待ち構える人たち
王都の隣に位置するアストン男爵領は、湖からの支流である川がいくつも流れる豊かな街である。温暖な気候であり、魔物の被害もほとんどなく、人や物が数多く行き交う街は活気に満ちている。
領地は決して広大ではないが、アストン男爵領は誰もが羨む環境だった。
だが、当代のアストン男爵は大きな不満を抱いていた。
「アルフレイド・クラッセンに取り入って、我が家も上流階級の仲間入りを果たすぞ……!」
金はある。だが、男爵という身分には満足できない。
社交界で目にする高位貴族たちに憧れる彼は、どうにかして自分もそこに加わりたいと思っていた。
「この世は金と人脈だ!公爵が立ち寄るチャンスを絶対に逃してなるものかっ!」
領地は栄えていても、新たに叙爵を望めるほど国への貢献度が高いわけではない。
四十代後半に差し掛かり、そろそろ息子に爵位を引き継ぐ時期ではと自然に話題に上がるたびに鬱憤が積もっていた。
(このまま隠居なんてとんでもない!爪痕を残すぞ!)
男爵は野心に燃えていた。
「お義父様、晩餐会の準備が整ったそうです」
養女のイリーナが妖艶な赤いドレスで現れると、アストン男爵は満足げな笑みを浮かべて振り返る。
イリーナの肩より少し長い銀髪はさらさらのストレートで、切れ長の目は十八歳という年齢よりも大人びていて色気がある。
「そうか。──皆の支度も抜かりないな?」
「はい、当然です。全員、頭からつま先まで完璧に磨き上げました」
にこり微笑むイリーナは自信に満ち溢れていた。
「高位貴族と縁を結ぶためにお義父様の娘になったのです。まさか相手があのアルフレイド様だとは光栄ですわ」
「数々の浮名を流す騎士公爵か……一体どんな男なのか?」
「絶世の美形で夜の覇者、伝説の性豪だと噂です!足腰立たなくされた女性は数えきれないとか!」
「嬉しそうだな?」
イリーナは頬を染め、楽しみで仕方がないといった雰囲気である。
気合が入っているのはいいが、アストン男爵は無性にいらだった。
(公爵家に生まれて、見目麗しく、女に不自由しないだと?私など金目当ての女しか縁談が成立しなかったのに……)
恵まれたアルフレイドが許せない。
アストン男爵は自分のそんな嫉妬心にはっと気づくと、懸命に心を落ち着かせようとした。
「いかんいかん、機嫌を取って懐に入るんだ!」
目的を思いだしたアストン男爵は、自分にそう言い聞かせる。
「ところでお義父様。リネット・カーマインも晩餐に参加するんですよね?」
「ああ、夫婦で招待に応じてくれた」
「アルフレイド様おひとりでよかったのに」
数々の浮名を流す公爵と、社交界で噂の恋多き女。
二人の結婚は世間の注目を集めた。けれど、二人が王都へ顔を出す気配はなく、国王陛下の生誕祭でようやく二人揃って出席するという。
「お披露目にも最低限の貴族しか呼ばず、公爵領でひっそり行うなんて。秘密主義なのかしら?それとも、隠すことで自分の価値を吊り上げる気?ずる賢い女だわ……!」
「かもしれんな」
「どうせ顔と体だけの女に決まってる。そろそろ公爵に飽きられた頃でしょうから、私の美貌を前にして逃げだせばいいわ!美人は三日で飽きるって言いますものね!」
「その理屈で言うとおまえも飽きられるぞ!?」
高笑いをするイリーナには、男爵の声は聞こえていないようだ。
「ま、まあ、晩餐のあとタイミングを見て二人を引き離す計画だ。おまえは公爵を誘惑することだけ考えろ」
アストン男爵はにやりと笑った。
「多少強引でも既成事実を作ってしまえばこっちのものだ……!」
このチャンスを絶対に逃さない。
アストン男爵とイリーナは勝利を確信して笑い合った。