何事もタイミングが大事
夜を迎え、アルフレイド様の寝室にやってきた私。
しんと静まり返ったそこは、心地よい温度にあたためられていた。
私と一緒にやってきたマイラはランプを手にしたまま「これならもっと薄着でも大丈夫でしたね」と言う。
「今夜は話をするだけだからいいの。それにもう悪女のふりしなくていいんだし」
思い出したら恥ずかしくなってきた。
ここへ嫁いできてすぐ初夜で失敗したことを……。
あのときは必死だった。
アルフレイド様のお好みの恋多き女になりきって、好きになってもらわなきゃって。
今私が着ているのは、ロングドレス風の寝衣だ。ごく普通の寝間着である。
「ガウンは暑いから脱ぐわ」
「お預かりします」
マイラが私の手からすぐにそれを預かる。
「アルフレイド様はまだしばらく戻られないそうです」
「お忙しいのね……」
私は周囲を見回し、ほかに座るところがないのでベッドに座って待つことにした。
「失礼しますっ」
ふかふかのベッドに座ると、ちょっとドキドキする。
「リネット様、今夜はアルフレイド様と一緒にお休みになられますか?」
「えっ」
「このような場合、私は下がるようメイド長からは聞いています。ですが、リネット様がお話だけしてお部屋へ戻るおつもりなら隣室でお待ちしておりますが……」
「そ、そうよね」
どうしたら!?
私は迷ってしまった。
「話がどれくらい長くなるかわからないのに、マイラをずっと待たせるのは」
もうすでにけっこうな夜更けだもの。私のためにマイラを寝不足にさせるわけにはいかない。
「私は平気ですよ?」
「うん、でももう遅いから。マイラは休んで」
「わかりました」
気遣ってくれる視線に、私はマイラが心配しないように笑顔で明るく振る舞った。
パタンという小さな音がして、扉が閉まる。
ひとりきりになるとそわそわして落ち着かない。
「アルフレイド様が戻ってきたら、レックス侯爵のことを話すんだから。絶対に今夜話す!」
ようやくもらった、二人きりになれるチャンス。
ちゃんと話さなければ!
「それにしてもアルフレイド様、遅いなぁ……」
毎日こんなに遅くまで働いているんだ。
遊んでいる暇がなさすぎて、噂は嘘だったんだなと実感する。
「私に何かできることがあればいいんだけれど」
妻としてあの人を支えたい。
好きな本を読んでいるだけの引きこもりだった私がこんな気持ちになるなんて。
「まずは乗馬をマスターして、一緒に視察に行けるようになって……」
そうだ。乗馬だ。
慣れないうちはずっと力が入っているから、体力を消耗する。
しまった、昼間に話すべきだった。
眠い……眠すぎる。
次第に瞼が落ちてきて、私は睡魔に負けて「ちょっとだけ」と座ったまま上半身を横に倒す。
頬に触れる柔らかなシーツが気持ちいい。
小さなあくびが漏れ出て、閉じた瞼は上がりそうにない。
「アルフレイド様」
待っていなければ。
きちんとお迎えして、話を切り出さなければ。
自分自身に言い聞かせるも、私の意識は途絶えてしまった。
◆◆◆
──キィ……。
アルフレイドは寝室の扉をそっと押し開けた。
(自分の寝室なのになんだこの緊張感は!!)
部下との会議が長引き、随分と遅くなってしまった。
リネットが待っているとわかっているのに、すぐに寝室へ向かえない自分が心の底から腹立たしかった。
ようやく終わったと思ったらすでに夜更け。
しかもダナンに「そのまま行くんですか!?きちんと湯を使ってから!」と止められ、確かに「それはそうだ」と思い、できる限り急いで入浴を済ませた。
浴場から寝室まで全速力で走り、扉の前で息を整え、余裕のある夫の顔をしながら扉を開ければ────リネットが眠っていた。
「かわっ……!」
寝顔を見るのは初夜以来だった。
待ちきれず眠ってしまったリネットは天使のようなかわいさで、思わず心臓が止まりそうになる。
胸を押さえ苦悶の表情を浮かべるアルフレイド。
どうにか平静を取り戻したところでふと気づいた。
(このままではまた風邪をひくのでは……?ベッドにきちんと寝かせてやらなければ)
アルフレイドはリネットを見つめながら悩んだ。
(勝手に触れていいのか?)
熱を出したリネットを運んだときは不可抗力だった。
早く医者に診せなければと思う一心で、触れていいかどうか考えている余裕などなかった。
(妻、妻だ!リネットは俺の妻!だから大丈夫!)
触れられて嫌だったらそもそも寝室へ行っていいか?などと聞かないだろう。
リネットの肩に触れようと、前かがみになって恐る恐る腕を伸ばす。
「っ!」
その瞬間、リネットの頬に小さな雫が落ちた。
(髪を乾かしていない!)
前髪からぽたりと雫が滴ってしまっていた。
うろたえたアルフレイドは、そっと指でリネットの頬を拭う。
その瞬間、しっかり閉じられていた瞼がぱちりと開いた。
「!」
(まだ眠りが浅かったのか!)
驚いて目を見開くアルフレイド。
視線を彷徨わせたリネットは、目の前にいたアルフレイドを見てはっと息を呑む。
「アルフレイド様!?私……!」
リネットは眠っていたことに気づき、驚いた様子だった。
慌てて上半身を起こし、髪を整えて頬や口元に手をぺたぺたと当てて身なりを確認している。
「あっ、いやこれは違っ」
「アルフレイド様?」
「決してその、寝込みを襲おうとしていたわけではなく、ベッドに……!」
必死に否定するアルフレイド。リネットは呆気に取られてそれを見ていた。
(誤解を解かなければ)
焦るほど何を言っていいかわからなくなる。
(俺はいつからこんな情けない男になった!?どうしてリネットの前ではいつもの自分でいられない!?)
「あの」
今度はリネットがアルフレイドに手を伸ばす。
「おかえりなさいませ。髪がまだ濡れていますね?」
「あぁ……」
「早く乾かさないと!私でよければお手伝いします」
「え?」
立ち上がったリネットはベッドサイドにあるチェストの引き出しを開けた。
「やっぱりありました。私の部屋にもここにタオルが用意されているんです」
「……」
「さぁ、座ってください?」
どうやら不審に思われてはいないらしい。
アルフレイドは無言のまま、言われた通りにベッドに座った。
リネットはアルフレイドの後ろに回り、髪を拭き始める。
「髪も乾かさずに急いで来てくださったんですよね?私ったら眠ってしまってすみません」
少し恥ずかしそうにリネットが言う。
(俺の妻がかわいい……遅くまで待たせたのに怒りもせず世話まで焼いてくれて)
頭を拭かれながら反省する。
「アルフレイド様?」
「…………」
リネットの手をそっと掴み無言で振り返れば、「どうしたんだろう?」と不思議そうにこちらを見つめる彼女と目が合った。
(仕事、仕事といってあまり構ってやれず、寂しい思いをさせたのかもしれない。リネットの方から寝室へ来るほどに)
アルフレイドは本気でそう思っていた。
真剣な目で見つめると、リネットの頬が次第に赤くなっていく。
どうしたらいいのかわからない、そんな風に見えた。
「リネット」
手を引き寄せて抱き締めると、今までにないくらい心臓が激しく鳴るのが自分でもわかった。余裕のある男を演じたいという気持ちは変わらないが、こればかりはどうしようもない。
「あの……」
しばらく腕の中でおとなしくしていたリネットが顔を上げ、何か言いたげに見ている。
「もう寂しい思いはさせないようにする」
「へ?」
軽くキスをすると一瞬でリネットの顔が真っ赤に染まった。
もう一度唇を重ねようとしたアルフレイドだったが、それを察したリネットが細い腕をぐっとアルフレイドの胸に突っ張って叫んだ。
「アルフレイド様!待ってください!お話が……お話があるんです!」
「え?」
「どうしてもお耳に入れたいことがあって!」
アルフレイドはその必死な声でようやく気付いた。
(またタイミングを間違えた……!?今じゃなかったのか!?)