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アルフレイドの決心

「まっっっったくわからない」


ある日の午後、執務室の隣室でアルフレイドはその美しい顔を歪めていた。

テーブルに並んでいるのは、いくつもの香水瓶。色も形も様々で、瓶の前には香りのサンプルとして香水を含ませた細い棒状の巻き紙が置いてある。


「それほど悩まなくても、気に入った香りを選べばよろしいのですよ?」


向かい側の椅子に座るのは、女性騎士のグランディナだ。

アルフレイドとは幼馴染で、同じ年の二十三歳。第三騎士隊の副隊長を務めていて、凛々しい見た目とは正反対にかわいらしいものが大好きという一面を持つ。


ファッションだけでなく香水にも詳しいというので、アルフレイドは密かに彼女を呼びつけていた。


「いい男が選びそうな香水が欲しい。俺はどれがどれだかわからないが」


「今さら奥様にかっこつけてどうするんです?」


じとりとした目を向けられ、アルフレイドは気まずそうな顔をする。


「だいたい香水のおかげではなくて、いい男は本質的に素材がいいからいい男なんですよ」


「元も子もないことを」


「アルフレイド様は黙っていればいい男なのに」


呆れ交じりにそう言われ、アルフレイドはますます居心地が悪くなる。

ここでグランディナはダナンがいないことに気づき、不思議そうに尋ねた。


「あの笑顔がうさんくさい従者はどうしたんです?」


「3日間謹慎させた」


「謹慎?何をしたんです?」


「実は……」


アルフレイドに『リネット様にドレスを贈りましょう』と提案してきたのはダナンだった。妻の衣装が少ないと言われれば、贈って当然だとアルフレイドは二つ返事で了承した。


しかしそこで、リネットに対し秘密裏に調べが入るとは聞かされていなかった。

ダナンから事後報告を受けたアルフレイドは、仮にも公爵夫人を勝手に調べるのは無礼だと謹慎を言い渡した。


「王妃様が取り持った縁談だから警戒するのはわかりますが、やり方がよくないですね」


グランディナは少し理解を示しつつも、謹慎は妥当だと思ったらしい。


「あぁ、あいつの気持ちはわかるがこれを許せばリネットの立場がない」


「で、奥様ご本人はなんと?」


「それが……まったく怒っていなかった」


あの夜、アルフレイドはダナンを伴ってリネットの部屋を訪れた。

勝手に調べて済まなかったと詫びる二人に対し、リネットは扇で口元を隠したまま、涼しい顔で言った。


──お気になさらないで?調べられて困ることはありませんから。


リネットが気分を害していないことは安堵したものの、アルフレイドは妻を探る罪悪感に苛まれた。


「王妃が勧める娘など信用できない。それはまだ拭えないが、リネット本人に悪意はないと俺は思う」


「そうですね。私もご挨拶しかしていませんがかわいらしい方でした。見た目は派手でしたけど『皆さまのご無事をお祈りしております』と言われたときはちょっとときめいたくらいですよ」


「なっ……」


俺はそんなことを言われていない。アルフレイドは唖然とする。

グランディナは視線を斜め上に向け、リネットの顔を思い浮べながら言った。


「社交界で噂の悪女ね。しょせん、噂は噂ですからね」


「それは俺が身を以て知っている」


暇を持て余した貴族たちは、そのとき楽しければいいと好き勝手に話に花を咲かせる。情報は大事だが、この世に溢れるそれらの多くは信ぴょう性のないものだった。


(仮にもリネットは俺の妻だ。その女を信じたい、ただそれだけなのかもしれないが)


騎士として公爵として実績を重ねても、自分の内面はこんなにも甘かったのかとアルフレイドは思った。

王妃の策略がアルフレイドを腑抜けにするということであれば、それは意外にいい作戦なのかもしれない。


黙り込んだアルフレイドを見て、グランディナはくすりと笑う。


「政略結婚なんて、最初はどの夫婦も腹の探り合いでしょう?いいじゃないですか、刺激的な新婚生活で」


「…………」


「あまり難しく考えるのはよくないですよ?」


「ストレスで禿げそうだ」


「あら、それは大変ですね」


グランディナはあははと声を上げて笑う。

アルフレイドは椅子から離れると、書き机の上に置いてあった書類の束を手に取った。


「香水はもうよろしいのですか?」


「あぁ、また新年の宴の前にでも選ぶことにする」


「けっこう先ですが?」


グランディナは呆れつつも小瓶を籠に仕舞い始める。

そしてそれを持って部屋を出ようとして、アルフレイドが見ている書類に気づいた。


「ようやく小麦の自給率が八割を超えましたね」


「あぁ、天候不良が続いても領民が飢える心配はほとんどないだろうな」


アルフレイドの両親は私財を投入して小麦の品種改良を行い、領民が飢えないように尽力してきた。アルフレイドもその意志を引き継ぎ、ようやく成果が出たところだった。


「俺にとっては、領民は守るべき存在だ。嫁いできた妻も守ってやりたいと思うんだが……」


「アルフレイド様」


呼びかけられ、アルフレイドは視線を書類からグランディナに移す。

彼女は両手で籠を持ち、優しい目を向けていた。


「そういうことはリネット様に直接伝えましょう。私もそれなりに忙しいんで、悩む上官の相手はわりと面倒だなと思っています」


「おまえ厳しいな」


幼馴染だけあって遠慮がない。

特に、プライベートな時間になればなおさらだった。


グランディナは、ここで一言アドバイスを送る。


「いいですか?時には大胆さも必要ですよ」


「大胆さ?」


「悩むより行動です!」


彼女はにこりと笑って、それでは……と去っていく。


「行動、か」


アルフレイドは、この数日のことを思い返して反省した。


(忙しいのを言い訳に、俺はリネットから逃げていた)


王妃が送り込んだ結婚相手。

恋多き女。

社交界を賑わす悪女。


そんな情報に惑わされ、リネット自身をきちんと見ていなかったと反省する。


(リネットと向き合わなければ。大胆に、悩むより行動してみる……確かにそうだな)


そうと決まれば、リネットとの時間を確保するためにまずはこの書類たちを片付けなければならない。


(俺は、リネットと向き合う!!)


決意を固めたアルフレイドは、懸命にペンを走らせる。

ただサインすればいいというわけではなく、目を通して吟味してから事務官に回答するのだからこれがわりと時間を奪っていく。


(あいつを謹慎させて一番罰を受けているのは俺かもしれない)


いつもなら、段取りを組んでくれる男がいない。

アルフレイドは、陽が暮れるまで黙々と執務に取り組んでいた。




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