リネットの場合②
マイラの眉間に皺が寄る。
公爵様にはお会いしたことがないので実際にはよくわからないが、王都で聞く彼の噂は相当な「遊び人」だというものだった。
「未亡人を足腰立たないようにしたとか、抱いた女の数は星より多いとか?女性関係が随分と華やかな方だと聞きましたが!?それのどこが『ちょっと』なのですか?」
そんなこと私に聞かれても。
私は苦笑いになる。
「でも絶世の美男らしいから、仕方ないんじゃない?歩いているだけでご令嬢方が寄ってくる、それくらい人気だって」
漆黒の髪はさらさらで、爽やかな海のような青い瞳は一度見れば虜になると評判だ。画家が筆を握らずにはいられないという美形だそうで、彼のもとには肖像画を描かせてくれという依頼が後を絶たないらしい。
「だとしても節度というものが……!そんなケダモノのところへ大事なリネット様を嫁がせるなんて……!」
マイラは悔しげに拳を握り締める。
私はただの引きこもりだから、そんな風に惜しんでもらえるほどいいものではないんだけれど……。
「問題は、公爵様が私を気に入ってくださるかどうかよ。お姉様の振る舞いはよく知っているけれど、完璧になりきって暮らすのは難しい」
私が代わりになることは、王家側からはちゃんと許可はもらっている。「マリアローゼは病のため、双子の妹のリネットでもいいでしょうか?」とお伺いをきちんと立てたのだ。
お父様は顔面蒼白になりながらも、お城に上がって必死に説明したらしい。「妹も姉とよく似ている。同じようなものだ」「だからどうにか妹の方で」と。
同じようなものと言われ(容姿はともかく中身は全然違うのに)、娘としては複雑な心境だが許可が下りなければカーマイン家が取り潰される危機。
だから、細かいことを言っていられない。
王家から「妹でも可」とお許しが出たときは心底安堵した。
「次の街に着いたら、お姉様のドレスに着替えるわ。お化粧も派手にお願いね?」
「……かしこまりました」
マイラは不満げだけれど、もうほかに手段はないとわかっているから渋々納得してくれた。
今私が着ているのはダークネイビーの地味なワンピースだ。長旅でも寛げるように、自分が愛用していた動きやすい服を選んだ。
こんな装飾品の少ない地味なドレスは、お姉様なら絶対に選ばないだろう。
馬車に積んであるトランクには、派手で露出の多いドレスがばっちり入っている。勝手にお姉様の部屋を漁ったのは申し訳ないが、やはりそれらしい姿に変身するには悪女のプロ(?)の服を借りるのが一番いい。
窓の外には、鷹に似た茶色い鳥が飛んでいる。
じっとこちらを見ていて、馬車に並走するかのように一緒に進んでいた。
「マイラ、見て。鷹もお出迎えしてくれているわ」
私は笑顔で、空を舞う鷹に向かって手を振る。
野生の生き物が人間に懐くわけはないと知っているものの、こうして遠くから眺める分には鷹も可愛く思えた。
「楽しそうですね……?」
「だって人生初めての砦よ?この国の盾として名高い城塞に住めるのよ?」
あぁ、想像しただけで顔が綻ぶ。
どんなに凶悪な魔物が押し寄せても絶対に侵入を許さない、強固な城塞都市。最強の砦。
「おじい様の残した書物を読んでから、ずっと憧れていたの」
軍人だった祖父の影響で、私はたくさんの軍記や英雄伝を読み漁った。
国を守る、志の高い騎士たち……!そこで生まれる友情……!
たとえ公爵閣下が遊び人でも浮気者でも、私にとってはイールデンという城塞都市に行けることは何よりの魅力だった。
「お姉様は嫌がっても、私にとってはなかなか素敵な嫁ぎ先よ。公爵閣下に気に入ってもらえるように、がんばって”恋多き女”になりきってみせる!」
私は隣に積んである書物をポンと軽く叩き、そう宣言した。
この書物は、「恋愛」「男女の駆け引き」「おとなの遊び」をテーマにした頼もしい指南書たちだ。
「私にはコレもあるから」
「本当に参考になるのですか?その書物……?」
マイラは疑いの目を向ける。
彼女は背表紙の文字を見つめていた。
『実録!世界の悪女たち』
『本当にあった恋の話』
『これであなたも小悪魔系痴女!』
『男を虜にする100の方法』
『恥平線で会いましょう』
馬車の中に沈黙が広がる。
もしかすると、選び間違えたかもしれない。
でももう王都を発ってしまったのだから仕方がない。
「……何とかなるわよ、きっと」
前向きに考えよう。
イールデンはまだ先で、勉強する時間はたっぷりあるのだから。
私はご機嫌で、書物に目を通し始めた。