東の森のゆかいな仲間
針葉樹が生い茂る森の中。
まっすぐに奥まで続く道を、アルフレイドたちは三頭の馬に乗って進んでいた。
アルフレイドに並走するダナン、そのすぐ後ろをグランディナが追う。
天気は晴れ。
空気はひやりと冷たいが、ときおり降り注ぐこもれ日がとても美しく見えた。
「落ち着いたら奥様にも領内を見ていたただきたいですね」
そう声をかけてきたグランディナを、アルフレイドはちらりと視線だけで振り返る。
「あぁ、雪が解けたら案内するつもりだった」
「ふふっ、今朝の奥様は雰囲気が違いましたね。可憐で愛らしい印象に変わって驚きました」
「そうだろう。あれが本当のリネットなんだ」
少し自慢げに笑うアルフレイド。
ダナンが「嬉しそうですね」と苦笑いするのが見えた。
「お二人がうまくいっているようで何よりです」
見送りでの二人の様子を思い出したグランディナは、笑顔でそう言った。
まさか抱き締めるほど仲良くなっているなんて知らなかった……と思っている彼女の胸のうちを察したアルフレイドは、手綱を握る力を強めてため息交じりに言葉を漏らす。
「──体が勝手に動いたんだ」
ダナンとグランディナは目を見合わせる。
「ダナン様、これはイケメン発言ですか?」
「変態発言ですよ」
アルフレイドの黒髪が、降り注ぐ光を浴びてキラキラと輝く。貴公子然としたその姿とは反対に、悩みの程度は低かった。
「抱き締めたときリネットから甘い香りがしたんだが、あれは俺が贈った香水だろうか?」
「「さぁ……?」」
自分で贈っておきながらわからないのか、と二人の視線がそう言っている。
アルフレイドは「わからないから困っているのだ」と気まずい顔をした。
「細やかなことにまで気が付くのがいい男……ではありますが、もうそこは顔面力で押し通しましょう」
「グランディナさん、自分で話を振っておきながら雑にまとめましたね」
「ははっ、バレました?」
二人が何やら会話しているが、アルフレイドの耳にはすでに届いていなかった。
リネットの明るい笑顔を思い出すと自然に自分も口角が上がる。ただし、昨日メイサ医師から受けた報告が心に引っ掛かっていた。
『奥様から診察のたびに「すみません」と何度も謝られて……「風邪なんて引いて申し訳ない」と。あくまで私個人の印象ですが、奥様はご生家であまり大切にされていなかったのではないかと感じました』
(本当にそうなんだろうか? 確かにリネットはどこか自信なさげな仕草を見せるときがある)
寝室で「本当の自分は違う」と打ち明けられたときは実感がなかったが、今朝の見送りで自然に笑うリネットを見ればいかにこれまで無理をしていたかわかった。
折れそうに細い首も腕も、自分を見つめるまっすぐな瞳も、守ってやりたいと庇護欲はそそるが男を誘うそれとはまるで異なる。
(なぜ俺はすぐに気が付かなかった!?)
政略結婚。
王妃が寄こした伯爵令嬢。
騙されるものかと虚勢を張っていたことで、本当のリネットに気づくのが遅れてしまったと反省する。
(リネットは王妃と両親に命じられ、ただ仕方なく俺の妻になっただけ。悪意など欠片もない)
王家とクラッセン公爵家のねじれた関係に巻き込まれた被害者。今さらその事実に気づく。
「リネットは俺が幸せにしたい」
不本意な結婚でも、歩み寄ることはできるはずだ。
アルフレイドは決意を固める。
しかし、片付けておかなければいけない問題がまだ残っている。
アルフレイドは顔を上げ、ダナンに向かって声をかけた。
「カーマイン伯爵家を調べてくれ。あと、リネットの姉のことも」
「いいんですか?」
ダナンは意外だという顔をする。
グランディナは驚き、思わずといった風に尋ねた。
「奥様への疑いは晴れたのでは?俺が幸せにするってそんなキメ顔で宣言しておきながらまだ調べると?」
キメ顔は余計だろう。アルフレイドは心の中で呟く。
「王妃がリネットに決めたのは、俺が出した条件のせいだ。でも本当にそれだけが理由とは思えない。何かあるはずなんだ、カーマイン伯爵家の姉妹が候補に上がった別の理由が」
「裏で誰かが糸を引いている可能性はありますね」
ダナンも納得した様子で頷いた。
アルフレイドは王位継承権を放棄しているとはいえ、多くの敵がいることを知っている。公爵家当主として、不安要素は徹底的に潰しておきたいと考えていた。
「あぁ、そろそろですね」
先の方に見える騎士たちの姿を見て、グランディナがそう言った。
森の中には、ところどころにアルフレイドと同じ紺色の隊服を着た騎士が散らばっているのが見える。
彼らは先にこの東の森へ派遣した者たちで、大量発生した魔物の対処と調査にあたっていた。
アルフレイドたちは、すぐに頭を切り替える。
森の深部に近づくにつれ、針葉樹の幹に張り付く白い魔物が多く見られた。
「雪くらげか」
触手を持たない、楕円形をした半透明のくらげたち。雪くらげと呼ばれるこれらは、一見すると手のひらサイズのスライムのようだがその生態は樹液を吸う昆虫に近い。
「主食は樹液や果実で、腐った木の実も好物……でしたね。報告によれば、一昨日には雪のように木々を覆っていたと言いますから随分とがんばって駆除した方ではないでしょうか?」
樹液を吸っている雪くらげを見ながら、ダナンが呟く。
グランディナも眉間にしわを寄せながら言った。
「人を襲わないのでそこは安心ですけれど、かなり駆除してこれですか?」
近くに住む民が総出で雪くらげを幹から引きはがし、その中央にある核を壊して駆除するのを繰り返し、三日が経とうとしている。放置していると森が枯れて畑や果樹園にも被害が及ぶため、民が必死で駆除するのも無理はない。
この森を抜ければ麦畑や果樹園などが広がっていて、そこだけは守ろうとする民の気持ちがアルフレイドには想像できた。
「森の木々を傷付けるから魔法は使えないし、すべて手作業ですよね。ゾッとします」
グランディナが大きなため息をついた。
一気に焼き払えればすぐに駆除できるが、火を使えば森林火災になってしまう。
満腹になったのか、ふわりふわりとあたりを彷徨っている雪くらげもいる。
アルフレイドたちは雪くらげを避けながら森の管理者がいる小屋へと馬を進めた。
「繁殖時期は夏だろう。なぜここまで大量に出現したのか……?」
アルフレイドは前を向いたままダナンに話しかける。
文官たちが調べた限り、ここ三十年以上このような現象は起きていない。そもそもイールデンの街やその近隣地域に雪くらげはそう多く生息していなかった。
「繁殖ではなさそうですね。雪くらげは分裂して増えますから、生まれたばかりの個体は成体の半分ほどです。ここにいるのは、数年は生きている成体です」
「ということは、ここではないどこか別の場所で生まれて移動してきた……?」
グランディナは浮いている雪くらげを追い払いながら、ダナンの言葉から推察する。
「一応、隣のレックス侯爵領にも雪くらげの発生状況を尋ねる文書を送りましたが、返答は期待できないでしょう」
クラッセン公爵領の東には、ほぼ同じ大きさのレックス侯爵領がある。
当主のジョエル・レックス侯爵は薄灰色の髪をした五十代の男性で、こちらと向こうはアルフレイドの祖父の代から不仲が続いている。
特に、貴族らしい華美な暮らしや伝統を重んじるレックス侯爵は、クラッセン公爵家が武を重んじる家系であることにも嫌悪感を示していて、隣同士であっても協力することは絶対にない。
「緊急時くらい会話できればいいがそれも無理だろうな。俺たちは、できることをするだけだ」
ダナンもグランディナも、小さく頷く。
馬はどんどん森の中を進み、少し開けた場所に出るとそこには一軒の小屋があった。使い古したバケツに農工具などが壁に立てかけてあり、ここが森の管理者が住む小屋だとわかる。
小屋の前には、先に到着した騎士たちがいた。
アルフレイドの姿を見ると、整列して出迎える。
「お待ちしておりました」
「あぁ、報告を頼む」
アルフレイドは馬を下り、手綱を若い見習い騎士に預けた。
ダナンとグランディナもアルフレイドに続いて下馬する。
「雪くらげの駆除は明日までかかる見通しです。今のところ、人にも作物にも大きな被害は出ていません」
「そうか」
「昨夜遅くに不審者を三名捕えましたので、現在は小屋の中で元騎士団長殿が監視しています」
「不審者?」
この辺りはイールデンのように不特定多数の人間が行き来するところではない。住民は顔見知りだけで、訪れる商隊も決まった者が決まった日時に現れる。
「野盗か?」
アルフレイドは眉根を寄せる。
「いえ、元騎士団長殿は『違う』と……」
この森の管理人は、元騎士団長であるカイル・デンフォードが引退後は「自然豊かな場所で暮らしたい」という希望で務めている。
六十歳に近づいた今も、岩のように大きな体躯は筋骨隆々としていて現役さながらの覇気を放つ。
アルフレイドは、カイルから話を聞こうと小屋の中へと入ることにした。
部下の一人が扉を開ければ、Tシャツに黒の軍用ズボンといったラフな格好のカイルが部屋の中央にいた。
短い金髪にギラリと光る青い目。騎士というより格闘家といった雰囲気の荒々しさがある。
あちこちに傷跡があるのは騎士の勲章……ではなく風呂嫌いな愛猫を洗うたびに増えていく引っ掻き傷らしい。
カイルは、縛り上げて床に膝をついている男三人を見下ろしていた。
「うちの公爵様はお優しいからなぁ?聞きたいことが聞けなきゃ手取り足取りスパッと切り落としてくださるぜ!早く吐いた方が身のためだ」
むしろこちらが悪の組織のようだった。
目に飛び込んできた光景に、アルフレイドやダナン、グランディナは足を止める。
「ひっひっひっ……覚悟するんだな」
「ナイフを舐めるな、ナイフを」
アルフレイドが呆れてカイルを窘める。
穏やかな余生を送りたいと言っていたのは何だったのか、そんな疑問が頭をよぎった。