リネットの後悔
日中の日差しはだんだん和らいでいるものの、まだ外は寒い。
厚手のコートがいらなくなるのは例年ならひと月後くらいだと、メイド長から聞いた。
今日の私はラベンダー色のドレスを選び、化粧もばっちりしてもらって悪女らしい装いを貫いている。
城の中は温かいとはいえ、露出の多いドレスではやっぱり少し肌寒い。
「暦の上では春なのよね」
「そうらしいですね」
廊下を歩いている私が不思議そうに言うと、マイラも同調する。
これから私は、アルフレイド様とサロンで昼食を取る予定だ。
なんとアルフレイド様からお誘いがあったのだ。
ドキドキしながら、指定されたサロンへ向かう。
「今日こそはアルフレイド様ともっと親密になってみせる」
私は意気込んでいた。
せっかく結婚したのだから、妻としてアルフレイド様との距離を縮めたかった。
「これからが正念場ですね」
「ええ……。一昨日の反省も踏まえて、今日はじっくりと時間をかけてお話したいわ」
一昨日の夜、アルフレイド様とダナンさんが私の部屋に謝罪に来てくれた。
ダナンさんは「王妃様が選んだ結婚相手だから警戒していた」と言い、「自分の独断でリネット様を調べました」と打ち明けた。
あのとき、私は平静を装っていたけれど実はとても驚いていた。
『王妃様とアルフレイド様は仲が良くなかったの?』と。
社交に興味のない私は、王家と公爵家の内情など知る由もない。
しかも、表面上は特に争ってはいない。周囲の人間が煽るようなことを言うせいで、王妃様がアルフレイド様を警戒しているらしい。
(これは二人が帰った後、執事のゲイルさんに聞いた)
アルフレイド様とダナンさんが部屋に来たとき、直前までクッキーを食べていて、歯にアーモンドが挟まっていたらどうしようと心配になり咄嗟に扇を広げてごまかしていたこともあって、ゆっくり話ができなかったのはとても悔やんだ。
なんて間が悪い女なんだろう。
よりによって、なんであのときクッキーを食べようと思ったの!?
私のバカ……!
──お気になさらないで?調べられて困ることはありませんから。
そう答えるのが精いっぱいだった。
悪女なら怒ればよかった?
それとも拗ねたふりをして気を引けばよかった?
無理よ!
だってアーモンドが気になって……!!
「今日は、今日こそは」
アルフレイド様好みの悪女をちゃんと演じてみせる。
私は決意していた。
サロンに到着すると、すでにアルフレイド様が円卓に座り私を待っていてくれた。
ガラス張りのサロンは清潔感があり、白い壁とアイボリーのカーテンが明るい雰囲気を醸し出している。
アルフレイド様は私を見ると、凛々しい表情から穏やかな笑みに変わった。
「リネット」
「っ!」
名前を呼ばれるだけで、心臓が大きく跳ねる。
騎士服も素敵だけれど、今日の薄青色の衣服も素敵だった。うっかり直視すると眩しくて目が……!
いけない、落ち着いて。
自分に言い聞かせながら、スカートの裾を軽くつまんで挨拶をした。
「ごきげんよう、アルフレイド様。お誘いいただき、ありがとうございます」
自信があるように、余裕があるように振る舞う。
「急に呼び出してすまないな。今日の君も美しい」
遊び慣れた人の社交辞令だとわかっているのに、つい照れた笑みを浮かべてしまう。
私はアルフレイド様の向かい側に用意された席に座り、緊張ぎみに彼の目を見て微笑んだ。
テーブルの上には前菜らしきマリネやゆで野菜があり、そこへ温かいスープが運ばれてくる。
給仕係がグラスに赤ワインを注いでくれて、昼食は始まった。
「あ、このワインって……」
私が思わず声を上げると、アルフレイド様が答えてくれる。
「軽めの食前酒だ。君はこれを気に入っていたとマイラから聞いて」
「ええ、とてもおいしかったです。王都でよく口にしていた銘柄より気に入りました」
嘘です。お酒なんて今まで一度も飲んだことはありません。
それでも、お姉様はお酒が大好きだったし、悪女らしくお酒はいつも嗜んでいるというふりをした。
夜会やお茶会の経験がない私は、お酒はもちろん食前酒でさえ飲んだことがない。でも私がこのワインをおいしいと思ったのは本心だ。
「アルフレイド様は、お酒はお好きですか?」
「…………嗜み程度には」
何だろう。ちょっと間があった。
彼の手元のグラスを見ると、まったく減っていないようだ。
もしかしてあまりお好きではない?
私の祖父はいわゆる酒豪で、「騎士たるもの酒など水に等しい」って言っていたけれど、騎士にもいろんなタイプがいて当然だ。
それに、呑めない方がお金がかからなくていい。
貧乏なのに高いワインを集めていた伯爵家の父を思い出すと、心の底からそう思った。
じっと見つめていると、アルフレイド様は気まずそうに視線を落とし、そしてぽつりと呟くように言った。
「いや、その……実は酒は苦手だ。まったく嗜まない」
「まったく」
「薬でも盛られているのでは、と考えてしまうから飲むのをやめた」
理由が予想外だった。
味や香り以前に、酒は警戒対象らしい。
「薬とは、毒ですか?それとも惚れ薬のような……?」
「…………」
あ、両方ですか!?
力なく笑ったアルフレイド様は、私の言葉を否定することはなかった。
「邸で警戒はしていないが、外に出るとどうしても危険が付きまとう。だから、呑まなくなった」
「そ、そうですか……」
食前酒の話からまさかの空気になった。
気まずい。
ニセモノ悪女の私にはそんな経験はなく、アルフレイド様を励ます言葉が見つからない。
悩んだあげく、私は言った。
「えーっと、いざとなったら私が身代わりになれば解決します?」
「!?」
違った。
アルフレイド様がぎょっと目を見開いて驚いている。
確実に励ます言葉を間違えた。
「君は……俺の妻だ。そんなことはさせない」
アルフレイド様は、まっすぐに私を見つめて真剣な表情に変わる。
その目の力強さにどきりとした。
「リネット」
「は、はい」
「色々と順番を間違えてしまったが、俺は君を知りたいし、きちんと向き合いたいと思っている」
「え……」
私を知りたい?向き合いたいって本当に?
アルフレイド様は怖いくらいにじっと私を見つめている。
その眼光の鋭さに、ちょっとびくりとした。
さっきの言葉は、アルフレイド様の本心なの?
私のこと、王妃様の送り込んだスパイだってもう疑っていないの?
「リネ……」
「ちょっと混乱していますっ!しばらくお待ちくださいませ!」
アルフレイド様の声を遮ってしまった。
ものすごく失礼なことをしているけれど、私は視線を逸らして一人考え込む。
何で?どうして?
とりあえず悪女っぽさを気に入ってくれたってこと?
いや、それは違うか……もう何が何だかわからない。
アルフレイド様は一体何が目的なの?
そう疑問を抱いたとき、ふと視線に気づいた。
顔を上げると、彼がじっと私を見ながら待っている。
「どうして」
「?」
もしかして、私が「しばらくお待ちくださいませ」って言ったからそれで……?
機嫌を悪くすることもなく、私が言葉を発するのを待ってくれている。
そうだった。
この方は最初から優しかった。
私のことを調べたのもダナン様で、アルフレイド様の指示じゃない。
私は自分が嘘をついているから、相手の言葉にも何か裏があるのかもって思ってしまったんだ。
過ちに気づいたら、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。
「リネット?」
優しい声で名前を呼ばれ、申し訳なくて堪らない。
「私……アルフレイド様が素敵すぎてつらいです!」
「え」
こんなにいい人が遊び人なわけないじゃない!
誰よ、いい加減な噂を流したのは!!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「リネット!?」
アルフレイド様が慌てた様子で立ち上がり、ガタッと椅子が床に擦れる音がした。
私は両手で顔を覆い、こんなに素敵な人を騙してしまった……と後悔に苛まれる。
心臓がますますバクバクと鳴り出した。
顔が熱い、というより体全体が熱い。
呼吸もやや荒くなってきて、自分の息が熱いことに気づいた。
「すみませ……はぁ……はぁ……」
何かおかしい。
急激に体がだるく感じた。
アルフレイド様は私のそばに駆け寄り、そっと私の手を掴んで尋ねた。
「リネット、もしかして熱があるのでは?」
眦にじわりと滲む涙。「そうだと思います」と返事をしたものの、自分でも驚くくらい弱弱しい声だった。
「すぐに医師を!」
「きゃあっ!」
背もたれに体を預けるよりも先に、アルフレイド様が私を横抱きにする。
熱で遠のきそうだった意識が一気に戻った。
「アルフレイド様!?」
「このまま寝室へ運ぶから眠っていいぞ」
「寝られません!」
必死で抵抗するも、アルフレイド様の体は私の腕ではびくともしない。
彼は話しながらもすたすた歩いていって、サロンを出てしまった。
給仕係やメイドたちが驚いた顔でこちらを見ている。
「あの、きっとただの風邪で……あなた様にうつすわけには……!」
「ただの風邪ならうつらない。何らかの病原菌が体内にいるなら別だが」
「っ!?それなら、なおさらアルフレイド様にうつったらいけませんから!」
原因がわかるまで、絶対に触れあってはいけないはず。
でもアルフレイド様はさらりと言った。
「君は俺の妻だ。もし何らかの病でも、夫としてそれを半分引き受けよう」
「??」
どういうことですか?
理解できずに目を瞬かせる。
「リネット様!?」
あぁ、隣室で待機していたマイラが来てくれた。
その顔を見たらホッとして力が抜けていく。
皆が何か言っている声が聞こえるけれど、きちんと聞き取れない。
ぐったりとした私は、アルフレイド様によって大急ぎで寝室へと運ばれていった。