は部屋へと向かう。
ドレスを脱いで浴室へ行き、たっぷりのお湯に浸かれば本当に気持ちよかった。
「あれ?何か忘れてるような……?」
まるで思い出せず、私は結局「まあいいか」と考えるのをやめた。
◆◆◆
月が美しい夜だった。
皆が寝静まった深夜、クラッセン公爵一行が泊まる宿の片隅にひとつの影が──。
柔らかな茶色の髪に赤い瞳、透明感のある白い肌。
ヤニク・ソマーはその顔立ちと華奢な背格好のせいで女性に間違えられることもあり、警戒されにくい風貌で多くの人々に取り入ってきた。
(アストン男爵に媚びた甲斐があった。まさかまた彼女に会えるなんて)
──夫に内緒で秘密の逢瀬を。
やたら愛想のいい護衛騎士からメッセージを伝えられ、わざわざ夜中にこうして彼女のいる宿までやってきた。
やけにゆるい警備も、彼女が自分のためにそうしてくれたのだと疑いもしなかった。
伝えられた通りの部屋にやってくれば、カギはかかっていない。
(ああ、ここに彼女がいる……!)
扉を押し開けると、キィと小さな音が鳴る。
明かりはベッドサイドの小さなランプだけで、ベッドには頭まで毛布をかぶった彼女が眠っていた。
「リネット?待ちくたびれて寝ちゃったのかな?」
そういいながら近づいていき、そっと毛布に手を伸ばす。
けれど指先がそれに触れる直前、勢いよくその人が起きだした。
「っ!!」
驚いたヤニクは思わず仰け反る。
起き上がったその人は、愛しい人ではなかった。
しかも一瞬で伸びてきた手にシャツを掴まれ、気づいたときにはベッドの上に引き倒されて剣を首元にあてられている。
相手は自分よりかなり大柄な男で、殺気立っていた。
「また会えたね……!」
「ひいいいいいい!」
しまった、と思った。
「こ、公爵様!?」
嫉妬に駆られた夫に誘い出されたのだと気づいたヤニクは、震えながら「助けて」と祈るしかなかった。
「おまえのことを考えたら眠れないんだ。なぜだろうな?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
首元の冷たい感触がたまらなく恐ろしい。
けれど、自分の上で怒りをにじませる男を見ていると次第に胸がときめいた。
「あなたになら抱かれてもいいっ!」
「抱くか!!」