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公爵夫人としての初仕事

クラッセン公爵邸は広い。

私の育ったカーマイン伯爵家も貧乏なのに無駄に広かったけれど、それが十個以上は入りそうな敷地の広さである。


王都やその周辺にある邸は時代と共に防御機能を失っていっているが、この公爵邸は城塞都市の中心にあり、襲撃、砲撃、侵略に耐えうる強固な造りを保っているそうで、全体的に重厚感がある。


アルフレイド様は明日こちらに戻ってくる予定で、私は公爵夫人に必要なマナーや教養を身に着けるために勉強を始めていた。


お金がなくて貴族子女が通う王立女学院にも進学できなかったけれど、座って本を読むのは得意である。また、母がマナーに厳しかったこともあって泣きたくなるような苦労はなかった。それだけは救いだった。

絵画が飾られている二階のロングギャラリー。衣装室とコミュニティルームを結ぶここをただの広い廊下と侮るなかれ、ここにはかつてクラッセン公爵領を危機から救った英雄たちの肖像画も並んでいる。


「こちらは歴代の騎士団長様たちです。昔のものは油絵ですが、先代騎士団長様の肖像画は魔法道具で写した写真となっています」


歩きながら、キエナが説明してくれる。

今日はマイラの休息日なので、私の世話は彼女がしてくれていた。


「歴代の騎士団長様は、皆さんとても凛々しくて素敵な方たちね」


隊服姿の彼らは、公爵領を守ってきた騎士隊・ジェイダイトの猛者たち。

王家ではなくクラッセン公爵家に忠誠を誓っている。


「栄光の歴史、主君への忠誠、勇猛果敢な騎士たち……なんて素晴らしいの!」


一人一人に物語があると思うと胸が熱くなり、つい興奮してしまう。

そんな私を見てキエナはくすくすと笑った。


「この方々はどのような想いで戦いに身を置いてきたのかしら」


「私もそこまでは……あぁ、でも先代騎士団長であるカイル様はご存命ですから、お会いできる機会があるかもしれません」


「えっ!ぜひお会いしたいわ」


額縁に飾られた写真には、長い金髪を顔の横で一つに結んだ50歳くらいの紳士が写っている。


「2年前に退役されて、今は東の森で管理人をなさっています。街よりも、静かな場所で暮らしたいと望まれて」


「そうなのね。あぁ、アルフレイド様は今回の視察でお会いになっているのかしら?」


アルフレイド様が向かったのも東の地域だと聞いた。

キエナは「おそらく」と頷いた。


カイル様は、この写真を見る限りとても優しい方なのではないかと感じられる。


「きっと華麗に剣を振るっておられたのでしょうね」


「…………えっと、奥様。先へ進みましょうか?」


何だろう。キエナの目が一瞬泳いだ気がする。

私が何か言ってはいけないことを言った?

キエナは笑顔で「さぁこちらへ」と先へと促す。


そうだった。

私はこれからコミュニティルームで『お披露目パーティー』の企画書や計画表の確認をしなくてはいけない。


悪女を演じるのに必死で忘れていたが、公爵様の結婚となればお披露目パーティーがあって当然だ。

ただ貴族院に書類を提出して終わる、なんてことはあり得ない。


コミュニティルームに到着すると大きな扉に女性騎士の姿があった。

私を待っていてくれたらしい。

寄り道してごめんなさい、と心の中で呟く。


「どうぞ、中へ」


「ありがとう」


扉を開けてもらい、私はキエナと共にコミュニティルームへと入る。

ここは目的によって家具や調度品をその都度セッティングする広いホールで、今日は猫足の豪華な応接セットが用意され、大きな四角いテーブルに布や宝石のサンプル、デザイン案が書かれた紙などが並べられている。


私のドレスを作ってくれた衣装サロンのスタッフを始め、花やインテリアを用意してくれる人たちがずらりと二十人は待っていてくれた。


一瞬だけ怯むものの、公爵夫人は堂々としていなければならない。


私はアルフレイド様の妻。

情けないところは見せられない。

できるだけ、優雅に。笑顔で。


心を落ち着けると、私は彼らに笑顔で挨拶をした。


「ごきげんよう、皆さま」


指先が震えているかもしれない。どうか気づかないで……。


「クラッセン公爵家に嫁ぎました、リネット・カーマインです。このイールデンの文化や慣習には不慣れですので、お披露目パーティーでは皆様の経験をどうかお貸しください」


彼らの代表者に微笑みかけると、少しだけ空気が和んだ気がした。

もしかすると、「王都から恐ろしい女がやってくる」とか噂を聞いていたんだろうか?


確かにお姉様なら王都での流行りを求めて「私が認める一流の物を用意しなさい」と命令しそう……。

予算も時間も関係ない、自分が気に入るかがすべて。お姉様はよく衣装サロンの人にも無理を言っていて、「なぜできないのよ!」と怒っている声が邸に響いていたものだ。


「アルフレイド様からは、決定権は私にあると言われていますが……私はクラッセン公爵家らしさや招待客の方々が喜んでくださるパーティーにしたいと思っています。職人やデザイナーの皆さまには、それを踏まえた上での提案をお願いします」


貴族社会では、お披露目パーティーは花嫁のセンスや財力を誇るもの。「己の価値をここで示す!」と一家総出で挑む一大イベントだとも聞く。

私が何を選ぶかでアルフレイド様への評価にもつながると思うと少し怖いけれど、この世に全員が褒め称えてくれる物は存在しない。

それなら、アルフレイド様や家臣の方々が楽しんでくれるようなパーティーにしたいと思ったのだ。


挨拶が終わると、衣装サロンの女性が一歩前に出ていった。


「奥様のお気持ちは伝わりました。それではまず、私たちサロン・キャルマーニがお衣装や装飾品についてご提案してもよろしいでしょうか?」


「ありがとう」


悪女も恋多き女も、もうおしまい。

私は私として、アルフレイド様の妻になる。


サロン・キャルマーニの人たちは一度私の悪女姿を見ているから、今日のシンプルなオレンジ色のワンピースに白いボレロ姿を見て驚いていた。

でもさすがはプロ。不躾に「どうしたんですか」とは聞かない。


「今日のように明るいお色もよくお似合いですね」


「そう言ってもらえると嬉しいわ。先日作ってもらった衣装ではこれが一番明るい色だったわね」


「はい。とてもお美しい……パーティー用のお衣装も幅広いイメージを考えてきましたので、ぜひご覧になってください」


彼女が手で示した先には、茶色のワンピースを着た三人の女性がそれぞれデザイン画や布、飾りを持って待機している。


うわっ眩しい!

布と宝石が煌めいている。


経験がないので衣装選びは変わらず苦手だけれど、公爵夫人になったからにはそうも言っていられない。


「お披露目パーティーのためにがんばりましょう!」


「はい、全力でお手伝いいたします」


こうして私の公爵夫人としての初仕事は始まった。


選ぶだけ、そう、選ぶだけ。すべての段取りも下調べもスタッフがしてくれているのに、私が決めるものが山ほどあるなんて想像を超える苦労があるとは知らなかった……。


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